今日の高砂部屋
平成17年7月1日
地方場所は年に一回ということもあろうが、東京場所に比べ、行事や地元との交流の機会も数段に多い。見学のお客さん自体も多いし、地元からの要請もあって幼稚園や老人ホーム、施設などの訪問なども毎年恒例のこととなっている。幼稚園で園児を相手にすると、みんな本当に熱狂的になるし、老人ホームなどで握手してまわると、涙を流して喜んでくれるおじいちゃん、おばあちゃんも多い。そういう機会に触れると、まだまだ相撲人気も捨てたものではないと思うし、そういう機会を増やしていくことが、これからは大事なことであろう。
相撲協会としても、ここ数年、全国で子供向けの相撲教室や、一般人向けの相撲体操の紹介なども積極的に行ってきている。
平成17年7月3日
相撲どころの青森県などでも小学校の校庭から土俵が消え、子供の遊びの中からも相撲が消え、取り巻く環境は厳しいものがあり、相撲を取ったことのない人間が昔より増えているのは確かなことであろう。しかしながら今年の大阪場所で幼稚園を訪ねたときに、面白い光景を目にすることができた。園児と相撲を取り終えて着替えに下がったところ、先生が校庭にマルをいくつも書いたら、そのマルの中で園児がそれぞれ自分たちで勝手に相撲を取りだしたのである。先生は何にも言わずに、ただマルを書いただけである。
そういう子供達の姿をを見ると、まだまだ日本人のDNAの中には相撲が刷り込まれているという希望を感じることもできる。
平成17年7月4日
琴光喜と琴奨菊が佐渡ヶ嶽親方と共に出稽古にくる。久しぶりの部屋への出稽古で横綱も気合十分の稽古だったようである。夜、宿舎龍照院の客殿をお借りして、お寺周辺の方々を招待してのちゃんこ会。若松部屋時代から今年で18年目となる蟹江龍照院での宿舎。とくに横綱が誕生してからは見学客も増え、路上駐車や生活道路の混雑などで近隣住民には不便をおかけすることも多々で、そのお詫びと御礼を兼ねて昨年より行っている行事である。今年はまた更に部屋裏に大きな駐車場も新設されて、地元のご理解とご協力には、ただただ頭が下がる思いである。
平成17年7月5日
昨日からの佐渡ヶ嶽親方と琴光喜、琴奨菊に加え、露鵬も出稽古にくる。この時点で、かなり稽古場の雰囲気も高まっていたが、しばらくして大鵬親方も姿を見せ、見学のお客さんからも思わずどよめきが起こる。佐渡ヶ嶽部屋は一宮市、大嶽部屋は津島市と、ほぼ隣接した所に宿舎があり、以前も何度か出稽古に来たこともあったが、親方自らが足を運ぶのは初めてのことである。先場所定年となった大鵬親方、今年一杯で定年を迎える佐渡ヶ嶽親方、両親方が、今後の大相撲界に託す気持ちが現れてのことなのであろう。
平成17年7月7日
場所前恒例の高砂部屋激励会がウエスティンナゴヤキャッスルホテルにて行われる。後援会を中心に約350人ほどのお客様が集まり、名古屋場所での高砂部屋力士一同の好成績を祈念する。年に一回、このパーティでしか会わない人もいるが、今年はちょうど七夕と重なり、会場のあちらこちらでそんな挨拶も交わされた。あす取組編成、あさって土俵祭で初日を迎える。
平成17年7月9日
初日を明日に控え、若松部屋時代から毎年恒例となっている宿舎龍照院のご本尊、十一面観世音像を開帳していただき、今場所の無事と必勝を祈願していただく。重要文化財である十一面観世音像は、安置堂が昨年来の工事で新築され、姿も見やすくなっている。800年以上も前に彫られたという木像は、高さが5尺7寸とほぼ等身大で、顔は何とも言えぬ慈悲深き落ちついた深みをたたえている。
ご住職からも、この観音様のように落ちついた心で勝負に臨めば、願いは叶うでしょうと言葉をいただき、明日からの取組にのぞむ。
平成17年7月10日
以前にも紹介したように、龍照院は創建1182年という歴史ある古刹であり、客殿裏には太閤秀吉が植えたという伝説のある樹齢400年を越える越える大銀杏の巨木もある。また、お寺のすぐ裏には昔信長が清州城から馬で駆けていたという古道もあり、その道には信長街道という表示も埋め込まれている。初日。序ノ口の朝野澤の白星でスタートして関取4人も全て勝ち、全体でも9勝5敗とまずまずの滑り出しである。
平成17年7月11日
最近の傾向として、どの場所も前半戦の平日2日目~5日目辺りが一番お客さんの入りが悪いが、今年の名古屋場所も今日は寂しい入りであった。桝席の前の方はさすがに埋まっているものの、真ん中から上は桝席の青い座布団が一面に広がり寂しいものである。
ただ今場所は、桝席の最上列とその下の列にはお客さんが入っている。先場所5月場所から売り出したペアシートという席で、4人で座る桝を、二人用に値段を下げて販売している。さらに名古屋場所のペアシートには前にテーブルが設置され、お茶と鳥弁(名古屋場所名物の関係者しか食べられない弁当、超ウマ)もついていて大人気だそうである。
平成17年7月12日
