過去の日記

平成20年<平成19年  平成21年>

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平成20年1月5日
あけましておめでとうございます
年末にパソコンがぶっ壊れてしまいまして更新できませんでしたが、本日からとりあえず仮復旧いたします。本年もよろしくお願い申し上げます。3日から稽古始。明日6日は綱打ち。
平成20年1月8日
東京場所前恒例の横綱審議委員会総見稽古。5月場所前は国技館土俵で一般公開して行われるが、今場所は相撲教習所土俵での稽古。初場所に復活をかける横綱朝青龍、白鵬との横綱同士の三番稽古(同じ相手と何番もやる稽古。今日は7番だったそうだが)で元気なところを見せたそうで、初場所へ向け調整も万全のようである。
平成20年1月10日
来る初場所から十両格行司に昇進する木村勝次郎改め木村朝之助の昇進祝いを両国第一ホテルにて内々でおこなう。高砂部屋伝統の由緒ある名跡朝之助(4代目)を襲名した勝次郎の、これからの益々の活躍を祝し、和やかに円卓を囲んでの祝いとなった。さすがに血筋か、一緒に参加した子供ふたりも、お父さん譲りの芸で宴を盛り上げた。
平成20年1月12日
平成20年初場所も明日から初日。注目の横綱は琴奨菊との対戦。朝赤龍は若の里。幕下4枚目まで番付を戻した朝陽丸だが、場所数日前にまた網膜はく離が再発してしまい無念の休場。
平成20年1月13日
初場所初日。今場所から十両格行司に昇進した勝次郎改め木村朝之助、NHKBSでも紹介されていた。十両格昇進の祝いに湘南高砂部屋後援会から贈られた湘南のロゴの入っうた装束もお披露目。十両格になると幕下格までと違って、袴を下まで下ろしスネ(自慢の立派なスネだが)を出さなくなる。そんな装束の違いに注目して見るのもまた面白い。横綱、見事な体捌きの投げでの復活の初日。
平成20年1月16日
首の怪我でずっと休場していた朝奄美、約2年半ぶりに土俵に上がり前相撲で嬉しい白星。来場所は久しぶりに番付表に名前が載ることになる。
平成20年1月19日
昨年3月入門で、最初の5月場所こそ負け越したものの、翌7月場所から3場所連続で勝ち越して番付を序二段34枚目まで上げてきた朝酒井。さすがに今場所は厳しいだろうと思われたが、前半戦を終わって3勝1敗。普段はおとなしい性格だが、本場所の土俵に上がるとその巨体を十二分に生かした思い切りのいい相撲を取れるようで、1年たたずの三段目昇進もあと2勝となってきた。平塚の星となる日も来るのかもしれない。
平成20年1月26日
元朝乃翔の若藤親方が相撲界から去ることになってしまった。引退後も年寄株を取得できていなく借株での親方稼業だったが、今場所の引退力士の影響で借りる年寄株がなくなってしまって退職せざるを得なくなってしまった。稽古の指導や、若い衆からの信望も厚かっただけに非常に残念なことである。その若藤親方が、稽古に、トレーニングに、熱心に面倒をしていた塙ノ里、最後の恩返しともいえる6勝目。明日の祝賀会の準備も万端。優勝祝賀会となるかどうか。
平成20年2月8日
諸事に忙殺されましてしばらく更新できませんでした。本日よりまた再開していきますので、よろしくお願い申し上げます。
2月2日の披露宴並びに断髪式におきましては、お忙しい中、遠路より、多数お祝いにご出席いただきましてありがとうございました。この場をお借りいたしまして恐縮ですが、改めて御礼申し上げます。
平成20年2月11日
ちょん髷が頭からなくなって約10日になる。ようやくちょん髷のない頭にも慣れてきた。断髪してすぐは、頭の軽さがまず印象的だった。歩くと頭がスースーした。頭を毎日洗えることは本当に快適だった。(ちょん髷のときは一週間か10日に一回)タクシーに乗る時に、ちょん髷をぶつけないようにと気にして乗ろうとしたら「あ、もう気にしなくていいんだ」とわかって喜んでしまった。
不意に鏡を見ると、一瞬「え、だれ?」と何度か思うこともあった。そんな意識もだんだんなくなってきた。明日で10日になる。
平成20年2月12日
枕が汚れないのも快適である。ちょん髷のときは油がべっとりついているし、そんなに洗えないので枕がすぐに汚れてしまう。しかも油と汚れが混ざってしまうから洗うのも大変である。又、寝るときもちょん髷をなるべく崩さないようにと頭をのせる位置などに多少気を使うが、その必要もないから楽である。頭を洗ったあとも、タオルでゴシゴシ頭を拭くだけで乾くから、それも感動ものである。
平成20年2月17日
大阪場所先発隊6人(松田マネージャー、大子錦、男女ノ里、朝久保、朝奄美、朝酒井)谷九の宿舎久成寺(くじょうじ)入り。正午過ぎにお寺に入り、ゴザを敷いたりとかの作業をしていたら、一年前に引退した熊郷が、大阪名物551の豚マンをもって登場。先発隊の仕事を手伝ってくれる。
現在は大国町で、うどんや『ぐっちゃん』をやっている。晩飯は、毎年恒例のちゃんこ朝潮でのちゃんこ。
平成20年2月19日
昨夜の晩飯は先発隊全員で大国町の『かすうどん ぐっちゃん』に行った。熊郷の店で、店内には引退した一年前の全関取の手形色紙が飾ってあり圧巻である。お客さんも読める色紙と読めない色紙があり「あれは誰やろ」と見入っている。反対の壁には付人をしていた横綱との写真も飾ってある。名物の油かす(ホルモンを油で揚げたもの)をのせた「かすうどん」が600円、それに牛スジも加えた「牛スジかすうどん」が750円、 日替わりちゃんこ定食800円もある。その他ちょっとした酒のつまみも何品かあり、黒糖焼酎もある(もちろん生ビールも)
平成20年2月20日
ちょん髷がなくなった話に戻る。電車に乗ったり街中を歩いても、全く視線を感じなくなった。
ちょん髷で着物を着て歩くと、有名なおすもうさんでなくてもやっぱり一般の人は視線を向ける。
1年ぶりに大阪に来て、1年前のような感覚で、街を散歩したり電車に乗ったりすると、当たり前のことだが、全く見向きもされない。それは、楽でもあるし、ちょっと寂しい心持があるのも正直なところではある。
平成20年2月22日
3月大阪場所は、昔から就職場所といわれるほど毎年多くの新弟子が入門してきたが、最近の逆風のせいもあり新弟子獲得には苦戦している。高砂部屋も、何人か話はあったが、進学したり普通の就職を選んだりで、現在まだ一人も入門予定者がいない状況である。来年の新弟子は一人決まっていて、可能性の高い子も二人ほど話があるのがまだ多少の救いではあるが、今年もせめて一人は新弟子が欲しいところである。
平成20年2月24日
東京残り番だったおすもうさんも大阪乗り込み。午後6時からちゃんこ朝潮徳庵店で、毎年恒例となっている大阪高砂部屋後援会特別会員とのちゃんこ会。1年ぶりの旧交をあたため、大阪場所へ向けての英気を養う。明日が番付発表。
平成20年2月25日
三月大阪場所新番付発表。先場所4枚目で10勝をあげた朝赤龍、残念ながら東前頭筆頭どまり。ここ4場所勝ち越しの、湘南高砂部屋後援会期待の星の朝酒井、序二段の9枚目。今場所勝ち越せば、新三段目昇進が待ったなしである。首の怪我で永らく休場続きだった朝奄美、先場所久しぶりの前相撲で復活して、今場所約2年半ぶりに番付に名前が載る。それを機にというわけでもないが、入門3年目にして初めてちょん髷も結い、コンパチ(デコピン)で祝ってもらい油銭(ちょん髷を初めて結ったお祝いのご祝儀)までもらって、ニッコリ。
平成20年2月29日
今年の大阪は例年にも増して冷え込みが厳しい。先発で乗り込んでから2週間近くなるが雪がふわふわ舞った日が4,5日もあった。寒さには強い(鈍感な?)おすもうさんにも今年の寒さは身にしみるようで「寒い」「寒い」を連発している。寒い寒い言いながらもTシャツ1枚だったりもするが・・・ よかたになって、毎朝裸にならなくていいから今年の寒さを全身で感じなくていいのは楽である。また、靴を履くようになって足袋に雪駄の力士時代からすると、足元の暖かさが格段に違うのも驚きである。(靴を履くのは学生時代以来だし、学生時代は暖かいところだったから寒いときに靴を履いたことがない)
平成20年3月1日
場所前恒例の春場所高砂部屋激励会。午後6時半より上六シェラトン都ホテルにて1000人を超えるお客様が集い、盛大に春場所での高砂部屋、横綱朝青龍の活躍を期して祝う。
この一年高砂部屋にとってはいろいろと厳しい一年となったが、親方が学生生活を送った、相撲で名をあげた、いわば第二の故郷であり、おかみさんにとっては、もちろん生まれ育った故郷である大阪場所は、部屋にとっても身内の方々が温かく迎えてくれる場所であるからこその、変わらずの大盛況の激励会である。
平成20年3月3日
昨日3月2日(日)奄美出身力士を励ます会が新大阪の大阪ガーデンパレスホテルで行われ300人近い在阪奄美出身者や奄美に関わる方々が集まり、春場所での活躍を激励。現在奄美出身力士は十両の旭南海や里山を筆頭に17人の現役力士がいて昨晩のパーティーにはうち10人が出席。何度も書いているが、人口比率からいうと、ぶっちぎりの世界一の相撲どころである。
そういう相撲熱の高さもあって、今年8月31日の日曜日には国技館で奄美と相撲のイベントを行う計画も進んでいたが、来年に延期になったようである。
平成20年3月4日
大阪入りして、26日(火)の土俵祭の日こそ部屋で稽古したものの、それからは横綱と朝赤龍は、境川部屋、鳴戸部屋と出稽古にいく毎日だったが、今日は、東関から高見盛、伊勢ヶ浜から安馬・安美錦と出稽古にきて、賑やかで豪華な稽古場となった。午後1時からは大阪天満宮にて横綱土俵入りを披露。
平成20年3月8日
大阪府立体育館で土俵祭が行われ、明日からの春場所初日の取り組みを告げる触れ太鼓が浪速の街に繰り出す。冷え込みの厳しかった今年の大阪だが、春場所初日を前に寒さも少し和らぎ、春の兆しも感じられる。注目の横綱は先場所苦杯をなめた稀勢の里。その一番前で朝赤龍が大関琴欧洲に挑戦。
平成20年3月9日
春場所初日。先場所の熱気をそのままに大阪府立体育館は満員御礼の大入り。満員の観客注目の一番は横綱が万全の相撲で圧倒、先場所の雪辱を果たす。朝赤龍も大関を破っての幸先よいスタート。約2年半ぶりに序ノ口の土俵に上がった朝奄美、2年半ぶりの嬉しい白星。
平成20年3月10日
待望の新弟子君が入門してきた。山下智徳君20歳で地元大阪は天王寺の出身である。学生時代はサッカーをやっていたそうで、身長は182cmある。しかしながら、体重が58kgしかなく、朝陽丸に言わせれば「小学校3年生頃の体重ですわ」となるそうである。知人の息子で、高校を中退してフリーター生活だったそうだが、思うことあっての志願しての入門となった。
とりあえずは第2検査の67kg目指して体を大きくしていくことが一番である。
平成20年3月11日
大阪宿舎の稽古場横に風呂場が設置されている。かなり昔につくられた風呂で、タイル張りの浴槽は深く、水をはって昔ながらのボイラーで焚く。深いので上が熱々になっても下の方は冷たい水のままなので、よく混ぜなければ入れない。稽古後、若松親方が朝道龍にむかって「はなちゃん、湯混ぜたか?」と聞いたところ、朝道龍がいきなり「あ、はい!」といって朝久保の頭をもって引っぱりだした。どうやら、湯と優(朝久保の本名。「ゆう」と呼ばれている)を間違えてしまったらしい。
混ぜた朝道龍も混ぜられた朝久保も春場所一勝目。
平成20年3月13日
小さい体ながらも無類の稽古熱心さでコツコツと番付を上げてきている朝道龍、昨年は2度幕下に番付を上げたが、今年はまだ三段目生活である。稽古場でエンジンがかかってくると関取をも負かすいい動きをするのだが、少し歯車が狂うと序二段下位の力士にもあっさり負けてしまうムラがある。それだけ無駄な動きをしてしまうのだが、最近四個の踏み方の感覚の面白さを感じてくるようになったらしく、効率的なおっつけなども稽古場で見せるようになってきた。
動きを感じると、相撲の世界の奥深さが本当に広がってくるものである。
平成20年3月15日
