今日の若松部屋
平成13年7月1日
とんちゃん屋は、親方の友人である海苔屋の社長さんが懇意にしていた店で、よく連れていってもらったが、店の中は煙モウモウなので、入り口で浴衣を脱いでパンツ1枚になって入って食った。換気扇は窓が開いているだけだったが、ある年は、途中大雨が降って、窓を閉め切っての事だったものだから、店の中じゅう真っ白けである。それでも箸は止まらない。とんちゃんを腹いっぱい食ったあと、路地を出てすぐの所にあるうどん屋で、カツオだしの利いた冷やしうどんでしめるのがお決まりのコースであった。
毎年恒例の蟹江町役場での「ちゃんこ教室」を行い、地元婦人会協力のもと300人分のちゃんこをふるまう。
平成13年7月2日
名古屋TV夕方5時43分からイカ味噌ちゃんこを生中継。同テレビ、6時47分からのスポーツコーナーでも若松部屋両関取が出演。
5日朝の7時45分から50分頃に、NHK 「おはよう日本」が若松部屋稽古場から生中継の予定。
平成13年7月3日
ご当所の関取として連日多忙な朝乃若、今日のナゴヤドーム中日-阪神戦の始球式に登板。マイグローブ持参で気合十分ででかけた。始球式は今回で3回目だが、選手食堂でえびすこをきめて、練習なしで投げたらど真ん中にストライクが決まり、星野監督にも「ナイスボール」と褒められたそうである。稽古の方も、朝青龍とともに連日出稽古に通い、ここ数場所になく好調のようである。
平成13年7月4日
両関取、今日まで出稽古。出稽古に行っている伊勢ノ海部屋は、名古屋市の西区にあるからけっこう距離があるが、毎朝地元蟹江の土建屋の社長さんが送ってくれている。部屋の力士と焼肉屋で知り合って部屋に出入りするようになって10年近くになるが、先発隊が乗り込む日から最後に帰る日まで、何かにつけお世話になりっぱなしである。野球やサッカーだと、球団やチームのバスや車での移動が殆どだと思うが、相撲部屋にはそういうものがない分、地域の人との結びつきが強くなるという利点がある。
平成13年7月6日
名古屋場所激励会がキャッスルホテルにて行なわれ、後援会を中心に約300人のお客様で賑わう。パーティの前、用があり本場所2日前の県立体育館へ行く。館内の特設桝席も組み立てがほぼ完了し、最後の後片付けと点検といった祭りを待つ雰囲気である。
今日、取り組み編成会議も行なわれ、朝青龍は、先場所に引き続き武蔵丸との初日である。
平成13年7月7日
七夕で迎える場所前日。夜は曇天で星は見えなかったが、朝稽古終了後、毎年恒例となっている宿舎の龍照院の重文〝十一面観音菩薩”をご住職に開帳していただき、明日からの必勝と無事を祈願する。お昼過ぎ、土俵祭りを終えた触れ太鼓が、蟹江の若松部屋土俵にも鳴りひびく。触れを聞くと、明日から始まるんだという実感が湧いてくる。
平成13年7月8日
序二段30枚目の朝ノ浜、自己最高位での初日白星。名古屋入りしてから腹が丸みを増し、三段目昇進へ向けて好スタートである。
両関取は黒星スタートとなるものの、動きは悪くなく、今場所も期待できそうである
平成13年7月10日
朝天山、得意の叩きこみを決めて、今場所の初白星。今場所こそ勝ち越せば夢の三段目昇進間違いなしである。
平成13年7月11日
今場所3連敗と試練のスタートとなった朝青龍。取り組みのある体育館まで、場所前の出稽古へもいってくれていた土建屋の社長さんが、毎日忙しい中、時間を工面して送ってくれている。熱狂的な応援者である社長も、3連敗は気にかかるようで、今日はゲンかつぎで上から下、更に下着まで白一色の服装での運転となった。体育館までの道のりでも白い車の後ろばかりを走ったそうである。その願いが通じたのか、今場所絶好調の栃東を快心の相撲で破っての初日となった。
平成13年7月12日
