今日の高砂部屋
平成15年10月1日
おすもうさんというと、パッとイメージに浮かんでくるのは、アンコ型力士であろう。アンコは、概して見た目がユーモラスなのが多くて、また性格的にものんびりというか大らかな人間は多い。寝るのが大好きな事はアンコの条件のひとつかも知れないが、寝るときは、ほとんどがうつぶせで寝る。しばらくアンコの生態についていろいろと見ていきたいとおもう。
平成15年10月2日
アンコは仰向けに寝れない。仰向けに寝ると自分の胸の肉で窒息してしまうらしい。本当の話である。横向きはまだ大丈夫だそうだが、やっぱりうつぶせが一番楽だそうである。うつぶせも、壁にぶちかまして寝るのが一番具合がいいそうである。枕を布団におくのではなくて、壁にあてて、その枕にぶちかまして寝るのである。これは大子錦の得意技だが、最近めきめきアンコ軍団の仲間入りをしている朝光も、試しにこの寝方をしてみたら楽だったと共感していた。もっともアンコでも体型による個人差もあり、200kgあっても仰向けでも寝れるアンコもいる。
平成15年10月3日
仰向けに寝れない理由と同じで、下を向いてやる作業は苦手である。靴の紐を結ぶなどという作業はもっともいやな作業だそうである。ボーリングシューズは28cm位まではマジックテープで止めるようになっているが、それ以上の大きい靴は大体が紐である。靴をはいてから紐を結ぼうとすると、途中息が止まって死にそうになるらしく、先に紐を結んでから靴をはくそうである。すこしゆるくても気にしないそうである。朝三好談である。
平成15年10月4日
趣味は食うことと寝ることというのは多いが、アンコは特にその傾向が強い。食うことに関してはプロフェッショナルである。好みに個人差はあるが、共通して好きなのは脂っこいものである。バターの丸かじりなんかはこたえられないそうである。甘いものは嫌いではないが、それほどでもないらしい。そういえば、超アンコにはあまり糖尿病患者はいないような気がする。その代わり中性脂肪とか肝機能の数値とかは、人間の値をはるかに超えている例をよく耳にする。
平成15年10月5日
アンコは鼻息が荒い。後ろに立たれると鼻息の荒さですぐわかる。また体温も高いから熱気でもすぐわかる。これは特技(特殊技能)といえるかもしれないが、バスタオルを腰に巻くとき、結ばなくても腹の下にはさむだけで絶対落ちない。千円札を腹の下や乳の下にはさんでシャワーを浴びても決して千円札は濡れることはない。
平成15年10月6日
では何キロからアンコかというと、絶対的な数字はなくて、体型にもよるし、時代にもよる相対的なものであろう。同じ170kgでも身長が190cmもあればアンコには見えないし、昔は130kgくらいで超アンコと呼ばれた時代もあった。その集団の中で太った体型の人、という言い方が正しいかもしれない。クラスや会社の中でそういう位置にいる人は、たとえ体重が80kgしかなくても、やっぱりアンコ的性質を備えているような感じはする。でも、アンコにもアンコのプライドがあって、同じようなアンコにアンコ呼ばわりされると腹が立つらしい。
「おまえにだけは言われたくない」という所であろう。
平成15年10月7日
アンコは暑がりである。真冬でもパンツ一丁ということは珍しくない。今日は涼しいなと思う日でもちょっと階段を上るといい汗かいている。暑がりのくせに狭いところを好む。飯食っているときやカラオケボックスなどで、他に空いているところがあるのにわざわざ狭い所に入ってくる。店員が、あと何人来るのですかと聞いてきたこともあった。これだけですと答えると、店員は不思議そうな顔をする。
歌はけっこううまい。楽器が大きいせいであろう。歩くのは嫌いである。股ズレするからである。
平成15年10月8日
