過去の日記

平成14年<平成13年       

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平成14年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
おかげさまで、若松部屋HPも6年目を迎えました。若松部屋としては、あと1月ほどで幕を閉じますが、高砂部屋HPとして引き続いていきます。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
平成14年1月4日
昨1月3日より稽古始め。きのうは部屋だけの稽古であったが、今日は東関部屋全力士(高見盛、潮丸も)と高砂部屋から闘牙に幕下泉州山と皇牙、友綱の戦闘竜、安治川から 安美錦と、白マワシが7人もの活気ある稽古となった。上り座敷にも、師匠はもちろん、曙親方、朝乃翔親方、東関の狩俣マネージャーと土俵を囲み、東関の関係で外人客も多数にTVカメラまで入り、新春にふさわしい賑やかな稽古場であった。明日は、高砂部屋全力士も参加の予定である。
平成14年1月5日
高砂部屋、東関部屋全力士が集まっての合同稽古。力士だけでも40名を超え、さすがに熱気ムンムンである。高砂部屋からは、師匠はじめ大山親方、錦戸親方、頭、世話人、床山と全員が揃った。稽古後、上り座敷で高砂のベテラン床山さん2人と若松部屋の床若も入って3人で髪を結い、あっという間に30人のちょんまげを結い終わる。合併の予行演習的な一日であった。
平成14年1月7日
相撲診療所で力士を診療して30余年の医師、林盈六(はやしえいろく)氏が書いた『力士たちの心・技・体』(法研-平成8年)という本がある。力士や親方を実際に相撲診療所で診察、治療してきて、長年のデータ、付き合い、観察をもとに興味深い話が多々ある。
平成2年8月の体脂肪率のデータが出ているが、入門直後の序の口が26%で、だんだん増えていき、三段目が34,5%で最高値である。その後幕下、十両と番付が上がるにつれ数値は下がっていき、幕内平均は23,5%となっている。
平成14年1月8日
元朝鷲ことプロレスラー大鷲透、1月5日にメキシコから帰国してきたそうで、部屋に挨拶にきた。力士にせがまれ、決め技〝千秋楽固め” を披露。実験台となった朝花田、「痛タタター」と悲鳴をあげていた。
前回の日本初上陸の試合が好評だったため、急遽1月23日(水)にも試合が行なわれることに なった為の帰国だそうである。
平成14年1月9日
『力士たちの心・技・体』にも出ているが、力士の病気というと糖尿病というイメージが強いと思うが、比率からいくとそうでもない。現に若松部屋でも13人中、高血糖値の力士は一人だけである。同じ体重レベル(例えば100kg以上)なら、一般人より全然低いはずである。ただやはり糖尿病は怖い病気で、失明や壊疽(えそ)などの合併症をおこして死に至ることも多い。元房錦の先代親方も、死因の元には糖尿病があった。
平成14年1月10日
糖尿病になるというのは、生活習慣に加えて体質的なものも大きいが、すもうとりは体型的にもわかりやすい。医学的根拠があるのかどうかは知らないが、体型でいうとアンコ型で、下半身特に尻が小さい体型はかかりやすいといわれている。若いうちは、それでもまだ大丈夫な場合もあるが、ベテランになってきて尻から脚裏にかけてスジが入ってくると、まず間違いなく糖尿である。これは、かなり高い確率のある見識である。
平成14年1月12日
あす初場所初日。触れ太鼓が割り(取組み表)を持ってきてくれて、明日あさっての取組がわかる。朝乃若は和歌乃山、朝青龍は玉乃島との対戦で初日を迎える。初場所ということで、昨年平成13年度の優秀力士表彰式も中入り後にあり、朝青龍は、日刊スポーツの年間三賞の敢闘賞と、東京新聞の幕内最優秀新人賞を土俵上で受賞することになっている。つい3年前ほど、平成10年11月26日の日記に初登場するが、約3年ですっかり日本相撲協会を代表する看板力士になった。
平成14年1月13日
初場所初日。理由づけて説明できる訳もないが、年間90日間開催される中で、一番大相撲にふさわしいというか、ちょっと他とは違う雰囲気を感じさせてくれる日である。天覧相撲とも重なり、久しぶりの初日の満員御礼である。
朝青龍、今年1年の活躍を期待させてくれるような快心の相撲での初日スタート。
平成14年1月14日
成人の日。若松部屋からは朝赤龍、朝ノ土佐、朝花田の3人が成人式を迎える。お祝いに、おかみさんから雪駄を贈ってもらう。
その3人、朝ノ土佐は昨日初日を飾り、今日、朝花田は敗れてしまったものの、朝赤龍は物言いのつくきわどい一番をものにしての白星スタートであった。
平成14年1月15日
1月場所というよりも初場所といったほうが、お正月らしさが感じられて響きがいいが、昔、年2場所だったころは1月と5月の開催で、春場所と夏場所であった。1月開催を春場所と呼ぶのは、少々むりがあるような気がしていたが、旧暦の名残なのであろう。旧暦だと、確かに1月から3月までが春である。先日の朝日新聞の夕刊にでていたが、ファッション業界は、冬物、春物などの在庫を旧暦に合わせて仕入れるとロスが殆どないそうだが(旧暦は年によって冬、春などの季節がずれてくる)、相撲も旧暦の方が合っている気がする。
というより、四季折々の日本という国自体が旧暦にあっているのであろう。
平成14年1月16日
惜しくも敗れたものの大相撲の醍醐味を充分に味わせてくれた結びの栃東戦。花道で待っている付人にとっても熱戦だったようである。土俵に上がると、水(力水)をつけるが、水をつけるのは前の取組の勝った力士、前の力士が負けた場合は、次の対戦の控え力士がつけるのが作法となっている。ところが、結びの一番は次の力士がいないため、前の二人が負けて水をつける力士がいなくなると、付人が水をつけることになる。東方、旭鷲山が負けて、つづく魁皇もまさかの敗戦で、付人の出番となった。
はじめ朝菊地が用意していたのだが、やはり幕下力士の方がいいと忠告を受け、朝赤龍に急遽お鉢がまわってきた。片肌を脱いでつけるのが作法のため、花道で着物を着たまま、急ぎ中に着ているシャツとステテコを脱ぎ、水つけに走った。その後、取組途中出血による水入りもあり、ふだんタオルを土俵では使わないため、支度部屋までタオルを取りに走りと、大忙しの花道だったそうである。
平成14年1月17日
昨日の栃東戦、朝青龍の張り手を交えた突っ張りに賛否両論の意見をいただいたが、小坂秀二氏の『わが回想の双葉山定次』(読売新聞社)の中に次のような文がある。
(概略)昭和16年春場所、大関前田山の張り手旋風が吹き荒れた。12日目、大関羽黒山を張り手で一方的に破り、羽黒山は「あれは相撲なんてものじゃないよ」と憤慨し、翌日の新聞も筆をそろえて前田山の張り手を非難した。
翌13日目、横綱双葉山との対戦である。まさか双葉山に対しては張るまいとだれしも思った。ところが案に相違して前日よりも激しい張り手である。満員の観衆が息を飲んだのも当然である。結局、張り手をこらえて組みとめたが土俵際でうっちゃられて前田山が勝った。
-前田山の気性の強さはあらゆる非難にも屈せず、双葉山の名にも臆せず、力いっぱいの相撲で勝ったのである。
相撲のあと前日同様相撲記者は双葉山の周囲に詰めかけ、張り手に関する感想を求めた。
これに対して双葉山は、「張り手も相撲の手の一つだよ」と言って、ひとことも 前田山を非難しなかった。
平成14年1月18日
はなしのついでに双葉山についてである。双葉山は右四つの型を完成させたことで有名だが、『わが回想の双葉山定次』に面白い話がでている。当時の出羽ノ海部屋の大関五ツ島が、「一生懸命組んでいると、途中で、どうしたんだろう、いなくなっちゃったんじゃないだろうか思うことがある」という談話を残している。上体の力を抜いて、腰で相撲を取っていたからこその、相手の感覚である。
朝ノ土佐3連勝。同期生朝赤龍にちょっと差をつけられているが、あと3番勝って、早く同じ幕下で相撲をとりたいものである。
平成14年1月19日
"腰で相撲を取る”とはどういうことなのだろう。それについては、高岡英夫氏の研究や書に詳しいが、腰を中心とした動き、全身心のコントロールで相撲を取るということである。この場合の「腰」は、現代日本人が一般的に考えている腰、例えば腰が痛いとか、筋肉でいう腰背筋ではなく、もちろんそこも含むが、もっと広範囲なものである。ここ数年あらゆる競技でその重要性がいわれている腸腰筋(ちょうようきん)や、仙骨、股関節まわり、横隔膜、昔でいう臍下丹田やハラ、などをすべて含んだ腰である。
朝ノ土佐、4連勝で今場所第1号の勝ち越し。
平成14年1月20日
なぜ腰が大事なのだろう。日本語には昔から腰や腹を使った言葉が多い。「腰を入れる」「腰抜け」「腹をくくる」「腹が立つ」・・・数多い用例があり、腰腹部の大切さを認識していたからこその言葉である。そもそも人間の体の重心は、腰腹部にあり、そこから動き出す。そこが動きの中心になるということは、重心をぶらさない事になる。重心がぶれないことは、あらゆる競技や思考にとって最も重要なことである。幕下12枚目の朝赤龍、4連勝の勝ち越し。幕下15枚目以内で全勝すると十両昇進となる。
平成14年1月21日
「腰で相撲を取る」とは、腰(腰腹部)に意識の中心をおいて、重心を腰でとらえて相撲を取るということである。高岡氏は、そういう意識のことを〝身体意識”と名付け、その構造、機能を解明しているが、双葉山の「身体意識の構造(ディレクト・システム)」は、人類史上でもかなり高いレベルの構造をもっているそうである。4連勝だった二人、朝赤龍は物言いのつく相撲で惜敗するも、朝ノ土佐見事に5連勝。
平成14年1月22日
法隆寺五重塔は7世紀後半に建造されたが、1000年以上数々の地震や台風にも倒壊することなく建っている。専門家の研究によると、各層ごとにゆるゆるにずれるようになっており、衝撃を分散して阪神大震災級の地震でも倒れないそうである。高岡英夫『からだには希望がある』(総合法令)にも詳しい解説があるが、それをヒントに高層ビルなどの近代建築の柔構造工法が生まれたそうである。
高岡氏によると、超一流の人間の身体意識にも同様の構造があり、スライサーとよんでいるが、双葉山は7層、すなわち七重塔になっているそうである。つい50年程前、これほどまでに優れた人間が相撲界にいたことを、我々は誇りに思い、もっと深く知らねばならない。
朝乃若、負け越し決定。一ノ矢、今場所3人目の勝ち越し。
平成14年1月23日
朝菊地勝ち越し。序二段23枚目なので三段目昇進は際どいところだが、あと1番勝って新三段目昇進を確実にしたいものである。
二人とも朝青龍の付人である。今のところ、本名に朝を付けただけの四股名だが、そろそろそれらしい四股名をつけたいという話になって、朝花田が関取にあやかり朝朱雀にしたいと言い出した。(土俵の守護神ー青龍、朱雀、白虎、玄武から)。
じゃあ、朝菊地は朝白虎にするかと誰かが言ったが、イメージ的に合わないと反論がでて、どちらかというと菊地は、朝白豚(あさはくとん)だろう、ということで話がおわった。
平成14年1月24日
序ノ口の朝君塚、若い衆では第1号の負け越し決定。700名余の全力士中、軽量力士第7位の朝君塚、入門以来5場所、いまだ勝ち越しの喜びを知らない。しかしながら毎晩地下でトレーニングをコツコツと続けている。体重も月に500gくらいづつは増えてきている。いつか報われる日がくることを待ちたい。
平成14年1月25日