幕下の朝乃翔と朝赤龍、共に3連勝。去年は幕内で相撲を取っていた朝乃翔、苦悩の1年だったが、今年の春頃より序二段相手の稽古ができるようになり、今場所前は久しぶりに、大学からの同級生朝乃若の胸を借りれるまで復活してきた。まだまだ、同じ幕内をはっていた頃のようにはいかないが、確かな復活の手応えを感じながらの日々のようである。
平成13年7月13日
自己最高位に番付を上げている朝花田、3連勝で勝ち越しに王手。ここ数場所、稽古場ではかなり強くなっていたが、本場所にいくと緊張感から力を発揮できずにいたが、今場所は相撲内容も堂々としたもので、納得の3連勝である。入門時は、田舎の純朴な少年という感じの野暮ったさだけであったが、入門1年半、元来隠し持っていたユニークなキャラクターを随所に出すようになり、土俵上の度胸もついてきたようである。入門以来、その朝花田のキャラクターを引き出すのに一役買っている朝ノ土佐も三段目で3連勝。
平成13年7月14日
名古屋場所らしい猛暑が続いている。特に体育館の周りは、コンクリートの駐車場なので照り返しも強く、冷房が効いている館内から一歩出ると、脳みそまで響く熱さがからだ中を包んでくる。こんな猛暑の日は、クーラーの効いた食堂で飯を食いたい気もあるが、安さと美味さを求めて、館外のよしずばりの鳥丼をやっぱり食いに行く。お茶屋さんの調理場の横で、テーブルとイス(ビールケース)を囲ってあるだけだから食いながら汗だくだくになるが、旨いし、力士は500円でおかわりし放題なので、若い衆には重宝な場所である。汗だくになりながら飯を食うのも名古屋場所らしくていいものである。
平成13年7月15日
毎年春入門の新弟子にとって、稽古や毎日の雑用に加え、猛烈な暑さも加わる今の時期が一番つらい時である。殆どの新弟子が体重も落としてしまう。相撲歴の長い朝拓也は別として、朝山田、朝佐藤もこの4ヶ月あまりで10数キロしぼんでしまった。
ところが、これ以上痩せようがないのかもしれないが、朝君塚だけは1kgだけながら逆に体重を増やしている。志願兵にありがちな、理想と現実のギャップに悩む事もなく、飄々と力士生活をおくっている。土俵下で間近に取り組みを見ている呼び出し邦夫にいわせると、土俵動作も飄々としすぎて、やる気なさそうにさえ見えるそうだが、3勝1敗と初の勝ち越し王手である。
平成13年7月16日
朝赤龍、 朝拓也おとといの朝乃翔につづき、今場所3人目の勝ち越し。
平成13年7月18日
序ノ口で初日から3連敗していた朝山田、3連勝で星を五分に戻す。同じ序ノ口で同期生の朝佐藤と朝君塚は3勝2敗からの給金相撲を落とし、3人そろって最後の1番に勝ち越し負け越しをかける。朝赤龍、朝花田、5勝目。朝赤龍はあと1番で幕下上位へ、朝花田はあと1番での三段目昇進をかける。
平成13年7月21日
地方場所では、東京場所では味わえない楽しみがときにある。千秋楽打上の会場になっている尾張温泉の中のたこやき屋さんには毎年お世話になっているが、今日はウナギ捕りに行ってきたそうで、夜、捕れたてのウナギに肉、バーベキューセットを家族総出で部屋に持ち込んで、稽古場横でバーベキュー大会。
とくに、家族が恋しいこの時期の新弟子にとっては、しばし勝負の世界を忘れ安らげる、家族団欒のひと時となったようである。ここ3日間ほど負けが多く、5割ギリギリまで落ちてきて、明日6人中3勝すれば、今年4場所連続の5割超となれるのだが。
平成13年7月25日
場所休み。金曜日あたりからは、帰る準備や宿舎の片づけで忙しくなるから、きょう明日までがゆっくりできる時である。朝青龍、朝赤龍はモンゴルへ里帰り、その他海や川へでかけたり、休みのときしかできない朝からパチンコとか、飲みあるきとか、思い思いの休日を楽しんでいる。相変わらずの猛暑にはまいっているが。
平成13年7月27日
日曜日、わんぱく相撲の全国選手権が国技館で開催され、各部屋に選手が宿泊するため、その準備で3力士とマネージャー帰京。トラックいっぱいの荷物も送り、部屋のなかも大分すっきりしてくる。明日、あさってと大掃除して猛暑の名古屋場所ともお別れである。
