今日の高砂部屋
平成16年4月1日
千秋楽の優勝パレードをするにあたり、久成寺の前の通りの両脇に並ぶお寺に交通規制等の挨拶に行った。二軒手前のお寺に挨拶に行くと、お寺の方が「昔はうちに高砂部屋がおられたんですよ」と言っていた。入門50年近い床寿さんに聞くと、床寿さん入門の4代目高砂の頃はそのお寺で、隣が4代目の弟分であった鯱の里の2代目若松部屋であったそうである。それから数年後、今の久成寺に引越し43年になるそうである。
平成16年4月5日
4月3日(土)に大阪を全員後にする。巡業組は4日(日)の巡業地伊勢神宮に向かい、残りの力士は東京へと帰る。今年は春巡業も短く5ヶ所ほどしかないので、4日夜に巡業組も一旦帰京し、7日から再び出発する。東京残り番の力士は今日5日から稽古再開だが準備運動主体で、本格的には巡業組が揃う来週からというところである。4月26日(月)が夏場所番付発表となっている。
平成16年4月6日
「春眠暁を覚えず」というように眠るのには心地良い季節になってきたが、おすもうさんにとって寝ることは、稽古、ちゃんこと並び身体をつくるのに大事なことの一つである。「寝るのも稽古だ」ともよく言われる。ただ全般的におすもうさんは寝るのが大好きで、暇さえあれば寝ているというタイプも多い。またアンコの特徴とも重なるが、寝つきは早い。横になって話していて、話が途切れた途端にイビキが聞こえてくるということはよくある。
平成16年4月7日
いつどこででも寝れることは、おすもうさんにとって大事なことではあるが、時と場合にもよりけりである。昔若松部屋の頃、やっぱりアンコのおすもうさんが湯船につかっていた。洗濯機も風呂場にあったので、洗濯機を回していると突然「ゴボゴボゴボ」と変な音がした。洗濯機が壊れたのかと 思い見てみたが別に異常はない。ふと振り返ると、湯船につかっていたアンコのおすもうさんがお湯の中でもがいている。湯船の中で寝てしまって溺れかけてしまったのである。どこででも寝るとこんな目にあうこともある。
平成16年4月8日
車などの乗り物にゆられると殆どのおすもうさんが条件反射のごとく寝てしまう。ただ関取と一緒に出かけたりすると、隣でグウグウ寝てしまうわけにもいかず気を使うところである。それでも睡魔には勝てないもので、同じ車の中で、「ゴォーゴォー」と大いびきをかいていながら、眼を開けたとたん「あ、寝そうだった」といって関取をバカマケ(呆れ)させている某付人もいる。
平成16年4月10日
最近の巡業の移動は殆どが2~3時間のバス移動なので、巡業を終えて乗ると大体のおすもうさんが寝てしまう。特に稽古を一生懸命やった力士ほど熟睡してしまうからある程度のイビキも当然のこととして許される雰囲気も無きにしはあらずである。
十数年前のこと、巡業部長が乗った(大体8台くらいのバスの1号車になるが)バスで、大イビキが聞こえてきて、部長も「おお、いいイビキかいているな。さぞやいい稽古したのだろう」と、どんなおすもうさんかと振り返ってみるとアンコの床山で、「床山が相撲取りよりもでかいイビキをかきやがって」と逆鱗に触れ、以後巡業に出ることを部長命令で禁じられた床山もいた。
平成16年4月11日
その床山は元おすもうさんだったから、体重も150kg近くあり、イビキも半端じゃなかった。いま部屋でイビキがすごいのは大子錦、熊郷あたりだが、二人足してもまだ足りない、それはそれはすごいイビキだった。一門が一緒だから同じ旅館の大部屋泊まりになったことがあったが、一人離れた場所に寝せられても工事現場のような大音響であった。一種の病気だったのであろう、丁髷を結いながらも時々「グゥ」とイビキをかいて寝かけることがあった。それが直接の原因ではないが、廃業してしまって今は相撲界にはいなくなってしまっている。春巡業最終地横須賀を終え、全員帰京。
平成16年4月12日
イビキも規則正しいイビキなら少々うるさくてもそのうち慣れるが、不規則なイビキは耳障りというか慣れることはない。大きなイビキが続いたかと思うと突然呼吸そのものが停止したようになり、しばらくしてうめき声とともにまたイビキがはじまったりする。これを無呼吸症候群というそうだが、アンコが増えてきている現代の大相撲界では、各部屋に一人や二人必ずいて、本人はもちろんだが回りも苦しんでいる。
平成16年4月13日
我慢できない不規則なイビキを止めるのには、枕を投げつけたり、蹴とばしたり、なぐったりとかいう原始的な方法もあるが、最近は医学の進歩で有効な治療器具もできてきている。寝る時、鼻から口にかけて大きな酸素マスクのようなものをつける器具で、正式な名称は知らないが、それをつけた容貌と機械の発する「シュー シュー」という音から、力士内では『ダースベーダー』と呼んでいる。
かなり高価な器具だが、レンタルもでき、利用しているアンコ力士は結構いる。