龍照院の横を馬で駆け抜けていた信長は、大の相撲好きだったそうで、元亀元年(1570年)に近江のお寺に武将を集めて相撲大会を開いたそうである。異説もあるものの、その相撲大会のときに勝者に弓を与えたのが弓取式の始まりといわれているそうである。そんな話が、毎日小学生新聞の「きょうのなぜ?なぜ相撲で弓取式をする?」という見開きの特集で、皇牙の談話とともに掲載されている。
龍照院は、天正12年(1583年)の蟹江合戦で焼かれるまでは七堂伽藍十二坊の7万2千坪という敷地を誇っていたそうであるから、境内で信長が相撲を取らせることがあったのかもしれないなどと、想像してみるのも面白い。
平成17年7月15日
宿舎龍照院の近くにお寺の檀家さんが中華料理屋さんをオープンして、お寺のご住職ご家族に、行司呼出しと共にご馳走になった。毎年同じメンバーでお世話になっている食事会(例年はお家で)だが、お寺の歴史や仏さまの話、ご近所の移り変わりなどなどいろいろと興味深い話を聞けて楽しみにしている。今宵もいろんな話が出たが、当然連勝を続ける横綱の無敵ぶりも話題にのぼった。ご住職も、平成11年名古屋場所、入門半年の朝青龍から毎年見続けているが、体は細いがものすごく稽古熱心で、他の力士とは目の色が違い「これは強くなるな」とは思っていたが、まさかこれほど強い横綱になるとは想像できなかったという。つい6年前のことである。
平成17年7月16日
たった6年前のことであるが、当時の若松部屋15人いた力士のうち現在残っているのは3人だけである。合併の影響もあったのだろうが、入れ替わりの激しい時期だったことは確かであろう。その翌年12年1月入門の朝ノ土佐、あと一番で幕下復帰となる3勝目。弓取り皇牙も3勝目。ただ、ご当所稲沢市出身の高稲沢は負け越し第一号決定。
平成17年7月17日
序二段最下位133枚目の朝久保、4連勝での今場所勝ち越し第一号。横綱の付人になって一年近くなるが、今のところ部屋の掃除や洗濯、留守番という仕事がもっぱらで支度部屋にいくこともないが、今夏の巡業には初めて出ることになっている。先日仕事の失敗で怒られて、半日ほどスカしたこともあったが、稽古で可愛がられてひとまわり逞しくなったのかもしれない。
5年目を迎えているが まだあまり勝ち越したことのない朝君塚と、3年目にしてまだ一回しか勝ち越したことのない 朝神田、共に3勝目で待望の勝ち越しに王手。
平成17年7月18日
初日以来の関取全員白星。10月にラスベガス公演があるが、9月場所の幕内力士のみの参加なので、新入幕を目指す十両東筆頭の泉州山 はもちろんのこと、2枚目の闘牙にとっても、残り6日間がラスベガス行きをかけた闘いになる。
三段目50枚目の神山勝ち越し。毎日取組まえの支度部屋での横綱の稽古相手を務めており、3連勝した6日目の時点で日刊スポーツから「横綱の稽古台の付人神山も好調3連勝」という取材を受け、7日目の朝刊に写真入りで結構大きく掲載された。「4連敗したらシャレにならないから、勝越してから載せてくれと頼んでいたのに」と心配していたが、堂々の勝ち越しとなった。あと一勝すれば最高位更新も見えてくる。
平成17年7月19日
朝神田入門3年目にして2回目の勝ち越し。部屋の全員が毎年お世話になっている地元蟹江の家族があり、力士も家族ぐるみの付き合いだが、その家族に朝神田と同じ年の娘さんがいる。場所前一緒に飯を食いながら、同い年で話も合い、周りもあおるものだから、デートするまで話は盛り上がった。ところが、慌てたお父さんが「勝ち越したら娘とデートさせてやる」という条件をつけた。朝神田の今までの成績を知っているからこその言葉であった。ところがお父さんの意に反したのかどうか、10日目の今日にして勝ち越しを決めてしまった。大喜びの朝神田、「やっぱり愛の力は強いな」と、みんな納得した。
平成17年7月22日
朝赤龍、昨日の出島戦で勝ったものの脚を痛め今日から休場。体育館から病院へ直行して治療に努めたものの、今朝は歩行困難な状態で無念の不戦敗となった。休場は入門以来初めてのことである。その朝赤龍の付人の高稲沢、ご当所の場所で6連敗だったが、ようやく片目があく。片目だった大子錦2勝目で両目があく。そういえばきのう、チャリンコに乗っていて田んぼに落ちたらしい大子錦、ドロドロになって帰ってきて「自転車に乗りながら寝てたの?」と突っ込まれていたが、片目だったせいであろう。朝久保6勝目。
平成17年7月23日
6勝7敗とあとがなかった泉州山と闘牙、ともに敗れて負け越し決定。来場所の入幕と、10月のラスベガスがアゴになってしまった。3勝3敗で最後の一番となった朝奄美と熊ノ郷、朝奄美は負け越すも、熊ノ郷勝ち越し。これで若い衆20人のうち11人が勝ち越しとなった。あすの優勝決定の準備も完了し、千秋楽の土俵を待つだけである。6時40分過ぎに部屋に戻ってきた横綱、「琴欧州も負けないねぇ」と楽しそうに語り、あすの決定戦を待ち望んでいる気持ちの昂まりが自然にあふれでている。
平成17年7月24日