平成13年7月29日
午後12時名古屋駅集合、1時5分発のひかりにて全員帰京。今回は、巡業組も一旦帰京してからの出発なので、いつもより新幹線のホームが力士で溢れている。各部屋、近所の世話役さんらが見送りにきて、別れを惜しんでいる。若松部屋は、土建屋の社長夫婦と焼肉屋の大将に駅まで送って貰い、最初は誰もが女の子と間違う、小学校6年生のたこ焼き屋さんの息子にホームまで見送られての、おわり名古屋となった。午後3時東京駅着。
平成13年7月30日
東京場所では部屋を離れて生活している行司の勝次郎と呼出し邦夫、地方場所は力士と一緒の生活であり、食生活も力士に近くなる。二人とも入門時より20kg近く体重を増やしてしまって、体重計の目盛りが気にかかる今日この頃である。名古屋の宿舎には体重計がない為、今日部屋に顔を出して、二人で恐る恐る体重計に乗った。名古屋でかなりえびすこを決めた邦夫だったが、ここ数日減量体制に入ったそうで、目盛りに満足の表情であった。続いて体重計に乗った勝次郎、自己ベストを大幅に更新し、更に邦夫のベストまでも抜き去ってしまう記録となった。慌てて、ズボンからシャツ、靴下、ネックレスに腕時計まで全部はずして再度体重計に乗り、何とか自己納得して体重計を下りた。
平成13年8月1日
青森五所川原合宿に出発。朝乃翔、一ノ矢、朝ノ浜、朝花田、床若と、昨年も参加した高知聾学校の高校2年生池田君の6人。午前9時、すでに30度を超えている上野駅を出発。午後12時半盛岡着。小雨でかなり涼しい。迎えに来て貰った車で、五所川原江良産業へ向かう。午後3時着。寒さを感じるくらいの涼しさである。夕方、五所川原 市内で焼肉を食べて外へ出ると、Tシャツに短パンでは完全に寒い。そのはず、道路上の温度標示機は18度である。気持ちの良い合宿を過ごせそうである。
平成13年8月2日
青森は、熊本・長野と並んで馬肉の産地である。毎年食卓の上には馬刺しがならぶ。今日はちゃんこも馬鍋。昨日つぶしたばかりの馬肉を酒と味噌で炊いて、ナス、豆腐、ネギなどを入れて食べる。付け出しはもちろん馬刺しである。空気がひんやり肌にここちよく、飯もすすむ。数年前、馬の片脚をそのままの姿で差し入れに貰ったときは、さすがにもう馬は見たくないという力士もいたが。
平成13年8月3日
同じ東北は宮城県石巻出身の朝花田、入門前の高校生だった頃、2年間この五所川原合宿に参加している。その頃から、相撲の経験がないにしては中々の足腰の強さを持っていたが、入門1年半、前へ攻める力も急速についてきて、本当に強くなってきた。昨日からの稽古では、朝ノ浜と高校生相手の三番稽古がもっぱらだが、殆ど一人で二人を相手にしている感じで、強さに安定感もでてきた。
13日には仙台で「谷風会郷土力士激励会」が行なわれるそうで、同じ宮城県出身の朝佐藤と共に参加の予定である。
平成13年8月5日
昨4日、青森のねぶた祭りに参加。青森若松部屋後援会の藤本建設さんの出している大太鼓にのせて貰っての参加で、もう6回目になるが、毎年夏巡業の為参加出来なかった朝乃翔も、今回初めて参加。壮大で、ハイテンションな祭りの楽しさにすっかり魅了されたようであった。今日は、隣の中里町芦野の祭りで、朝、子供達と相撲教室を楽しみ、お昼いっしょにチャンコを囲む。これも、青森後援会である地元芦野の竹内組が主催となって、毎年恒例となっている。
平成13年8月6日
五所川原の立ねぷたに参加。高さ20数メートルの迫力あるねぶたで、市内を一周する様は、壮観である。毎年1台ずつ作られ、3台で練り歩くが、平成11年度作の『鬼がきた』は、お世話になっている江良産業から朝青龍に贈られた化粧回しの絵柄になっている。
平成13年8月7日
合宿所のある五所川原市毘沙門は、金木町との境で、あたり一面に津軽平野の青田が広がり、その向こうに津軽富士こと岩木山が遠望でき、太宰治の「津軽」を想い起こさせる風景である。斜陽館までも車で10分ほどの距離である。その金木町では日大相撲部も合宿中で、五所川原でも安治川部屋や近畿大学なども合宿をはっている。各地で毎週のように相撲大会も開かれ、夏はねぶたと相撲の青森となる。
