今日の若松部屋
平成9年8月27日
今日から友綱部屋と伊勢ヶ浜部屋が出稽古に来る。注目の魁皇は、まだ先場所の怪我が本調子でないようで、四股などの準備運動だけで終わる。朝乃若、朝乃翔の両関取はかなり元気そう。
平成9年8月30日
今日は、見学のお客さんが重なり3団体約100名。晩は、新しくオープンした錦糸町の東武ホテルで、地元の後援会本所若松会との懇親会。親方の長男成紀(しげき)君が親方の持ち歌「ほたる川」を歌い拍手喝采。
平成9年9月1日
朝乃若、朝乃翔の両関取とも横綱審議委員会の総見稽古に参加するため国技館へ行き、若い衆だけの稽古。いつもより少し早めに稽古終了。魁皇は相変わらず準備運動のみ。
平成9年9月2日
未明に二人スカシ(脱走)検査等で何名か病院に行き、友綱部屋も来ないというちょっとさみしい稽古場でした。
平成9年9月3日
本場所が間近に迫ってきて、稽古終了後、関取の付人総出でさがりののりをはり直す。けっこうひとしごとである。すかした2名。1人は実家に帰って説得中。結構脈はある。もう1人は、大阪にいるとの確認情報を得るがいまだ行方不明。
平成9年9月4日
親方の長男しげき君が3日前より稽古場におりて、相撲の稽古を始める。現在小学校5年生だが体もわりと大きいし、さすがに血をひいているだけあってセンスもまあまあ。これからどうなっていくか将来が楽しみ。
平成9年9月5日
今日から稽古も調整段階に入る。午前9時より審判部による取組み編成会議が行われ、初日と2日目の取組みが決まる。普通ならその日の内に割り紙(取組表)を呼出し邦夫(若松部屋)が持ってきてくれるのだが、印刷の機械が壊れたそうで今日はアゴ(なし)。親方も審判委員なので、関取の対戦相手はわかったのだが、若い衆はいつ取り日なのか明日にならないとわからない(幕下以下は取り組みが2日に1回)。稽古終了後、若者会(ミーティング)を開き、決め事の確認、協会からの通達等を行いあさってからの場所に向けて頑張っていこうと志気を揚げる。
平成9年9月6日
明日からの本場所を前にして、国技館の土俵で土俵祭りが行われる。そのあと触れ太鼓が街へと繰り出していく。いよいよ初日である。若松部屋へも12時半頃軽快な太鼓の音と共に呼出しさんがきて、土俵で明日の取組みを呼び上げる。部屋の中に澄んだ声が響き渡り、明日から始まるという実感がひしひしと体に伝わってくる。ちなみに明日朝乃若は琴錦、朝乃翔は旭豊。皆さん応援して下さい。
夕方5時半。すかした一人がもどってくる。何とか明日の初日に間に合った。めでたし、めでたし。ここを乗り越えてひとまわり大きくなってくれることを祈る。
平成9年9月7日
今日から初日。何年相撲をやっていてもやっぱり初日は期待や不安、いろいろな感情が織り交ざった特別な緊張感がある。朝乃若、朝乃翔の両関取は残念な滑り出しで、全体でも5勝8敗の成績。
平成9年9月8日
朝太田。持病の腰痛再発のため休場、不戦敗。
平成9年9月9日
ようやく関取2人に初白星。やっぱり初日が出るとホッとする。全体の成績も3日目にして初めて勝ち越す。序二段で朝闘山、朝錦が2連勝。
平成9年9月10日
大阪でスーパーとちゃんこ「朝潮」を経営しているおかみさんのお父さんが、仕事がてら応援に来てこの日の取組みの力士に懸賞金がでる。途中から大阪に帰るため、勝った力士で分けろと金一封をおいていく。朝鷲が負けた時点で、一人減って取り分が増えたと、朝ノ霧ニッコリするが、自分も負けてアゴ。(没)
一ノ矢が2連勝。朝松井。鎖骨骨折のため今日から休場、不戦敗。どうも今場所の若松部屋は厄場所のようで怪我人が多い。
平成9年9月11日
今日から中盤戦。おすもうさんにとって、15日間というのはやはり長い。特に前半から中盤にさしかかる辺りは、肉体的にも精神的にもかなり疲れが溜まってくる。中日(なかび)を過ぎると又少し元気になるのだが。(もちろん成績にもよる)
相変わらず星の上がらない若松部屋。今日も5勝8敗と負け越す。ひとりゴジラこと朝錦、3連勝と 火を吹く。いや気を吐く。
ちょっと恐い顔の朝錦。今まで幼稚園に遊びに行って、8人泣かしたことがあるが、慣れると「ゴジラ」「ゴジラ」といって子供が集まってくる。心優しきおすもうさんである。朝小畑、物言い取り直しの末、初白星。
平成9年9月12日
本所界隈は、牛嶋神社の秋祭。本場所中で参加はできないが、祭囃子をきくと楽しい気分になってくる。序二段の朝闘山昨日のゴジラに続いて3連勝。場所前網膜剥離を再発して、出場も危ぶまれたが、治療後、様子を見ながらやってみようという前向きの力士である。あと1番で三段目復帰。皆さん応援して下さい。
平成9年9月13日
朝闘山今日も勝って、4連勝とストレートで勝ち越しを決める。今場所序二段の15枚目なので、来場所の三段目復帰はまず確定。(序二段では4勝で約20枚昇進する。)逆に朝泉、朝西春は4連敗で負け越し。
平成9年9月14日
今場所始まって以来の好成績の若松部屋。関取が揃って勝ち、朝錦が昨日の朝闘山に引き続き4連勝の勝越し。一ノ矢は物言い取り直しの末、勝って3勝目。全体でも9勝2敗と今までの負け分を少し挽回する。朝太田が今日から途中出場。久々に明るい話題の多い1日でした。
先日相撲の番付について教えて欲しいと質問がありましたので、解説を少し。上から順番にいくと、横綱・大関・関脇・小結・前頭(平幕)。以上が幕の内力士。幕の内の下が幕下。江戸時代、幕下の10枚目迄の力士にも十両の給料をだして幕内力士に準ずる力士としたため、十両もしくは十枚目という。ここまでが給料を貰え、関取と呼ばれる資格者。付人もつく。定員は幕内40人。十両26人。次が幕下。東西60枚づつで定員120人。学生相撲の幕下附出しは定員外。次が三段目。東西100枚づつで定員200人。次が序二段。その下が序の口。更に序の口の下に番付表にのらない前相撲がある。序二段、序の口には定員がなく、場所毎に人数が変わる。ちなみに今場所は、序二段が東西187枚目までで374人。序の口が東が 58枚、西が57枚迄で合計115人。今場所の全力士総数は875人。同じ枚数なら東の方が西より半枚上。