幸せ太りという言葉があるように、アンコに不幸という言葉はあまり似合わない。アンコな浮浪者は見たことないし、十分以上食えるからこそアンコになってはいるのであろう。でも、アンコも日常生活での苦労は多々ある。まず合う服がそうないことである。あっても品も限られるし値段も高い。食物屋とか行っても、固定式のイスの店だと入れない。タクシーが止まってくれない。自転車に乗るとサドルが曲がってしまう。ペダルが折れる。椅子の脚が折れる。床が抜ける。和式便所に入れない。映画館でイスに座ったらケツが抜けなくなる。
いろんな制約を受けながら生きている。
平成15年10月9日
アンコ話は尽きないが、アンコ自身にアンコを語って貰って締めたいと思う。アンコ自身の口によれば、アンコの一番の特徴は、何といっても「自分に甘いこと」だそうである。「自分に甘いからこそアンコになるんですよ」ということである。それを聞いた他のアンコ達も、大きくうなずいていた。そんなことを堂々といえるところが、アンコの憎めない、愛嬌といえるのかもしれない。
平成15年10月10日
最近、歌舞伎を観る機会を頻にしている。大相撲と歌舞伎は文化としての日本の伝統芸能の、いうなれば東西の横綱であろうが、類似点は多々あり興味深く観せてもらっている。今年は歌舞伎400年だそうで、江戸開府400年と歩みを共にしているが、大相撲は現在の形になって200数十年、少し負けてしまうがその起点が同じ江戸時代にあるのは匂いを同じにしている所以であろう。
平成15年10月11日
歌舞伎と大相撲には共通点は多い。初日、千秋楽、幕内などという言葉、入場する花道。柝(拍子木)によって進行されること、などなど。窪寺紘一『日本相撲大鑑』によると、花道は相撲から歌舞伎へと、化粧回しの絵模様は歌舞伎から相撲へと影響をうけてできてきたものだそうである。
平成15年10月12日
相撲の語源は争うという意味の「すまふ」だそうで、歌舞伎は異様な身なり振る舞いという意味の「かぶく(傾く)」が、そもそもの語源だそうである。今でいう茶髪やコスプレで、400年前から時代を先取りしていたかのようである。同じ江戸大衆娯楽であったのに傾(かぶ)かなかったのは、勧進相撲であり大名お抱えの武芸でもあったからであろうか。
同じ格闘技でありながらショービジネスの面も強いプロレスは、しっかり傾(かぶ)いている。
平成15年10月13日
歌舞伎を観に行くようになってまだ日は浅いが、毎回満席なのには驚かされる。観る以前は過去の文化というイメージが無くもなかったが、実際行ってどんどん時代を先取りしているからこその感を強めている。観客へのサービスというソフト面も、座席、イヤホンガイド、モバイル等、ようやく大相撲が取り組み始めたことを以前から自然に行なっている。また歌舞伎自体のハード面も、伝統を守りつつ勘九郎など新しいものへの挑戦にも勢いがある。人を魅了するスターも多い。
平成15年10月14日
歌舞伎も地方での興行の時は満席にならないことも多々あるらしい。それでも、玉三郎や勘九郎などの千両役者が出ると常に満席だそうである。役者を観るのが歌舞伎ともいう。ただそれはどんな舞台やスポーツにもいえることで、自分にない能力をもつスターを見たいがためにお金を払って見に行くのであろう。そういう身体能力を研究している伊藤昇(故人)という人が書いている『スーパーボディを読む』(マガジンハウス)という本の中でいろんなアスリートや芸術家について述べているが、身体運動の基本である、立つ、歩くということに関して双葉山、玉三郎は 人類最高のレベルだそうである。
平成15年10月16日
15日に先発隊5人(一ノ矢、大子錦、朝三好、朝神田)福岡入り。今年から宿舎が福岡市内の唐人町に引っ越すため、いつもより早い先発隊乗り込みとなった。唐人町は中央区に位置し、天神などの繁華街にも近く、大濠公園も歩いて10分くらいの距離、何といっても福岡ドームのお膝元で、唐人町商店街はダイエー応援ムード一色である。
平成15年10月19日
