今日の若松部屋
平成11年4月1日
今場所、先発事務所詰めだった呼出し邦夫。昨日まで事務所の片づけに追われ、ようやく終わったと思ったら今日から巡業の先発である。ここ2ヶ月は一日の休みもない。
今場所は横綱大関が相次いで休場したため、協会への苦情の電話も多かったそうである。「入場券払い戻せ」とか「それでも国技か」とか。そういう電話の応対も邦夫の仕事である。呼出しも日々是闘いである。
平成11年4月2日
朝から大掃除を済ませ、巡業組みは巡業へと出発。朝乃翔は、手の怪我のため巡業を休んで治療にあたる。
平成11年4月3日
巡業組は今日から大阪城ホールにて巡業開始。今回は春巡業にしては長く、3週間近くの日程である。朝乃若の付人として巡業初参加の朝住吉、緊張感いっぱいで巡業に出発したが、うまく仕事をこなしていることであろうか。
残り番の力士は、新幹線にて帰京。東京の部屋に帰ると、やはり落ち着く。
平成11年4月5日
5月場所へ向けての稽古再開。といっても巡業に3人、教習所に5人、治療に2人と、残っているのは5人だけである。そのうち2人は怪我で、稽古できるのは3人だけという寂しい状況。巡業先発で親方不在の友綱部屋から出稽古に来たので何とか稽古になる。
再起を賭ける曙が巡業に出ているため、教習所生徒だけの東関部屋からも、昨年のアマ横綱、春場所幕下付出しで6勝1敗だった日大出身加藤がマネージャーと2人で出稽古に来る。学生相撲出身力士らしからぬキャラクターの持ち主である
平成11年4月6日
東関部屋のマネージャー狩俣さんは、元高砂部屋の幕下力士で、親方の兄弟子である。相撲界に長く、怪我の治療や指圧にも詳しい。
先場所最後の相撲で足首の靭帯を痛めて稽古を休んでいる朝小畑をつかまえて、治療をしてくれた。元力士で、いまだに力は強いので、ツボを押された朝小畑、喜んでいるようにしか聞こえない悲鳴をあげている。まわりでは、「絶対あいつはマゾの気がある。」とのもっぱらの噂だった。
平成11年4月8日
大相撲の入場券は高いというイメージが強いと思うが、元々の切符の値段は、一番高い席で、一人¥13、500である。プロレスや ボクシングだと、リングサイドはその何倍もしたりするから決して高くはないと思う。
ただ、相撲の切符は、原則的に4人1組(1桝)で、そこにお弁当、酒、土産等がつくから1マス10数万になってしまい、高い感じがするが、4人で割って、更に時間で割ると(相撲は 午前9時からやっている)、考え様によってはかなり安いとおもうのだが。如何。
平成11年4月10日
5月場所の前売り券が発売になる。数年前までは、イスA席(イス席にもA・B・Cとある)を前売りで買うことは、至難の技であったが、現在は土日以外なら簡単に買える。(土日でもB券C券なら買えるはずである)国技館の正面玄関右にある切符売場には、まだかなりの切符が余っていた。2日目、3日目あたりだとイスAの3列目の席も残っていた。
平成11年4月11日
日曜日で、稽古は四股だけ踏んで終わる。中学生になった親方の長男しげき君も、久しぶりにマワシを締めて土俵に下りる。最近、腹回りは親方に似てきた。
午後から、おかみさんの車で、親方、関取はじめ選挙権のあるもの6名、都知事選の投票に揃って出かける。
平成11年4月12日
呼出しについての質問がありました。呼出しのたっつけ袴の後ろに力士名が入っているのは、その力士から贈呈されたものだからです。 確か、横綱、大関に昇進する時は、行司や呼出しに装束を贈るのが習しになっていると思います。
行司・呼出し・床山などの裏方さんは、入門する時、必ず部屋に所属してから入門検査を受けることになります。ですから、給料は協会から貰いますが、所属はあくまでも部屋単位です。土俵作りなどの仕事は一門単位でやります。
呼出しにも位があって、行司と同じように、一番上が立呼出し、次いで副立呼出し、三役格、幕内格、十両格と続いていきます。若松部屋の呼出し邦夫は、現在三段目格です。土俵下で時間前にタオルを渡すのは中堅どこの呼出しの仕事で、ローテーションですから同じ一門の力士を選んで渡すなどということはありません。
