過去の日記

平成21年<平成20年  平成22年>

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平成21年1月3日
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます
新年稽古始め。初場所が大いに注目される横綱、稽古場で師匠に年始の挨拶をしたあと、出羽一門の連合稽古が行われている武蔵川部屋へ朝赤龍と共に出稽古。かなり気合の入った稽古始めとなったようである。明日、綱打ちを行って6日に新年恒例の明治神宮奉納土俵入。初日まであと1週間である。
平成21年1月4日
平成21年は丑年。牛の逞しさは力士の逞しさに通ずるところがあるようで、何人か牛にたとえられた力士もいる。先だって亡くなられた元横綱琴櫻の先代佐渡ヶ嶽親方は、激しいぶちかましからののど輪一気の押しで猛牛と異名をとった。また双葉山と同時の大関に昇進した粂川部屋の鏡岩も怪力で知られ、やはり猛牛と呼ばれていたそうである。
平成21年1月6日
初場所新弟子検査が行われ、高砂部屋からも宮崎日大高校柔道部出身の満井優樹君が受検。176cm130kgと申し分ない体格で体格検査に合格。このあと内臓検査の結果を待って正式な入門となる。もともとの生まれは熊本県八代市だが中学時代から柔道をやっていて宮崎日大高校にスカウトされたとのこと。 柔道部の顧問の先生が大阪高砂部屋後援会の方の後輩というご縁で高砂部屋入門となった。横綱は今日も出羽海部屋への出稽古。
平成21年1月7日
入門してそろそろ2年となる朝酒井、恵まれた体格を利して1年半で三段目に昇進したが、ここ2場所連続の負越しで再び序二段31枚目まで落ち最初の壁にあたったというところである。壁を打ち破るべく、年明けから連日同レベルの力士の多い九重部屋に出稽古に通っている。平塚出身の朝酒井、出身校の県立五領ヶ台高校の担任の先生から職員室に星取表を貼りだしてみんなで応援しているとのメールをもらい、3場所ぶりの勝越しと三段目復帰目指して初場所に臨む。
平成21年1月8日
今場所新弟子検査を受けた満井優樹君の四股名が決まった。出身校の宮崎にちなんで朝日向(あさひゅうが)。宮崎日大高校からの期待のこもった四股名である。3日目から前相撲の土俵に上がる。今日からマワシを締めて本格的に稽古開始。腰割りや四股、すり足と基本運動に汗を流す。柔道で慣れているだけあって、新弟子が苦労するぶつかり稽古で転がるのは難なく転がれる。明日が取組編成会議。
平成21年1月9日
ここ数日肩胛骨についてかんがえている。肩胛骨が大切なのは、武道では昔から、スポーツ科学でも最近その重要性が大いに説かれている。肩胛骨から腕が使えると、腕だけでの動作よりも威力が格段に増し正確性も高まる。だが、言うは易しで肩胛骨から腕を使うのはかなり難しいことである。テッポウにおいて、片方の腕(かいな)を返すことこそが、肩胛骨を使えるようにするための動作ではないかと最近考えている。横綱、初日の対戦相手は東小結稀勢の里。
平成21年1月10日
肩胛骨は、腕と胴体をつなぐように背中で肋骨の上にのっかっている平たい三角形の大きな骨である。肩関節とはつながっているが肋骨からは浮いている。肩胛骨は動物にもあり、人間の肩胛骨が腕とは別に背中についているのと違って、動物の肩胛骨は腕とほぼ一直線につながっている。 肩胛骨と腕が一直線につながっていることがチーターやバッファローの猛スピードの走り生んでいると高岡英夫氏は『究極の身体』(講談社)の中で述べている。
平成21年1月12日
これほどの存在感を魅せられる力士が、いやアスリートがいるだろうか。相撲関連記事がどんどん小さく隅に追いやられているスポーツ紙も各社大見出しでの一面トップニュース。国技館も久しぶりに長蛇の列である。気迫の勝利で、昨日初場所初日を飾った横綱、今日は琴奨菊との対戦。
平成21年1月13日
今日から前相撲。場所前の新弟子検査で合格した13人の新弟子が8時40分から前相撲を取る。若者頭の指示進行に従い名前を呼ばれて土俵に上がり蹲踞して仕切り直しなしですぐ立ち合う。呼出しも向正面土俵下審判の両脇に東西二人で控え、土俵下から呼び上げポンポンと取組が進行していく。高砂部屋朝日向、相手が相撲経験者ということもあり初土俵はあっけなく敗退。中日まで相撲を取って出世披露が行われる。
平成21年1月15日
前相撲は8時40分開始である。8時前に西の支度部屋に集合しマワシを締めて西の花道で待機する。まだ土俵にはカバーがかけてある。8時15分頃から呼出しが土俵に水をまき箒を入れる。観客は20名ほどで館内は静まりかえっている。8時30分行司が控えに入る。若者頭に先導されてザンバラ髪の新弟子も土俵下に入る。若者頭の点呼で東西に分かれ土俵下に控える。8時35分審判の親方衆が花道に登場して待機。通称ドブと呼ばれる記者席にも数名の記者。8時40分、審判員が入場して柝が入り控えの新弟子たちが一斉に立ち上がり前相撲開始となる。観客も数名増えている。朝日向初白星。
平成21年1月18日