平成13年8月9日
五所川原市は津軽半島のつけ根に位置しているが、津軽半島を北上するように五所川原から半島の真ん中の中里まで津軽鉄道が走っている。吉幾三の「津軽平野」に出てくるストーブ列車である。1両編成の小さな列車で、間に無人駅も多いため、ワンマンバスの様な乗車システムである。車内前方には文庫本が並べられていて、俳句会や太宰治などの中吊り広告があり、風鈴が天井から5,6個ぶら下がり、夏は風鈴列車というそうで、なかなか風情ある列車である。
平成13年8月10日
力士は大体がめん食いである。麺食いの話である。博多でも東京でも、旨いラーメン屋があると聞くと、タクシーを飛ばして食いに行くことがあるし、それが高じてラーメン屋の店長をやっている元力士も何人かいる。巡業などにいってもその土地のラーメンを食うのは楽しみのひとつである。青森のラーメンは基本的に煮干だしのあっさり系が多い。麺も細めん、縮れ麺が主であり、ラーメン店の数も多いから、けっこうレベルは高いように思う。もう一つ、ラーメンの麺をざるそばの要領で食う『中華ざる』も、あまりよそでは口にすることのない名品である。
平成13年8月11日
8月1日から始まった五所川原合宿も、今日で稽古納め。来た当初、朝花田にやられっぱなしだった朝ノ浜、1年兄弟子の意地もあり、負けられない気持ちは大いにある。合宿先の江良社長はじめ、朝乃翔、一ノ矢と、マンツーマンならぬマンツースリーメンの指導を受けつづけた。その甲斐あったのか、今日の稽古では、およそ朝ノ浜らしくない切れのいい相撲に終始し、朝花田や元近大相撲部の江良社長の息子相手に、殆ど一人で土俵を独占し、45番の稽古をこなした。大いなる成果の上がった五所川原合宿であった。
平成13年8月14日
13日朝、五所川原江良道場を出発、高速で岩手県水沢インターまで移動。岩手県東磐井郡東山町で行なわれている東関部屋の合宿に合流。ちょうどお盆休みになっている相撲教習所生徒も昨日から参加して、力士21名、東関親方、マネージャー、床山と、総勢24名の賑やかな合宿である。水沢インターから、山を登って下って、30分ほど走ってようやくたどり着いた町で、平成元年から東関親方の知人の紹介で合宿を行っているそうである。曙親方が横綱在位中は休止していたらしいが、5年ぶりの合宿ということで、町中に幟が立ち、町を挙げての歓迎ムードいっぱいである。
平成13年8月16日
となりの川崎村で行なわれた花火大会を見物。北上川河畔で打ち上げられる大花火で、岩手県一だそうである。町長さんはじめ、地元の方のご厚意で特等席に招待してもらい、夜空に咲く大輪を満喫した。視界をさえぎる建物もネオンもない為、花火が夜空に映えるさまは、隅田川の花火大会以上のものがある。
平成13年8月17日
合宿先の東山町には、”げいび渓”という日本百景にかぞえられる名勝がある。高さ100mほどに切り立った石灰岩の絶壁の間を流れていく清流「砂鉄川」を船で上り下りする舟遊びで、水の清らかさ、冷たさ、船を追うように走るハヤやコイの魚群、岩壁にこだまする船頭さんの舟歌、自然の雄大さ、清々しさを体中に浴びながらの素晴らしき船旅である。
夜、合宿所となっている東山町松川公民館で送別会が行なわれ、地元の人との交流を深めつつ惜しみつつ、杯を酌み交わす。
平成13年8月18日
東山合宿の稽古打上げ。四股を踏んだあと、いつもトレーニングでやっているタイヤ引きを2チームに分かれて競争。1勝1敗となったところで、見守る親方はじめ地元の方々が懸賞金を出してくれ、懸賞レース。みんな必死の形相で、全速力ダッシュである。最後、劇的な逆転勝負となり、観客からも盛大な拍手喝采である。更に、土俵横の砂地で序二段以下と全力士の2回に分けてバトルロイヤル!