千秋楽。打上げパーティの会場となる尾張温泉東海センターの前に酒樽をセッティングして体育館へと向かう。東支度部屋奥には佐渡ヶ嶽部屋勢が集まり、入口側には高砂一門が勢揃いして、テレビでこれより三役を見守る。琴欧州が敗れた時点で5連覇を確信するが、勝負が決まるまでは予断を許さないのが相撲でもある。13回目の優勝が決定し、表彰式後、支度部屋で後援会に囲まれての賜杯を抱いての記念撮影。その足で蟹江の尾張温泉へと向かう為、体育館外のタクシー乗り場へ急ぐが、パーティ会場へ向かっているはずの銀杯を抱えた熊ノ郷が、手配の車とはぐれたといってうろうろしている。それなら一緒にタクシーでと乗り込んだところ運転手と連絡がついて銀杯を積み込み蟹江へ向け高速で走る。横綱の到着より先にパーティ会場に銀杯を届けなければいけないが、運転手も名古屋市内の環状線の高速はあまり慣れていなく、標識を確認しながらけっこうハラハラの走行である。6時35分無事会場にたどり着き銀杯をセット。6時50分、横綱も到着して銀杯での乾杯により祝賀会が開宴となる。
平成17年7月25日
今日から一週間は稽古が休みで、部屋の後片付けや荷造りをしていくこととなるが、この稽古休み中、勝ち越した力士のみ2泊3日の里帰りが許されることになる。今場所6勝1敗と大勝ちした朝久保、高知県安芸市へ里帰りする為、明日26日午後1時の飛行機をとったが、台風7号の接近で欠航の心配もでてきた。めったにないチャンスで地元の友達ともいろいろ約束しているそうだが、天気予報を見ながらヤキモキする夜を過ごしている。明日午後1時名古屋発の高知行きの飛行機次第である。
平成17年7月28日
地元名古屋の中日新聞で夏目漱石の「吾輩は猫である」を連載しているが、その夏目漱石の熊本の旧制五高時代の教え子に、寺田寅彦という明治の物理学者がいる。寺田寅彦は、物理学者であるとともに随筆家でもあって、多くの文章を残しているが、1991年発行の日本の名随筆別巻2『相撲』(吉村昭編作品社)に寺田寅彦の「相撲」という7ページほどの随筆が載っている。その中に、夏目漱石先生の紹介で東京朝日新聞に「相撲の力学」という記事を書いたことがあるという話もあり興味深い。
平成17年7月29日
日本の名随筆別巻2『相撲』には30人近い近世文人の随筆が集められているが、石井代蔵の「戦後異能力士列伝」という文もある。その中に元若松部屋の潜航艇岩風の話が出ている。昭和30年代、褐色の弾丸房錦と共に三役をはった岩風は、引退後すぐ廃業して、それっきり部屋に顔を出すこともなく、死んでしまったという噂もあったほどだそうだが、昭和56年5月21日に師匠だった元鯱ノ里の二代目若松親方が急死して、翌日行われたお通夜にひょっこり現れたそうである。ただ、口髭をたくわえ、昔の面影はまったくなく、本人が名乗るまでは房錦の三代目若松でさえわからなかったそうである。
平成17年7月31日
名古屋より新幹線の相撲列車にて全員帰京。今夏は、明後日2日から11日まで青森五所川原合宿、その間6日7日は岩手秋田での巡業。帰ってきて、22日から25日まで恒例の平塚合宿。26日に健康診断。29日が秋場所番付発表で、9月11日(日)初日の9月場所を迎えることになる。
平成17年8月1日
潜航艇の異名をとった元関脇岩風は、おそろしく無口だったそうである。最近でこそ力士もテレビのインタビューや支度部屋での新聞記者の取材に、よく受け答えするようになったが、当時はしゃべらないおすもうさんが多かったようで、その中でも群を抜いての徹底ぶりだったそうである。ただ唯一、手の合った元文化放送アナウンサーの細田勝氏にはボソボソと少しだけしゃべってくれたそうである。
家業が鉄筋屋で、手で鉄筋をグニャと曲げていたという怪力ぶりは有名な話である。
平成17年8月2日
岩風はまた稽古嫌いでも有名だったそうである。若い頃はもちろんかなり稽古させられたのだろが、関取で活躍している頃には巡業なんかにいっても、旅館で薪割りをやったりするばかりだったらしい。そんな話を元大関前の山の高田川親方にも聞いたことがある。200数十キロもあるレールを持ち上げたりしたこともあるそうで、昔で言う膂力(りょりょく)が抜群だったのであろう。
毎年恒例の青森五所川原合宿へ出発。あまり東京と変わらない暑さである。
平成17年8月3日
合宿先でお世話になっている江良産業の次男坊は今春近畿大学相撲部を卒業して、現在青森の鯵ヶ沢高校で教員をやっている。もちろん相撲部のコーチで、その縁で今日は高砂部屋力士9名も鯵ヶ沢高校相撲部の稽古に参加。鯵ヶ沢高校は、八角部屋海鵬関の出身校で、海鵬が在籍中には九重部屋埒見らと共に全国制覇を果たしたこともある名門である。現在部員は16名で、新相撲のメンバーも3人一緒に稽古している。
平成17年8月4日
五所川原合宿で毎年恒例となっている青森後援会の白生会胃腸病院の介護施設である緑風苑で、ちゃんこをつくってふるまい、相撲基本動作実演やカラオケ、写真撮影会などで交流を深める。年に一度の力士との交流をみんな楽しみにしてくれていて、孫に接するような喜びようである。夕方から、これも恒例となっている青森後援会の藤本建設㈱社提供の出世大太鼓のメンバーとして青森のねぶた祭りに参加。ふだん歩き慣れないおすもうさんも、今日ばかりは青森市内を練り歩き、浴衣も汗でビシャビシャである。