「これに控えおります、力士儀にござります。ただ今までは、番付外に取らせおきましたところ、当場所成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまするあいだ、以後相変わらずごひいきお引き立てのほど、ひとえに願いあげたてまつります」という出世触れ口上で出世披露が行われる。朝日向、朝赤龍の化粧回しを借りての出世披露。
横綱8連勝での勝越し。部屋近くで食事していた師匠のもとへ給金直しの挨拶にきて、居合わせたお客さんも大喜び。
平成21年1月20日
高岡英夫『究極の身体』(講談社)によると、四足動物が猛スピードで走れるのは、肩胛骨と腕(前足)が一体となっているからだという。肩胛骨と腕が一体となっているから前足を動かすときにも肩胛骨周りの多くの筋肉を使うことができ、根元をローリング運動させて、力強くスピードのある走りを可能にしている。横綱10戦全勝で単独トップとなる。チャンコ長序二段大子錦5連勝ならず。
平成21年1月21日
動物の胴体は縦長になっているので縦長な胴体に沿って肩胛骨と腕(前足)が一直線になっている。ところが人間の胴体は横に広く、たとえ四足動物のような 体勢をとっても前足(腕)と肩胛骨は一直線にはならずほぼ直角になってしまう。それが力強さやスピードの差につながっているそうである。エンジン全開の横綱11連勝。幕下朝ノ土佐はエンジンがかからずに6連敗。
平成21年1月22日
ところが人間にも肩胛骨と腕が一直線になる姿勢がある。手塚一志『バッテイングの正体』(ベースボール・マガジン社)によると、勝利の喜びを表すガッツポーズこそがそうであるという。ややひじを曲げ拳を上に突き上げたとき肩胛骨と腕が一直線につながり、この状態を医学用語で「ゼロボジション」 と呼ぶそうである。塙ノ里、幕下以下で2人目の勝越し。負け越しが決まったのも2人いて、6人が明日からの最後の一番に勝越しをかける。
平成21年1月24日
6連敗だった朝ノ土佐、昨日13日目でようやく初白星。連敗中は体が動かなくなるもので、いい体勢になりながらも出れなくて3分近い長い相撲の末の勝ち名乗り。嬉しさよりも安堵の白星であったろう。序ノ口朝奄美、昨年3月場所以来2度目の勝越し。序二段朝酒井3場所ぶりの勝越し。三段目朝道龍、幕下輝面龍も勝越し。
祝いの4斗樽や鯛が届き、本所警察とのパレードの打合わせも行い、5場所ぶりの優勝祝いの準備も整いつつある。
平成21年1月26日
5場所ぶり23回目の優勝を決定戦の末劇的に勝ち取った横綱、パレードのオープンカーの助手席に床寿さんを乗せての凱旋。横綱の大銀杏を結っていたが昨年九州場所で定年を迎えて相撲界から去った床寿さん。横綱も「日本のお父さん」と慕い、最後の花道に優勝してオープンカーに乗ってもらうと公言していたが、休場したため果たせなかった約束を一場所遅れで実現した。
平成21年1月31日
以前からホームベージをご覧になっている方にはおなじみの「やっさん」の息子「けんと」。呼出しになるべく九州場所中から高砂部屋で生活を共にし、初場所中も見習いとして毎日国技館で呼出しの仕事の手伝いに励んできたが、面接も無事終わり相撲協会へ明日2月1日付けで正式採用されることとなった。3月大阪場所から序ノ口の土俵での呼び上げもやることになる。
平成21年2月5日
年2回の定期健康診断。身長、体重、血圧、血液検査、胸部レントゲンに心電図も検査される。力士全員と35歳未満の行司、呼出、床山が対象である。35歳以上の行司、呼出、床山、若者頭、世話人は6月に別の健康診断が行われる。力士は35歳以上も今日の全員まとめての健康診断である。
平成21年2月9日
師匠が土俵下の審判に復帰することになった。先日の理事会で審判部副部長の任を受け、昨日のトーナメント戦から 審判を務めた。広報部長として理事になる前は審判委員を務めていたから平成12年初場所以来の職務となる。前回と違い今度は副部長だから座るのはいつも正面の審判長席で、十両、幕内前半、幕内後半の審判長を日替わりで任されることになる。
平成21年2月11日
肩胛骨の話に戻る。1月22日の日記にガッツポーズこそが肩胛骨と腕が一致するポジションだという話を紹介したが(奇しくも?)、ガッツポーズの姿勢で前傾すれば腕(かいな)を返した状態である。差して腕(かいな)を返すと、相手に上手マワシを与えないのはもちろんだが、相手の体が浮き上がり、寄るにせよ救って投げるにせよ最小限の力で最大の効果を発揮できる。腕(かいな)を返した状態が腕と肩胛骨をつなげて肩胛骨周りまで使えるようになるからこそである。
平成21年2月12日
昨年12月に日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した元床寿こと日向端隆寿さんのお祝いが昨日11日両国第一ホテルにて行われた。師匠や横綱をはじめ関係者が多数かけつけ名誉ある受賞を祝った。特等床山の名が番付に載るようになったのは床寿さんの功績が大きいし、昨年11月の引退場所の注目度の大きさも床寿さんならではのことである。裏方の受賞はもちろん初めてのことだが、床寿さんも「私個人というより床山全員を代表して私が戴いた賞」と感謝を述べた。
平成21年2月15日
部屋のとなりに床屋さんがある。カットしてもらう腕の動きを見ていたら驚いた。腕(かいな)を返した状態でハサミを持ち、肩胛骨から腕を固定して上体を傾けることによってハサミを移動させている。話を聞くと、肘を上げて腕を固定させるのが基本で、肘が下がってしまうと小手先の技術になってしまうのだという。基本の姿勢を覚えこむのが修行だとのこと。安定したカット技術にも肩胛骨が大切なのである。