平成9年9月15日
序の口の朝藤墳(あさふじつか)が今日勝って3勝目。あと1つ勝てば勝ち越しである。朝藤墳は、昨年の3月に入門して、今場所で9場所目だが、いまだに勝ち越したことがない。今場所は不戦勝もあったりして、ツキもあるようなので待望の勝越しを期待したい。
本日相撲協会より夏のボーナスが支給された。給与約1月分だが、給金(給料)を前にして財布に千円程しか入っていない若い力士にとっては 天の恵み。
平成9年9月17日
今日から終盤戦。ここまで来るとあとは早い。昨日の取組で太股の肉離れを起こしてしまった朝乃翔。今日から休場。やっぱり厄場所である。幸い公傷が認められそうなので、じっくり直して、もう一度三役に挑戦してほしい。
序二段で快進撃を続ける朝錦と朝闘山(あさとうざん)。朝錦はついに土がついてしまうが、朝闘山は今日も勝って、6戦全勝あと1番 勝てば、優勝決定戦進出である。
平成9年9月18日
入院中の朝乃翔。精密検査の結果、太股内転筋のかなり深い場所で肉離れがあるようで少し時間がかかりそう。
朝小畑が勝越し。朝西春ようやく片目があく。(1勝する。)
平成9年9月19日
ついにやりました。朝闘山が今日も勝って、7戦全勝。千秋楽の序二段優勝決定戦出場を決めました。千秋楽幕の内土俵入りの前、3時半頃NHKに登場します。皆さん応援して下さい。
入院中の朝乃翔関から優勝したら10万円と懸賞金がつき、財布の中身300円、ハガミ(借金)3万円の朝闘山大いに燃える。(ちなみに朝闘山は朝乃翔の付人)
3勝3敗で迎えた関東龍と房風。関東龍は惜しくも負けるが、房風は得意の柔道殺法「掛け投げ」(柔道の内股)でぶん投げ、見事勝越し。
平成9年9月20日
秋場所も残すところあと1日。朝ノ霧、負けて勝越しならず。朝乃若、クニもん(同郷)対決で旭豊と対戦するが、物言い取り直しの末、黒星。7勝7敗となり明日の出島戦に勝越しをかける。朝藤塚、朝辻野、一ノ矢も明日千秋楽最後の1番に勝越しをかける。
平成9年10月22日
千秋楽が終わり、ホッと一息の若松部屋。今日から1週間は朝稽古も休みでゆっくり寝れる。おすもうさんにとって1番うれしい1週間である。朝9時に起床。全員で大掃除をすませると、部屋には殆ど人がいなくなり静かな休日となる。
昨日の千秋楽では、朝藤墳(あさふじつか)が、入門9場所目にして、初めての勝越し。悲願達成に、引き上げる花道では目に涙。よくやった!
朝乃若は惜しくも負け越してしまうが、序二段優勝決定戦に登場の朝闘山。三つ巴戦で最初の1番負けるも、次に2連勝して優勝。協会からの優勝賞金20万円獲得。暗い話題の多かった秋場所の最後を飾ってくれた。入院中だった朝乃翔も本日退院。
平成9年9月24日
今日、審判部による番付編成会議が行われるが、親方体調不良の為休場。
平成9年9月26日
平凡な休日。勝越しして、実家に里帰りしていた力士も大体戻ってきて、部屋の中も以前の賑やかさを少し取り戻す。(勝越し力士だけ 家に帰れる。)親方精密検査の結果ヘルニアが判明。相変わらず苦しい状態だが、夕方講演の仕事が入っていて、キャンセルできずに講演に行く。椅子に座らしてもらって、なんとか務める。弟子の私がいうのも何だが、親方の話は大変上手で面白い。
平成9年9月27日
昨日のはり治療が効いたようで、今日は少し状態のいい親方。午後から娘、由希子の運動会に顔を出す。
朝関野がスピード宝くじを当てたと興奮している。
平成9年9月28日
今日から11月九州場所に向けて稽古再開。マワシも一週間ぶりに締めると新鮮で、休みで緩んだ気もしまってくる。午後から”浪乃花引退相撲”があり、四股だけ踏んであがる。数年前の相撲ブーム全盛の頃は、花相撲(引退相撲等のこと)の切符も飛ぶように売れたが最近はなかなか厳しい様。
平成9年9月30日
東関部屋が出稽古に来る。ただし横綱(もちろん曙)は、先場所の膝の怪我がおもわしくないらしく療養中。 朝藤墳(あさふじつか)先場所の初の勝越しで自信をつけたようで、今まで勝てなかった相手にもめがでるようになってきた(めがでる=勝つ)。
平成9年10月1日
秋からの新番組「ネバァーギヴアップTOKIO]という番組が録画取りにくる。TOKIOのリーダー城島君がちびっこを連れて、相撲王国青森の道場に修行に行くという企画で、その予行演習として若松部屋に体験入門するという番組。TOKIOが来るというので、行司の木村勝次郎が彼女にサインを頼まれたらしくサインをもらい、おかみさんも記念撮影に収まるというちょっとミーハーな若松部屋でした。
平成9年10月3日
力士数名が、心臓の精密検査に呼ばれ、稽古は早あがり。最近おすもうさんも、心臓病で死んじゃう人がいるので、相撲協会で年二回の健康診断を実施。そこで怪しい人は更に精密検査へとなる。ちなみに保険証は相撲協会発行、二割負担の社会保険。
平成9年10月4日
今日から巡業組が出発。巡業組は親方と、付人朝西春、朝鷲。朝乃若と、付人房風、朝錦。行司勝次郎。土俵作り先発で呼出し邦夫の計8人。明日(5日)の初日は、埼玉県の狭山市と近場のため、付人は今日乗り込むが、親方と関取は5日早朝出発。親方、夕方より「オール スター感謝祭200人クイズ大会」生出演のためハイヤーでTV局へ。この番組に出た後は、いろいろと賞品でうまいものを持って帰ってくれて、力士もグルメな気分を味わえる。ごっつぁんです。
平成9年10月6日
今日大変悲しい出来事がありました。元高砂部屋の十両で活躍した熊翁(くまおう)さんが、交通事故で亡くなりました。熊翁さんは、親方や脇原マネージャーと高砂部屋で同じ釜の飯を食った兄弟弟子で、切れのいい突っ張りと素早い出足で小さい体ながら十両を張った、歌舞伎役者のようと言われた美男力士でした。平成6年3月引退後は、故郷の埼玉県熊谷市でチャンコ熊翁を開いて、お店も順調にいっていた矢先です。享年32歳。あまりに早い人生が悔やまれます。ご冥福を祈ります。合掌
