過去の日記

平成19年<平成18年  平成20年>

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平成19年1月2日
新年明けましておめでとうございます
新年早々の飲みすぎでご挨拶が一日おそくなってしまいました。本年もよろしくお願い申し上げます。
平成18年は、初場所で横綱の連覇が途切れ、5月には途中休場というアクシデントもありましたが、終わってみれば4回の優勝、年間最多勝と、やっぱり横綱強しの一年でした。また皇牙の新十両と弓取り関取としての活躍、朝赤龍の新小結昇進といったいいニュースがありました。一方、闘牙の引退、泉州山の幕下陥落、若い衆の引退、新弟子のすかしと残念な出来事もありました。若い衆の年間最多勝は朝陽丸の26勝、2位が22勝の朝ノ土佐、3位が21勝で 輝面龍、男女ノ里、朝花田、一ノ矢の4人でした。若者会からそれぞれ賞金が贈られました。朝陽丸にとっては今年こそ勝負の年です。
平成19年1月4日
初場所後1月27日(土)に行われます闘牙親方断髪式の詳細が決まりました。関係者による断髪式は午後2時から国技館土俵にて。髪結い実演や初っ切り、子供との稽古、綱締め実演や横綱土俵入り、弓取式などのお好みの後、3時ころから断髪式に入ります。披露パーティーは午後5時から国技館内地下大広間にて。
平成19年1月5日
初日の2日前で取組編成会議。初日、横綱は露鵬、朝赤龍は栃乃洋、皇牙は白馬。泉州山、朝天夢、朝奄美が病気怪我治療のため休場。
平成19年1月8日
初場所2日目成人の日。部屋では朝久保がめでたく成人の日を迎える。一般人は、振袖を着たりスーツを着たりして周りからも祝ってもらうが、お相撲さんの成人式は本場所中ということもあり、なんら日常と変わらない。
でもちゃんと、おかみさんからは成人祝いの雪駄か下駄が贈られるのが唯一の救いといえるのかもしれない。
平成19年1月9日
年末の適正体重の話にそろそろ戻そうと思っていたら、ちょうどNHKの解説で体重の話題であった。誰それが昨年秋場所から何キロ増えたとか、実際に細かい数字を出して、解説者の体験談なども交えながら興味深かった。話の中で、稽古しながら体重が増えていく分には自分で重さも感じないし問題ない、という話が何度か出た。全くその通りで、強くなる特は稽古につれ体もメキメキ大きくなっていく。大きくならなければ強くならないような所もある。ただ、ここで注意しなければいけないのは、稽古して大きくなっていく、筋肉が大きくなっていくのにも、やっぱりある限度があるのではないか、ということである。 横綱、思いもよらぬ完敗。あまりの珍しい完敗に、逆にサバサバした表情でさえあった。明日からまた気を引き締めなおすことであろう。
平成19年1月10日
パワーは筋肉の太さにほぼ比例するから、筋肉が大きいほどパワーは増す。ただ人間の身体の難しさは、身体の中にある何百種類という筋肉のうち、どの筋肉を使ってパワーを発揮するかということである。おなじような動作をしていても、それぞれ使う筋肉はけっこう違ってくる。特に、名人達人と呼ばれる人と、凡人の筋肉の使い方はかなり違うということである。簡単にいうと、最近スポーツ界でも盛んにいわれているインナーマッスル(深層筋)、アウターマッスル(表層筋)の違いで、凡人はインナーマッスルが殆ど使えなくて、より名人に近づくほど使えるようになってくるということである。インナーマッスルは、身体の中心付近についているから外からは見えにくく、太さもわからないし、太くなるにのも限度がある。逆に、アウターマッスルは身体の表面近くについているのでわかりやすいし、太くなりやすい。筋肉が太くなってどんどん体重が増える場合には、殆どがアウターマッスルの増加のみになるはずである。
平成19年1月11日
ちょっと小難しく長々と書いてしまったが、要するに、稽古が足りずに脂肪が増えて体重が増すのはもってのほかであるのはもちろんだが、稽古して筋肉が大きくなっていくのにも、相撲にとってはある限界(人によっても違うだろうが)があるのではないだろうか。レベルが低いうちは筋力、筋量の大きさが強さに即結びつくが、競技レベルが上がれば上がるほど、時として表面的な筋肉の強さや大きさが邪魔をしてしまうことは、あらゆる競技にいえることであろう。
相撲においても、稽古方法、トレーニング法、動きの質、生理学的、整形外科的、歩き方、日常生活、あらゆる面からトータルに考えていかなければならない問題ではなかろうか。
平成19年1月12日
若い衆の数が減って付人の人数が足りないため、本場所中は一門の錦戸部屋から出向付人を頼んでいる。朝赤龍には朝陽丸の他に、龍神と梅の川。横綱には、カザフスタン出身力士風斧山(かざふざん)という具合である。こっちとしても助かるが、関取のいない小部屋の力士にとっては、いざ関取が誕生した時のために付人の仕事を覚えることや、幕内の支度部屋の雰囲気を膚で感じることも、ものすごく勉強になることである。
平成19年1月13日
入門した昭和58年の頃の先代若松部屋(師匠は元房錦)も、ようやく三段目が誕生したばかりで総勢7人しかいない小部屋だったから、一門の他の部屋の関取衆に付人としてつくこともあった。初めて付人を経験させてもらったのが入門1年後の昭和59年九州場所、現中村親方の富士櫻関の付人であった。もちろん右も左もわからないから、着物をたたむことと支度部屋で準備運動するときのタオル持ちと風呂から上がったときの足拭きくらいが仕事ではあった。それでも初めて体験する幕内の支度部屋のピリリと張り詰めた緊張感や熱気や役力士の独特の圧迫感が織り交ざった雰囲気には圧倒されるものがあった。皇牙ようやく4連敗からの脱出。きょうからの連勝グセを期待したい所である。
平成19年1月14日
現在の横綱の支度部屋での準備運動もすさまじいものがあるようだが、当時の富士櫻関の出番前の準備運動もすごかった。四股やテッポウやスリ足や立合いの稽古を黙々と必死に繰り返し、必ず汗びっしょりになってから土俵に向かっていた。それだけに一番の勝負にかける意気込みもすごいものがあり、負けて帰ってくると風呂場から「ちくしょー!!」という大きな声と洗面器を壁にぶつける「ゴーン」という音がよく響いていた。そんな時は、風呂上がりの足拭きもかなり緊張したものであった。朝道龍4連勝で今場所第一号の勝ち越し。あと一番勝てば念願の幕下昇進も見えてくる。
平成19年1月15日
初めて付いた富士櫻関がその場所途中で怪我してしまって翌場所も休場したから富士櫻関の付人は一場所限りであったが、富士櫻関の相撲に対する取組む姿勢を肌身で感じさせてもらったことは自分の相撲人生にとっても本当に勉強になった。翌場所富士櫻関が休場だったもので、同じ部屋の大関朝潮関に付人として付かせてもらうことになった。もちろんその時は、ゆくゆく大関が自分の師匠になるとは夢にも思わなかった。朝久保2人目の勝ち越し。
平成19年1月16日
元大関朝潮の現師匠に付いたのは昭和60年初場所からである。その翌3月大阪場所が初優勝の場所となった。元々近畿大学出身で大阪は地元のようなものだったから、優勝を決めたときはかなりの熱狂ぶりであった。高砂部屋伝統であったのだろうが、初日の前の日に付人や知人を連れて食事会という名の大宴会をやるのが恒例で、60年春場所の初日の前日の宴会で、現在も大阪場所でお世話になっている親方の近畿大学後輩の嶋川さんや中西さんや萩原さんやらと初対面で飲んで盛り上がったことが、20数年立った今でもの親密の付き合いの原点になっている。
一ノ矢、若い衆で3人目 の勝ち越し。
平成19年1月17日
大関朝潮関の付人を一年ちょっとやったが、高砂部屋の若い衆の数が増えたこともあって出向付人はダメになった。そこで、同じ一門の九重部屋にお願いして大関に上がったばかりの保志改め北勝海関に付かせてもらうことになった。付いてしばらくして三段目に昇進して、「押しかけ付人で三段目昇進」というような記事をスポーツ紙に書いてもらったこともあった。北勝海関にも1年くらい付いたが、この時は座布団運びの仕事などもやってテレビにも映り、田舎や知人からの反響も大きかった。朝翔冴、男女ノ里、朝陽丸負け越し。
平成19年1月18日
場所も終わり近くになってくると、関取への昇進はもちろんだが、それぞれの地位でも昇降が話題にのぼってくる。三段目から幕下への昇進は決まりがあるわけではないが、おおよその目安として4勝だと12枚目以内、5勝だと25枚目以内くらいが過去の例などからいって妥当な所である。もちろん、それ以内でも上がらないこともあるし、それより下でも上がることもあるから余計に気を揉む所ではある。今場所三段目西25枚目の朝花田改め朝道龍、4連勝したものの2連敗と足踏みしている。ちょうど当確線上ギリギリで、初の幕下昇進に望みをつなぐ一番は14日目である。
平成19年1月21日
千秋楽。今場所から会場を両国第一ホテルのビルの3F、KFCホールに新たに移して、横綱の20回目の優勝と初場所千秋楽の打上げパーティーを行う。宴半ば、今場所を最後に引退することとなった熊郷の断髪式も行われる。また、今場所休場中だった泉州山の引退も発表された。こちらは3月4日(日)に大阪堺のリーガロイヤルホテル堺にて断髪式。
また一人、また一人と減ってしまい、寂しいかぎりである。
平成19年1月23日
納豆ダイエットが巷(ちまた)を賑わしているが、某若い衆曰く「納豆食べてダイエットできるなんて、そんな訳ないとおもっていましたよ。納豆食べて痩せるなら、毎日人の3倍も納豆食べている錦戸親方や梅さん(実弟の元十両梅ノ里、現錦戸部屋マネージャー)は、とっくの昔にもっと痩せているはずですよ」 さもありなん。
平成19年1月24日
番付編成会議。正式に発表されるのは2月26日(月)だが、十両昇進だけは、準備の都合もあるので公表される。それによると、新十両は東関部屋の高見藤、再十両に尾上部屋の白石と八角部屋の北勝岩の3人が昇進だそうで、幕下への降格者の順番からいうと、心配された皇牙はギリギリセーフで3月場所も十両に残れそうである。
平成19年1月27日
闘牙断髪式。国技館土俵にて午後2時より髪結い実演や長男玲旺(れお)君との稽古、綱締め実演や横綱土俵入りというお好みのあと、300名を超える関係者による断髪式。師匠の止めバサミのあと、奥さんと長女からの花束贈呈、そして最後は「闘牙はかっこよかった。これからも頑張ってください」という励ましのお手紙を玲旺君が少し涙ぐみながら読んで、満場の拍手喝采に包まれての退場となった。自慢のモミアゲも落とした整髪後、地下大広間にてパーティー。こちらも会場溢れんばかりの熱気で闘牙親方の門出を祝った。
平成19年1月29日
今場所5勝2敗と好成績で、来場所新幕下昇進の可能性も高い朝花田改め朝道龍。年末の稽古納めのあとも帰郷を一日遅らせて東関部屋へ出稽古に行ったり、千秋楽後の1週間の場所休みの間もトレーニングをしたりと、日頃の地道な努力の甲斐あっての好成績である。拍手喝采ものである。そんなに、そんなに、稽古熱心なクセに、休み明けの稽古始めには、必ずといっていいほど大寝坊してしまうのも又朝道龍という力士の不思議なところである。
平成19年1月31日
TV東京の日曜朝の番組『ポケモン☆サンデー』が取材。ルカリオ(ポケモンのキャラクターらしい着ぐるみ)とお笑いのロバートの3人組が部屋を訪れ、稽古見学やちゃんこの手伝い、ロバートの稽古体験、ちゃんこ試食や2階の大部屋で若い衆とからんだりと、体験入門。
平成19年2月4日
フジテレビ主催の「日本大相撲トーナメント」。十両と幕内のトーナメント戦が行われるが、十両では皇牙が三つ巴の決勝を制して優勝。幕内では、決勝に横綱が順当に進み、対戦者が何と朝赤龍。優勝したのはもちろん横綱だが、朝赤龍にとっても皇牙にとっても自信を高めた一日となったことであろう。
平成19年2月5日
今日から10日まで若者会(若い衆)での海外旅行。7年ほど前若松部屋時代にも行ったことのあるタイ・パタヤビーチへ。

ここから別ページで紹介されていた「タイ・パタヤ旅行記」を日付ごとに掲載

ータイ・パタヤ旅行記ー
お昼にバスで部屋を出発。高速で成田空港へと向かうが、幕張手前でバーン!という音がしてタイヤがバースト。ドライブインで待機して代えのバスを待って乗り換えての出発。先が思いやられる旅立ちである。若い衆11人と行司の木村悟志の合計12人のツアーである。午後4時JAL703便にてバンコク・スワンナブーム空港へ。約7時間の旅だが、時差が2時間なので到着するのは現地時間9時になる。空港で、いつも青森五所川原合宿でお世話になっている江良さんが待っているはずで、そこから更にパタヤへと向かうことになる。
添乗員もいないツアーなので、3人ほど出口を間違えてしばし迷子になるが、無事江良さんとも合流できて、再びバスに乗ってパタヤへ出発。タイはちょうど旧正月を迎えているそうで、空港も人人人でごったがえしている。揺られること約2時間でパタヤ・ロイヤルパレスホテル到着。
途中、セブンイレブンやマクドナルドもけっこう多い。現地時間は午前0時だが、日本時間にすると午前2時である。
パタヤはバンコクから南へ下ったリゾート地で、もともとは1960年代アメリカ軍が兵士の保養地として開発した街だそうで、きれいなビーチ沿いに高級ホテルが並び、繁華街も賑やかでバカンスを楽しむ欧米人が多い。約4kmにわたるビーチは「東洋のリビエラ」と称されるそうである。
飛行機に乗ってからは機内食を食べただけなので、みんな腹ペコで、荷物を部屋に置いてホテル向かいにあるレストランで夜食。無難にチャーハンやビーフン、スープなどを注文。どれもかなりうまい。長旅で疲労色の強かった朝陽丸も大好物のビールでのどを潤してようやくご機嫌である。夜は更けゆくがパタヤの街並みはまだまだ活気に溢れている。