平成17年8月5日
今日は全国的にも今年一番の猛暑だったそうだが、2日乗り込み以来青森も30度を超える暑い日が続いている。アンコにとって、暑さは最大の敵で、「溶けそう、溶けそう」と警報を発しているが、合宿先の江良道場は、土俵の横の上がり座敷でちゃんこを食べることになっていて、もちろんクーラーは無く、扇風機が一台置いてあるのみという状況である。その扇風機の首振りが壊れているので、いっしょにちゃんこを食っていた朝陽丸と福寿丸のアンコ二人、飯を食いながら交互に扇風機をあてている。その間隔約2分づつ。風が切れた途端に汗がふきだし流れ落ちる。風があたると少しずつ汗が引いていく。それを交互に5回ほど繰り返し、暑苦しい午餐は終了した。
平成17年8月6日
一般家庭では、クーラーのある部屋に扇風機は置いてないと思うが、相撲部屋とくにアンコ力士の周辺ではクーラーのある部屋でも必ず扇風機がセットになっている。一般的に、扇風機の風に連続してあたりつづける事は体温を奪い身体に非常によくないそうだが、そんな人間の常識が通用しないのがアンコのアンコたる所以でもある。夏は、クーラーをガンガンに効かし、布団をかぶり、頭上から顔に扇風機を強風であてて寝るのが常である。決して首振りやリズム機能は使わない。寝入ったからと思って扇風機を止めると、必ず起きてしまうのもアンコの常である。
平成17年8月8日
「寝顔が可愛い」とはよく聞くが、誰とは言えないが、某アンコ力士の寝顔ほどすさまじいものはない。人間の顔もここまで変形できるのかというほど面白い顔、というか、ピカソの絵にでもなりそうな前衛的な造形物になる。あまり面白いものだから、ある力士が、その某アンコ力士の寝顔を写メして、飲み屋でおねーちゃんに見せたらしい。見た瞬間、誰もが「これ何?」とわからないそうである。「顔だよ!」といってマジマジ見直してようやく「あーぁ」と、うなずくほど、前衛的である。
平成17年8月9日
「♪小さな寝息をたててる・・・・♪」というフレーズが南こうせつの歌にあったように(妹よ)、寝息はふつう小さいものであるが、アンコは寝息までがでかい。イビキはもちろんでかいに決まっているが、イビキをかいていないときのふつうの寝息も隣に寝るとかなりなものがある。そこに無呼吸症候群が加わると、不規則で、危なっかしく、このまま息が止まってしまうのではないかと心配してしまうほどである。また寝息とともに頭や体も上下左右不規則な動きを繰り返し、顔の変形とあわせて、ちょっと距離を置いて見る分には十分なおかしみもある。動物園の動物を見て喜ぶのと似た感覚かもしれない。ただあまり近づきすぎると寝っぺに時々やられてしまうこともあるが。
ねぶた祭りが青森の真夏のピークだったようで、きのうから朝晩はめっきり涼しさがでてきた。五所川原合宿も明日が最終日となる。
平成17年8月10日
合宿先の江良道場での宿泊は、土俵のある建物の隣の画廊になっている。30畳ほどはある画廊だが、普段は画廊だけに小さい窓が一つあるだけで、熱がこもってしまう建物になっている。合宿で宿泊するようになってクーラーが二台ついたが、一年の内10日ほどしか使わないクーラーだから6畳間用ほどのが二台ついているだけである。その中に10人の力士が寝ると昼間は殆どクーラーは効かない状態になってしまう。その代わり画廊なだけに照明はシャンデリア風やらが天井びっしりセットされている。窓が少ないから、昼間でも照明をつけるが、温度に敏感なアンコは、「照明つけると温度が1度は上がってしまうから消せ」というが、アンコが部屋にいることによって2度は上がってしまうことをアンコ本人はわかっていない。
平成17年8月11日
五所川原江良道場を午前9時バスにて出発。12時過ぎ盛岡駅に到着して12時39分発の"はやて”にて帰京。同じ東北新幹線でも、"やまびこ”は自由席があるからアンコ力士の隣になったソップ型の新弟子は(強制的にアンコとソップの新弟子がセットになる)自由席に移動したりもできるが、"はやて”は全席指定なのでそれもできない。この季節の新幹線はかなり混んでいるが、仙台まではまだいくらか空席もあり空いている席に座ることもできるが、仙台駅でドッと乗客が乗り、それもできなくなり結局もとのアンコの隣席に戻ることになる。寝っぱなしとはいえ、上野駅に到着した姿はぐったりとして、乗車前よりやせ細った感じえ見受けられる。
午後3時2分上野着。タクシーに分乗して部屋へ戻る。
平成17年8月14日
ルジマトフという名前は少し前まで聞いたこともなかったが、最近バレエを観る機会を何度か得て、その圧倒的存在感、身体能力の高さ、観客を魅了するスター性、言葉をあげればキリがない。まさに伝説のカリスマダンサーと呼ぶにふさわしい舞踊家である。先日は、レニングラード国立バレエ団との共演であったが、世界一流のダンサーと比べてもその存在は格別で、一流ダンサーが普通の人間に見えてしまうような差がある。