こちらは、朝花田と朝赤龍が懸賞金を勝ち取った。午後1時、楽しく有意義だった東山町をあとにして、一関より新幹線にて帰京。
平成13年8月19日
ドルゴルスレン四兄弟は格闘兄弟である。全員モンゴル相撲で輝かしい実績を持ち、四男が小結朝青龍である。次男はモンゴル相撲の大関で、アマレスのアトランタ五輪のベスト4、1998年のアジア大会銀メダルの猛者である。今春より新日本プロレスに入団していた三男のドルゴルスレン・セルジブデ、8月10日に両国国技館で行なわれた新日本プロレスのマットで、モンゴル人初のプロレスラーとしてデビューを飾ったそうである。半年足らずでのデビューは、異例のスピードだそうで、プロレス雑誌にも大きく取り上げられている。
平成13年8月20日
巡業組帰京。3週間ぶりに全力士が揃う。先場所、惜しくも新三段目昇進を逃して朝青龍の付人として巡業に参加していた朝天山、番付を上げてきたことに自信とやる気もでてきたのであろう、珍しく(?)巡業でも土俵での稽古を積極的にこなしてきたそうである。
体重も5Kg増やしての帰京となった。
平成13年8月24日
23日より明日25日まで平塚合宿。本日24日は、熱海市のサンビーチにてちびっこ相撲大会。100人以上の小学生が参加して関取とのぶつかり、全員での綱引き大会と、砂にまみれての夏休み最後の楽しい思い出となったようである。夜は市内ホテルにて歓迎パーティ。市をあげての歓迎に親方や関取の歌もでて、盛会のうちにお開きとなる。
平成13年8月25日
湘南若松部屋後援会主催の平塚合宿、稽古は平塚運動公園内の土俵にて行なわれている。新聞等でも紹介されたらしく、今朝の稽古場は見学客が土俵を幾重にも囲み、まるで巡業のような雰囲気である。稽古後、先着100名様へのちゃんこ試食会もあり、長蛇の列となる。昼食後、お世話になった会員の方々との別れを惜しみつつ、バスにて帰京。月曜日に9月場所の番付発表を迎えることになる。
平成13年8月27日
9月場所番付発表。
平成13年8月29日
東関部屋が部屋に来ての合同稽古。
平成13年8月30日
秋場所後の9月29日(土)に横綱曙の引退相撲が行なわれる。先日の岩手東山合宿では、綱をつくるための麻もみを一緒にやらせてもらったし、26日に最後の綱打ちを行なったようで、準備は着々と整いつつある。ここ2年ほど合同合宿等で寝食を共にすることも多かっただけに、感慨深いものはある。
平成13年8月31日
番付表は、毎場所初日の2週間前の月曜日に発表されるが(初場所前の年末は少々早まるが)、親方の番付だけで6千400枚あり、ハンコを押して、折って、封筒に入れて、テープで止めて、郵便局に出しに行くという作業は、15人がかりで半日かかる。親方のが終わると、関取の付人は関取の番付をやり、次の日には稽古も始まり、雑用にも追われ、なかなか自分の番付発送にとりかかれない。そのうち場所が始まり、番付表が、枕元に番付発表の日に貰ったままの姿で千秋楽を迎える・・・という力士もたまにいる。
平成13年9月1日
番付表にも折り方がある。協会から取って来た時は、57cm×44cmの和紙が千枚単位で包んである状態だが、包み紙をほどいて、右下にハンコを押し(自分の四股名のハンコを押せるのは関取以上である)、下から上縁に合わせて3回(八つ折)折り、それを右から左へ折る。そうすると東方横綱幕内が上にくるようになり、裏は一番上が西方横綱幕内となるようになっている。新弟子の頃は1枚折るのにかなり時間がかかるが、3,4年たつとようやく、速くうまく折れるようになってくる。ただ、お客さんの中には折ってないさらのままの番付をほしがる人もいるが。
平成13年9月2日
3月入門の新弟子も、先週で相撲教習所が終了して、番付発表後からちゃんこ番に加わっている。米を研ぐのも、野菜を切るのも初めての経験の子もいて、慣れるまでにはいろいろある。今日も、付け出しのおかずにかぼちゃの天ぷらをやることになり、油さしから油を入れたが、足りないので新しい油を足すように命じた。ふと、フライパンの油に目をやると、白くにごった細かい泡がブクブクたっている。こりゃおかしいと棚を見ると、並んでいる油の量は変わらずに、1,5Lの容器に半分近く残っていたみりんが空になっている。あわくって火を止めた。しばらくは、目が離せない日々がつづきそうである。