白豚で思いだしたが、おうもうさんには、英語はちょっと苦手というのを超越した強者もいる。最初、ビーフが何の肉かわからなくて、牛肉だと教えた。「じゃあ、豚肉は英語で何という」と聞くと、「それはわかりますよ」と自信満々な返事であった。その新弟子が大声で得意満面に答えた。「豚肉は英語でいうと〝トン” 」・・・・・今はなき新弟子の話である。
3勝3敗で迎えた4人、朝ノ浜と朝迅風は勝ち越すが、朝佐藤と朝花田の宮城県コンビ 惜しくも負け越す。
平成14年1月26日
初場所を前に引退した朝乃翔、準年寄朝乃翔親方として、ちょんまげにスーツ姿で警備係として毎日国技館に勤務している。早い時 は10時前には国技館入りするため、今まで直接見る機会のなかった部屋の若い衆の相撲も見ることになり、朝の稽古場での指導にも熱がはいる。断髪式は、6月8日(土)に国技館にて行なわれる予定である。
あす千秋楽、7人が土俵に上がるが3人勝てば5割を超えることができる。
平成14年1月28日
きのうの千秋楽、若松部屋の打上げとしてのパーティとなって、いつもよりも多数のお客様に参加していただいての賑やかな宴となった。ゲストとして、昨秋から新しく赴任したモンゴル大使や歌手のかずまりこさん、ロスインディオスの棚橋さん、プロレスラー大鷲、他2名と色とりどりの華をそえた。
平成14年1月31日
場所後の休みでのんびり、といきたいところだが、来月の合併を間近にして、なにかと忙しさに追われる毎日である。合併すると、一挙に人数が倍以上になるためその分スペースを空けなければならない。押入れや納戸、4Fの物置と、いらない荷物を片付け、大掃除してと、裏のごみ置き場は山になってしまった。2月11日に全員引越してくる予定になっている。
平成14年2月1日
2年に1度の日本相撲協会役員改選が行なわれ、新しい理事10人と監事3人が決定。親方の再選も決まり、北の湖新理事長のもと新体制がスタートすることになる。選挙権があるのは、評議員(全年寄、力士会から4名、行司会から2名)で、今回の選挙では108票あったようである。
平成14年2月2日
来週早々にも高砂部屋継承となりそうだが、親方は7代目高砂となることになる。名門高砂の歴史は意外と新しく、最高位前頭筆頭の高見山大五郎が明治4年より高砂浦五郎と改名し、その後「高砂騒動」という脱退騒動を起こし、明治11年に年寄として復帰してからの創設だそうである。若松という年寄名は、昭和2年再興後だと現在が4代目若松だが、それ以前、江戸時代までさかのぼると11代目となるそうである。
平成14年2月3日
節分で各地の豆まきに参加。親方は鎌倉長谷寺と茨城下妻大宝八幡宮、朝青龍は成田山、朝乃若は地元愛知県一宮の真清田神社と例年通りのお寺や神社での豆まきを おこなう。永らく意味もわからずに豆まきしていたが、立春の前日を節分というそうで、旧暦でいうと明日からが新年で、いわば節分は大晦日の邪気払いのようなものだそうである。そういう意味で力士は、節分の豆まきにもってこいなのだろう。
平成14年2月4日
本日、日本相撲協会理事会が行なわれ、若松と高砂の年寄名跡の交換が承認され、明日5日付で正式な高砂襲名となる。これにより、昭和4年(1929年)1月場所より続いた若松部屋の名前は、今日を最後に消えることとなる。
大阪から、大阪後援会会長である塩川正十郎財務大臣書の高砂部屋看板も今朝届き、あす看板をつけかえることになる。
平成14年2月5日
今日から新生高砂部屋としてのスタート。もっとも旧高砂部屋が引越してくるのは11日なので、とりあえず看板をつけかえただけだが・・・。電話がかかってきても、つい、「はい若松部屋です」と言ってしまう。しかし、「はい高砂部屋です」と出ても、先方が、かけ間違ってしまったと誤解するのではないかという話もでて、「はい、元若松部屋の高砂部屋です」といおうかとか、「今日から高砂部屋の元若松部屋です」とか、「それじゃあ長すぎるとか」盛り上ってしまった。
慣れるまでにはしばらくかかりそうである。
平成14年2月6日
T一門A部屋のT関。66人いる関取の中でもぶっちぎりの個性派力士である。先日、相撲通で知られる漫画化のやくみつる氏の家に朝乃若と二人招かれて、実家がリンゴ園をやっているT関、お土産にりんごを1箱持っていったそうである。やく家について、「これ実家からのお土産です」と渡そうとしたら、その時はじめてえらく重いのに気付いたらしく、何かおかしいなと思って箱を開けると、中からは米が出てきたらしい。部屋に、よそから送られてきたリンゴ箱入りの米を本物のリンゴと間違えてもっていってしまって、当の本人が「うわぁー」と大声を出してびっくりしたとのことである。朝乃若曰く、「最初積み込むときに気づけよ!」。
常におもろい話題を提供してくれる T関である。
平成14年2月8日
合併へ向けての準備が着々と進みつつある。旧高砂部屋から引っ越してくるのは11日だが、祝日にあたるため力士分の貸し布団が今日納入され、午後からは、元高砂親方の経営していた東十条にある「ちゃんこ富士錦」が閉店したため、使える食器や冷蔵庫を貰いに行ったりと、慌しさが増してきた。明日からのフジTV大相撲トーナメント、団体戦が行なわれるが、高砂部屋は中村・高砂(旧高砂)チームと東関・高砂(旧若松)チームの2チームに分かれて参加する。しかも、共に1回戦勝てば2回戦で対戦する組み合わせである。
平成14年2月9日
大阪場所宿舎、去年までの高砂部屋の宿舎であった中央区中寺2丁目の久成寺 (くじょうじ)を引き続きお借りすることになる。昨年までの若松部屋宿舎近畿大学は、タクシーや電車を乗り継いで4,50分、タクシーで直接行くと4千円以上かかる距離だったが、今年からは体育館まで歩いてもいける距離である。ミナミで飲んで帰るのも楽な、ありがたい環境である。
若松部屋からの荷物の引越しもあるため、いつもより1週間ほど早く、来週木曜日14日には先発隊が乗り込む予定である。
平成14年2月10日
引越しを明日に控えて、両部屋(すでにどっちも高砂部屋だが)の資格者と、マネージャーが一同に会して、6代目から7代目への引き継ぎと、懇親のお食事会を師匠主催で開催。家族も帯同での参加のため、総勢35名ほどの大人数である。あす午前、トラックいっぱいの荷物と共に、全員新生高砂部屋に集結する。
平成14年2月11日
午前10時、親方と裏方(行司、呼び出し、床山、若者頭、世話人)の資格者が師匠への挨拶に部屋に集い、11時過ぎ、トラックいっぱいの荷物と若い衆が到着。師匠に挨拶後、全員揃って初の集合写真撮影。その後、荷物を運びいれ、ここ数週間の大掃除ですっきりしていた部屋がまた荷物で溢れかえる。12時半、荷物を運びおわりひとまず飯。6升の飯と、大鍋2杯のちゃんこが、またたく間にきれいにかたづく。2F50畳の大広間、28名が布団を敷き詰めると、ぎっしり足の踏み場もない状態である。
平成14年2月13日
昨日が全員揃っての稽古始め。夜、みんなの歓迎会と今月いっぱいで辞めることになった佐々木マネージャの送別会をおこなう。
平成14年2月15日
作14日、頭(かしら)と力士10人(一ノ矢、豊雲野、大子錦、朝ノ浜、熊郷、朝花田、福島、熊ノ郷、朝佐藤、朝君塚)が先発隊として大阪入り。宿舎は、昨年までも高砂部屋がお世話になっていた中央区中寺の久成寺(くじょうじ)である。
平成14年2月17日
昨年まで若松部屋で使っていた荷物の引越し。2tトラック3台分の荷物だが、いつもより多い10人の先発隊なので、スムーズに作業も運ぶ。夜は、おかみさんのお父さんの店〝スーパーコノミヤ”にある〝ちゃんこ朝潮”で腹いっぱいごちそうになる。帰りには、夜9時まで開いている食品売り場で、ちゃんこの材料の仕入れ。
平成14年2月18日
宿舎の久成寺は、師匠が相撲界に入門する前から高砂部屋が宿舎にしているお寺で、師匠とも縁(ゆかり)の深い寺である。
まず、入門したのが昭和53年3月場所のこのお寺だし、大関昇進を決めて伝達の使者を迎えたのも昭和58年3月、このお寺である。
更に初優勝を飾ったのも昭和60年3月のことだし、引退を発表したのも平成元年3月、このお寺でのことである。
そして平成14年3月、新生高砂部屋のスタートを再びこのお寺で迎えることになる。
平成14年2月19日
実は、この久成寺には個人的にも深い思い出がある。19年前の昭和58年3月、力士志願で最初に門を叩いたのが、この久成寺の高砂部屋であった。当時の新弟子検査基準の身長に少々足りなかったため、入門を断られてしまったが、当時のままの寺である。
門を叩いたときは緊張感も大きかったせいか、先発で寺に久しぶりに来た時も、こんなかんじだったのかなあと、記憶も定かでなかったが、用があって街に出て、帰りに地下鉄谷町線の谷町九丁目駅を上った所で、19年前の記憶が鮮烈によみがえって来た。
出口を上がった角に不動産屋があり、記憶の19年前の映像と重なってしまって、脳が19年前に戻ってしまった。
平成14年2月22日
宿舎の久成寺は、中央区中寺2丁目、谷町九丁目の交差点付近にある。大阪のど真ん中で、ちょっと坂を下ると日本橋、なんばまでも20分もあれば歩いていける距離である。ミナミで飲んでも、歩いて帰って酔い覚ましにちょうどよい。昔はこの付近に相撲部屋が集中していたそうだが、今は高砂部屋と立浪部屋があるのみである。
平成14年2月24日
全力士大阪入り。新大阪到着後、先発隊と本隊2組の計3組に分かれて、3店舗ある〝ちゃんこ朝潮”で夕食。鴫野店には、先日入門発表のあった昨年のアマ横綱近畿大学出身の三好も合流。それに茨城県出身の15歳の新弟子と、川崎出身の17歳の呼出し見習も加わって、さらに大所帯となる。あす朝番付発表があり、あさってから新生高砂部屋の本格的始動である。
平成14年2月26日
毎年春場所前恒例の学生出身力士を励ます会が、20名の学生出身力士、親方が参加して盛大に行なわれる。高砂部屋からも高砂、朝乃翔の両親方、朝乃若、一ノ矢、朝三好の5名が参加。
平成14年2月28日
宿舎の久成寺の稽古場は少々狭いが、高砂部屋力士だけで約30名おり、そこに安治川部屋と東関部屋からも何人か出稽古に来ているため、稽古場は芋を洗うような賑わいである。白マワシも7人もいて、活気溢れる稽古がくり広げられている。
平成14年3月3日
昨日2日(土)、上六都ホテルにて春場所高砂部屋激励会が盛大に挙行される。大阪後援会会長である塩川正十郎財務大臣の挨拶で華やかに幕を開け、新生高砂部屋一同総勢48名が一人づつ壇上で紹介され、新生高砂部屋の公式行事の第1歩を華々しく踏みだした。恒例の近畿相撲甚句会の甚句や、甲南女子大学チアリーディング部による演技などもあり、賑やかに春場所での躍進を誓った。
平成14年3月4日
実質的な合併スタートから1週間が経過した。お互い一門とはいえ、細かい段取り、一日の流れのリズムにはかなり違いがあり戸惑いもあったが、ようやく全体的にお互いのリズムがつかめ軌道にのってきた。うまいことに、力士構成が旧高砂部屋は兄弟子が多く新弟子が少なく、旧若松部屋は新弟子が多く兄弟子が少ないという感じだったので、合併により兄弟子から新弟子まで、番付も関取から序ノ口まで切れ目なくつづき、安定した構成になって物事がスムーズに進んでいる。
平成14年3月6日
以前の若松部屋の時は、ほぼ力士13名だけのちゃんこだったので、昼に飯を3升も炊けば足りていた。合併して総数約45名となり、米の消費量も数倍にあがった。ここ数日間は、お昼に10升の飯を炊いて、それがほぼなくなってしまうペースである。野菜や肉も10kg単位でまたたくまに消費してしまう。幸い大阪場所は差入れも多く、なんといってもおかみさんのお父さんの店、「スーパーコノミヤ」がバックに控えてくれているので助かっている。
平成14年3月9日