邦夫へ!以上の説明で、間違っていることがあったらメールか、掲示板へかきこんでくれ。(呼出し邦夫は、現在巡業中だが、ノートパソコンを持ち歩いて、若松部屋HPも毎日見ているはずである。)
平成11年4月13日
岐阜から訃報が届いた。若松部屋名古屋後援会会長の金神徹三(こんじんてつぞう)氏が昨晩亡くなられた。
金神氏は、会社会長を務めるかたわら写真家としても高名で、親方が入門のときから力士朝潮を撮り続け、昭和62年には学研から写真集『朝潮太郎-その土俵人生-』を出版、また平成元年には、北白川書房から「勝ってもアサシオ 負けてもアサシオ」という本をも出している。
親方にとっては、二人目のお父さんのような存在の方だった。ご冥福を祈ります。
平成11年4月14日
親方が鎌倉巡業の先発に出発し、ちょうど入れ違いで友綱親方が巡業を終えて帰ってきたため、昨日から友綱部屋へ出稽古。東関、宮城野からも2人づつやってきて、そこそこの頭数がそろう。よその部屋で稽古するのは、けっこう新鮮なものである。
平成11年4月15日
行司の勝次郎、巡業の先発の仕事がようやく終わり、帰ってくる。今場所から巡業先発の担当になった勝次郎、宿舎の割振りや移動の交渉など事務仕事を巡業先を先乗りしてこなしていく。約2ヶ月ぶりの帰京である。
平成11年4月16日
四股名の改名についての質問がありました。おすもうさんの改名には、昇進を機に、怪我や病気などのげん直し、伸び悩みのときの気分転換等色々な理由がある。
先代の親方(元関脇房錦)は、四股名をつけるのが大好きであった。虎鮫龍(こさめりゅう)、房風(ふさかぜ)などは先代の力作である。
平成11年4月17日
元関脇房錦の先代は、最初小櫻という四股名で土俵に上がっている。1年半後に房錦に改名。本人から直接聞いた話だが、本当は総錦で届けを出したらしい。ところが、何かの手違いで番付を見たら房錦になっていたそうである。伊藤光博氏提供の資料を見ると、1年半程で一度総錦に改名し直している。しかし、房錦の時は、5勝3敗が1年間4場所続いていたが、総錦では2場所4勝4敗である。(当時は、年4場所幕下以下8日間)
そこで、もう一度房錦に戻して、そこから3場所連続勝越しして新十両昇進である。初土俵から丸4年、負け越したのは新三段目の一場所のみ。見事な出世である。
平成11年4月18日
“褐色の弾丸”の異名をとった房錦は、相撲っぷりもきっぷのいい取り口で、かなりの人気があり、お父さんが幕内格行司の式守錦太夫 (きんだゆう)で、お父さんの軍配で相撲を取ったことで話題となり、映画にもなったそうである。一度見たいものであるが未だ果たせない。
たまに“黒い弾丸”と言う人もいたが、黒いといわれるのはけっこう嫌がっていて、褐色の弾丸といってもらう方が機嫌がよかった。
平成11年4月19日
昨日掘り起こした土俵をつき固め、新しく土俵を作りなおす。土俵がいきかえった。
巡業組、鎌倉鶴岡八幡宮での巡業を終え、部屋に帰ってくる。久しぶりに全員揃った。巡業はこの後、土曜日に藤沢、日曜日に靖国神社での奉納相撲でおわりである。
平成11年4月20日
岐阜出身の朝天寿と、少年時代を名古屋で過ごした呼出し邦夫は、ドラゴンズファンである。開幕絶好調のドラゴンズが神宮でのヤクルト戦ということで、二人で応援に行くことになった。野球観戦も何かと金がかかるので、その資金稼ぎにとパチンコにいった朝天寿であったが、うなだれて帰ってきて駅までタクシーでいくところを歩いていった。
一方邦夫は、得意の平和島へと勝負に行き、神宮で合流とのことだったが、どうであっただろう?試合は、延長の末勝ったようであるから、パチンコの負けを忘れさせてくれたことであろう。
平成11年4月21日