平成13年9月3日
番付はいつの頃からあるのであろうか。窪寺紘一氏の『日本相撲大鑑』(新人物往来社)によると、記録として残っている最古のものは元禄12年(1699)の京都における勧進相撲のものだそうである。そもそも参加者の名前を「順番付」したもので、相撲から起こり、歌舞伎などへも広まっていったようである。元禄の頃には、相撲も歌舞伎も寄席も、同じ御家流という文字だったそうだが、幕末から明治にかけて、相撲字は根岸流とよばれる現在の書体になり、歌舞伎の勘亭流や寄席文字と一線を画すようになったそうである。
平成13年9月5日
番付はゲンのものなので、先場所の勝ち越し力士が取りに行くことになっている。午前6時から配られるので、早朝5時半頃に部屋を出て行く。若松部屋の場合だと3人でで取りにいって6時半前に部屋に帰りついて、番付発送の作業を開始する。関取は、番付表で自分の枚数を確認できるが、幕下以下は、番付上で自分の枚数を数えるのは困難なので、別に幕下以下力士の早見表という、枚数と四股名と部屋名が印刷された紙で確認することになる。幕下以下力士にとっては、この早見表で自分の番付を確認するのが、番付発表の日の眠気も覚める最大の関心事である。
平成13年9月6日
東関部屋からNHK朝の「おはよう日本」の生中継があり、東関部屋での稽古。今日で出稽古も終わりで、明日から部屋での調整にはいる。
平成13年9月7日
飲み屋のはなしである。入門した頃(昭和58年)、当時の親方の現役時代(昭和30年代後半)の飲み話は、向島や柳橋の芸者であり、まだ賑やかりし浅草の話であった。ただ入門当時の頃にはバブル期へ入る少し前の時期で、向島や柳橋が寂れ、銀座主流で、銀座で飲むのがステータスだったようなところがある。それから10数年たち、たまに銀座に行くと、最近銀座でおすもうさんをめっきり見なくなったという話を聞くし、現役の関取衆にとっては、年代的にも六本木の方が主流になるつつあるようである。ただ、浴衣や着物姿の力士は、六本木アマンドの前に立っているより、銀座並木通りを歩いているほうが似合うとおもうのだが。
平成13年9月8日
6年目となる地元の後援会・本所若松会懇親会が錦糸町ロッテプラザで行なわれ、親方家族と関取、朝乃翔、一ノ矢、朝赤龍が参加。近所の方々との交流を深め、明日からの秋場所への景気づけとする。
初日、朝青龍は武双山との対戦、幕下10枚目まで上がってきた朝赤龍は、十両土俵入りが終わったあとの幕下上位5番の土俵へ初めて上がる。朝菊地、場所前に網膜はく離の手術を行い、今場所は休場となる。
平成13年9月9日
台風の影響で、雨が降ったり止んだりと、はっきりしない天気で、風も湿っぽくすっきりしない初日の国技館。初日の支度部屋は、当然といえば当然だが、終盤の支度部屋とは全く違った独特の雰囲気がある。かなりの力士の顔に、今場所に対する期待感と、熱気があるし、他の部屋の力士と顔を合わせるのも久しぶりなので、旧友と再会したような和やかな挨拶もところどころで交わされている。
若松部屋は5勝4敗のスタート。
平成13年9月10日
8月の長期予報によると、今年は残暑はなく過ごしやすい秋場所となるはずだったが、台風のため激しい雨と蒸し暑い日が続き、日ごろから体温の高い力士にとっては、いつもよりつらい朝の稽古場と場所通いとなっている。注目の大関魁皇を快心の相撲で破って今場所初白星の朝青龍。全体でも4勝3敗と、昨日に引き続きまずまずの滑り出しである。
平成13年9月11日
幕内になると自分の四股名を染めこんだ大きな座布団を控えで使うことになる。2番前に付人が花道から土俵への入り口まで運んで、土俵係りの呼び出しが受け取って入れ替え、前の力士の座布団を持って帰ってもらう。初日後半戦、土俵係だった呼び出し邦夫、次の座布団がなかなかこないので、誰だろうと花道を見ると朝青龍の出番であった。
今場所、朝菊地の休場で初めて座布団運びをやることになった朝花田、緊張して要領がわからずに 花道で立ち止まり後ろを振り返ること数度。その度、関取と、付人頭の朝天山が「もっと奥まで、もっと・・・」と手で合図を送るのだが、5歩進むたび 振り返り、なかなか邦夫が待っている所までたどりつけなかったとのことである。慣れない仕事で気を使いすぎたのか、2連敗スタートの朝花田だが、なれて落ち着いてくれば、4勝で三段目昇進という今の地位でも十分勝ち越す力はつけてきている。