昨年までの宿舎であった二日市から唐人町のお寺へ荷物を引越し。30名近くが住んでいた荷物だから4トン車2台分の大荷物で、業務用大型冷凍庫などもある為大仕事であり、先発 人数もいつもより少なかったので心配していたが、ひょんな縁で地元朝倉高校野球部が助っ人に来てくれ、午前中で完了。17日にやった土俵の土8トンの掘り出しも浮羽高校生徒の 協力あってのことであった。
引越しのトラックの手配全般は、もちろんスーパー主婦やっさんの奥さんで、やっさん家族総出での先発業務である。
平成15年10月20日
毎年九州場所は、やっさんに始まってやっさんに終わるが(やっさんて誰?という方は過去の高砂・若松部屋日記11月辺りをご参照下さい)、宿舎が遠くなった今年も毎日のように部屋に来てもらって何かとお世話になっている。生まれたばかりの時から部屋に出入りしている息子のけんとも小学5年生になっているが、去年あたりからめっきりアンコ体型になってきて部屋の中でもあまり違和感がなくなってきた。去年、先発事務所付きのため福岡泊りで、あまり二日市の部屋に来てない呼出し邦夫は、約2年ぶりに会って、そのアンコぶりに初めはどこかのわんぱく相撲の子供だと思っていたほどの成長ぶりである。
平成15年10月21日
けんとの例でもわかるように相撲部屋に出入りするようになると一般的にアンコ化する傾向にある。大きいおすもうさんに囲まれていると、自分もまだまだやせていると思ってしまうらしい。年に1回の地方場所の人でさえそうだから、1年中力士と一緒に生活している呼出しや行司は尚更である。けんとのアンコ化に驚いた呼出し邦夫、同僚の利樹と一緒に部屋近くの銭湯に行ったら、一緒にはいってきたおじいちゃんに「お兄さんたちいい体しているね。おすもうさんなの」と言われたらしく、おすもうさんと一緒に行ってたらまだしも、2人だけだったのに、と入門前は痩身だった2人はショックを受けていた。
平成15年10月26日
秋巡業最終日、岡山での巡業を終え全員博多乗り込み。旧若松部屋力士にとっては初めてとなる唐人町成道寺(じょうどうじ)だが、旧高砂部屋力士にとっては勝手知ったる懐かしい場所である。今日の唐人町は日本シリーズ第6戦で地元ダイエーが勝利し、近くのラーメン屋などにも応援帰りのホークスファンが溢れていた。
平成15年10月27日
1年納めの九州場所新番付発表。三段目ケツまで落ちた朝三好が今場所まで休場、来年初場所よりの復帰にかける。
平成15年10月30日
博多に来てのおすもうさんの楽しみのひとつは、とんこつラーメンである。全般にこってりとした脂ののったスープだが、店によってこってり具合や味付け、麺の種類などなど、いろいろ違いがあって、それぞれにあの店が好きだとか好みは分かれる。博多ラーメンの有名どこは「一風堂」や「住吉ラーメン」「一蘭」とかいろいろあるが、「一蘭」の人気は おすもうさん全般にも高い。ただちょっと難点があるのは、「一蘭」には隣の席との間に仕切りがあることである。その仕切りがアンコにとっては邪魔で、ラーメンを食う前にいやになってしまうようである。ところがそこは食うためには労力を惜しまないアンコ。隣との仕切りのない「一蘭」を見つけたらしく、アンコ仲間では情報がいきわたっているそうである。
平成15年11月2日
地方場所は貸し布団での生活で、名古屋場所は掛け布団1枚、九州と大阪は掛け布団2枚か1枚を毛布に代用というふうになっている。九州場所といえば冷え込みが厳しくて、という印象だったが、乗り込み以来朝晩の冷えは少しあるものの、日中は暖かなというのを通り越して暑さを感じるほどである。毛布も紐で縛られたままで使われることもなく、部屋の中でもTシャツ1枚か上半身裸という名古屋場所のような感じである。博多の街の人にとっても寒くなったら九州場所というイメージがあるらしく、汗をかきながら歩いていると、「え、もう九州場所?」という違和感を感じるようで、初日1週間前という雰囲気にはほど遠い今日この頃である。
平成15年11月3日