よくある事件だが、便座が割れてしまった。数日前からヒビが入っていて(ヒビがはいると、時々お尻の肉がはさまってかなり痛い)、何か応急処置を-以前、テーピングで巻いたが、ケツにテーピングがついて具合悪い。アロンアルファで固めて便座カバーをするのがよいか・・- などと考えていたら、きれいに真っ二つに割れてしまっていた。
いい機会だからと、若者会(場所ごとの積立て金)で、思い切ってウォシュレットを買った。快適である。
平成11年4月23日
力士幟についての質問をいただきました。力士幟は、基本的に幅90cm長さ540cmの大きさで、地方場所では宿舎のまわりに目印代わりに立てますので、それぞれの地方の後援会の方々にお金をだしてもらって作ります。
大体1本2万5千円程です。雨風に晒されますと、色が落ちたり、破れたりしますが、3、4年は持ちますので地方ごとに保管してあります。
部屋によって違いはあると思いますが、若松部屋では、竹は部屋で用意します。大阪場所は、業者から買いますが、九州場所は裏山に孟宗竹の竹薮がありますので、地主さんの了解を貰ってノコギリ片手に切りに行きます。山の中に分け入っていって、7、8mの真っ直ぐした竹を探し、引っ張り出してくるのはなかなか骨の折れる仕事です。竹も5、6年は持ちます。
平成11年4月25日
春巡業最後の靖国神社奉納相撲が行われる。巡業組み最後のお仕事である。靖国神社は、開荷を置くところが狭いため、付人はいい場所を取るのに早起き勝負である。朝泉と朝住吉、午前4時半起きで出かける。雨の中1時間も待たされてようやく中に入れたそうである。付人稼業のつらいところである。
平成11年4月26日
夏場所番付発表。朝乃翔前頭13枚目、朝乃若は十両3枚目。朝迅風が自己最高位を更新して、三段目25枚目まで躍進。幕下が見えてきた。
平成11年4月27日
5月場所に向けての本格的な稽古開始。教習所組も、約1ヶ月ぶりの部屋での稽古。入門してきた時体が硬くて、股割りをさせると上体が90度より前に倒れなかった朝千葉、何とかおでこがつくようになった。飯もようやく丼3杯食えるようになってきて、体重2kg増えた。
昨日発売のベースボールマガジン社発行「相撲」の力士名鑑に、“なんでもベスト10”という囲みがあり、けっこう面白い内容になっています。(例:朝天寿、軽量力士第4位。ちなみに一ノ矢は2冠です。)興味のある方は、買って読んで下さい。
平成11年4月28日
一週間ほど前、シイタケ菌を植えつけた木が10本ほど届いた。水につけ、地下と2階ベランダに置いていたら見事に育って初収穫となった。シイタケはちゃんこには必需品なので、大変助かる。それに、毎日育つのを見るのは楽しいものである。そのうち、屋上に野菜畑でも作ろうか ・・・などと、話がはずんだ。
平成11年4月29日
巷では、ゴールデンウイーク突入であるが、夏場所を目前にして一番追い込み時期の相撲界にとっては全く関係ない。ただ、いつもよりお客さんは多いが・・・。
親方が治療に通っている接骨院の先生が、町道場で相撲をやっていて、休みを利用して部屋での稽古に参加。親方も何年かぶりで土俵に入り、接骨院の先生と朝千葉相手に相撲を取る。
平成11年5月1日
1週間ほど前から、目を怪我して国技館近くの病院に入院していた朝菊地。回復が早かったのか、予定より1週間早く退院。ただ、初日には間に合いそうになく、途中からの出場になりそう。また、今日の稽古で朝太田も眼を強打。お岩さんのように腫れ上がってしまう。こちらは外傷だけなので本場所には影響はないが。
相撲はぶつかりあいなので、眼の怪我はわりと多く、網膜隔離を患っている力士もけっこういる。
平成11年5月2日
昼のチャンコを食べていると、地下の風呂から大きな歌声が響いてくる。よく聞いてみると朝青龍(あさしょうりゅう)である。モンゴル語なので、意味はわからないが、モンゴルの青空と草原が浮かんできそうな伸びやかな歌である。そういえば、旭鷲山も支度部屋の風呂で、よくモンゴルの歌を大声で歌っているそうである。
平成11年5月3日