平成9年10月7日
昨日から友綱部屋も出稽古に来る。これで巡業組が出発して、少し寂しくなった稽古場も人が増え活気が出てくる。友綱部屋は 一門は違うが、親方同士が現役時代から仲がいいこともあり、部屋も割と近いのでよく一緒に稽古をする。力士同士というのは、一度一緒に稽古をすると親密感が増す。
今日のチャンコは久しぶりに”いかみそチャンコ”。かなり人気の高いチャンコである。
平成9年10月8日
怪我で休んでいた朝乃翔関が久しぶりにまわしを締めて土俵に降りる。まだ少し違和感はあるものの、かなり状態は良くなっているよう。やはり稽古場に白いまわし姿があると稽古場がしまる。(柔道の黒帯と反対で、相撲は、稽古場では白まわしの方がえらい。)
平成9年10月9日
晩のチャンコを食っている時の出来事。おすもうさんは結構ゲンをかつぐので、どの場所がゲンがいいという話題になり朝藤墳ポツリと「俺名古屋場所はゲンがわるいんだよなー」。一瞬場が静まりかえって、朝小畑つっこむ。「おめぇーどの場所もゲン悪いじゃないか」。で大爆笑。確かに朝藤墳は、この9月場所で初めて勝越したから、東京場所5回に1回の勝越し、あとの大阪、名古屋、九州は未だ勝越しがないのである。それをすぐつっこむのが相撲界のいいところであり、朝小畑のえらいところである。同期生(2人は入門が一緒)には冷たい朝小畑だった。
平成9年10月10日
今日のチャンコは、牛の塩炊き。友綱部屋は、今日は鳥スキらしい。普通のすき焼と違い、塩コショーで味付けをするとの事。チャンコは部屋によって、結構違うのでよその部屋の話を聞くと勉強になる。また、よその部屋のチャンコはうまくみえる。
平成9年10月12日
先場所序二段優勝の朝闘山、2週間ぶりに頭を洗ったらしい。夜寝るときに自分の頭のにおいで、寝られなくて決断したとのこと。本場所中ならゲンをかついで、とたまに聞くが、この時期には珍しい豪快なおすもうさんである。
「頭は毎日洗うのですか」とはよく聞かれる質問だが、一般的に力士は余り頭を洗わない。一応平均的な所は、夏場は3日に1回、冬場は4、5日に1回というところだろう。鬢付け油がべっとり付いているのと、毎日ちょん髷を結うときに、梳き櫛(すきぐし)という 目の細かいクシで汚れやかゆみをとって貰えるからである。洗うときはタップリのシャンプーで3回は洗うのでひとしごとである。 落ちの悪いシャンプーだと1本近く使ってしまう。昔、巡業に出たとき、お湯で頭を洗う時間がなくて、食器用洗剤で洗ったことがある。さすがに油はよく落ちたが、次の日すぐフケが出た。
平成9年10月13日
足首を捻挫した朝泉。接骨院での会話。
先生「こんなに悪いと、痛くて眠れないんじゃないの」朝泉「そうなんすよ。痛くて全然眠れないんすよ」先生「じゃあ氷で冷やして電気をあてますから、少し我慢して下さいね」。治療を始めだして2分後。朝泉の寝ているベットから聞こえてきたのは、「グゥオー グゥオー」という大きなイビキ。隣にいた朝闘山と先生、顔を見合わせてバカマケ(あきれる)。
20分後に起こされた朝泉、さすがにバツ悪そうに、「みんなに内緒にしといてな」と朝闘山に頼んだらしいが、根が正直な朝闘山、晩飯のオカズとあいなった。
平成9年10月16日
朝桜山と朝錦が引退することになった。怪我や諸事情によるが、2人とも5年間頑張ってきただけに、大変残念だし寂しいものがある。今年は、平成2年3月に現親方が若松部屋を継承以来、最も多くの力士がやめてしまうという異状事態をおこしてしまった。残っている力士に影響がないようもう一度、部屋全般のありかたを見つめ直さないといけない。
引退力士へ。しばらくは、つらく苦しい思い出しか浮かばないかもしれないが、そして関取にはなれなかったが、決して敗北した訳ではない。何場所かは、勝越しという成功も味わったのである。胸をはって、力士であったことを誇りにして、新しい人生で頑張ってもらいたい。
平成9年10月17日
今日のチャンコは、チキンカレー。チャンコというと鍋だというイメージが強いと思うが、おすもうさんの作る料理のことをチャンコと呼ぶので、カレーもチャンコである。もっとも同じ鍋でつくるからカレー鍋といえなくもないが。
昔、大相撲に入門することになって、学生時代の友人が部屋へ訪ねていって一度でいいから相撲部屋のチャンコをたべてみたいという話になり、「でも、カレーの日もたまにあるらしいよ」といったら、「やっぱり本格的な鍋がいいな」などといいつつ、訪ねてきた日が、ちょうどカレーだったということがあった。
カレーの中では、前の日から3時間ほど煮込んだスジ肉をたっぷりいれたスジカレーが一番人気。
平成9年10月18日
新弟子が一人入門してきた。近畿大学相撲部出身の住吉慎一君22才である。大学を中退しての決断で、このところ暗い話題の多かった若松部屋にとって明るいきざしとなればいいのだが。
平成9年10月19日
九州へ行く日が近づいてきたため、四股を踏んだ後、大掃除。相撲部屋というのは、家の中に土と砂があるので(土俵)、部屋中すぐに 砂がたまってしまう。
九州乗り込みは、先発隊が22日。残り番は相撲協会の相撲列車で(最近は新幹線だが)26日に博多入りの予定。 相撲列車での移動というのは、全部屋から450人ものデブが一堂に集まるので、かなりすさまじいものがある。一応指定席に座るのだが、もちろん一人一席なので、隣との密着率が120%で、とにかく冬でも暑い。そして乗るとすぐ弁当を2、3個ずつ食うので ゴミであふれてしまう。しばらくするとイビキの大合唱である。さすがに新幹線は貸し切りといかないので、一般のお客さんも(相撲用語でヨカタというが)同じ車両になってしまい、さぞや大変だろうと同情してしまう。
平成9年10月20日
”チャンコ特集第2弾”湯豆腐。昔どこかの部屋で、湯豆腐鍋をやることになり、買い出しにいったら、豆腐を買い忘れて、豆腐なしの湯豆腐鍋をやったらしいが、はたしてそれは湯豆腐と呼べるのだろうか?
