平成19年4月1日
毎年春場所後恒例の伊勢神宮奉納相撲。終わると一旦東京に戻って、また金曜日から巡業に出発する。皇牙もでているが、弓取式はやらずの巡業参加である。皇牙の代わりに弓取式を務めるのは男女ノ里。本場所でこそまだ経験がないものの、最近の巡業ではずっとやっているから、もう慣れたものではある。5月場所からは、国技館土俵でも弓取式を務めることになる。
平成19年4月2日
6月にはハワイ巡業がある。海外巡業の場合は付人の数が極端に減り、横綱でも付いていくのは2人だけである。元々は皇牙が弓取式で十両ながら参加する(海外巡業は幕内だけ)予定だったのだが、急な引退となったため参加できなくなった。ビザの関係もあって、すでに参加者登録は2月に済んでいて、その中には男女ノ里の名前もない。今から変更するのには手続きもかなり大変になるため、ハワイ巡業に参加する塙ノ里も弓取式を練習することになりそうである。
平成19年4月4日
皇牙の断髪式の概略がきまった。5月場所後の6月3日(日)、お昼頃から国技館土俵にて断髪式を行い、そのあと午後3時頃から両国第一ホテルにて披露パーティーという流れになりそうである。断髪式に先立ち横綱土俵入りや初っ切り、皇牙本人による最後の弓取式も行われる予定である。
平成19年4月6日
断髪式やパーティーなどの部屋の催物、冠婚葬祭などで、名簿を作って案内状を出したり、出欠をまとめたり、受付をやったりするのは主に行司さんが中心になってやる。大きな催物になると、部屋だけでなく一門の行司さんが勢揃いして行う。それだけに一門の行司さん同士は結びつきも強い。土俵上での行司裁きはもちろんだが、そういう催物の事務一般がこなせるようになって初めて行司さんも一人前といえそうである。先日の闘牙につづき、今回の皇牙の断髪式と日をあけずしての事なので入門間もない木村悟志にとっては貴重な勉強の場である。
平成19年4月8日
以前にも紹介した『大相撲と歩んだ行司人生51年』(木村庄之助・根間弘海著、英宝社)に行司さんの仕事が詳しく紹介されている。土俵上での裁きはもちろん、土俵入りでの先導、土俵祭り、場内放送係、取組編成の書記、番付編成の書記、割場、輸送係、巡業での先発書記、部屋での書き物、・・・ 多岐に亘る。
平成19年4月9日
土俵上での裁きはテレビでもよく見えるから誰でもわかるが、土俵入りの先導は力士に目が行く為われわれ関係者でもなんとなく見過ごしてしまう。土俵入りは十枚目(十両)、幕内、横綱と3種類あるが、それぞれ担当があるようである。十両土俵入りは十両格行司、幕内土俵入りは幕内格か三役格行司、横綱土俵入りは立行司(横綱が3人以上いるときは三役格まで)となっているそうである。それぞれ全員が順番に務め、横綱も現在のように朝青龍一人の場合は、庄之助と伊之助と交互に務めるそうである。
平成19年4月10日
土俵祭は、本場所の土俵は初日の前日10時から、稽古場の土俵祭は番付発表の翌日、稽古始めの朝に行う。本場所の土俵祭は立行司が祭主を務めるが、部屋の土俵祭は、それぞれ部屋所属の行司(主に十両格以上)が務める。簡単にいうと土俵を清める御祓いだが、庄之助親方の本によると「相撲に関わりのある三神と四季の神を土俵の守り神として勧請します」とある。三神とは、『神産巣日神(かみむすびのかみ)』『高御産巣日神(たかみむすびのかみ)』 『天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)』という五穀の守り三神だそうである。
平成19年4月11日
勝ち名乗りを受けるときに切る手刀は、心という字を書いていると思っている人も多いようだが、あれも三神への感謝の作法である。左、右、真ん中と切り、左が『神産巣日神』、右が『高御産巣日神』、真ん中が『天御中主神』だそうである。
あれは何なんですか?とよく質問されるので、神様の名前を覚えようとしたが、未だに覚えきれずにいる。勝力士が懸賞を受け取る際に手刀を切る作法はわりあい新しくて、昭和41年七月場所からのことだそうである。
平成19年4月12日
「天地初めて発(ひら)けし時、高天の原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、神産巣日神、此の三柱(みはしら)の神は、並独身神(みなひとりがみ)と成り坐(ましま)して、身を隠したまひき」と『古事記』にあるそうである。天之御中主神が真ん中になり、高御産巣日神が男神的役割となり、神産巣日神が女神的役割となって、三神がワンセットで天地創造を果たしたそうである。ちなみに手話のありがとうは相撲の手刀が元になっているそうである。