帯の結び目についての質問をいただきました。帯の結び目の位置は、真後ろが正式な位置です。ただ、兄弟子になってきたり、関取になると学生服のボタンをはずすのと一緒で、それを粋だと思うのか、結び目を右横や、右前にもってきてしまいます。昨年行われた全力士を集めての立合い研修会でも、理事長から帯の結び目の位置については、きびしく注意がありました。
現代人である力士にとって、“粋”という江戸文化を理解し、守っていくのはむずかしいことです。
平成11年5月4日
行司の勝次郎、行司の仕事がないときは、チャンコ場に入ってチャンコの手伝いをしている。趣味がダジャレの勝次郎、チャンコを作りながらもダジャレを連発するが、まわりの反応は冷ややかである。
その勝次郎、キャベツの千切りを始めて包丁を3回ほど動かしたところで自分の指を千切りしてしまった。普通なら心配される所だが、まわりから「わかったよーかっちゃん、ギャグが受けないものだから、自分の体を切って受けを狙ってぇ」と、久しぶりの大受けであった。お笑いに生きる人間のつらいところである。
平成11年5月5日
連休最後の日とあって、地元の後援会である本所若松会から見学のお客さんが十数人。それに加えて東大相撲部が稽古に参加。賑やかな稽古場となる。東大相撲部は、部員数10名。東日本リーグでは、Bグループに所属していて、国公立の相撲部の中では1番強い。創部20年を超える立派な相撲部である。
一人、体格にもそこそこ恵まれ、相撲も三段目の力のある選手がいて、親方も思わず、「どうだ、若松部屋でやってみないか」と声をかけたが、大学院進学が決まっているらしく実現にはいたらなかった。
平成11年5月8日
初日を明日に控え、稽古も軽めの調整。初日、2日目の割り(取組み)が決まり、触れ太鼓が来てと、だんだんと雰囲気もあがってくる。
今日は天気に恵まれ、5月らしい爽やかな気候である。こういう日は、触れ太鼓で明日の取組みを呼び上げる呼出しさんの声もよく通る。特に九重部屋の十両格呼出しの重夫さんの声は、声量といい、節回しといい、じつに気合ののったいい声である。風薫る五月、夏場所の始まりである。
平成11年5月9日
横綱大関が休場という少し寂しい夏場所だが、初日の土俵。若松部屋で最初に土俵に上がったのは、先場所1番出世で今場所序の口の朝松尾だったが、黒星スタート。朝青龍は勝って、まずは1勝。今場所の序二段の優勝候補である。関取は、二人とも快心の相撲で初日を飾る。全体では3勝4敗の滑り出し。
平成11年5月10日
サインについての質問をいただきました。おすもうさんのサインは誰かに考えてもらうのですか、という質問ですが、中には書の専門家に考えて貰ったりする場合もあるでしょうが、一般的には自作が多いようです。部屋の両関取も自作です。ですから、6年前の新十両の時と現在とではサインがかなり違っています。
ちなみに、サインができるのは十両以上の関取のみです。また、手形を押せるのは現役のみで、親方になるとサインのみで手形は押しません。朝乃翔、朝乃若、今日も勝って共に2連勝。
平成11年5月12日
モンゴルから対外関係大臣(外務大臣)が来日していて、記念レセプションが渋谷のモンゴル大使館で行われる。朝青龍と一ノ矢も参加。政府関係筋のゲストが多かったが、途中から大島部屋の旭鷲山、旭天鵬、旭天山の3力士も出席して、日蒙相撲談議 が花盛りであった。
平成11年5月13日
前半戦5日目を終了、ちょうど5割である。日刊スポーツには、全53部屋の成績が順番にのっている。昨日までは5割3分位で、けっこう上位にいたが、少し順位を落としたようである。人数が少ない部屋ほど変動が激しくて、力士3人の甲山部屋は、昨日4日目にして今場所初の1勝、とかいう話などが出ていてけっこう面白い。
正面玄関横の切符売場をのぞいて見ると、いまだに土日の席(イス席)もけっこう余っている。生の大相撲を観たことのない方、今がチャンスです。
平成11年5月14日
取組みの前にマワシをしめてもらう時は、だいたいが同じ部屋の力士にしめてもらうが、いない時はよその部屋の力士に頼むこともある。マワシを締めようと思って辺りを見回すが誰もいない。ちょうどそこへ、朝日山部屋の顔見知りの力士が新弟子を連れてやってきた。