初日を明日に控え府立体育館で土俵祭りが行なわれ、触れ太鼓が浪速の街に響き渡る。去年までの若松部屋のときは、宿舎が東大阪だったので、触れ太鼓が部屋にまわってくるのはお昼過ぎだったが、谷町九丁目になって、体育館から一番近いので土俵祭りを終わったその足でまわって来るため、8時半には部屋にくることになる。
触れ太鼓の呼出しさんたちに、若松部屋のときには差入れのジュースを持たすくらいだったが、さすがに伝統ある高砂部屋、玄関にテーブルを用意して、その上にジュースやフルーツを整然と並べ、帰る呼出しさんたちに振る舞うようになっている。
こういう細かい心遣いは、名門ならではのことである。
平成14年3月10日
春場所初日。新生高砂部屋としても初日である。関取衆は朝乃若が勝っただけというスタートとなったが、幕下以下は好調で全体で10勝6敗とまずまずの滑り出し。合併して活気が出て、部屋のいいムードがそのまま反映したような結果である。
平成14年3月12日
ご当所大阪は泉州堺出身の泉州山、その飾らない人柄と相撲に取り組む真摯な姿勢に、ファンも多い。泉州山応援掲示板もあり、後援会筋も熱心な人がおおい。稽古場にも毎日、関取衆の中では真っ先に下りてきて熱心である。体格的に決して恵まれているとはいえないが、合併を機に関取として定着してもらいたいものである。小さい力士のお手本、目標的存在である。
平成14年3月13日
神戸出身の熊郷と熊ノ郷は兄弟力士である。1歳違いで、兄熊郷(くまごう)が入門丸3年、弟熊ノ郷(くまのさと)が入門丸2年である。
兄は今場所序二段5枚目で2連勝と好調で、初の三段目昇進を狙っている。また弟は、ナナハンライダーの異名を持つ(バイクに乗っているわけではない)、いかにも関西人らしいノリのおもろい兄弟である。
平成14年3月14日
幕下36枚目の輝面龍は、旧高砂部屋力士の中では一番古く17年目を迎えている。もちろん、現師匠が大関だった頃からのおすもうさんで、そもそも入門のきっかけが、平成11年4月13日に他界された、前若松部屋岐阜名古屋後援会会長の金神徹三氏の紹介という縁もある。年のわりにはえびすこがつよいともっぱらのうわさで、相撲も元気よく3連勝である。
平成14年3月16日
東京から遠路珍客が来訪した。東京の部屋のすぐそばに本所電器という電器屋さんがあり、東京では日常的にお世話になっているが、この週末を利用して大阪に遊びにきたらしく、今晩10時に部屋に到着した。ついでといっては何だが、2,3日前から冷蔵庫の調子がおかしかったので、これ幸いとばかりにみてもらい、あす朝、再度修理にあたってくれるとのことである。事情を知らないおすもうさんが、「なんでここにいるんですか」と聞くので、「東京から冷蔵庫の修理に来て貰った」というと目を丸くしていた。
平成14年3月27日
番付編成会議が行なわれる。発表になるのは本場所2週間前の月曜日だが、新大関や新十両はいろいろと準備もあるため即日発表となっている。幕下6枚目で5勝2敗の成績だった朝赤龍、新十両昇進なるかどうかは、十両力士の陥落との兼ね合いで微妙なところであった。編成会議は、通常午前9時頃から行なわれるため、昇進が決まると午前10時前頃、協会から部屋に電話がかかってくることになっている。
10時過ぎても電話がないので、昇進はアゴだったのかといっていたところに、新聞記者が5人ほどきた。「10時半から記者会見を・・・」といっている。上がったのかと、朝赤龍も喜んで玄関に顔を出したが、協会からの電話はまだない。新聞記者にもう一度確認してもらったら、やっぱりだめだったとのこと。一度その気になっただけに朝赤龍もがっかりの表情であった。
平成14年3月31日
昨30日(土)に関取衆と付人(幕内2人、十両1人)は巡業へ出発。残りの力士は全員帰京。久しぶりに東京の部屋に帰ってくると、やっぱり落ち着く。留守中に、部屋の内装をリニューアルしたので部屋の中もきれいになって新鮮である。あすから稽古再開となる。
平成14年4月3日
紹介が遅くなりましたが、呼出しの三平さんが先の春場所を最後に引退した。昭和25年の入門だから50年余りの相撲人生である。本業の呼出しはもちろん、土俵つくりや横綱の飾り物などにも名人芸を見せた職人であった。埼玉県在住の息子さんもよかただが相撲に詳しく、資料研究も深くこのホームページも何かと恩恵にあずかっている。
平成14年4月6日
当事者は、まわりの人みんなが知っているものと思っていても、案外知らない人は全く知らない、ということはよくあることであろう。裏隣の奥さんと久しぶりに顔を合わせた。その奥さんは合併の話を全然知らなかったらしく、知らぬ間に部屋から出てくるおすもうさんが見たことないおすもうさんばっかりだし、看板も変わっているし、「いったいどうなったの」という感じだったそうだが、最近ようやくわかって納得したとのことで、お互い笑ってしまった。
平成14年4月9日
足首の怪我で昨年末から入院していた朝山田が退院してきて、更に5月場所の新弟子検査を受ける新弟子もやってきて、2階の一応50畳ある大広間が布団で埋めつくされている。このうえ、来週になると巡業組がかえってきて、更に6人増える。布団を押入れにしまうのにも一苦労の毎日である。
平成14年4月11日
巡業組、明日は靖国神社奉納相撲のため帰京、久しぶりに全力士が揃う。闘牙関の付人として巡業に出ている幕下の皇牙、小さい体ながら幕下上位で相撲を取っているだけあって腕っぷしには自信がある。朝山田が異常に腕相撲が強いと聞きつけて早速対戦となった。ギャラリーが取り囲む中、2度の仕切りなおしの後、接戦の末皇牙が幕下上位の貫禄を示した。
足首の怪我で前相撲から再スタートの朝山田、この力を相撲にも活かせるといいのだが。
平成14年4月12日
稽古が終わって土俵を掃き清める時間になると、ここのところ連日稽古場から「はああーーあーー」と叫ぶ声が聞こえてくる。声の主は朝花田である。上り座敷でちょんまげを結っている相撲甚句のプロ、床寿さんの指導を受けての相撲甚句の稽古である。
今の所は聞きほれるというより笑いをとる甚句だが、だんだんそれらしくなってきた。床寿さんは、一般の方の甚句会の先生もやっていて、今日はそのお弟子さんも稽古見学に来ていたので、朝花田との競演となり、いつにも増しての賑やかさであった。
平成14年4月16日
野球のトレーニングでは〝インナーマッスル”という言葉が使われて久しいが、最近、陸上他いろんな競技のトレーニングでも深層筋という言葉をよく耳にするようになってきている。野球でのインナーマッスルが肩の内部の筋肉をいうのに対し、陸上などでいう深層筋は、主に腸腰筋(ちょうようきん)、いわば下半身、腰腹部のインナーマッスルのことである。
最近強く思うのは、四股こそは、この深層筋を鍛える最高のトレーニングではないかということである。
平成14年4月17日
15日に土俵を作り直し、今日からが全員揃っての稽古始め。6時から稽古を開始して、8時半より土俵祭り。三役格行司の木村朝之助兄弟子が祭主をつとめ土俵を清める。このときに言上するのを「方屋開口(かたやかいこう)」というそうだが、音といい、内容といい、身を清められる言葉である。少々長くなるが以下引用する。
「天地開け、始まりてより陰陽に分かり、清く明らかなるものは陽にして上にあり、これを勝ちと名づく。重くにごれるものは、陰にして下にあり、これを負けと名づく。勝負の道理は天地自然の理にしてこれをなすものは人なり。清く潔きところに清浄の土を盛り俵をもって形となすは五穀成就の祭りごと成り。ひとつの兆しありて形となり形なりて前後左右を東西南北、これを方という。その中にて勝負を決する家なれば今はじめて片屋と云い名づくなり」
平成14年4月21日
何度もいうようだが、四股は本当に難しく奥が深い。分かりかけたと思っても、またもっと先に広がる世界が見えてきてまたわからなくなってくる。折に触れて昔の(明治~昭和にかけて)ビデオを見るが、四股の踏み方は明らかに変わってきている。明治、大正の頃の横綱土俵入りの映像を見てみると、上げた足の膝が曲がってつま先が下を向いている。けっして高々と足を上げていない。
平成14年4月22日
昭和初期になると、わりと膝を伸ばしぎみになってくる。玉錦、男女ノ川は、まだつま先を下向きかげんだが、双葉山は無頓着という感じでつま先を上げ、足裏も見せている。足も膝を軽く伸ばし気味に、わりと高く上げている。ただ足の下ろし方は一様で、足を下ろすというより、腰を一気に下ろす感じで、足は腰にあとからついていっている。そのため動作は一動作で、現在のように足を下ろしてから腰を深く割るという動作はない。
平成14年4月24日
夏場所新番付発表。先場所好成績だった4関取、朝青龍は東関脇、闘牙は西前頭筆頭で三役昇進を狙う。十両で10勝をあげた朝乃若は幕内復帰、泉州山は7枚目と自己最高位を更新。幕下では、朝赤龍が西の筆頭、朝三好が7枚目で関取への挑戦の場所となる。
平成14年4月25日
再び四股である。はっきりいって昔の四股は見た目にはあまり格好よく見えない。昭和以降、近代の四股の方が脚が高々と一直線に伸びて格好はいい。使う筋肉はどうちがうのであろう。高々と脚が一直線に伸びるような四股はまたそれで難しく中々簡単には踏めないが、それに近い四股を踏もうとすると、上げる方の脚にもかなり力を入れて引張り上げなければならない。膝を伸ばすためには大腿四頭筋(太腿の前側の筋肉)に力を入れなければならない。
平成14年4月26日
一方昔のように、膝を曲げたままつま先を下にむけて踏むと、上げる脚には脱力感がある。脱力感だけでは脚は上がらないから、脚のつけねまわりの筋肉、腸腰筋や股関節など、より体の中心に近い、いうなれば深層筋を働かさなければならない。戦後しばらくまでは、だんだん膝は伸びるようになってきて足も上がるようになってきたが、上げた脚の脱力感という感じは昔と一緒である。
平成14年4月29日
四股について書くにあたって、以前NHKBSでやった「大相撲名力士名勝負の100年」というビデオを繰り返し見ている。四股の変遷がよく見える。前述の足の上げ方も違うが、下ろし方もかなり変わってきている。昔の方が下ろし方に重みがあって、腰を一気に下ろして、脚は腰についていく感じだが、だんだんと足から下ろすようになってきて腰が残り、下ろし方に力強さがなくなってきている。
平成14年4月30日
現代でも四股は相撲の基本として誰もが認識しているが、現代では四股は、脚をを下ろすことよりも、上げるときの方が大事だというのが常識である。自分でも、相撲を始めてアマチュア時代もいれると20余年、ほぼ脚を上げるときのことだけを考え、いろいろ工夫してきた。ところが最近、上げることよりも下ろすときの方が大事なのではないかと思い始めている。このビデオを繰り返し見ることによって、その思いはますます強まっている。
平成14年5月1日
『秘伝』(BABジャパン)という雑誌がある。-武道・武術の秘伝に迫る-と題された月刊誌である。毎号特集を組むが、昨年6月号の特集は「異能の空手家、柳川昌弘の心・技・体」である。柳川氏は、現代日本の空手界というよりは武道界でかなり高名な方である。
その特集で、柳川空手の理として4項目でているが、その理①に「浮き身と沈身」というのがある。かなり難解だが、要約すると、「浮き身は体を吊り上げるように無重力的な状態をつくりだし、逆に沈身は一瞬で飛び降りるように垂直落下することであり、強大なパワーを発揮する技術である」とあり、「相撲の四股や太極拳なども同様の鍛錬技術」とある。
平成14年5月2日
浮き身沈身を四股にあてはめるとどういう四股になるであろう。上げるときは吊り上げなければいけない。脚をである。腰腹で吊り上げる。柳川氏の文だと、「身体の動きを作るのは、足ではなく腰腹の力。(中略)腰腹の力で股関節で両脚を吊り上げ、・・・・」とある。