平成19年4月13日
相撲博物館の館長を務めている元横綱の大鵬さんが、今朝国技館地下大広間で、相撲教習所生徒を対象に45分ほどの講演をやったそうである。自らの新弟子の頃の話から四股の踏み方、相撲に対する心構えなど熱く語ってくれたそうで、是非拝聴したかったものである。新弟子のみならず、現役関取衆、親方衆、全力士に話す機会も設けて頂きたいものである。
平成19年4月15日
「手刀を切る」作法自体は江戸時代からのものらしい。元々弓を受け取る時に行われたものだそうで、戦後「涙の敢闘賞」という映画にもなった名寄岩が懸賞を受け取る時に始めたことがきっかけとなって、昭和41年七月場所に明文化されたそうである。
平成19年4月16日
いまでは考えられないことだが、昭和30年代には力士が主演の相撲映画が数々作られたようである。「名寄岩 涙の敢闘賞」をはじめ、「力道山物語 怒涛の男」「若乃花物語 土俵の鬼」「風雪十年 全勝吉葉山」「土俵物語」、ちょっと時代がさかのぼって「双葉山物語」などなど枚挙にいとまがない。そんな懐かしの映画のポスターが、両国駅ビルにある居酒屋『花の舞』のお手洗いに飾ってあり、中でも「土俵物語」のポスターに、若かりし褐色の弾丸房錦の姿を見つけたときは思わず感動の声をあげてしまった。
平成19年4月17日
「土俵物語」の主人公は房錦である。ポスターには“母の祈りを背に受けて、父から受ける勝ち名乗り!若き闘魂は暴れ狂う、弾丸力士栄光物語!”と銘打ってある。お父さんが式守錦太夫という幕内格の行司さんで、新入幕の場所には優勝争いを演じる大活躍(11勝4敗で敢闘賞)で、その場所お父さんの錦太夫から勝ち名乗りを受けたときは大変な話題になったそうである。そんな話が昭和33年に大映から映画になったようである。
九重部屋が出稽古に来る。久しぶりのことである。
平成19年4月18日
6月3日(日)に行われます皇牙断髪式。太鼓打分けや髪結い実演、横綱土俵入りのほか、びっくり取組もあるかもしれません。もちろん、最後の弓取式も行われます。
平成19年4月19日
来週金曜日4月27日に横綱朝青龍優勝20回達成記念パーティーが新高輪プリンスホテル飛天の間にて午後6時半から行われます。政界、財界、芸能界、スポーツ界の著名人が集い、横綱の優勝20回達成を祝います。
平成19年4月20日
またまたパーティーのご案内です。先場所十両で優勝した奄美出身力士“尾上部屋 里山関”の十両優勝祝賀会が5月5日(土)に 上野精養軒「桜の間」にて行われます。奄美出身のトレーニングセンターサンプレイ会長宮畑豊氏と奄美出身力士の会「島人会(しまんちゅかい 会長一ノ矢)」主催です。
平成19年4月21日
御徒町にあるトレーニングセンターサンプレイの宮畑会長は奄美大島は古仁屋の出身である。島人(シマンチュ)らしく中高と柔道相撲をやってきたそうだが、19歳の頃腰を痛めて歩けないほどになってしまい、リハビリとして始めたのがウエイトトレーニングだそうである。持ち前の熱心さで打ち込み、一生車椅子で生活しなければならないほどの大怪我を克服したばかりか、ボディビルで世界的な選手にまで登りつめている。49歳で現役を引退したそうだが、66歳の現在でもハードなトレーニングをこなし、プロの力士、空手家、野球選手でも会長のトレーニングについていくのに精一杯なほどである。
平成19年4月22日
下北沢駅前劇場(南口下車0分)で相撲のお芝居をやっている。劇団Turboという劇団で、井上僚章作・演出の、お笑いと涙が満載の人情劇である。題して『ザ・ワインディング・キー』。ゼンマイを巻くという意味だそうで、主人公が最年長力士という設定で話が展開していく。1時間半あまりのお芝居だが、笑いと涙の連続であった。
平成19年4月23日
高砂部屋関係者一同が会して親睦を深める親睦会を、新高輪プリンスホテルにて行う。親方、裏方、力士全員の家族が一同集まり円卓を囲み、食事やカラオケに興じる。全員揃うと60名近い大ファミリーである。そして今回の親睦会は、先場所で引退となった庄之助親方の慰労会としての親睦会でもあった。土俵築を行い土俵を作り直す。明後日が5月場所番付発表となる。
平成19年4月24日
相撲でも芝居でも興行の最後の日を千秋楽という。もともとは雅楽の曲の名だそうで、相撲や芝居が神事から起こった証しでもあろう。
昔、九州場所の千秋楽に天神からタクシーに乗ったら、運転手さんの名前が「千秋楽」さんだった。本名だそうである。本当の話である。
平成19年4月25日