平成21年2月16日
元房錦の先代若松親方は突っ張りを得意とした力士であった。一杯はいると相撲談義を聞かせてくれたが、「突っ張りは、突くことよりも引くことが大事だ」とよく言っていた。いま考えると引き手をカイナを返して戻すことで、肩胛骨を使ったローリング運動ができる、ということではないかと思う。肩胛骨を使う運動にするためにテッポウの支える腕もカイナを返さなければならないのであろう。
平成21年2月17日
上手投げにしても下手投げにしても、実際投げを打つ瞬間には肘は上がってカイナが返った状態になる。その方が肩胛骨までもを使った強力な投げになるからであろう。双葉山の投げは全てがそうである。だから上手が深くても効くのであろう。というより、上手が深めだから肩胛骨を使った上手投げが打てるのであろう。
平成21年2月22日
先発隊6人(松田マネージャー、大子錦、塙ノ里、男女ノ里、朝久保、朝酒井)大阪久成寺入り。お昼過ぎにお寺に入り、風呂場から荷物やゴザをひっぱりだして使用する部屋にゴザを張り、とりあえず布団を敷ける状態にする。夕方元熊郷が土俵を掘り返す耕運機を運んできてくれて先発隊に合流。その元熊郷、大阪大国町で「かすうどん ぐっちゃん」を経営しながらたまに格闘技にも参戦しているが、今日はお店も休みということで荷物を運びおわって、横になるなり相変わらずの大イビキである。
平成21年2月24日
以前にも紹介したように肘を上げてカイナを返した状態を医学用語でゼロポジションと呼ぶ。ゼロポジションは他の競技でも注目されていて、ネットで検索してもよく出てくる。野球の投球動作のときの腕の使い方としてが一番多いが、バレーボールやバトミントン、テニスのアタックでも同様である。肩胛骨と腕をまっすぐにつなげることが、怪我を防ぎ正確で強力な動作を行えるということである。呼出し利樹之丞と邦夫、土俵築のため大阪入り。
平成21年2月28日
大阪で毎年いく幼稚園に今年もいったら、園児が『どすこいファイト』というおすもうの歌で出迎えてくれた。♪ どすこいファイトだ おすもうさん ♪ しこふんで しこふんで ♪ きあいをいれて パチンッ ♪ もろてづき かたすかし ♪ すくいなげ ♪ はっけよい のこった ♪ 作詞・作曲は あそび歌や工作で”あそびの達人”と呼ばれる犬飼聖二氏。
「しこふんで」や「かたすかし」の振り付けはおすもうさんもお手の物であった。
平成21年3月1日
東京に残っていた力士も全員大阪乗り込み。午後6時よりちゃんこ朝潮にて大阪高砂部屋後援会特別会員とのちゃんこ会に親方はじめ力士一同出席。3月場所で新弟子検査を受ける地元大阪興国高校柔道部3年生の久保田祐貴君も柔道部顧問の先生や家族と一緒に参加。後援会員の前で紹介され、今晩から高砂部屋での生活をはじめる。185cm125kgの立派な体格である。出身は兵庫県高砂市と高砂部屋ゆかりの地でもある。
平成21年3月5日
大阪場所の宿舎である久成寺(くじょうじ)は、高砂部屋がお世話になって今年でちょうど50年になるそうである。50年前というと、昭和34,5年で徳之島出身の45代横綱朝潮が横綱に昇進した頃である。師匠は横綱前田山の4代目で、昨年九州場所で引退した元特等床山の床寿さんが入門した頃でもある。
横綱、境川部屋へ出稽古。連覇へ向け好調のようである。
平成21年3月6日
一年中いっしょに生活しているとあまり変化に気づかないが、大阪の人にとっては一年ぶりの稽古で、一年ぶりの力士の体である。一年ぶりに見て、「ひとまわり大きくなったなあ」と感じたり、「一年前より力強くなったなあ」と進歩を感じてもらえるとこちらも嬉しい。ただ、年1,2回のことだから去年のこともよく覚えていて「去年も同じこと注意されてたなあ」といわれる力士もいる。クセを直すのは難しいし、何となく稽古を一年二年とつづけていると、稽古するごとに悪いクセが固まっていってしまう。
平成21年3月9日
強くなることは本当に難しい。稽古しなければ強くならないのは分かりきったことだが、必ずしも稽古に比例して強くなるわけでもないのが難しいところでもあり面白いところでもある。史上最速で番付を駆け上った横綱朝青龍でさえ何度か停滞期はあった。幕下上位と関脇のころである。もちろん他の力士に比べると停滞期は圧倒的に短く、あっという間に打ち破っていったのではあるが。すぐ首を痛める、腰が弱い、体が大きくならない、悩みつつがむしゃらに稽古を繰り返していた。一昨日7日、上六都ホテルにて激励会。
平成21年3月14日
昨日取組編成会議で、今日府立体育館で土俵祭が行われ、浪速の街に触れ太鼓がくりだし、いよいよあす初日を迎える。初日結びの一番は朝青龍に旭天鵬で、その前が白鵬に地元大阪出身の豪栄道、朝赤龍には栃ノ心。師匠は十両の取組で正面審判長として登場する。序ノ口デビューの朝日向だが、蜂窩織炎のため初日休場、回復を診てだが3日目からは出場の予定である。
平成21年3月15日