平成16年4月14日
無呼吸症候群は、昔からあるにしても最近増えてきている病気だろうが、網膜はく離なども同様に昔より増えてきている症状であろう。網膜は眼球の一番奥にある薄い膜で、カメラでいえばフィルムにあたるもので、これが衝撃によりはがれてしまうものである。ボクサーなどにも多いが元々視力が弱いとなりやすいらしく、部屋でも現在治療中の朝三好を含め4人も罹患者がいる。
平成16年4月15日
そして更に最近の休場の原因の多くになっている症状に『蜂窩織炎(ほうかしきえん)』がある。おできの大きなものだと思えばわかりやすいが、下腿によくでき脚が真っ赤になってパンパンに腫れ、発熱も伴う。初場所千秋楽の給金相撲に40度の高熱で不戦敗になった朝光も蜂窩織炎が原因であった。一度かかるとリピーターになりやすいらしく敗血症なども併発するそうで、死にも至る怖い病気である。同い年の伊勢ヶ浜部屋の元十両 清王洋(せいおうなだ)もこの病気で昨年秋に、還らぬ人となったそうである。
平成16年4月17日
血液型の話は部屋内でもよくでる話題である。新弟子が入ってくると血液型を聞き、こまめに気が利くA型だと喜ばれる傾向はある。
平成4年にPHPから 出版された雑誌『歴史街道』7月増刊号ー相撲なるほど歴史学ーに血液型人間学研究所代表の能見俊賢氏が「血液型相撲学」なるコラムを書いている。それによるとプロスポーツ一般では、スーパースターはB型かO型が圧倒的に多いのに対し、相撲界ではA型が層が厚く、圧倒的だそうである。
平成16年4月18日
能見氏の血液型相撲学によると、昭和以降の横綱大関の約5割がA型だそうである。69連勝の双葉山をはじめ、千代の富士、栃錦、輪島、玉錦、常ノ花、照国、朝潮(先代)、栃ノ海、若乃花(2代目)、三重ノ海、双羽黒、大乃国、北勝海と、そうそうたる顔触れである。B型には初代若乃花や大鵬、柏戸、O型には北の富士や隆の里、AB型には玉の海や現理事長の北の湖がいる。
平成16年4月19日
血液型理論によると、プロスポーツ一般では、ライバル意識が強く集中力が高いO型や、気分が乗ればまわりは関係なくマイペースで集中でき喜怒哀楽がオーバーアクションなくらいでるB型気質がスーパースターの要因となっている。ところが相撲は、15日間安定した地力で粘り抜き、それを年6場所営々と築き上げるA型的辛抱強さが横綱大関を生み出しているのでは、という論理である。
平成16年4月20日
それは、相撲という競技自体の難しさからいえるかもしれない。例えば野球なら、7割失敗しても3割打ち、ここぞという目立つところで集中して力を発揮するのがスーパースターたる所以であろう。ところが相撲は、勝率9割くらいでないと優勝という栄冠はない。しかも勝負は殆ど一瞬なので、ミスは許されない。同じ格闘技系でも柔道が200何連勝とかあるのに、相撲では69連勝が最高というように番狂わせも起こりやすい。そういう面がA型横綱を多くしているのかもしれない。
平成16年4月22日
ところがここ最近の横綱にはA型が少ない。63代目の旭富士以降6人の横綱のうち、A型は武蔵丸だけである。旭富士、若乃花がB型、曙、貴乃花、そして朝青龍がO型である。大相撲自体が他のスポーツと似たような環境になってきているのかもしれない。
ちなみに先場所の関取70人の内わけは、A型20人 、B型19人、O型26人、AB型5人とやっぱりO型が多い。というより、昔日本人の4割を占めていたA型が減り、最近はO型が多数になっているという話を聞いたような気もするが、どうであったろう。
平成16年4月23日
現在の高砂部屋では力士24名のうち、A型11人、B型4人、O型5人、AB型4人という構成になっている。若松部屋の頃は人数の割りにAB型が多かったこともあったし、元々のサンプル数が少ないから多少の偏りは当然であろう。調べたことがあるわけもないが、全力士700人を調べると、ほぼ平均的な構成比になっていることは間違いないであろう。ただ一門ごとの雰囲気を考えると、高砂一門はB型っぽくて、出羽一門はA型っぽい気がしないでもない。そう思って調べると確かに、4代目高砂の前田山、現高砂の朝潮、水戸泉はB型で、元出羽ノ海理事長の常ノ花、前理事長の佐田ノ山、現武蔵川の三重ノ海はA型である。
あたらしい横綱を作るための麻もみ。明日明後日で土俵を作り直し、26日に番付発表を迎える。
平成16年4月24日
土曜夜8時のフジテレビ『めちゃイケ』はおすもうさんも好きな番組のひとつである。芸人にゲストを加えての「数取団」というコーナーがあり、失敗すると罰ゲームとして元おすもうさんの「関取団」と相撲をとることになっている。毎回実際に相撲を取っている元おすもうさんは元高砂部屋で“火の竜”という幕下力士だった。見た人も多いと思うが、今日はゲストが武蔵丸親方で、いつも芸人をガイにしているのに、今日はいつもと反対にガイにされてしまった。時々部屋にも顔を出しているが、本番直前までゲストが武蔵丸親方だと知らされてなくてびっくりしたそうである。現在本業は、亡くなった熊翁さんの後を継いで熊谷の方で『ちゃんこ熊翁』を経営して頑張っている。