このチャンコは朝太田が大の好物で、「んま」「んま」いいながら一人で半分くらい食べてしまう。若松部屋エビスコNo.1の力士である。
平成9年10月21日
チャンコの話のついでにチャンコ番について。入門して6ヶ月間の相撲教習所を卒業すると、チャンコ番に加わる。幕下に上がるとチャンコ番が免除になるので、若松部屋では両関取と幕下の房風以外は元十両の朝太田も、15年目36才の一ノ矢も全員チャンコ番をやる。
現在若松部屋では、3人一組で5班制だったが、少し力士数が減ったため来場所からは4班制になる見込み。チャンコ番によって、うまいへたがあるのかとはよく聞かれる質問だがもちろんである。ただ午前中のチャンコは、大体脇原マネージャーが作るので間違いはないのだが、たまに留守のときには当たりはずれがある。
平成9年10月22日
今日から先発隊が福岡乗り込み。一ノ矢、関東龍、朝闘山、朝小畑、朝辻野の5人。午前10時30分に福岡空港到着。飛行機の中で女優の宮崎美子の隣になる。スチュワーデスに、週刊朝日ないですかと尋ねたら隣から宮崎美子さんが、どうぞと、すかさず差し出してくれた。その振る舞いがごく自然で「おぉ、いい人だ」と思わず感激してしまった。
飛行場には毎年お世話になっている安岡さんというおまわりさんの家族に車で出迎えてもらう。家族総出で掃除まで手伝ってもらい大助かり。毎年のことながら誠に頭の下がる思いである。こういう人たちに支えられて相撲部屋は成り立っている。
平成9年10月23日
昼間幟立ての作業を行った後、夕方やはり毎年お世話になっている牛乳屋さんが、入院しているというのでお見舞いに行く。この牛乳屋さんも九州場所の名物おじさんの一人なので、一日も早い復活を願いたいものである。
帰りにラーメン屋に寄る。博多のとんこつラーメンはこってりして、脂好きな力士にとっては大好物。チャーハンとラーメンを頼むが、朝小畑と朝闘山は替え玉(麺のおかわり)6杯。部屋に戻った朝小畑、「また腹へったなぁ」などとぬかしている。
平成9年10月24日
朝からツルハシで土俵を掘り起こし、幟の杭打ちと土木作業員になった一日でした。
平成9年10月25日
一門の呼び出しさんが来て、土俵造りを行う。掘り起こして水を撒いた土を、つき直し、俵を入れ、たたいて仕上げる。新しくなった土俵は清らかで、神々しく、思わず手を合わせたくなるほどで、土は生きているのだと実感する。
晩、巡業組が福岡入り。3週間ぶりに顔を合わせると、見慣れた顔も懐かしいものである。
平成9年10月26日
金沢のライオンズクラブ主催の相撲教室と親方の講演があり、一ノ矢、朝鷲、朝西春の3力士が金沢へ日帰り。親方は東京から金沢入り。夕方、東京残り番の力士が福岡入り。これで全力士が出揃う。
平成9年10月27日
本日九州場所の番付発表。番付は午前6時に相撲場(福岡国際センター)で配られるので、各部屋から取りに行く。やっぱりゲンのものなので、先場所の勝ち越し力士が取りに行く。先場所、入門以来初めて勝ち越しをした、朝藤墳はもちろん初めての番付とり。若松部屋分13,000枚を3人で取りに行く。
帰りの車の中。先場所の星勘定からいくと、序ノ口上位止まりの予想だった朝藤墳、番付の序二段の一番ケツに自分の名前を見つけて大はしゃぎ。初の序二段昇進である。朝っぱらからあまりにうるさいので、「途中で降ろそうかと思った」とは運転の脇原マネージャーの談。
朝乃若は前頭13枚目。心配された朝乃翔は15枚目と、ぎりぎりで幕内に残る。今場所は公傷が適用されるので、今場所全休でも来場所の番付は変わらない。先場所序二段優勝の朝闘山は、三段目27枚目まで大躍進。朝小畑、朝辻野、朝藤墳が自己最高位。
平成9年10月28日
今日から九州場所に向けての本格的な稽古再開。途中8時半より土俵祭りを行い、今場所の無事を祈願する。夕方、全員集合して現在の部屋についていろいろな問題を話し合う。
平成9年10月29日
朝乃翔がまだ相撲の稽古はできないため、朝乃若今日から三保ヶ関部屋へ出稽古に行く。
平成9年10月30日
九州若松部屋の宿舎は二日市という所にある。ここは昔から温泉町として有名で、あの坂本竜馬が大宰府に行く途中に寄ったという記録も残っているそうである。いまだに入泉料100円の温泉があるのがうれしい。昭和59年から二日市に宿舎を構え、最初は広松養魚場という鯉の養殖場を借りていたのだが、4年前から現在の大観荘というホテルの駐車場にプレハブを建てて生活している。二日市は九州の北海道と言われるほど朝夕の冷え込みの厳しい所である。おまけにプレハブなので、部屋の中でも吐く息が白い。それでもパンツにTシャツ姿で過ごしているおすもうさんがけっこういるのだが。
平成9年10月31日
木枯らしが山から吹き降ろし、さすがのおすもうさんも「寒かー」「寒かー」と小さくなった一日。九州場所の新弟子検査が行われ、本来なら若松部屋からも一人受けるはずだったのだが、手違いで”戸籍抄本”が届かず、来場所へと見送りになってしまった。大失敗。
平成9年11月1日
今朝も冷え込みが厳しかったが、稽古場に1台だけ置いてあるストーブの灯油がきれて、寒々とした稽古場だった。朝関野、朝藤墳に抜かれて番付最下位になって発奮したのか、気合の入った稽古で力をつけてきた。
平成9年11月2日
”やっさん”の愛称で親しまれているお巡りさんの安岡さん。その次男で5才になる”けんと”は赤ん坊の頃から若松部屋に出入りしているためおすもうさんによくなついている。特に関東龍には、「かんちゃん」「かんちゃん」とお父さん以上になつき、赤ん坊の頃はおっぱいまで吸っていた。(本当の話)現在、幼稚園の年中組だがすでに年長組までも従えて番長をはっているらしい。そんな番長”けんと”も房風には合口が悪く(苦手)、房風がそばにくると泣き出すか、寝たふりをしてしまう。あまりによく泣くので親方から「子供を泣かすな!」と怒られた 房風であった。
平成9年11月3日
ご当所粕屋郡須惠町出身の朝辻野のご両親が稽古見学にくる。朝辻野は、入門した頃はただの肥満児であったが、ここ半年くらいでかなり体がしまってきて少しおすもうさんらしい体型になってきた。朝乃翔の付人として頑張っており、関取に突っ張りを直伝されて急速に力をつけてきた。ご両親も1年ぶりに見る我が子に満足そうで、安心して部屋をあとにする。
平成9年11月4日
初日が近づいてきて、場所前恒例のさがりはりを稽古終了後行う。
平成9年11月6日
昨日より稽古方法を変更する。従来は申し合い稽古といって、みんなで勝ち抜きの稽古をやっていたのだが、昨日より同じ相手と何番もやる三番稽古(決して三番で終わるわけではない)にする。先場所までは、調整に入るのが場所の始まる2日前の金曜日からだったのだが、若い力士が場所まで疲れが抜けきれずに前半戦に苦労していたため若者会より親方に要望して、親方が考えてくれた。改革である。
三番稽古は続けてできるため、自分の悪い所をチェックできるし、何より短時間で集中してできるのがいい。おおむね好評である。