マワシをひっぱってくれと頼むと、「負けまわしですけど、いいですか」と笑っている。現在3連敗中らしい。3連敗は縁起でもないなと、もう一人の方に聞くと、やっぱり同じく3連敗である。まあ、こっちも2連敗中だから気にするほどもないか、とそのままひっぱってもらう。それがよかったのか、ようやくの初白星である。
序二段で、昨日の関東龍に続き、朝青龍、朝泉と3人3連勝。
平成11年5月15日
突っ張りの力士や、怪我のある力士は、手首や足首に包帯(さらしで作ったもの)を巻くが、その包帯も勝っていると、“勝ち包帯”といって、同じ物を巻いていく。負けると新しいものに変える。
幕下以下の力士は、さがりを貸し借りすることがあるが、借りて勝ったら、自分のさがりがあるにもかかわらず、“勝ちさがり”を借り続ける。ということもある。
序二段の3連勝力士、3人とも土俵に上がるが、朝青龍のみストレートの給金(勝越し)。
平成11年5月16日
昨日今日と星があがらず、ついに5割を切ってしまう。自己最高位の三段目上位で奮闘している朝迅風 (あさはやて)、今日も立合い一気に相手を押し込むが、叩かれて肩を強打。明日から休場となってしまった。
平成11年5月17日
朝住吉、4場所ぶりの勝越しを決める。稽古場での相撲を見ると、この辺でとる力士ではないが本場所にいくと引きグセがあり、消極的な相撲で墓穴を掘ることが多かった。この勝越しを機に、前向きに相撲を取って、番付を上げていって欲しいものである。朝青龍5勝目。先場所序の口で対戦して破れた、優勝候補の本命だった力士が早々と一敗しているため、確率はかなり高くなってきた。
平成11年5月18日
行司に関しての質問をいただきました。「行司が力士を呼び上げるのには何か名前がついているのでしょうか?」ということですが、しいて言えば “名乗りを上げる”と言うようです。勝力士を呼び上げるのは“勝ち名乗り”といいます。
装束については、デザインや色についての決まりは特にはないようですが、“菊とじ”という花びら模様に紫を使えるのは、立行司だけだそうです。 軍配の房の色も同様に紫は立行司のみです。装束の値段は、もちろんピンからキリまであるようですが、幕下以下の行司さんの平均的な所は30万円ほどだそうです。入門して1年したら、支給される補助費などを積立てしていて自分で買うそうです。あと、兄弟子のお古をもらったりして部屋の勝次郎で現在5着もっているそうです。また、力士が横綱大関に昇進した時は、一門の行司さん全員に装束を贈るのがならわしになっているようです。
平成11年5月19日
関東龍勝越し。一ノ矢負け越し。朝太田、3連敗のあとの3連勝で持ち直し、最後の1番に勝越しをかける
平成11年5月21日
朝乃翔先場所に引き続きの勝越し。朝青龍7戦全勝。千秋楽3力士による序二段優勝決定戦に進出。3勝3敗だった朝天山、朝太田勝越し。序の口で休場していた朝菊地、今場所初めて土俵に上がり初白星。
今日は8勝1敗と好成績で、あすあさって残り9番全勝だと、今朝の日刊スポーツ部屋紹介欄に出ていた“夢の勝率6割”が実現するのだが・・・
平成11年5月22日
3勝3敗で最後の一番を迎えた朝松尾と朝泉、共に勝って勝越し。これで今場所3勝3敗力士は、4人とも勝越しである。あす千秋楽、朝千葉が3勝3敗最後の勝越しをかける。
今日の一番に勝てば、半年ぶりの三段目復帰だった朝住吉、ふつうに胸から踏み込めば楽勝の相手だったのに、土俵下審判に親方がいたもの だから、いい所を見せようと思い切り頭からぶちかましていったら、相手に変化されて黒星。親方の審判のときは殆ど勝ったことがないという困ったやつである。
平成11年5月23日
3人での巴戦を制し、朝青龍序二段優勝。千秋楽パーティに華を添える。朝乃翔も得意の突っ張りが今日もでて、価値ある9勝目。全体の勝率も5割5分近くと、久しぶりの好成績な場所であった。恒例の千秋楽打上げパーティが柳橋・東京プラスチック会館にて行われる。