平成16年4月26日
5月場所新番付発表。先場所13勝2敗の朝赤龍は自己最高位となる前頭2枚目まで躍進、いよいよ三役が目の前になってきた。幕下塙ノ里と朝ノ土佐、三段目朝光が自己最高位更新。再度序二段から再起の朝三好、心機一転朝陽丸(あさひまる)と改名。
平成16年4月27日
昨年秋に大相撲ダイジェストが終了してしまったが、今年になってNHKがBSでダイジェスト番組の放送を始めて好評を得ている。こんど5月場所から又新たに、スカイパーフェクトTVの300chで『激戦!大相撲』という番組が始まるそうで、その中で部屋紹介のコーナーもあるらしく本日取材。午後11:30 ~12:00まで毎晩放送とのことである。先日は日テレの『メレンゲの気持ち』の取材があり5月1日放映である。同じく日テレの『おしゃれカンケイ』の録画取りに横綱が行ってきた。さらに現在、TBSの『情熱大陸』も密着取材にきている。
平成16年4月28日
綱打ち。横綱は東京場所の前ごとに新しく作り直す。今回で5本目の横綱で、要領もわかってきて立派な横綱が完成。芯に番線を入れるので、綱を編むときによじれ過ぎて芯の番線が飛び出したりすることもあり、そのへんが一番気を使うところだが、元富士乃真の陣幕親方の指導の下、純白の新横綱が完成。この横綱は5月場所と7月場所に締めることになる。
平成16年4月30日
経験者が多いこともあって柔道は力士にとっても興味深いスポーツのひとつである。横綱もモンゴルでジュニアチャンピオンになっていて、昨日は井上康生選手に招待してもらい武道館に足を運んだし、部屋でもみんなテレビを囲んで熱戦に見入っていた。ただすぐ影響されやすく、2階の54畳の大広間が柔道場と化して、さすがに立ち技はうるさいので、寝技大会が始まった。高校の柔道部のキャップテンを務めた朝君塚、相撲はまだしょっぱいが寝技勝負だとなかなかの実力を見せる。しかしながら、さすがに福寿丸には200kgの体重でつぶされてギブアップしてしまった。
平成16年5月1日
柔道と相撲は似ているようでかなり違う競技である。対人格闘技という面では同類だが、勝負規定が大きく違う。相撲は円から出すか、足の裏以外をつけると勝負は決まる。柔道は一応場外という枠はあるものの、減点の対象にはなってもある程度は許される。また手や膝をついても負けではない。そいういう観点からすると柔道のほうがモンゴル相撲やシルム(韓国相撲)に近く、またレスリングなどにも近い。というよりも、相撲だけが格闘技の中で特殊なのであろう。
平成16年5月3日
相撲も柔道も相手を崩すということが大事なことだが、相撲が押して崩すのに対し、柔道は逆に相手を引いて崩す。もっとも相撲にも引き技もあるし、マワシを引きつけてということもあり、柔道も相手に圧力をかけてという場合もあるが、基本的には相撲押し合い、柔道は引きつけ合いである。それゆえ一般的な姿勢が、相撲は攻めてる方が頭を下げ、柔道では守りに入っている方が頭を下げられるという形になることが多い。
平成16年5月4日
1日2日と練馬の光ヶ丘の方でモンゴル祭りが開催されたそうで、横綱も付人を連れて参加。朝花田が大活躍だったようで、モンゴル相撲に挑戦して最初は要領がわからずに負けたものの再度挑戦させてもらい見事3位に入ったそうである。
平成16年5月5日
投げるということに関しては、相撲も柔道も、さらにモンゴル相撲でも同じような技がでてくる。柔道でいう内股は相撲では掛け投げになるし、払い腰や大外刈りは二丁投げとなる。昔の栃錦や、最近では時天空が得意としている二枚蹴りは、柔道でいう支え釣り込み足である。まためったにお目にかかれないが相撲の決まり手にも一本背負いもある。
合併する前、塙ノ里と対戦して一本背負いで負けたことがあり、いまだにたまにいわれる。
平成16年5月6日
相撲と柔道は重心の位置もだいぶ違う。基本的な正しい姿勢同士を比べると明らかに柔道の方が高重心である。山下や井上康生の戦う姿勢を思い浮かべるとよくわかると思う。なぜかというと、間合いではないかと思っている。がっぷり組み合った姿勢ではお互いの間合いは腕の距離だけ柔道の方が遠い。その分守りよりも攻撃に向いた重心の高さをとれるのであろう。同じ理由で突っ張りは間合いが柔道並みに遠いので重心が高めでも良い。というより、重心が高めの方が体重を乗せれるので威力がでてくる。
平成16年5月7日