平成19年2月6日
ータイ・パタヤ旅行記ー
湿気は少し感じるものの思っていたほど暑くもなく、Tシャツなら過ごしやすい気候である。ホテルでのバイキングの朝食後、ソンテウと呼ばれる軽トラの荷台に腰掛けてのる乗り合いタクシーで市場へ。市内近距離なら一人10バーツ(30円)で、貸切でおすもうさん7,8人乗っても全員で100バーツ (300円ほど)である。
市場はかなり広く、衣料品から食品、貴金属、土産物と所狭しと並びショッピングセンターよりも安価で値引きもけっこうきく。市場からの帰り、道端にミシンが並んでいたので、シャツのボタンの取れた男女ノ里、シャツを脱いでボタンつけをやってもらう。街中での裸もとくに違和感もなく代金は10バーツ(30円)。
夕食はパタヤタワーにある回転展望台でのバイキング。取りに行くのがめんどうということもあるかもしれないが、一番体の細い行司の 木村悟志が一番飯が強い。
食事後ホテル裏のビーチ通り沿いにあるムエイタイバーへ。中央にリングがあってムエイタイの試合をやっていて、リングを 囲むようにカウンターバーが並んでいる。ムエイタイを観戦しながら一杯やるという風である。
試合前やラウンドの間にお客との記念撮影タイムもあったりして試合はあくまでもショー的だが、雰囲気は十分感じることができる。
それよりも、カウンターの中にいる女の子(?)たちとやるゲームが十分楽しめる。4目並べやタイ風サイコロ、積み木を5本ずつ10段積んだ柱から順番に一本ずつ抜いて上に積んでいく遊びも緊張感あり力学的でもありで思わず熱中してしまい面白い。
平成19年2月7日
ータイ・パタヤ旅行記ー
お昼頃からパタヤビーチ沖合いにある”ラン島”へ。ビーチから高速ボートで約20分ほどかかる無人島である。パタヤビーチもかなりきれいなのだが、ここラン島のビーチはパタヤビーチが汚れて見えるほど透き通ったエメラルドの海と真っ白な砂浜がひろがっている。その砂も、きめが細かくてサラサラで、砂浜には自信のある徳之島でも触れたことのないような心地よさである。
ラン島はマリンスポーツも盛んで、数人が水上バイクに挑戦。しかし、救命胴衣が普通のサイズでは合わず、特大サイズをもってきてパッツンパッツンに安全ベルトを食い込ませてようやく届く。特大サイズは2つしかないそうで、一番でかい朝陽丸は2つを両肩に無理やりはめてなんとか乗れることになる。
水上バイクを大きく傾かせながら何とかまたがり、いざ出発。重いからなかなか加速がつかない。ちょっと走ったところでバランスを崩して転覆。スタッフが救助に行き、乗せようとするが重過ぎてバイクに登りきれず、登るのを断念して歩いて再び浜辺へと戻ってくる。再びまたがる。今度は2人がかりでの手助けである。再び出発。なんとか無事走り出すが、結局3回も転覆したそうで、その度に浜辺に戻りやり直しで、制限時間の30分間快適に走り回った輝面龍や朝ノ土佐、神山らに比べると、正味5分くらいしか乗っていなかったようである。大きいことは大変なことでもある。それでも十分楽しめたようではある。
しばらくして気がつくと、波打ち際の浜辺で大きな人垣ができて歓声が上がっている。近づいてみると国際親善相撲大会が始まっている。時々おすもうさん 同士のデモンストレーションを入れながら、挑戦してくる外人観光客との相撲大会である。もちろん、挑戦してくる大きな外国人観光客をことごとく退けて取り囲む外人さんも「OH!SUMO!SUMO!」と大喜びである。
最後は、日仏人間ピラミッドで記念撮影。
平成19年2月8日
ータイ・パタヤ旅行記ー
ホテルからタクシー(ソンテウ)で30分ほど走り、ゾウ園へ。大きいおすもうさんでも、さすがにゾウの前へいくと小さく見える。普段自分より大きいものと会ったことがない大きなおすもうさんにとっては、「でか!」と相手に対して言えることが、いつもにない喜びのようである。
ゾウに一人ずつ乗って園内を散歩。ゾウの中にも、大きいのも小さい(といってもかなりでかいが)のも様々だが、ちょうど朝陽丸の乗る番になったゾウが小さい方のゾウで、朝陽丸がまたがった瞬間少しよろめき傾いてしまった。慌てて係員が朝陽丸をゾウから下ろし、後ろで待っていた普通のお客さんにチェンジ。大きいゾウが来るのを待って朝陽丸もようやくゾウに乗れることになった。恐るべし朝陽丸、ゾウにも「重い」といわれてしまった。
ゾウ園の中は広々とした庭園にもなっていて、色鮮やかや花々や緑もいっぱいである。園内を一周してもとのゾウさんの前でみんなで記念撮影。「もっとゾウに近づいて」というも、けっこうみんな恐がって近寄れない。そんな中、輝面龍だけはゾウに密着、鼻をなで、ゾウとじゃれあっている。本名が日比の輝面龍、みんなから「すごい!ムツゴロウさんばりのヒビゴロウさんだ」と感心しきりであった。
平成19年2月9日
パタヤを十分に満喫した旅行を終え、午後11時半発の飛行機で帰国の途。成田着が日本時間午前7時頃になりそうである。

ータイ・パタヤ旅行記「タイの食べ物」ー
タイ料理は概ねうまかった。チャーハンは店によってもいろんな種類があり、ナッツが入っていたり、パイナップルが入っていたり、トマトが入っていたりもしたが、どれも美味かった。(アロエ!=タイ語でおいしい)
タイは、肉料理よりも魚介類の方が多くて、トムヤンクンもそうだし、基本的には辛酸っぱい味付けが主だが、自分の好みに辛酸っぱさもある程度は調整できるし日本人の舌にも十分合う。
街中には屋台が多数でており、いろんな料理の店もある。ラーメン屋ぽい屋台もあれば、魚料理の屋台もあり、ソーセージなどを売っている屋台もある。裏通りにあったラーメン屋ぽい屋台に入ってみた。ガラスケースに入ったマロニー風のものやビーフン風のものや中華麺のようなものから1種類選びそれを鍋でゆでて具をのせて出してくれる。チャーシューやもやしやニラを散らして食べる。いろんな料理に、もやしとニラ(ニラ風?)はついてくるが、必ず生である。
元のスープはかなりさっぱりしていて、それにお好みで、テーブルに置いてある辛味や酸っぱ味、味の素っぽいものなどを入れて食べる。1杯が20~25 バーツ(60円~75円)である。

ータイ・パタヤ旅行記「完結編」ー
中華風の食べ物は多く、タイ料理の店にいっても春巻きなどは必ず置いてある。帰国する前の晩飯はタイ料理の店だったが、鳥の唐揚なども出た。すごく おいしかったのだが、ニワトリではなさそうで、もっと小さい鳥のように骨ばっていた。あれは何の鳥だったのだろう?ニラ玉のような料理もでたが、その下にもたっぷりと生のもやしが敷かれていた。山菜スープなども新鮮な味であった。
街中には、いたるところにタイマッサージの看板が上がっている。フットマッサージもあるし全身もある。指圧というよりも手圧や肘などを主体とした マッサージであり気持ちよいが、何といっても安いのが魅力である。1時間たっぷりやってもらって200バーツ(600円)、2時間400バーツ(1200円)である。
またオーダーメイドスーツの店も多い。タイシルクもあるが、シルクっぽい生地だと一着日本円で1万円程度でできるそうである。シワの寄らない立派な生地である。しかも、晩の8時に採寸して10時に仮縫いを合わせ、翌日4時には完成という早さである。2,3着頼んでも急がせば1日で仕上げてしまうそうである。
楽しかったパタヤ旅行。BSでの相撲中継のおかげで、おすもうさんは「スモウ!」「スモウ!」と注目度は高かったが、そのわりにバンコクほど雑踏もなく、団体の日本人観光客も少なく、物売りもそんなになく、面白くかつのんびりと過ごせた。みんな、年に1回くらいは来たいと満足の旅となった。
平成19年2月10日
予定より少し早く午前6時50分成田着。税関や荷物やらで迎えのバスに乗り込んで出発したのは7時40分。約1時間後の8時40分には部屋に帰り着く。パタヤ旅行は楽しいが、やっぱり部屋に帰り着くと落ち着く。時差もあり、狭い飛行機の中での昨晩なので睡眠も十分でなく、荷物をほどいたあとはみんな深い眠りにおちいっている。
平成19年2月14日
バレンタインデーで玄関に送られてきたチョコがチラホラ。おかみさんからもみんなに配られる。
平成19年2月16日
わが故郷徳之島で上武大学野球部が合宿中だそうである。あまりなじみのない名前であったが、ここ数年力をつけてきて全日本大学選手権にも出場する強豪チームのようである。一時期、マラソンの高橋尚子が合宿をはったことで有名になって、島には“尚子ロード”なるものもできて、実業団の陸上部の合宿も行われてはいるようだが、野球部100名を超える団体の合宿は島始まって以来ではなかろうか。元プロも臨時コーチとして参加しているようである。
平成19年2月17日
今回の上武大学野球部の合宿の窓口となったのは、徳之島町役場企画課だそうである。最近阪神の下柳投手が奄美大島でキャンプをはっているのがスポーツニュースでも紹介されていたが、島興しも兼ねて、各島々がスポーツ合宿誘致に行政単位で取組んでいて受け入れ態勢もけっこう充実しているようである。
高砂部屋も今秋に徳之島合宿を計画中である。
平成19年2月18日
先発隊5人(一ノ矢、大子錦、男女ノ里、朝久保、朝奄美)大阪入り。今日から6週間に亘る大阪での生活が始まる。
平成19年2月20日
徳之島は、航空機運賃が高いこともあって観光客は少ない。それだけに、変に観光地化されていなくてダイビングや釣りの愛好者にとっては穴場的かも知れず、島の生活を好んで移住している人なども少なからずはいる。長寿の島ということで、昨今静かなブームとなっているスローフードやスローライフ、癒しという観点からも注目されている。
そんな奄美・徳之島の風土と食にふれるツアーが4月に計画されているようである。
平成19年2月21日
『島へ』(海風舎)という雑誌がある。その名のとおり、日本中に420もあるという島専門の雑誌で、”日本で 唯一の島マガジン”と銘打っている。創刊して6年ほどになるそうだが、創刊から5年半ほども『島へ』の編集者として島と携わった谷本さんという方が今回の奄美徳之島ツアーにも同行することになっている。文字通り島のスペシャリストである。沖縄やハワイはいつでもいけるが、徳之島には、こういう機会のときしかいけない貴重なツアーである。
平成19年2月23日
元々大阪神戸には奄美・徳之島の人間は多い。出身の町村や学校ごとに郷友会や同窓会があり、更に運動会などもそれぞれでやっている。さらにその上に徳之島全体の郷友会である徳州会があり、奄美全体の集まりである奄美会もある。徳之島出身の元横綱朝潮の5代目高砂親方は、徳之島がまだ米軍統治下だったころに神戸まで密航してきての入門だったから、昭和28年に日本復帰になるまでは出身地を神戸にしていた。
横綱朝潮は、大阪場所でめっぽう強くて 、大阪太郎と異名をとったそうだが、奄美徳之島出身の応援してくれる人々の熱き想いが、後押ししていたことは間違いない。
平成19年2月24日
そんな熱き想いが時代を超えて今も流れていて、奄美(奄美大島。徳之島、喜界島、沖永良部島、与論島)出身の力士が現役21人を数えている。全部合わせて人口10数万という島々からこれだけの数のおすもうさんを輩出しているのは壮観だし、ある意味異常といえるかもしれないし、もっと風呂敷を拡げれば、これから日本を考える何かになるかもしれない。そんな期待の21人の「奄美出身力士を励ます会」が3月4日(日)に関西奄美相撲連盟主催で行われることになっている。
平成19年2月25日
東京に残っていた力士も全員大阪乗り込み。毎年恒例となっている大阪高砂部屋後援会特別会員のちゃんこ会がちゃんこ朝潮徳庵店にて行われ、高砂部屋力士一同も参加。会員との親睦を深める。ちゃんこ朝潮の店内は、芋縄会長が集めた歴代横綱から親方の若い頃の写真、いろんな相撲関連の写真が壁じゅうに飾られていて、さながら相撲博物館である。貴重な写真も数多い。明日が番付発表。
平成19年2月26日
平成19年3月場所番付発表。先場所三段目25枚目で5勝と、幕下に上がるか上がらないか微妙な線上で気を揉みにもんだ朝道龍、東幕下60枚目に昇進。久しぶりの新幕下誕生である。逆に先場所幕下48枚目で3勝だった輝面龍、幕下残留の可能性もある所だったが三段目も3枚目まで落ちる。朝陽丸も予想以上に落ちて6枚目から22枚目となる。番付運が悪いといえば悪いのだが、最近は上がり下がりの幅が大きい傾向にあるようで、やっぱり「勝ち越してなんぼ」の世界である。皇牙十両の一番ケツの西14枚目。
平成19年2月27日
今日から久成寺(くじょうじ)での稽古始め。午前8時半からは土俵祭りが行われる。土俵祭りをおこなうのは、33代木村庄之助親方。今場所後に定年を迎えるため、3月大阪場所が立行司木村庄之助として結びの一番を裁く最後の場所で、土俵祭も最後の土俵祭りである。昭和30年5月場所の入門だから、丸52年の相撲人生を締めくくる最後の本場所である。
平成19年3月2日
明後日3月4日(日)に大阪堺のリーガロイヤルホテル堺にて行われる泉州山断髪式。午後6時から始まるが、呼出し利樹之丞唄う相撲甚句に先導されての泉州山入場となる。泉州山の十五年の相撲人生と、新しい人生への旅立ちを祝う泉州山引退断髪相撲甚句ができました。もちろん、作も利樹之丞。
平成19年3月3日
3月場所新弟子検査が行われ、高砂部屋からも酒井泰伸君18歳が受検。神奈川県平塚市の出身で、188cm155kgの立派な体格である。毎夏に合宿をやっている平塚の湘南高砂部屋後援会の縁での入門。減っていく一方の若い衆という現状だから、何とか頑張って生き残っていってほしいものである。午後6時半より場所前恒例の激励会。1000人を超えるお客様が集い、春場所での高砂部屋の活躍を期して祝す。
平成19年3月4日