5月場所新番付発表。先場所序ノ口5枚目で3勝4敗と負け越しだった朝翔冴、今場所は序二段122枚目へ昇進。どうしてこういうことが起きるかというと、3月場所は入門者が多く、その数多くの入門者が序ノ口の番付に名前をのせるので、元々の序ノ口力士は押し上げられて負け越しでも番付が上がることになる。今場所に限りのことであるが。
平成19年4月26日
5月場所に向けての稽古始め。稽古始めの日は、新しくつくり直された土俵で土俵祭が行われる。祭主を務めるのは、先場所までは木村庄之助親方だったが、庄之助親方引退の為、今場所からは木村勝次郎である。初めての土俵祭の祭主でさすがに緊張の面持ちであったが、無事務めあげ、「つよくなれ!!」の伝統も引き継いでいた。その今朝の稽古場に長渕剛さんが訪れ、親交のある横綱とちゃんこを囲んだ。
平成19年4月28日
昨日行われた横綱朝青龍優勝20回達成記念パーティー。新高輪ホテル飛天の間にて、2000人近いお客様が集い横綱の偉業を祝う。政界から、森喜朗元総理、羽田孜元総理、塩川正十郎元財務大臣、中川正直自民党幹事長、福島瑞穂社民党党首、といった方々が出席し、祝辞のあとは長渕剛の「とんぼ」熱唱 で一気に会場がヒートアップし、北島三郎、浅香光代、青田典子、根本はるみといった面々も宴に華を添え、深川辰巳太鼓や津軽三味線、モンゴル雑技団を楽しみ、最後は小室哲哉とKEIKOの歌もあり、出席者も大満足の宴となった。
平成19年4月29日
世はゴールデンウイーク真っ最中だが、相撲部屋にとっては5月場所前ということもあり一番稽古を上げていくハードなウイークである。稽古見学のお客さんも連日団体客でいっぱいである。毎年恒例になった横綱審議委員会総見稽古は、今年も5月5日(土)に国技館土俵にて一般公開稽古として行われる。
平成19年4月30日
連休の最終日5月5日(土)6日(日)には両国にぎわい祭りが行われるそうである。メイン会場となる国技館通りにてチャンコや太鼓実演、相撲甚句に相撲健康体操。国技館でも、相撲体験コーナーや大入り袋に相撲字を行司さんに書いてもらうコーナー(有料)などなど相撲や江戸、両国にまつわる催しが満載である。昨日紹介した総見稽古一般公開も、その一環といえばいえるだろうが、こちらも入場無料で午前7時開場で全席自由である。朝、国技館で稽古を見て、そのあと両国にぎわい祭りをまわると、一気に相撲通になること請け合いである。
平成19年5月2日
以前知人の結婚式で元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽親方と同席する機会に恵まれたとき、親方が「わしらの頃は、本当に殺されると思うほどやられて必死に耐えながらやったのに」と現代の稽古を嘆いておられた。十数年前の相撲雑誌で、相撲評論家の小坂秀二さん(故人)がやはり当時の稽古のぬるさを憂いて、土俵の鬼の若乃花の稽古場での様子を語り、「人道上問題になるのではと思われるほど荒っぽかったが、あれだから強くなるんだなあと思った」と振り返っている。
大相撲の稽古とはそういうものである。もちろんそればかりではないが、そういう面もあるのが稽古である。もちろん人間のやっていることだから、行き過ぎることもあるし、そういう時は親方や指導者が諌めることもある。ただそれは、内輪の話であって言わば陰であり、それを公にさらして陽の世界であれこれ論ずるのはお互いにとって(相撲界と日本の一般社会)、いい事はひとつもないように思うのだが。
平成19年5月3日
24年大相撲でやってきて、何度も怪我を繰り返し、相撲を探究し、身体についていろんな方面から勉強して、間違いなく思うのは、怪我は、その99%が自分の身体の使い方の間違い、未熟さによるものである、ということである。
競技レベルが上がれば上がるにつれ許されるそのズレ(足や膝や骨盤の位置など)は数センチからミリ単位までどんどん精度があがっていく。だから、稽古には怪我はつきものだし、怪我をすることによって自分の身体に対する意識の精度が高まってもくる。相手のせいではないのである。怪我をした豊ノ島関本人からもそんなことは一言も言っていないと思うし、相撲センス抜群の力士だから、この怪我が更に自分を高めるチャンスとなるであろうことを期待する。
平成19年5月4日
奄美大島出身としては宇検村出身の朝ノ海(高砂部屋)以来45年ぶりとなるそうである新入幕をきめた尾上部屋里山。先月30日には地元奄美に戻り、凱旋パレードを行ったそうで、あいにくの悪天候にもかかわらず500人を越す奄美市民から熱狂的な歓迎をうけたようである。明日午後6時からも、4月20日の日記で紹介したように上野精養軒にて、十両優勝と新入幕の祝賀会が行われる。