しばらくは、全国放送で、朝青龍の2番前に座布団を運ぶ、少し挙動不審な朝花田の姿がみれるはずである。
平成13年9月12日
台風が通り過ぎたと思ったら、今場所の焦点であった魁皇の休場に加え、昨日のアメリカからのショッキングなニュースで、相撲をとりかこむ状況も厳しい中での秋場所である。そんな中、両関取の好調さに引っぱられるように、幕下10枚目の朝赤龍、今日も韓国相撲出身有望力士・春日王を破っての2連勝スタート。今後の展開が楽しみである。
平成13年9月13日
角界のキムタクこと朝拓也、その巨体を利しての相撲で5勝、5勝と序二段中位まで番付を上げてきて、今場所も今日まで3連勝である。朝菊地の休場で、朝青龍の付人としての仕事も初日から務めていて、支度部屋でもすっかり有名人だそうである。
平成13年9月14日
連日土俵をにぎわしている朝青龍、結びの一番で横綱武蔵丸を"足取り”の奇襲で破る。足取りというと、一般には一か八かの奇手のように思われるかもしれないが、かなり高度な技術を要する技である。相手の当たりをかいくぐって中に入るには、コンマ何秒の動体視力や反射神経を必要とするし、普通の人間なら取ってからもまた難しい。足を取ると、持ち上げて前にでたくなるのが普通だが、そうすると体の大きい力士や足腰のいい力士には、上からつぶされたり残されたりしてしまう。
相撲の格言では、「足を取ったら、とった足を枕にして寝ろ」という。そうすると相手は何もできなくなってしまう。今日の一番も、足を取って後ろに反って出たので、横綱は何もできない間に土俵を割ってしまった。朝青龍が前記の格言を知っているはずもないが、小さい頃からモンゴル相撲などで培われた格闘センスがでた一番であった。相手を崩すという動きの本質は、あらゆる競技に共通のものである。
平成13年9月16日
朝拓也、4連勝で勝ち越し。逆に一ノ矢は、4連敗での負け越し決定。番付に名前がのってから107場所。勝ち越しも、負け越しも何十回とくりかえしているが、勝ち越すたびに新鮮な喜びを味わえるし、負け越すたびの悔しさ、情けなさも新鮮である。おまけに4連敗での負け越しとなると、早速田舎から引退勧告の電話まではいり、いくつになっても親にとっては子供であるし、気にかけてくれている証拠なのだが、やっぱり、"勝ってなんぼ”の世界である。
平成13年9月17日
序ノ口の朝君塚、今場所の初白星。〝ようやく片目があいた”という。しかも「電車道で勝ちました(一直線に出て勝つ)」と言うので、「そんなに弱い奴だったのか」と聞くと、「はい、床若みたいな奴だったっす」との答えが返ってきた。
その床若、髪を結うときにつけるエプロンを新調して、白地のエプロンに〝心・美・夢”とマジックで落書きして、「化粧回しみたいでしょう」と喜んでいる。よっぽど嬉しかったのか、つけたまま買い物にまでいき、レジのお姉さんに「文化祭ですか」と笑われたと言ってまた喜んでいる。さすがに、落語家の息子である。
平成13年9月19日
小林まことの『柔道部物語』というマンガがある。主人公の名を三五十五(さんごじゅうご)といって、全くの素人から始めた高校柔道で、メキメキ頭角をあらわしていく 物語である。その三五十五は、抜群の集中力で強敵を倒していくのだが、試合中集中が高まると、我を忘れて口が〝ひょっとこ口”になる癖をもっている。
3敗とあとがない朝花田、出番前の花道から、ちょっと危ない人じゃないかというほど気合の入った立合いの稽古をくりかえしていた。イメージ通りの立合いから一気の寄りで、自分の倍近くある相手を寄り切った。勝ち名乗りを受けるため、反対側の徳俵まで戻る朝花田の口は、ひょっとこ口になっていた。最後の一番に三段目昇進をかける。
平成13年9月20日
朝乃翔勝ち越し。今年3月からの再起以来、また一歩関取復帰へ近づいてきた。2日間足踏みしていた朝青龍もようやく勝ち越し。
10日目まで勝率5割を上回る好調なペースであったが、昨日の大負けが響いて5割を切ってしまった。残り3日、関取6番、若い衆12番に今年度5場所連続の5割超をかける。
平成13年9月21日