泉州山断髪式がリーガロイヤルホテル堺で行われ、500人近いお客様が駆けつけ、300人ほどが最後の大銀杏にハサミを入れ、泉州山こと佐藤喜裕氏の第二の人生への旅立ちを祝った。一門の錦戸親方や元梅ノ里の小泉マネージャー、剛堅、昴、志免錦、泉州岬、東海林、豊雲野、勝田錦、朝迅風、高稲沢、熊郷、熊ノ郷といった懐かしい面々も顔を揃えて、さながら高砂OB会ともなった。
平成19年3月5日
2月24日の日記で紹介した「奄美出身力士を励ます会」が昨日行われ、十両の里山関、旭南海関を中心に14名の力士・行司が出席して300人ほどの関西在住の島人とテーブルを囲んで親睦を深める。唄って踊ってが好きな島人の宴会は、三線と太鼓がつきもので、7時から9時半までの宴会の後半は唄と踊りの狂乱がつづく。相撲界広しといえども、これほどたくさんの人が集まって激励してくれる所はそうそうないし、これほど盛り上がる宴会もそうそうないであろう。
唄を愛し、踊りが好きで、相撲を愛する奄美の心の会である。
平成19年3月6日
「奄美出身力士を励ます会」には新相撲(女子相撲)の昨年の重量級の日本チャンピオンの里山さんも出席していた。里山さんは、大阪生まれで立命館大学OGだが、お父さんが奄美は加計呂麻島の出身で、いうなれば奄美2世である。元々アマチュア相撲では奄美出身選手の活躍は華々しいが、新相撲でも頑張っている。
横綱や朝赤龍は出稽古に行き、若い衆の数も減ったので、否が応でも残った少人数でやるしかなく、3月場所初日に向けて稽古十分の高砂部屋である。
平成19年3月7日
立行司33代木村庄之助親方は今度の大阪春場所が最後の場所である。青森県八戸の出身で、昭和30年13歳のときに入門して丸52年の行司人生である。入門した時の師匠は元横綱前田山の4代目高砂親方、以後現7代目の師匠まで四代に亘る高砂部屋での相撲人生である。中学2年生のときに学校に、高砂部屋から行司、呼出し、床山の募集がきたので応募して、3人で上京しての入門だったそうである。3人のうちの一人は最初から呼出し希望だったそうだが、庄之助親方は特に何になりたいという希望はなくての入門だったそうである。
平成19年3月8日
昨年5月場所、33代木村庄之助昇進の時に専修大学教授の根間弘海氏が庄之助親方との共著で、『大相撲と歩んだ“行司人生51年”』(英宝社)という本を出版した。入門から現在に至るまでのことが詳しく紹介されている興味深い本である。本によると、3人で八戸から群馬県の桐生の巡業地へいきなり連れてこられたそうで、巡業の支度部屋で早速見習いが始まったそうである。
平成19年3月9日
最初、支度部屋で床山さんに呼ばれ「そこで立って見ていろ」と、床山見習いだったそうだが、一緒に来たもう一人の少年が行司さんの所へいって行司さんと話をしていたら「これは耳が遠くてダメだ、代われ」という声がして、庄之助親方こと野澤要一少年の52年に及ぶ行司人生が始まったそうである。入門してすぐは本名の要一からとって要之助。それから何度か改名をして昭和52年十両格に昇進した時に、高砂部屋で由緒のある「朝之助」を襲名。3代目朝之助だそうだが、平成18年3月に式守伊之助を名乗るまで、30年間朝之助を名乗ったことになる。
平成19年3月10日
明日から初日で、触れ太鼓が浪速の町をまわり、春場所到来である。朝赤龍は大関栃東との対戦、横綱は幼馴染の時天空とである。結びの一番を裁く33代 木村庄之助、明日から千秋楽までの一日一番、十五番が52年の行司人生を締めくくる裁きになる。しかも、最後の15日間が同じ高砂部屋の横綱の取り組みであるから、万感胸に迫る想いは、より一層であろう。
平成19年3月11日
幕下格行司木村勝次郎は、平成3年3月場所入門以来16年庄之助親方に師事している。毎年正月元旦には、高砂一門の行司さんみんなで庄之助親方の家へ年始のご挨拶に伺うのが慣わしになっているそうだが、立行司となった今年、紙にまず「立行司」と書いて、その横に「法・政・法」と書き添えたそうである。それぞれ「立法・行政・司法」となり、言葉遊びといえども見事なまでに立行司の、重み、責任、大切さを表している言葉ではなかろうか。
その勝次郎、ゆくゆくは4代目朝之助を継ぐ話もあるそうである。”荒れる春場所”の通り、大関陣につづき横綱まで敗れる大波乱の大阪初日。
平成19年3月12日
相撲はむずかしいものだと、つくづく思う。横綱の入門以来、本場所の取り組みはもちろん稽古場での相撲も何百番と見てきたが、あんなに体の動きがバラバラな相撲は初めて見たような気がする。場所前からの週刊誌騒動の影響もあるかもしれないし、体調の不備もあるかもしれないが、横綱本人としても、相撲の難しさ恐さを初めて感じた時なのかもしれない。ただ、物事の本質をつかむ本能的・直感的な能力には天才的なものがあるので、この2連敗という屈辱を、自分の相撲をより深めるチャンスとしてほしい。
平成19年3月13日
昨日から前相撲が始まっているが、高砂部屋唯一の新弟子朝酒井は今日が初土俵。相手も素人ではあったようだが、188cm、155kgの体格を生かしての押し出しでの大相撲初白星。毎年夏に合宿を行っている神奈川県平塚の湘南高砂部屋後援会からの紹介での入門である。明後日5日目にもう1勝すれば一番出世となる。
平成19年3月16日
33代木村庄之助親方は、普段はどちらかというと寡黙な方で、立行司となった今でも、実直、謙虚などという言葉が似合う印象である。しかしながら、お酒は好きな方で(かなり)、一杯入ると昔の話なども興味深く語ってくれる。昨年9月の庄之助昇進パーティーの2次会の席でも定年となった元床藤さんと共に4代目や5代目高砂の頃の話をたっぷりと聞かせてもらった。朝ノ土佐3連勝で次の一番に早くも勝ち越しをかけるが、付人をしている十両皇牙が苦しい星である。
平成19年3月17日
今日のNHK大相撲中継の向正面ゲストは、落語家の桂文珍師匠であった。関西の芸人はおしなべて相撲好きな人が多く、部屋や力士との交流があったり府立体育館でもちゅくちょく目にすることもある。その文珍師匠の一番弟子に桂楽珍という落語家がいる。徳之島高校の2年後輩で、関西ではそこそこ名の売れた存在である。徳之島人として相撲にも子供の頃から慣れ親しんでいるから、上方落語会の相撲大会では5年連続で優勝を飾ったそうである。
初日以来、負け数の方が多い日がつづいていたが、中日にして初めて30勝29敗と勝ち数が上回る。
平成19年3月19日
朝久保、1敗のあとの4連勝で今場所第1号の勝ち越し。先場所も4勝1敗だから、2場所合わせると8勝2敗という横綱並みの好成績である。高知安芸中学では相撲部で全国大会にもでて、新入幕売出し中の栃煌山は同級生である。相撲の技術はそこそこあるのだが、すかし癖があり、すかし記録更新中である。性根を入れて、そろそろ、三段目くらいは上がらなければいけない。塙ノ里も勝ち越し。朝酒井二番出世披露。
平成19年3月20日
関取の座を守るためにはもう一敗もできない剣ヶ峰まで追いつめられてしまった皇牙、何とか一日生き長らえた。でもこの一勝で波に乗れば、元来ツラ相撲(連勝連敗グセ)だけにミラクルも起きるかもしれない。起こしてくれることを願う。
朝赤龍も7敗からの2連勝。三段目12枚目の朝ノ土佐勝ち越し。幕下復帰を確実にするためには、もう一番である。
平成19年3月22日
今場所新幕下へ昇進した朝道龍。3敗してしまって、幕下の地位を保つのに負けられない状況だが、今日の対戦は阿武松部屋のロシア人力士阿夢露である。体重こそそんなにないものの長身の力士で、その阿夢露に後ろにまわられてしまった花ちゃんこと朝道龍、その短身を生かして相手の腕の下にもぐりこみ、高校時代に柔道部で鍛えた一本背負いを一か八かかけたところ、長身の阿夢露が見事に宙を一回転。一本背負いでの3勝目となった。実際生で見た力士、呼出し、行司一同が、相撲での一本背負いも数々見てきたけれど、これほど見事な一本背負いは初めて見たと、絶賛しきりであった。
平成19年3月24日
初日2日目と連敗した時には今場所の休場を心配する声も多かった。庄之助親方の最後を飾って欲しかったのに残念だ、という話もあった。某関係者からは、横綱もやっぱりふつうの人間だったんだという声も聞かれた。誰もが今場所は無理だと思った春場所、不順な天候が一気に例年通りの厳しい冷え込みになり、土俵にも横綱の厳しさが戻ってきて、日一日と荒れる春場所を締めていった。いよいよ明日、今まで誰もなしえなかった2連敗からの優勝に挑戦の千秋楽である。21回目でもあって、優勝の準備は、パレードから鏡割りからパーティーまで準備万端である。
平成19年3月29日
春場所千秋楽、52年間の行司人生を締めくくった33代木村庄之助親方。最後は優勝決定戦というおまけもついた。本当にご苦労様でした。その千秋楽の土俵で、十両皇牙も引退を表明。本場所での弓取式も最後を飾るものとなった。一応春巡業までは弓取式を務めて引退となるようである。断髪式は5月場所後の予定で、日程を検討中である。
平成19年3月30日
部屋近くの銭湯へいったら、桂文福師匠といっしょになった。昨年も一度会ったが、時々この銭湯を利用しているそうである。文福師匠の相撲好きは有名だが、大阪場所の割り紙(取組表)には文福らくごプロモーションの広告も出している。相撲界との交流も幅広い。桜の花もところどころで咲きかけた大阪も今日が最後の夜である。もちろん、最後のご挨拶に出ます。
平成19年4月1日
毎年春場所後恒例の伊勢神宮奉納相撲。終わると一旦東京に戻って、また金曜日から巡業に出発する。皇牙もでているが、弓取式はやらずの巡業参加である。皇牙の代わりに弓取式を務めるのは男女ノ里。本場所でこそまだ経験がないものの、最近の巡業ではずっとやっているから、もう慣れたものではある。5月場所からは、国技館土俵でも弓取式を務めることになる。
平成19年4月2日
6月にはハワイ巡業がある。海外巡業の場合は付人の数が極端に減り、横綱でも付いていくのは2人だけである。元々は皇牙が弓取式で十両ながら参加する(海外巡業は幕内だけ)予定だったのだが、急な引退となったため参加できなくなった。ビザの関係もあって、すでに参加者登録は2月に済んでいて、その中には男女ノ里の名前もない。今から変更するのには手続きもかなり大変になるため、ハワイ巡業に参加する塙ノ里も弓取式を練習することになりそうである。
平成19年4月4日
皇牙の断髪式の概略がきまった。5月場所後の6月3日(日)、お昼頃から国技館土俵にて断髪式を行い、そのあと午後3時頃から両国第一ホテルにて披露パーティーという流れになりそうである。断髪式に先立ち横綱土俵入りや初っ切り、皇牙本人による最後の弓取式も行われる予定である。
平成19年4月6日
断髪式やパーティーなどの部屋の催物、冠婚葬祭などで、名簿を作って案内状を出したり、出欠をまとめたり、受付をやったりするのは主に行司さんが中心になってやる。大きな催物になると、部屋だけでなく一門の行司さんが勢揃いして行う。それだけに一門の行司さん同士は結びつきも強い。土俵上での行司裁きはもちろんだが、そういう催物の事務一般がこなせるようになって初めて行司さんも一人前といえそうである。先日の闘牙につづき、今回の皇牙の断髪式と日をあけずしての事なので入門間もない木村悟志にとっては貴重な勉強の場である。
平成19年4月8日
以前にも紹介した『大相撲と歩んだ行司人生51年』(木村庄之助・根間弘海著、英宝社)に行司さんの仕事が詳しく紹介されている。土俵上での裁きはもちろん、土俵入りでの先導、土俵祭り、場内放送係、取組編成の書記、番付編成の書記、割場、輸送係、巡業での先発書記、部屋での書き物、・・・ 多岐に亘る。
平成19年4月9日
土俵上での裁きはテレビでもよく見えるから誰でもわかるが、土俵入りの先導は力士に目が行く為われわれ関係者でもなんとなく見過ごしてしまう。土俵入りは十枚目(十両)、幕内、横綱と3種類あるが、それぞれ担当があるようである。十両土俵入りは十両格行司、幕内土俵入りは幕内格か三役格行司、横綱土俵入りは立行司(横綱が3人以上いるときは三役格まで)となっているそうである。それぞれ全員が順番に務め、横綱も現在のように朝青龍一人の場合は、庄之助と伊之助と交互に務めるそうである。
平成19年4月10日
土俵祭は、本場所の土俵は初日の前日10時から、稽古場の土俵祭は番付発表の翌日、稽古始めの朝に行う。本場所の土俵祭は立行司が祭主を務めるが、部屋の土俵祭は、それぞれ部屋所属の行司(主に十両格以上)が務める。簡単にいうと土俵を清める御祓いだが、庄之助親方の本によると「相撲に関わりのある三神と四季の神を土俵の守り神として勧請します」とある。三神とは、『神産巣日神(かみむすびのかみ)』『高御産巣日神(たかみむすびのかみ)』 『天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)』という五穀の守り三神だそうである。
平成19年4月11日
勝ち名乗りを受けるときに切る手刀は、心という字を書いていると思っている人も多いようだが、あれも三神への感謝の作法である。左、右、真ん中と切り、左が『神産巣日神』、右が『高御産巣日神』、真ん中が『天御中主神』だそうである。
あれは何なんですか?とよく質問されるので、神様の名前を覚えようとしたが、未だに覚えきれずにいる。勝力士が懸賞を受け取る際に手刀を切る作法はわりあい新しくて、昭和41年七月場所からのことだそうである。
平成19年4月12日
「天地初めて発(ひら)けし時、高天の原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、神産巣日神、此の三柱(みはしら)の神は、並独身神(みなひとりがみ)と成り坐(ましま)して、身を隠したまひき」と『古事記』にあるそうである。天之御中主神が真ん中になり、高御産巣日神が男神的役割となり、神産巣日神が女神的役割となって、三神がワンセットで天地創造を果たしたそうである。ちなみに手話のありがとうは相撲の手刀が元になっているそうである。