春場所初日。部屋でもそうだが、体育館に行っても、なんとなくそわそわした落ち着かない感じがあるのが初日である。4日目くらいになると大分おちついてくるのだが。高砂部屋から最初に土俵に上がったのは朝久保。白星で初陣を切る。もっとも番付をかなり落としての土俵だから当然の白星ではあるが。横綱も万全のスタート。
明日から前相撲。高砂市出身の久保田君、出身校(興国高校)からも一字もらって朝興貴(あさこうき)の四股名で初土俵となる。
平成21年3月16日
「兄弟子負け」ということばがある。入門した頃から世話になっている兄弟子には実力が上回ってもなかなか勝てないものである。幕下復帰を狙う朝縄、同じ一門の東関部屋心勇に対して兄弟子負けがつづいていたが(3連敗か4連敗)、ようやくめを出せた。幕下復帰への弾みとなるであろう。今日から前相撲。地元興国高校出身の朝興貴(あさこうき)、両親や先生の声援を背に初土俵で初白星。明日は休みで明後日勝って2勝となると5日目に一番出世披露となる。今年は新弟子が40数人と少ないため8日目の2番出世までで終わりとのことである。
平成21年3月20日
第33回高梅会。高梅の梅は近畿大学の校章の梅で、高は高砂部屋の高である。(以前は若梅会といった)昭和53年3月現師匠が入門したときに近畿大学OBの郵便局関係の方々が応援のために開いてくれた会が30年を過ぎた今でも綿綿とつづいている。師匠が学生時代の監督であった祷監督(故人)の奥様もお越しいただき、師匠の『津軽海峡冬景色』をカラオケで聞き学生時代を想いだすと、懐かしさ溢れる懇親会となった。大阪は師匠の第2の故郷でもある。
平成21年3月21日
3連勝だった朝道龍あらため朝縄と朝久保に土。大子錦、塙ノ里は4連敗。
平成21年3月27日
幕下以下は同じ星どうし当てるので、序二段では全勝全敗が必ず出る。しかしながら全勝が難しいのと同じで全敗をやるのも難しく誰でもが経験できることではない。その至難の7戦全敗を二人の力士が達成(?)した。一人は序二段12枚目の大子錦で、14年目の力士生活で何と3度目という偉業(?)である。もう一人は力士生活丸4年の序二段87枚目朝奄美で、こちらはもちろん初めての体験である。朝赤龍4場所ぶりの勝越し。
平成21年3月31日
今年は始まりが1週間ほど遅かったので大阪の桜を楽しめる。宿舎久成寺(くじょうじ)の門を出るとすぐ眼下に桜の花が広がり出店もでて花見客もちらほらくりだしている。高津(こうづ)公園の桜で、歌舞伎でも知られた高津神社の門前の公園である。公園は、高津神社の側面から裏へも広がり、そちらは梅園となっていて、桜が咲く頃までは紅白の彩りを楽しませてくれたが、現在は実をつけ始めている。大通りへ出て谷町筋を少し北へ行くと、大阪城公園の桜もほぼ満開である。
平成21年4月5日
場所後の休みも終わり、宿舎を後片付けして帰京組は昨日4日帰京。東京も満開の桜である。巡業組は4日午後2時過ぎ上六から近鉄電車で伊勢神宮へ。今日5日伊勢神宮奉納相撲をやって帰京。10日(金)には靖国神社奉納相撲。11日(土)神奈川県藤沢市での巡業、18日(土)長野、19日(日)栃木と巡業して27日(月)が5月場所番付発表である。一般公開となる横綱審議委員会稽古総見は29日(水)。
平成21年4月7日
拙著『シコふんじゃおう』(ベースボールマガジン社)を読んでいただき実際にシコや股割りに取り組んでくれている方がいるようで嬉しい限りである。ただ「シコ」や「股割り」は、場所やある程度の覚悟もいるようで、いつでもどこでも気軽にというわけにもいかないのも確かなようである。その点、「腰割り」は、足を広げるスペースさえあれば大丈夫で、テレビを見ながらでも仕事の合間でもトイレの中ででもできるので、ぜひ気軽にやってもらいたい。まずは「腰割り」で股関節を刺激する気持ちよさを味わっていただきたい。
平成21年4月9日
「腰割り」をやってから歩き出すと、歩きが格段に軽くなる。脚がお腹のなかから出ているようで、また後ろから押されているような、下り坂を自転車で降りていくような心地よさを感じられる。(妻の発見だが)「腰割り」をやったことで、股関節が刺激され腸腰筋(ちょうようきん)を使って脚を振り出せるようになったからであろう。ぜひ一度試していただきたい。
明日10日は靖国神社奉納大相撲。午前9時より土俵祭りで稽古もおこなわれる。入場無料。
平成21年4月11日
「腰割り」は不思議である。筑波大学教授の白木先生は著書のなかで「神秘的な効果」という言葉さえ使っている。探究すればするほどまさにそう思う。正直、現役時代は「四股の基本姿勢」という認識しかなかった。基本姿勢であることに間違いはないのだが、股関節の開きや膝やつま先の揃え方、重心の位置、力の入れ方抜き方、骨盤の立て方、それぞれに深い意味がある。それこそが神秘的効果をつくりだす基であろう。
平成21年4月12日
10数年前から坐骨神経痛が出だした。疲れがたまって症状がひどい時には、10m歩いたら腰裏から足裏にかけての痺れと痛みがひどくて、しばらくしゃがみこまないと歩き出せないようなときもあった。そんな症状のひどいときでも稽古にはほとんど支障がなかった。当時は稽古命のような感があったから、気持の問題だと思っていたが、いま考えると、腰割りや四股を踏むことが坐骨神経痛の症状を和らげていたのではないかと思っている。
平成21年4月13日