決して地面を蹴って、大腿四頭筋(太腿の前)で頑張って 持ち上げるのではない。昔のビデオを見ると、まさに支え脚で頑張ることなく、じつに楽に足を吊り上げている。
平成14年5月4日
秘伝誌は多岐にわたる武術界の技や鍛錬法などを理論的に解説、研究しているが、昭和初期の巨人肥田春充の肥田式強健術もよく登場する。その中に次のような文がある。
-肥田式では「踏み込み」「踏みつけ」という型があります。相撲の四股踏みも、気合を入れながら踏みしめますと、腹筋群の中でも深層筋が鍛えられ、身体の中が鍛錬されて、身体の中心に弾力の富んだ鉄を入れていくという意味で同様と考えていいでしょう。
平成14年5月5日
稽古場が賑やかである。部屋の関取衆4人に加え、安治川部屋の安美錦、東関の高見盛、九重から千代天山、中村部屋の須磨ノ富士と白マワシが8人も土俵を囲んでいる。また中村部屋からは幕下力士も2人参加しているので、部屋の幕下力士5人と加え、幕下申し合いも活気溢れている。上り座敷も見学者や取材の報道陣でいっぱいである。明日は、国技館土俵にて横審総見の公開稽古。午前7時半から開場となり、午前10時10分からはNHK総合でも1時間生中継が行なわれるようである。
平成14年5月7日
昔の四股の下ろし方を実際にいろいろ試行錯誤しながら真似てみた。かんたんに真似できそうでいて、微妙な違いを感じていたが、下ろすときに横隔膜を下向きに動かし腹圧を高めると、腰が重力に引張られて自然に落ちる感じで、かなり近い感覚を味わうことができた。横隔膜というと膜のイメージで薄い感じがするが、解剖学の本を見るとかなり厚くて大きい筋肉である。焼肉でいう「ハラミ」、個人的にはカルビよりも好きな肉である。
平成14年5月8日
横隔膜と腸腰筋は連動筋(腰椎で重なり合っていて一緒に動く)なので、横隔膜を下げると腸腰筋も下がり、腸腰筋がついている大腿骨が下がることになる。そのへんの話は、高岡英夫「からだにはココロがある」(総合法令・2002年)に詳しいが、脚を上げ下げするのに、太腿の前の大腿直筋を使うのよりも、腸腰筋を使った方がずっと速いタイミングで力強く使えるということである。
平成14年5月10日
初日が明後日に迫ってきて、稽古も調整段階に入ってきて、稽古途中に協会のトラックが明け荷を取りに来て、と本場所に向けての準備がいろいろと動き出してきた。 明日からは稽古の開始時間も30分遅くなり、触れ太鼓を部屋の稽古場に迎えて、いよいよ初日への気持ちを昂める。
平成14年5月12日
初日。今場所高砂部屋として一番手に土俵に上がった朝君塚、昨年春に入門して1年を過ぎたが、いまだ序ノ口暮らしで、勝ち越しの味を知らない。それでも押し上げといって、やめていく力士と下から新弟子がはいってくる関係で、負け越しながらも番付を少しずつ上げてきた。ところが、さすがに序ノ口も上位になると押し上げが効かなくなってきて、今場所初めて番付を1枚下げた。
なんとか実力で序二段に上がろうと毎晩のトレーニングもかかさない努力家である。
平成14年5月13日
5月夏場所といえば一番過ごしやすい気候で、浴衣がここちよい場所だが、今年は、蒸し暑い日があったと思ったら、今日のように急に肌寒くなったりして、裸でいることの多い力士にとっては体調を整えにくい場所になっている。きのう今日と、五分の成績だが、幕下5人がまだ白星が上がっていないのが気がかりである。
平成14年5月15日
昨日から今場所の前相撲がはじまっている。高砂部屋からも二人が入門、序ノ口開始前の土俵で相撲をとっている。ふたりとも錦戸親方がスカウトしてきた子で、茨城県出身で、これで高砂部屋茨城出身力士は、8人を数える一大勢力である。
平成14年5月16日
茨城県出身には部屋の元水戸泉の錦戸親方はじめ、現役でも大関武双山、雅山と有名力士が多いが、何といっても明治時代「角聖」といわれた第19代横綱常陸山谷右衛門の名が高々とそびえ立っている。また昭和初期双葉山と共に横綱を張った男女ノ川(みなのがわ)は高砂部屋であった。今場所自己最高位の序二段3枚目で三段目昇進に挑戦している男女ノ里(みなのさと)も郷里の大先輩にゆかりの名前であるが、3連敗とあとがなくなってしまった。
平成14年5月18日
8人いる茨城出身力士の中で一番の兄弟子は、今年14年目になる勝田錦である。茨城県の太平洋岸、現在のひたちなか市が以前は勝田市といったそうで、出身地からつけた四股名である。相撲教習所の指導員をやっていて、新弟子教育係りである。そのベテラン力士が今場所4連勝と第1号の勝ち越しを決めている。朝花田、川口も4連勝での勝ち越し決定。
平成14年5月19日
ひたちなかと反対に内陸部の方、福島と栃木の県境にあるのが久慈郡である。久慈郡に大子(だいご)町という町があって久慈乃里と大子錦(だいごにしき)は久慈郡大子町出身である。けっこう兄弟子だが、ユニークなキャラクターで部屋のマスコット的存在の大子錦、本場所の土俵で呼び出しが間違えて「たこにしーき」と呼び上げたことがあるらしく、それ以来「タコ」と呼ばれている。
平成14年5月21日
先場所自己最高位で勝越して、今場所序二段の55枚目まで番付を上げた熊ノ郷、今日10日目で早々と勝ち越しを決める。続く 神山、朝菊地、高稲沢も勝ち越し決定。序ノ口では 朝海老澤が入門以来初白星。決まり手は不戦勝であった。
平成14年5月23日
5連勝で今日まできた序二段の朝花田と三段目の川口。朝花田敗れるも、川口は今日も勝って6連勝。三段目の全勝は3人残っているだけなので、ひょっとしたら明日優勝が決まるかもしれない。三段目福寿丸も自己最高位で勝ち越し決定。
平成14年5月25日
先場所に引き続き好調な高砂部屋である。昨日13日目、三段目で川口が全勝優勝を決め、幕下西筆頭の朝赤龍が5勝目で来場所の十両昇進を確定的にし、十両では泉州山が先場所につづいての勝ち越しを決め、序二段の熊ノ郷は6勝目で初三段目昇進を決め、今日も序二段の朝佐藤と熊郷が勝ち越しを決めた。明日の千秋楽を待たずに全力士の成績5割超が決定した。
平成14年5月27日
合併後、東京では初めてとなった26日の千秋楽打上げパーティ。先場所に引き続きの5割を超える好成績で、朝青龍の3度目の敢闘賞受賞に加え、朝赤龍も来場所の新十両を決める好成績で、大勢のお客様を迎え、賑やかな宴となった。いつもの勝ち越し力士によるカラオケと床寿さんと鹿島相撲甚句会による相撲甚句も披露され盛会に打ち上げた。
打上げ終了後、今場所で引退することとなった川口と久慈乃里の送別会を行なう。
平成14年5月30日
来月6月9日(日)から13日(木)まで徳之島にて高砂部屋合宿を行なうこととなり、呼出し利樹と邦夫と一ノ矢、稽古場の土俵築と下準備で28日から今日まで徳之島訪問。9日からの合宿では、徳之島町井之川の5代目高砂親方の実家にある土俵で1日稽古を行い、2日間は徳之島町亀津の土俵で行なう予定。
平成14年6月5日
今週末土曜日、6月8日に朝乃翔親方の断髪式と結婚式がおこなわれることになっている。午前中に式を挙げ、午後1時から国技館土俵にて断髪式。その後、ホテルニューオータニに場所をかえて披露宴と忙しい一日となりそうである。断髪式の前には高砂部屋三段目以上力士による稽古も行なわれ、最後に朝乃翔親方が、近大後輩の朝三好にぶつかり稽古の胸を出し、10年間の力士生活に別れを告げることになる。
平成14年6月15日
いろいろと行事に追われて10日間もさぼってしまいました。ようやく落ちつきましたので再開いたします。
9日(日)から13日(木)まで行なわれた徳之島合宿。午後3時過ぎに徳之島空港に総勢29名で到着し、出迎えの徳之島町役場公用車、宿泊先のホテルニューにしだのバス2台にて亀津へ向かう。あいにくの悪天候であるが、5代目高砂親方の実家のある井之川で新築の家の上棟式があり餅をまくので寄ってくれということで、雨の中向かう。この雨じゃ無理だなと思いつつ井之川に入ると、うその様に雨が上がり餅ひろいをやり記念撮影。その後ホテルへ向かい、午後6時半より親方は亀津文化会館にて講演。終了後午後8時よりホテル宴会場にて歓迎パーティ。徳之島町長はじめ150名の方々と盛大に飲み会。以下つづく・・・。
明日16日より名古屋場所先発で7名名古屋へ出発。
平成14年6月18日
16日(日)先発隊7人(一ノ矢、高稲沢、神山、男女ノ里、朝ノ浜、熊ノ郷、朝君塚)名古屋の宿舎蟹江龍照院入り。部屋の総勢が去年の約3倍になったため、部屋を増築したり、トイレや風呂を大きくしたりと色々新しくするため、いつもより3日ほど早い乗り込みである。
人数が増えたため、宿舎が変わるのではないかという噂が蟹江町内では流れていたらしく、町を歩くと「今年も来たんですねー」と声をかけられる。
平成14年6月19日
徳之島合宿2日目6月10日(月)は、元横綱朝潮五代目高砂親方の実家で稽古を行なう。徳之島町井之川にある5代目高砂親方の実家は、今では徳之島の観光名所になっているが、親方が存命の頃は毎年夏に高砂部屋夏合宿を張っていた。昭和63年、五代目が他界してからは使うこともなかった土俵が十数年ぶりによみがえり、太平洋を目の前に眺めながらの稽古である。
稽古終了後、五代目の妹さんが徳之島料理「あんばそーみん」と「ソーダむち」をご馳走してくれ、その後公民館でちゃんこを地元の人に振るまい、公民館横にある横綱朝潮の銅像で記念撮影をし、帰路全員で墓参りをして宿舎へ戻る。
平成14年6月20日
10日夕、台風の接近で風雨が強いが、地元有志のご好意により闘牛の稽古を見せてもらうことになった。山の上の稽古場に着いたときには雨も小降りになり、1トンクラスある牛の迫力ある戦いを固唾を飲んで観戦。観戦後、一ノ矢の実家に全員行き宴会。島唄の三味線と太鼓のリズムにのって踊りまくる。
平成14年6月23日
力士全員名古屋乗り込み。総勢が約3倍になったため、昨年までの宿舎に加え、お寺の倉庫を改装して関取用の部屋をつくり、力士以外の資格者用に近所の後援会世話人宅の離れを借りてと、なんとか総勢46名の宿舎確保。風呂やトイレも増築して、狭く少々不便ながらも何とか1ヶ月間を過ごせる体制を整える。あす名古屋場所番付発表。
平成14年6月24日
名古屋場所新番付発表。三段目朝菊地が朝光(あさひかり)と改名。
平成14年6月25日
稽古始め。6時から準備運動をはじめ、途中8時半全員揃ったところで土俵祭り。白マワシが5人もいる稽古場は華やかで、悪天候にもかかわらず見学客も大勢土俵を取り囲んでいる。地元の障害者施設からも団体の見学があり、稽古終了後2力士が施設でちゃんこを作り、記念撮影や腕相撲大会に興じる。
平成14年6月29日
今年は例年にも増してというか、ほとんど3倍増という感じで見学客が稽古場を取り囲んでいる。平日でもその数は半端じゃなかったが、稽古が始まっての初の土曜日を迎えた今日は最高潮で、お寺の周りの道を近所の人も通れないくらいにまでなってしまった。近所の人の生活にまで支障をきたしかねない風で、明日日曜は交通整理や見学の制限までも考えなければいけない状況である。
平成14年6月30日
サッカーのワールドカップがブラジルの優勝で幕を閉じた。どちらかというと、力士にはサッカーはすこし遠い存在で、観るスポーツとしては野球派が圧倒的に多い。実際に経験ある運動としても柔道や野球に比べてかなり少ないはずである。しかしながらワールドカップとなると話は別で、部屋に残っている人間は殆どが観戦して世界一の興奮を味わっていた。
どうでもいい話だが、床若は、いっしょの気になってベッカムヘアになっている。
平成14年7月2日
合併効果ということがしばしば言われているが、一番の合併効果のあった力士は今場所三段目に昇進した熊ノ郷であろう。