入門した山下君、4日前からマワシを締めて稽古場に下りている。生まれて初めてマワシを締めるが、体重が60kgもないためマワシを巻くというよりも、マワシに巻かれているような姿である。最初は腰割りの姿勢をつくることから始めるが、体が固い割にはけっこういい腰割りの姿勢をとれる。
ただ、関節まわりも細いから、木綿の厚織りのマワシが食い込んで、かなり痛いらしい。
平成20年3月16日
朝ノ土佐、4連勝で今場所の勝越し第1号。脚の怪我もあり体調は万全ではないようだが、その分大事に相撲を取れるのか、元々地力はあるからこその4連勝での勝ち越しである。明徳義塾で朝赤龍と同級生で小学生の頃から全国レベルで相撲を取ってきて相撲歴は大ベテランなだけに、入門9年目そろそろ勝負をかけなければいけない年でもある。
平成20年3月17日
今日から後半戦。宿舎久成寺の門を出て向かいにある階段を下ると高津公園で、歌舞伎や人形浄瑠璃で名高い『夏祭浪花鑑』の舞台となった高津神社に隣接している。高津公園は花の名所で、遅咲きの梅が紅白の彩りを楽しませ、桜のつぼみもふくらみかけ、いよいよ春間近という陽気になってきた。
序ノ口朝奄美3勝目。入門4年目、のこり2番に入門以来初の勝ち越しをかける。序二段朝久保も3勝目。勝ち越して一足早くの春到来となれるか。
平成20年3月18日
ちゃんこ長大子錦、名門高砂部屋の味を守るべく日々奮闘している。地方場所に来るとお客さんも多いから、自分の稽古よりもちゃんこ長の仕事の方が優先になってしまい、アンコ度にもますます磨きをかけてしまう毎日である。アンコの生態(平成15年10月1日~9日)でも書いたように、アンコはアゴを引いて下を向くのが苦手な分、アゴをあげても割りと平気である。普通の力士なら差されて頭をつけられてアゴが上がってしまうと全く力がでなくなってしまうが、アンコにとっては頭をつける体勢よりもよっぽど楽らしく、今日も相手十分の体勢になられながらも、残って残って3分近い大相撲をアンコ勝ちしての3勝目。さすがに疲れたのか、帰って来てゴザのヘリにつまづいて転んでいたが・・・
平成20年3月21日
朝奄美勝越し。入門丸3年、途中首の怪我で2年半ちかくブランクがあっての18場所目での嬉しい嬉しい勝越しである。これで、弓取式で弓を落として話題になった男女ノ里につづいて幕下以下で3人目の勝越し。朝ノ土佐6戦全勝同士の対戦に破れ三段目優勝ならず。
平成20年3月22日
今日14日目あたりにも優勝が決まるのではないかという流れだったが、思わぬ連敗で千秋楽までもつれた優勝争い。それでも、優勝パレードの為の道路使用許可書を警察に貰ったり、日本盛から樽酒が届いたりと、準備は万端である。先日報道されたように、朝陽丸が今場所限りで引退。千秋楽打上げパーティーの中で断髪式を行う。
平成20年3月24日
横綱の22回目の優勝で沸いた千秋楽。金杯をもっての優勝祝いの乾杯の記念撮影のあと、朝陽丸の断髪式が行われた。大阪高砂部屋後援会や近畿大学相撲部OBも多数つめかけたほか、近大の先輩である赤井英和さんや新相撲の筑比地選手も朝陽丸の最後の大銀杏に鋏みを入れ、新しい人生への門出を祝った。
平成20年3月25日
大阪場所に来るたびに25年前のことを思い出す。あこがれの相撲部屋へ入れてもらって、おすもうさんとしての生活が始まったが、身長を伸ばさないことには新弟子検査を受けられない。身長を伸ばす努力(必死だから努力するという意識もなかったが)がいろいろ始まった。身長を伸ばすにはまずはカルシウムだということで、一日に牛乳2リットルを課した。ずっと飲み続けたが元々体質的に会わなかったらしく、体を素通りするだけであった。
平成20年3月26日
その頃、少年ジャンプとか少年マガジンに広告の出ていた『あなたも背伸びる!』というのにも飛びついた。入会金が五千円くらいだったろうか、3社か4社ほど申し込んで、いろいろ試してみた。基本的には同じようなものだった。まず第一にはカルシウム等の栄養をしっかりとること、そして背を伸ばす為の適度な運動(体操であったり、器具を使ったり)をやること、十分な休養をとること、そんなとこだろうか。社によって、ぶら下がり健康器具みたいなものであったり、特殊な体操があったり、カルシウム剤のようなものを補助食品として摂ったり、そいういうのの組合せの違いであった。
平成20年3月27日
解説書のようなものもついていて、背を伸ばす為の日常の心構えみたいなことも書いてあった。まず、背をのばすために推奨するスポーツが紹介されてある。 なわとび、バスケット、バレーボール・・・などはおすすめである。逆に、絶対にやってはいけないスポーツというのも書いてある。柔道、相撲、重いウエイトを使った筋力トレーニングなどは絶対にやらないでください、となっていた。解説書の通り、効果はなかった。
平成20年3月28日
ずっと稽古はつづけたが、本場所が始まると、焦りや寂しさのようなものはあった。師匠も各方面話をつけてくれて、170cmあれば何とかなりそう、ということにもなった。ハードルは少し下がったが、肝心の身長が全く伸びない。7月名古屋に行って病院の先生に相談したら、膝にホルモン注射を打ってみましょうということになった。藁にもすがる思いで、「ぜひお願いします」と打ってもらった。翌朝起きたら、歩けなくなった。
平成20年3月29日
八月東京に戻り、これも雑誌でみつけたのか中野にある『磯谷式力学療法』という所に通った。本来股関節矯正での治療で有名なところだが、骨格を真っ直ぐ整えることによって健康になり、曲がっているものが真っ直ぐになることによって身長も伸びる、という療法であった。主にO脚矯正に取り組んだ。初めて効果があった。巡業組、春巡業恒例の伊勢神宮奉納相撲へ出発。残り番の力士たちも帰京。
平成20年3月30日
中野の治療院に週何回か通って矯正もしてもらうが、一番効果があったように思われたのが、脚をしばって寝ることである。寝るときに、はち巻きのような紐で、足首、膝下、膝上の3箇所をしばって寝る。8月の暑い盛りで、クーラーも部屋にはない時代だったから、くっついた太ももの内側に汗もができ痒み がひどかったのをよく覚えている。シッカロールをぬりながらの毎日だった。8月から11月の新弟子検査を受けるまで約3ヶ月間しばって寝て、166cm だった身長が166,5cmになった。
平成20年3月31日
新弟子入門にも年によって波があり、入らないときは話があったとしてもことごとくダメになるが、入りだすとどんどん続いてくるということはある。先日 大阪で入門した山下君、59kgだった体重も64kgまで増え、5月場所前の第2検査受検(67kg以上)のメドもたってきたが、もう一人大阪豊中からも、18歳の入門希望の子がやってきて早速部屋での生活を始めている。こちらは、175cm90kgと体格的にも申し分ない。また、福岡の高校レスリング部の新3年生が体験入門にやってきて一緒に四股で汗を流している。こちらも186cm100kgの筋肉質の体で、1年後が大いに楽しみである。
平成20年4月1日
レスリング部の高校生の体験入門は、福岡県立三井高校のレスリング部が北陸遠征の帰りに東京により、高砂部屋で四股を勉強したいという話から実現した。トレーニングの現場でも、四股の良さが見直されつつあるようで、先だってもブックハウスHD社の『月刊トレーニング・ジャーナル』誌4月号で、「伝統的なトレーニングを見直そう」という特集が組まれ、四股やてっぽうなどについてインタビューを受けた。
平成20年4月3日
四股については、引退して外から見るようになって気づいたことも、いくつかある。最近気にしてというか意識して見ているのは、脚の上げ方、特に膝の向きについてである。腰を割った(股関節を開いた)姿勢から脚を上げようとすると、ふつうどうしても膝を前に向けて脚をあげてしまう。脚を上げることだけを意識すれば、その方がより上げやすいからであろう。
平成20年4月4日
四股の目的は、インナーマッスル(腸腰筋などの股関節まわりの筋肉)を使えるようにするため鍛えるためだと確信している。「腰を割る」という姿勢や動作も、そのためにあるのだと思う。そういう四股の目的という観点から見た場合、膝を前に向けることは割った腰を(開いた股関節を)閉じてしまうことになり、インナーマッスルに効果がなくなってしまうように思う。
平成20年4月5日
膝を前に向けてゆっくり脚を上げていくと、上げる時に太ももの外側の筋肉を使っているのがわかる。膝を上に向けたまま脚を上げていくと、股関節周りや太ももの内側の筋肉により効いているのがわかる。実際踏んでいても気づきにくい微妙な感覚の違いだが、どの筋肉を使って脚を動かすか、ということは大きな違いではなかろうか。
平成20年4月6日
CMでもやっているように、人間の体には約200個もの骨がある。さらに、600近くある大小の筋肉がそれらの骨をつなぎ、収縮することによって、いろいろな運動を行っている。それゆえ、四股を踏む、脚を上げるという単純な運動でも、どの筋肉を使うか、またその使い方の割合、どこを支点にして動かすか、などなどいろんなパターンがあり、人によってさまざまである。
平成20年4月7日
脚を上げるという動作ひとつをとってみても、多くの筋肉が参加して脚を上げている。歩く、立つ、という動作でもそうである。だからこそ、同じ動作でも個人差があり、美しい、速い、力強い、伸びやか、ぎこちない、いろんな違いが出てきて、その積み重ねが、上達やパフォーマンスの差になるのであろう。
平成20年4月8日
同じ動作でも、人によって筋肉や骨の使い方が違ってくるし、細かく観れば同じ人でも、日によって、体調によって、気分によって違うことであろう。動かし方は無限にあるといってもいいと思う。その中で、より合理的な動かし方、体の使い方を覚えていくのが、相撲が強くなるとか、上達するということではなかろうか。そういう意味で、四股こそが、合理的な体の動かし方使い方を学ぶ、方法ではなかろうかと思う。
平成20年4月9日
新弟子の山下君。3月10日の日記で紹介したように、部屋に入ったときは58kgしかなかったが、毎食丼飯3杯をノルマにし入門約1ヶ月で65kg近くまで体重を増やしてきた。第2検査の合格基準は67kgなのでもう少しだが、最初の頃に比べると増えるペースが落ちてきて食後体重計に乗っては「もう1杯」と、食う苦しみも味わっている。新弟子検査は5月1日、67kgという体重と運動能力テストをクリアすれば晴れておすもうさんになれる。
平成20年4月10日
場所前ごとに行われる通常の新弟子検査は、173cm・75kgという基準があるが、それに満たないものでも167cm・67kgあれば第2検査で、50m走やハンドボール投げ、反復横跳び、シャトルランなど8項目の運動能力テストに合格すれば入門が認められる。この制度は平成13年度から始まり、朝翔冴は第2検査第一期生である。また豊ノ島は、この第2検査合格者からの初の関取である。
平成20年4月11日
身長体重の基準というのがあるから、ギリギリのものにとってはあの手この手の闘いがある。一昔前の乱暴な時代には、頭をスコップやバットでぶん殴ってタンコブをつくった話もときおり聞いた。頭にシリコンを注射して身長を伸ばしたのは舞の海の入門のときに有名な話だが、それ以前にも何例かある。ただ、シリコンは現在は禁止になっている。体重も、体重計に乗るギリギリまで一升瓶(現在はペットボトルか?)に入れた水を飲みつづけたとか、パンツの中に重りをしのびこませ「あんちゃん、立派なものをもっているな」と握られたとか、いろいろな物語がある。
平成20年4月12日
昭和58年の話に戻るが、3月入門以来秋まであの手この手と試みたが、結局伸びたのは脚を縛って伸ばした5mmだけであった。そこで、元房錦の師匠に懇願してシリコンを注入してもらうことにした。銀座にある美容整形外科のお医者さんを紹介してもらった。先生も親身に相談にのってくれて11月九州場所前の新弟子検査の前日にやることになった。
平成20年4月13日