引退して3ヶ月ほど雑務に追われ、稽古はもちろん四股や腰割りを行う時間もなく運動からまったく遠ざかってしまった。大阪場所に乗り込みしばらくした頃、冷えも手伝いひどい坐骨神経痛が再発した。それから時間をつくって四股や腰割り、ウォーキングに取り組んだら症状は軽減した。歩いていて脚がしびれてきたら、腰割りを深く一回やるだけで効果抜群である。完治したわけではないが、以前のようなひどい痺れや痛みに見舞われることはなくなった。
平成21年4月14日
坐骨神経痛については御先整骨院のホームページに詳しい。それによると、坐骨神経は腰椎と仙骨から出て、お尻の後ろを通り太ももの裏からスネとふくらはぎへとつながる体の中で一番太くて長い神経だそうである。太さはペン軸ほどもあり、長さは1m以上にもなるという。骨盤のズレや骨盤周りの筋肉が硬くなることによって神経を圧迫して症状がでるようである。
平成21年4月16日
ズボンの後ろポケットの辺りに梨状筋(りじょうきん)という筋肉がある。お尻の奥にあり仙骨の前面から股関節をまたいで大転子と呼ばれる大腿骨の先端につながっている。この梨状筋の異常が坐骨神経痛の原因になることが多いそうである。梨状筋は大腿骨の外旋(足先を外に向ける)や外転(股関節を開く)のための筋肉だそうで、まさに腰割りの姿勢をとることが梨状筋に直接はたらきかけているのではなかろうか。
平成21年4月20日
解剖図を見ると股関節まわりには、じつに様々な筋肉や靭帯が幾層にも重なり合って身体の中心である腰椎や仙骨、骨盤と大腿骨をつないでいる。腸腰筋や大殿筋のような大きな筋肉から中殿筋や梨状筋、さらに小殿筋や双子筋、内外閉鎖筋といった比較的小さな筋肉まで、それぞれがその働きどおりに動けば精妙かつダイナミックな動きを股関節ができるのであろう。逆に股関節を固めてしまえば、それぞれの筋肉や靭帯がひとかたまりになってしまって、動きを妨げたり、腰痛や坐骨神経痛の原因となってしまうのではなかろうか。
平成21年4月21日
なぜ股関節を開く腰割りが体にいいのかと考えるために、坐骨神経痛の話を出したり解剖図をひっぱりだしてみたりしている。いろいろ調べたり考えたりして思うのは、正しいポジションをとるために股関節を開くことが大切なのではないかということである。股関節は、大腿骨の球状の先端を骨盤のくぼみが臼状につつんで、どの方向にも自由に動けるようにできた関節である。本来自由に動ける股関節が、使われないから硬まってしまう。硬くなるからますます使えなくなってしまう。硬まった股関節をほぐして自由自在に動けるようにするために腰割りが適しているのであろう。
平成21年4月22日
全身の骨格のボジションを正しく保つことは非常に難しいことである。骨格の正しいポジションとはどういうポジションか?重力に逆らわない、重心線にのった姿勢こそが骨格の正しいポジションである。もし、骨格だけだったら頭骸骨のてっぺんを吊り下げれば骨格は正しいポジションをとれるであろう。しかし自力で立つことはできない。筋肉があるからこそ2本足で立つことができる。でも、筋肉が固まってしまうと骨格の正しいポジションを狂わせてしまう。特に全身の中でも一番大きな関節であり、人体の重心に一番近い股関節まわりが固まると、その狂いはより大きくなるのではなかろうか。
平成21年4月23日
本来自由自在に動く股関節をゆるめ正しいポジションをとることができるようにするための腰割りである。とくに腰割りの素晴らしいのは、重力を利用して股関節を刺激する、ほぐすことではなかろうか。股関節を開き、上体を真っ直ぐにおろすことによって、上体の重さのみで、他の筋肉に力を入れることなく股関節を刺激する活性化するということが、他の運動と大きく違うところではなかろうか。
平成21年4月24日
詳細をあまり知らなかったが、夜のニューズ番組のトップニュースで草彅容疑者といっていたのには驚いた。今朝のスポーツ紙でも一面トップの大罪人扱いである。有名税といえばそれまでだが、同じように酒を好むものとして、たまに記憶をなくすこともあるものとして、たまに裸でねていたこともあるものとして(公園ではなかったが)、ちょっと騒ぎすぎではないかと思うのは酔っ払いの贔屓目だろうか。昔から酒にまつわる話は相撲界にも数ある。
平成21年4月25日
雷電が2斗(20升)飲んだとか大鵬が1斗(10升)飲んだという伝説もあるが、5升6升飲んだ話はよく聞く。土俵の鬼の初代若乃花もお酒にまつわる話は多いが、北の湖前理事長も酒が(酒も)強かった。概して強い横綱には酒豪伝説もつきものである。内臓が人並み外れて強いことの証しでもあろう。現役では大関魁皇が有名だが、一年前に引退した朝陽丸もすごかった。実際に目にしたことだが、生ビール40杯を3時間足らずで飲み干した。
平成21年4月26日
朝陽丸の生ビール40杯の話だが、ある宴席のことであった。中ジョッキだが、最初の何杯かはほとんど一口で空けてしまう。「プハァー!」と本当にうまそうに飲む。20杯飲むのに1時間もかからなかった。さすがに20杯超える頃からペースが落ち、シャミ(口数)がふえ、一口で飲む量は減って酔っ払ってはきたが、40杯を飲みきった。さらに驚くべきことに、その間ほとんどトイレにいかなかった。あの40杯の生ビールはいったい体のどこに消えたのだろう。体重をはかったら、ビール40杯分増えていたのだろうか???