かなりのレベルまでいった柔道出身者が大相撲に入門すると、成功しているのは殆どが柔道技を捨てて突き押し相撲に転向したタイプである。一般的には柔道に近いと思われる四つ相撲のままだと、投げを打って相手を自分のほうに呼び込んでしまうとか、腰高だとかいうことが、柔道癖が抜けないといってマイナス面としてよく指摘される。
考えるに、投げるとか押すとかいう事は相手を崩すという2次的なことで、もっと根本的な自分の姿勢や重心の位置とかいう次元で考えれば、柔道の重心の高さがしみこんだ身体には、身体の使い方として四つ相撲よりも突き押し相撲の方が自然なのかもしれない。
平成16年5月8日
高校の時の柔道の監督が「柔道をやる人間が相撲をトレーニングに取り入れるとプラスになるが、相撲をやる人間が柔道をやるとマイナスになることが多い」ということをよく言っていたが、腰の高さ(重心の位置)という観点からすると、その言葉がよく理解できる。ただ、突き押し相撲の人間にとっては柔道トレーニング も有効なのかも知れない。
触れ太鼓が明日の取組を呼び上げ、割り(取組表)も来て、いよいよ初日である。31連勝目の横綱は雅山、2日目が垣添。三役を目指す朝赤龍は大関武双山に 挑戦。
平成16年5月10日
久しぶりにスポーツ誌の一面を相撲が飾った。NHKでも再三紹介しているが、今日勝って32連勝。羽黒山、北の湖に並ぶ大記録である。取組後部屋に帰ってきても、ビデオで今日の一番を振り返り、付人とちょっとふざけたりと、ごくごく自然である。どうしてあれ程強いのか、ということがTVや巷でも話題になっているが、一般的に言われているスピード、バネ、筋力、反応の速さ、相撲の幅等もちろんだが、なんといっても自信であろう。自信が、重心を 安定させ、心を安定させ、つけいる隙を与えない。明日は栃乃洋戦。
平成16年5月11日
おおざっぱに言えば重心とは、そのものにかかる重力の中心である。机やイスの重心は一点だが、やっかいなことに人間の重心は、動きや精神状態によっておおきく揺れ動いてしまう。特に緊張して肩に力がはいると重心が上がってしまい、この状態を一般的にも「あがる」という。それをコントロールするのが、昔からいわれる丹田でありハラである。決して脳ではない。
低く鋭い重心で、相手の重心を一気に崩し浮かした横綱、33連勝。
平成16年5月12日
何日か前、突き押し相撲は高重心ということを書いたが、今場所の北勝力の相撲はまさにその典型である。相手力士と比べてみるとわかるが、仕切りからして 重心が高い。高い分、全体重を乗せれるから相手に効く。ただその分、攻める構えであって受けには弱いから、攻められると苦しい。突き押し力士が突っ張られると弱いのや、ツラ相撲(好不調の波が激しい)なのは、そういう理由によるのであろう。それゆえ完全な突き押し力士が横綱大関になるのは、非常に困難なことである。
平成16年5月13日
重心は高くても腰は割れてなければならない。腰を割るとは、股関節を開き骨盤を(すなわち重心を)なるべく前に持ってくることである。腰が割れないと重心が後ろに残ってしまい、へっぴり腰になって体重が乗らない。腰を下ろすのと割るのとは違うことである。腰を下ろしてもへっぴり腰な場合もあるし、高くても割れている腰もある(高い場合は、腰を入れると表現することが多いが)。
三段目24枚目の高稲沢3連勝。ちょっと出遅れた感のある幕下へのチャンスとなってきた。
平成16年5月14日
弓取式は勝力士に代わって行うものの為、勝力士側から土俵に上がって行司さんから弓を受け取ることになっている。初場所初日から弓取式を始めた皇牙、巡業も含めて今までずーっと東から上がっていたが、今日初めて西から土俵に上がり弓取式を行うことになった。座布団が乱れ飛んだあとの異様な雰囲気もあって久しぶりに緊張したそうである。
36連勝ならずの横綱であったが、部屋に戻ってきた表情は、わりとさばさばした感じではあった。
平成16年5月16日
平成13年度アマチュア横綱の朝三好改め朝陽丸の今日の対戦相手は、平成14年度アマチュア横綱の日体大出身大西であった。激しく突っ張られるものの何とか左を差し込み右で抱えて走り、寄り倒しで勝ち越しを決めた。倒れこんだ瞬間、思わず「オッシ」と声がでたそうである。 その熱戦を花道で見ていたやっぱり3連勝の福寿丸も気合が入ったそうで、戻ってくる朝陽丸とハイタッチで土俵に向かい 同じく4連勝での勝ち越しを決めた。高砂部屋序二段アンコ3兄弟が元気である。(長男大子錦も3勝1敗)
平成16年5月17日
泉州山が昨年5月場所以来の勝ち越し。九州場所を最後に幕下に陥落し、1月・3月はフリーで場所に臨んでいたが、連続しての2勝どまりですっかり若い衆になじんでしまっていた。見かねた闘牙関が、もういちど関取復帰への願いを込め、今場所から付人に付けて奮起を促していたが、その効果が早速あったようである。高稲沢も勝ち越し。あと1勝で幕下の可能性もある。