合併前、今年初場所の番付は序ノ口であった。勝ち越し続きで、半年後の今場所は三段目である。追い抜かれた力士にも大いに刺激になっている。
平成14年7月3日
昨年のアマチュア横綱朝三好、6人目の関取候補最右翼として誰もが認めるところだが、先場所は2勝5敗と負け越して、今場所巻き返しをかけて連日どろどろになるまでかわいがられている。アンコゆえ、故障もあちらこちらに出てくるが、毎日耐えてがんばっている。
ある学生相撲の先輩が朝三好を評して、わんぱく相撲の子供が体が大きくなっただけのようと言ったが、学生相撲出身らしからぬ雰囲気は、高見盛と双璧であろう。仲間内からいうと、こういう力士には是非強くなってもらいたいものである。
平成14年7月6日
昨5日午後6時半より名古屋城横のキャッスルホテルにて激励会が行なわれ、約350人ほどのお客様が集まり、名古屋場所での高砂部屋の活躍を期して激励。初日を明日に控え稽古終了後、宿舎の龍照院のご本尊重文十一面観音像を開帳していただき、明日からの必勝安全を祈願。夕食は各関取ごとに付人を連れてお食事会。
平成14年7月8日
初日2日目と好調な滑り出しの高砂部屋。特に今日は関取5人が揃って白星で、大関昇進をかける朝青龍も余裕のある取り口で2連勝スタートである。
平成14年7月10日
朝6時半の稽古開始時間、台風6号による風雨が強まり、土俵のまん中近くまで雨が打ち込んでくるので四股を踏みかけたところで稽古を中止して部屋のまわりや蟹江町内に立てた幟をおろしにいく。さすがに今日はお客さんもなく、取組みのある力士も早めに部屋を出て、部屋全体が場所中の雰囲気とはちょっと違った感じにさえなってしまった。
平成14年7月12日
今年3月初土俵の序ノ口朝海老澤。今日は負けてしまったが、前回2番目の相撲で今場所の初白星をあげた。初序ノ口の5月場所は1勝6敗だったが、その時の1勝は不戦勝だったので今回の1勝が実力での初白星である。入門時からすると顔の表情にもかなり明るさが出てきて、元が元だけに成長著しい。師匠の洗濯係としても毎日頑張っている。
平成14年7月14日
幕下31枚目の皇牙(おうが)、福岡県直方市出身で大関魁皇と出身中学校も同じである。部屋では闘牙関の付人頭を務めていて、両関取の名前を一字ずつ貰っての四股名である。残念ながら今日は負けてしまったが、ここまで3勝1敗、6人目の関取目指して朝三好と、しのぎをけずっている。
平成14年7月21日
千秋楽。打上げパーティは例年通りで問題なく準備が進んで開会を待つだけだが、ひょっとして優勝があるかもしれないということで、優勝の万歳をするために体育館支度部屋に後援会幹事に集合してもらい、優勝パレードの道順や交通整理を先発事務所や蟹江警察と打ち合わせ、宿舎の本堂に振舞い酒の樽酒を出し、記念撮影用のタイを後援会から届けてもらいと、初めての体験だけに右往左往の慌しさで結び前の一番を迎えた。近い将来へのいい予行演習になった一日であった。
平成14年7月24日
昨日午後より、千秋楽会場となった尾張温泉の宴会場から金屏風をお借りして、龍照院本堂に赤絨毯を敷き、その上に金屏風を立て、置き花や使者に持たせるお重を手配したりと、伝達式の会場作りに追われる。
本日朝6時、全員起床して3班に分かれてお寺、部屋周りを再度大掃除。午前7時過ぎ、早速記者が何人か来る。こういう時の場所とりは早い物勝ちだそうで、8時過ぎにはすでに満席状態である。午前9時10分、師匠から電話が入り正式に昇進が決まったとの報。
理事会に出席していた 師匠は、すぐさま宿舎に戻り黒紋付に着替えて、おかみさん、朝青龍と共に使者を待つ。9時半前、体育館を使者が出たとの電話が入り、9時50分頃高速の出口に待機していた力士から「いま高速を下りました」との連絡で、境内に錦戸、朝乃翔両親方が使者である佐渡ヶ嶽理事、中村審判委員を出迎え、朝青龍大関昇進伝達式が行なわれた。
平成14年7月25日
伝達式から一夜明けた朝青龍。すっかり時の人で、今朝は宿舎の龍照院からNHKの「おはよう日本」生中継、夕方東京に戻りTV朝日の「ニュースステーション」生出演と大忙しである。大関になると日本相撲協会の顔という存在になり、協会の公式行事にも必ず参加することになる。国技館地下の駐車場に車を乗り入れられるのも協会理事と横綱大関だけである。
この後、8月3日から故郷モンゴルに凱旋帰国の予定である。
平成14年7月28日
朝7時より部屋の畳を上げ、自転車や下駄箱など部屋の中にしまい、まわりを再度大掃除。お昼前、名古屋駅へ向け出発することになり着替え出すと、新弟子が一人、帯がなくなったとさわぎだした。大掃除したときに捨てられてしまったらしく、誰も予備の帯をもたず、時間も迫ってきたため、急遽ふんどしを作った残りのさらしを巻かせ代用とする。12時半に名古屋駅に全力士集合して13時23分発ひかりにて帰京。さらしの帯は、幸い誰にも気付かれずに部屋まで帰りついた。
平成14年7月29日
稽古始め。軽めに一汗流して早めにあがる。明日からは夏合宿に出発。あす30日から8月2日までは茨城県下妻市・大宝八幡宮にて、8月3日から12日までは青森県五所川原市毘沙門・江良産業(株)にて。一旦東京に戻り、8月22日から24日まで神奈川県平塚市・総合運動公園にて行なわれる予定である。
平成14年7月30日
午後2時に大宝八幡宮からの迎えのバスで茨城下妻合宿へ出発。親方が毎年2月に豆まきをやっていた縁で昨年初めて合宿を行い、今年は2回目となる。昨年は仮設の土俵であったが、今年6月境内の中の大木に囲まれた場所に本格的な土俵を造成し、受け入れ状態も万全である。夕方6時、近くの結婚式場で下妻市長も参加して歓迎パーティー。
平成14年8月2日
大宝八幡宮での稽古は午前7時より開始。土俵のまわりの見学席はあっというまに満席となり、午前7時に合図の花火がド-ンとあがる。お宮のすぐ横で上げているため、その爆音にまだ寝ている関取衆も飛び起きるらしい。稽古、ちゃんこ終了後片づけして午後2時、関係者やお宮の幼稚園の園児に見送られてバスにて帰京。雷雨の激しい中、部屋へ到着し荷物をおろす。
明日からは青森五所川原合宿へ出発である。
平成14年8月3日
青森五所川原へ出発。午前7時起床で掃除して、10時半発の上野からの新幹線に乗るべく余裕をもって9時半に部屋を出て、改札でそれぞれに切符を渡し、とまでは順調だったが朝君塚が来ない。聞くと一旦駅まで来たが関取の荷物を忘れたらしくまた部屋に取りに帰ったとのことである。大子錦と二人で待っていたが10時20分になっても来ないので荷物の多い大子錦を先に行かせるが、改札で引っかかってしまって中になかなか入れない。電話で地下の乗り場から男女ノ里と熊ノ郷に上がってきてもらったところへ朝君塚到着。何を思ったか改札と逆のみどりの窓口へ走り出した朝君塚を大声で呼び戻し、4人で下りエスカレータを駆け下りる。アンコの大子錦、遅れる。発車のベルが高鳴る中3人乗り込むが大子錦がまだである。駅員さんに頼み込み待ってもらう。ゼーゼーと160kgの巨体を揺らし ながら大子錦がようやく到着。やまびこ75号が盛岡へ向けて出発した。
平成14年8月6日
4日、5日と青森市のねぶた祭りに参加。青森後援会の(株)藤本建設提供の出世大太鼓を曳く。昨年までは大太鼓をジープで牽引して、その上に乗っているだけだったが、今年から牽引がだめになって人力で引張ることになったため、曳き手の中に力士も十数人加わり大太鼓を曳く。約3時間かかっての市内一周はけっこうな重労働である。
平成14年8月8日
五所川原の立ねぷたに参加。高さ20数メートルの迫力ある立ねぷたが3台が五所川原市内を練り歩き、最後の1台の先導として力士も参加。お祭り男朝君塚、先導の力士の列とは離れて婦人会の踊りの列で最初から最後まで下駄履きでで踊りっぱなしだったが、ねじりハチマキでちょんまげもあまり目立たなくなり、体も一般人とさほど大差がないため婦人会の列の中に溶け込んでしまって、おすもうさんだとはあまり気付いてもらえなかったようである。
平成14年8月9日
宿舎のある五所川原市毘沙門は津軽平野のまん中にあるが、天気がいいと津軽富士と称せられる岩木山も遠望できる。関取の四股名にもなっているこの山は、姿見の美しい山である。今日は、お世話になっている江良社長の在所の稲垣村で稽古とちゃんこをやってきたが、行く途中岩木川を渡る橋上から見える岩木川越しの岩木山は、壮大な風景画のようでさえある。
平成14年8月10日
今回の青森合宿には床若も同行しているが、床若のお父さん(柳家小三太師匠)の双子の兄が弘前でステーキハウスを経営している。さすがに双子だけあって容姿、仕草なども本当によく似ていて、昨年事情を知らずに部屋に尋ねてきたときに、親方も「師匠、こっちには仕事できたの」と間違えてしまったほどである。先日、師匠とは古い付き合いの床寿さんに連れられ、関取衆共々たらふくおいしいステーキをごちそうになってきた。
平成14年8月12日
11日で青森合宿の稽古を打上げ。午前7時にお世話になった江良産業をあとにしてバスにて盛岡へ向かう。11時4分発の新幹線で帰京。東京も今日はいつもより全然涼しいらしいが、きのう今日と寒いくらいだった青森から帰ってくるとさすがに暑い。
明日からまた東京の暑い部屋で稽古再開である。
平成14年8月17日
スピードスケートに今井裕介という選手がいる。1000mと1500mが専門の選手で長野、ソルトレークと連続でオリンピックに出場している。ある席で知り合い、相撲の四股に興味をもったので6月の徳之島合宿に同行してもらい、実際にまわしを締めて稽古に参加した。そろそろ10月からのシーズンに向けて追い込む時期らしいが、四股300回は今でも日課にしているそうである。
平成14年8月18日
今井裕介選手は長野県佐久市の出身で24才である。1500mの日本記録保持者で昨シーズンは世界ランク2位である。昨年まで実業団のスケート部に所属していたが、今年初めに会社のスケート部が休部になり、現在はフリーで4年後のトリノオリンピックを目指している。世界で闘っている選手だけに運動能力は高く、四股も飲み込みが早く、いい四股を踏む。筋肉も柔らかく上質である。ただやっぱり、スリ足をさせるとスケートになってしまう。
平成14年8月19日
スケートはもちろん、走る、歩くなどの動作で、前に出る手と足は逆なのが普通である(右手前だと左足前というふうに)。極度に緊張した時右手と右足が一緒にでてしまい、おかしな動きとしてお笑いになってしまう。ところが、相撲のスリ足だと普通の動作とは逆に、前に出る手と足が同じである (右手を出す時に右足を出す)。柱を突く鉄砲も同様である。
平成14年8月20日
前に出る手と足が逆なのは人間の本能的な自然な動きだと思っていたが、そうではないらしい。江戸時代までの日本人は、歩く時に手を振らないか、もしくは同じ側の手と足を出していたそうである。その歩きを“ナンバ”というそうだが、ナンバ歩きの方が人間の体にとって合理的で、エネルギーロスが少なく、江戸人が一日に30、40km楽に歩いたり、驚異的な飛脚の走りを可能にしていたそうである。
平成14年8月24日
23日、24日と行われた平塚市運動公園内土俵での合宿稽古を終え、バスにて熱海へと向かう。午後3時過ぎ熱海サンビーチへ到着。昨年に引き続きビーチに集まった子供達とすもう大会や綱引きに興じる。終了後、参加の子供達にちゃんこを振る舞う。会場の横で、若者男女数人がビーチバレーを楽しんでいる所へ新大関朝青龍も飛び入り参加。
夜、ホテルで熱海市主催の歓迎パーティを開いてもらい、再びバスにて帰京。
平成14年8月28日