平成17年8月15日
今回の舞台はハイライトで、次々と主役ダンサーがでてきたので何がこんなに違うのだろうと比べて観る事ができた。まず立ち姿が違う。ただ真っ直ぐ立っているだけで美しい。歩くともっと違う。他の一流ダンサーは脚で歩いているが(あたりまえだが)、ルジマトフは重心(腰腹部)を移動させて歩いている。他のダンサーが脚で重心を運んでるのに比べ、重心の移動で脚を動かしている。軽やかで動きに無駄が無い。その差は、横綱朝青龍と他の力士との違いを思い出させるほどである。
平成17年8月17日
走っても軽い。飛ぶようである。ジャンプするときも軽い。フワッと上がっているのに、他の一流ダンサーに比べ、高く、滞空時間も長い。実際に目にしたことはないが、マイケルジョーダンのジャンプにも通じるところがあるのではないだろうか。立った姿勢から脚を上げるときにも、上体も腰部も全くブレない。鏡の前で実際にやってみるとわかると思うが、片足を少しでも上げようとすると、軸足に重心を移さなければならず、かなりブレてしまう。プロである背後で踊っているダンサーでもけっこう揺らぐダンサーがいるが、ルジマトフは1ミリもブレない。軸足や上体と切り離されたように、上げる脚のみが、他人の脚みたいにスッと上がってポーズを決める。
平成17年8月18日
立った姿勢から、後ろ足をひいて、前足は膝を立て、腰を落としていくポーズをよくとるが、その時にも他のダンサーに比べ膝が全くブレない。ふつうは、腰を落としていくときに前足の膝が前後左右にけっこう動きながら決めのポーズに入っていくが、ルジマトフの動きは、前足の膝が固定されて、膝を支点にして腰(腰腹部)や後ろ脚がスーッと落ちていく。その動きを見た時に思い出した動きがある。双葉山が四股を踏むときの動きである。軸足の膝がブレずに上に上げた脚や腰をストンと落としていく。身体の使い方が一緒なのであろう。
平成17年8月19日
膝を固定する、動かさない、ということはどういうことになるのだろうか。腰割りの記事でも紹介したように、最近スポーツ界でも股関節の重要性ということが色んなところで言われている。足腰を鍛えるためのトレーニングでスクワットという動作は広く一般的だが、一般的なスクワットでは膝を前に出して、しゃがんでいく動作を繰り返す。このスクワットでは主に太腿の前や膝周りの筋肉ガ鍛えられる。ところがここ10年ほど、股関節の重要性がだんだんと叫ばれるようになって、股関節スクワットというトレーニング方法があちらこちらで紹介されるようになってきた。股関節スクワットは、膝を固定してお尻をうしろにつきだしながら腰を落としていく動作になる。そうすることによって、股関節周りの筋肉が使えるようになる、ということである。
平成17年8月20日
膝を固定することである。以前にも何度か紹介したようにNHKBSで平成11年に放送された『名力士・名勝負の100年』は、明治から現代までの大相撲の取組が見られて興味深いが、膝だけに注目して4時間の番組を見るとまた面白い。(早送りして取組だけ見ても1時間以上かかるが。)注目すべきは、やっぱり双葉山である。双葉山の取組は、30番近く収録されているが、どの取組でも膝から下、すなわちスネが常に両脚とも前傾で殆ど一定の角度に保たれている。前に出るときも、四つに組んだ時も、さらに打っちゃるときも、スネは前傾姿勢を保っている。
平成17年8月21日
ふつう、前に出ているときはともかくとして、四つに組んだ時には、足を前後にも開くので、前足のスネは殆ど垂直か、場合によっては少し後傾することが多い。そうなった時の前足は、腰より前にあり、すなわち重心より前にあることになる。前足は遊んでいる状態である。そこから動こうとすると、重心(腰)を前に動かして前足に体重がのらないと前足には力は入らない。その分動き出しが遅くなるし、相手にも感じられやすい。両脚が常に前傾だと、常に重心 と足が一体で動き出しも速く、相手に伝わる力も強いのであろう。それが腰で相撲を取るということであり、双葉山の腰の強さなのではないのだろうか。
平成17年8月22日
今日から平塚合宿。午後3時過ぎに湘南高砂部屋後援会からの迎えのバスにて宿舎となる平塚市総合運動公園内の宿泊研修所入り。午後6時から公園内の会場にて歓迎会。来賓で地元の河野太郎前衆議院議員も歓迎の挨拶。若松部屋時代から12年目となる合宿とあって、すっかり平塚の夏の風物詩になっている。明日から3日間研修所近くの土俵にて稽古することになる。
平成17年8月24日
名古屋テレビ土曜深夜0:30から30分間、伊集院光がやっている「光る!スポーツ研究所」という番組があるそうで、その中で「スポーツの衝撃力」というテーマの取材が平塚合宿で行われた。あらゆるスポーツの衝撃力の中で一番衝撃の大きいのは相撲の立合いだそうで、その衝撃力は800kgから1トンの力がお互いの力士にかかるそうである。その立合いの当たり方を元朝乃若の若松親方の解説で検証しようという番組である。ただ、東海地区ローカルの番組だそうです。