平成11年5月24日
大銀杏について、床山さん一人一人や一門等により結い方の違いはあるのですか、という質問をいただきました。基本的には、結い方に違いはありません。ただ、その床山さんの腕やクセ、力士の髪質、髪の量などは千差万別ですから、どうしても結い上がりは違ってきます。
特に、曙関や武蔵丸関のように天然パーマの入っている髪を大銀杏に結い上げるのは、大変な技術を要します。
平成11年5月27日
行司さんの場内アナウンスについて質問をいただきました。特にアナウンサーとしての発音や発声練習をしているわけではないようですが、兄弟子のアナウンスを横で聞きながら、下の取組みから徐々にやっていくようです。アナウンス係りは、行司の全員がやるわけでなく選ばれた10名ほどのチームで、かわりばんこにやっていっているようです。その中で上のものが、実践で下を指導しながら育っていくようです。
平成11年5月29日
宮城県出身の朝千葉、千秋楽パーティには田舎から両親も応援に来た。まだ15才で、性格的にもおとなしく、すぐ泣いてしまい入門3ヶ月にしてすでに2回のすかしを経験しているが、なんとか踏みとどまって、今場所も勝越しこそならなかったものの3勝をあげた。
今朝、大きな封筒がお父さんから届いている。開けてみると、地元の新聞の星取り表や、朝千葉の記事や写真がカラーコピーできれいにまとめられている。このお父さんの気持ちが、最後の一線で彼を支えているのであろう
平成11年5月30日
全国国公立大学対抗相撲大会が東京で行われ、昨年復部なった一ノ矢の母校、琉球大学も沖縄から参加。団体戦で1勝3敗と予選敗退するも、奮戦。優勝は、決勝で京都大学を破った東京大学。
17年前から行われているこの大会も、最初は参加4校であったが、今年は12校10チーム。熱気溢れる大会となっている。最近下降線の相撲人気だが、こういう底辺ではけっこう盛んになってきている。
今日から稽古再開。
平成11年5月31日
夏場所の勝ち星金(褒賞金)が支給になる。これは、勝ち星1つにつきいくら、勝越し1つにつきいくらと計算されて貰える金で、いわば能力給である。例えば序二段だと、勝ち星ひとつが1500円、勝越しが一点につき3500円である。4勝3敗だと1500×4+3500×1=9500円。6勝1敗だと1500×6+3500×5=26500円となる。
この金を貰ってきて分配するのは勝次郎の仕事だが、配る時に番付代を引いて配ることになっている。今場所序二段で2勝5敗だった朝天寿、2勝分の3000円から番付代100枚分2700円を引かれて、もらった勝ち星金は300円とさびしい封筒であった。(ひとりひとり行司さん手書きの封筒でもらう)
平成11年6月2日
呼出し邦夫、北海道の千代の山・千代の富士記念館の土俵築のため松前郡福島町に行っていたが、土俵を造り終えて帰ってきた。ここは福島町立の記念館で、中には九重部屋の土俵が再現してあり、実際に九重部屋の夏合宿なども行われている。展示物も豊富なので、函館方面へお越しの際は一度足を伸ばしてみてはいかが。
平成11年6月3日
土俵の塩についての質問をいただきました。土俵にまく塩は、あら塩か並塩を使用しています。以前は「伯方の塩」がメーカーから直接贈られて来ていたり、味の素が巡業のスポンサーだった頃は味の素の塩を使っていたようですが、現在は協会が並塩を購入しているそうです。食塩はサラサラしすぎて使えません。巡業などで、食塩しかないときは少し水で湿らせて使うことがあります。
塩は清めの為にまきますが、殺菌作用もあるので、多少は擦り傷などの消毒にもなってはいるのでしょう。稽古場では、傷口に「塩でももんどけ!」といって、直接すり込むこともありますが、飛び上がるほどしみます。
平成11年6月4日
新弟子の朝松尾、いま部屋で最高に寝相が悪い。最初はもちろん普通の姿勢で寝るのだが、気が付くと枕が、枕元に置いてある大きなダンボール箱になっていたり、上体を半分起こしてどう見ても疲れるとしか思えない体勢で熟睡している。