平成19年4月13日
相撲博物館の館長を務めている元横綱の大鵬さんが、今朝国技館地下大広間で、相撲教習所生徒を対象に45分ほどの講演をやったそうである。自らの新弟子の頃の話から四股の踏み方、相撲に対する心構えなど熱く語ってくれたそうで、是非拝聴したかったものである。新弟子のみならず、現役関取衆、親方衆、全力士に話す機会も設けて頂きたいものである。
平成19年4月15日
「手刀を切る」作法自体は江戸時代からのものらしい。元々弓を受け取る時に行われたものだそうで、戦後「涙の敢闘賞」という映画にもなった名寄岩が懸賞を受け取る時に始めたことがきっかけとなって、昭和41年七月場所に明文化されたそうである。
平成19年4月16日
いまでは考えられないことだが、昭和30年代には力士が主演の相撲映画が数々作られたようである。「名寄岩 涙の敢闘賞」をはじめ、「力道山物語 怒涛の男」「若乃花物語 土俵の鬼」「風雪十年 全勝吉葉山」「土俵物語」、ちょっと時代がさかのぼって「双葉山物語」などなど枚挙にいとまがない。そんな懐かしの映画のポスターが、両国駅ビルにある居酒屋『花の舞』のお手洗いに飾ってあり、中でも「土俵物語」のポスターに、若かりし褐色の弾丸房錦の姿を見つけたときは思わず感動の声をあげてしまった。
平成19年4月17日
「土俵物語」の主人公は房錦である。ポスターには“母の祈りを背に受けて、父から受ける勝ち名乗り!若き闘魂は暴れ狂う、弾丸力士栄光物語!”と銘打ってある。お父さんが式守錦太夫という幕内格の行司さんで、新入幕の場所には優勝争いを演じる大活躍(11勝4敗で敢闘賞)で、その場所お父さんの錦太夫から勝ち名乗りを受けたときは大変な話題になったそうである。そんな話が昭和33年に大映から映画になったようである。
九重部屋が出稽古に来る。久しぶりのことである。
平成19年4月18日
6月3日(日)に行われます皇牙断髪式。太鼓打分けや髪結い実演、横綱土俵入りのほか、びっくり取組もあるかもしれません。もちろん、最後の弓取式も行われます。
平成19年4月19日
来週金曜日4月27日に横綱朝青龍優勝20回達成記念パーティーが新高輪プリンスホテル飛天の間にて午後6時半から行われます。政界、財界、芸能界、スポーツ界の著名人が集い、横綱の優勝20回達成を祝います。
平成19年4月20日
またまたパーティーのご案内です。先場所十両で優勝した奄美出身力士“尾上部屋 里山関”の十両優勝祝賀会が5月5日(土)に 上野精養軒「桜の間」にて行われます。奄美出身のトレーニングセンターサンプレイ会長宮畑豊氏と奄美出身力士の会「島人会(しまんちゅかい 会長一ノ矢)」主催です。
平成19年4月21日
御徒町にあるトレーニングセンターサンプレイの宮畑会長は奄美大島は古仁屋の出身である。島人(シマンチュ)らしく中高と柔道相撲をやってきたそうだが、19歳の頃腰を痛めて歩けないほどになってしまい、リハビリとして始めたのがウエイトトレーニングだそうである。持ち前の熱心さで打ち込み、一生車椅子で生活しなければならないほどの大怪我を克服したばかりか、ボディビルで世界的な選手にまで登りつめている。49歳で現役を引退したそうだが、66歳の現在でもハードなトレーニングをこなし、プロの力士、空手家、野球選手でも会長のトレーニングについていくのに精一杯なほどである。
平成19年4月22日
下北沢駅前劇場(南口下車0分)で相撲のお芝居をやっている。劇団Turboという劇団で、井上僚章作・演出の、お笑いと涙が満載の人情劇である。題して『ザ・ワインディング・キー』。ゼンマイを巻くという意味だそうで、主人公が最年長力士という設定で話が展開していく。1時間半あまりのお芝居だが、笑いと涙の連続であった。
平成19年4月23日
高砂部屋関係者一同が会して親睦を深める親睦会を、新高輪プリンスホテルにて行う。親方、裏方、力士全員の家族が一同集まり円卓を囲み、食事やカラオケに興じる。全員揃うと60名近い大ファミリーである。そして今回の親睦会は、先場所で引退となった庄之助親方の慰労会としての親睦会でもあった。土俵築を行い土俵を作り直す。明後日が5月場所番付発表となる。
平成19年4月24日
相撲でも芝居でも興行の最後の日を千秋楽という。もともとは雅楽の曲の名だそうで、相撲や芝居が神事から起こった証しでもあろう。
昔、九州場所の千秋楽に天神からタクシーに乗ったら、運転手さんの名前が「千秋楽」さんだった。本名だそうである。本当の話である。
平成19年4月25日
5月場所新番付発表。先場所序ノ口5枚目で3勝4敗と負け越しだった朝翔冴、今場所は序二段122枚目へ昇進。どうしてこういうことが起きるかというと、3月場所は入門者が多く、その数多くの入門者が序ノ口の番付に名前をのせるので、元々の序ノ口力士は押し上げられて負け越しでも番付が上がることになる。今場所に限りのことであるが。
平成19年4月26日
5月場所に向けての稽古始め。稽古始めの日は、新しくつくり直された土俵で土俵祭が行われる。祭主を務めるのは、先場所までは木村庄之助親方だったが、庄之助親方引退の為、今場所からは木村勝次郎である。初めての土俵祭の祭主でさすがに緊張の面持ちであったが、無事務めあげ、「つよくなれ!!」の伝統も引き継いでいた。その今朝の稽古場に長渕剛さんが訪れ、親交のある横綱とちゃんこを囲んだ。
平成19年4月28日
昨日行われた横綱朝青龍優勝20回達成記念パーティー。新高輪ホテル飛天の間にて、2000人近いお客様が集い横綱の偉業を祝う。政界から、森喜朗元総理、羽田孜元総理、塩川正十郎元財務大臣、中川正直自民党幹事長、福島瑞穂社民党党首、といった方々が出席し、祝辞のあとは長渕剛の「とんぼ」熱唱 で一気に会場がヒートアップし、北島三郎、浅香光代、青田典子、根本はるみといった面々も宴に華を添え、深川辰巳太鼓や津軽三味線、モンゴル雑技団を楽しみ、最後は小室哲哉とKEIKOの歌もあり、出席者も大満足の宴となった。
平成19年4月29日
世はゴールデンウイーク真っ最中だが、相撲部屋にとっては5月場所前ということもあり一番稽古を上げていくハードなウイークである。稽古見学のお客さんも連日団体客でいっぱいである。毎年恒例になった横綱審議委員会総見稽古は、今年も5月5日(土)に国技館土俵にて一般公開稽古として行われる。
平成19年4月30日
連休の最終日5月5日(土)6日(日)には両国にぎわい祭りが行われるそうである。メイン会場となる国技館通りにてチャンコや太鼓実演、相撲甚句に相撲健康体操。国技館でも、相撲体験コーナーや大入り袋に相撲字を行司さんに書いてもらうコーナー(有料)などなど相撲や江戸、両国にまつわる催しが満載である。昨日紹介した総見稽古一般公開も、その一環といえばいえるだろうが、こちらも入場無料で午前7時開場で全席自由である。朝、国技館で稽古を見て、そのあと両国にぎわい祭りをまわると、一気に相撲通になること請け合いである。
平成19年5月2日
以前知人の結婚式で元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽親方と同席する機会に恵まれたとき、親方が「わしらの頃は、本当に殺されると思うほどやられて必死に耐えながらやったのに」と現代の稽古を嘆いておられた。十数年前の相撲雑誌で、相撲評論家の小坂秀二さん(故人)がやはり当時の稽古のぬるさを憂いて、土俵の鬼の若乃花の稽古場での様子を語り、「人道上問題になるのではと思われるほど荒っぽかったが、あれだから強くなるんだなあと思った」と振り返っている。
大相撲の稽古とはそういうものである。もちろんそればかりではないが、そういう面もあるのが稽古である。もちろん人間のやっていることだから、行き過ぎることもあるし、そういう時は親方や指導者が諌めることもある。ただそれは、内輪の話であって言わば陰であり、それを公にさらして陽の世界であれこれ論ずるのはお互いにとって(相撲界と日本の一般社会)、いい事はひとつもないように思うのだが。
平成19年5月3日
24年大相撲でやってきて、何度も怪我を繰り返し、相撲を探究し、身体についていろんな方面から勉強して、間違いなく思うのは、怪我は、その99%が自分の身体の使い方の間違い、未熟さによるものである、ということである。
競技レベルが上がれば上がるにつれ許されるそのズレ(足や膝や骨盤の位置など)は数センチからミリ単位までどんどん精度があがっていく。だから、稽古には怪我はつきものだし、怪我をすることによって自分の身体に対する意識の精度が高まってもくる。相手のせいではないのである。怪我をした豊ノ島関本人からもそんなことは一言も言っていないと思うし、相撲センス抜群の力士だから、この怪我が更に自分を高めるチャンスとなるであろうことを期待する。
平成19年5月4日
奄美大島出身としては宇検村出身の朝ノ海(高砂部屋)以来45年ぶりとなるそうである新入幕をきめた尾上部屋里山。先月30日には地元奄美に戻り、凱旋パレードを行ったそうで、あいにくの悪天候にもかかわらず500人を越す奄美市民から熱狂的な歓迎をうけたようである。明日午後6時からも、4月20日の日記で紹介したように上野精養軒にて、十両優勝と新入幕の祝賀会が行われる。
平成19年5月5日
奄美出身尾上部屋、里山関十両優勝&新入幕祝賀会が上野精養軒で奄美関係者を中心に100名近くが集まり行われる。参加者一同の会費から故郷奄美の本場大島紬の着物・羽織一式が贈呈され、「真っ向勝負の相撲で勝越し目指して頑張ります」と力強い言葉で御礼した。島人(しまんちゅ)会(奄美出身力士)の現役力士はもちろん、島人会OBの元武蔵川部屋東ノ亥(ひがしのがい)や元中村部屋徳豪山らも出席して歌や踊りで宴を大いに盛り上げた。
平成19年5月7日
奄美の祝い事では「朝花」という島唄で宴がはじまる。座の清め、のどならしの為といわれているそうで、めでたい唄である。その一節を里山関を祝う甚句の出だしに拝借した。「今日(きゅう)のほこらしゃや 何時よりも勝り」ー今日のめでたさ、喜びはいつもよりも勝っている、という意味である。
5日の祝賀会でも「朝花」で宴会が始まった。めでたい島唄である。
平成19年5月8日
今年初場所初日の前日、1月6日に里山関のお父さんが亡くなられた。初場所こそ負け越してしまったものの、3月場所での十両優勝は亡き父に捧げる優勝となった。そして5月場所での新入幕である。初めてマワシを締めたのは5歳のときだそうだが、相撲好きのお父さんに手ほどきをうけてのことだそうで、病床のお父さんも入幕を心待ちにしていたそうである。
平成19年5月10日
綱打ち。横綱は、東京場所のたびごとに新しくつくり直す。平成15年の初場所後からだから、今回で14本目になるだろうか。横綱つくりは、八角部屋の陣幕親方と伊予櫻若者頭が中心になっておこなうが、最近伊勢ヶ濱部屋の白岩若者頭も近い将来のために手伝いに来ている。出来上がった純白の新横綱は、5月場所と7月場所で横綱の腰を巻くことになる。
平成19年5月11日
審判部による取組編成会議。横綱の初日の相手はだいたい小結だから、ふつう通りに東小結の豊ノ島。初日早々いわくつきの取組とかマスコミははやしたてるかもしれないが、周りが騒ぐほど、本人たちにはそれほどの意識はないことであろう。膝の怪我は心配だが、いい相撲を期待したい。
横綱も締め込み(本場所用のマワシ)を締めて稽古場に登場。若い衆を相手に汗を流し、見学に来た知人とちゃんこを囲みながらリラックスモード。いつもと変わらぬ場所前である。明日朝土俵祭を行い、触れ太鼓が街にくりだし、明後日の初日を迎える。
平成19年5月12日
午前11時前、触れ太鼓の乾いた音が稽古場に鳴り響き、明日初日の取組を呼び上げる。触れ太鼓にまわる呼出しさんが、明日明後日の割り(取組表)をもってきて自分の対戦相手がわかる。若い衆にとっても一番気になる瞬間であり、いよいよという気持ちも昂ぶってくる時でもある。広告の入っていない関係者用の割紙(取組表)は、最初に “取組開始 八時三十分” とあり、最後は “弓取式 男女ノ里” で締められている。
引退の皇牙に代わり、明日から男女ノ里が弓取式を務める。こちらも注目である。
平成19年5月13日
初めて本場所の土俵で弓取式を務めた男女ノ里。結び二番が注目だっただけにNHKの放送では映らないかと思ったが、せり上がりの所から映り、名前も字幕で紹介されて全国的になる。
色黒だった皇牙と対照的に色白で、「相撲人形みたい」という声も聞かれたそうで、まずまずのデビューであった。
平成19年5月14日
”人を見る目“ということは、つくづく難しいものだと思う。去年入った新弟子で、身体能力にも優れていて、礼儀正しい好青年で、久々の有望新弟子だと思った子が3日で逃げ出してしまい、第一印象がおとなし過ぎて、これはちょっと無理だろうと思った新弟子が部屋の生活に溶け込んで、しっかり頑張っていたりする。そんな第一印象を覆した朝酒井、番付に名前が初めて載ったこの場所で、白星デビューを飾る。
平成19年5月15日
三段目神山、初日の相撲で勝ったものの大腿を痛めて今日から休場。今場所の出場は難しそうである。
平成19年5月16日
初めて国技館で大相撲を観た人の話を聞くと面白い。口を揃えて言うのは臨場感の素晴らしさ、感動である。化粧回しや房の色、行司さんの装束などの色の多彩な華やかさ。立合いでぶつかるゴーンという衝撃音の迫力。テレビで見ているときよりもずっとずっと短く感じる仕切りの時間。びんつけの香り。おすもうさんの肌の美しさや筋肉の圧倒的な量。やっているほうとしては当たり前のようにも見慣れた風景や、仕草、雰囲気などが伝統美をつくっているのだと改めて知らされる
。 まだ未体験の方、いざ国技館へ!!いざ大相撲へ!!