平成19年5月5日
奄美出身尾上部屋、里山関十両優勝&新入幕祝賀会が上野精養軒で奄美関係者を中心に100名近くが集まり行われる。参加者一同の会費から故郷奄美の本場大島紬の着物・羽織一式が贈呈され、「真っ向勝負の相撲で勝越し目指して頑張ります」と力強い言葉で御礼した。島人(しまんちゅ)会(奄美出身力士)の現役力士はもちろん、島人会OBの元武蔵川部屋東ノ亥(ひがしのがい)や元中村部屋徳豪山らも出席して歌や踊りで宴を大いに盛り上げた。
平成19年5月7日
奄美の祝い事では「朝花」という島唄で宴がはじまる。座の清め、のどならしの為といわれているそうで、めでたい唄である。その一節を里山関を祝う甚句の出だしに拝借した。「今日(きゅう)のほこらしゃや 何時よりも勝り」ー今日のめでたさ、喜びはいつもよりも勝っている、という意味である。
5日の祝賀会でも「朝花」で宴会が始まった。めでたい島唄である。
平成19年5月8日
今年初場所初日の前日、1月6日に里山関のお父さんが亡くなられた。初場所こそ負け越してしまったものの、3月場所での十両優勝は亡き父に捧げる優勝となった。そして5月場所での新入幕である。初めてマワシを締めたのは5歳のときだそうだが、相撲好きのお父さんに手ほどきをうけてのことだそうで、病床のお父さんも入幕を心待ちにしていたそうである。
平成19年5月10日
綱打ち。横綱は、東京場所のたびごとに新しくつくり直す。平成15年の初場所後からだから、今回で14本目になるだろうか。横綱つくりは、八角部屋の陣幕親方と伊予櫻若者頭が中心になっておこなうが、最近伊勢ヶ濱部屋の白岩若者頭も近い将来のために手伝いに来ている。出来上がった純白の新横綱は、5月場所と7月場所で横綱の腰を巻くことになる。
平成19年5月11日
審判部による取組編成会議。横綱の初日の相手はだいたい小結だから、ふつう通りに東小結の豊ノ島。初日早々いわくつきの取組とかマスコミははやしたてるかもしれないが、周りが騒ぐほど、本人たちにはそれほどの意識はないことであろう。膝の怪我は心配だが、いい相撲を期待したい。
横綱も締め込み(本場所用のマワシ)を締めて稽古場に登場。若い衆を相手に汗を流し、見学に来た知人とちゃんこを囲みながらリラックスモード。いつもと変わらぬ場所前である。明日朝土俵祭を行い、触れ太鼓が街にくりだし、明後日の初日を迎える。
平成19年5月12日
午前11時前、触れ太鼓の乾いた音が稽古場に鳴り響き、明日初日の取組を呼び上げる。触れ太鼓にまわる呼出しさんが、明日明後日の割り(取組表)をもってきて自分の対戦相手がわかる。若い衆にとっても一番気になる瞬間であり、いよいよという気持ちも昂ぶってくる時でもある。広告の入っていない関係者用の割紙(取組表)は、最初に “取組開始 八時三十分” とあり、最後は “弓取式 男女ノ里” で締められている。
引退の皇牙に代わり、明日から男女ノ里が弓取式を務める。こちらも注目である。
平成19年5月13日
初めて本場所の土俵で弓取式を務めた男女ノ里。結び二番が注目だっただけにNHKの放送では映らないかと思ったが、せり上がりの所から映り、名前も字幕で紹介されて全国的になる。
色黒だった皇牙と対照的に色白で、「相撲人形みたい」という声も聞かれたそうで、まずまずのデビューであった。
平成19年5月14日
”人を見る目“ということは、つくづく難しいものだと思う。去年入った新弟子で、身体能力にも優れていて、礼儀正しい好青年で、久々の有望新弟子だと思った子が3日で逃げ出してしまい、第一印象がおとなし過ぎて、これはちょっと無理だろうと思った新弟子が部屋の生活に溶け込んで、しっかり頑張っていたりする。そんな第一印象を覆した朝酒井、番付に名前が初めて載ったこの場所で、白星デビューを飾る。
平成19年5月15日
三段目神山、初日の相撲で勝ったものの大腿を痛めて今日から休場。今場所の出場は難しそうである。
平成19年5月16日
初めて国技館で大相撲を観た人の話を聞くと面白い。口を揃えて言うのは臨場感の素晴らしさ、感動である。化粧回しや房の色、行司さんの装束などの色の多彩な華やかさ。立合いでぶつかるゴーンという衝撃音の迫力。テレビで見ているときよりもずっとずっと短く感じる仕切りの時間。びんつけの香り。おすもうさんの肌の美しさや筋肉の圧倒的な量。やっているほうとしては当たり前のようにも見慣れた風景や、仕草、雰囲気などが伝統美をつくっているのだと改めて知らされる
。
まだ未体験の方、いざ国技館へ!!いざ大相撲へ!!