平成17年8月25日
平塚合宿を打ち上げ、午後1時半熱海へと向かう。平塚合宿の一環で、今年で5年目となる熱海サンビーチでのちびっこ相撲大会へ参加して、夕方に大月ホテルでパーティという行事だが、台風襲来でビーチのちびっこ相撲はさすがに中止となり、午後5時半よりのパーティのみの参加となる。カラオケや相撲甚句で熱海のファンとの交流を深め、午後7時にパーティがお開きとなる。終わってホテルから出たら暴風雨吹き荒れている。みんな、「怖いよ~」「大丈夫かよ」とわめきながら、バスで怒涛押し寄せる海沿いの道を出発したが、30分後にはあちらこちらからイビキが聞こえてくる。やっぱり怖さよりも眠さの方が勝ってしまうようである。午後9時半過ぎ無事部屋に帰りつく。
平成17年8月28日
昨日27日に『相撲指導適格認定証』の講習会が行われ、現役力士16名を含む60人が受講。受講資格は5年以上の在籍がある者で三段目以上に実績を持つ者という条件である。午前8時50分より「指導者の役割」「スポーツと栄養」「スポーツ医学」「救急法実習」「トレーニング論」「相撲体操実技」と夕方5時過ぎまで講習が行われ、講習会後の試験にも全員合格した。あすが秋場所番付発表。
平成17年9月1日
先場所13日目の膝の怪我で初めての休場となった朝赤龍、まだ相撲を取れる状態ではないようだが、久しぶりのマワシを締めて四股スリ足などの準備運動を始動。11日の初日目指して、これから徐々にペースを上げていくことになる。明日は横綱審議委員会総見稽古となっている。(国技館内相撲教習所土俵。一般非公開。)
平成17年9月2日
元幕内の朝乃翔、平成13年12月に引退して準年寄朝乃翔として親方生活をスタートしたが、その後若松親方となり、平成17年4月から佐ノ山を襲名していたが、今年17年8月から関ノ戸に名跡が変更になった。年寄株が借株なため、持ち主の事情により変更になってしまい、株取得目指して頑張っているが、現在空き株が殆どないため取得が厳しい状況ではある。そんな中、早朝の稽古に千葉県から通い、一度自宅に戻り更に夕方の筋トレにも顔を出しと、指導に精力的である。人呼んで小田原ジムといわれているが、今場所は特に、いつもの塙ノ里に加え福寿丸もジムに参加していて、夕方の地下室でうめき声を上げながらいい汗を流している。
平成17年9月3日
地元本所3丁目の応援組織である本所高砂会の懇親会が、秋場所前恒例で行われる。元々本所若松会の頃からすると、ちょうど10年目になるそうで、10周年記念の集合写真の撮影も行われた。親方家族と関取衆と共に50名近くがテーブルを囲みカラオケや抽選会などで懇親を深める。10年一昔とはいうが、このホームページを立ち上げた平成9年8月30日の会が2回目の会合だったようで、当時小学5年生だった親方の長男茂紀君も大学1年生となり、入学した立教大学で相撲部として頑張っており、今日は東日本体重別選手権に出場したようで、初めて本所高砂会を欠席することとなった。
平成17年9月5日
再びルジマトフである。知人にビデオをお借りしたので繰り返し見ているが、見れば見るほど、その身体、動きの深さに魅入られてしまう。まったく飽きることがない。以前に、脚が他人の脚のように切り離されることを書いたが、腕も同様である。前後左右自由自在に動き、胴体と切り離されたようでさえある。後ろへ腕を伸ばすときも前へ出したように思えるほどひっかかりなく伸びる。
実際にもそうなのだろうが、腕や脚がものすごく長く見える。肩胛骨や股関節(腸腰筋)が使えるとそうなるそうである。質感、量感はちょっと違うが、双葉山のビデオを繰り返し見て飽きないのと同じ感覚がある。
平成17年9月6日
脚や腕が切り離されて自由自在に動きながら、全体としての統一感がまたものすごい。腕や脚がどんな動きをしようとも、体の中心部はその動きに影響されることなく揺るがない。高岡英夫氏が唱えているところのセンターが全くぶれない。というよりも、身体のセンターで、腕や脚の動きを操り、より豊かな動きを生みだしている。そういう動きこそが人類や宇宙の動きの本質そのものなのであろう。
そういう本質の動きを見ることによって、われわれ凡人の中にも眠っている細胞のDNAが同調して、素晴らしいという感動を感じるのであろう。というようなことが、高岡英夫氏の身体意識論である。
平成17年9月7日
身体を切り離して使うこと、全体として統一して使うことは、まったくもって難しいことである。差し手をおっつけられると、腰まで崩れてしまう。差されて腕を返されると体全体が浮き上がってしまう。反対に、相手を押すときには肩や上体にばかり力が入ってしまい、体全体で押すことができない。双葉山の取組は、相手のおっつけや突っ張り、差し手、いかなる攻めにも、腰が全く揺らがない。そのために、上体はあくまでも柔らかく、下半身、特に足は、腰が崩れないポジションを捜すように小刻みに動いている。攻めに転ずる時には、寄りにしろ、上手投げにしろ、全身が一致団結してその動きを支えている。攻めたり守ったりすることはないが、ルジマトフの動きも同様である。