平成19年5月17日
先場所初幕下で負越して三段目になり、今場所また幕下復帰を狙う朝道龍、2連勝と好調なスタートで今日が3番相撲。取組前に、「はなちゃん、今日誰と?」と聞くと、「トキオウです」と答えた。「ト・キ・オ・ウ どんな漢字?」と聞くと、「こんな感じです」と顔マネをやってくれた。
「いやいや、その感じじゃなくて、四股名の漢字は?」と聞くと、「土岐皇」だとわかった。
はなちゃん的には よくある会話だが、相撲の方も、軍配を貰ったものの物言いついて行司差違えでの負けとなり、3勝目を逃してしまった。
平成19年5月19日
初日につづき今場所二度目の満員御礼。全席売切れでなくてもある程度の基準(場所によって多少の違いがあるようだが)を超えると満員御礼を出すようだが、今日はイスCから自由席まで全席売り切れ状態だったようである。満員御礼になると、関係者(関取衆や資格者)には日本相撲協会の大入袋が出る。その満員の館内の声援を受けての取組、横綱は全勝を守るものの、朝赤龍は初黒星。部屋に帰ってきてビデオを繰り返し見ながらあす中日以降の取組に、気持ちを新たにして臨む。
平成19年5月20日
国技館では毎日午後3時から館内FM放送「どすこいFM」をやっているが、今日の十両での放送のゲストに6月3日(日)に断髪式を行う皇牙が出演。どすこいFMの放送席は2階席の一角にあるが、まわりのお客さんも、まだチョンマゲをつけた皇牙を見つけ多くの人が声をかけてくれたそうで、用意した断髪式のチラシ100枚も、あっという間になくなったそうである。後半戦にもう一回くらい出演の予定(11日目辺り?)があるようである。
平成19年5月21日
「天地開け始まりてより陰陽に分かれ、清く明らかなるもの陽にしゅうちゅして上にあり、これを勝ちと名づく。重く濁れるもの陰にして下にあり、これを負けと名づく。勝負の道理は天地自然の理にして、これをなすもの人なり。・・・・」土俵祭の方屋開きの口上である。相撲に勝つと本当に清く明らかなる気持ちになる。勝越しが決まれば尚のことである。
その清く明らかなる勝ち越しを、9日目にして朝赤龍、朝翔冴が決める。
平成19年5月22日
朝陽丸、1勝4敗と早くも負越し決定。今年こそは勝負の年なのだが、思うように番付が上がっていかない。そのアマでの実績、素質は誰もが認めるところだが、怪我もあり、一進一退がつづいている。数々のタイトルをとってきただけあって、腰の使い方などには目を見張るものがあるが、200kg近くなってしまった肉が、その心技を邪魔してしまっている。
本人もわかってはいるが「我慢できなくてつい食っちゃうんですよ」と減量できずにいる。あと10kg痩せればグッと良くなると思うのだが。横綱にも初黒星。座布団が乱れ飛ぶのは仕方ないとしても、弓取式のときにはやめてもらいたい。
平成19年5月23日
勝つときは、本当に楽に何をやってもうまくいくことが多々ある。負けるときは逆に、必死に苦労して苦労して頑張っても力が相手に伝わらずに、何をやってもうまくいかない。心身がかみあっているか、いないかの違いが大きい。集中で検索してみると、「集中とは現実と心の中が同調している状態」とある。でも相手がそれ以上に良かったり、力が違いすぎたりすると集中してても負けになることもあるし、逆にこっちの集中の度合いが低くても、相手がそれ以上に悪かったら勝ちにつながることもある。〝勝負の道理は天地自然の理にて、これをなすもの人なり”という所であろう。
集中の状態がいい輝面龍5勝目。朝久保勝ち越し。
平成19年5月24日
集中すると言葉にするのは簡単だが、実際に土俵の上に上がると、集中して相撲を取りきるということは難しい。仕切りのときには良くても、相手の思わぬ立合いに心が乱れてしまったり、いい体勢になって「よし勝った」と思った瞬間に力んでしまったり、と自分の心に集中を乱されてしまうこともある。逆に怪我をしていたり、取組に遅れそうになってゼーゼーいいながら走っていったときなどは肩の力が抜けていい相撲を取れたりもする(大子錦の得意技(?)だが)。特に勝越しをかけた一番は集中力の差が勝敗を分けることになるであろう。
集中力の競い合いと なる3勝3敗同士での最後の取組、明日13日目に3人、明後日14日目に2人、それぞれ勝越しをかける。
平成19年5月25日
集中力は、人間が元々持っている本質的能力だそうである。その誰もが持っている集中力を妨げるのは人間自体であるようである。集中力の最たるものは『火事場の馬鹿力』であろう。科学的には脳のブレーキが外れて筋肉の出量を大きくするのが火事場の馬鹿力と説明されるが、武術的には全身の筋肉や骨格の使い方が最も合理的に使われるからこそのすごい力だと説かれる。
その集中力が切れてしまったかのような 横綱、初めて2場所続けて優勝を逃してしまう。代わりに朝赤龍が集中力を保ってのあと二日。
平成19年5月26日
今場所初めて番付に名前が載った朝酒井、勝ち負けを繰り返しつつも3勝3敗までこぎつけて今日が勝越しをかけた最後の取組。11時半頃部屋に戻ってきたが、暗い顔である。「負けたのか?」兄弟子の声に、涙した。この悔しさを来場所までの稽古にぶつけていかなければならない。
3勝3敗からの負け越しが3人つづいてしまったが、最後に登場の塙ノ里、元幕下上位の貫禄を見せての勝ち越し。序二段朝翔冴5勝目。
平成19年5月28日
昨日の千秋楽、恒例の打上げパーティーが国技館裏のKFCホールにて行われる。殆ど恒例であった横綱の優勝がなかったため、いつもよりお客さんの人数も少なかったが、朝赤龍の技能賞の盾とトロフィーが舞台に飾られ一緒に記念撮影も行われ、ちょっと寂しい打上げに華を添えた。
今日から場所休み。6月3日(日)に断髪式を行う皇牙の送別会を若者会でおこなう。
平成19年5月29日
待望の新横綱誕生が決定的である。4年前の忙しさを思い出すが、明日水曜日の番付編成会議と理事会で正式に69代目の横綱が誕生し、明後日木曜日に新横綱の綱打ちを行い、金曜日が明治神宮奉納土俵入りとなるはずである。昨日から、麻もみや紅白の鉢巻きつくりなどなど、横綱をつくるための慣れない作業に追われていることであろう。
平成19年5月30日
横綱の太い部分の中は麻である。麻そのものを手にした人はそんなにいないと思うが、殆ど木の皮のようである。固い。その固い麻を糠(ぬか)でもみほぐす。糠は30kgの米袋(糠だから軽いが)を3袋も使う。それを、稽古場の上に青シートを広げ(宮城野部屋は外でやっていたようだが)、シートの上にゴザを3枚おき、そのゴザの上に糠を一袋ずつ広げて、ゴザに脚を突っ込んで麻を揉む。1回に6,7kgの麻を使うと思うが、20人程で手分けして揉んでも2,3時間はかかる。
平成19年5月31日
糠(ぬか)で揉みほぐして柔らかくした麻を10m余りのキャラコ(うすくてつやのある純白の木綿)を2枚重ねにした真ん中に入れ、両端には麻を巻きつけた銅線をを巻いたものを3本つくり、稽古場に下ろして鉄砲柱に片方を巻きつけて編んでいく。そのときの掛け声が、「ひい・ふの・み!」「いち・にの・さん!」となる。新横綱の初めての綱打ちの時には、全員紅白のねじり鉢巻きをしておこなう。
平成19年6月1日
横綱には、麻を巻きつけた銅線が芯に入っている(太い部分は麻だけだが)。銅線が入っているからこそ固いし、締めるのにも、後ろで輪をつくる(雲竜型は一つ、不知火型は二つ)のにも力が要り、引っる付人の人数も必要になる(6,7人)。芯のはいった固さがあるからこそ土俵入りをやっても形がゆるんだり崩れたりすることもないし、えもいわれぬ気品もある。
平成19年6月3日
皇牙断髪式。国技館土俵にて、太鼓打分実演、朝赤龍による大銀杏髪結い実演、初っ切り、皇牙による最後の弓取式、横綱朝青龍綱締め実演、土俵入りとお好みが行われ、午後1時から呼出し利樹之丞作による甚句で入場してきた皇牙が土俵に上がっての断髪式。全国から集まった皇牙ファン約170名が最後の大銀杏にハサミを入れ、師匠の止めバサミにて、これまでの人生の半分を共にした髷とのお別れ。午後3時より会場を国技館裏の第一ホテル両国に移して披露パーティー。こちらも会場溢れんばかりのお客様で、新しい人生への旅立ちを祝う。今後は地元福岡に戻り、ちゃんこ屋を開店する予定とのことである。
平成19年6月4日
皇牙断髪式の司会はNHKの刈屋アナウンサーが務めた。アテネの体操での「栄光への架け橋だ!」の名セリフで一躍全国区となった刈屋アナウンサー。皇牙断髪式でも、今までは横綱に代わっての弓取りでありましたが、今日は最初で最後の自分のための弓取式です、というような名セリフで最後の弓取式を紹介して、館内の盛り上がりも最高潮に達した。
場所休みも終わり、今日から稽古再開。
平成19年6月5日
昨年9月11日の日記で紹介した応援団長“徳さん”は、皇牙関をいつも送り迎えしてくれていた。熱きおじさんで、取組を見ながらも、身もだえしながら大声で声援を送り(TVにも)、勝った時の喜びも人一倍で、全身で飛び上がらんばかりであった。そんな徳さんだから、皇牙引退には本当にガックリと肩を落としていた。そんな熱きおじさん“徳さん”にパーティーの最後の手締めの挨拶をやってもらうことになった。朝一番で断髪式会場となる国技館に現れた顔は緊張した面持ちで寂しげでもあるが、徳さんにとっても一世一代の晴れ舞台、気合十分の紋付袴姿であった。
平成19年6月6日
紋付袴姿の徳さんが受付にきた。弁当をすすめると、「いやー 昨日からなにも食えないんだよ」とのこと。「徳さん、何かお腹に入れとかないと、挨拶の時にぶっ倒れますよ」と言っても「胸がいっぱいで、何ものどを通らないよ」、いくぶん顔も青ざめて見える。断髪式が始まり土俵上でハサミを入れるときには既に号泣している。
パーティーが始まり、宴もたけなわとなり、いよいよ手締めの挨拶となった。舞台上に並んだ断髪した皇牙とお母さんを背にマイクの前に立つ。挨拶文を読み出すが、涙で言葉にならない。大泣きである。満場のお客さんも喜びながらも半分貰い泣きしている。何度も泣きつつも挨拶を終え、三本締めで締めた。
これほど涙した手締めがあったろうか。これほど盛り上がった断髪式があっただろうか。皇牙はしあわせ者である。
平成19年6月8日
今日は友綱部屋への出稽古。若松部屋の頃はよく行っていたが、合併してからは初めての出稽古である。自転車での道のりも懐かしい。友綱、東関、高砂の三部屋に加え、九重部屋も来て大賑わいの稽古場。こういった雰囲気も懐かしいことである。明日も四部屋合同の稽古になりそうである。
平成19年6月9日
今日も友綱部屋での四部屋合同稽古。5月場所序二段64枚目で5勝2敗と勝ち越して、来場所は自己最高位を更新する朝久保、どちらかというと部屋での稽古ではあまりやる気の見られない方で、まわりの人間をカッカさせてばかりいるが、出稽古にくると中々力を出している。来場所は勝ち越せば三段目という所まで番付を上げるが、序二段上位の力士とやってもけっこうめを出していて、出稽古で自信をつけて名古屋場所では初三段目昇進をかける。
平成19年6月10日
今日お昼のNHKのど自慢は奄美市からであった。そののど自慢に、朝奄美の妹が出てみんなでテレビの前で盛り上がった。妹は澤愛香ちゃんといって高校一年生だが、中学一年生のときに民謡の少年少女全国大会で日本一になった唄者(うたしゃ)である。兄の朝奄美は、一年半ほど前に首を怪我してしまって、リハビリしながらちゃんこ番の修行にも励んでいる毎日である。
平成19年6月11日
奄美出身の歌手では元ちとせが有名だが、最近TVのCMでよく耳にする森山直太朗作曲の「花」が大ヒットの兆しの中孝介(あたりこうすけ)も大々的に売り出し中である。中孝介は奄美大島出身で、琉球大学在学中に福岡奄美会にゲストとして招待されて島唄を歌ってくれたときに初めて会い、沖縄でも一緒に酒を酌み交わしたこともあった。先日ミュージックステーションにも出演していたが、すでに台湾ではヒットチャート初登場1位を獲得したそうである。
平成19年6月12日
奄美出身の若手唄者やミュージシャンは奄美大島出身者が数多いが、徳之島出身の若者も、最近負けずに頑張っている。とくに天城町出身の偵一馬(てい かずま)は、三線ひとつで上京して路上ライブで徳之島の熱き心を伝え、最近CDデビューも果たした。その熱き唄声が、昨年12月の徳之島巡業でも大相撲一行を港で出迎えた。奄美出身のミュージシャンはこんなにいっぱい頑張っている。
平成19年6月13日
ミュージシャンやスポーツ選手としてプロで活躍する奄美出身の若者が増えたのは、昔に比べてヤマトゥ(大和=内地、本土)が近く(時間距離的にも意識的にも)なったことは大きいであろう。そして、元々民族的な血としての歌好き、相撲好きということが、数多くの唄者・ミュージシャンを輩出し、20名近くの力士を生み出しているのであろう。
今日から茨城県下妻市の大宝八幡宮での合宿。高砂部屋として6年目、若松部屋時代からすると7年目の合宿で懐かしい面々との一年一度の楽しみである。
平成19年6月15日
大宝八幡宮での合宿を終え帰京。ハワイ巡業とか名古屋入りの日程の都合もあり、いつもより一日短い二泊三日の合宿だっただけに、あっという間であったが、木立に囲まれた涼しい稽古場で300人を超えるお客さんが見守る中での稽古、いつものちゃんこ場での大宝名物おばちゃん漫才、宴会で地元の方々の交流を深めと、濃い三日間であった。
関係者が口を揃えて言うのが、高砂部屋合宿が行われるようになって、相撲のすの字も知らなかった人がBSを見出したりと大相撲に興味を持つ人がものすごく増えたということである。昨日今日と、行司志望の小学生もお母さんと熱心に通っていた。これこそが、合宿の一番の意義である。
平成19年6月16日
大宝八幡宮は、創建が大宝元年(701年)で関東最古の八幡さまだそうだが、その名のごとく宝には御利益があるようで、女性誌でも評判になっているそうである。大宝八幡宮でお祓いしたら、ジャンボ宝くじで“億”の当たりが4本も出たそうで、週間女性3月6日号で紹介されて大評判だそうである。サマージャンボに如何。
平成19年6月17日
先発隊5人(一ノ矢、大子錦、塙ノ里、朝久保、朝奄美)名古屋入り。名古屋駅から毎年の鈴木さんの出迎えの車で、一年ぶりの鈴木さんの名古屋弁を聞きながら蟹江龍照院に入る。上げてある畳を敷き詰め、バルサンを焚いて昼食へ。蟹江辺りも最近物騒になってきているようで、3ヶ所ほどガラスを割られて部屋の中を覗かれた形跡もある。部屋の中には、20年前のテレビとか中古の自転車とかしか置いてないから特に取られたものはなさそうではあるが。夕食も、鈴木さん夫婦と再会を祝して乾杯。今日から約一ヵ月半に亘る名古屋での生活が始まる。
平成19年6月19日
地方場所へ来ると、寝るフトンは貸ブトンになる。貸ブトンも三種類に分かれていて、若者用、資格者(十両格以上)用、横綱用とだんだんと立派なフトンになっていく。 若者用は、3,4日寝ると薄くなってしまうような敷布団1枚と掛布団1枚だけである。資格者用は、敷布団2枚にシーツ、掛布団にタオルケットがつく。横綱用は資格者用と中身は殆ど一緒だが、布団カバーがちょっと上品な感じという違いである。もちろん、値段もだんだんと高くなっていく。
平成19年6月20日
今年は、名古屋場所が開催されるようになってちょうど50年を迎えるそうである。50周年記念でいろいろ企画もあるようで、主催者でもある中日新聞でも、毎日いろんな記事が掲載されている。名古屋場所は桝席の切符の売り方にも工夫があって、B桝の後ろのペアシートやC桝の後ろの名古屋場所名物“鳥弁”とお茶つきのツインボックスなどもつくられていて、人気のようである。
地元愛知県は一宮市出身の若松親方も、今年から先発事務所担当として切符の販売等、名古屋場所成功の為6月上旬から乗り込んで頑張っている。
平成19年6月21日