平成21年4月27日
5月場所新番付発表。朝酒井が昨年9月場所以来の三段目復帰。師匠の方針で、雪駄が履けるのは三段目の二場所目からだから、今日からようやく人目をはばかることなく雪駄を履いて外出もできるようになった。三段目復帰を機に朝弁慶(あさべんけい)と改名。同じ神奈川県出身の木村朝之助の命名だそうである。幕下になんとか踏みとどまった塙ノ里も塙乃里に改名。土俵の作り直しなどでここ数日稽古が休みだったが、明日からまた5月場所に向けての稽古再開。一般公開(入場無料)となる横綱審議委員会稽古総見は4月29日(水)国技館本土俵にて。
平成21年4月28日
改名は師匠がおこなう場合もあるが、自分で考えて師匠に申し出る場合もある。だいたいはすんなり了承してもらえるのだが、たまに「名前を変える前に相撲を変えろ!」とか「名前を変える前にもっと稽古しろ!!」と怒鳴られる場合もある。ノを乃に変えた塙乃里は9歳上の実兄の四股名である。現塙乃里が入門する2年前に引退した。三段目が最高位だった兄の番付は超えたが、兄の名を継いでもうひとつ飛躍することができるか。横綱、部屋で若い衆を相手にアンマ。
平成21年4月29日
今年で7回目となる両国にぎわい祭りが5月2日(土)3日(日)と午前11時から午後4時まで行われる。国技館会場では相撲寺子屋、力士に挑戦コーナー、相撲甚句、大相撲3D映像、呼出し太鼓、相撲字de大入り袋、山本山関赤ちゃんだっこ、など盛りだくさんのイベント。また国技館通りメイン会場では、両国にあるちゃんこ屋さんが出店を並べる「ちゃんこミュージアム」も開催される。土日は、両国で相撲ワールドに浸りましょう!
平成21年4月30日
酒にまつわる話のつづき。小坂秀二氏の『大相撲ちょっといい話』(文春文庫)に初代若乃花の話が出てくる。若乃花が稽古場に入ってくると稽古場がいっぺんに酒臭くなるそうである。「窓あけい」どんなに寒い日でも窓が全開に開けられ稽古が始まる。関取衆を相手に稽古を重ね、汗をかいてきたら小坂氏のもとへやってきて汗をかがせる。「まだ匂うかね」「匂う」するとまた始まる。それからのほうが長いくらい。汗も出切ったかと思う頃、もう一度「どう?匂う?」「匂わない」それからさらに仕上げの稽古。毎朝のことだったそうである。
平成21年5月1日
元房錦の先代若松親方にも土俵の鬼の若乃花の話を聞いたことがある。巡業先でもよく飲んでいたそうである。大関琴ケ浜と一緒のことが多かった。新入幕の頃、何軒か飲んでふらりと店に入ったら横綱若乃花と大関琴ケ浜の二人が揃っていたそうである。「しまった」と思ったが目があったので帰るわけにもいかない。挨拶にいくと、「おう、若手!頑張っているな!飲め!」と大きなグラスにウイスキーを瓶からグビグビと注がれた。「ごっつぁんです」ひと息で飲み干すと、「お!いい飲みっぷりだ!もう一杯いけ!」結局3杯飲み干して「ごっつぁんでした」と急ぎ宿に帰ったそうである。横になるとさすがに天井がグルグル回り出したそう。
平成21年5月2日
翌朝巡業先へ行くと、驚いたことに横綱若乃花がすでに土俵での稽古をはじめていたそうである。「やばい」と思ってこっそり支度部屋へ入ろうとしたがすぐに呼ばれて稽古開始である。待ったなしで一時間。こっちがヘトヘトで砂まみれになっているのに、息も上がらず汗もそんなにかかなかったそうである。土俵に転がされて支度部屋の方を見ると同じ若手の姿がもう一人。息も絶え絶えに「横綱、○○があそこにいます」「おう!○○呼んでこい!」ようやく解放されたそうである。
平成21年5月3日
よく遊びよく学ぶの言葉通り、よく飲み、その分汗をよけいに流した。酒が強い弱いというよりも、相撲に対する、稽古に対する、好きな酒に対する責任感の強さであろう。その責任感が土俵上の取組にもあらわれ、土俵の鬼と呼ばれ、見る人に感動を与え、一時代を築いたのであろう。
平成21年5月5日
北海道の福島町は二人の横綱千代の山、千代の富士を生んだ町として高名で、横綱記念館も建てられている。その福島町に福島大神宮という神社があり、神社上には屋根つきの本格的な土俵がある。その土俵で毎年5月母の日に『女だけの相撲大会』が開かれている。今年で19回目を迎えるそうで、年齢、体格、相撲経験まったく異なる女性たちがトーナーメント戦を戦い抜く。今年は夏場所初日と同じ10日に熱戦がくりひろげられる。
平成21年5月6日
女だけの相撲大会は北海道内はもちろんだが、岡山や東京、さらに外国人の参加者もあるそうで、年齢も20代~50代と幅広く、体重も40kgから180kgまでと実に多彩である。優勝3回を誇る強豪常連力士から初めて相撲をとる女性までもが無差別でのトーナメント戦を戦う。四股名は各自自由につけられるらしく「おでぶ山」「草加煎餅」「三内丸山」「仕事ない(海)」「背が高い」とユニークな四股名がずらり。ちなみに昨年の横綱は「おでぶ山」で賞金10万円と航空券、数々の副賞を手にしたそうである。
平成21年5月7日
福島大神宮敷地内に川濯(かわそ)神社という女性守護の神様を祀っている末社があり、その500年祭としてはじまった(復活)相撲大会だそうである。福島大神宮の常磐井宮司をはじめ福島町も全面的に協力しての大イベントになっている。相撲場も観覧席まで設けられ、応援団や観客で埋めつくされる大盛況である。行司は馬躰馬之助(ばたいうまのすけ)さんという方で本格的な装束に身を包み、進行から決まり手までアドリブを利かせた名調子で場内を爆笑の渦に巻き込んでいるそうである。東京場所前恒例の綱打ち。