去年までは宿舎が二日市で家から歩いて3分だったから、学校への行き帰りにいつも部屋に寄っていたやっさんの息子けんとだが、今年から宿舎が遠くなってそういう訳にもいかなくなってしまった。ようやくの連休で学校が休みになったため念願の2泊3日がかない、朝からちゃんこ番の手伝いをして、おすもうさんと一緒に風呂に入りと、部屋の生活に当然のごとく溶け込んでいる。それもそのはず、生まれた時から部屋に出入りして10年、親方と一緒に食卓を囲みながら「お先ごっつぁんです」という言葉も堂にいっている。
平成15年11月4日
宿舎のある唐人町には賑やかな商店街があり、ドームの地元ということで日本シリーズまではダイエー応援一色であったが、日本シリーズが終わって商店街に高砂部屋や関取衆の幟が数十本通りに旗めいて雰囲気を盛り上げている。元々は警固の方にあった高砂部屋が唐人町に来て36年になるそうで、元横綱前田山の4代目高砂の頃が初めてだそうだが、最初の頃は約80人が現在の成道寺(じょうどうじ)に泊まっていたそうである。
平成15年11月6日
昨5日、朝青龍横綱昇進祝賀会と化粧回し贈呈式がホテルニューオータニ博多にて行なわれた。約300名の後援会を中心としたお客様が集い、1年前の九州場所で初優勝して今年横綱として博多入りした朝青龍を祝う。九州高砂部屋後援会から博多山笠の図柄の化粧回し三ツ揃えが贈られ9日からの九州場所へ向けての激励とする。
平成15年11月7日
九州場所といえば何といってもアラ(クエ)鍋だが、キロ1万円もする高級魚なので、このところの不況でここ数年部屋への差入れもなかったが、久しぶりに20kgほどのアラが差入れされ久しぶりのアラ鍋。骨の周りの脂の乗った身をしゃぶる旨さは格別である。
平成15年11月11日
ここ数年の例にもれず入りの悪い九州場所となって盛り上りに欠けたスタートとなっているが、支度部屋でもタクシーに乗っても飲み屋でも、話題になるのは曙K1転向のことである。一時は親方として協会に残る気にもなっていたようだが、いろいろあっての大決心のようである。飲み屋とかで話題になる一般的な曙のイメージは、ただ体の大きさだけで横綱まで上り詰めたように思っているようだが、とんでもない。身体運動の研究家である高岡英夫氏の分析によると、突っ張りやパンチの威力を決定付ける肩胛骨の使い方は現代格闘家の中でも特筆すべきものがあるそうである。
平成15年11月12日
一般的に突きやパンチの強さは腕力に比例すると思われがちだが、そう簡単なものではない。体重の乗せ具合とか重力を利用できているかとか全身的な体の使い方がかなり影響してくる。そのなかでも肩胛骨を使えるかどうかは威力が倍増させるそうである。突っ張りやパンチには、そのスピードに関わらず思い軽いがある。野球のボールに重い球、軽い球があるようにである。
平成15年11月13日
本場所をしめる弓取り式は、勝ち力士に代わってということで横綱もしくは大関がいる部屋の幕下以下力士がやることになっている。九州場所ご当所直方市出身の皇牙(おうが)、今日勝って2勝1敗と白星先行。もし横綱武蔵丸が引退してしまったら、皇牙が弓取り式を行なう予定になっている。
平成15年11月14日
年3回ずつある東京場所と地方場所の一番の違いは、差入れの大小であろう。東京場所だと差入れも限られるが、年1回の地方場所はやっぱり差入れも多い。約1ヵ月半いる地方場所、差入れも均等に順次来てくれれば苦労もないのだが、乗り込んでしばらくは殆ど何もない状態で、本場所が始まるととたんに加速度的に増えてくる。特に時期的なものもあって九州場所は魚の差入れが多い。
玄界灘の荒波に揉まれた脂ののった魚は言葉に言い尽くせないほどおいしくありがたいのだが、それを食える状態に捌くのはちゃんこ番の仕事である。本場所の忙しさと魚の差入れが重なって、さすがに「もう魚は見るのもいやっす」という状態の大子錦の毎日である。
平成15年11月16日