銀座のホステスさんらも数人いる待合室から手術室へ通されシリコンを注入してもらった。注射で頭へ直接注入する。少しの痛みを感じるものの処置はあっという間に終わった。終わって身長計に乗った。看護婦さんが目盛りを読み上げた。「ヒャクロクジュウハチテンゴ」「え!2cmしか伸びていない」「先生! 170cmないと受かりませんから、あと1センチ5ミリ入れて下さい」しかし、頭の皮膚はかたいので、これ以上入れても溢れるだけだという。「まあ、明日の朝になれば内出血して腫れて1センチ5ミリくらい伸びますよ」無事(?)おわった。
平成20年4月14日
せっかく注入したシリコンが流れ出ないように、また腫れが上にいくように、みそ汁のお椀をかぶせて(大きさ軽さがちょうどよかったのだろう)、包帯でぐるぐる巻きにして新弟子検査の行われる福岡に飛んだ。さすがにその晩はズキズキしたが、翌朝の検査直前まで寝て(立つと縮むから)、伸びた髪の毛を立たせてヘアースプレーで固めて(1mmでも得するように)、車の後部座席に横になって(1mmでも縮ませないように)新弟子検査の会場へと向かった。
平成20年4月16日
舞の海らの活躍によって第2検査が出来、第2検査によって豊ノ島という力士も誕生した。小さい力士が大きい力士を倒すということは、大相撲の大きな魅力のひとつであろうから、その存在は大きいだろう。身長体重の基準というのは昔からあるようで、『日本相撲大鑑』(窪寺紘一著・新人物往来社)によると、明治の梅・常陸時代には5尺4寸(164cm)16貫(60kg)、昭和の双葉山時代は5尺5寸(167cm)18貫(67,5kg)だったそうで、さすがに終戦直後はなかったのか、戦後昭和28年から復活したとなっている。
平成20年4月18日
相撲は体が大きいものが有利なことに間違いはないが、小兵でも名人とよばれ神様とよばれ大きい力士と互角以上に戦い強さを誇った力士も数多い。その中で も第27代横綱栃木山の強さは格別であろう。172cm103kgと、当時としても小さな体ながら大正7年から14年まで横綱を張り、その間の成績が116勝 8敗、勝率9割3分5厘という驚異的な強さを誇っている。相撲は、左を浅くのぞかせ(差し)右からおっつけという徹底した押し相撲だったそうである。
平成20年4月19日
小兵ながらも鋼鉄のような体である。元々怪力でもあったらしく、怪力逸話も数ある。そのハガネの体を鍛えこみ技を磨き、左は浅く差すかハズ(親指と他の4本の指をY字に開き手のひらで矢筈のような形をつくる)で、右からおっつけ(相手の肘や腕を下からしぼりあげる)、出足を磨いて磐石の押し相撲の型を完成させた。見ているほうは、相撲は体が小さい方が有利なのではないかと錯覚するほどであったという。
平成20年4月20日
体にも徹底して気を配った。少し体重が増えると「汗が貯まった」といって猛稽古で体を絞り、体重が落ちると少しセーブして、常に103kgという体重を維持したそうである。また、日常生活でも、歩く時、座るとき、寝る時まで、すり足でアゴをひき脇を締めと、あらゆる動作を相撲に結びつけ、晩年まで変わることはなかったという。その教えの中から横綱栃錦が生まれ、大関栃光、横綱栃ノ海というふうに春日野部屋の伝統が引き継がれていった。
平成20年4月22日
栃木山引退のあとを継ぐように、昭和初期にも小兵ながら「相撲の神様」と呼ばれた力士が相次いで二人でたそうである。一人は大関大ノ里、もうひとりは関脇幡瀬川である。大ノ里は、あまりに小さくて門を叩いた若松部屋でも最初は拒まれるほどだったというが、懇願して許されると無類の稽古熱心さで番付を上げ、164cm97kgという体格で 大正14年から昭和7年まで大関を務め上げた。(その後湊川部屋から出羽ノ海部屋へと移籍)5月場所に向けて新しく土俵をつくりなおす土俵築。
平成20年4月23日
大ノ里については以前(平成13年4月10日~13日)にも書いたが、相撲のうまさで"神様"と呼ばれたことはもちろんだが、現役時代からその人徳を語る逸話も多く、春秋園事件(4月13日、14日)でもその人望で新興力士団をまとめ、その徳が"神様"と呼ばせた雰囲気もある。しかしながら晩年(といっても45歳の若さだが)は不遇で、「悲劇の大関」とも呼ばれている。明日が番付発表。
平成20年4月24日
5月夏場所番付発表。横綱昨年の9月場所以来4場所ぶりに東の正横綱に復帰。朝赤龍も昨年11月場所以来の三役復帰。4場所目の三役である。幕下以下では、朝ノ土佐が初めて若い衆の中で一番番付上位となる。朝奄美 初の序二段。
平成20年4月25日
メタボが社会問題ともなっていて、腹囲や体重を少しでも減らすことが関心をあつめているが、新弟子の山下君にとってはその逆が大きな問題である。3月に部屋に来た時には58kgしかなかったが、その後順調に体重を増やし65kgまでにはなったものの、そこから全く増えなくなってしまった。毎食必死に食って(食わされて)はいるのだが、体重計の目盛が全然上がらない。女性や中年メタボ男性にとってはうらやましい話だろうが、太れない苦しみの毎日がつづいている。
67kgが基準の新弟子検査まであと6日と迫ってきた。
平成20年4月26日
もう一人の“相撲の神様”幡瀬川(はたせがわ)は173cm85kgという体で昭和初期に関脇をはった名力士である。のちに語ったところによると「あまりに小さくて格好悪いから85kgと言っていたが、生涯75kgになったことはなかった」そうである。(小坂秀二『大相撲ちょっといい話』文春文庫)
メタボどころか殆ど一般人体型である。その体で当時の横綱大関を大いに悩ませ、特に出し投げからの小股救いは文字通り神技だったそうである。幡瀬川以降、その技の冴えで相撲の神様と呼ばれた力士は出ていない。横綱と朝赤龍、井筒部屋へ出稽古。
平成20年4月27日
体が小さい力士やソップ型の力士にとっては、小さいことや細いことを指摘されることは腹が立つしいやなものである。逆に、たとえ幼稚園児にであっても「おすもうさんおおきい」とか言われると気分がいいものである。昔、高砂部屋の兄弟子に鶴見富士さんといって70kgあるかないかのおすもうさんがいて、稽古場で「昨日タクシーに乗ったら、おすもうさんはやっぱり重いですね、と言われた」と嬉しそうに話していたこともあった。記録を見ると66kgで取っている時の方が長いが、内掛けが得意で、三段目で勝ち越したこともあった。
平成20年4月28日
明日29日(火)は、5月場所前恒例の横綱審議委員会による稽古総見の一般公開が国技館土俵にて行われる。午前7時開場で、稽古は7時半から11時頃まで。例年通りに入場無料である。また、これも5月場所前の恒例となってきた両国にぎわい春祭りが、5月3日(土)4日(日)と行われる。江戸博物館や回向院 でのイベントや大好評のちゃんこミュージアム、呼出しさんによる太鼓打ち分け実演や行司さんによる相撲字などなど相撲関連のイベントも盛りだくさんである。
平成20年4月29日
メタボの診断基準のひとつに腹囲85cm以上というのがあり、肥満を量るのにBMI(体重を身長で2回割った数値)というのがある。殆どのおすもうさんにとっては、どちらも数字的にはあてはまることである。では、おすもうさんはメタボであり肥満症であるのかというと、殆どがそんなことはない。以前に相撲診療所所長を長く務められた林盈六先生の『力士たちの心・技・体』(平成8年法研)によると、平均体重150kgの幕内力士の体脂肪率は23,5%(平成2年8月測定)でしかない。
平成20年4月30日
埼玉県草加市といえば草加せんべいで有名だが、市内に22校あるすべての小学校に土俵が(室内土俵も含めて)あるそうである。4月25日の東京新聞 の記事によると、屋外土俵が13校、その他の小学校にも屋内マット土俵が完備され、年2回開催される相撲大会には1000人を超える小学生が参加する盛り上がりだそうである。28年前、草加在住の振分親方(元幕内朝嵐)が2人の息子が通う小学校に土俵を寄贈したことがきっかけとなったそうである。
平成20年5月1日
5月場所の新弟子検査が行われ、高砂部屋からも山下智徳君(20歳)と高橋太一君(15歳)が受検。高橋君が一次検査で山下君が二次検査で合格。この後、内臓検査の結果発表を待って正式な合格となるが、5月場所3日目からの前相撲で初土俵を踏むことになる。
境川部屋豪栄道と豊響が出稽古に来て、朝赤龍、横綱と熱の入った申し合い。
平成20年5月2日
前記の『相撲診療所医師が診た力士たちの心・技・体』(林盈六著・法研)には、番付による体脂肪率の変遷のデータもあって興味深い。まず序ノ口が26%で、同年代(16歳くらい)の日本人一般の平均値より6%ほど高めである。それが序二段になると30,5%、三段目が34,5%と上がっていく。デブ度をどんどん増していっている。その値が幕下になると逆に29,5%と下がっていく。十両の平均値は24,5%、前述のように幕内は23,5%である。
平成20年5月3日
林先生の解説にもあるが、体が大きくやや肥満気味の若者が入門してきて。朝飯抜きの激しい稽古のあとのちゃんこと昼寝という一日2食の生活パターンが、筋肉を大きくするが脂肪をも増やし、体重増加とともに体脂肪率も増加させていく。ただ、幕下に上がる力士はより激しい稽古を重ね筋肉の増加によって体を大きくしていることがわかる。さらにその上の十両、幕内という地位に上がるには体重が150kg近くに増えても体脂肪率が23,4%のままという、質のいい体を持ったもの磨いたものしか上がれないという数字である。今日も豪栄道と豊響が出稽古にくる。
平成20年5月4日
一日2食が体を大きくするということはよく言われていることだが、『力士たちの心・技・体』にも出ている。同じカロリーを摂取するなら、一日に3回、4回と分けて食べるよりも2食が最も太りやすいそうで、同じ2食でも朝食抜きの2食がさらに太りやすい、とのことである。また、夜は体が非活動的で栄養貯蔵になるように自律神経が働くから、体に脂肪を貯め込むのには夜食がもっとも効き目があるそうである。横綱、今日は春日野部屋への出稽古。
平成20年5月5日
“メタボ”すなわち“メタボリックシンドローム”は直訳すると代謝症候群だが、日本的にいうと『内臓脂肪症候群』となるそうである。内臓周辺に脂肪がたまることが、色んな病気を引き起こす原因となるそうで、脂肪そのものには罪はないというか、脂肪細胞そのものからは、いわゆるメタボといわれる高血圧、糖尿、高脂血症などを抑える物質も分泌されているそうである。言うなれば、デブだからメタボなのではなくて、運動しないデブがメタボなのである。
平成20年5月6日
5月場所に向けて順調に稽古を重ねてきた横綱、今日は部屋での稽古。その横綱の稽古風景を写真家篠山紀信氏が撮影。小学館から発行の雑誌和楽で掲載されるようである。7月発売の8月号くらいだろうか。
平成20年5月7日
『力士たちの心・技・体』は12年前に刊行された本だが、メタボという言葉こそないものの内臓脂肪の問題点について詳しく書かれている。同書によると、現役の幕内力士には、内臓周辺に脂肪のついている肥満は皆無だそうである。たとえ肥満であっても病的な問題のある肥満は一人もいないのである。ただし、引退して稽古をしなくなった場合とか、現役でもあまり稽古をしなくなった場合には大いに注意が必要、とある。
平成20年5月9日
“メタボ”が恐いのは、メタボが糖尿や高血圧、高脂血症などにつながり、それが最終的に動脈硬化へとつながっていってしまうことだそうである。『力士たちの心・技・体』にも近年の力士の死亡原因は(一般的にも同じだそうだが)約半数近くが心臓病や脳卒中などの循環器系の病気だそうで、血管を若く保つことが、健康や長寿の秘訣となる、とある。
平成20年5月10日
昔から力士は短命だとか横綱は早死にするとかいわれているが、実際の所どうなのであろう。『力士たちの心・技・体』に昭和55年に調べた記録が載っている。関西医大の学生が相撲博物館で調べ「力士の寿命と力士の病気」という卒業論文でまとめたものだそうである。それによると、明治から大正・昭和初期にかけての力士の平均寿命は52歳だったそうである。その後だんだんとん伸びて昭和50年ごろには56歳となり、その後も徐々に伸びてはいるが、世間一般の伸びと平行線を描く伸びで、確かに一般の平均よりも低いとある。そういえば元房錦の先代若松親方が亡くなったのも56歳頃である。明日から初日、横綱は稀勢の里、朝赤龍は白鵬。