平成9年11月7日
朝乃若。三保ヶ関部屋への出稽古を終え、今日から部屋での調整に入る。付人の朝小畑をつかまえてのアンマで一汗流す。(上の力士が下の力士に 胸をかすことをアンマするという。)
平成9年11月8日
明日からの初日を前にして、会場の福岡国際センターの土俵で土俵祭りが行われ、そのあと触れ太鼓が各部屋へと回っていく。二日市の若松部屋にも12時頃呼出し邦夫一行が来る。太鼓を叩きながら稽古場の土俵を一周して、明日の取組みを呼び上げていき、なかなか厳粛な行事である。
「あさのわーかーには、こにしーきーじゃんぞーえ」と節をまわしながら呼び上げていくのだが、来たのが若手ばかりの呼出しであったので、途中で房風に笑かされて、吹き出すハプニングがあった。15年太鼓周りをきいてきたが、初めての経験であった。さすが大阪人房風。
平成9年11月9日
今日から初日。若松部屋の先陣は先場所初の勝ち越しで気をよくしている朝藤墳。もつれた相撲だったらしいが、先場所負けた相手に勝ち、ごきげんさん。つづくご当所力士朝辻野も白星を重ね、幸先のいいスタート。
先場所序二段優勝で大きく番付を上げた 朝闘山。初日の相手は高砂部屋の名物力士-元幕下上位の経験のある昂(すばる)。立合いの早さに定評のある昂、朝闘山緊張のあまり立ち後れてしまったらしい。それが幸いして立合いのタイミングがずれてしまい、朝闘山一方的な勝利を飾る。
支度部屋に戻った昂。同期生の房風に「立合いの作戦にやられた」とこぼすが、「あいつがそんな器用なことできるわけないやろアホ、たまたまじゃ」と言われて、さらにガックリ。勝った朝闘山、「まさか勝てるとは思わなかった。あの立合いは後の先(ごのせん)だ。」とルンルン。
平成9年11月10日
5月場所10日目に勝って以来、14連敗中だった朝太田、半年ぶりの白星を手にする。ひさしぶりの勝利に「勝ち名乗りの受け方をわすれちゃったよー」とほっとした表情で帰ってきて、「今日は中州だー」と張り切っている。「今日もかよ」 という声も聞こえるのだが・・・
今年初めてのアラ(魚の名前、のりのつくだ煮ではない)の差し入れがきて、アラのチャンコ。関東ではクエというこの魚は、7,80cmもあり 十数万円する高級魚である。アンコウの味にも少し似ているが、身はしまり、脂も乗って、刺し身も鍋もから揚げも最高である。毎年場所前と場所中の2回ほど差し入れを貰うのだが、今年は場所前にこなくて、やっぱり不景気なのかなぁーと言っていたら、ようやく口にすることができた。
ところが九重部屋に聞くと、「もう食い飽きた」との話。う~んくやしい。
平成9年11月11日
朝藤墳入門以来初の初日からの2連勝。朝闘山、電車道で相手をもっていくが、土俵際勇み足で痛い星を落とす。しかし、内容的には完璧なのでかなり自信はつけたよう。一ノ矢も2連勝。
3年ほど前に引退した小桜が宮崎県の都城から遊びにくる。最近アマチュア相撲に復帰したらしく、今年のなみはや国体に宮崎県代表で出場したとのこと。兄弟子ながら、なかなか愛すべき性格の持ち主で、房風や関取衆にひっぱりだされてマワシを締めて朝辻野と三番稽古する。現役時代よりもよく稽古したと、みんなに冷やかされていた。
もともとアンコ型の体型で、甘いものを食いすぎてなる病気にかかり、下半身が細くなって、まわしをほどかずに着脱する特技を持っていたが (仲間内ではガンベルトと呼ばれていた)久しぶりに披露してみせ、「おー」という感嘆の声が湧き上がった。和やかな稽古場であった。
平成9年11月12日
親方の仕事は審判委員。土俵下に座っている勝負審判である。審判は5人一組の4班制で、幕下以下の取組みを4つに分け、1番最初の組(主に序の口の取組)はそれで上がり、2番目の組(主に序二段)は十両の取組みまで、3番目の組(主に三段目)は幕内前半戦を、4番目の組(主に幕下)は幕内後半戦を審判する。
1番の審判の時は、早く上がれるのだが、開始が午前9時なので8時半には相撲場に入らなければならない。ここ二日市から福岡市内までの 朝のラッシュはすごいものがあるので、さすがの親方もこの日ばかりは満員電車に揺られての通勤である。
朝太田が2連勝と好調だが、今日も負けの力士が多くもうひとつ波に乗れないでいる。
平成9年11月13日
一昨日の“朝乃若-安芸ノ州”戦の懸賞の副賞として、お水296㍑が部屋に届けられた。
これは、地元福岡は直方市(のうがたし―魁皇の ふるさと)にある「もち吉」というスポンサーからのプレゼントである。
「もち吉」は、元々はセンベイやアラレ、もちなどを製造販売している会社だが、数年前からミネラルウォーター「力水」を出すようになり、その頃から懸賞をつけてくれている。
年6場所、幕内の一番最初の取組に必ず毎日「もち吉」の懸賞はかかる。一年間に相撲部屋に贈る水の量は一体どのくらいになるのであろうか。計算しようかと思ったがめんどくさいのでやめた。とにかくすごい量だということが、おわかりいただけると思う。
ここ2年近く、若松部屋の両関取は幕内中位から上位をいききしていたので、もらう機会がなかったが、幕尻に落ちた今場所は久しぶりの「もち吉」の水が部屋に山のように積まれてある。誠にありがたいタニマチである。
平成9年11月14日
お巡りさんの「やっさん」が、今日は非番なので本場所の応援にくる。「やっさん」は熱くなるタイプなので、土俵のすぐ下から声援をおくる。またその地声がでかいものだから、土俵下の審判がたまににらむが、そんなことはおかまいなしである。年休をほぼ相撲に使っている「やっさん」である。
その「やっさん」の声援のお陰で、初日以来久しぶりの7勝4敗との勝ち越し。少し5割に近づく。朝太田が土付かずの3連勝。あと11連勝して負け分を取り戻してもらいたい。朝乃若、ヌケヌケで(白星と黒星が交互)3勝3敗。このままのペースでいくと千秋楽8勝7敗で勝ち越すことになるのだが。
平成9年11月15日
朝太田4連勝で若松部屋第1号の勝ち越し。相撲界では勝ち越しを決めたときに「おかげさんで、給金なおしました。」というあいさつをする。決して、勝ち越しましたとは言わない。これは、給料とは別に褒賞金といって、勝ち越し1番につきいくらと加算されていく能力給-持ち給金 という-があってそれが重ねられていくので給金をなおすという。(ただし実際に支給されるのは十両以上の関取のみであるが。幕下以下 の力士にも貰えないだけで帳面上はついている。)
単に勝ち越したというより味のある言葉であると思うが・・・。 房風、得意の内掛けでようやく片目があく。(初白星)
平成9年11月16日
朝西春、場所前の稽古で首、背中を痛め元気なく4連敗の負け越し。負け越したときは、「何番勝っているんだ」、と聞かれると、「いっちゃいました」と答える。
今日はサッカーの“日本ーイラン”戦。消灯時間(11時)を過ぎた暗い中で、何人かTV観戦。2対2に追いついた所で、「やったー」と小さく歓声があがる。最高の試合をしている。流れは日本にある。がんばれニッポン!!