秋場所の新番付を手にとって見ると、大関朝青龍の名前が輝かしいが、部屋関係でもう一つ画期的なことがある。番付表は、東と西に力士を分けているが、まん中には行司、若者頭、世話人、呼出しの名前が載っている。行司、若者頭、世話人は在籍する全員の名前が載っているが、呼出しだけは資格者である十両格以上の名前しか書いてない。今場所から十両格に昇進した呼出し邦夫、入門11年目にして初めて番付表に名前がのった、記念すべき番付表である。
平成14年8月29日
毎場所前に行われる新弟子検査が行われ、高砂部屋からも錦戸親方の内弟子が3人受験、2人合格。9月場所から前相撲をおこなう。
平成14年8月30日
呼出しや行司など裏方さんの昇進について質問をいただきました。行司、呼出し、床山の昇進は、基本的には年功序列です。
基本的に年功序列で上が空かないと上がらないため、昇進年にはその時々でかなり差ができ、今回の邦夫の入門11年目での十両格昇進は異例の早さだそうです。邦夫より入門が1年早い行司の勝次郎は現在幕下格で、十両格昇進まではまだまだ長い時間がかかるようです。
平成14年9月1日
ここ2,3日は友綱部屋での合同稽古が行われていたが、今日は高砂部屋に場所を変えての合同稽古。大関魁皇、新小結高見盛、新入幕潮丸、片男波から玉春日と玉乃島、玉力道、今場所は幕下に落ちている戦闘竜と八角部屋の北勝岩等が出稽古に来て、高砂部屋5関取を加え豪華な稽古場となる。取り囲む上がり座敷も、部屋の親方衆と曙親方の他、TVカメラ2台、新聞記者、お客さんと取り囲み、熱気ムンムンである。明日は、横審の総見稽古が国技館内教習所土俵で行われる。
平成14年9月5日
初日が3日後に迫り、本場所へ向けての用意がいろいろと進んでくる。関取衆は、本場所で締める締め込み(まわし)を体に慣らすため締め込みをしめて準備運動を繰り返す。新しい締め込みは動くたびにキュッキュッと音がする。稽古もやまを越え、すこしづつ調整段階にはいっていく。付人は、本場所で使う明け荷の荷造りをして、まだまだ静かにではあるが、初日の昂まりが漂ってきている。
平成14年9月6日
相撲部屋だから当然といえば当然だが、部屋には相撲雑誌がころがっている。その中にはひと昔まえの雑誌もあり、眺めていると面白いものに出くわすことがある。ベースボールマガジン社の「相撲」1988年11月号、千代の富士全盛の頃で、現高砂親方の朝潮も大関バリバリの頃の本である。本のうしろの方に、似顔絵コーナーがあり、その月の入選作品が載っているが、その中に大関朝潮の似顔絵があり、見事入選している。寸評は、膨らんだほっぺがユーモラスですね。とあり、特徴をよくとらえた傑作である。
書いたのは14歳の少年で、山形県 酒田市・土田利樹とある。現高砂部屋呼び出し利樹のことである。
平成14年9月7日
新大関朝青龍が明徳義塾高校に入学してすぐの頃、平成9年に板橋区とモンゴルの国際交流として、お父さんと男兄弟4人のドルゴルスレン一家でモンゴル相撲の紹介に板橋区に招かれたことがあったそうである。当時17歳だったドルジ少年は体重も70kg台で、板橋区の小学校を訪問して相撲をとったりしたようで、板橋区長はじめ、当時相撲を取った小学生も一緒に大関昇進祝いに部屋を訪れた。
当時家族5人で撮った写真ももってきてくれたが、約5年ほど前の姿なのに、現在の半分近くしかない体つきには改めて大関の成長の速さに驚かされる。
平成14年9月8日
横綱貴乃花の久しぶりの出場で盛り上がった初日。当日券売場に列ができるのを久しぶりに見た。普段はあまり相撲の話をしたがらない力士内でも、「もうだめだろう」とか「あの精神力は想像をこえるものがある」とかいろいろと話題になっている。初日を白星で飾った横綱貴乃花、明日は旭天鵬戦だが、前頭2枚目の闘牙も3日目か4日目あたりに対戦する可能性は高い。何回か対戦があるそうだが、まだ一度も勝ったことがないのでと、静かに闘志を燃やしている。
平成14年9月9日
確率論的にいうと、星取り表には白黒が不規則に並ぶのが自然だが、あながちそうでもないのが人間的というか面白いところである。2日間を終わって19勝14敗の高砂部屋。序二段力士が9人、三段目が7人いるが、序二段が9人全員白星で、三段目は7人全員黒星という成績になってしまった。あすからはどんな展開になるであろう。初日の相撲で左肘を痛めてしまった朝赤龍、今日はグルジア出身の巨漢力士黒海を見事な相撲でぶん投げる。少々追い込まれた方が力を発揮するようである。
平成14年9月10日
今日3日目から前相撲開始。今場所の新弟子検査に合格した6人が初土俵を踏む。部屋からも尾崎と加賀錦の二人が力士としてのスタートを切る。来るものあれば去るものありで、今場所前、朝ノ浜、福島、朝拓也の引退届が協会に受理された。
平成14年9月12日
合併してから連続の勝ち越しで、十両2枚目と幕内を狙える位置まで上がってきた泉州山。先場所辺りから幕内で何番か相撲を取ってきたが、幕内の壁にはね返されてきた。今場所初の幕内での取組みとなった今日、実力者の和歌乃山との対戦。真っ向勝負から見事な相撲で勝って初の幕内での白星。この勢いでいけば、来場所の新入幕は濃厚である。
平成14年9月14日
以前、相撲診療所の林盈六先生が著書の中で、診療所に来る力士にも部屋により個性があり、高砂部屋は明るく、体や声が大きいと書いていたような記憶があるが、いま一番その伝統を受け継いで高砂部屋らしいおすもうさんは、闘牙関を別格とすると神山であろう。
実家が八百屋をやっているせいでもなかろうが、なにせ声がでかい。今の姿からは想像し難いが、小さい頃は美少年で周囲からジャニーズ事務所入りを薦められていたそうである。その地力からすれば、この位置では当然といえば当然だが、今日勝って3勝1敗と 勝ち越し王手である。
平成14年9月15日
幕下皇牙(おうが)今場所第1号の勝ち越し。今年初場所、自己最高位の幕下9枚目で3勝4敗と負け越してから、4場所連続の負け越し続きだっただけに喜びもひとしおであろう。本所界隈は牛嶋神社の5年に1度の大祭中だが、部屋を出るとき神輿が通りかかり、町内会の盛大な拍手に見送られての場所入りとなった大関、中日全勝での勝ち越しをすんなり決める。
平成14年9月16日
序二段の神山、朝花田、東海林、三段目で朝迅風が勝ち越しを決める。逆に 序ノ口の朝君塚、三段目の朝ノ土佐、高稲沢が負け越し決定。これで勝ち越し6人、負け越し5人。前半戦快調だった勝率も5割ちょうどまで落ちてきてしまった。
平成14年9月17日
1敗同士の対戦で千代大海を破った朝青龍、快心の相撲に部屋に帰ってきても気合充分である。先日“ナンバ歩き”について書いたが、大関が、土俵上戦闘モードに入って塩を取りに行く時、マワシをたたきながら歩く動きは“ナンバ歩き”になっている。
はっきり確かめたわけではないが、以前はそうでもなかったのが、先場所あたりからそういう動きが強調されてきたように感じている。
平成14年9月19日
少し長い相撲になったが見事勝ち越しを決めた朝赤龍。午後4時過ぎ、用があって国技館に向かうと、南門の前で朝赤龍がファンに囲まれてサインをしている。TVで勝ち越した相撲を見たばかりなので、嬉しくてサインが終わったところへ「おめでとう」と握手をすると、一般客にいきなり手を握られたと思った朝赤龍、一瞬驚いた表情だったが、一ノ矢だとわかりお互い大笑いであった。
序ノ口の梅ノ川初の勝ち越し決めるも、負け越し力士も多く勝率5割を割ってしまう。
平成14年9月20日
三段目の塙ノ里、3勝1敗と好調だった前半戦を終え、8日目の朝の稽古で肩を脱臼してしまった。日曜日で病院も開いてなく、マネージャーに相撲診療所に連れて行ってもらってようやく関節を入れることができたが、右腕を吊った状態で稽古もできず、後半戦2連敗で3勝3敗となって迎えた今日の取組みであった。相手もこの位置ではかなりの実力者であったが、立合い思い切りのいい蹴たぐりで見事勝ち越し。中学生時代、茨城県下ではトップレベルの柔道選手だったそうで、勝負度胸といいその格闘センスにはなかなかのものがある。
平成14年9月21日
長野県は飯田出身の東海林、今場所限りで引退することとなり、今日が最後の一番となった。体格的には恵まれなかったものの、キビキビとした相撲で三段目上位まで上り、泉州山関の付人頭として信頼も厚かった。あすの千秋楽打上げパーティにて断髪式を行い、9年半のちょんまげ生活に別れを告げる。泉州山、9勝目を上げ、来場所の新入幕へまた一歩近づいた。
平成14年9月23日
昨日の千秋楽打上げパーティ。合併後初めて5割をきる成績に終わってしまったものの、関取衆の活躍で今場所も賑やかな打上げ式となる。式の途中、今場所で引退することとなった東海林の引退断髪式が行なわれた。打上げ式後の2次会で送別会をおこない、ほぼ半分が討ち死に。
平成14年9月24日
場所休み。きのうから稽古は休みである。ただ、来週10月4日(金)に朝青龍大関昇進披露パーティが行なわれるため、裏方や一門の行司さんが集まってパーティの進行や受付などの打ち合わせ。大関披露は、協会から理事長はじめ横綱大関も全員出席するので、粗相のないよういろいろと気を使うところである。
平成14年9月26日
勝ち越し力士が何人か帰省して(勝ち越さないと帰れない)、残っている力士も朝9時の掃除を終えるとそれぞれ遊びにでかけ、部屋の中もガランとしている。幕下以下力士の奨励金が協会から支給され配られる。通称勝星金と呼ばれるもので、各段毎に勝星1つにつきいくら、勝越し1つにつきいくらと決まっている。序ノ口・序二段は勝星1つ1500円、 勝越し1つ3500円である。
序ノ口全敗の朝海老澤は0円だが、同じく序ノ口5勝2敗の梅の川は1500円×5=7500円+3500円×3=10500円で 18000円と差がつく。三段目は勝星金2000円、勝越し金4500円、幕下は勝星金2500円、勝越し金6000円になっている。
平成14年9月27日
相撲界では一般的に三段目に上がると初めて、それまでの下駄に代えて雪駄を履くことができる。ただ、高砂部屋では一度上がっただけではダメで、三段目で勝ち越すか、負け越しても二場所目になると履いてもいいことになっている。今場所初三段目だった96枚目の男女ノ里と77枚目の大子錦、同じ3勝4敗だが、三段目陥落確実な男女ノ里に対し、大子錦はうまくいけば三段目にとどまる事ができて来場所から雪駄を履くことができる。10月28日の番付発表が楽しみである。
平成14年9月29日
歩くのが好きで、両国近辺は細い路地まで歩き回っているが、国技館と江戸博物館の間の道を今場所初めて知った。国技館からの帰りは大概歩いて帰るが、いつも力士通用口である南門をでると右に曲がって正面玄関の前を通り、国技館沿いに帰るか、安田庭園の中を横切って帰るかであった。ところが南門をでて左、両国駅方面へ向かい、駅を右手にみつつ江戸博物館の入り口へ向かうと博物館と国技館の間がきれいな舗道になっている。車の心配もなく、その道が博物館と両国中学の間の舗道にまでつながっているのでじつに気持ちよく清澄通りまで出てしまう。
平成14年9月30日
清澄通りに出ると、大江戸線の乗場があり、右に総武線のガードがあり、左は日大一高と第一ホテルが建っているが、まっすぐ錦糸町までつきあたっている道がある。昔「やっちゃば通り」といっていた気がするが、道がきれいになってから北斎通りと名を変えている。雑誌によると、1999年にアメリカの『ライフ』誌が行なった「この1000年の中で最も重要な業績を残した100人」の中に日本人でただ一人選ばれたという江戸の浮世絵師『葛飾北斎』は本所割下水の生まれである。
平成14年10月1日