平成16年5月18日
なぜ腰を割らなければならないのだろう。その辺に関しては武道ではよく研究されていて、高岡英夫氏の『続空手・合気・少林寺』(1990年恵雅堂出版)に詳しい。同書によると、腰を割る、すなわち股関節を開くという姿勢が、相手の押す力を受け止めるのにいちばん合理的な構造だそうである。さらに、腰を使って相手を投げるという運動にも最も適した構えだということである。
平成16年5月19日
自己最高位を更新中の幕下の塙ノ里、元々脱臼癖があるが、きのうの取組中にも外れてしまった。土俵上、外れた腕で相手のマワシをとり相手の体を利用して肩を入れようとしたが、さすがに入らず負けてしまった。その後支度部屋に戻って入れて貰ったが、完全に入りきれておらず昨晩は痛みで何度も目が覚めたほどであったという。今朝もう一度病院へ行き入れてもらいテーピングをしての出場となったが、元関取を相手に痛めた腕からの出し投げで3勝目。最後の一番に勝ち越しをかける。神山、朝久保、勝ち越し。
平成16年5月20日
話がとびとびになってしまうが、再び腰を割ることについてである。合気道に"裏三角立ち”という立ち方がある。脚を前後に開いた構えで、前脚は股関節を相撲の四股のようにぎりぎりまで開き(外旋)、後脚は内側に絞った(内転)立ち方である。前記『続空手・合気・少林寺』によると、裏三角立ちと相撲の四股立ちには共通性があり、それゆえ、上手投げやすくい投げと合気道の入身投げや四方投げは、ほとんど同じ運動構造になるそうである。三段目朝光、自己最高位で勝ち越し。序二段熊ノ郷、一ノ矢も勝ち越し。朝陽丸6連勝。
平成16年5月21日
13日目の幕下以下取組は優勝争いに絡む一番や3勝3敗同士での一番が多い。まず序二段では朝君塚、大子錦と勝ち越しをかけて上がるが共に負けて負け越し。うなだれて帰ってきた。朝陽丸は、序二段で4人いた6連勝力士のうち2人が続けて序ノ口の全勝力士に敗れたため、勝って決定戦なしでの序二段優勝決定。初場所に続いてという珍記録である。三段目は熊郷が勝って勝ち越し決定。高稲沢は5勝ならずで、幕下昇進がアゴ。この時間になると衛星放送で放送されるのでTVを囲んで一喜一憂である。
幕下自己最高位の塙ノ里、肩の負傷を感じさせない抜群の相撲で勝ち越し。来場所また自己最高位を更に更新である。
平成16年5月22日
まだ逆転優勝の可能性が大いにあるので、本所警察で優勝パレードの打合せを行ったり、日本盛から鏡開き用の4斗樽が届いたりと、明日へむけての準備を進めながらの観戦である。八角部屋も今日にも決まる可能性もあったので、タイを用意したり忙しかったことであろう。明日も町内会の人に協力してもらってパレードの準備をし、パーティ会場には金杯での乾杯のセッティングをやって、千秋楽の土俵を見守ることになる。明日の北勝力の相手が、横綱が日ごろから目にかけている白鵬というのもちょっと因縁めいてないこともない。朝迅風、勝越しで幕下復帰濃厚。
平成16年5月25日
1年ぶりに徳之島に帰っている。ここ数日浴衣では肌寒さを感じる東京だが、さすがにここまで南下すると、もう夏真っ盛りで浴衣では暑い。長寿世界一だった泉重千代翁やカマト婆さんに代表されるように長寿で名高い徳之島だが、子宝にも恵まれ、先だって発表された全国市町村出生率の2位、5位、7位だったと思うが、島にある3町全てがベスト10入りしている。昔五つ子ちゃんでも話題になったし、16人家族とかでも時々テレビに出ている。闘牛と選挙(?)しか娯楽がないこともあり、子作りにかけるエネルギーは高いものがある。
平成16年5月26日
母校の亀津中学校を訪問した。柔道部の3年生に、身長は少し足りないが110kgと体格のしっかりした子がいてスカウトしたらまんざらでもない雰囲気である。徳之島出身力士は現在4人(大島部屋旭南海、北の湖部屋島虎、玉ノ井部屋東心山)いるが、みんなベテランになってきているので、実現すると久しぶりの若手入門となるのだが。
平成16年5月27日
わんぱく相撲の予選が全国各地で盛んだが、徳之島でも先だって奄美地区予選が行われたそうである。その予選で隣の家の孫が小学校4年生の部で奄美地区の横綱となり夏に国技館で行われる全国大会に出場することとなった。稽古を見学に行ったが、個人の住宅の裏に屋根をはって手作りの土俵ができており、近隣の子が幼稚園児から6年生まで10人ほど熱心に稽古に励んでいる。聞けば、打倒古仁屋(奄美大島)を目標に1年中休みなしで稽古に励んでいるそうである。体の小さい子が多いが、じつに明るく楽しく真剣に稽古に取り組んでいる。もう2,3年すればこの道場で横綱を独占する日がくるかもしれない。
平成16年5月28日