平成19年5月17日
先場所初幕下で負越して三段目になり、今場所また幕下復帰を狙う朝道龍、2連勝と好調なスタートで今日が3番相撲。取組前に、「はなちゃん、今日誰と?」と聞くと、「トキオウです」と答えた。「ト・キ・オ・ウ どんな漢字?」と聞くと、「こんな感じです」と顔マネをやってくれた。
「いやいや、その感じじゃなくて、四股名の漢字は?」と聞くと、「土岐皇」だとわかった。
はなちゃん的には よくある会話だが、相撲の方も、軍配を貰ったものの物言いついて行司差違えでの負けとなり、3勝目を逃してしまった。
平成19年5月19日
初日につづき今場所二度目の満員御礼。全席売切れでなくてもある程度の基準(場所によって多少の違いがあるようだが)を超えると満員御礼を出すようだが、今日はイスCから自由席まで全席売り切れ状態だったようである。満員御礼になると、関係者(関取衆や資格者)には日本相撲協会の大入袋が出る。その満員の館内の声援を受けての取組、横綱は全勝を守るものの、朝赤龍は初黒星。部屋に帰ってきてビデオを繰り返し見ながらあす中日以降の取組に、気持ちを新たにして臨む。
平成19年5月20日
国技館では毎日午後3時から館内FM放送「どすこいFM」をやっているが、今日の十両での放送のゲストに6月3日(日)に断髪式を行う皇牙が出演。どすこいFMの放送席は2階席の一角にあるが、まわりのお客さんも、まだチョンマゲをつけた皇牙を見つけ多くの人が声をかけてくれたそうで、用意した断髪式のチラシ100枚も、あっという間になくなったそうである。後半戦にもう一回くらい出演の予定(11日目辺り?)があるようである。
平成19年5月21日
「天地開け始まりてより陰陽に分かれ、清く明らかなるもの陽にしゅうちゅして上にあり、これを勝ちと名づく。重く濁れるもの陰にして下にあり、これを負けと名づく。勝負の道理は天地自然の理にして、これをなすもの人なり。・・・・」土俵祭の方屋開きの口上である。相撲に勝つと本当に清く明らかなる気持ちになる。勝越しが決まれば尚のことである。
その清く明らかなる勝ち越しを、9日目にして朝赤龍、朝翔冴が決める。
平成19年5月22日
朝陽丸、1勝4敗と早くも負越し決定。今年こそは勝負の年なのだが、思うように番付が上がっていかない。そのアマでの実績、素質は誰もが認めるところだが、怪我もあり、一進一退がつづいている。数々のタイトルをとってきただけあって、腰の使い方などには目を見張るものがあるが、200kg近くなってしまった肉が、その心技を邪魔してしまっている。
本人もわかってはいるが「我慢できなくてつい食っちゃうんですよ」と減量できずにいる。あと10kg痩せればグッと良くなると思うのだが。横綱にも初黒星。座布団が乱れ飛ぶのは仕方ないとしても、弓取式のときにはやめてもらいたい。
平成19年5月23日
勝つときは、本当に楽に何をやってもうまくいくことが多々ある。負けるときは逆に、必死に苦労して苦労して頑張っても力が相手に伝わらずに、何をやってもうまくいかない。心身がかみあっているか、いないかの違いが大きい。集中で検索してみると、「集中とは現実と心の中が同調している状態」とある。でも相手がそれ以上に良かったり、力が違いすぎたりすると集中してても負けになることもあるし、逆にこっちの集中の度合いが低くても、相手がそれ以上に悪かったら勝ちにつながることもある。〝勝負の道理は天地自然の理にて、これをなすもの人なり”という所であろう。
集中の状態がいい輝面龍5勝目。朝久保勝ち越し。
平成19年5月24日
集中すると言葉にするのは簡単だが、実際に土俵の上に上がると、集中して相撲を取りきるということは難しい。仕切りのときには良くても、相手の思わぬ立合いに心が乱れてしまったり、いい体勢になって「よし勝った」と思った瞬間に力んでしまったり、と自分の心に集中を乱されてしまうこともある。逆に怪我をしていたり、取組に遅れそうになってゼーゼーいいながら走っていったときなどは肩の力が抜けていい相撲を取れたりもする(大子錦の得意技(?)だが)。特に勝越しをかけた一番は集中力の差が勝敗を分けることになるであろう。
集中力の競い合いと なる3勝3敗同士での最後の取組、明日13日目に3人、明後日14日目に2人、それぞれ勝越しをかける。
平成19年5月25日
集中力は、人間が元々持っている本質的能力だそうである。その誰もが持っている集中力を妨げるのは人間自体であるようである。集中力の最たるものは『火事場の馬鹿力』であろう。科学的には脳のブレーキが外れて筋肉の出量を大きくするのが火事場の馬鹿力と説明されるが、武術的には全身の筋肉や骨格の使い方が最も合理的に使われるからこそのすごい力だと説かれる。