平成20年5月11日
夏場所とは思えない冷え込んだ初日。入門4年目の“シマジロウ”こと朝奄美、怪我のため2年半ほどブランクがあったが、先場所から復帰している。そのシマジロウ、朝赤龍関の付人を務め、今場所から座布団運びの仕事をやることになった。関取の取組の2番前、座布団を運ぶシマジロウの姿が全国放送で映し出されるかもしれない。横綱不覚の初日。
平成20年5月12日
今場所からファンサービスとして親方衆による握手会が始まったようである。初日が元千代の富士の九重親方、今日2日目が元朝潮の高砂親方、明日3日目が元闘牙の佐ノ山親方と国技館エントランスホールで午後2時から先着100名様にサインをプレゼントしての握手会となっているそうで、お昼過ぎには長蛇の列となる盛況ぶりだそうである。千秋楽まで日替わりで15人の親方が登場する。横綱、朝赤龍ともに快心の相撲での今場所初日。また、幕下3人も白星の初日。
平成20年5月13日
今日3日目から前相撲。今場所7人の新弟子のうちの2人、朝山下と朝高橋も初めて国技館の土俵に上がり相撲を取る。初土俵は2人ともあっさりの黒星だったようだが、まずは勝敗よりも、四股を覚え、鉄砲を覚え、転び方を覚え、プロの力士としての自覚をもって日々の稽古を生活を、ひたすらくりかえしていくことである。
平成20年5月14日
幕下塙ノ里、初日に豪快な投げ技で勝ったが、そのときに相手に脚に乗られ負傷して今日から休場、不戦敗となる。相撲センスはあるだけに怪我が多いのが出世を阻んでいる。怪我の回復次第では再出場の可能性もあるが。前相撲朝山下が初白星。
平成20年5月15日
力士の寿命が一般人のそれよりも短いのは確かではあるようだが、相撲という運動や力士という職業が問題なのではなく、引退したあとの生活に問題があるようである。引退して稽古をまったくやらなくなったにもかかわらず、現役時代と同じように飲んで食ってという生活を続けると、多くの元力士が身体を壊し寿命を縮めることになってしまう。その反対に、引退後は食生活に気を配り運動も続けていった元力士は、一般人と変わらぬ寿命を全うしている。
前相撲の朝高橋、初白星。
平成20年5月17日
15日間は長い。特に前半戦はそう感じる。怪我をしたり風邪をひいて体調を崩す日もある。負けが込んでくるとよけいにである。3連敗で7日目を迎えた大子錦、朝から体調が悪かったらしい。ちゃんこ長の仕事も忙しかったらしい。時間にも追われていたのであろう。取組に行くのに、浴衣にスリッパを履いていってしまい、国技館手前でようやく気づいて、雪駄を部屋から持ってきてもらっての場所入りだったそうである。もちろん相撲は負けて4連敗での負越し。自己申告のネタである。
平成20年5月18日
今場所入門の朝山下と朝高橋、前相撲を取り終え今日が出世披露。三段目取組途中で 関取から借りた化粧回しを締め、土俵上でひとりひとり紹介される。そのあと、役員室や審判室に行き、「高砂部屋○○です。よろしくおねがいします」と挨拶してまわる。挨拶の声が小さいと「やり直し!」となることもある。もちろん部屋に帰ってきても親方や兄弟子に「おかげさんで出世しました」と挨拶する。殆どの力士にとっては、化粧回しを締める、最初で最後の機会でもある。
平成20年5月19日
700数十人いる力士の中で、関取と呼ばれる十両以上の力士は70名だから、確率論的にいうと、約一割、数字の上では10人に一人が関取になれる確率となるが、あくまでも数字の平均であって個々では関取になれる確率は大きく違ってくる。入門時の横綱ほどの身体能力や気持ちがあれば、関取に上がる確率は90%を超えるであろうし、運動経験もなく身長体重の基準をクリアしただけの新弟子にとっては、昇進の確率は1%以下となってしまうこともある。ただ、どちらも100%ではないし0%ではないところに、面白さはある。
平成20年5月20日
今場所前相撲で出世披露をおえた朝山下、朝稽古では兄弟子の胸を借りてぶつかり稽古も始めている。まだまだぶつかっても兄弟子はびくともしなく、はね返され、何度もぶつかり、転がされている毎日だが、そんな朝山下の姿を今日は大阪から仕事で出てきたおとうさんが見守っていた。お父さんは徳之島出身の落語家桂楽珍さんである。
平成20年5月21日
入門1年半の朝酒井、188cm160kgの巨体を利して番付を上げてきたが、先場所は三段目昇進の壁にはね返され2勝しかできなかった。出ていく馬力はあるが、大きいゆえに腰高とか脇が甘いとかの欠点もあり、中に入られると苦しい展開となる。稽古では、立合いの突き放しから突っ張りを繰り返すが、なかなか思うようには取れない毎日である。それでも今日は取り直しの相撲で、若い衆では唯一の勝ち越しを決めた。突き放しや突っ張りが身につけば、三段目はすぐだし、その上へもどんどん登っていけるのだが。
平成20年5月22日
突き放しは難しい。腕を伸ばさなければならない。いっしょくたに「突き押し」というが、押してしまうと突き放せない。「押し」は体を相手に密着させないと押せないが、「突き」は相手と離れないと突っ張れない。同じように思えるかもしれないが、間合いが全く違う。「押し」は下から押すのが有利だから、重心を低くして押さなければならないが、「突き」は「上突っ張り」という言葉もあるように、背の高い力士が上から突き下ろすのもかなり威力がある。横綱曙の突っ張りがいい例であろう。だから重心が高くても構わない。というか、重心が高いほうがより有効かもしれない。
平成20年5月24日
若松部屋当時、ホームページを見て入門したいと電話がかかってきた。およそ力士には不向きな体格であったが、おりよく第2検査が始まった年で、無事新弟子検査にも合格した。小さいながらも運動神経抜群とか闘志溢れるとかいうことも全くなかったが、雨の日も風の日も休みの日もコツコツと地道に四股やトレーニングや雑用を繰り返してきた。体重も最高98kgまで増やした。今日の一番で約7年間の力士生活を終えることとなった。ご苦労さまでした朝翔冴。
平成20年5月26日
世の中には自分と似た人が3人はいるという。昨日の千秋楽打上げパーティーで断髪式を行った朝翔冴、ちょんまげがついている時から名古屋の相撲ファンの一人に似ているともっぱらの評判だったが、断髪してよかたになった君塚裕一君、本当に件の相撲ファンに瓜二つである。その元朝翔冴こと君ちゃん、都内で左官屋として就職する。第2の人生も修行の道である。
平成20年5月28日
引退して半年がたった。ほぼ100kgあった体重が10kgほど落ち、80kg台になった。もともと少し無理して食べて体重を維持していたので、丼2,3杯食っていたご飯を軽く1杯だけに減らしただけである。あと大きく変わったのは稽古をしなくなったことである。3サイズは、115,115,110くらいだったが、それが105,100,105くらいになった。昨年の九州場所でボタンがしまらなかったGパンがベルトを締めないとずり落ちてしまうようになった。オーダーメイドのジャケットがかなり大きくなった。
平成20年5月29日
半年たった自分の体の変わりようをみて、つくづく相撲は全身運動だと感じる。引退前は、そんなに激しい稽古をしていたわけでもないが、四股や鉄砲などの準備運動からぶつかり稽古や一日10番ちょっとのあんまが、それなりの筋肉を保っていたようで、肩や腕、胸などはみるみる小さくなってしまった。首も細くなり埋もれていた分が出てきて多少長くもなった。また、マワシを取ったり押したりするのに使っていたのであろう、指の太さや手の厚みも目に見えて変わった。
平成20年5月30日
脚は、散歩をしたり駅の階段を上り下りしたりで衰えさせないよう心がけているが、自転車に乗ると骨があたる感覚が出てきて、やっぱりお尻の肉は落ちているのだと感じる。裸足で土俵に下りることがなくなったから、足の裏の皮の厚さやひび割れはかなり薄くましにはなったが、まだ完全にはなくなっていない。当たり前だが、稽古始めの頃の全身の筋肉痛や大きな疲労感はなくなったが、稽古後の心身の充実感や清々しい感覚もなくなってしまった。
平成20年6月2日
場所後一週間の休みも終わり、今日から稽古再開。5月場所初土俵を踏んだ朝山下と朝高橋は今日から相撲教習所。場所後の休み明けから番付発表までの間、3週間から4週間ずつ国技館内にある教習所に通う。3場所、約半年通って卒業となる。幕下以下の力士が何人か指導に当たるが、今場所からその指導員に朝ノ土佐が就任。二人のお目付け役という所である。
平成20年6月3日
引退してしばらくは諸事に忙殺されて稽古はもちろん運動も殆どできなかった。もともと20代の頃に首を痛め、40歳ころから坐骨神経痛などもあったが、疲れが溜まるとしびれ等の症状が出るくらいで、あまり気にもならなかったが、だんだんと日常生活でもしびれを感じるようになってしまった。そこで、四股や鉄砲や散歩などを再開した。朝食も摂るようになった。症状はかなり改善された。一生つづけていくことになるであろう。四股の、身体の、変化を感じていくのもこれからの楽しみでもある。
平成20年6月4日
ロサンゼルス巡業へ出発。7日(土)8日(日)とロサンゼルス・メモリアル・アリーナにて行われる。海外巡業は付人もついてはいくが、予算の関係もあって人数が激減するので仕事も多く、海外へいける嬉しさがある反面、何度か行くと、できれば日本でのんびりしたいという気持ちも確かにある。
今回の巡業には 当初塙ノ里が付人としていく予定であったが、取組で怪我をして、急遽神山が代役となった。 この間、予定もあったらしい神山「ロサンゼルス行きたくなくてわざと怪我したんじゃないか、ロス疑惑だ!」と叫びつつ機上の人となった。10日帰国の予定。
平成20年6月5日
ロサンゼルス巡業へ行かず日本に残り番の力士、怪我人も多く稽古を出来る人数も少ないので、昨日から錦戸部屋へ出稽古。平成14年12月に独立した錦戸部屋、当時高砂部屋に内弟子として入門した新弟子も兄弟子となり、 銀閣山は来場所から新幕下として土俵に上がれそうである。
平成20年6月6日
相撲教習所通いが始まった新弟子の朝山下と朝高橋、下駄をカロンコロン鳴らしながら国技館へ通う毎日である。午前7時からマワシを締めて実技があり、ここで四股やまた割り、すり足などの基本動作を学ぶ。そのあと学科の授業を受けて掃除してお風呂に入り食事して、という一日である。
今まで運動経験の殆どない朝高橋、また割りや四股や蹲踞に苦労しているようである。一方、朝山下の方は実技の方はそれなりにこなしているようだが、食事が最も苦しい時間だそうである。
凸凹コンビの修行は始まったばかりである。
平成20年6月9日
相撲教習所の授業は、実技のあと毎日50分行われる。月曜日から木曜日までは「相撲の歴史」「一般社会」「書道」「運動医学」をやり、金曜日は 「相撲甚句」と「力士修行心得」を隔週で、となっているそうである。講師は、筑波大学名誉教授や元横浜国立大学教授、江戸東京博物館館長とそうそうたる面々である。「相撲甚句」は伊勢ヶ濱OBの元国錦さんが、「修行心得」は大山親方が講師を務めている。
平成20年6月12日
授業が終わると、掃除や食事をして最後にまた集まって注意事項を聞いて部屋に帰る。12時半ころに国技館を出て部屋へ帰りつくのが1時頃である。食事は日替わりでメニューが決まっていて「とんかつ」「魚」「スキヤキ」「カレー」「メンチと野菜の串揚げ」となっているそうである。おかずは一皿ずつだが、ご飯はおかわり自由らしい。もちろん残すことは許されなく、指導員が目を光らせているそうで、食が細い朝山下には稽古よりも苦しい時間となっている。
平成20年6月14日