平成9年11月17日
公傷休場中の朝乃翔、約2ヶ月ぶりに付人の朝ノ霧をつかまえて、稽古再開。
ご当所力士朝辻野、今日勝って自己最高位で3勝2敗。あと一番で給金である。房風、朝闘山惜しくも 今日負けて、いってしまう。
平成9年11月18日
朝太田5連勝。「もう誰も俺を止められない」と鼻息も荒く帰ってくる。
元十両で10勝を上げたほどの実力もあり、性格的にものりやすいタイプなので、三段目優勝の可能性はかなり高いと思う。2場所連続の優勝者がでると、打上パーティも盛り上がるのだが。
朝泉、朝小畑、勝って2勝3敗。一ノ矢は負けて2勝3敗。2勝3敗の星になると、「何番だ」と聞かれて、「にいさんよってらっしゃい」と返すのが決まり文句になっている。
平成9年11月19日
九州場所も残す所あと5日間となり、勝越し負越しが別れてきて、悲喜こもごもの表情になってくる。幕下以下は星のつぶし合いで、同じ 成績の力士同士の対戦となるので、勝ったほうが勝越し、負けたほうが負越しという取組が増えてくる。
朝ノ霧、朝鷲、給金相撲(勝越しのかかった一番)を落とし、3勝3敗。逆に、一ノ矢と朝小畑、向こう給金(負越しのかかった一番)で踏ん張り、3勝3敗。残すは一番である。昨日まで5連勝の朝太田、惜しくも土がつく。
朝泉と新弟子の住吉、近くの幼稚園を訪問。園児に遊んでもらう。帰りに部屋のみんなで食べてとお菓子を貰ってくるが、チャンコ番で留守番をしていた朝辻野。甘いものに目がなく、一人で殆ど食ってしまったらしい。
平成9年11月20日
朝関野、関東龍、2連敗からの4連勝で勝越し。朝泉、負けて負越し。
昨日一ノ矢と対戦した小濱山(おばまやま)。一門の九重部屋の力士だが、若松部屋とよくあたる。以前、朝鷲が朝伊藤という四股名だった頃、3勝3敗同士で当たり、朝伊藤土俵際のうっちゃりを食って負越す。落ち込む朝伊藤に陽気な朝闘山が歌を贈る。童謡“赤いくつ”のメロディーで。
~♪「赤い目で 泣いてた あさいとぉー おーばまやまにうっちゃられて いーちゃあった」♪~
なかなかの名作だと思うが。いかがであろう。仲間の不幸に追い討ちをかける相撲界である。
平成9年11月21日
自己最高位の朝辻野、会心の突き相撲で勝越しを決める。一ノ矢は負越し。朝太田6勝目。
幕下以下の力士にとっては、今日からの3日間が今場所最後の取組。相撲を終えた風呂場では、勝越しで喜ぶ力士、負越してうつむく力士、相撲人生7年目にして初めて三段目昇進を決めた力士が感涙にむせぶ姿ありで、終わった開放感とが入り交じった独特の雰囲気を織りなしている。
平成9年11月22日
3勝3敗で登場の朝鷲、勝って勝越し。逆に朝ノ霧、負越してしまう。朝関野、2連敗のあとの5連勝。逆に朝藤墳、2連勝のあと5連敗で来場所からまた、元の序ノ口生活。朝闘山、結局初日に勝っただけの1勝6敗。まだ、家賃が高かったよう。
朝乃若、痛い星を落として7勝7敗。 明日の千代大海戦に勝越しをかける。
平成9年11月23日
九州場所も今日で千秋楽。今日の一番に勝越しをかける朝乃若、思い切り良く千代大海をはたき込んで勝越しを決める。
朝小畑も3勝3敗から勝越す。これで、出場14力士中7人が勝越し。何とか体裁は保つが、勝率は5割を割り喜べない場所であった。 打上げ終了後のミーティングでも親方から、かなり厳しい言葉がとぶ。
平成9年11月24日
朝乃若、付人の朝小畑を連れてロサンゼルスへ出発。12月25日19:00~21:00放映の日本TV年末特番の収録。
朝乃若がL.Aの振付師に弟子入りして、ダンスを習い、ディスコで踊るという企画で、他に敷島と濱ノ嶋が韓国でチャンコ対決、巖雄が吉本に弟子入りして新喜劇に出演する等・・・という大胆な番組らしい。皆様必見。
平成9年11月25日
朝太田、一ノ矢、朝泉の3力士、小倉の幼稚園を訪問。朝からあいにくのお天気だったので、室内でもちつきや記念撮影などを行う。もちつきは、お母さんや保母さんも手伝ってくれるのだが、みんな若いのであまりやったことがなく、返しまでやらなくてはいけないので、結構大変である。つくのも、昔はお父さんがよく飛び入りでついていたが、最近のお父さんは、もっぱらビデオ係りで、いささか寂しいものがある。
平成9年11月26日
現在の九州場所の宿舎が今年で契約切れのため、来年からの宿舎の交渉に親方が出向く。お巡りさんのやっさんご夫妻の奔走で稽古場 の土地は借りれることになったのだが、宿舎の候補地である旅館の方が確約できずに、頭の痛い問題を抱えてしまった。
昔は地方場所の宿舎といえばお寺さんと決まっていたようなものだが、最近はお寺の方も経営的になってきたようで、余った土地や、遊ばせている建物などが減り、ある時期だけ相撲部屋に貸すなどということは、難しい状況のようで、ましてや部屋の数が50部屋ともなると先行きは厳しいものがある。世の中が合理的になっていくのはいいことなのだろうが、あまりにムダがなくなるというのは、味気のないものである。
平成9年11月27日
一ノ矢、新弟子スカウトのため故郷の徳之島に帰る。結果は、一足違いで鹿児島の高校相撲部に決まってしまったが、3年後を約束する。ここ徳之島は、先代高砂親方の横綱朝潮と現衆議院議員旭道山を生んだ島で、現在も相撲界に現役力士が6人いる。人工わずか3万少しの島 だが、人口比率でいう力士の割合は、おそらく日本一ではなかろうか。
さすがに11月末でも日中は30度近くあり、午後11時を過ぎた今でも温度計は24度まで上がっている。そんな島にも一昨日は、有史以来の異常気象が起きたらしい。テニスボールほどのヒョウが降り、屋根瓦やアルミサッシの窓が割れるというすさまじさだったそうである。ある南の島からのリポートでした。
平成9年11月28日
徳之島リポート第2弾。
2年ほど前、若松部屋一行で徳之島合宿を行なったことがある。2月の中旬で東京は小雪が舞っていたが、徳之島空港に降り立つと、夏であった。 私が小学生の頃は、まだ徳之島に信号が一つしかなく、社会科の授業で自動車学校に信号の渡り方を実習にいったこともあったが、最近は文明の波が押し寄せ、車も信号も増え、ベイブリッジらしきものまでできている。
ところが合宿地は犬田布(いぬたぶ)という島の中でも 僻地の町(村?)だったため、カルチャーショックが大きかったようだが、民泊で狂婆に取りつかれた朝鷲以外は(きっと空港のターミナルビル を見てドライブインみたいですねと馬鹿にしたバチが当たったのだろう)、海水浴を楽しんだり自然を満喫して喜んでいた。
徳之島の自然をご覧になりたいかたは、松竹、山田洋次監督、西田敏行主演『虹をつかむ男』が徳之島で先週までロケをやっていたらしいので 映画館でご覧になれるはずです。
平成9年11月30日
昨日、新しい宿舎への引越しを済ませ、本日相撲列車(新幹線)にて帰京。巡業組(朝乃若、房風、朝小畑、朝乃翔、朝泉、朝ノ霧、勝次郎)は、バスにて熊本へと向かう。やっさん家のけんと君が「帰らんでぇ~」と泣いている。
平成9年12月1日
楽しい場所後の一週間の休みが終わって、今日より初場所に向けての稽古再開。友綱部屋も合同での稽古。