稽古場の土俵築はあすだが、今日午前中に掘り返した土をタコ(丸太の上に四本の足をつけて4人で足を持って土を突き固める道具)で突き、午後からは俵もつくる。ここまでやれれば、明日の土俵築は半日かからない。2時過ぎから幟20本を蟹江市街に立てに行く。幟が立ち上がると、“大相撲”がやってきたという雰囲気も一気に盛り上がる。晩飯は、昨夜鈴木さんと塙ノ里が夜釣りしてきたウナギ9尾を捌いて稽古場横でバーベキュー。朝から晩まで忙しい先発隊だが、夜のんびり飲み食いできるのは先発隊ならではの楽しみである。
平成19年6月22日
明日23日(土)と明後日24日(日)に福岡の筑後市で徳之島の闘牛フェスティバルが行われる。闘牛大会にも、相撲と同じように番付があって、24日の闘牛大会でもプログラムでもある番付がチラシにも紹介されている。横綱同士の対戦は“大福環境開発白タビ号”対“戦勝一撃坂梅櫻花”大関は“ソフトバンクホークス号”対“曽根薫力号”となっている。十一番ある取組の五番目『指名特番』に出場する“コウダ技電若虎号”は埼玉在住の同級生の牛である。
お近くにお住まいの方、ぜひ生の闘牛の大迫力をご覧になって下さい。
平成19年6月24日
雨が降りしきる中、東京に残っていた300人ほどの力士たちも新幹線にて名古屋入り。明日が名古屋場所番付発表で、明日からいよいよ名古屋場所での生活が本格的に始まる。
平成19年6月25日
平成19年度名古屋場所番付発表。3年半ぶりに東西に横綱がそろう番付である。朝久保が、自己最高位を更新して、今場所勝ち越せば三段目にあがれるかもしれない、という所まで番付をあげる。地元スポーツ紙の中日スポーツでは、ご当所岡崎出身の舛名大が早速紹介されていたが、今場所の番付は序二段西60枚目。初日早々、半枚下の序二段東61枚目の一ノ矢と国立大卒同士の対戦となる可能性大である。
平成19年6月26日
名古屋場所へ向け、龍照院稽古場での稽古初日。8時半からは土俵祭。先場所から祭主を務める勝次郎も名古屋初お目見えである。土俵祭の祭主を務めるのも2場所目で少し余裕も出てきたようで、終わった後の「ツヨクナレ!!」にも少し勢いが見られ、こっちにまでご利益(ごりやく)あらたかなお神酒が降り注いできた。ちゃんこも今日から開始。初日は、何がない、あれがないで、軌道にのるまでには数日かかる。
平成19年6月27日
横綱と朝赤龍は今日から出稽古へ。しばらくは出稽古の毎日となりそうである。先発乗り込み以来、例年より少なめだった差し入れも色々はいってくるようになり、冷蔵庫や冷凍庫、倉庫の中もようやく賑やかになってきた。そうすると、本場所が近づいてくるという雰囲気も盛り上がってくるものである。
平成19年7月1日
平成17年度から行われている『相撲指導適格認定証』交付の講習会が、今年も8月25日(土)に行われる。午前8時30分から夕方5時半まで講習会を受け、最後に筆記試験を受けて合格すれば認定証交付となる。参加対象者は、現役OB共に力士として5年以上在籍した者で三段目以上の実績を持つ者、という条件がある。
平成19年7月3日
講習会は、午前8時半に集合して開校式の後、8時50分から「指導者の役割」という指導者としての心構え、視点、知識の必要性などについての講義から始まる。2限目は「スポーツと栄養」の講義で、昼食をはさんで12時45分からは「スポーツ指導者に必要な学的知識」。この中でスポーツ時に多い怪我や救急処置について学ぶ。午後2時20分からは「トレーニング論」でトレーニングの原理や種類、方法についてである。最後3時半から5時半までは、救急法の実習で、AEDや人工呼吸などを実施し、大山親方による相撲体操をマワシをしめてやって終了となる。10分の休憩後25問50点満点の筆記試験(講義内容の確認の試験)を受けて終わりである。時間が長いのが大変ではあるが、いろんな面で勉強になることは間違いない。
平成19年7月4日
指導することは本当に難しいことだとつくづく思う。同じ動作をやらせても一人ひとり感覚が違うし、使う筋肉や意識も違う。それだけに指導の仕方も 一人ひとり違うのが当たり前かも知れないし、される側の受け取り方もそれぞれ大きく違うことであろう。それだけ指導に携わるものは、いろいろな知識も必要だろうし、得てして独善的になりがちな指導方法も、時代や相手と共に常に見つめ直す必要もあることであろう。そういう意味でも指導的立場にある 親方衆、関取衆、兄弟子などは、「指導者の役割や知識」「救急処置」などについてだけでも、これからは学んでおく必要がある気がする。
先週から約10日間に亘り横綱ならびに高砂部屋の取材に来ていたナショナルジオグラフィックが取材を終了。1時間の番組が全世界30カ国で放送されるそうである。
平成19年7月5日
場所前恒例の激励会。午後6時半から名古屋城近くのウェスティンナゴヤキャッスルホテルにて300名余りのお客様が集い、名古屋場所での高砂部屋の活躍を期す。歌や太鼓のゲストに加え、タレントの川崎麻世も出席。女性客との記念撮影にもニコやかに応じていた。明日が取組編成会議で、明後日が土俵祭。 確か午前10時からだと思うが、土俵祭は一般公開もされるようである。
平成19年7月6日
一人ひとり感覚が違うのと同じように、一人の中でも毎日感覚は違う。朝起きた感覚も違うし、身体の中に目を向ければ、立つ、歩く、という動作の感覚も毎日違ってくる。立つ・歩く動作よりも、非日常な“四股”は、尚のこと感覚が毎日違う。土俵と接する足裏の感覚、膝や股関節のポジション、肩(肩胛骨)や腕のゆるみ具合、重心や重力線の感じ方、・・・・・
自分の身体の中の感覚に目を向ければ、単調な動作の繰り返しで面白みのない四股も、飽きることのない無限の深みを感じられて興味がつきない。
平成19年7月7日
名古屋場所初日前日恒例の、お世話になっている龍照院ご本尊木彫りの十一面観音さまをご住職にご開帳いただいて、明日からの本場所での安全と必勝を祈願。八百数十年前に彫られたという木彫りの観音様は、国の重文で、得もいわれぬ深い表情をしている。祈祷の前に間近で観音様の顔を拝む。ご住職によると、自分の心が怒っていると観音様の顔も怒って見え、穏やかな心で接すると観音様の顔も微笑んで見えるから、自分の心を見つめ直すことにもなるそうである。
ほぼ等身大の観音様は幾多の人災天災をも乗り越えて、いまも真っ直ぐに立っておられる。
平成19年7月9日
支度部屋や花道へ行く途中にも何人かの親方衆や世話人に声をかけられた。花道を入っていくと拍手が起こり、「イチノヤー」「マスメーダイ」と声がかかった。声援は少なくない方だが、出番前に花道で声がかかるなんていうのは、さすがに今までにも経験したことがない。土俵の周りにはものすごい数の報道陣である。
呼出しの声で土俵に上がると、さらに大きな拍手喝采とフラッシュの嵐である。終わったあとがまたすごい。支度部屋から風呂、帰り道まで、報道人に取り囲まれての移動である。あまりの数の多さに出口では、世話人さんに、「お!いちのや、引退するのか?」と驚かれてしまった。こういう盛り上がりもたまにはいいのかもしれない。
平成19年7月17日
名古屋場所もいよいよ終盤戦。そろそろ場所の明暗がはっきりしてくる頃で、朝陽丸の五連勝がひときわ輝いている。初日の数日前、稽古中に相手の頭が口にもろに当たり、上唇を4針も縫って3,4日飯も食えない状態であった。その絶食状態が逆に功を奏したようで、なかなかできなかったダイエットが自然にでき、動きの切れが良くなっているようである。こういう状態がつづけば関取昇進も叶うかもしれない。10日目を終えて、勝越し2人、負越しゼロ。
一ノ矢が今日から再出場。
平成19年7月19日
大子錦、朝ノ土佐勝越し。これで勝越しが6人となる。今場所初黒星の一ノ矢だが、3日の休みがあるため負越し決定。これで3人目の負越しとなる。のこり5人は千秋楽までに勝越し負越しをかけての相撲となる。3場所ぶりの優勝が近づいてきたようで、明日あたりから優勝の準備にも取りかからなければならない。
平成19年7月20日
朝赤龍7勝目。残り二日間の成績如何によっては、三役復帰はもちろん新関脇昇進の夢も膨らんでくる。3勝3敗だった二人、神山は負越すも、塙ノ里は得意の足技二枚蹴りでの勝越し。
平成19年7月21日
緊張すると手足が冷たくなってしまって力が出せなくなってしまうことのある朝翔冴、3連勝3連敗で迎えてしまった今日最後の一番。手足も氷のようになってしまったかもしれないが、いい相撲で相手を寄り倒しての嬉しい勝越し。朝ノ土佐、5勝目で来場所の幕下復帰を確定的とする。輝面龍も元関取に勝っての9人目の勝越し。そして、横綱がいよいよエンジン全開で、21回目の優勝へ向かって、明日の千秋楽を迎える。
平成19年7月25日
1998年に復活になった琉球大学相撲部も、復活させた庄司部長のあとを引き継いだ與世田卓磨部長も卒業して、大阪出身の2年生高山君が部長として部員5人と共に頑張っている。約一年ぶりに一緒に稽古したが、みんな細身の身体は相変わらずだが、四股を踏む様や取り組みもそれらしくなってきて成長が充分感じられる。
平成19年8月1日
今回の騒動で、ファンの方々に、大変大きな不快感、不信感を与え、関係各方面に、多大なるご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます。処分を重く受け止め、みなさまの信頼を回復できるよう精進していく所存です。今後ともよろしくお願い申し上げます。
平成19年8月12日
例年なら8月上旬は青森五所川原での合宿であったが、今年は東京の部屋での稽古。先週は友綱部屋が出稽古に来て合同の稽古。しばらく東京の部屋での稽古がつづき、8月24日(金)から26日(日)までが平塚合宿の予定となっている。
平成19年8月14日
元横綱琴桜の先代佐渡ヶ嶽親方が亡くなられた。猛牛といわれるほどの激しいぶちかましの押し相撲で、32歳という遅い年齢で横綱に登りつめた努力の人である。相撲に対する情熱は熱いものがあり、一度知人の結婚式で同席させていただいた時も、稽古について熱く語って頂いた事を思い出す。66歳という若さだが、最後に琴光喜の大関昇進を見届けてのことだから、相撲人生に納得しての旅立ちであろう。謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌。
平成19年8月17日
10月1日から民営化なる郵便局、秋場所を前に大相撲の記念シートが発売されている。錦絵と写真が5枚ずつ10枚の80円切手がセットになった綺麗なシートである。ひとつの郵便局で50シート、墨田区、台東区、江東区だけの限定販売だそうである。
平成19年8月23日
年2回の健康診断。部屋でのアンコNO.1を誇る朝陽丸と、文字通り肉薄しつつある大子錦。前回の検査の時には10kgほどの差があったが、若干落とした朝陽丸に対し、保った大子錦、その差3kgとなった。ナンバーワンの座が逆転する日も近いかもしれない。健康診断を終えて午後から迎えのバスで平塚入り。明日から3日間の合宿である。
平成19年8月24日
健康診断の時には血液検査が毎回ある。ふつう、肘の血管から血を採るが、肉付きのいいおすもうさんの腕はパンパンで血管が殆ど浮き出てなく難しい。健康診断の血液検査では10人くらいの看護師が机を並べて行い、どうしても若い看護師の前に並びがちだが、若い子には採血が未熟な子も多く、3回、4回、中には7回も刺されたけど結局ダメだったという場合もある。その点、ベテランの看護師さんは難なくスッと一回で採血してくれる。若さを追うと痛い目に遭うということを、20数年やってきてここ数年ようやくわかった。今日で半年間の相撲教習所が終わった朝酒井、平塚合宿に合流。入門を心配していた母とも半年振りのご対面。
平成19年8月27日
9月秋場所新番付発表。朝赤龍待望の三役復帰で、しかも嬉しい新関脇昇進。午後1時から部屋で記者会見も行われた。先場所6勝の朝陽丸は幕下12枚目まで戻す。三度目の正直ならぬ四度目五度目の挑戦となる。朝翔冴が自己最高位を更新、こちらは三段目昇進への挑戦。
平成19年8月29日
横綱朝青龍、親方と共にモンゴルへ帰国。いろいろご批判もあり、異論もあることではあろうが、医師の意見をもとに理事会で許可してのことだから、もう少し静かに見守ってもらいたいものである。モンゴルへ追っかけてまでの報道は、もう少し、距離的、時間的に、ご配慮願えないものだろうか。
残った力士たちは今日から出稽古。
平成19年8月31日
8月25日と29日に各部屋から力士2名ずつが参加してAED(自動体外式除細動器)の講習会が行われた。講習を受け、協会から各部屋に一台ずつAEDが貸し出され、部屋に戻って部屋の力士全員にも使い方を指導。これからは、どの部屋の稽古場にもAEDが備え付けられることになる。
師匠モンゴルから帰国。元朝乃翔の押尾川親方、8月28日付けで年寄名跡を若藤に変更。
平成19年9月1日
毎年9月場所前恒例の本所高砂会。地元本所で平成7年からできた(当時は本所若松会)部屋を応援してくれる会で、一緒にテーブルを囲み、食事やカラオケなどで懇親を深める会である。今回の騒動で、報道陣が部屋の回りに押しかけ、ご近所の方々には多大なるご迷惑をおかけしているにもかかわらず、今年もいつも以上に温かく囲んでいただき、師匠も最後は感極まっていた。ご近所の一員として対応してくれる気持ちこそが有難い。
平成19年9月3日
巷で地味に広がりつつある相撲健康体操。受講者にも好評のため、一般の方にももっとやってほしいという旨もあり、「相撲健康体操一般指導者 検定講習会」が10月7日(日)午前9時15分から行われることになった。大山親方指導の下、昼食のちゃんこをはさんで、午後3時半からの合格発表までの講習会となるようである。
平成19年9月4日
21世紀を迎えて、これからますます健康やダイエット、予防医学に対する意識が高まっていくことであろう。その流れの中での“ビリーズブートキャンプ”の大ヒットもあるのだろうが、ブートキャンプをできるのはかなり動ける年齢でないと無理であろう。でも、相撲健康体操は老若男女全てに可能だし、表面の筋肉的な動きのビリーに対し、股関節や神経系に、より効き目のあることが、より21世紀的ではなかろうか。
平成19年9月5日
墨田は相撲の街である。江戸時代から回向院境内で大相撲が行われてきたし、一時蔵前に移ったとはいえ、今また両国国技館である。相撲部屋も両国界隈に集まっている。両国駅に下りると鬢付油が香るし、駅構内に大きな優勝額も掲げてある。そんな深い相撲と墨田のつながりを、実際に自分たちで歩いて体験してもら おうと、墨田区がすみだ匠の技を訪ねる旅「相撲」コース なるものを企画している。10月12日(金)午前10時と午後2時に両国駅を出発となるようである。
平成19年9月6日
今日も友綱部屋での東関部屋を入れての三部屋合同稽古。三部屋合同だから、上がり座敷にも親方や頭や世話人など稽古を見守る指導者も多く、早朝から厳しい声や怒声、時には罵声も飛び交う雰囲気ではある。そんな厳しい雰囲気を一瞬にして変えてしまう力士がいる。立っているだけで笑えてくるアンコ(アンコについては平成15年10月1日~10月9日を参照)型力士だが、取り口も、重さ(本当に●●がお腹一杯詰まっているのでは思うほどクソ重たい)を武器に引っ張り込んで、相手に土俵際まで押させて、相手の力で土俵際まで下がり、相手が疲れたところを土俵際で大きな腹に相手を乗せて出す、という他力本願とでもいえるような可笑しさがある。ただ、その必殺技がうまくいかず足元などを狙われると、これまた豪快に転んでくれて土俵周りも大爆笑である。そんなアンコキャラも高砂伝統といえばいえる気もする。明日からは初日に向け部屋での調整の稽古。
平成19年9月7日
武道とダンスが中学校体育の必修科目になるそうである。新聞によっては異を唱える社説もあったが、歓迎すべきことではないかと思う。これから国際化が益々進み、価値観も多様化して何がよくて何が悪いのか、あるいはどちらでよいのか、わかりにくい時代になっていくだろうから、より本質が大切になってくることであろう。そんな意味でも武道は日本人にとって生死をかけた本質から生まれたものであるし、ダンスも太古からつづく世界共通(もちろん形は違えど)の人間本来のものであるから。そしてもちろん、相撲もその本質的な武道のひとつである。