その集中力が切れてしまったかのような 横綱、初めて2場所続けて優勝を逃してしまう。代わりに朝赤龍が集中力を保ってのあと二日。
平成19年5月26日
今場所初めて番付に名前が載った朝酒井、勝ち負けを繰り返しつつも3勝3敗までこぎつけて今日が勝越しをかけた最後の取組。11時半頃部屋に戻ってきたが、暗い顔である。「負けたのか?」兄弟子の声に、涙した。この悔しさを来場所までの稽古にぶつけていかなければならない。
3勝3敗からの負け越しが3人つづいてしまったが、最後に登場の塙ノ里、元幕下上位の貫禄を見せての勝ち越し。序二段朝翔冴5勝目。
平成19年5月28日
昨日の千秋楽、恒例の打上げパーティーが国技館裏のKFCホールにて行われる。殆ど恒例であった横綱の優勝がなかったため、いつもよりお客さんの人数も少なかったが、朝赤龍の技能賞の盾とトロフィーが舞台に飾られ一緒に記念撮影も行われ、ちょっと寂しい打上げに華を添えた。
今日から場所休み。6月3日(日)に断髪式を行う皇牙の送別会を若者会でおこなう。
平成19年5月29日
待望の新横綱誕生が決定的である。4年前の忙しさを思い出すが、明日水曜日の番付編成会議と理事会で正式に69代目の横綱が誕生し、明後日木曜日に新横綱の綱打ちを行い、金曜日が明治神宮奉納土俵入りとなるはずである。昨日から、麻もみや紅白の鉢巻きつくりなどなど、横綱をつくるための慣れない作業に追われていることであろう。
平成19年5月30日
横綱の太い部分の中は麻である。麻そのものを手にした人はそんなにいないと思うが、殆ど木の皮のようである。固い。その固い麻を糠(ぬか)でもみほぐす。糠は30kgの米袋(糠だから軽いが)を3袋も使う。それを、稽古場の上に青シートを広げ(宮城野部屋は外でやっていたようだが)、シートの上にゴザを3枚おき、そのゴザの上に糠を一袋ずつ広げて、ゴザに脚を突っ込んで麻を揉む。1回に6,7kgの麻を使うと思うが、20人程で手分けして揉んでも2,3時間はかかる。
平成19年5月31日
糠(ぬか)で揉みほぐして柔らかくした麻を10m余りのキャラコ(うすくてつやのある純白の木綿)を2枚重ねにした真ん中に入れ、両端には麻を巻きつけた銅線をを巻いたものを3本つくり、稽古場に下ろして鉄砲柱に片方を巻きつけて編んでいく。そのときの掛け声が、「ひい・ふの・み!」「いち・にの・さん!」となる。新横綱の初めての綱打ちの時には、全員紅白のねじり鉢巻きをしておこなう。
平成19年6月1日
横綱には、麻を巻きつけた銅線が芯に入っている(太い部分は麻だけだが)。銅線が入っているからこそ固いし、締めるのにも、後ろで輪をつくる(雲竜型は一つ、不知火型は二つ)のにも力が要り、引っる付人の人数も必要になる(6,7人)。芯のはいった固さがあるからこそ土俵入りをやっても形がゆるんだり崩れたりすることもないし、えもいわれぬ気品もある。
平成19年6月3日
皇牙断髪式。国技館土俵にて、太鼓打分実演、朝赤龍による大銀杏髪結い実演、初っ切り、皇牙による最後の弓取式、横綱朝青龍綱締め実演、土俵入りとお好みが行われ、午後1時から呼出し利樹之丞作による甚句で入場してきた皇牙が土俵に上がっての断髪式。全国から集まった皇牙ファン約170名が最後の大銀杏にハサミを入れ、師匠の止めバサミにて、これまでの人生の半分を共にした髷とのお別れ。午後3時より会場を国技館裏の第一ホテル両国に移して披露パーティー。こちらも会場溢れんばかりのお客様で、新しい人生への旅立ちを祝う。今後は地元福岡に戻り、ちゃんこ屋を開店する予定とのことである。
平成19年6月4日
皇牙断髪式の司会はNHKの刈屋アナウンサーが務めた。アテネの体操での「栄光への架け橋だ!」の名セリフで一躍全国区となった刈屋アナウンサー。皇牙断髪式でも、今までは横綱に代わっての弓取りでありましたが、今日は最初で最後の自分のための弓取式です、というような名セリフで最後の弓取式を紹介して、館内の盛り上がりも最高潮に達した。
場所休みも終わり、今日から稽古再開。
平成19年6月5日
昨年9月11日の日記で紹介した応援団長“徳さん”は、皇牙関をいつも送り迎えしてくれていた。熱きおじさんで、取組を見ながらも、身もだえしながら大声で声援を送り(TVにも)、勝った時の喜びも人一倍で、全身で飛び上がらんばかりであった。そんな徳さんだから、皇牙引退には本当にガックリと肩を落としていた。そんな熱きおじさん“徳さん”にパーティーの最後の手締めの挨拶をやってもらうことになった。朝一番で断髪式会場となる国技館に現れた顔は緊張した面持ちで寂しげでもあるが、徳さんにとっても一世一代の晴れ舞台、気合十分の紋付袴姿であった。