毎年7月末の日曜日に国技館で行われるわんぱく相撲の全国大会は、JC(青年会議所)が主催して年々参加人数も増え、相撲熱を高めるのに大いに効果が上がっているが、その熱が中学校に上がると完全に冷え込んでしまう。せっかく、子も親も盛り上がった小学校を卒業して中学校に入学すると、運動は学校中心になるのに、その舞台となる中学校に相撲部がなく指導者もいなくという環境が、せっかく広がった底辺を切ってしまっていることが、これからの相撲の大きな課題であろう。
平成16年5月30日
現在奄美出身力士は13名ほどいるが、年に数回は島人(しまんちゅ)会を飲っている。それぞれの場所でOBの店を使うことが多いが、今場所後も、元中村部屋の徳豪山が勤めている水道橋東口の『薩摩しゃも』という店で行った。
2次会は一ノ矢の高校の同級生がやっている歌舞伎町の『スナック一(いち)』という島流れである。
平成16年5月31日
島人会は、九州場所では国際センターからも近いホテルオークラの斜め前にある元武蔵川部屋のちゃんこ重ノ海で、 大阪場所では尼崎塚口にある元高砂部屋のちゃんこ奄美富士でやっている。また東京秋場所後には、埼玉県草加市にある旭道山のお母さんがやっているちゃんこ旭ちゃんでやるのが恒例になっている。
平成16年6月1日
ちゃんこ屋といえば、振分親方は神田駅北口で「相撲茶屋振分」を開いている。また練馬のほうに高砂部屋OBの店ちゃんこ島田山がある。若松部屋OBの元幕内ちゃんこ大鷲は長野県佐久市では超有名店である。ちゃんこ奄美富士もちゃんこ朝潮も、元はちゃんこ大鷲からのノレン分けのようなものである。
平成16年6月2日
今日の部屋のちゃんこは湯豆腐であった。この鍋には鳥皮が欠かせない。鳥肉以上に鳥皮に人気がある。とくにアンコには顕著である。鍋に入れ、残った鳥皮でちゃんこ番が鳥皮丼を作ったら、まるで甘い蜜に群がるミツバチのように(そんな可愛いいものではないが)、脂身たっぷりの鳥皮丼にアンコが群がってきた。脂身にはめっぽう弱いアンコたちである。
平成16年6月3日
中国公演に出発。高砂部屋からは師匠、横綱、朝赤龍、闘牙、朝乃若と付人で輝面龍、塙ノ里、熊郷、朝光、弓取りで皇牙、若者頭の伊予櫻と計11名である。北京と上海で2日間ずつ行い、11日に帰国の予定である。途中、観光で万里の長城もコースにはいっているそうだが、かなり歩かなければならないと聞いてアンコは嫌がっている。世界遺産よりも守りたいものがあるようである。
また、北京から上海までの飛行機がかなり小型でアンコが乗ると危ないという噂も流れ、かなりびびっている。
平成16年6月4日
力士9人が中国で、一人入院中で、一人相撲教習所ということで、13人といつもの半分くらいの人数での稽古だが、終わる時間はそんなに変わらない。師匠の留守を預かる若松親方と世話人の總登さんとが早朝から熱心に指導し、いつもの倍くらいの稽古をみんなこなしている。稽古が終わった後の関取の雑用もなく、朝の稽古に専念できる環境にある。たまにはこういうのもありがたい日々である。
平成16年6月5日
どうも相撲取りはというか、男は、下品な話を好む傾向にある。食事時、カレーやビーフシチューだと話をすぐその方向にもっていきたがる奴がいる。漏らした話とか踏んづけた話とか、食事中なのについつい盛り上がってしまう。あげく、「カレー味の○○○と○○○味のカレー」どっちを食いますか、というバカな 質問もでたりする。そんな話をしていたら、「屁をこいたシュンカンに漏れてしまいました」とパンツを洗濯している力士が早速いた。
平成16年6月6日
学生時代の寮での話であるが、酔っ払うとトイレにいかずに部屋のちりとりにしてしまう先輩がいた。四月、寮にも新入生がやってくる季節となり、前夜の酒宴で酔いつぶれているこの先輩の部屋にも新入生が来た。「あのー今日からお世話になります。ボクの場所は?」。二段ベッドに机がある一角を指して、「おう、お前はあそこや」せっせと自分の机周りをきれいに掃除して荷物を置き、ゴミを捨てようと手にしたちりとりには、山のような○○○。恐る恐る 先輩に尋ねた「あのーこれは?」先輩曰く「捨ててこんかい!」
掃除を終え部屋をきれいにしたその新入生が寮に来ることは二度となかった。
平成16年6月7日
尻(けつ)の締まりのない話が続いたので、尻を締める話に戻したい。腰を割るということである。斎藤孝氏は著書の中で「腰・ハラ文化」ということを度々唱えているが、その中で相撲を例にとって「腰を割る」ことを説明している。『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス)によると、「腰を割る」というのは、膝を開いて踏ん張り、腰を低くして強い外力に堪えられる構えをとることである。
もちろん尻は自然と締まった姿勢になる。
平成16年6月8日