奄美群島日本復帰50周年記念式典が奄美大島の名瀬市で行なわれNHKでも中継された。沖縄の日本復帰は万人が知ることだが、奄美も終戦から昭和28年まで米軍統治下だったことを知る人は少ない。以前にも紹介したと思うが、第46代横綱朝潮は徳之島の出身で昭和23年の入門だから、まだ米軍統治下のことである。徳之島から貨物船で神戸まで密航しての大相撲入門だった。最初は神戸出身力士として番付にのり、昭和28年に日本復帰になって初めて徳之島出身と変更した。徳之島の小学校の先生に、当時の密航の手助けをした人がいてよく話を聞かされたものである。
平成15年11月17日
私事ながら、父母は共に元横綱朝潮の五代目高砂親方と同じ小学校であった。父が親方より2年上、母が1年下とほぼ同年代である。小学校の時から人並みはずれて大きかったそうで、大人の何倍もの荷物を担いだとかいう逸話は数々あったようである。19歳と遅い入門だったが、入門当初から将来の横綱と嘱望され、3年で十両に昇進し、昭和28年復帰当時は三役力士として活躍していたから、奄美復興のシンボルであり、島人(しまんちゅ)にとっての英雄であった。
序二段大子錦先場所に引き続き部屋第1号の勝ち越し。三段目高稲沢と横綱も勝ち越し決定。
平成15年11月19日
現在奄美出身力士は12,3人いる。奄美群島(奄美大島・徳之島・沖永良部島・与論島・喜界島)の全人口が10数万人のはずだから、人口の比率から云うと力士率はおそらく日本一 であろう。もともとスポ-ツというよりも格闘技系の方が盛んで、古くは明治講道館の徳三宝(徳之島)、極真空手の緑健二(奄美大島)、キックの全日本クラス選手とかその方面での著名人は多い。衆議院議員として話題になった旭道山も徳之島出身である。奄美全体としては癒し系の島々が連なっているが、徳之島と奄美の古仁屋は血の気の多い人間が多い。
平成15年11月20日
負け越しが決まってしまったが、決まってからの2日間はいい相撲をとっていた朝赤龍。完全に勝っている相撲だったが、はたいた手が相手の髷にかかって引っぱってしまい反則負け。自分では全くわからなかったらしいが残念な黒星となってしまった。同じく今日の三段目取組。中に入ろうとしたところ叩かれてしまった朝花田、相手の手が髷をつかみ反則勝ちで3勝3敗とする。
平成15年11月22日
今日3勝3敗で最後の一番に臨んだ7力士。序の口朝神田、きわどい相撲で勝ち越しを逃す(本人談だが)。続く朝君塚今度はきわどい相撲で勝ち越し。三段目にはいって朝光は負け越すも、朝花田先場所に続いての自己最高位での勝ち越し。ご当所幕下の皇牙も勝ち越し。結局7人中3人が勝ち越しという結果になった。横綱朝青龍、明日優勝が決まると唐人町商店街に凱旋パレードすることになっている。
平成15年11月25日
唐人町商店街は賑やかな商店街である。アーケードの通りに色んな店が軒を並べ、買い物客で常に賑わっている。福岡ドームに一番近い商店街ということもありダイエー優勝のときはテレビカメラの中継がいつも入っていた。また月に一度は商店街の中の特設ステージでミニコンサート(主に演歌歌手だが)も開催されていたりする。今日は、ちゃんこ祭りということで高砂部屋力士も参加して、お昼に餅つき大会、夕方ちゃんこ会と、いつにも増しての行列のできる賑わいであった。
平成15年11月26日
唐人町商店街のちゃんこ祭りには地元福岡教育大学付属小学校の子供達も多数参加した。アーケード街のイベント広場に並んで、ちゃんこ祭りオープニングの歌を披露。立派な混声合唱団の伸びやかな歌声で、自作のちゃんこの歌も歌い、大いに盛り上る。
部屋では、そろそろ巡業や東京への帰り支度を始めだす。
平成15年11月27日
唐人町商店街にはおいしい店もかなりあるが、商店街を宿舎の成道寺側に抜けたところに高砂部屋ご用達とでもいうほどの店がある。「藁巣坊(わらすぼ)」という居酒屋で、ここの餃子は絶品である。他のニラタマなどの一品料理、ラーメンやチャーハンなどもおいしく力士が入り浸っている。それだけでなく、お店の大将は釣り好きで若い衆を釣りに連れていったり、朝ちゃんこ番が忙しいときは、ちゃんこ番の手伝いにまでわざわざ来てくれる。