最初からダンボール箱を枕にして寝た方がいいのではないかと思うほどだが、そういうものでもないようである。おまけに片手は手枕状態で、もう一方は股間を隠したポーズである。女の子だとセクシーポーズなのだろうが・・
平成11年6月5日
行司や呼出しが土俵上以外の仕事が多いように、床山さんにも髪結い以外の仕事があるのでしょうかという質問をいただきました。はっきりいって、床山さんには他の仕事はありません。もちろん入門してしばらくは、部屋の掃除、雑用等いろいろとやらなければなりませんが、ある程度年数がたって一人前になってくると、部屋によって多少の違いはあるでしょうが、殆ど髪結いのみです。
ただ、おすもうさんにとって行司や呼出しは部屋にいなくても困りませんが、床山はなくてはならない存在です。
若松部屋には床山がいなくて困っています。どなたかいませんでしょうか。
平成11年6月7日
友綱部屋と武隈部屋から出稽古に来る。友綱部屋の魁心山(元戦闘竜)も久しぶりの白まわし姿で登場。実に27場所ぶりの十両復帰である。お母さんは日本人だが、米国籍のヘンリー(本名)は、筋肉隆々とした体に浅黒い肌で、いっそう白まわしが輝いて見える。怪我で何度も苦労した力士だけに、学生出身力士にだけは絶対負けたくないという、現代日本人力士が忘れてしまった心意気を強く持った力士である。
平成11年6月8日
極真空手の数見選手がまわしを締めて稽古に参加。数見選手は、4年前の世界選手権で、今K-1で活躍中のフィリォを破って決勝まで進んだ実績を持ち、先だって史上何人目かになる100人組み手を達成した猛者である。4年に1度の世界大会が近づいてきたので、体の大きな外人対策用にと相撲部屋への異種稽古、ということらしい。
三段目力士の胸を借りてのぶつかり稽古を行うが、下半身の強さとバランスのよさ、腰の安定感などには目をみはるものがある。
平成11年6月12日
友綱部屋の魁皇の結婚式が行われ、朝乃翔・朝乃若の両関取も出席。新居は若松部屋のある本所3丁目から道一つ隔てたおとなりの町内で、そのうち、地元の後援会である「本所若松会」に入ろうかなという話もでたほどである。新婦は、元女子プロレスで人気レスラーであった西脇充子さん。しっかりした姉さん女房で、魁皇関の大関獲りの支えとなってくれることであろう。
平成11年6月13日
今週から名古屋入りのため朝から大掃除。そろそろ荷造りの準備やら、21日の番付発表の封筒書きやらで、何かと慌ただしい。
行司の勝次郎、今まで部屋住み生活であったが、このほど部屋を出て生活することになった。来年で満10年を迎える若松部屋、初の独立者誕生である。
平成11年6月14日
極真空手の数見選手が再び稽古に参加。さすがに運動能力が高いだけあって、四股もかなりさまになってきた。今日はぶつかるだけでなく、朝乃翔関の突っ張りを実際に受けてもみる。いろいろと工夫をしている。ぜひ世界大会で生かして欲しいものである。
呼出し邦夫、今日から土俵作りの為に名古屋へ出発。今週一週間で、一門の稽古場の土俵を作ってまわる。
平成11年6月16日
先発隊5人(一ノ矢、関東龍、朝迅風、朝天寿、朝住吉)名古屋入り。一年ぶりの蟹江である。今年で12年目となる宿舎、蟹江の龍照院。お寺の隣の家の1才だった女の子が、ことしはもう中学生になっている。近所の人たちともすっかり顔なじみで、故郷に帰ってきたような感さえある。
平成11年6月17日
すっかり「よかた」(一般人)になった元朝西春が先発隊の仕事の手伝いに顔をみせた。1年半前に引退した元朝西春は、現在地元の電設会社に勤めていて、仕事の合間をみて手伝いにきてくれる。まったくありがたいものである。
平成11年6月18日