土俵も約2ヶ月ぶりに使うので、土が乾いて生気がない。2、3日使い込むと、またいい感じになってくるのだが。
平成9年12月2日
力士に怪我はつきもので、病院通いをしている力士も多い。大きな怪我や病気のときは大学病院等に行くが、そうでなければ接骨院や近所の町医者ですませてしまう。診察券マニアではないかと言われるほど診察券をたくさん持っている朝鷲、近所でも評判の町医者へ行ったときのお話。
その病院(あえて名前は伏せる)は、治る病気も治らなくなるという本所界隈では有名な病院だが、近くて総合病院っぽいので、ついつい行ってしまう。 あるとき捻挫で整形外科の診察室に入ると、Dr.ワンという怪しげな中国人医師が診察してくれたらしいが、それから3日後、今度は 皮膚科に診察してもらいに行くと、整形外科と全く別の入り口なのに、診察室が同じで、医師も3日前と同じDr.ワンだったらしい。
「あの病院は絶対怪しい」といいつつも、根が面倒くさがりやの朝鷲、いまだに、たまに通っているそうな。
平成9年12月3日
力士のオフについての質問がありましたので、お答えします。
休みは原則的には、本場所が終わった後の一週間のみです。年6場所ありますから、1年間で、7×6=42日というところです。ただ 部屋によっては、その場所の成績が悪いと”休みなし”となってしまう部屋もあるようです。(あ~恐ろしや)
最近では、場所が終わって、次の場所の番付 発表(初日の2週間前)までは、日曜休みという部屋も多くなっています。(若松部屋では、たいがい四股とぶつかり稽古でおわる)
お正月は初場所が目前ですので、元旦はどこの部屋も休みますが、2日か3日から稽古始めです。
平成9年12月5日
出稽古に来ている友綱部屋に、魁田中と魁清水という力士がいる。2人とも若松部屋の朝藤墳、朝辻野と同じ平成8年3月初土俵の同期生である。この4人共肉体的にも素質的にも恵まれなく、入門以来なかなか勝越せずに、序ノ口の常連力士であった。まず、最初に昨年の九州場所で朝辻野が勝越し、ついで今年の初場所に 魁清水が勝越し、9月場所で朝藤墳が勝越し、先の九州場所でようやく魁田中が勝越した、という具合である。
相撲が弱い力士にとって、この世界にいることは、毎日がつらいことの連続である。2年近く、よく辛抱していると傍目にも思う。少し酷な言い方をさせてもらえれば、この先5年やろうが10年やろうが、関取になることは、100%ではないが、不可能に近い。でもようやく序二段にあがった彼らが、この先三段目・幕下に上がることは、若貴が横綱・大関になったのに等しい価値のあることである。
平成9年12月7日
巡業組が香川県善通寺でのさいごの巡業を終え、空路帰京してくる。巡業や海外公演での飛行機の移動は、何かあるといけないので、必ず 2便に別れての移動である。
「飛行機の座席は一人分で座れるのですか」とは、よく聞かれる質問だが、おすもうさんは狭いところにお尻を押し込むのは得意なので、たいがいが大丈夫である。もっとも引退した小錦関くらいになると、トイレにはさすがに入りきれず、乗る前から水分を控えて、我慢したそうであるが。
平成9年12月8日
朝乃若の付人として、場所後のロスでの取材から冬巡業まで付いていった朝小畑。もちろんはじめてのアメリカと初めての巡業参加。「ロサンゼルスはどうだった」と聞くと、「でっけぇー外車がいっぱい走ってたすよ」と興奮ギミに話していた。
初巡業というのは、なかなか段取りがわからなくて、力士にとっての関門の一つであるが、(ここですかしてしまう力士が結構いる)朝小畑もけっこう苦労したよう。ただ、巡業ではいろんな部屋の力士と稽古ができるので、それが面白かったとのこと。ハードルをひとつ超えて、ひとまわり大きくなってくれることであろう。
平成9年12月9日
九重部屋が出稽古に来る。一時より人数が減ったとはいえ、まだ30名近くの力士がおり、稽古場は芋洗い状態。
千代大海・千代天山・嵐の関取衆も来て、部屋の朝乃若・朝乃翔と合わせて、5本も白マワシ(関取の稽古マワシは白)がある風景は、壮観である。初場所に再起をかける朝乃翔。序二段、三段目をつかまえてアンマ。状態はかなりいい。房風、九重部屋の関取衆を相手に気合のはいった稽古をみせる。
平成9年12月10日
朝闘山、網膜剥離の手術のため今日から約2週間の入院。これで3回目の手術である。
せっかく強くなってきている時だけに、残念なことだが、何事にも明るい朝闘山、元気に復活してくれることであろう。
平成9年12月12日
元横綱千代の富士の九重親方が稽古場に現れる。いまだに眼光鋭く、周囲を圧する雰囲気を持っている。さすがに優勝32回を誇る大横綱である。ほとんど言葉を発せずに帰ったが、出稽古に来ている九重部屋の力士たちの目の色がいっぺんに変わった。
平成9年12月13日
関東龍、25日放映の日テレ大相撲特番のリハーサルで、後楽園遊園地の絶叫マシーンに乗せられる。関東龍が出演する訳ではないのだが、琴錦、貴闘力がチャレンジするので、座席にはいりきるかとか、安全装置の確認とかで、体の大きさがよく似ている関東龍が代わりに出番となった。料理でいう毒味である。「すげぇーこわかった」と、もうこりごりという顔で帰ってきた。
平成9年12月14日
友綱部屋が錦糸町から近くの業平(なりひら)に引っ越してきて、新築の土俵開きを行い、朝乃翔が横綱土俵入りの露払いに出向く。曙が土俵入りを行い、新しい土俵を清める。もちろん太刀持ちは魁皇。かなり広い部屋になったらしい。
稽古を少し早めに切り上げ、午前10時から地元本所3丁目町内会のもちつきに顔を出す。若い力士が力まかせについているとおじさんに、「新潟産の米は、こうつかなくちゃあいかん」と事細かに指導をうけたそうな。帰ってきて「あのオヤジ、最初のこねたりするしんどい所は俺らにやらせて、仕上げのおいしい所だけ持っていきやがって」とこぼしている。
こういう近所付合いも修行のうちの、一つの愛嬌である。
平成9年12月15日
川崎の幼稚園に餅つきに行って、驚くべき話を聞いた。そこは、園児数650人を超えるマンモス幼稚園なのだが、年中組(4歳児)に身長140cm、ウエスト78cm(体重は不明)の子が入園することになったらしい。
あまりの大きさに制服が間に合わなくて、園には まだ来ていないらしいが(制服メーカーもそんな大きな幼稚園生がいるわけないと、取り合ってくれなくて作ってもらうのに苦労したらしい)、まさに怪童現わるである。
その幼稚園には毎年行くので、将来のためにも今からツバをつけておかなくてはいけない。
平成9年12月16日
脇原マネージャーが家庭の事情により、今月いっぱいでやめることになった。脇原マネージャーは元高砂部屋で、岐神山(ぎしんざん)の 四股名で現役時代から親方の付人を務め、親方の引退と同時に髷を切り、親方の右腕として活躍してきただけに、部屋にとっても親方にとっても大変な痛手である。
晩、力士ならびに行司、呼出しが全員参加して脇原マネージャーの送別会を行う。明日17日は土俵造りで稽古が休みのため、みんなとことん飲んだ。すさまじかった。
平成9年12月17日
午前7時半より一門の呼出しさんが部屋に来て、土俵を新しく作り直す。東京では大体2場所に1回の割合で行う。