平成15年12月1日
九州場所も終わり昨日11月30日より冬巡業開始。佐賀を皮切りに7日まで九州一円をまわる。巡業にでない残り番6力士は、東京の部屋に戻り今日から稽古再開。地方場所に行く前には、土俵の砂を全部上げていくが、1ヶ月半ぶりのことなので土俵が文字通り風化してしまって、表面に埃のような砂が浮き上がっている。その砂を掃き捨てて、新しい砂を入れての稽古始めである。
土俵を作り直すのは番付発表前の22、23日になってからである。
平成15年12月2日
東京での生活は約1ヵ月半ぶりのことである。地方場所は年に一回ということもあり、歓迎もされ楽しいがその分忙しくもあり、東京に帰ってくるとさすがに落ち着くということはある。特に今は、残り番6人での生活なので、稽古開始の時間もいつもより遅く、そのくせ一日はいつもより長い。昔の小部屋時代にもどったような感覚である。街並みは一月半前と変わるべくもないが、親水公園を歩くと枯葉が薫り、福岡入りする前のまだ緑の濃かった頃を思い出し、季節の移ろいの早さを感じてしまう。
平成15年12月3日
相撲稼業は、東京と地方を行ったり来たりだから、最低でも年に6回は引越しをしているようなものである。その分、荷造りや運送費などにも伝統と新たな工夫がいろいろある。明け荷などをロープで縛るのは独特の縛り方があるし、宅急便で出したり、コンテナ輸送にしたりと、物・量によって使い分けたりする。ただどうしても1個あたりいくらの計算でやるので、必然的に衣装箱を3個強引にガムテープと紐でくっつけたり、人間が入りそうなダンボール箱になったりと、業者泣かせであることは間違いない。
平成15年12月8日
年6回の引越しとか、年6回の本場所、その間の巡業や海外公演などなど・・・一年中行事に追いまわされているような力士生活は一年のたつのも早く、時間の経過を早く感じてしまうことは確かにあると思う。一般的なイメージとして、おすもうさんというと、体が大きいゆえに「のんびり」というイメージは根強いと思うが、団体で動く巡業への出発とか、船や列車から降りる段取りとか、殆どが「すもう時間」といって30分前には用意して集まってしまうのが常識である。常に時間に追われているからこそ早め早めの行動で余裕をもつということなのであろう。最近はその傾向も少し薄れてきたような感もあるが、特に古い親方衆や裏方さんには未だに顕著である。
平成15年12月9日
ちょっと相撲の話と離れてしまうが(そのうち強引に結びつけるが)、年と共にだんだん時のたつのが早くなっているような感覚は誰もが感じていることだと思う。一般的に「時間だけは誰のもとにも平等に流れている」とか「森羅万象変われども時間は過去から未来へ向けて一様に流れている」とかいわれているが、物理学では、動く速度によって伸び縮みする相対的なものであるというのがアインシュタインの特殊相対性理論の結論である。地球上の動きでは違いはわからないが、量子(原子や分子や素粒子)の世界や宇宙では、それぞれ時間は別なものであるというのが常識である。
平成15年12月11日
時間が伸び縮みするということは、いろいろな実験で確かめられているが、地球上ではジェット機に乗っても一億分の数秒の違いだから体感としては全くわからない。いま現在の世界でもそれぞれの時間が違うから、過去と現在そして未来でも時間が違っているらしい。江戸時代の一時間と現代の一時間は全く異なる時間で、もちろん現代の方が時間が早いそうである。だからこそ新幹線やジェット機やロケットなどの様なものができてきたということである。
平成15年12月12日