新横綱の綱打ちが行われる。
平成17年9月10日
初日が明日へと迫り、今日から稽古の開始時間も30分遅くなり、いよいよ本場所モードとなる。お昼過ぎ、触れ太鼓があしたの取組を呼び上げ、割り(取組表)が部屋にもまわってきて、対戦相手や相撲が明日か明後日かというのもはっきりして、気持ちも高まってくる。
横綱の優勝額の授与式が国技館で行われ、5月場所と7月場所の分が、明日初日の中入り後に国技館内で除幕式にて披露される。優勝額は館内の一面に8枚ずつ四面で32枚あるから、今回の分で二面を殆ど横綱朝青龍の額が占めることになる。あす横綱は普天王との対戦である。
平成17年9月11日
横綱が初日に負ける大波乱となった。波乱の相手は普天王。最近ブログでも話題になっているが、ここ2,3場所見違えるように力をつけてきた。テレビでも何度も紹介されているように、高校の同級生で、インターハイの準決勝で対戦した時には普天王(当時内田)が勝っている。平成12年12月10日に行われた全日本選手権では大学2年生でアマチュア横綱となっているから、最近の活躍が遅すぎたくらいの素材ではある。強くなったから言うわけではないが、先場所テレビで見ていて四股の踏み方が良くなったなと感じていたところであった。横綱が大関へ上がる頃に感じた印象(2月6日の日記)のと同じ印象を受けた。
平成17年9月12日
同じ印象とは、足を下ろすときに腰がいっぺんに下りることである。足を下ろして、そこから腰を下ろすのでなく、動作が一段階で終わりである。一拍子という感覚であろうか。普天王は、山科親方(元大錦)の指導の下、正しい四股に取り組んで成果が上がったことが新聞紙上でも再三紹介されているが、現代の力士で、こういう印象の四股を踏んでいる力士は数少ない。ところが、以前の日記(平成14年4月21日~5月8日)でも取り上げたように明治から昭和初期にかけては殆どの力士がそういう印象の四股を踏んでいる。
平成17年9月13日
それならみんな腰をいっきに下ろす四股を踏めばいいのにと思うかもしれないが、かんたんそうに見えて、現代人にはけっこう難しい動きである。足腰が強い、足腰を鍛えるということは、現代人にとって腰というよりも脚の筋肉の意識が強いから、どうしても脚の方に力を入れてしまう。そうすると、腰が下りるのを脚が邪魔してしまう。特にフトモモの前(大腿四頭筋)に力が入ると、それは膝を伸ばす動きになるから、腰を下ろす動きにブレーキをかけてしまい腰が途中で止まってしまう。そこからまた腰を下ろすという二段階の動きになってしまう。朝赤龍2連勝と好調のスタートを切ったものの、昨日の取組で先場所痛めた膝を悪化させ今日から休場。
平成17年9月14日
一方、ひといきで腰を下ろす動きは、太股(特に前)の筋肉を脱力しないとスムーズにいかない。フトモモの前の筋肉がリラックスできてはじめて腸腰筋(ちょうようきん)が使えるようになってくるそうだから、現在あらゆるスポーツの最前線でその重要性が叫ばれている腸腰筋を使うためには、腰を一気に下ろすということが最も大事になってくるのかもしれない。
平成17年9月15日
腰を一気に下ろすには、膝が支点となり固定されなければならない。というと、膝に力を入れて固めるという感じをうけてしまうかもしれないが、そうではなく、膝の力を抜いて、腰の動きに対して膝から下(スネ)が動かないということである。膝から下と膝から上が切り離されて、一気に元の腰の高さまで腰が落ちるという動きである。膝から上の体が落ちる時に膝やフトモモでブレーキをかけないから、重力を最大限に使った重みのある四股になるのであろう。
平成17年9月16日
一気に腰を下ろすが、下ろすのは膝の高さまでである。それ以上はしゃがみこまない。腰割りのところでも述べたように、スネは垂直に、フトモモは水平に、膝と腰(この場合の腰は骨盤底)が同じ高さになる姿勢が、一番股関節周りの筋肉の活動が活発で、構造的にも安定した姿勢となるようである。イスや机の構造と同じである。朝奄美、おとといの稽古で首を痛め今日から休場。
平成17年9月17日
腰を一気に下ろすには、膝の力を抜くことが大事になってくるのであろう。そんなことを繰り返し考えているうちに、これが武道で言う「膝を抜く」ということなのかと思った。「ナンバ走り」以来ちょっとしたブームになっている古武術の解説本にもよく出てくる「膝を抜く」という動きである。膝の力を抜くことによって重力を最大限に使った動きができるそうである。小田伸午『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』(大修館書店2005年)によると、陸上の末續選手のスタートは、スターティンブロックを蹴るのでなく、膝の力を抜いてスタートしているそうである。幕下10枚目の皇牙3勝目。東京場所中日に行われる溜り会の懇親会は、幕下有望力士をゲストとして招待することになっているそうだが、明日の溜り会は皇牙にも招待状が届いている。
平成17年9月18日