最後に集まった時にみんなで相撲錬成歌を歌って帰る。相撲錬成歌とは、相撲教習所の校歌のようなもので、作詞は元呼出し永男(のりお)の福田永昌さん。元栃錦の春日野理事長が相撲甚句つくりの名人の永男さんに頼んでできたそうだが、何度か駄目だしをくらい、なんども練り直した文句だそうで、今の歌詞が出来た時は春日野理事長も「おお、これだ!」と感嘆したそうである。
春日野理事長と呼出し永男さんの大相撲へ熱き思いがこもった名歌である。
平成20年6月18日
毎年6月恒例の茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿稽古。16日に下妻に入り、17日から19日までの3日間境内の土俵で朝稽古が行われる。平成13年若松部屋時代に東関部屋と合同で行われたのが最初で、翌14年からは高砂部屋合宿として毎年行われ、今年で7年目である。18日夜には八幡宮近くの温泉施設ビアスパークで歓迎のバーベキュー大会。270名になるという奉納相撲保存会の会員の方々と懇親を深め、抽選会や記念撮影などで楽しんだ。
平成20年6月22日
先発隊5人(松田マネージャー、大子錦、塙ノ里、朝久保、朝酒井)名古屋場所宿舎の蟹江龍照院入り。毎年お世話になっている鈴木さんに迎えに来てもらい1年ぶりの蟹江へ。部屋の中の荷物を出して畳を敷いてバルサン焚いてと大掃除。雨に降られ、埃と汗と雨にまみれながらの作業である。ひと通り終え、蟹江尾張温泉で汗を流し、鈴木さん夫婦と晩御飯。朝酒井のえびすこに鈴木さんの奥さんもビックリである。
平成20年6月23日
ちゃんこ道具や冷蔵庫などをひっぱり出して洗い物。朝から少し晴れ間も出たから作業もはかどる。先発隊にとって天気が崩れないことは、仕事をすすめるための必要条件である。土俵築のため、呼出し利樹之丞と邦夫も蟹江入り。
平成20年6月25日
幟立て。毎年、稲沢市の浅井造園さんが立ててくれ、宿舎龍照院の境内や蟹江町内に17本の幟を立てる。引退した高稲沢をスカウトして入門させた浅井さん、最近も近くのお風呂に行ったら、ちょっと年はいってるがかなり大きい人が入っていて、「すいません、お宅大きい子供さんとかいませんか」と声をかけたら、大鵬部屋の元おすもうさんだったそうである。
平成20年6月26日
浅井さんの紹介で入門した高稲沢は引退後地元愛知県に戻り、朝迅風と一緒に介護の仕事に就いている。元おすもうさんが介護の仕事をしているということで、地元のマスコミにも度々取り上げられていて、先日もTVで特集されたそう である。付人経験といい、力仕事といい、元おすもうさんにはもってこいの仕事ではなかろうか。
平成20年6月27日
引退後も相撲協会に残れるのはごく一部の力士のみだから、引退後の仕事探しと言うのは昔からある問題である。いままでは、各個人や部屋にまかされていたが、それを相撲協会全体で支援しようと言う取り組みが始まった。25日付けの日刊スポーツによると、「第2の人生への支援センター」が活動を開始したそうで、無料でビジネスマナーやパソコン講習、適性を探るカウンセリング、就職先の紹介をするもので、過去に引退した力士も対象となるそうである。
平成20年6月30日
7月名古屋場所番付発表。先場所前相撲の朝山下と朝高橋が初めて番付に四股名を載せる。下から3番目の序ノ口東39枚目と下から4番目の西38枚目。序二段神山が改名、本名の笹川に戻す。
平成20年7月1日
名古屋場所へ向けての稽古始め。8時半過ぎより、師匠や横綱、全力士が土俵を囲み、木村朝之助による土俵祭。土俵祭終了後久々に朝之助伝統の「ツヨクナレ!!」もでた。お神酒で使った一升瓶を「強くなれ!」と叫びながらおすもうさんに振りかけ気合を入れる。主に新弟子二人にかかったようだが、効果があるかどうか。報道陣や観客も少なめで、静かな稽古始めとなった。
平成20年7月3日
現役時代より圧倒的に第2の人生のほうが長い。力士としての経験が、また鍛えた体力や大きな体が活かせる仕事なら、向いている仕事といえることであろう。現役時代200キロ超の体重を誇った福寿丸、引退後は警備の仕事に就いていたそうだが、その後転職して大型冷凍庫の中で フォークリフトにのり荷を動かす仕事をやっているそうである。尋常でない暑がりだった福寿丸だが、さすがに防寒服を着ての作業だそうである。けっこう適職かもしれない。
横綱と朝赤龍、春日野部屋への出稽古。
平成20年7月6日
宿舎のお寺龍照院境内でちゃんこ会。地元の方々との交流を深める会で、以前は町役場で行っていたが、昨年から龍照院境内でおこなっている。暑すぎるほどの好天に恵まれ、稽古場にも観客が溢れ、境内のちゃんこにも長蛇の列。用意した大鍋2つの300食のちゃんこもまたたく間に完食。日曜日で子供連れも多く、もちつきや写真撮影にも興ずる。
朝赤龍は春日野部屋への出稽古。横綱は部屋での調整。
平成20年7月8日
龍照院境内でのちゃんこ会の時、蟹江名物のあめ玉も販売されて人気を博していた。先日の中日新聞の記事でも紹介されていたアメで3種類あったそうだが、今度のちゃんこ会にあわせて『白星あめ』が新発売となったそうである。・・どきょう一番まったなし・・ “塩で心清める○白星あめ”大相撲名古屋場所とあり、取組のイラストもかわいい。勝越しにちなんで、8個入りで100円となっている。
平成20年7月9日
琉球大学の同級生で、ヒヤ小林というフリーのアナウンサーがいる。その同級生がこの度 『一ノ矢 土俵に賭けた人生』という本をダイヤモンド社より出版することになった。明日7月10日の発売。
平成20年7月10日
場所前恒例の激励会。いつもの名古屋城近くのウエスティンナゴヤキャッスルホテルにて6時半より開宴。300人近くのお客様が集まり、名古屋場所での高砂部屋の活躍を祈願。横綱と朝赤龍もお客様との記念撮影やサインで交流を深め、舞台上で名古屋場所へ向けての決意を力強く語った。地元で介護の仕事で頑張っていて、TV等にも度々取り上げられている朝闘士と高稲沢もお手伝いに参加。顔なじみのお客様とも旧交をあたためていた。
平成20年7月11日
横綱、部屋での調整。まだ少し足首の違和感はあるようなものの、四股、すり足、テッポウ、ゴムを足首につけて後ろから引っぱらせてのすり足と、基本動作を繰り返し、身体の感覚を呼び覚ますような動き。近くで見ていると、インナーマッスルを使って身体を動かしているのがよく感じられる。土俵を取り囲んでいる観客も、その動きの美しさに一挙一動を見つめていた。
その横綱、初日の相手は豊ノ島。
平成20年7月14日
2日目が終わり、幕下以下も全員一番取りおえる。今場所から初めて序ノ口の土俵に上がっている朝高橋と朝山下、ふたりとも黒星でのスタート。今日土俵に上がった朝山下は大阪から両親が駆けつけ土俵を見守るが、残念ながら白星を飾ることはできず。ただ、今年3月の入門前の細い体のことを思うと、横綱が相撲を取るのと同じ土俵で相撲を取れることには感慨深いものもあるのではないか。勝った喜びは次回の観戦までお楽しみというところであろうか。
平成20年7月15日
序ノ口の朝高橋初白星。先場所前相撲でも唯一勝った相手で、その同じ相手と明日は朝山下が対戦する。稽古場でもどっこいっどっこいの二人、先に勝って余裕の朝高橋に、朝山下も「高橋が勝った相手には俺も絶対勝ちますよ!」と豪語したが、周りから冷やかされて、もし負けたら同期生だが5歳年下の朝高橋に一日敬語を使うこととなった。
一応朝山下も、前相撲で唯一勝った相手ではある。
平成20年7月16日
ちゃんこ長大子錦、今場所初白星。というか、先場所7戦全敗で、3月場所も最後2連敗で負越しているから、3月場所の10日目以来の白星である。じつに10連敗中であったが、さすがに大子錦、過去にも一度あったらしく2度目の10連敗だそうである。なかなかない記録かもしれない。
朝山下も初白星。朝酒井2連勝で、三段目昇進が濃厚となる勝越しまであと2勝。
平成20年7月17日
師匠が本を出すことになった。題して『親方はつらいよ』(文春新書)横綱のこと、騒動のこと、指導のことなどを赤裸々に語っている。7月20日発売。
平成20年7月18日
横綱、肘を痛めて今日から休場。痛めた肘を固定した状態で、とうぶん治療に努め夏巡業から再起を期すことになるようである。幕下朝ノ土佐3連勝。
平成20年7月20日
中日名古屋場所折り返し。3時過ぎお茶屋さんに用事で体育館へ行ったが、猛暑にもかかわらず地下鉄市役所前駅を降りると相撲見物にいくお客さんが切れ間ない。すでに切符も完売で、日本語と英語で売り切れましたを繰り返し放送している。日曜日とあって子供連れの家族も多く、子供達が嬉々として相撲場に向かっているのを見ると、こっちも嬉しくなってしまう。
4連敗だった朝赤龍、4連勝で星を五分に戻す。
平成20年7月21日
海の日。生命の母なる海は、その大きさからも四股名にもよく使われる。現在の番付にも千代大海、黒海、土佐ノ海とあるし、過去にも北勝海、三重ノ海、栃ノ海、玉の海、安藝ノ海、西ノ海という横綱にも名前を連ねる。その海の日に、神山改め笹川と 朝道龍が勝越し。今場所改名の笹川、勝越すと「お!改名効果か」と言われるが、10年以上もおすもうさんをやっていると、その褒め言葉も若干冷やかしになってしまう。冷やかされようが何しようが嬉しい勝越しである。
はなちゃんこと朝道龍も5場所ぶりの勝越し。
平成20年7月22日
序二段15枚目の朝酒井勝越し。番付からみて、まず来場所の三段目昇進が確実である。昇進すると、久しぶりの新三段目となる。幕下48枚目の朝ノ土佐も早々の勝越し。もう一番勝てば自己最高位更新間違いなしである。
平成20年7月24日
朝赤龍、4連敗のあとの見事な8連勝で勝越し。三役陣の成績にもよるが、来場所の関脇復帰も見えてきた。大子錦、物言い取り直しの末、行司軍配差違えでの嬉しい勝越し。弓取り男女ノ里も勝越し。朝道龍、きのうの朝ノ土佐、朝酒井、笹川につづいての5勝目。休場の横綱の分まで補う好成績の名古屋場所である。
平成20年7月26日
3勝3敗で最後の相撲を迎えた朝奄美と輝面龍、ともに敗れて勝越しならず。勝越し力士、負越し力士は同数となったが、勝越し力士に大勝ちが多いので、勝率5割は大きく上回っている。その大勝力士の中でも幕下の朝ノ土佐、6勝1敗の成績で明日の千秋楽の土俵8人での優勝決定戦に臨む。
平成20年8月2日
地元の須成祭り。500年近い伝統があるそうで、毎年8月第一土曜日曜に行われるため今までは見ることができなかったが、今年は名古屋場所が一週間遅かったおかげで初めて歴史あるお祭りを見ることができた。ちょうちんで飾った船が蟹江川をゆっくりと上っていく様は幻想的でもある。圧巻は、須成公民館の前の橋が跳ね橋になっていて間を船が通り、それを花火が彩る。年一回、お祭りの為だけに上がる橋は全国でも珍しいそうである。信長の頃からつづいているお祭りだそうであ
平成20年8月6日
連日の猛暑だが、巡業組は札幌での巡業。このあと東北、北陸とまわって17日に帰京する。東京残り番は、相撲教習所通いの朝山下と朝高橋に指導員の朝ノ土佐、それに大子錦と朝酒井の5人。教習所に3人出かけると、残るは大子錦と朝酒井の二人だけになってしまい、来場所新三段目が確実な朝酒井には稽古にならないので、朝酒井も教習所での出稽古。
来春入門希望の新弟子候補も3人体験入門に来ていて、教習所の稽古見学に同行していて賑やかな教習所通いとなっている。
平成20年8月7日
相撲教習所の稽古は、実力によってA・B・Cの3班に分かれている。C班は殆どが相撲の素人で、中には運動経験のない子もいる班になる。朝山下も朝高橋も、もちろんC班である。逆にA班は、高校や大学での相撲経験者が揃い、申し合い稽古を行っている。B班は、その中間の集まりとなる。
最初B班に参加した朝酒井、はじめの一番こそ負けたもののその後は勝ち続け、すぐにA班に昇格となったそうである。さすがにA班では勝てないそうだが、たまにはめをだすこともできて、いい稽古になっているようである。
平成20年8月10日
毎夏恒例の相撲部屋開放が行われ。高砂部屋にもさいたま相撲クラブの小中学生が参加。朝ノ土佐、大子錦の指導のもと相撲健康体操を学び、高砂親方に胸を借りてぶつかり稽古と、今日まで3日間汗をながす。最終日の今日は、稽古終了後にみんなでちゃんこ。