窪寺紘一『日本相撲大鑑』(新人物往来社)によると、浮世絵で相撲が題材として取り上げられるようになったのは、天明・寛政のころからで(1700年代後半)谷風や雷電が活躍した江戸勧進相撲全盛の頃、勝川派の勝川春章、その弟子の春好や春英といった絵師が相撲錦絵を盛んに描いたそうである。北斎も最初春章の弟子で、名を「春朗」といい、そのころ鬼面山と出羽海の取組図を描いているそうだがまだお目にかかれてない。
平成14年10月3日
有名な北斎の『富嶽三十六景』には、本所深川もいくつかでてくる。「本所立川」ー現在は竪川、地名には立川もある。「深川万年橋下」ー小名木川に架かるいちばん隅田川寄りの橋。「五百らかん寺さざえどう」-本所五の橋にあったそうで現在は目黒区に移転とあるから羅漢寺のことであろう。「御厩川岸より両国橋夕陽見」ー春日通りに架かる厩橋付近であろう。「隅田川関屋の里」ー隅田川上流、足立区に関屋という地名が残っている。江戸時代は本所からも富士山がきれいに見えたようである。
平成14年10月4日
朝青龍大関昇進披露パーティがホテルニューオータニにて、理事長はじめ親方衆、横綱大関と一門関取衆、横審等、日本相撲協会関係者一同、全国の高砂部屋後援会、モンゴル大使館関係、報道陣と約900名近くのお客様が集まり盛大に開催。
大阪高砂部屋後援会会長である塩川財務大臣の挨拶で幕を開け、横綱大関と後援会理事による豪華な鏡割りにて乾杯。モンゴルから両親もかけつけ朝青龍の大関昇進を大いに祝った。
平成14年10月6日
今日から秋巡業がはじまる。今回はちょっと変則巡業で、今日名古屋でやって一旦帰京して、12日(土)から再び木更津・草加と近場で部屋からの通いの巡業をやって、16日から北陸、大阪、岐阜と回って、22日(火)夜に一旦福岡に入り、最後、広島、山口県萩とやって27日(日)福岡に乗り込むことになっている。朝三好と朝君塚が初巡業。
平成14年10月8日
足首の怪我で田舎に帰って治療に専念していた朝山田が、怪我の具合もだいぶ回復してきて約4ヶ月ぶりに部屋に戻ってきた。
序ノ口で全休すると 番付から名前が消えるため、来場所九州より、また前相撲からのスタートとなる。同期生である朝君塚と朝山田、共に未だ勝ち越したことがなく、どちらが先に勝ち越すか競争であるが、番付に名前が載っている分、朝君塚一歩リードである。
平成14年10月10日
日本武道館が出している『月刊 武道』という雑誌がある。その2001年12月号に双葉山の書が出ている。「武道人の書」という題で、毎号掲載しているようでその36となっている。書いているのは寺山旦中という書家である。双葉山が彫塑家・朝倉文夫に宛てた手紙をとりあげて次のように評している。-封筒の楷書も、巻紙の行書も、線澄徹(ちょうてつ)し、造形また非凡にして、実に見事だ。(中略)楷書は殆ど一画一画、一字一字切れているが、気合は一貫しどこにもスキはない。・・行草書は、連綿が多いが、決して上すべりでなく伸び伸びとしてよく引き締まっている。・・まるで相撲の評のようである。
平成14年10月12日
8月17日、18日の日記で紹介したスピードスケートの今井裕介選手。2006年のトリノオリンピック目指してシーズンに入り、現在カルガリーで合宿中だが、今年初めの所属企業のスケート部廃止で、フリ-での4年後を目指しており、その活動費の為のスポンサー捜しも行なっている。
もちろん高砂部屋力士一同も協賛しています。
平成14年10月13日
物には色んな見方があって当然だし表現の自由もあるから、他人が何を書こうがとやかく言う気もないが、それが、浅学で相撲の本質を語られるとなると黙ってはおれない。店頭に並ぶ高名なスポーツ雑誌に、今場所の貴乃花の復活を取り上げた記事があったので読んでみた。それ自体は今の時期の当然の企画である。その中に相撲の歴史を語る行がある。「現在の大相撲の基礎を確立したのは江戸時代寛政年間の勧進相撲である。(中略)力士のほとんどは金銭欲にかられた地方の若者がスカウトされてきたにすぎない。勢い装飾も華美に走る。現代に継承される大相撲のケン麗な様式美は、精神性の低さをおぎなうための虚飾であるといっても過言ではない。」
とんでもない無知である。スポーツを題材にしているこの雑誌の見識をさえも疑ってしまう。
平成14年10月14日
土俵上で華美な装飾で身を飾れるのは関取に上がったもののみの特権である。幕下以下は、ふんどし担ぎとか取的とか称されるように、稽古まわしに、ぴらぴらの下がりをつけて上がるだけである。その中で勝ち上がったものだけが化粧回しや大銀杏や繻子(しゅす)の締め込みで身を飾ることができる。また、大相撲は元々歌舞伎や能と同じ芸能文化の一面も大いにあるから、周りの舞台装置もとことんこだわった様式美を追求してきたのである。決して虚飾などではない。
平成14年10月15日
くだんの文は、横綱論として戦中の大横綱双葉山を引き合いに出して、皇国日本の象徴であり、軍神であり、天皇を絶対神として、国家という幻を背負わざるをえなかった、として双葉山を語っているが、とんでもない見当違いである。確かに時勢柄、まわりがそういう目で双葉山を見ていたことは確かにあるだろうが、双葉山本人にとっては、そんなことは次元の違うことであった。双葉山の立ち姿を見たことがあるのであろうか。その表情、その姿は、オリンピック選手に時折見受けられる国家を背負うなどという小さな意識は微塵もない。
あくまでも澄み切った、いうなれば宇宙の真理に迫ろうとする姿である。
平成14年10月18日
ちょっと待ってくれと言いたい箇所はまだまだたくさんあるが、璽光尊(じこうそん)事件についてもそうである。璽光尊事件というのは、終戦直後昭和21年1月の事だそうだが、旧知の囲碁の天才呉清源から璽宇教という新興宗教に誘われて、確かめるべく身をもって体験するつもりで本部のある金沢に出向いたところ、警察の取り締まりに遭い、双葉山も逮捕されてしまったという事件である。この件に関しては、ベースボールマガジン社が復刻した双葉山著『相撲求道録』(初版昭和31年黎明書房)に詳しいが、心の均衡を失い、どうにもならない心ですがった挙げ句のできごとではない。
平成14年10月22日
20日(日)に先発隊7人福岡入り。空港にはやっさんの奥さんと息子のけんとが迎えに来てくれて、今年の宿舎となる二日市へと入る。小学校4年生になったけんと、去年まではちっとも大きくならなかったが、今年はえらい成長ぶりで、若干あんこ気味の体型になっている。赤ん坊のころから相撲部屋に出入りしているので、大きな力士にも全く抵抗なく、今年初めて会う190kgの福寿丸に30分もしないうちに、まとわりついている。ちょっと大きくなったとはいえ、福寿丸と比べると大木にとまるセミのようなものである。
平成14年10月23日
稽古場の土俵を実際につくり直すのは呼出しさんの仕事だが、その下準備として1年間ほったらかしで、カチカチになった土俵を掘り返すのは先発隊である力士の仕事である。ここ二日市の宿舎が建っている土地は以前田んぼだったため湿気があり、土も粘土質が強く、つるはしやスコップで細かくするのは毎年至難の業であった。今年は、ようやくやっさんの奥さんの実家から小型耕運機という文明の利器が入り、いつもの10倍の早さで10倍細かくすることができた。耕運機の扱いに関しては、大子一高農業科出身の大子錦の独断場であった。
平成14年10月26日
一昨日24日部屋の周りに16本の幟を立て、昨日稽古場土俵が完成して、今日明日で月曜日の番付発表の時に一緒に発送する高砂部屋新聞や12月のパーティの案内状を折って封筒に入れ、と先発隊の仕事も一通りは先が見えてきた。明日の朝、再度大掃除をして夕方の全力士乗り込みに備える。少々夜更かしできるのも今夜が最後である。
平成14年10月27日
山口県萩からの巡業組、東京からの残り番の相撲列車と博多入り。宿舎は去年までの若松部屋宿舎のプレハブ棟。20人も寝ればいっぱいになってしまうため、三段目上位以上7人はやっさん宅隣の一軒家、関取衆や裏方資格者は部屋近くのマンスリーマンションを借りての生活となる。あす28日が番付発表。
平成14年10月30日
あくまでも一般論ですが、博多はおすもうさんにとって合口がいいようで、ついつい飲みすぎてしまうようです。
平成14年11月1日
来年度の大相撲カレンダーの配送があり、2tトラックで3台分のカレンダーが運び込まれる。去年の若松部屋のときは総計で8000枚ほどであったが、合併して約3倍の25000枚の大相撲カレンダーが配達になる。ただでさえ狭い現在の宿舎にはとても入りきれないので、部屋の前のアパートの駐車場4台分を借りてカレンダーをトラックから降ろし、その駐車場に宅急便屋さんに来てもらい約3分の2を発送。こういう大仕事の段取りは、今までの若松部屋になかった名門部屋の流れである。
平成14年11月3日
両国国技館で行なわれている今年の全日本学生相撲選手権大会。一ノ矢の母校琉球大学相撲部( 物語その2)も参加。一番下のDクラスから参加して初戦大阪歯科大を4対1で破り、準々決勝関大に3対2で勝ち、決勝東京医科大に2対3で敗れ準優勝。Cクラスに上がって1回戦筑波大を4対1、2回戦名古屋大に3対2、続く準々決勝高野山大に3対2、準決勝東海学園大に2対3で惜しくも敗れるもののCクラス3位でBクラス進出を決める。本日行なわれたBクラス1回戦では防衛大学に5対0と敗れたものの、Bクラス進出は琉球大学相撲部史上初の大快挙である。
平成14年11月4日
昨日の宴席で、祖母が双葉山とイトコという方と同席する機を得た。その方の祖母の話によると、子供の頃からかなり成績優秀だったそうで、たとえ相撲でない道に進んでいたとしても、何かを成したであろうと常々聞かされたそうである。
大分県宇佐市の生まれの双葉山は、当然というべきか九州には縁の地も多く、戦時中は現在の宿舎から近い大宰府に相撲道場を構えていた。生家は現在、「双葉の里」という記念館として復元されているそうである。
平成14年11月5日
双葉山と対戦した力士の感想を聞くと、押し込んだと思っても全く動いていなかったとか、気がついたら転がされていたとか、四つに組んでいると一瞬いなくなったんではないかと思ったとか、相手が理解不可能な感覚を味わっていたことがわかる。
ところがビデオを見てみると、いとも簡単にというか、双葉山本人は全く頑張っている風はなく、涼しげな表情で取りきっている。相手力士とは全く次元が違っていたことが想像できる。
平成14年11月6日
次元の違いということについてである。次元は、そもそもは数学物理用語である。一次元は線である。二次元は線が横に広がった面である。三次元は面が縦に広がった立体である。我々の住んでいる地球上は三次元空間である。宇宙に話が広がると、三次元空間に時間軸を足して四次元の時空間として扱う。いま流行の超ひも理論では宇宙の初期は10次元や11次元だったという話になってくる。
次元が違うと、自分の世界より高い次元については全く理解不可能になってくる。
平成14年11月8日
次元のつづき。もし人間が一次元だったとすると直線の中を行ったり来たりである。二次元だったら平面の中を動き回る。二次元の人間にとって、一次元の人間の動きは全て見える範囲内である。ところが一次元の人間にすれば、二次元の人間は自分の直線の世界を横切る時だけ見える存在である。言うなれば突然現れて、突然消える。全く理解不可能である。同じ事が二次元と三次元にもいえる。
平成14年11月9日
あえて極端に例えていうなら、素人の相撲は表面的で二次元的といえ、プロの関取衆の相撲は奥行きももった三次元的と言えるとおもう。その三次元の力士たちが、訳がわからないうちに投げられたとか、押し込んだと思っても一歩も動いていなかったとか、理解不可能な言葉を残している双葉山の相撲は四次元的と言えるのではないか。近年、名力士、強豪力士は数々でているが、圧倒的な力にやられたとか、スピードについていけないとか、うまさに負けたとか、足腰の強靭なバネが違うとかいうのは負けた方も理解できる。