昨夜の酒が効いて、みんなけっこうしんどそうだったが、ツヤのあるきれいな土俵が仕上がる。呼出しさんの話によると、若松部屋の土俵の土は大変いいそうで、仕上がりが一番きれいになるとのこと。それは、ここ10年で引越しを2度もやったが、その度に土俵の土も一緒に持ってきたおかげである。
本来土俵には、"荒木田"という少し粘土質の土が最適ということで使ってきたが、最近この荒木田がなくなって、代用の土で済ませているらしい。 若松部屋の土俵には昔ながらの荒木田土が残っているのである。
夕方、親方と朝乃若TV録画撮りのため、TBSへ。12月31日夕方放映の歌番組とのこと。朝乃若、親方と一緒だったから少し遠慮ギミ だったそうだが、それでも敢闘賞をもらう活躍だったらしい。付人でついていった朝小畑、広末涼子に握手してもらい、「もう手を洗わない」と興奮して帰ってきた。
平成9年12月18日
午後6時よりクリスマスパーティをニューオータニにて行いました。遠く名古屋や大阪からも後援会の方々が駆けつけてくれ、600名近くの盛大なパーティとなりました。ゲストとして森田健作さんやガッツ石松さん、野球界から西部の新谷投手、元大洋の加藤博一さん等もお越しいただき 、ディナーショーでは松原のぶえさんの歌ありと宴に華を添えて貰いました。
親方はサンタ姿になって、子供たちにプレゼントを配り、最後は若松部屋グッズの抽選会と、盛会のうちに幕をとじた一日でした。
平成9年12月19日
昨日のパーティの慰労の意味合いもあり、久しぶりの完全休養日。朝乃若、若い衆を連れてディズニーランドへと繰り出す。
房風、関東龍、朝ノ霧、朝辻野は二手に分かれて多摩方面の幼稚園へもちつきに。「せっかくの休みなのについてない」と少々元気がない。(稽古のある日だと稽古を少し早上がりするので、喜んでいくのだが。)
平成9年12月20日
今日から新しくなった土俵で稽古を再開。新しい土俵は、足の裏に心地がよい。東京の土俵は、地方場所と違い俵を入れない皿土俵。(円の中を掘ってお皿のようにしたもの。)最近は皿土俵の部屋が多い。
平成9年12月21日
今日の有馬記念。おすもうさんは元来が勝負師なので、基本的には殆どギャンブルは好きである。今日は全員はずれたが、一番よく当てるのは やっぱり親方。勝負運の強い星の下に生まれているようである。
外出先から帰ってくると、TVの前に大勢集まって盛り上がっている。房風が知り合いから7、8年前の衛星放送の取組を貰って、皆で鑑賞会という所であった。昔のVTRというものは、痩せていたり、若さに溢れていたり、初々しくて動作がぎこちなかったりと、かなり笑える。今まで相撲部屋というのは、あまり資料を残さない所だったが、今後は、後世の為にも大事な事であろう。
平成9年12月22日
風邪で二人稽古を休む。その昔、♪「すもとりスッポンポンでかぜひかん」♪、というCMがあったが、おすもうさんも人間なので風邪はひく。 (中にはとても人間と思えないようなのもいるが。)年中仕事中は裸だし、稽古疲れがたまったりするとわりと風邪はひきやすい。おまけに集団生活なので広まるのも早い。
江戸時代、谷風という大横綱がいて、そのころ江戸中に猛威をふるったインフルエンザにかかって亡くなったそうで、当時の人々はその感冒を”タニカゼ“とよんだそうである。朝闘山、網膜剥離の手術を終え退院してくる。
平成9年12月23日
夕方6時より脇原マネージャーの送別会を行う。親方より、旅立つ脇原マネージャーへ、一緒に歩んできた15年間(現役7年マネージャー業 8年)の思い出と惜別の辞が涙ながらに送られ、脇原マネージャーの第3の人生へのはなむけとなる。
朝乃若、朝乃翔の両関取は恒例のお正月番組”部屋別対抗歌合戦”の収録のため2次会より参加。
平成9年12月24日
今日はクリスマスイブだが、世間一般の年中行事はあまり相撲界には関係がない。普段と同じように稽古して、チャンコ食べて、ゴロゴロしてというありきたりの一日である。ただ、おかみさんが気を利かせてくれて、昼のチャンコ終了後、しげきとゆきこ(親方の子供たち)にプレゼントのあった、でかいケーキとシャンパンをおろしてくれた。更にみんなにプレゼントを用意してくれ、くじ引きで取り合い、クリスマス気分を少し味わった。
平成9年12月25日
今日が初場所の番付発表。通常は2週間前の月曜と決まっているのだが、年末なのでずれ込んでしまう。
脇原マネージャーがいなくなった若松部屋。番付を取りに行くのはいつも脇原マネージャーの運転であったが、今日は、代わりに行司の勝次郎の出番となる。勝次郎、18才で免許を取ったらしいが、ここ7年間は殆どハンドルを握ったことがなく、番付を取りにいく力士達も決死の形相だったが午前6時20分無事に帰還する。
朝乃若前頭12枚目、朝乃翔15枚目。4場所連続勝越し中の朝小畑序二段の10枚目まで上がり、今場所勝越せば初の三段目昇進。もちろん自己最高位である。朝辻野も最高位。
平成9年12月26日
今日明日は、稽古を少し早めに切り上げて大掃除。冬休みに入ってから連続で稽古場におりている親方の長男しげき君。かなり四股がさまになってきた。
関取2人は午後からフジテレビの”大相撲・プロ野球対抗歌合戦”へ。
新弟子候補が2人、部屋に冬休みを利用して体験入門に来る。一人は宮城県の高校1年生で、もう1人は三重県の中学3年生。なかなか2人とも個性的な子なのだが、1人は背が3cm足りなくて、1人は体重が7Kg足りない。う~ん、来年3月までに間に合うだろうか。2人足すとちょうどいいのだが・・・
平成9年12月27日
毎年青森合宿でお世話になっている江良さんが、息子の司君と青森少年相撲団を引き連れて、遊びに来る。司君は中学3年生だが、すでに体重は152Kg。全国大会で優勝したこともある強者。同じ小学生も来たものだから、親方の長男しげきも初めてマワシを締めて土俵に上がる。小学生同士で相撲を取ったが、かなり燃えていた。
稽古終了後、大掃除に明日のもちつき大会の準備とてんやわんやの一日であった。
平成9年12月29日
”アンコウ”が差し入れで来る。針金で流しに吊るして、さばく。25日放送のTVの見よう見まねでいくが、けっこううまくいった。最初に皮を剥ぎ、身を切り落としぶつ切りにしていく。アンキモが素晴らしくでかく、ちりで食べると最高であった。
平成9年12月30日
親方家族、早朝より大田市場へおせち料理の買い出しに行く。(知り合いがいるので安くしてくれる)
稽古終了後、神棚のしめ縄を新しくし、お供えのおもちや門松などを飾りつけ、お正月の準備を整える。
平成9年12月31日
大晦日。稽古も四股とぶつかり稽古のみで終わる。稽古終了後、全員で土俵を囲み、部屋頭の朝乃若の音頭により、三本締めで過ぎ行きゆく今年を締めくくる。
昼のチャンコ終了後、おせち料理の準備にとりかかる。昨年までは子供の学校への送り迎えであまり部屋の事をできなかったおかみさん、今年に入って少し時間ができたのと、マネージャーがやめたこともあり、チャンコ場にも顔を出すようになる。この日も砂糖と味の素を間違えてしまい一騒動あったようだが、奮戦の甲斐あって、夕方めでたく完成。