普段さいたま相撲クラブで子供達に相撲を教えているのは高砂部屋OBの元攻勢力の角田氏である。
平成20年8月13日
オリンピック花盛りだが、他の競技を見るのは面白いし興味深い。身体の使い方、重心の位置、筋肉のつき方、試合に臨む表情、試合中の表情、あたりまえのことだが相撲に通ずるものがある。やはりどの競技でも、早くかつ速く、強くかつ柔らかくが求められ、レベルが上がれば上がるほどより合理的な動きが勝敗を決める。女子柔道上野の、決勝に臨む前の集中しつつもクールに落ち着いた目も印象的であった。
平成20年8月14日
水泳のスタートを初めて相撲の立合いと比較して見てみたが、同じスタートでもかなり違って面白い。水泳でもクラウチングスタートいうそうだが、陸上の短距離のスタートのように足を前後に開いて合図とともに飛び込む。ただ、前足は足裏をかかとまでつけたままだが、後ろ足はかかとを浮かしてつま先立ちになる。実際TVで見たのもそうだったように、腰を後ろに引いてから弾みをつけて飛び出す。ここが相撲の立合いと一番違うところである。
平成20年8月15日
水泳のスタートは、なるべく遠くへ飛んだほうが有利だからなのだろう。スタートの解説にも、タイミングは遅れるが飛距離・推進力を得るには適しているとなっている。少々飛び出すタイミングが遅れても、いったん腰を後ろに引いて反動をつけたほうが、より遠くへより強く飛び込めるからであろう。
しかしながら、相撲の立合いは、70cmという仕切線の向うに相手がいて、相手も当たってくるから腰を引いて反動をつけていたのでは遅くなってしまう。
平成20年8月19日
再度スタートと立合いの話に戻る。双葉山の立合いを見ると、強い当たりという立合いには程遠い。強く当たることはないが、どの取組をみても確実に右足を一歩踏み込んでいる。ちょっと立ち遅れたと思っても半歩は踏み込んで、下がりながら自分の体勢になっている。腰がまったく崩れない。
そういう双葉山の立合いを繰り返し見ていると、相撲の立合いは、水泳や陸上の「ヨーイドン」のスタートとは違う、やはり“立合い”なのだなと思う。
平成20年8月20日
何度もビデオを見て、何度か書いているが、双葉山の立合いは強く踏み込まない。スッと一歩か半歩右足を出すだけである。下がっても踏ん張らない。足を小刻みに動かし氷の上を滑るようである。前に出るときも土俵を蹴らない。逆に足を浮かす感じである。すべて腰(腸腰筋や横隔膜などのインナーマッスルを含む腰腹部)を使って身体を動かしているからこそであろう。そういう観点で、立合いや四股を考えてみると、その本質が見えてくるのではなかろうか。
平成20年8月21日
人間の重心というか中心は腰腹部にあるから、腰腹部にある腸腰筋や横隔膜や股関節などのインナーマッスルを使って身体を動かすと、ぶれなく早い安定した動きができるのであろう。
腰腹部を中心にして足を吊り下げるように使うから、少しの踏み込みでも相手の当たりを受け止め、下がっても足を滑らすように動かし、前に出るときも足を浮かすような出足になるのであろう。
平成20年8月22日
横綱に山形県酒田市の東平田小学校の子供達から、感謝と激励のお便りが届いた。20年前から毎年相撲大会を開催しているようで、その大会に横綱が応援メッセージを送ったことに対する御礼である。相撲大会は、立派な土俵で化粧回しや横綱土俵入りも行い、装束を着た行司(行司も小学生)が取組をさばくという本格的な大会である。6月19日付けの山形新聞でも大きく紹介されたそうである。
平成20年8月28日
狂言に蚊相撲という演目がある。大名が相撲取りを雇うことにして太郎冠者(従者)に探しに行かせると、連れてきたのが実は蚊の精で、その蚊の精と大名が相撲を取るという話である。蚊と大名の相撲というのが面白いが、狂言には相撲物も多く、文相撲とか唐人相撲という演目もあるそうである。今日から土俵築。
平成20年8月29日
午前8時前から土俵築。地方場所の稽古場には俵を入れるが、東京の部屋の稽古場は俵を入れずに土俵の中を浅く掘ってお皿状にした皿土俵と呼ばれる土俵となる。高砂一門の伝統らしく房錦の先代若松部屋の頃から皿土俵であった。皿土俵だと、本場所にいったときに土俵際で残りやすい(皿の縁より俵の方が高くしっかりしているから)とか、俵にぶつけての怪我がなくなるとか、夏場は俵だとすぐに腐ってしまうのを防げる、などの利点があると謂われている。
平成20年8月30日
土俵を作り直すには、まず表面の砂をきれいに取り去って土俵を掘り返さなければならない。おすもうさんがクワで掘り返す。東京の稽古場は、荒木田と呼ばれる土俵作りに最も適した土なので、クワも入りやすい。また、固めるのにも固めやすい。もともと、荒川区町屋尾久辺り隅田川沿いの荒木田ヶ原でよく採れたことから荒木田というそうである。(現代書館『相撲大辞典』金指基著による)
平成20年9月1日
9月場所番付発表。朝赤龍が5月場所以来の小結返り咲き。その朝赤龍とは明徳義塾で同級生の朝ノ土佐、先場所幕下優勝決定戦にでる好成績で自己最高位の21枚目まで躍進。朝酒井三段目昇進。ただ、憧れの雪駄が履けるようになるのは、一場所三段目に残ってからである。序ノ口の朝高橋と朝山下、先場所1勝と3勝と負越したものの押し上げで番付を少し上げる。
平成20年9月2日
稽古の途中、午前8時半より土俵祭。土俵の砂を集めて山に盛り、下辺を五角形にかたちつくり、砂山に御幣を刺し祭壇として今場所の安泰を祈願する。祭主を務めるのは4代目木村朝之助である。御幣は毎日の稽古終了後にも土俵中央に砂をあつめ山とし立てるが、その御幣も毎場所土俵祭ごとに行司さんが奉書と紅白の水引で手作りしたものである。
平成20年9月4日
四股はインナーマッスルすなわち深層筋を使えるようにするための運動だと度々書いているが、深層筋は体の奥深くにあるだけにそれを感じることさえも難しい。小さい動きのほうが感じやすい。イスに座って足裏を床につけ、足裏を床から離さずに大腿骨だけをゆっくり上げてみる。そのとき、太腿の前の筋肉は使われずに、股関節の付け根からお腹の中にかけての筋肉が使われているのを感じることができるだろう。これが深層筋である。
平成20年9月6日
深層筋については、能楽師である安田登氏の著書に詳しい。能のゆったりした動きや謡(うたい)は、深層筋を活性化する、深層筋を使わなければできない動きや発声だそうで、それゆえ能楽師は、60代で中堅、さらに70歳、80歳、90歳となっても現役で舞台を務めているそうである。
平成20年9月7日
安田登著『能に学ぶ身体技法』(2005年ベースボールマガジン社)によると、能は600年以上も前室町時代に観阿弥・世阿弥によって完成され、江戸300年間、武士による武士のための芸能として伝えられてきたそうである。舞はまさに武に通じ、武士としての立ち居振る舞い、言葉遣い、精神、儀礼などを能によって磨いていった。
昨日6日、毎年9月場所前に行われる本所高砂会。今年で13回目となるようで、横綱もカラオケで熱唱し地元の方々との懇親を深めた。
平成20年9月8日
昨日7日、今年11月場所を最後に定年となる特等床山「床寿さんの定年を祝う会」がグランドプリンスホテル高輪にて行われ全国から関係者やOBが駆けつけ、50年に亘る床山人生の労をねぎらった。相撲甚句会の先生である床寿さんの弟子たちによる甚句が宴を盛り上げ、床寿さんも若い頃に出した持ち歌『晴姿櫓太鼓』を披露し盛会となった。
平成20年9月11日
安田登氏の著書によると、武士は普段の生活の中でも深層筋を使わねばならぬ理由があったそうである。大小2本の刀のためらしい。かなりの重さの刀を腰に差して歩くのには、深層筋を使ったすり足が必要だったという。日々の生活や能が深層筋を活性化させていったのである。
東京場所前恒例の綱打ち。純白の横綱が出来上がり、初日に向け横綱も順調に稽古を重ねている。
平成20年9月12日
引き続き安田登氏の著書からの引用だが、スポーツ界で大腰筋(だいようきん)が注目されるようになったのは、筑波大学の久野助教授が400mの高野進選手と筑波大学の陸上部の選手をMRIで比べて見たことによるらしい。結果、他の筋肉には違いがなかったのに、大腰筋が2倍以上もあったそうである。先日の北京での驚異的な世界新記録の感動も冷めやらない100m。トップアスリートは日本選手のさらに倍の大腰筋の太さだそうである。
平成20年9月13日
土俵祭が行われ、触れ太鼓が初日の取組を告げる。「朝青龍には 把瑠都じゃんぞーえ」「白鵬には 朝赤龍じゃんぞーえ」部屋の関取衆が呼び上げられると拍手する。いつもならお昼頃に触れ太鼓が来るので居合わせるのも若い衆だけだが、今日は10時半頃と早かった。横綱と朝赤龍も、ちょうど風呂から上がりちゃんこを食べ終えたところでの触れ太鼓。結び前と結びに高砂部屋両関取が呼び上げられると、横綱が大きな拍手と共に拳を突き上げての気合の雄叫び。
呼出しさんもさぞや 呼び上げがいのあったことであろう。明日が初日。
平成20年9月17日
昭和30年に時事通信社から刊行された『相撲五十年』(相馬基著)という本がある。「20世紀勝負50年シリーズ」と銘打って野球や庭球、拳闘、柔道などのスポーツの半世紀の歴史や秘話を書いたシリーズの相撲編である。著者は、東京日日新聞(現毎日新聞)記者で相撲評論家、明治大学在学中は相撲部監督、応援団団長で学生界の異彩であった、とある。明治の横綱小錦から戦後の蔵前国技館建設までの50年が綴られているが、50年の間に何度も大相撲存亡の危機があり、戦中戦後の大混乱期でも年2回の本場所を休まず開催しつづけた先人の労苦や情熱には、ただただ頭が下がる思いがする。
平成20年9月18日
『相撲五十年』より戦時下の大相撲を紹介する。19年1月は国技館で開催されたが、場所後に軍に国技館が接収。9月場所は後楽園球場で晴天10日間興行、6万人の大入りだった。翌20年の1月場所は11月に繰り上げて同じく後楽園で晴天10日間。幕下以下は明治神宮外苑相撲場、空襲を避けながらの開催。20年3月に東京大空襲で両国界隈も焼土化、相撲部屋もほとんどが焼け出されてしまう。20年5月、穴があいて陽が差し込む鉄傘下で非公開の7日間。
「人が一人も来なくとも、力士は真剣に土俵をつとめた」とある。
平成20年9月19日
終戦となり力士たちも少しずつ両国へ戻り、11月5日に番付発表。ザラ紙に印刷された番付だった。11月16日から、一尺(30,3cm)広がり16尺になった国技館の土俵にて晴天10日間の興行。双葉山が引退し、新弟子入門ももちろんなく序ノ口もいなかった。場所後に国技館はGHQに接収。21年は春場所が京都で10日間、夏場所は6月に大阪で11日間の興行。
序二段朝久保が3連勝、場所後には故郷高知県安芸市での巡業がある。
平成20年9月20日
秋場所はメモリアル・ホールと名前を変えた国技館で13日間。普段はアイススケート・リンクになっていたので、大部分がイス席の観客席となった。以後メモリアル・ホールは使用禁止となり、22年夏場所は占領軍との難交渉の末明治神宮外苑で晴天10日間の興行。秋場所も神宮外苑での11日間。占領軍との交渉にあたったのは後の理事長となる元前頭出羽ノ花の武蔵川親方だった。
輝面龍と塙ノ里、3勝目で勝越しに王手。
平成20年9月21日
23年も神宮外苑での開催。横綱羽黒山に東富士、千代ノ山と相撲人気は高まってきたが夏場所は梅雨に悩まされ客入りは伸びなやんだ。雨の日でも興行できる相撲場が切望された。元出羽ノ花の武蔵川親方と元幡瀬川の楯山親方の奔走で浜町公園のグランドに仮設の相撲場を建設できることになった。
平成20年9月23日
浜町公園は都営であったが、戦後管理していた新田建設が相撲協会とも縁があり、1300万円の工費後払いということで建設できた。秋のはじめに計画し、急ピッチで工事が進行して暮には完成。24年1月12日より、晴雨に拘わらずの春場所が開催された。相撲茶屋に一定の桟敷(桝席)を渡して強制的に売り歩かせた。武蔵川、楯山の両親方も浜町、築地、新橋、柳橋、浅草、赤坂と料亭などをまわり頭を下げた。初日以来盛況となった。