膝の力を抜くことによって重心(腰)が重力によって下に落ち、下に落ちながら前に進むことになるから、合力は斜め下方にベクトル(力の方向)が向くことになる。人間の本能というか生物の本能なのだろうが、落ちることを本能的にいやがるから、腰から上の上体は逆に起き上がる方向に動き出す。それが本来の下から当たるという立合いになるのであろう。それが、土俵を蹴って相手に当たると、蹴ったことによる上向きの力と、重心にかかる下向きの重力が打ち消しあって前へ出る力の合力は減ってしまうのであろう。
平成17年9月19日
怪我人や休場者続出のうえ、成績も大不振の今場所の高砂部屋、ようやく三段目の高稲沢が、今場所初の勝ち越し。特に序二段以下がボロボロである。四股の話から、「膝を抜く」とか、立合いの話とか、考え出すと、深く、広く、難解で、わかりだしたと思っても更に新しい疑問も出てきてしまい、ますますわからなくなってくるというのが実情である。こういうことを本場所中に考えだすと、ろくな結果にならないというのは頭ではわかっているのだが、頭はついつい考えてしまう。負け越した言い訳になってしまうが。
平成17年9月20日
頭と身体の関係は、野球チームとフロントの関係に似ているかもしれない。選手や監督、コーチなどを集め組織や環境をつくり、チームとしての方針を決めるのはフロントだが、シーズンが始まると実際に動くのは監督や選手である。いい動きをするときには、頭で考えることなく体が勝手に動いてしまう。勝手に動くのだけれど、全体としての統一感はあり、しかもそれぞれがそれぞれの役割をしっかり果たしている。ところが、ここに頭が参加してくると、迷い、動きが 遅くなり、勝ちたいという欲や、負けたらどうしようという不安・・・などなどで、身体本来のいい動きの邪魔をしてしまう。朝光 二人目の勝ち越し。だが、負け越しは今日で9人になってしまった。
膝の怪我で休場の朝赤龍、明日から再出場。
平成17年9月21日
弓取式を務める皇牙、幕下10枚目での勝ち越し。今年にはいって初場所こそ負け越したものの、3月から4場所連続の勝ち越しで、来場所は自己最高位の更新である。今日の対戦相手は元関脇の追風海。相撲内容も完勝だったそうで、怪我で落ちているとはいえ、百戦錬磨の実力者に勝っての勝ち越しは大きな自信になったことであろう。逆に朝陽丸は負け越し。怪我もあるとはいえ、こちらはアマチュア横綱を勝ち取ったときの自信を思い起こして欲しいところである。
平成17年9月22日
先場所の膝の怪我を悪化させて3日目から休場していた朝赤龍、きのうから再出場して、内容的にもいい相撲で連勝して4勝目。残り3日間で1勝すれば、幕内残留の可能性が大きくなってくる。十両5枚目の闘牙は今日でついに10敗目。残り3日間で最低1勝はしないと関取の座から陥落する可能性も大きくなってきた。
平成17年9月24日
いよいよ逆転優勝が、6連覇が、現実的なものとして近づいてきた。酒樽が届いたり、本所警察に優勝パレードの打合せに行ったりと、いつもながらの千秋楽を迎える準備の流れになってきた。部屋に戻ってきた横綱も、「時がきた!」と、昂ぶることもなく集中力がいよいよみなぎってきた表情である。怪我人や休場力士も出て、成績も近年稀に見る悪い散々な場所となったが、3勝3敗の3力士が今日みんな勝ち越しを決め、あす横綱が優勝で締めてくれると、めでたしで終えられるのだが。また、闘牙にとっても、あすは横綱にも匹敵するほど大事な一番とななってしまった。
平成17年9月26日
千秋楽から一夜明け。部屋の玄関には優勝祝いの酒樽が3個並び、テレビ局からの祝いのビールも10ケースほど積まれている。午前9時起きで若者会のミーティングを行い、各自今場所の反省文を書き、山と積まれた荷物を片付けていく。大分県知事賞のシイタケ1年分が大きなビニール袋一杯にあったり、大関杯の大銀杯と優勝旗も部屋に持ち帰るので、2階の大広間に置かれていて、祭りの後状態である。銀杯と優勝旗は朝一番で協会事務所に返還にいく。昨日の取組が最後の一番となった熊ノ郷、昨晩の打上げパーティで断髪式を行い力士生活に別れを告げることとなった。
平成17年9月27日
最後の一番、攻め込まれながらも小手投げで3勝目を勝ち取った闘牙関。負けて2勝なら幕下陥落が決定的だったが、何とか白星を勝ち取り、ギリギリ希望的な星取りまではこぎつけた。今場所の幕下と十両の境では、昇進陥落が2人になるか、3人になるか微妙なところで、28日の番付編成会議が開かれるまでは何ともいえない状況ではある。
平成17年9月30日
心配された闘牙。正式な発表は10月31日の番付発表を待たねばならないが、28日に発表された新十両2人というのを見ると、なんとか関取の座に残れたようで一安心である。来場所こそは体調を整えて、いいお正月を迎えられるよう期待したいものである。
10月7,8,9日と行われる大相撲ラスベガス公演の団長を務める師匠、先発隊として行司の勝次郎らと共に今日ラスベガスへ出発。本隊は10月4日に出発の予定である。