平成21年5月8日
福島大神宮は代々常磐井家が宮司を務めている。常磐井武宮氏は16代宮司で無形文化財松前神楽の継承はもとより、かがり火コンサートや千軒そばの会など町の活性化、文化の伝承に奔走され、『女だけの相撲大会』の開催も中心となって活躍されていた。その常磐井武宮氏が昨年の相撲大会終了間もない頃急逝された。19回目を迎える今年は、奥様や17代宮司となった息子さん、福島町の方々が故人の遺志を引き継いでの大会となる。
平成21年5月9日
数日ぶりに雨が上がり快晴の五月晴れの空にあす初日の取組を触れ回る触れ太鼓がひびきわたる。横綱は新小結鶴龍の挑戦を受け、朝赤龍は千代白鵬との取組。序ノ口朝日向検査入院のため休場。
平成21年5月10日
先場所7戦全敗だった大子錦と朝奄美。どちらが先に真っ暗なトンネルから脱出できるかと秘かに話題にもなっていたが、大子錦が2場所ぶりの白星。朝奄美の方は先場所にひきつづき暗闇から抜け出せないでいる。6年目の三段目昇進を目指す朝久保まずは1勝。4勝でも可能性はあるが5勝が昇進ラインである。
平成21年5月11日
女だけの相撲大会続編。Aさんは雑誌の取材で11年前に初めて『女だけの相撲大会』を見た。さまざまな女性たちが真剣に楽しく取り組む姿を見て「私もやりたい!」と思ったらしく、翌年参加した。4回土俵に上がるチャンスがあったそうだが、いかんせん45kgの痩身、4戦全敗に終わった。全敗は悔しかったものの宮司さんや福島町の方々には大変お世話になり帰京後も交流はつづき、自身の結婚式では宮司さんが神楽を奏でてくれたりもした。お世話なった宮司さんへの追悼の思いも込めて10年ぶりに相撲大会参加を決意した。
平成21年5月14日
12日早朝師匠の母である長岡季喜さんが亡くなられた。享年78歳。本日正午より地元高知県室戸で告別式がおこなわれる。朗らかな性格のお母さんで、部屋にきたときも笑い声が絶えなかった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
平成21年5月15日
女だけの相撲大会に10年ぶりに出場したAさん。お世話になった宮司さんへの追悼の意も込めて10年越しの1勝目指しての参戦である。しかしながら、ここ10年運動から遠ざかり、アラフォーとなり、腰痛もあり、怪我の不安を抱えながらの挑戦でもあった。序二段笹川3連勝。幕下復帰を目指す朝縄初白星。
平成21年5月16日
体力の落ちたことを実感したAさん、腰割りを3か月つづけ腕(かいな)を返すことにも取り組んだという。その成果がでて、目標の1勝のみならず2回戦も勝ちあがりベスト16まで進んだ。宮司さんへの恩返しもでき10年越しの夢を果たせたAさん、相撲の面白さにますますはまったという。誰でもが参加でき、勝つ難しさや勝つ喜びを味わうことができる。そこにドラマも生まれる。それが相撲の奥深さの一つでもあろう。
笹川4連勝での勝越し。朝弁慶、朝奄美3勝目。
平成21年5月17日
力士生活10年目を迎えている朝縄。小さな体ながらコツコツと稽古を重ねて幕下まで上がったが、ここ1年半ほどは三段目暮らしがつづいている。小さいが故に、本もいろいろ買いこんでトレーニングにも工夫を凝らしている。最近は一般的な筋トレよりもインナーマッスルを鍛えることを主にしているようで、拙著「シコふんじゃおう」も熱心に読んでくれ、股関節や肩胛骨の使い方の鍛錬に余念がない。今日勝って2勝2敗と星を五分に戻し1年半ぶりの幕下復帰を目指す。
平成21年5月18日
三段目に復帰した朝弁慶4勝1敗での勝越し。昨年9月場所に初めて上がったときには2勝5敗だったから、力をつけてきていることは確かであろう。まだまだ腰高で脇も甘く雑だが、それだけにまだまだ伸びしろはあるともいえよう。体もまだまだ成長期にもあるようで最近2cm伸びて、190cmの大台に達したようでもある。ベテラン輝面龍も3勝目。横綱勝越し。
平成21年5月20日
朝弁慶5勝目。来場所は大きく自己最高位を更新することになる。輝面龍勝越し。同じく3勝2敗だったちゃんこ長大子錦、場所中は師匠の付人とちゃんこで、いつにも増して稽古不足のところ、水入り寸前の長い相撲の末負けたそうで、ふらふらになってもどってきた。朝ノ土佐負越し。
平成21年5月30日
1998年に再興された琉球大学相撲部。復活後4人目のキャップテンとなる高山君(大阪出身)も4年生となり、他に2人いる部員も同級生なので、今年新入部員がはいらなければ廃部となる恐れもあった。しかしながら、3人の1年生部員が入部し、休学していた元部員が復学し(3年生として)、4年生部員の留年もめでたく(?)決まったので、今年は部員のみで補欠ありのチームを作れるし、来年も5人の陣容で臨める豊作年となった。空白期間もあるものの琉球大学相撲部は一ノ矢が創部以来30周年を迎える。
平成21年6月3日
場所後の1週間の休みが終わり、1日月曜日から稽古再開。5月場所4場所ぶりに三段目復帰となった朝酒井改め朝弁慶、初めての勝越しどころか6勝をあげて来場所は三段目上位に躍進である。勝てば相撲は面白くなるもので、場所後の1週間の休み中もトレーニングをやりだしたりと、今までなかった欲もでてきたようで稽古にも前向きになってきている。8日からは6月恒例の茨城下妻大宝八幡宮での3泊4日の合宿。
平成21年6月8日