時間というのは何かということは、いまだに良くわかっていないことの方が多いが、われわれの宇宙が膨張しているというのは確かめられている。時間と空間とが一緒になって時空間が膨張している。これを逆に戻していくと約150億年前、時空間すなわち宇宙全体が一つの点になってしまい、それが宇宙の誕生だという「ビッグバン宇宙説」は現代物理学では圧倒的に支持されている。じゃあその前はどうなっていたのかと思うが、時間もそのときに始まったのだから、その前はないという、ますます訳のわからないことになってくる。
平成15年12月14日
物理学の話はわけわからないことになってしまうが、意識という問題も未だによくわかってない領域の最たるものである。ただ意識というものは面白いもので、時空間を自在に行き来している。遠く離れた恋人を想ったり、イラク問題を憂いたり、お月様を見たり、遥かアンドロメダ星雲に思いを馳せたり、その時々で何万キロや何十万光年であろうとも一瞬にしてそのものへ意識はワープしてしまう。光速以上の速さである。また、過ぎたことを後悔するのは過去への意識の旅だし、これからのことを心配するのは未来への旅で、タイムトラベラーでもある。また量子の世界でも不確定性原理というのは、意識が大いに関わることである。
平成15年12月15日
地球上での運動は殆どニュートン力学で説明できるが、宇宙や素粒子(量子)の世界ではニュートン力学は破たんしてしまう。地球上のみで通用する範囲の狭い力学である。人間も地球上で生きているから人間の動きもニュートン力学で説明できるのだが、超一流の名人達人の動きはニュ-トン力学では説明できない動きも多々ある。その名人達人の動きこそは、相対論・量子論的ではないかと思う。運動科学者の高岡英夫氏が、極意とは意識が極まったものだという理論を展開しているが、意識(身体意識)こそが、人間と、宇宙や量子の世界(我々が生まれた宇宙 そのもの)をつなぐものではないかと勝手に想像している。
平成15年12月16日
ちょっと話が長くなってしまったが、相撲に話を戻したい。双葉山である。双葉山の相撲は、現代の相撲の力学からかけ離れたような所がある。相撲は、立合いに鋭く踏み込み当たりを強くして、腰を低くして踏ん張り、脇を締めて上手は浅く相手を引きつける。というようなことがセオリーである。ところが、双葉山の相撲は、あまり踏み込まないで受ける、腰はわりと高い、踏ん張らないで足を滑らす、脇もけっこう甘く、上手は深いと、まるで逆なのに合理的である。まるで、ニュートン力学に対する相対論や量子力学のようでさえある。
平成15年12月18日
昨17日、年末恒例の忘年会とクリスマスパーティを兼ねた高砂部屋激励会がホテルニューオータニにて行なわれた。本年9月より岡本弘前会長から引き継いだ井上美悠紀新会長の開会の挨拶で幕をあけ、ショータイムや親方サンタによる子供達へのプレゼント、抽選会と宴は進んだ。途中、近畿大学校友会より朝乃若関に秋場所に達成した1000回連続出場を記念して場所座布団の贈呈式もあり、最後は床寿さんらによる相撲甚句で閉会となった。
激励会が終わり、部屋に帰り着き床に入ろうかという頃訃報がはいった。かねてより療養中であった元小結富士錦の6代目高砂の一宮章氏が亡くなられてしまった。午後11時46分 のことだったそうである。享年66歳。心よりご冥福をお祈りいたしたい。合掌。
平成15年12月19日
元富士錦の先代高砂親方は、山梨県の出身である。甲府の高校を卒業後高砂部屋に入門し、伝統の押し相撲に磨きをかけ昭和39年7月場所には前頭9枚目で14勝1敗という成績で平幕優勝も飾っている。ここ数年入退院を繰り返していたが、先月九州場所の折には体調も落ち着いていたようで、唐人町の成道寺まで激励に来てくれたりもした矢先のことであった。
遺体は台東区橋場の旧高砂部屋の稽古場上り座敷に安置され、今朝はご仏前でのお別れの稽古を行ない、故人へはなむけとした。
平成15年12月20日