横綱今日から無念の休場。昨日の相撲で輝面龍、朝久保勝越し。
平成20年9月25日
公有地であり仮設でもあることから浜町相撲場は一年限りで、また新しい場所を捜さなければならなかった。ところが、いろいろ調べたら戦前に協会債を発行して買入れた土地が蔵前にあることがわかり驚喜した。運よく隅田川花火大会が再開されることになったので、解体した仮設の材料を買い取ってもらった。24年10月に地鎮祭を執行し、25年から2か年4場所は仮設で興行して資金を蓄え、本建築という予定をたてた。
塙ノ里、朝道龍勝越し。
平成20年9月26日
現在、相撲博物館では常陸山谷右衛門展が開催されている。常陸山は明治時代に梅ヶ谷と共に「梅常陸時代」を築いた大横綱で、”角聖”と称された。引退後も年寄出羽ノ海として小部屋だった部屋を番付の半分を占めるほどの大部屋に発展させた。
朝道龍5勝目。勝ったあと興奮冷めやらず、ひょっとこ口をつき出したまま勝名乗りを受け、花道を下がっていった。
平成20年9月27日
『相撲五十年』(相馬基著・時事通信社)にも常陸山の話が詳しくでている。水戸の生まれで、祖父は水戸斉昭卿(第9代水戸藩主、徳川慶喜の父)自慢の家臣で剣道指南役を務めた由緒ある家柄という。明治24年春に18歳で同郷の出羽ノ海運右衛門の下に入門。出羽ノ海は、前名を常陸山といって高砂部屋所属で現役でもあり年寄でもあるという二枚監察であった。その師匠出羽ノ海の、いわば内弟子として御西山(おにしやま)という名で高砂部屋から初土俵を踏んだ。
チャンコ長大子錦3勝3敗で勝って2場所連続の勝越し。
平成20年10月2日
千秋楽表彰式が終わると、その場所の新序出世力士による手打式が行われる。前相撲を取った新弟子がマワシ姿で土俵に上がり、呼出しの柝(き)に合わせ手締めをやる。そのあと行司さんを胴上げすることになっているが、今場所は新弟子が3人と少なかったので、係りの呼出し邦夫らも手伝っての胴上げとなったそうである。胴上げは、新弟子が非力だったのか、脚が少ししか上がらず頭から落ちそうになって烏帽子が逆さになるほどだったらしい。ちょっと恐い思いをした4代目木村朝之助であった。
平成20年10月5日
再び常陸山に戻る。梅常陸時代を築き、年寄出羽ノ海としても御大、角聖と称された常陸山だが、入門時はそれほど期待される新弟子ではなかった。ただ、初代高砂浦五郎だけは、あの眼つきはただ者じゃないとほめたという。初土俵から3場所目に番付に名前をのせ、入門4年目22歳で幕下に上がった。この頃からようやく有望力士と呼ばれるようになったが、師匠の姪との恋仲を裂かれ、新幕下の場所を負越し、巡業中にスカしたそうである。
明日の花相撲終了後に平塚へ出発し、7日8日と平塚合宿
平成20年10月6日
明治神宮の全日本力士選士権を終えて夕方5時半に迎えのバスにて平塚合宿に出発。宿泊先の平塚市運動公園内の研修所に入り、荷物を部屋に置いて朝酒井の実家の中華料理店で夕食。明日、明後日運動公園内の土俵にて稽古。明日の稽古終了後には、ちゃんこの振る舞いもある。
平成20年10月8日
昨日、今日と平塚市総合運動公園内の土俵にて稽古。若松部屋時代からすると今年で15年目となり、平塚市民にもすっかり浸透して稽古を見守る見学客も数多い。地元平塚の朝酒井がぶつかり稽古で何度も転がり、全身砂まみれになってぶつかっていく姿に見学客からも「頑張れ!」と声がかかる。最後押し切ったときには大きな拍手が土俵を包んだ。帰り、江ノ島水族館でイルカショーを見学して帰京。見事なジャンプを見せたイルカ、体重が大子錦とほぼ同じであった。
平成20年10月11日
中高一貫教育でサッカー選手を育てるJFAアカデミー福島から中学3年生2名が体験入門。福島県双葉郡で寮生活をしながら、世界トップ10を目指せる選手を育成するため日本サッカー協会が06年4月から行っているアカデミーだそうである。明日、明後日の2日間、マワシを締め、ちゃんこ番も手伝い相撲部屋での生活を体験する。6つの部屋に分かれての体験入門だそうだが、高砂部屋には沖縄出身の金城君と大分出身の平川君がきている。両名とも、もちろんマワシを締めたことは今までに一度もないそうである。
平成20年10月14日
サッカーアカデミーの中学3年生、12,13日と二日間朝稽古に参加。さすがに全国から選ばれたエリートだけあって筋肉のバランスもいいし、いかにも運動神経に恵まれている。ただ体験入門に来るスポーツ選手全般にいえることだが、股関節が固い。また割りはもちろん伸脚も正しくできない。トレーニングでもストレッチはやるそうだが、とくに股関節を開くという動作はあまりないようである。骨格が固まる前のいまの時期にこそ早急に取り組むべきことであろう。
平成20年10月15日
伸脚は簡単そうでかなり難しい動作である。相撲式伸脚とでもいうのかどうか、伸脚は股割りと腰割りの間のような動作になる。まず四股を踏む時の基本姿勢、腰割りの姿勢をとる。股関節をしっかり開きお尻を締めて腰を前に入れ、上体を真っ直ぐに立てる。スネが垂直になるように足幅をとる。その姿勢から、さらに足を一歩開き、片脚を伸ばす。注意することは伸ばす足のつま先を天井に向け膝の裏をしっかりのばすことである。このとき曲げた脚のカカトを浮かさないようにしなければならない。お尻を後ろに逃がさないように、上体が前かがみにならないようにしなければならない。
平成20年10月16日
股関節が固く開かないと、どうしても膝が前に出てしまう。膝が前に出て腰を下ろそうとすると、お尻は後ろに逃げてしまう。お尻が後ろに逃げるからひっくり返りそうになり、上体を大きく前傾させてしまう。上体が大きく前傾するから重心を前にもっていきカカトを浮かせつま先立ちにならないとバランスがとれない。重心の安定とはほど遠い姿勢で、非常にバランスが悪い。立ち姿勢だからわかりにくいが、カカトを上げて相撲を取るということは、カカトのつかない伸脚と同じことではなかろうか。
平成20年10月17日
どうして股関節を開かなければならないのだろう。一般的には、怪我をしないよう柔らかくしなければならないという。確かに怪我防止ということもあるが、一番重要なことは、伸脚の例のように腰が入った正しい姿勢をとるためである。股関節が開かないとお尻が後ろに逃げてしまう。腰がひけてしまう。全身を使い合理的に力を出すために、股関節を開かなければならない。先発隊5人福岡入り。
平成20年10月19日
冷蔵庫やちゃんこ道具など一式を預けてある鳥栖の倉庫からトラック2台で引越し。チャンコ部屋となるプレハブや自転車10台などもあるため2往復しなければならない。力士数が減り先発隊も少ないので、やっさんの奥さんと知人、息子のケントと同級生にも手伝ってもらっての引越し作業。そのケント、九州場所の度に部屋に来て16年、ついに高校生になった。相撲界に入門するということにはならなかったが、九州場所のときには今年も高砂部屋の一員である。
平成20年10月20日
話が戻る。関節が固いと怪我をしやすいということは確かにあるが、柔らかすぎても怪我につながることがある。むしろ、柔らかすぎると大怪我につながる危険性がある。関節が広がり過ぎてしまって無理な体勢をとってしまうためである。大事なのは、骨格が正しい構造になるように関節が開くことである。正しい構造とは、力が加わる方向に対して一直線になることである。股関節、膝、足首が一直線上に乗らなければならない。
平成20年10月21日
股関節が固いと、腰を下ろしたときにお尻が後ろに逃げて膝が中に入ってしまい、股関節と膝と足首を結んだラインは「くの字」に曲がってしまう。 そこに自分の体重や相手からの圧力がかかると怪我につながってしまう。腰を割る、股関節を開くということは、正しい足腰のラインをとるためであり、正しいラインを取るためには腰(腸腰筋を主とした腰腹部)で脚や足のポジションをコントロールしなければならない。
平成20年10月24日
股関節から膝、足首へとつながるラインは、膝では内側を通る。足首は内くるぶしの真下、すなわち脛骨(スネの太い骨)の真下につながらなければならない。そして足先は親指のつけ根へとつながっていく。腰が完全に割れなく、つま先に重心がかかりすぎたり、表面の筋肉に力が入りすぎると、膝から直接つま先へつながってしまい、足首が外に逃げてしまうことになる。そうすると、膝や足首の怪我をしやすくなってくる。
平成20年10月26日
下関での巡業を終え、巡業組と東京の残り番だった力士も全員博多入り。巡業にでていた行司の木村悟志、山口県宇部市の出身で家族も下関の巡業を見に来ていたそうだが、うまく連絡がとれず帰りのバスが発車するときに窓からようやく顔を見つけただけらしい。話をする間もなかったのは残念だが、家族は一年ぶりに生で見る行司捌きを見て安心したことであろう。明日番付発表。
平成20年10月27日
11月場所番付発表。番付の昇降はその場所によって運不運が大きいが、9月場所勝越した力士にとっては運のいい番付編成となった。とくに5勝だった力士は予想以上の昇進で、普通なら上がるか上がらないかギリギリの位置だった塙ノ里、ケツに2枚もつく幕下58枚目まで昇進。
平成20年10月30日
股関節から足先までつながる話に戻るが、股関節から膝、足首、つま先へのラインは仕切りのときに確認しやすい。股関節がきちんと割れなかったり、無駄な力みがあったりすると、仕切ったときにカカトが外に逃げてしまい膝が中に入り腰が後ろに逃げてしまう。そういう力士はだいたい膝にサポーターを巻いていることが多い。
平成20年11月1日
双葉山の仕切り姿は美しい。股関節から膝、足へのラインはもちろん、その上に乗った上半身にもいささかの力みもなく、あくまでも自然体である。蹲踞もそうであるし、立ち姿も神々しさを感じるほどの美しさがある。運動科学者高岡英夫氏は、双葉山の立ち姿を無駄な筋肉を使わずに骨で立っていると絶賛してる。また、能楽師の安田登氏や胴体力で有名な伊藤昇氏も著書の中で双葉山の立ち姿の素晴らしさを述べている。
平成20年11月2日
骨で立つとはどういうことであろうか。高岡英夫氏が著書究極の身体で述べているように、脛骨(スネの太い方の骨)で体重を支えて立つことである。それによって足の絶妙な動きを可能にしスーパーパフォーマンスにつながり、また立つ、歩くという日常の動作でも無駄のない快適な動きになってくる。それは、精神的なゆとりややる気、生きていることの充実感を感じることにまでつながるのではなかろうか。それこそ究極のエコといえるのではなかろうか。
平成20年11月7日
昨日6日、場所前恒例の高砂部屋全力士激励パーティーがホテルニューオータニ博多にて行われた。九州高砂部屋後援会を中心としたお客様が集い9日からの九州場所での高砂部屋の活躍を祈願。前日5日にモンゴルから帰国した横綱もカラオケを披露して満場拍手喝采、今年からの新企画として高砂部屋特製のちゃんこ鍋も振る舞われ、高砂部屋グッズがあたる抽選会でも盛り上がり、最後は床寿さんによる相撲甚句で閉会となった。
平成20年11月9日
赤ん坊の頃より、というか生まれる前から、部屋に出入りしているやっさんの息子けんと。高校に進学して 相撲界入門はなくなったかと思われたが、みんな来て成道寺での生活が始まりだすと血が騒ぎ出したらしく、部屋に寝泊りする回数も増えてきた。何回か呼出しさんの土俵築の仕事を手伝っているうちに呼出しの仕事への興味も高まり、ちょうど空きもあったので呼出し入門話がとんとんと進んでいる。初日の今日、早速国際センターでの修行見習いへと出かけた。順調にいけば、来年一月か二月には正式な入門となりそうである。
平成20年11月15日