午前7時半より土俵作り。昼休み、ちゃんこを食いながらテレビを見ていると、タモリの笑っていいともで、女の子が出てきて、彼氏が誰か有名人に似ていて審査員が満場一致で納得するとグアム旅行というコーナーをやっていた。そこで白羽の矢が立ったのが 朝住吉であった。住吉ならこのコーナーにでればグアム旅行に行ける。という、みんなの意見であった。でも紹介してくれる彼女がいないな、ということでケリがついた。ちなみに満場一致の似ている有名人は、赤塚不二雄であるが。
平成11年6月19日
午前中掃除して、午後から幟立て。近所の人にトラックを出してもらって竹を積んでいって、16本の幟を蟹江町内に立てる。おりからの梅雨空で、びしょ濡れになりながらの作業であった。作業を終え、夕方先日亡くなられた岐阜の金神会長の仏前へ焼香に参じる。
平成11年6月20日
以前高砂部屋があった春日町(はるひちょう)から幟立てにやってくる。親方が現役の頃から親交のある人たちが、それぞれ幟を作成し、自分達で部屋のまわりに立ててくれる。昨日の16本と合わせて、26本もの幟が蟹江の町の風をうけ、はためいている。また、商工会やJR駅も幟を上げてくれるので、最終的には40本ほどにもなろうかという壮観さである。新幹線による相撲列車が名古屋到着。全力士が名古屋入りする。
平成11年6月22日
刈谷市で激励会が行われ、親方、関取、付人の計6人が出席。地方場所は年1度なのでこういう催しが多い。土俵祭りを行い稽古開始
平成11年6月23日
宿舎の龍照院の周りは、田畑に囲まれ、裏手には蟹江川という川が流れていて、自然環境はまことに素晴らしいのだが、おかげで蚊や虫にもめぐまれている。裸の生活の多いおすもうさんは、蚊には恰好の食材なのであろう、夕方ともなるとおいしいレストランがお客で溢れるのと一緒で、近隣の蚊が集まってきて、かゆいことこのうえない。いきおい、蚊取り線香を部屋の中が真っ白くなるほど焚いて、蚊よりも人間にも悪いのではないかと思うほどである。
平成11年6月24日
梅雨真っ盛りで、宿舎のプレハブの屋根を雨が激しくたたいている。木綿の厚折りのまわしは、汗を吸いこむと、カチカチに固くなるので稽古後は干すのだが、雨が続くと干せない。固くなったまわしは、痛いし、くさいし、不快このうえない。あまりに湿気るとまわしをコインランドリーに回しにいく。砂や汚れは落として回すが、においは多少残るであろうし、次に回す人はいい迷惑だと思うが、年に一度の名古屋場所、今のところは大目に見てもらっている。
平成11年6月25日
今年3月入門の朝松尾、本人は意識していないのだが、ときおり周りを笑かしてくれる。昼飯どき、朝住吉が、「松尾、おまえ今場所なんまいめだ?」と尋ねると、朝松尾、丼飯をもった手を前に差し出しつつ「まだ、いっぱいめです!」。みんな 一瞬あっけにとられたが、大笑いとなった。本人に言わせると、すこし耳が悪いのだそうだが、その中の問題だろうという一般的評価である。駄洒落を連発する勝次郎よりヒットの確率は高い。ただ、勝次郎の駄洒落でいちばん大笑いするのは朝松尾である。
平成11年6月27日
昨日は蟹江町役場でのちゃんこ教室。大鍋で約500人分のちゃんこをふるまう。今日は、これも7年目となる国際交流。近辺に住む外国人を招待して、稽古見学、決り手紹介、質問コーナー、腕相撲大会、スイカ割と、交流を深める。梅雨どきなので毎年雨模様が多いが、今年は特にどしゃぶりの中でのイベントとなった。そういえば昨晩も、朝ノ霧と一ノ矢は、名古屋の街で国際交流をしてきたそうである。
平成11年6月28日
親方の後輩の子供が稽古にきている。お兄ちゃんは中学3年生で183cm130kg、弟は小6で体はそんなに大きくないもの、全国わんぱく相撲の横綱である。食べ盛りで飯も強く、ちゃんこで丼飯6杯食い、その1時間後にまたハンバーガーをほお張っている。 若貴兄弟を彷彿させるような、将来性溢れんばかりの兄弟である。
平成11年6月30日
場所前恒例の激励会がキャッスルホテルにて行われ、300人あまりの方々の出席で賑わう。開宴に先立って、せんだって亡くなられた金神会長の遺影に黙祷をささげ、名古屋場所での健闘を誓う。