新弟子が一人入門することとなった。高知県安芸市出身の久保優君である。地元で高校に通っていたそうだが中退しての入門となった。体格は検査ギリギリで少々小ぶりなものの、中学校までは相撲部に在籍した経験者である。1年間一番下でやってきた朝神田が、この入門を一番喜んでいる。
平成15年12月22日
昨日のお通夜に引き続き、6代目高砂親方の故一宮章氏の告別式が荒川区の町屋斎場にて行なわれた。告別式、初七日の法要、精進落しと滞りなく終え斎場を出ようと すると、知人に遭遇。以前若松部屋の前に店を構えていた居酒屋のおかみさんが亡くなり、午後2時から内々だけで火葬を行なうとのこと。旧若松時代にお世話になった数名、急遽立ち合わせて貰い悲しいお別れとなった。非常に個性豊なおかあちゃんで、部屋の前に店がある頃には力士は随分とお世話になった。安らかに眠られることを、ただただ祈るのみである。合掌。
平成15年12月24日
新年初場所の新番付発表。自己最高位を更新したのは、朝花田、熊郷、朝君塚の 3人。朝三好、1年ぶりに序二段からの再スタート。
泉州山幕下陥落で、今日から4階の個室を引き払い2階の大部屋暮らし。
平成15年12月25日
稽古始め。稽古途中、午前8時半より土俵祭り。今場所の無事を祈願する。稽古では、幕下目前になってきた朝花田の力強さ、元気さが目立った。稽古終了後も地下のトレーニングルームでラップのリズムにのりながらウエイトをガンガンこなしてノリノリである。
年末年始は、28日(日)に餅つきをやって、30日稽古納め。 注連飾りをかざりつけ、手打ち式にて解散。新年稽古始めは3日から。4日綱打ちを行い11日の初日を迎えることになる。
平成15年12月26日
朝花田が面白い存在になってきた。今年は3月場所で負け越して序二段に落ちたものの、以後4場所連続の勝ち越しで三段目12枚目まで番付を上げ、初場所4勝すれば幕下の可能性も大いにある。今年は1月場所でも勝ち越しているから年6場所のうち5場所勝ち越しという好成績で、今年の高砂部屋最優秀力士であろう。体は小さいものの稽古でも我を忘れて集中するところは、高見盛をも彷彿させ、稽古見学のお客さんからも思わず拍手が出るほどである。日常会話がとんちんかんなのも似てなくはない。
平成15年12月28日
年中行事の最後を締めくくる餅つきを行う。午前6時半から準備を始め、8時ころから230kgのもち米を総出でつきだす。残り60kgほどとなって みんな力はいって(疲れて)きた頃、錦戸部屋の竹野マネージャーが、ガザフスタン出身の風斧山を連れてきて風斧山も参戦。最後は朝神田と風斧山で交互につきまくりラストスパート。お昼前に最後の一臼をつきあげる。
平成15年12月29日
部屋に罰金制度というものがある。朝寝坊をしたり決まり事を破ったりしたら、罰金を徴収して若者会でプールしておく。その金はみんなの稽古タオルの洗濯代や見舞金や香典等に充てたりするが、若い衆で最も年間成績のよかった力士への賞金をも出すようにしている。今年の最優秀力士は24勝18敗( 勝率5割7分1厘)だった朝ノ土佐と朝花田の二人である。
平成15年12月30日
もう一度最終的な大掃除をやって、注連飾りの飾りつけ。お昼前すべて終わったところで、おかみさんからお年玉をもらい解散。それぞれ里帰りのため一人二人と減っていく。午後5時すぎ、2階の54畳の大広間に残っているのは一人だけとなり、いつもは狭い大広間がさすがにガランとして本当に大広間になってしまった。相撲部屋は人がいないと雰囲気がまるっきり違ってしまう。
平成15年12月31日
平成15年の高砂部屋は朝青龍の横綱挑戦で始まった。横綱挑戦を14勝1敗の優勝で果たし、東京場所3場所で優勝した。おかげで、お米と肉には不自由しない一年だった。また闘牙が新小結に昇進し、朝赤龍の躍進もあった。幕下以下では三段目力士が殆ど好成績で新幕下が二人誕生し、他も番付を上げて底上げはかなりできた。残念だったのは、朝三好が怪我で一年を棒に振ったことと、入門した新弟子がやめてしまって序二段以下が減ってしまったことである。