九州場所はどうしてこんなに不入りがつづくのであろう。東京、大阪、名古屋は回復とまではいかなくても年々少しずつ上向いてきているのが感じられる。九州だけは景気同様、弱含みというより良くなる兆しが見られない。他の場所に比べて相撲熱が低いわけではない。千秋楽はほぼ完売のようだし窓口での販売数もそんなに変わらないそうである。今まで企業が買ってくれていた15日間の通し券が全くダメになってしまったのが大きく影響しているようである。他の場所も同様だが、他の場所ではお茶屋さんや共催の中日新聞社がそれを何とか支えてくれているが、お茶屋さんが殆どないに等しい九州場所は、それが直接響いてしまって いるようである。
平成20年11月16日
逆に言えば、東京、大阪、名古屋も、お茶屋さんに支えられて切符が売れてくれているところはかなりある。昔から何かと問題視されることもある 茶屋制度だが、不況時にはお蔭で助かっていることは確かにあることである。ただ、まだまだ相撲の切符は一般には買えないとか、何十万円もするとか、切符に対する特殊で高額なイメージが残っているのも確かで、相撲協会窓口で入場券代のみの切符を販売していることや、お茶屋さんで土産付の切符を販売していることなど一般向けに入場券の種類や購入方法、お土産が付く付かないでの値段の違いなど、大きく広くPRする必要はもっともっとあるだろう。
平成20年11月17日
平日の桝席を売るのは本当に難しい。バブルの頃はいつでもいいから欲しいというお客さんも多かったが、いまは切符が欲しい人でも土日限定のお客さんがほとんどである。平日の切符を買ってくれるのは、定年退職した両親に一度は桝席で相撲を見せたいという方がたまにいるくらいで、後援会関係者や知人に何度もお願いして協力してもらうことの方が多い。また、4人で一桝というのが買いにくくなっているのもあるようで、最近は2人桝とかペアシートについて聞かれることは多い。4連敗中だった朝酒井にようやく片目があくが、朝道龍、大子錦が負越し。
平成20年11月19日
お客さんに切符を渡すために国際センターに行ったおり、10分間ほどだが初めて桝席に座って観戦した。現役のときには桝席に座ることは許されないので、通路を通るのも恐る恐るで緊張する。靴を脱いで座ってみた。新しくなっただけあってクッションも気持ちよくすわり心地がいい。思ったより広い。ちょうど幕の内の取組が始まるところであった。館内が明るく華やかである。土俵下や花道から見る風景とは随分違う。土俵や吊り屋根の美しさ、関取衆の肌のツヤ、鮮やかである。周りのお客さんの熱気、喜び、感動が伝わってきて嬉しくなってくる。病みつきになりそうである。男女ノ里今場所高砂部屋初の勝越し。
平成20年11月20日
国際センター玄関前には色鮮やかな力士幟がはためき相撲情緒をもりあげている。「横綱朝青龍関江 有本靜生より」「朝赤龍関江  ㈱燦より」などと力士名の下に贈り主の名前が書かれる。力士幟に混じり行司や呼出しの幟も毎場所数本は上がる。ただ床山の幟が上がることは今までほとんどなかったが、今場所床寿さんの幟が国際センター前ではためいている。朱色で大きく染められた床寿さん江という字の右肩には特等床山と入り、頭には名人と染め抜かれている。そして贈り主の名は、「第六十八代横綱  朝青龍より」である。その床寿さんの50年に及ぶ相撲人生も、残すところあと3日となった。
平成20年11月23日
千秋楽。四股を踏んだあと稽古場の俵を抜き土を戻しならす。荷物の片付けや荷造りなどもはじめ、慌ただしさと今日で終わりという安堵感もあり、朝からいつもと少し違う高揚感がある。その千秋楽の土俵、すでに負け越しが決まってしまった朝久保、大子錦、朝酒井、朝道龍と最後の一番を白星で締める。負け越しには変わりはないが、来場所へつながる気分のいい一勝である。男女ノ里5勝目で朝ノ土佐と並ぶ年間最多勝決定。
平成20年11月29日
場所休みだが、荷物の片付けや巡業へ行く準備をしたりと忙しい1週間でもある。呼出し入門が本当の話のなったやっさんの息子のけんと、部屋に泊り込みおすもうさんと一緒に片付けを手伝う毎日である。12月1日に松田マネージャーや大子錦と一緒に東京に行き、事務所へ願書を出したり面接を受けたりして正式な採用になる。また初場所では、宮崎日大高校柔道部の高校3年生が新弟子検査を受け初土俵を踏むことにもなっている。
平成20年11月30日
昨年9月に土俵の屋根が完成して部員数も8人を数えた琉球大学相撲部。4年生が4人卒業し、4人いた2年生のうちの一人が休学となり今年の新入部員には恵まれず現在3年生3人のみという状況である。先日久しぶりに一緒に稽古してきたが、体格には恵まれないながらも3人とも少しずつ肉をつけ技を覚え力をつけてきている。
頑張っている3人の伝統を引き継ぐ新入部員よ早く来たれと願うばかりである。
家財道具一式をお世話になっている鳥栖の倉庫へトラック2台で2往復の引越し。明日、1ヶ月あまりお世話になった成道寺をあとにして巡業へ出発。
平成20年12月1日
師走。貸布団を返却し、残っている荷物を出し、寝ていた本堂のゴザをはがし、掃除機をかけ、残す荷物を風呂場にしまい、朝から追い立てられるように最後の片づけを済ませお世話になった成道寺をあとにする。巡業組はあすの巡業先熊本へ国際センターからのバスにて出発。今回の冬巡業は、延岡、鹿児島、宮崎西都市とまわったあと奄美大島へ渡り、沖縄浦添市、宮古島、石垣島と島巡りがつづく。宮古石垣は、おそらく初の巡業ではなかろうか。東京に戻ってくるのは暮れも押し迫った20日(土)になる。
平成20年12月4日
九州・沖縄をまわる冬巡業。2日の熊本宇土市から始まり宮崎県延岡市に移動して今日は休養日。5日6日と延岡でやり、7日に鹿児島市、8日に再び宮崎の西都市でやって奄美大島に渡る。横綱には輝面龍、塙ノ里、朝道龍、笹川、朝酒井、朝久保、銀閣山(錦戸部屋)の7人が付人としてつき、朝赤龍には朝奄美、弓取で男女ノ里が参加している。
平成20年12月8日
股関節研究の第一人者として知られる筑波大学の白木仁助教授とお会いする機会を得た。白木助教授は、プロ野球の工藤公康投手やプロゴルフの片山晋呉選手らトップアスリートのトレーナーとして有名で、股関節トレーニングを重点的にトップアスリートに指導している。股関節を強化する、刺激して機能を高めるのには、「腰割り」や「四股」が最も効果的だということである。四股の効果は神秘的ともいえるといい、相撲界全体が、その効果にもっと目覚めるべきだという。まったくその通りであろう。
平成20年12月12日
筑波大学で研究をつづけながらスポーツの現場の最前線でも指導に携わっている白木助教授。陸上やスピードスケート、野球、ゴルフ、シンクロとトッププロ選手や日本代表チームの指導を行っている。もともとは陸上が専門だが、全く知らない競技だったスピードスケートや野球などの指導に関わり、体の使い方を研究して、「股関節」の使い方こそがあらゆる競技に共通する一番大事な感覚だと確信しているそうである。股関節研究で行きついたのが「腰割り」であり「四股」である。
平成20年12月13日
白木助教授の「腰割り」の話はマキノ出版の月刊誌『安心』で何度か紹介されてきたが、そのマキノ出版から『股関節エクササイズ』というムック本が出版されている。「股関節」はアンチエイジングの急所と題して、白木助教授の「腰割り」のやり方はもちろん、高岡英夫氏の「ゆる体操」による股関節のゆるめ方、整形外科医による股関節研究や療法など、いろいろな角度から股関節の重要さが写真や図入りで語られていて面白い。
平成20年12月14日
整形外科の世界では、「股関節を制するものは整形外科を制する」と古くからいわれてきたそうである。人間にある6つの大きな関節(肩関節、ひじ 関節、手関節、股関節、ひざ関節、足関節)の中でも「要の関節」と位置づけられ、全ての日常の基本動作に密接にかかわり、体や健康の基本と考えられているからだという。(上馬整形外科クリニック院長伊丹康人氏談)一番大事な関節なのにもかかわらず、他の関節(ひじやひざ、肩、足首)に比べて一番意識しにくいのが股関節である。
平成20年12月15日
上半身と下半身をつなぐ一番大事な関節なのにもかかわらず意識しにくいのは、「体のいちばん奥」に股関節があるからだと高岡英夫氏は述べている。股関節は、股のつけ根と腰の側面のでっぱった骨(腸骨稜いわゆる腰骨)を斜めに結んだ線の真ん中で、なおかつ体の厚みの真ん中に位置する。股関節が意識できるようになると、あらゆる動きが見違えるようによくなり脳の働きも活性化するという。
平成20年12月16日
マキノ出版『股関節エクササイズ』で股関節の大切さについて各氏が説いているが、共通していっているのは股関節まわりの筋肉をゆるめ、柔軟にし、鍛えるということである。そして関節と骨の並びを正しく保つ、ひざとつま先の向きを揃えることが大切だという。柔軟にゆるんだ股関節にしっかり大腿骨がはまり、股関節まわりの腸腰筋や中殿筋、大殿筋、ハムストリングスを活性化させることが動きの向上につながり、健康に大きくつながっていく。
「四股」や「腰割り」や「また割り」の目的はまさにそこにあるのであろう。
平成20年12月17日
怪我をしないためには、関節と骨の並びを正しく保つということに尽きる。下半身でいえば膝とつま先の向きを揃え、踵で重心を相手の圧力を正確にとらえることである。上半身からの圧力を正しく下半身に伝えるために腰を割る。関節と骨の並びを正しく保つことができると、相手を攻めるのにも、最小限の力で相手に対して最大の力を発揮することができる。合理的に受け、合理的に攻めるための「腰割り」であり「四股」「テッポウ」なのであろう。
平成20年12月18日
「四股」や「腰割り」は、下半身の関節と骨の並びを正しく保つための運動だと思う。正しい並び、正しい骨格の構造を保つための運動である。正しい並び正しい構えを身体で感じなければならない。脳みそで考えて股関節の開きや膝の位置を決めるのでなく、身体の感覚で正しい並び、構えの感覚をつかまなければならない。それゆえ何百回、何千回と毎日踏まなければならない。それが怪我をしない体をつくり、合理的な体の使い方につながり、多彩な技を生むことになるのであろう。
平成20年12月19日
なぜ今股関節が注目されているのだろう。昔は生活の中に股関節を意識する動作がいくつもあった。畳での生活、和式トイレ、雑巾がけ、タライでの洗濯、野良仕事、相撲をとって遊ぶ・・・。日常生活の中に自然と股関節を使い、股関節を動かす姿勢や動作があふれていた。また、掃除にしろ洗濯にしろ仕事にしろ身体を使う動作が多かったから自然に股関節を使った合理的な動作を身につける機会もあったのだろう。生活が便利になりすぎた現代は、身体を動かさなくなり合理的に体をつかわなくても生活できるようになった。だからこそ、意識して股関節を鍛える必要があるのではなかろうか。
平成20年12月24日
平成21年初場所新番付発表。一昨日22日に年末恒例の激励会がホテルニューオータニにて行われ、明日朝土俵祭を行って初場所に向けての稽古再開。 28日(日)のもちつき大会で今年を締め、29日に横綱の麻もみを行って解散となる。年明けは3日から稽古始め。また本年26日には全相撲協会員が一堂に会しての研修会が国技館にて行われる。
平成20年12月26日
全協会員を集めての研修会が国技館にて行われる。土俵での所作や日常生活の心構えから挨拶の仕方、電車や公道での道徳、健康問題やドーピング、薬物、性感染症への注意など8人の親方、講師による話やビデオでの研修会。日本社会と同じく、相撲部屋の核家族化ということも諸問題の根底にはあるだろうから、こういう機会はこれから益々大切になってくるのではなかろうか。
平成20年12月28日
年納めのもちつき大会。おすもうさんの数が減って240kgのもち米をつききるのは何時になることやらと心配したが、引退した朝翔冴や熊郷、熊ノ郷らが助っ人に駆けつけ、夏休みに部屋開放で相撲教室に参加したさいたま相撲クラブの小中学生もまわし姿で参加。稽古場に敷いた青シートの上で、3台の臼を囲んで賑やかに杵を振り下ろし、お昼過ぎには240kgのもち米をすべてつききった。
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