平成19年9月8日
ダンスは日本語で言うと舞踏である。ブドウとブトウと音がかなり近い。そんな話を能楽師の安田登氏が本で書いていたのを思いだしたが、どの本だったか 思い出せずに詳しくは語れない。ただ、ブドウ(武道)もブトウ(舞踏)も深層筋を使って身体を動かすことが大事のようなことを書いてあったようにおもう。触れ太鼓と呼出しの取組の触れが稽古場に響き渡り、明日初日を迎える。
平成19年9月12日
朝赤龍2勝目。二日引いて失敗した相撲がつづいただけに、快心の相撲ですっきりしたことだろう。場所前は連日出稽古に行き、調子をあげて臨んだ秋場所だけに新関脇での勝ち越しに弾みのつく白星となることであろう。一年半ぶりに幕下復帰なった塙ノ里2連勝の滑り出し。
平成19年9月14日
朝赤龍、新大関の琴光喜を力相撲で破っての3勝目。昨日の一番も負けたとはいえ、今場所絶好調の安美錦戦に一歩も引かぬ熱戦をくり広げ、三役力士としての地力が十分ついたことを確かに見せている。三段目昇進を目指す朝翔冴、朝久保、元気なく3連敗。
平成19年9月16日
中日折り返し。今場所は若い衆も成績がいまひとつ伸びないが、幕下の塙ノ里と共に3勝1敗と好成績なのが、チャンコ長大子錦である。場所中はちゃんこ作りに追われて稽古も充分とはいえないが、その分そのクソ重たさに磨きをかけて場所中に朝陽丸を抜いて、ついに部屋ナンバーワンの体重(185kg)となった。体重と共に磨きをかけているチャンコの腕で、今日夕方は地元のお祭りにちゃんこ200人分をつくって振舞う活躍もしている。
平成19年9月20日
12日目が終わり、幕下以下の力士は残り一番だけとなったが、負越しがすでに6人いて、勝越しが決まっているのは大子錦ただ一人である。残り5人が3勝3敗で、最後の一番に勝越しをかける。あまり記憶にない成績となってしまっている。
平成19年9月21日
幕下以下の取組は、同じ星同士(全勝は全勝同士、全敗は全敗同士)あてるから、毎場所必ず全勝と全敗はでる。誰もが全勝は夢見るが、全敗だけはやりたくないと思う。5連敗くらいすると全敗してしまうのではと不安になり、誰とやっても勝てる気がしなくなってくる。そんな全敗の危機にあった序二段朝翔冴と幕下輝面龍、最後の一番で、安堵の今場所初白星。
幕下朝ノ土佐、今場所二人目の勝越し。
平成19年9月22日
昨日書いたように同じ星(成績)同士の対戦だから、3勝3敗の相手も、やっぱり3勝3敗である。勝てば勝越し、負ければ負越しという、その場所を左右する、天国か地獄か、場合によっては人生を分けるような大きな一番となる。それだけに緊張感も特別な一番となり、精神力も大いにかかわってくる。そんな緊張の一番を最後に迎えた5人、全員が勝って勝ち越し。こんな頑張りも今までに記憶のないことである。一昨日まで大子錦一人だった勝越しが、一気に6人(幕下以下で)となる。
新関脇朝赤龍も、実力発揮の嬉しい7人目の勝ち越し。
平成19年9月24日
今場所一躍ブレイクした豪栄道、大阪寝屋川市の出身で、朝陽丸と同じ相撲道場の出身である。高校横綱となった朝陽丸が高校生の頃、小学校低学年で道場に入門してきて高校生である朝陽丸の胸を借りたりして相撲を始めたそうである。子供の頃から負けん気が強くて、泣きながらぶつかってきたりしていたそうだが、あの子供がと想うと感慨深いものもあることであろう。そんな想いも後押ししてくれたのだろう、朝陽丸も1勝3敗からの3連勝で勝越し。
来場所はまた幕下10枚目以内で夢へ向けての挑戦となる。
平成19年9月29日
昨年6月に募金を呼びかけて始まった琉球大学相撲部土俵の屋根製作。紆余曲折あり一時は計画が暗礁に乗り上げそうにもなったが、今年8月1日にようやく着工となり、9月27日に念願かなっての完成。2年半前の土俵開きのときにも来てくれた福岡県甘木市の美奈宜(みなぎ)神社 内藤主税宮司が御祓いを執り行い竣工祝いが昨28日午前9時より行われた。
平成19年10月2日
大相撲の在り方を根底から問われることとなった新弟子の死亡問題。新聞やテレビの報道がどこまで真実を伝えているかは不明だが、指導か暴行かの線引きは みんなでしっかり考えていかなければならない問題であろう。稽古をつけられる側のやる気にもよるし、つけるほうの気持ちにもよるし、つけられる側の体力にもよるし、体調にもよるし、気合を入れる道具の問題もあるし、それらのことを見極める目も大切なことであろう。指導する側はもちろん、力士一人ひとりも、みんなで真剣に、どこまでが許されるのか、どこからがだめなのか、考えてみる必要があることであろう。
平成19年10月4日
“かわいがり”とは、ぶつかり稽古(受け手が胸を出して、ぶつかって押すことと転ぶことを繰り返す稽古)でのことである。相撲の最も基本である押しを徹底的に鍛え学ぶことと、怪我をしないための転び方を身につけるためでもある。ぶつかっても、押しても、動かない相手を押すのは本当に苦しい。その苦しさの中から、本当に合理的な押し方、全身の使い方、精神的な強さを自分のものにする相撲を強くなる為に最も必要な稽古である。ぶつかり稽古で、ふつうよりも長くやるのが、“かわいがり”である。
平成19年10月6日
“かわいがり”には意味があるのだろうか。“かわいがり”によって本当に強くなるのだろうか。という疑問もあることであろう。それは、心身的に意味のあることである。
身体的には、我々一般的な凡人は身体を動かすのに表面的な筋肉しか使えないが、かわいがられてフラフラに追いつめられると、表面的な筋肉は使えなくなって、その中で自分の身体を動かすとなると、名人達人の使う本質的なインナーマッスル(深層筋)をようやく使えるようになってくる、という意味がある。
精神的にも、追いつめられた中で力を振り絞ってやれることが、大事な一番になればなるほど、開き直って力を出し切れることにもなる。
平成19年10月8日
昨日、長野県から入門希望の中学3年生が両親と一緒に部屋に見学に来た。昨年巡業が松本に来た時に大相撲に魅せられて、朝青龍のファンになり、力士を夢見るようになったそうである。体は新弟子検査ギリギリくらいでそんなに大きくないが、最初の数年は雑用も多くていろいろ厳しいぞという話をしても相撲にかける思いは熱いようである。
ただ一連の報道での両親の心配は大きく、また本人の不安もあり、一度自分の目で見てということでの訪問となった。これから何度か体験入門をやってからの決断となるが、こういう時期に志願してきた気持ちには大いに期待したい。
平成19年10月9日
それでは、かわいがられるとみんな本質的なインナーマッスルを使えるようになってくるかというと、それもまたそう簡単な話でもない。そこまでのぎりぎりの所まで自分を追い込めるかという問題もあるし、例えそこまでいけたとしても、苦しいのを我慢したというだけで終わってしまう場合もあるだろう。というか、そういう場合の方が圧倒的であろう。
それはそれで、ある程度は強くもなっていくし、精神的にも鍛えられることでもあるから、それも意味のあることではあるだろう。
平成19年10月10日
かわいがられて本質的な強さ(レベルが数段上がる)を身につけていくのは数少ないことだとは思うが、現八角親方の横綱北勝海などはそのいい例ではなかろうか。入門時から有望力士であり、関取昇進も早かったが、入幕して三役に上がる頃も新進気鋭で将来は大いに期待された存在ではあったが、横綱候補という評価はあまりなかったように思う。それが、現九重親方の横綱千代の富士に胸を出してもらい、毎日のようにかわいがられて、大関横綱に上がっていった。
それはそれは迫力のあるぶつかり稽古であった。
平成19年10月11日
では横綱になる人間はみんなかわいがられて横綱に上がったのかというと、そうともいえないであろう。もともと横綱に上がるような人間は、身体 の中心すなわちインナーマッスルを使うことに長けているであろうし、使えるからこそ普通の稽古でもその能力をどんどん高めていけるであろう。
またかわいがられるような場面になっても、合理的な、身体の中芯からの力を使えるから、むやみやたらな疲れ方もしないはずである。胸を出す方も、その辺の感覚は肌で感じるであろうから、かわいがり方も、おのずと変わってくるような気がする。
平成19年10月12日
インナーマッスル(深層筋)、アウターマッスル(表層筋)というが、どちらも人間なら誰でもついていて誰でも使ってはいるものである。一般的に外から見てわかる 筋肉がアウターマッスル(胸や腕、太ももの筋肉)で、インナーマッスルは外側からは見えない身体の中、関節周りについている筋肉(腸腰筋や股関節、肩関節 周りの筋肉など)である。ただ一般人は、殆ど外側の筋肉だけで体を動かしてしまう傾向にあるようである。
平成19年10月14日
では何故インナーマッスルを使うといいのかということは高岡英夫氏の著書に詳しいが、 まずは身体の中心を使えるということである。身体の中心を使って動き力を出すと、動きにブレがなく、ムダなく、効率的な力を発揮できるようになる。それは相撲をとっていても肌で感じてわかることで、芯の強さみたいなものを感じる。秋場所活躍した豪栄道と稽古した横綱白鵬が、そのようなコメント(表現はすこし違ったかもしれないが)を出したの聞いた覚えがある。
平成19年10月16日
“体の芯からの力”どうこうは、白鵬が番付を上げていくときにも、横綱(朝青龍)が同様のことを言っていたのを覚えている。インナーマッスルを使えているからこそのコメントだろうし、最近注目されているコアというとにもつながることであろう。そういう意味では、豪栄道の将来は大いに期待されるし、大いに注目すべき存在であろう。
平成19年10月17日
それでは、どうすればインナーマッスルを使えるようになるのだろうか。でもそれは、口で言うほど簡単なことではなさそうである。そもそもインナーであるから身体の中、それも深層にあるから表面的には全く見えないし、意識しづらい筋肉である。しかも現代人にとっては、子供の頃からの日常生活自体が表面的な筋肉を主体として使うような生活になっているから、よほど子供の頃からそういう環境を与えてやらないと、感じることさえもが難しいことのようである。
平成19年10月20日
それでは外側の筋肉は必要ないのかというと、決してそんなことはない。どちらをより主体的に使うかということであって、両方がバランスよく順序よく 使われてこそ大きな力となる。
高岡市の著書によると、表面的な力は相手にとってもわかりやすく防御しやすいが、インナーマッスルや体の裏側の筋肉から力を出されると、相手にとってはわかりにくく、気づかないうちに崩されてしまうとのことである。
先発隊6人(一ノ矢、大子錦、塙ノ里、朝翔冴、朝久保、朝酒井)福岡唐人町の宿舎成道寺(じょうどうじ)入り。
平成19年10月21日
インナーマッスルとか外側の筋肉とかについて考えるためにしばらく書いているが、書きながらつくづく思うのは、相撲の伝統的な稽古法である四股やテッポウの持つ意味の深さである。インナーマッスルについて知れば知るほど、四股・テッポウ・スリ足こそがインナーマッスルを鍛えるための最高のトレーニングである、ということである。四股やスリ足は腸腰筋や股関節まわり、テッポウは肩胛骨を鍛えるというか、使えるようにするための最良の稽古である。
荷物一式をトラック4台で鳥栖の倉庫からお寺へ運び込む。中3になったけんとも友達を連れてお手伝い。半ケツズボンですっかり今どきの若者になっている。
平成19年10月27日
先発に来て一週間。家財道具一式をトラックで往復して運び、洗って干して所定の位置にセットして、借りているお寺さんを汚すことがないよう畳にゴザをはり、壁を板やカーテンで覆い、ガス屋や電気屋に頼んでをちゃんこ場を使えるようにして、土俵を掘り返して作り直し、東京から送ってきた荷物をそれぞれの部屋に仕分け、テレビや冷蔵庫の配線をして、・・・と、九州場所を始める準備も大方整った。明日、巡業組と東京残り番の全力士が博多に揃う。明後日29日が番付発表。
平成19年10月28日
秋巡業最終地山口市での巡業を終え巡業組も博多乗り込み。山口は宇部出身の行司木村悟志、土俵に上がったときにご当所行司として紹介してもらったそうで、大きな拍手を浴びたそうである。
巡業には両親や学校の先生も見に来ていたそうで、故郷に錦を飾っての博多入りである。
平成19年10月29日
九州場所新番付発表。横綱朝青龍、昇進した平成15年3月場所以来約4年半ぶりの西の横綱。これも、ある意味すごい記録でではなかろうか。朝赤龍は連続での西関脇。先場所12枚目で4番勝った朝陽丸、思ったよりも上がって7枚目。あまり番付運に恵まれない方だっただけに、最後の チャンスで運気もようやく上がってきたのかも知れない。
平成19年10月31日
序二段73枚目の朝久保、何度か紹介したように高知の安芸中学校で幕内ホープ栃煌山と同じ相撲部メンバーとして全国大会にも出場したこともある。もともとあまりやる気のある方ではないが、部屋でのすかし記録も更新中で、序二段の下から真ん中当たりを行ったり来たりしている状況である。しかしながら最近はようやくすかすこともなくなり、落ちついてきた様子で稽古場でも力を出すようになってきた。今日の稽古でも、足首の状態がまだ悪いとはいえ、幕下上位も経験している塙ノ里に連続で勝ち、塙ノ里を熱くさせるまでに成長してきた。三段目昇進も近そうである。すかさなければだが・・・
平成19年11月3日
朝奄美の妹は中学1年生のときに少年少女民謡大会で日本一になっている。本名を澤愛香(あいか)ちゃんといって現在地元の徳之島で高校一年生になっている。このたびプロとして“島あいか”の名前でデビューするそうで、今晩博多駅近くの徳之島出身の方がやっている焼肉店でミニライブもおこなった。明日は、大島部屋も参加する松浦市鷹島のモンゴルまつりにゲスト歌手として参加するそうで、お兄ちゃんとも久しぶりの対面となった。
平成19年11月9日
昨日8日、場所前恒例の高砂部屋激励会がホテルニューオータニ博多で行われ、九州高砂部屋後援会を中心に200名ほどのお客様が集い、九州場所での高砂部屋の活躍を祈念。
先場所新関脇で勝ち越した朝赤龍も、今場所は10勝目指して頑張りますと力強く挨拶。今夏の騒動に対して師匠から、ご心配ご迷惑をおかけしたことを改めて皆様に謝罪。後援会会長からも同様の謝罪と、これからも高砂部屋を支えていきますという温かいお言葉をいただく。
12月4日(火)に巡業が行われる天草市からも安田市長ともども天草ハイヤ踊りを賑やかに披露していただき宴に花を添えた。
平成19年11月10日
いよいよ明日から本年納めの九州場所初日。午前8時35分より博多港近くの国際センターにて、取組開始。
平成19年11月11日
納めの九州場所初日。日曜日であるにもかかわらずお客さんの入りが悪く、今年も寂しいスタートの九州場所となった。福岡、大分、佐賀、長崎、熊本、宮崎、 鹿児島、山口の皆様、ぜひ国際センターへ足を運んでください。
平成19年11月14日
今年3月場所入門の朝酒井、短かった髪も伸び、昨日初めてちょん髷を結った。初めてちょん髷を結うと、「おかげさんで、ちょん髷結えました」と親方や兄弟子に挨拶して回り、「おめでとう」とコンパチ(デコピン)を額に入れられてお祝いを頂くのが慣わしとなっている。嬉しさと、照れくささと、痛さとが入り混じった喜びでもある。
初ちょん髷の朝酒井、巨体を利しての相撲で初白星。
平成19年11月18日
人によっては、ゲンのいい場所わるい場所というのが確かにある。幕下朝ノ土佐にとっては九州場所がどうもそうらしく、確かに入門2年目に一度勝越したきりであとは全て負け越しである。今年こそは、と臨んだ九州場所だったが、中日で早くもの負越し決定。4連敗と言うのも入門以来初だそうである。朝道龍も4連敗での負越し。序二段神山が4連勝での今場所第1号の勝越し。