斎藤孝氏の『自然体のつくり方』(太郎次郎社)には、足腰のつくり方という項目がある。その中で相撲の四股立ちについて述べ、その後に歌舞伎の六方がでてくる。六方とは花道から舞台へ入るときの誇張した歩き方だが、重心を動かさないで移動するということでは四股やスリ足と一緒である。その時には腰は割れている。今月歌舞伎座で上演している海老蔵襲名の助六が花道で見得を切る様は見事な腰の割れである。腰が割れているからこそ下半身の力強さがあり、上半身の自由自在な動きがあり、粋に見えるのである。
平成16年6月9日
昨年玉三郎が演出して話題になった鼓童という世界的にも著名な和太鼓集団がある。その花形とでもいうべき大太鼓打ちには、やはりしっかりとした腰の割れが見える。『自然体のつくり方』でも、重い荷を引くときや、太鼓を打つときなど、膝を外に張った踏ん張り方が必要とされ、鍛えられた、とある。膝の張りというのは、言われてみれば当然のことだが、最近の相撲界では忘れかけられていることのような気がする。
平成16年6月10日
最近の相撲界でも四股はもちろん相撲の基本として大事なものとして認識されているが、負荷をかけて足腰を鍛えるための運動というとらえ方が大半であろう。実際それも四股の大事な役割ではある。しかしそれは準備運動の一環であって、それがスクワットでも筋トレでもランニングでも足腰を鍛えるということに関しては方法の違いだけということになる。ところが、「腰を割る」とか「膝を張る」とかいう観点から四股を考えると、決して四股は単なる準備運動ではなくて、下半身の構造をつくるための"型"である、ということが言えるのではなかろうか。そうすると相撲は、スクワットでもランニングでもなく、やはり四股である。
平成16年6月11日
筋トレ的な四股と、"型”としての四股とはどう違ってくるのであろうか。負荷をかけて脚の筋肉を鍛えることは、筋肉量を増やし筋力を高め、筋出力を大きくすることである。一方、"型”として腰の割れをつくることは、なるべく筋肉に頼らずに、最小限の筋力で、最大の効果を発する動きをすることである。使う筋肉も、より深層筋になってくる。極端に言えば、まるっきり反対の運動である。
今晩、中国公演力士団一行、2便に分かれて成田へ帰国。
平成16年6月12日
盛況だった中国公演、部屋でも土産物がひろげられ、話が咲いた。中国と日本は、同じ漢字文化圏ということで、パンフレットにももちろん漢字が使われている。ただ微妙に違う漢字も多いので、部屋の闘牙関は「斗牙」として紹介されている。公演での場内アナウンスも、まず日本語で紹介されて次に中国語で紹介される そうだが、中国語で「斗牙」と紹介されると場内大爆笑だったそうである。
その豪快な風貌と激しい突っ張りの「斗牙」、中国語では「もやし」という意味だそうである。
平成16年6月13日
相撲の取組自体は中国の人にもわかりやすくて、拍手喝采がつづいたそうだが、弓取式はどんな風に写ったのだろう。「中国雑技団を見慣れた目には、何をやってるんだろうと思われてしまうのかな」と不安に思いつつ北京場所初日取組後の土俵に上がった皇牙。
思ったとおり静まりかえって反応が今ひとつだったそうだが、最後に四股を踏むときに「ヨイショー!」と気合の入った大きな掛け声がかかったらしい。「お、北京にも弓取式をわかってくれる人がいるのか」 と声のした方に目をやると、おかみさんのお父さんのコノミヤの芋縄会長だったそうである。外国にいっても身内はありがたいものである。
平成16年6月15日
昨日先発隊7人(一ノ矢、大子錦、朝迅風、塙ノ里、朝光、福寿丸、朝神田)蟹江龍照院入り。去年は電気が3日来なくて 原始生活の先発隊であったが、今年は準備万端で文明を享受している。去年先発で乗り込んだときは涼しい日が続いていたが、今年は乗り込み早々真夏で、電気のありがたさが身にしみている。
平成16年6月17日
先発隊の仕事は、部屋の掃除やらセッティング、土俵作り、幟立て等いろいろと忙しいが、稽古がないのと関取衆がまだ乗り込んでいないので仕事が終わればのんびりと時間を過ごすことができる。ひと仕事終え、夕方、近くの蟹江川に釣りにでかけた福寿丸、ものすごくでかい雷魚を見たそうで、「あんなでかい雷魚初めて見ました」と興奮気味に帰ってきた。ただ、川の中では、「あんなでかい人間初めて見た」と雷魚もびっくりしていることだろうとのもっぱらの噂であった。
平成16年6月18日
部屋の周りや蟹江町内に幟立て。お寺の境内や尾張温泉や町役場前やらに計30本の幟を立てる。若松部屋の頃は近所の人にトラックを出してもらって相撲取りが立てていたが、合併してからは、元々高砂部屋を世話している稲沢市の浅井さんという造園業のプロが立ててくれるので助かっている。幟は長さが5m40cmあるので、それを立てるのに7mの竹がいる。これだけ大きいと風にあおられるので竹をしばりつける杭は2m位のものを深く打ち込まなければならない。その杭を打つのに、土俵を作るタコを逆さにして使うのが一番便利がいい。これは、浅井さんが自衛隊が杭打ちに使っているのを見てやり始めたそうである。