終盤戦は、幕下上位と十両との入替え戦が毎日熾烈(しれつ)を極める。きのう今日と、東関部屋の高見盛と潮丸(うしおまる)が3勝3敗の成績で、十両力士と対戦。ともに勝って勝ち越して、来場所の昇進へ大いに期待が膨らむ一番となった。
日ごろ稽古や合宿で共にする機会が多いだけに、見てるほうも力がはいった。朝青龍が幕下だった頃は3人で激しい稽古を重ねて朝青龍も力をつけていっただけに、また追いついて、3人で更にしのぎ合ってほしいものである。
平成13年9月22日
朝花田、1勝3敗からの3連勝で勝ち越しを決める。これで来場所の三段目昇進がほぼ確定的となった。入門1年半、体が大きいわけでなし、相撲経験があるわけでなしでの、1年半での三段目昇進は、かなりの早い出世である。朝迅風、今年1月以来の勝ち越し。朝佐藤は負け越し。あす千秋楽、7人が土俵に上がり、6勝1敗だと何とか5割に到達するのだが。
平成13年9月23日
5割到達はならなかったものの、最後に朝乃若の勝ち越し、朝青龍の2ケタ10勝での敢闘賞受賞と、両関取が締めくくった千秋楽。浅草橋駅前での打上げには、昨年初場所に引退した元朝鷲も姿を見せた。元朝鷲こと伊藤透氏は、現在『闘龍門』という団体のプロレスラーとしてメキシコで修行中で、11月13日に後楽園ホールにて行なわれる試合で日本デビューを果たすため、昨晩帰国してきた。
リングネームは、お父さんの現役時代の 四股名を継いで、”大鷲透”だそうである。
平成13年9月25日
このほど漫画家のやくみつる氏が、『やくみつるの大珍宝』(日刊スポーツ出版社刊)という本を出した。蒐集家として有名なやく氏の野球、相撲、芸能関係などなど多方面にわたる珍コレクションを紹介したおもろい本である。その第2章[どすこい大相撲]の中に朝ノ霧の「チン出し事件のまわし」も堂々1ページを使って紹介されている。
以下は本書より-「平成12年夏場所7日目の三段目取組、朝ノ霧・千代白鵬戦で朝ノ霧のマワシ前袋が外れるチン事発生。なんと翌日の「日刊スポーツ」では一面を飾った。相撲博物館入りしてもおかしくない、その歴史的マワシを朝ノ霧のご厚意により譲っていただいた。相撲グッズマニアあまたおれど、コレを持ってるのはワシだけだもんね。」
現在は大阪のスーパーで働いている朝ノ霧、事件当日はショックも大きく、その日のうちに新しいマワシを買い、そのマワシは捨てようと思っていたそうだが、やく氏が引き取ってくれることになり、「捨てなくてよかったっす」と喜んでいた。
平成13年9月27日
負け越したからいうわけではないが、相撲は本当に難しい。相撲のルールは15尺(4m55cm)の土俵から相手を出すか足裏以外の体の一部が土俵につけば負け、という単純なものである。ただ単純だから簡単ということはなく、単純だからこそ難しく深いものがある。
例えば野球なら、攻撃なら攻撃、守備なら守備と完全に時間が分かれるが、相撲は攻めながら守り、守りながら攻めなければならない。同時相互攻防である。格闘技一般には同じことがいえるが、例えば柔道なら立合いがないし、手や膝をついてもまだ勝負は決しないので、余裕があり番狂わせもおこりにくい。その点相撲は、立合いからの一瞬で勝負がほぼ決するため、メンタリティの占める割合が大きくなる。意識が大いにかかわってくる。
平成13年9月28日
心とか意識とかという問題は、誰もが日常感じていることだけに、ある程度わかっているような気がするが、そもそもそのものが何かということや、そのメカニズムは、現代科学では全くわかっていない。相撲の立合いで、両者がぶつかりあう運動は、その衝撃力がいくらかという、スピードと質量(体重)の積(F=ma)に力のベクトル(当たる角度)が問題になるが、実際の相撲では、両者の意識が大いにかかわってくるだけに、かなり難しい問題になってくる。
平成13年9月30日
一般的に意識には、「勝ちを意識しすぎた」というふうに使う顕在意識と、「体がかってに動いた」というような無意識とがある。顕在意識の方は、どちらかというと脳の活動なので、反応自体も無意識の動きより遅いし、ためらいや迷いも生じるため、なかなかうまくいかない。
実際に、技がきれいに決まるときや、いい相撲を取れたときは、気がついたらそういう動きをしていたという時が殆どである。ただ無意識でそういう動きができるには、いい動きを何千回とくり返して体に覚えこまさなければならず、それが稽古である。
今日より、稽古はじめ。