しかし、およそ同じ役力士が訳のわからない負け方をしてるのは双葉山のみである。
平成14年11月10日
三次元までは現実に体験していることだからわかりやすいが、四次元になり、それに時間軸が加わるとなるとさっぱり分からなくなってくる。そもそも時間というものが物理学でもよくわかっていない。時間は誰にでも平等に流れているというが、速度(光速度近く)や質量(ブラックホールなど)によりお互いの時間の進み具合は違ってくるというのが、アインシュタインの一般相対性理論である。
交通事故の瞬間、スローモーションのように見えたとか、川上哲治氏の、打つ瞬間にボールが止まって見えた、などという感覚は四次元的といえるかもしれない。九州場所開幕。貴乃花の休場もあって、今ひとつ盛り上がりに欠ける感はいなめない。高砂部屋も不調の滑り出し。
平成14年11月12日
双葉山の相撲については高岡英夫氏の著書、研究に詳しいが、およそ近代スポーツ科学では考えの及ばない深い内容をもっている。立合いからして現代の相撲、スポーツの常識を超えている。現代の相撲では、立会いに、いかに相手より速く威力をもって、当たる角度を正しくしてと、立合いの当たりの強さ、踏み込むスピードが勝負の7割方を決する。ところが双葉山の立合いは、ちょっと右手右足を出すだけで、およそ踏み込まない。相手に好きなように当たらせるだけである。
平成14年11月13日
武術で〝後の先”ということがよくいわれる。立合いでいうと、相手よりも遅れて立っても、当たった瞬間にはいい体勢になり先手をとってしまうことである。双葉山の立合いは、まさに後の先の立合いで、殆ど踏み込まずに受けてたって、自分の腰の備えは全く崩れずに、当たり勝った相手の方が体勢を崩してしまう。高岡英夫氏の分析によると、双葉山は横隔膜や内臓などを働かせることによって、そういう動作を可能にしていたようである。
平成14年11月14日
同じ50kgの重さのバーベルと水袋があるとすると、水袋の方が全然持ちにくく実感として重たいのは容易に想像できると思う。同じ50kgでもバーベルは重心が動かないのに対し、水袋の方は重心が動き回ってしまうためである。人間の体は約70%が水であるという。その人体の性質を充分に生かして相撲をとったのが双葉山であるという。普通の力士が筋肉に力をいれて体をバーベル状にしているのに対し、ムダな筋力を使わずに体を水袋のようにして相撲をとっていた。
大関朝青龍、5連勝で早くも優勝争い単独トップ。全体的にも盛り返し5割を超す成績で序盤戦5日間終了。
平成14年11月15日
ひとつ違いの熊郷兄弟、兄熊郷(くまごう)と弟熊ノ郷(くまのさと)。弟の方が一足先に三段目へ上がったが、今場所は序二段の46枚目と47枚目と番付を並べている。今場所は兄弟揃って好調で、特に兄熊郷が3連勝と勝ち越し王手。6勝すれば三段目昇進できる位置だが、そろそろ上がってもいい頃ではある。
平成14年11月18日
2日目の相撲で腰を痛めてしまって出場すら危ぶまれていた泉州山。日に日に回復には向かっていたが、普段の稽古でここまで番付を上げてきた関取だけに、勝負勘がつかめず3日目から6連敗で負け越しの剣が峰であった。今日ようやく両目が開き(2勝目)久しぶりのうれしい白星を勝ち取った。ここから奇跡の7連勝に期待したい。昨日の大負けで5割を切ってしまったものの、今日の関取全員白星が効いて再び5割超。
平成14年11月19日
のこり5日間。いよいよ朝青龍の初優勝が現実味を帯びてきて、後援会でも優勝パレードや祝賀会の段取りを始めだした。それと同時に十両でも弟分朝赤龍が優勝争いのトップに立ち、幕内十両W優勝の可能性も高くなってきた。幕下以下でも昨日の兄熊郷に続いて、弟熊ノ郷も勝ち越しを決める。
平成14年11月20日
序ノ口の3人、加賀錦、尾崎、龍神が揃って勝ち越しを決める。加賀錦、尾崎は初めての序ノ口での早速の勝ち越し。龍神は序ノ口について3場所目で早くも2度目の勝ち越し。同じく序ノ口で10場所目の朝君塚、入門以来初の勝ち越しをかけて明日の土俵に上がる。相手も同期生で、勝ち越し知らずだそう。勝った方が初勝ち越しとなる注目の一番である。巡業の稽古では朝君塚が分が良かったそうである。
平成14年11月21日
朝青龍初優勝を決める。高砂部屋としては平成4年7月の水戸泉以来10年半ぶり。若松部屋当時からしたら部屋から幕内最高優勝者を出すのは初めての体験だが、今年の名古屋場所の予行演習や、以前何度も経験のある床寿さんの存在もあり、後援者を集めての乾杯や記念撮影もスムーズに進む。千秋楽に優勝パレードと祝賀会が行なわれる。
平成14年11月29日
今週中は場所後休みで稽古はない。ただ、東京へ荷物を送ったり、宿舎の掃除をしたりと日中はけっこう忙しい。ある程度片付けとがが終わると4時の掃除もないので自由時間となる。宿舎からそんなに遠くないところにゴーカート場がある。何人かで乗りに行ったそうだが、200kg近い福寿丸と朝三好もメンバーにはいっていた。カートには何とか体を入れることができ一応発進はできたそうである。ところが、スピードが全然でない上、ハンドルが全くきかなくなり、コーナーを回れず、即退場で終わったとのこと。
軽量力士が楽しく走り回るのを、寂しく観客席から見るだけのアンコ力士二人であった。
平成14年12月2日
昨日12月1日に全員九州から帰京。最初の出迎えもやっさんの奥さんとけんとであったが、最後の見送りも同じくで、最初から最後までお世話になりっぱなしである。九州場所期間中、ほぼ毎日のように部屋に出入りしていたけんとはさすがに寂しそうで、帽子を深くかぶり終始うつむきかげんである。みんなが帰ったあと、3,4日は学校からの帰り道にある部屋の前から離れないそうで、今日も夕方あたりそうだったかもしれない。
平成14年12月3日
12月1日付けで元水戸泉の錦戸部屋が高砂部屋より独立。新しい部屋は江戸博物館の裏に建築予定だが、出来上がるまで橋場の元高砂部屋を借り住まいしての独立となる。今年5月場所から内弟子として入門していた梅の川、龍神、9月入門の尾崎、加賀錦の4名が錦戸部屋力士としての一番弟子となる。
平成14年12月5日
初優勝を飾った朝青龍。本人は4日から母国モンゴルに凱旋帰国中だが、東京の部屋にはまだまだ優勝祝いの余韻がつづいている。各地の後援会や知人から花が贈られてきたり、一昨日はチェコスロバキア杯の副賞としてチェコのビールが30箱届いた。福岡県知事賞だったか、鶏肉200kgだそうで、これは20kgづつ隔週配達にしてもらった。雑誌やTVの取材要請も電話やFAXで連日である。
平成14年12月10日
高砂部屋の歴史を調べている。高砂部屋の歴史は、元々姫路藩の抱え力士であった元前頭筆頭初代高砂浦五郎によって始まっている。千賀ノ浦部屋所属で、明治2年に高見山という名で入幕した初代は、明治4年3月に高砂浦五郎と改名している。
明治6年に当時の相撲会所(現在の相撲協会)の改革を唱えて高砂改正組として同士100名を伴って独立し、名古屋を拠点として独自の相撲興行を行ったそうである。
平成14年12月11日
明治の相撲界の大立者とか、風雲児とか称せられる初代高砂浦五郎は、かなりな強烈な個性の持ち主だったようである。生まれは文久3年(1838)11月20日、千葉県東金市となっている。小さい頃から草相撲では鳴らしていたそうだが、入門は文久3年、数え年25歳の初土俵である。保守党議員10数名による稽古場視察が行なわれ、北の湖理事長や佐渡ヶ嶽事業部長も見守る中、千代天山、高見盛、霜鳥、大碇らが出稽古に来て総見稽古のような雰囲気の稽古場となった。
平成14年12月12日
読売新聞社の月刊『大相撲』に小島貞二氏の「相撲史 維新前後」という連載がある。今年の初めあたりまで約3年近く高砂浦五郎伝がつづいていた。手元に飛び飛びしか雑誌がないので全編通して読んではないが、波乱万丈の人生というか、元祖高砂という匂いが強烈に感じられてくる。100年後の現在の高砂部屋のカラーもこの人の伝統を受け継いでいるのだと思う。以下印象的な話をいくつか紹介していきたい。
平成14年12月14日
初代高砂浦五郎伝より。江戸も終わりの慶応2年のこと。部屋にゆすりにきた浪人者2人を力士達がが追っかけていったが、刀を抜かれてためらっていたところ、遅れていった初代高砂の高見山が2間(約3、6m)の丸太を振り回して打ちのめしてしまう。この話は「櫓太鼓音高砂」に春香画による挿絵つきで載っているそうで、真剣を抜いた2人のサムライ相手に大立ち回りの筋骨隆々とした高見山が描かれている。正義感が強く、曲がったことが嫌いで、喧嘩っ早い。ようやく幕下に上がった29歳の頃の話である。
平成14年12月15日
時が明治になり、姫路藩の抱えを解かれたが、以後も忠臣二君仕えずを誓い、お抱え5力士で誓約書を書いたそうである。ところがその中の一人、相生(のちの綾瀬川)が誓約を破って土佐藩に抱えを替わったものだから高見山の怒りがおさまらない。自らの命をもかけ、刀をもって相生の家へ乗り込むが留守。翌日会所の親方衆、ほとんどの関取衆が家へ来て説得。一歩も引かぬ高見山は、相生が謝罪文を書いて謝ること、将来好成績を上げていっても大関にはしないことを条件にようやく騒動は収まった。
姫路の殿様からは、武士道が忘れさられようとしている この時代(明治3年)に、このような力士がいることは武士の鑑だとお褒めの言葉とともに、改めて年75両の扶持が下賜されたそうである。初代の男気を語る話である。
平成14年12月16日
高見山が高砂浦五郎と改名したのは明治4年3月場所からである。前年相生とのいきさつがあって相生が綾瀬川と改名したのと同時に高砂になっている。高砂も相生も姫路藩、現在の兵庫県に市名として残っている名である。結婚式に欠かせない謡曲「高砂」は、室町時代の世阿弥元清の作で、高砂の浦で相生(相老ー夫婦が共に長生きすること)の松の精と出会い、夫婦愛、長寿の理想を謡った作品だそうで、高砂の浦も相生も姫路藩を代表するめでたい地名だったようである。
平成14年12月19日
18日午後6時よりホテルニューオータニにて第7代高砂浦五郎襲名披露パーティが行なわれた。全国から約500名ほどの後援会ならびに相撲関係者がお祝いに駆けつけ、盛大な宴となる。7代目として、合併そして躍進の年となった今年を振り返り、更に今後も大相撲ここにあり高砂部屋ここにありと存在感を示していきたいと決意を述べた。宴では数多くの歌のゲストに加え、野球界から加藤博一や新谷博、演劇界より沢竜二、プロレス界から石川雄規といった方々も参加して華を添えた。
平成14年12月22日
初代高砂が高砂改正組として相撲会所を脱退したのは明治6年のことだが、それ以前慶応4年にも脱走騒ぎをおこしていたそうである。そのときの地位は幕下11枚目、当時の会所筆頭の不正に憤り、幕下力士の待遇改善を訴えてのことで、同士250名を集めたそうである。現在の力士の感覚からはちょっと想像できないことで、しかも、たかが幕下力士の元に 250名も集まったということは、初代高砂が仲間内からいかに人望があったかということが推察できる。年末恒例のもちつき会が部屋にて行なわれる。
平成14年12月29日
平成14年度稽古納め。部屋の大掃除をやり、午後7時より力士の忘年会を浅草にておこなう。明日朝、大掃除の点検と飾り付けを行ない、手締めにて解散となる。新年は、2日に集合して3日より初場所へ向けての稽古始め。
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