平成19年6月6日
紋付袴姿の徳さんが受付にきた。弁当をすすめると、「いやー 昨日からなにも食えないんだよ」とのこと。「徳さん、何かお腹に入れとかないと、挨拶の時にぶっ倒れますよ」と言っても「胸がいっぱいで、何ものどを通らないよ」、いくぶん顔も青ざめて見える。断髪式が始まり土俵上でハサミを入れるときには既に号泣している。
パーティーが始まり、宴もたけなわとなり、いよいよ手締めの挨拶となった。舞台上に並んだ断髪した皇牙とお母さんを背にマイクの前に立つ。挨拶文を読み出すが、涙で言葉にならない。大泣きである。満場のお客さんも喜びながらも半分貰い泣きしている。何度も泣きつつも挨拶を終え、三本締めで締めた。
これほど涙した手締めがあったろうか。これほど盛り上がった断髪式があっただろうか。皇牙はしあわせ者である。
平成19年6月8日
今日は友綱部屋への出稽古。若松部屋の頃はよく行っていたが、合併してからは初めての出稽古である。自転車での道のりも懐かしい。友綱、東関、高砂の三部屋に加え、九重部屋も来て大賑わいの稽古場。こういった雰囲気も懐かしいことである。明日も四部屋合同の稽古になりそうである。
平成19年6月9日
今日も友綱部屋での四部屋合同稽古。5月場所序二段64枚目で5勝2敗と勝ち越して、来場所は自己最高位を更新する朝久保、どちらかというと部屋での稽古ではあまりやる気の見られない方で、まわりの人間をカッカさせてばかりいるが、出稽古にくると中々力を出している。来場所は勝ち越せば三段目という所まで番付を上げるが、序二段上位の力士とやってもけっこうめを出していて、出稽古で自信をつけて名古屋場所では初三段目昇進をかける。
平成19年6月10日
今日お昼のNHKのど自慢は奄美市からであった。そののど自慢に、朝奄美の妹が出てみんなでテレビの前で盛り上がった。妹は澤愛香ちゃんといって高校一年生だが、中学一年生のときに民謡の少年少女全国大会で日本一になった唄者(うたしゃ)である。兄の朝奄美は、一年半ほど前に首を怪我してしまって、リハビリしながらちゃんこ番の修行にも励んでいる毎日である。
平成19年6月11日
奄美出身の歌手では元ちとせが有名だが、最近TVのCMでよく耳にする森山直太朗作曲の「花」が大ヒットの兆しの中孝介(あたりこうすけ)も大々的に売り出し中である。中孝介は奄美大島出身で、琉球大学在学中に福岡奄美会にゲストとして招待されて島唄を歌ってくれたときに初めて会い、沖縄でも一緒に酒を酌み交わしたこともあった。先日ミュージックステーションにも出演していたが、すでに台湾ではヒットチャート初登場1位を獲得したそうである。
平成19年6月12日
奄美出身の若手唄者やミュージシャンは奄美大島出身者が数多いが、徳之島出身の若者も、最近負けずに頑張っている。とくに天城町出身の偵一馬(てい かずま)は、三線ひとつで上京して路上ライブで徳之島の熱き心を伝え、最近CDデビューも果たした。その熱き唄声が、昨年12月の徳之島巡業でも大相撲一行を港で出迎えた。奄美出身のミュージシャンはこんなにいっぱい頑張っている。
平成19年6月13日
ミュージシャンやスポーツ選手としてプロで活躍する奄美出身の若者が増えたのは、昔に比べてヤマトゥ(大和=内地、本土)が近く(時間距離的にも意識的にも)なったことは大きいであろう。そして、元々民族的な血としての歌好き、相撲好きということが、数多くの唄者・ミュージシャンを輩出し、20名近くの力士を生み出しているのであろう。
今日から茨城県下妻市の大宝八幡宮での合宿。高砂部屋として6年目、若松部屋時代からすると7年目の合宿で懐かしい面々との一年一度の楽しみである。
平成19年6月15日
大宝八幡宮での合宿を終え帰京。ハワイ巡業とか名古屋入りの日程の都合もあり、いつもより一日短い二泊三日の合宿だっただけに、あっという間であったが、木立に囲まれた涼しい稽古場で300人を超えるお客さんが見守る中での稽古、いつものちゃんこ場での大宝名物おばちゃん漫才、宴会で地元の方々の交流を深めと、濃い三日間であった。
関係者が口を揃えて言うのが、高砂部屋合宿が行われるようになって、相撲のすの字も知らなかった人がBSを見出したりと大相撲に興味を持つ人がものすごく増えたということである。昨日今日と、行司志望の小学生もお母さんと熱心に通っていた。これこそが、合宿の一番の意義である。
平成19年6月16日