平成19年11月20日
朝酒井勝ち越し。まだ相撲は知らないに等しいが、恵まれた体力と思い切りの良さで3場所連続の勝ち越し決定。昨日の相撲でちょうど1000回出場だった一ノ矢、1000番目を白星で飾っての勝ち越し決定。
平成19年11月21日
朝陽丸幕下7枚目で勝ち越し4勝目。しかも今日の相手は今まで10回近く対戦して一度も勝ったことががないという合い口の悪い相手。割り(取組表)を見たとき、「わぁ!また当たったよ!合い口悪いんだよな!でもこれに勝たなきゃカワを破れないんだよな」「いや?カラを破るか?」と闘志を燃やしていたが、本当にひと皮むけたのかもしれない。
平成19年11月22日
序二段の朝久保、今場所6人目の勝ち越し。3勝3敗の2人が勝越せば、出場13人中8人の勝ち越しとなるのだが。朝酒井、神山5勝目。その神山5勝目を上げるも、足を怪我してしまい最後の一番は休場。幕下以下は、明日からの残り3日間で、今年最後の一番となる取組を迎える。
平成19年11月23日
22歳で入門して24年間。物心ついてからだと圧倒的に土俵に上がっていた年数の方が長いから、いざ今日が最後の一番となっても、正直実感はわいてこない。出番前は思いもいろいろ駆け巡ることもあったが、負けた悔しさの方が勝り、場所が4勝3敗で終わっただけのような気もしてくる。来場所くらいになれば寂しさも出てくるのだろうか。昭和58年九州場所初土俵の一ノ矢、今日の一番で引退。
「長い間応援してくださりありがとうございました。夢であった大相撲で24年間も土俵に上がれたことを幸せに思います。引退後も高砂部屋マネージャーとして部屋に残りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。」
平成19年11月24日
引退報道で、たくさんのありがたいメールや投稿いただきましてありがとうございます。引退しても相撲を愛する気持ちには変わりませんし、高砂部屋ホームページも続けていきますし、すこし距離をおいてまた相撲を探究していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
本当に有難うございました。
平成19年11月26日
元々小さい頃から相撲は好きだった。ただ、小さい頃は本当に小さかったから(中学入学時142cm38kg)、おすもうさんになるのなんてことは夢の又夢の話だった。中学高校は相撲部がなかったので柔道をやった。柔道にものめりこんだけど、やっぱり相撲の方が好きだった。大学では絶対相撲部にはいろうと思った。大学選びも相撲部のある大学ということで捜した。経済的理由で国立大学ならという条件もあったので、1979年当時調べたら東大と京大しか条件を満たす学校はなかった。悩んだあげく(悩むまでもないのだが)両校をあきらめ、なければ作ればいいやと思い直し、琉球大学を受験した。
平成19年11月27日
徳之島高校を卒業して琉球大学へ入学する時マワシを持っていった。入学して琉球大学相撲部を創った。学生生活は相撲を中心にまわっていった。夏休みに徳之島に帰省すると、徳之島出身の45代横綱朝潮の5代目高砂親方が弟子を連れてキャンプをはっていて、朝稽古にオートバイに乗って毎日通った。大相撲の力士達と稽古を重ねるうち、いよいよ大相撲への想いが高まった。力士の中にそんなに身長の変わらない力士がいて聞いたら、「すこしは大目にみてくれたんですよ」と言われて、「俺もなれるのではないか!!」と思い、大学3年の夏に決心した。
平成19年11月28日
卒研発表を終え、高砂親方のもとへ直接電話した。「徳之島でお世話になった琉球大学の松田と申しますけど。入門したいのですが・・・」身長を聞かれた。本当は、166cmしかなかったが、新弟子検査の基準が173cmなので、さばをよんで「168cmです」と答えた。「いま新弟子検査厳しいから、せっかく大学でたんだから、普通に仕事捜した方がいいよ」即、断られた。
電話じゃだめかと思い、直接3月大阪場所の宿舎を訪ねることにした。
平成19年11月29日
旅立つ前の晩、柔道部相撲部の仲間たちが送別会を開いてくれた。力士を志願すること、高砂親方には電話で断られたことを話すと、みんな驚きつつも、励まし熱く祝ってくれた。泡盛を酌み交わし、後輩が歌ってくれた。♪「君の行く道は 果てしなく遠い なのに何故 何を捜して 君は行くのか あてもないのに」♪ 涙した。翌朝、飛行場行くとみんな見送りに来てくれて、搭乗口の前でエールをきってくれた。「フレーェー フレーェー マ ツ ダ!! フレー フレー リュウキュウ ダイガク !!!」周りの一般客は何事かと目を丸くした。「合格しなきゃ帰れない」と、心に誓った。
平成19年12月2日
横綱が帰ってきた。今日からの巡業に参加して、久しぶりにマワシ姿を土俵の上で見せてくれた。やっぱり、横綱には土俵の上が一番似合う。表情も生き生きしている。もともと稽古するのが無性に好きな性質(たち)である。4ヶ月という時間が、相撲を好きな気持ちを深めさせてくれる時間になってくれたことであろう。初場所が楽しみである。
平成19年12月3日
大阪伊丹空港に降り立ち、高砂部屋へと向かった。谷町9丁目の駅の階段を上がり不動産屋があったのは憶えているが、宿舎久成寺(くじょうじ)の門は記憶にない。かなり緊張していたのだろう。高砂親方が不在で、部屋付きの親方(たぶん当時の錦戸親方だったと思うが)と若者頭(20年ほど前に定年になったが)が面接してくれた。入門希望のお願いをすると、「ああ、おやじ(師匠)がそんな話してたなぁ。気持ちはわからんでもないが、今検査厳しいから無理だ。せっかく大学まで出たんだから、もっといい仕事さがしたほうがいいよ」やっぱり断られた。
平成19年12月4日
ある程度は予想していたこととはいえ、さすがにショックだった。ガックリきた。とりあえず大阪にいる柔道部の先輩の家に厄介になろうと思い電話した。待ち合わせまで時間があるので、ふらりと映画館に入った。「遠野物語」という暗い映画だった。ますます落ち込んだ。世界から一人、つまはじきになったような気さえしてきた。
平成19年12月5日
先輩と待ち合わせして食事した。そのとき初めて先輩に打ち明けた。ビックリしたが想いはすぐにわかってくれた。近くの行きつけのスナックに飲みに連れて行って貰った。店のドアを開けてビックリ!!なんと現松ヶ根親方の大関若嶋津がカウンターで付人数人と飲んでいた。これぞ天運だと思った。ちょうど大関の隣の席が空いていたので座った。むちゃくちゃ緊張したが、水割りを2杯ほど飲んで勢いつけて切り出した。「あのぉー じつは、 すもうとりになりたくて沖縄からでてきたんですけど・・高砂部屋へいったら身長が足りないといって断られたんですけど・・何とかなりませんでしょうか・・」
平成19年12月6日
先輩も隣から言ってくれた。「こいつ、3度の飯より相撲が好きなんですよ」若嶋津関が応えた。「そうかぁ、俺は飯の方が好きだけどな。まあ、俺じゃ何ともいえないから、あした親方に紹介するよ」翌日、当時大阪天王寺にあった二子山部屋を先輩と一緒に訪ねた。稽古が終わり2階の二子山親方の部屋に通してもらい、「力士になりたくて沖縄からでてきました。お願いします。」と、正座して頭を下げた。
平成19年12月7日
土俵の鬼と呼ばれた元横綱若乃花の二子山親方が、背筋を伸ばして胡坐をかいて座っていた。周りをタニマチらしき人も数人囲んでいる。迫力がある。「ん!おれも小さかったから気持ちはわかる」「まぁ、おれも協会じゃナンバー2だから、170cmあれば何とかしてやれるが・・・」「おーい、坪を 呼んで来い」その場所入門の坪君という新弟子が呼ばれて2階の親方の部屋に上がってきた。「ちょっと並んでみろ!」15歳の坪君と並ばされた。
平成19年12月9日
170 cmちょうどの15歳の坪君と並んだ。4cmの差はいかんともし難く、一目でその差がわかったようであった。親方の顔つきが厳しくなった。「うーん、 ちょっと低すぎるなぁ」「まあ、下で飯でも食って帰れ」やっぱりだめだった。一階に下りてちゃんこを振る舞われた。関東炊き(おでん)だった。引退したばかりの元横綱若乃花の間垣親方や横綱隆の里、大寿山、隆三杉、飛騨乃花、もちろん若嶋津と、そうそうたる顔ぶれの関取衆と何十人ものお客さんと一緒にちゃんこをご馳走になった。うしろには、マワシ姿の若い衆が立っていて緊張した。
横綱、幕下力士をつかまえてあんま。まだ足首の痛みは多少あるようだが、順調に調整がすすんでいる。
平成19年12月10日
居並ぶ関取衆から声をかけられた「あんちゃん大学出らしいなぁ。あんちゃんみたいな変わった奴がたまにくるんだよなぁ」「せっかく大学出たのにもったいないよ」「そんなに好きなら、沖縄帰って、ブロックでも足につけて、鉄棒ぶら下がってたらひょっとして身長伸びるかもしれないぞ」「身長 伸びたらまた出直してこいよ」「こんなに親切に言ってくれるのはうちの部屋だけだぞ」
ただただ、「はい」「はい」と返事を繰り返し、熱々のおでんを急ぎかき込んだ。
平成19年12月11日
二子山部屋を出て、天王寺駅の近くの本屋に寄った。背を伸ばす本がないかと捜しまわった。先輩も一緒に本屋に行ってくれたが、先輩は「こいつ、やっぱりあかんやろなぁ」「なにか仕事でも見つけてやらなあかんなぁ」と思って就職情報誌を見ていたそうである。西宮からも徳之島出身の柔道部の先輩も出て来てくれた。部屋では緊張してそんなに食えなかったので、3人で天王寺のギョウザの王将で昼食をとった。「どうすんや?まつだ」先輩が心配して聞いてきた。
平成19年12月12日
ふと隣のテーブルに目をやると、昨日の大阪場所新弟子検査の記事が大きくでている。『3月大阪就職場所!新弟子検査120人合格!!』まだまだ大相撲人気の高かった頃である。
スポーツ紙には部屋ごとの合格者数も出ていて、二子山部屋10人、高砂部屋8人、出羽ノ海部屋9人などと紹介されている。その大きな記事の片隅に『新弟子が一人も入らなかった部屋』として6つほどの部屋が書いてあった。「こいうい部屋なら入れてくれるかもしれない」そう思って、本屋で相撲の本を買ってきて6つの部屋の住所を調べた。
平成19年12月13日
天王寺から一番近い東住吉区北田辺という所に部屋が一つあった。若松部屋と書いてある。半分涙しながら盛大に送り出してくれたみんなの顔が浮かんだ。「やれるだけのことをやらなけりゃみんなに会わす顔がない」「若松部屋でもだめなら、全部の部屋を片っ端からまわってみよう」すこし勇気もでてきた。ギョウザの王将を出て、先輩と一緒に3人で地下鉄に乗り若松部屋へと向かった。
平成19年12月15日
駅を出て調べた住所を頼りに若松部屋を捜した。うろうろしているうちにプレハブ建ての稽古場は見つかった。でもそこは稽古場だけで、力士が生活している宿舎は別にあるようだった。
通りすがりの買い物帰りの主婦に数人聞いてみたが誰も知らない。何人目かでようやく「あぁ、あそこの商店街の八百屋のおっちゃんがよく知ってるみたい」八百屋へ行って聞くと「そうか、ほなワシが連れてってやるわ」若松部屋まで案内してくれることとなった。
平成19年12月16日
部屋は普通の民家である。奥へ通されると、毛糸の帽子をかぶった若松親方がコタツにはいって座っていた。八百屋のおっちゃんが紹介してくれ、身長が足りない話をして「よろしくお願いします」と頭を下げた。昔、褐色の弾丸と呼ばれた元房錦の若松親方が浅黒い顔を柔らかくして言ってくれた。「そうか。いま検査きびしいけど、しばらく様子みてみるか」若松部屋入門が許可された。
明日土俵を作り直すため、土俵をクワで掘り返し、スコップで細かく砕き、水をまく。番付発表前に毎場所行われる作業である。
平成19年12月17日
入門叶って初めて徳之島の実家へ電話した。3月上旬で、さとうきびの刈り入れに忙しい真っ盛りである。親父が電話にでた。「うぎかさぎ いしゅがぁむなてぃ へくかいてぃこま」(きび刈り忙しいから、早く帰ってこい)電話口で応えた「なっ大阪なうんちよ」(いま大阪にいる)親父が聞いた「大阪なてぃぬーしゅんが」(大阪で何してるの)答えた「相撲部屋かちふぇっち」(相撲部屋にはいった)「ええっ!!!!」親父が絶句した。
平成19年12月18日
年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティー&忘年会。午後6時よりホテルニューオータニにて行われる。東京後援会を中心に、全国から300名ほどのお客様が集い、今年の慰労と来年への更なる飛躍を期して祝う。おなじみ三遊亭小金馬師匠の司会のもと、横前嘉彦理事のご挨拶で開会となり、師匠の挨拶につづき、横綱も騒動についてお客様にも謝罪。多数の歌のゲストや抽選会で賑わい、最後は相原湘南後援会副会長の一本締めで閉会となった。
平成19年12月19日
短気な親父が激怒した。「なにをバカなこといっているんだ!」「おまえみたいな小さい体で相撲取りになれるわけないじゃないか」「なんのために大学までいったんだ!」「教員の採用試験はどうするんだ!」「かんがえなおせ!」電話口から怒声がとんでくるが、こっちは空返事をくりかえし電話を切った。翌日は徳之島から電話がかかってきた。その翌日も、そのまた翌日もかかってきた。「2年だけやらせてくれ」そんなことを言って、半分あきらめてもらった。
平成19年12月20日
新年初場所の新番付発表。関取昇進へ向け一歩一歩近づいてきた朝陽丸、幕下の西4枚目まで番付を戻す。十両からの陥落の人数にもよるが、勝敗によっては大いに気を揉むことになる番付である。3場所連続勝ち越しの朝酒井、序二段34枚目。今場所も5番勝てれば一気に三段目の可能性もある。幕下格行司だった勝次郎、今場所より十両格行司に昇進。昇進を機に、高砂部屋伝統の名跡木村朝之助に改名。
平成19年12月23日
番付表は江戸時代からつづいているが、番付表には力士はもちろん全員、親方衆も全員名前が載っている。他に、行司や呼出し、若者頭、世話人という人の名前も載っているが、ただひとつ、床山さんだけが今まで300年間名前が載ることがなかった。それが300年以上の歴史の中で、今場所初めて特等床山の二人の名前が載ることとなった。もちろん、そのうちの一人が高砂部屋所属の名人床山床寿さんである。
平成19年12月24日
入門した昭和58年(1983)3月当時の若松部屋は、元鯱の里の2代目若松親方から娘婿の元房錦の3代目に代替わりしてちょっとたった頃で、古株の兄弟子がみんなやめて入門3年目以下の弟子ばかり6人という小部屋だった。一番兄弟子が、そろそろ三段目に上がろうかという18歳の子で、入門したその日から一番新弟子ながら最年長という具合だった。
平成19年12月25日
大相撲界は年齢は関係なく入門順である。一ヶ月でも一年でも早く入門した方が兄弟子で、年下でも「さん」づけで呼ばなければならないし、いくら年くってても新弟子は新弟子の扱いである。大学生の時にはその逆の立場もあったし(後輩が年上)、そういうもんだと覚悟しての入門だから、全く苦にはならなかった。それより、部屋で稽古して、ちゃんこ番して、掃除してと、おすもうさんの生活をできる喜びの方が大きかった。
平成19年12月26日
部屋での生活は普通のおすもうさんと一緒だが、本場所が始まると寂しいものがあった。検査に合格していないから本場所の土俵には立てず、それが昭和58年 の5月場所、7月場所、9月場所とつづいた。物の本によっては、新弟子検査を受け続けて落ち続けたようなことが書いてある本もあるがそれは間違いで、 その間は新弟子検査は一度も受けてはいない。というか、受けさせてもらえなかった。その間、身長を伸ばす努力をいろいろ試みた。
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