平成16年6月19日
初夏のこの季節、スズキの刺身は最高にうまい。釣好きの塙ノ里と福寿丸、毎年部屋全員がお世話になっている地元の鈴木勝さんという人に海釣りに連れて行ってもらった。見事70cmほどのスズキを釣り上げたそうだが、釣り上げたスズキを鈴木勝さんと本名鈴木の福寿丸が囲んで記念撮影している。出世魚であるスズキは、<コッパ・セイゴ・フッコ・スズキ>と名前が変わるそうだが、昨日は更に二人が加わり<コッパ・セイゴ・フッコ・マサル・スズキ・フクジュマル>となったそうである。
平成16年6月20日
力士全員名古屋入り。台風の影響で湿っぽい小雨混じりの風が吹き、今年もやっぱり名古屋は暑いな、との印象を感じての乗り込みである。あす番付発表で7月4日への初日に向けて始動していく。
平成16年6月21日
名古屋場所新番付発表。十両落ちが危惧されていた闘牙だが、5月場所千秋楽の一番の闘志が効いたようでギリギリで幕の内残留。幕下塙ノ里、三段目 高稲沢、朝光、熊郷が自己最高位。幕下復帰6度目となる朝迅風が朝闘士(あさとうし)と改名、幕下定着を目指す。
平成16年6月24日
蟹江龍照院に宿舎を構えたのは昭和63年の若松部屋以来だから今年で17年目となる。昔は見学客も土日にちょっと多いくらいで稽古場のまわりもすっきりしたものであったが、現在は平日でも多数の人が詰め掛け賑わっている。賑わう反面、殆どの人が車でくるので、路上駐車とかも増え、実際生活している近所の人には迷惑な事も多々でてくる。そういうトラブルで宿舎を変わらざるをえないこともあるのだが、地元の方々は、臨時駐車場を新設したり交通整理を買って出たりと協力してもらい、本当に助かっている。
平成16年6月25日
刈谷市で高砂部屋激励会。刈谷市はアマチュア相撲も盛んで、毎年刈谷大会が行われ、親方も大学4年のときに、それまで一度も勝てなかった近大の先輩を決勝で破り優勝を決めて自信をつけ現在へ至っているという思い出の場所でもある。その近大の先輩達が中心となって若松部屋の頃から激励会を開いてくれていて、刈谷市に本社のあるアイシンの相撲部にも近大OBが在籍し、今日のパーティの受付をやってくれたりと、近大つながりで成立っているパーティである。
平成16年6月26日
宿舎の蟹江龍照院まわりは、川と田んぼと用水路に囲まれたのどかな田園風景がつづいており、用水路には亀もよく姿を見せている。浦島太郎は亀を助けて龍宮城に行ったが、亀を助けた話が2年前の名古屋場所でもあった。当時十両にいた泉州山が、場所からの帰り部屋の近くまで車でくると、道に亀が飛び出していた。心優しき泉州山、付人に「あの亀、車に轢かれるとかわいそうだから川にもどしてやれ」ということで、付人が亀を助けた。近くの用水路にでも帰せばよかったのに、部屋の近くの川にもどそうと思って車にのせて抱いて持っていたら、暴れだしたので逆さにしたところ、お尻から泥水かクソかわからないものを浴衣にぶっかけられて、ドロドロになって部屋に戻ってきた。亀を助けても昔話のようにはうまくいかないものである。
平成16年6月27日
地元蟹江町役場で高砂部屋ちゃんこ教室。これは、若松部屋時代から十数年続いている年中行事である。地元婦人会やボランティアの人に手伝ってもらって大鍋3杯約400人分のちゃんこを作って地元の方々に振舞う。こうやって身近に力士と触れ合う機会があれば、テレビで相撲を見る目も、高砂部屋を応援する気持ちも盛り上がってくることは確かなことである。
平成16年6月28日
元朝乃翔の若松親方は、現役時代怪我に苦しめられてリハビリや筋トレにも精力的に取り組み、そのノウハウもしっかりと習得している。朝の稽古でも始まりから終わりまで熱心に指導しているが、午後4時過ぎ掃除の終わった後も部屋に顔を出し、三段目から幕下の若手を集めダンベルやイスを使ったトレーニングを課していて、若い衆は若松ジムと呼んでいる。おかげで、さすがに夜になっても出かける元気もなくなるようで、蟹江のパチンコ屋も今年は儲けが少ないようである。
平成16年6月29日
東京は銀座・赤坂・六本木、大阪ならミナミ・キタ、福岡は中洲と、全国に名高い繁華街はそれぞれあるが、名古屋だと、錦である。名古屋の人間にとって錦に店を出すことは大きなステータスになっているそうである。繁華街には丸源ビルとかいうような有名なビルがあるが、その地名をとって第一中洲ビルとかいうのも必ずある。ということで、ここ名古屋錦には、第五錦(ダイゴニシキ)ビルというのがあるというのを大子錦が自慢げに語っていた。