大宝八幡宮は、創建が大宝元年(701年)で関東最古の八幡さまだそうだが、その名のごとく宝には御利益があるようで、女性誌でも評判になっているそうである。大宝八幡宮でお祓いしたら、ジャンボ宝くじで“億”の当たりが4本も出たそうで、週間女性3月6日号で紹介されて大評判だそうである。サマージャンボに如何。
平成19年6月17日
先発隊5人(一ノ矢、大子錦、塙ノ里、朝久保、朝奄美)名古屋入り。名古屋駅から毎年の鈴木さんの出迎えの車で、一年ぶりの鈴木さんの名古屋弁を聞きながら蟹江龍照院に入る。上げてある畳を敷き詰め、バルサンを焚いて昼食へ。蟹江辺りも最近物騒になってきているようで、3ヶ所ほどガラスを割られて部屋の中を覗かれた形跡もある。部屋の中には、20年前のテレビとか中古の自転車とかしか置いてないから特に取られたものはなさそうではあるが。夕食も、鈴木さん夫婦と再会を祝して乾杯。今日から約一ヵ月半に亘る名古屋での生活が始まる。
平成19年6月19日
地方場所へ来ると、寝るフトンは貸ブトンになる。貸ブトンも三種類に分かれていて、若者用、資格者(十両格以上)用、横綱用とだんだんと立派なフトンになっていく。 若者用は、3,4日寝ると薄くなってしまうような敷布団1枚と掛布団1枚だけである。資格者用は、敷布団2枚にシーツ、掛布団にタオルケットがつく。横綱用は資格者用と中身は殆ど一緒だが、布団カバーがちょっと上品な感じという違いである。もちろん、値段もだんだんと高くなっていく。
平成19年6月20日
今年は、名古屋場所が開催されるようになってちょうど50年を迎えるそうである。50周年記念でいろいろ企画もあるようで、主催者でもある中日新聞でも、毎日いろんな記事が掲載されている。名古屋場所は桝席の切符の売り方にも工夫があって、B桝の後ろのペアシートやC桝の後ろの名古屋場所名物“鳥弁”とお茶つきのツインボックスなどもつくられていて、人気のようである。
地元愛知県は一宮市出身の若松親方も、今年から先発事務所担当として切符の販売等、名古屋場所成功の為6月上旬から乗り込んで頑張っている。
平成19年6月21日
稽古場の土俵築はあすだが、今日午前中に掘り返した土をタコ(丸太の上に四本の足をつけて4人で足を持って土を突き固める道具)で突き、午後からは俵もつくる。ここまでやれれば、明日の土俵築は半日かからない。2時過ぎから幟20本を蟹江市街に立てに行く。幟が立ち上がると、“大相撲”がやってきたという雰囲気も一気に盛り上がる。晩飯は、昨夜鈴木さんと塙ノ里が夜釣りしてきたウナギ9尾を捌いて稽古場横でバーベキュー。朝から晩まで忙しい先発隊だが、夜のんびり飲み食いできるのは先発隊ならではの楽しみである。
平成19年6月22日
明日23日(土)と明後日24日(日)に福岡の筑後市で徳之島の闘牛フェスティバルが行われる。闘牛大会にも、相撲と同じように番付があって、24日の闘牛大会でもプログラムでもある番付がチラシにも紹介されている。横綱同士の対戦は“大福環境開発白タビ号”対“戦勝一撃坂梅櫻花”大関は“ソフトバンクホークス号”対“曽根薫力号”となっている。十一番ある取組の五番目『指名特番』に出場する“コウダ技電若虎号”は埼玉在住の同級生の牛である。
お近くにお住まいの方、ぜひ生の闘牛の大迫力をご覧になって下さい。
平成19年6月24日
雨が降りしきる中、東京に残っていた300人ほどの力士たちも新幹線にて名古屋入り。明日が名古屋場所番付発表で、明日からいよいよ名古屋場所での生活が本格的に始まる。
平成19年6月25日
平成19年度名古屋場所番付発表。3年半ぶりに東西に横綱がそろう番付である。朝久保が、自己最高位を更新して、今場所勝ち越せば三段目にあがれるかもしれない、という所まで番付をあげる。地元スポーツ紙の中日スポーツでは、ご当所岡崎出身の舛名大が早速紹介されていたが、今場所の番付は序二段西60枚目。初日早々、半枚下の序二段東61枚目の一ノ矢と国立大卒同士の対戦となる可能性大である。
平成19年6月26日
名古屋場所へ向け、龍照院稽古場での稽古初日。8時半からは土俵祭。先場所から祭主を務める勝次郎も名古屋初お目見えである。土俵祭の祭主を務めるのも2場所目で少し余裕も出てきたようで、終わった後の「ツヨクナレ!!」にも少し勢いが見られ、こっちにまでご利益(ごりやく)あらたかなお神酒が降り注いできた。ちゃんこも今日から開始。初日は、何がない、あれがないで、軌道にのるまでには数日かかる。
平成19年6月27日
横綱と朝赤龍は今日から出稽古へ。しばらくは出稽古の毎日となりそうである。先発乗り込み以来、例年より少なめだった差し入れも色々はいってくるようになり、冷蔵庫や冷凍庫、倉庫の中もようやく賑やかになってきた。そうすると、本場所が近づいてくるという雰囲気も盛り上がってくるものである。