毎年6月恒例の茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿に出発。午後3時過ぎバスにて到着。元々師匠が節分の豆まきに来ていたご縁ではじまった大宝八幡宮での合宿。平成13年に若松部屋・東関部屋合同でおこなったときから数えると今年で9年目を迎え、すっかり顔なじみとなった奉納相撲保存会の方々やちゃんこ作りを手伝ってくれる地元のおばちゃんたちとも一年ぶりの再会。あす朝7時から3日間錦戸部屋との合同稽古を行う。
平成21年6月9日
大宝八幡宮合宿稽古初日。今年はマスコミでも紹介されたらしく、例年にも増しての観客。ちゃんこも多めに作ったが、500食がほぼ完食。初日のちゃんこは豚ミソだが、大根・人参・玉ねぎ・ゴボウ・キャベツ・しいたけ・えのき・コンニャク・厚揚げ・ニラ・豚バラ肉と箱単位で切っていくが追いつかないほどである。それでもちゃんこ番には、毎年の地元大宝のおばちゃんたちが助っ人で参加してくれるので、500人前の材料切りも「だっぺ だっぺ」と茨城弁が飛び交いながらまたたく間である。
平成21年6月10日
合宿先の茨城県下妻市大宝八幡宮は大宝元年(701年)の創建で1300年を超える歴史を誇るが、昔から相撲との縁があり、明治時代茨城県は水戸が生んだ角聖と謳われた横綱常陸山が3日間の巡業をおこなったこともあるらしい。昭和30年頃までは神社裏で夏祭りの奉納相撲大会も行われていたそうだが、しばらく途絶えていたところ合宿を機に奉納相撲保存会も組織され、現在は会員250名を数えこの合宿を支えている。地元の方々との交流を深めることでこの合宿が成立ち毎年つづいている。お昼は鳥の塩炊きちゃんこ、晩は八幡宮境内でお別れバーベキュー。
平成21年6月11日
錦戸部屋との合同大宝合宿最終日。合宿9年目にして初めての雨模様。雨のせいか観客もいつもより少なめで、今日も大宝幼稚園の園児たちとの相撲で3日間の合宿稽古を打上げ。ちゃんこや片づけを終え、午後2時お世話になった保存会の役員の方々やちゃんこ番手伝いのおばちゃんたち、相撲をとった園児たちに見送られバスで大宝八幡宮をあとにする。
平成21年6月12日
下妻の方々も概して酒好きである。朝稽古が終わりお昼のちゃんこ時になると缶ビールが抜かれ、ちゃんこをつつきながら話も弾む。保存会のみなさんはほとんどが竹馬の友で、あじさい祭り、流鏑馬、夏祭り・・・と大宝八幡宮の年中行事を何十年と酒を酌み交わしながらつづけ地域みんなが家族のような深いつながりがある。9年目となる高砂部屋合宿もその年中行事のひとつとなっていて、奉納相撲保存会の入江会長は、みんなを乗せたバスが白煙をはきだして動き出すと、「ああ今年ももうお別れだ」と祭りのあとの寂しさと安堵感に包まれるという。
平成21年6月13日
年相応というのか、酒席などでも腰が痛いだの膝が痛いだの健康に関する話題を耳にすることが多くなってきた。みなさん、何か運動をしなければいけないと思いつつも、仕事の都合や場所の都合、長続きしない、そもそも動かすことが痛くなってきた等の理由で、やりたくてもできない、やらないからますます動かなくなると、悪循環に陥っている。そういう話を聞くたび、「腰割り」こそが中高年の関節の痛みに最適の運動ではないかという思いを日々強めている。
平成21年6月14日
知人のご夫婦は飲食店を経営して20数年になる。1階が調理場とカウンター席で2階がテーブル席というつくりで、1階でご主人が調理されて奥さんが配膳に1階と2階を上り下りするお店である。最近階段の上り下りで膝の痛みを感じるようになってきたという奥さん、病院で診てもらったら、年だからある程度の痛みは仕方ないと、湿布とサポーターを処方されスクワットやプールでの運動を勧められたという。スクワットは痛くてできないし、プールは遠くて行く時間もないしと悩んでいたところ「腰割り」を紹介したら、これなら痛くないし、仕事の合間にできると、早速やっていた。階段の上り下りが楽になるかどうか、次回お会いするとき(8月頃)が楽しみである。
平成21年6月15日
板前のご主人の方も長年の立ち仕事で股関節や肩胛骨周りが固まってしまっているらしい。少しは運動しなきゃと思い、先日久しぶりに自転車に乗ろうとしたら、股関節が痛くてこげなかったそうである。自転車をあきらめオートバイで用事をすませるから運動からますます遠ざかっているという。そんなご主人も「腰割り」ならお客さんを待つ間にもできると、やる気になっている。場所も時間もとらずに気軽に始められる、「腰割り」の最大の良さであろう。
平成21年6月16日
昨晩のスポーツニュース興味深い話題が2つ特集されていた。先だっての世界選手権で14年ぶりに優勝した日本複合チーム、ジャンプの踏み切りのときスネの前傾姿勢を保つように踏み切ることで飛距離を伸ばしているそうである。股関節スクワットと同じ動作だから、股関節まわりの筋肉も使えてジャンプできているということなのだろう。スネの前傾で思いだすのは双葉山の相撲である。取組み中、双葉山のスネは両脚ともほとんど一定の前傾角度を保って相撲を取りきっている。
平成21年6月17日
横浜での世界選手権で奇跡の大逆転からベスト8まで進んだ卓球の石川佳純選手の高い打点の話も興味深かった。相手の球が、弧を描いて落ちたところで打ち返すのが低い打点、弧の頂点のときに打ち返すのを高い打点というそうである。低い打点は球が返ってくるまで時間がある分大きくテイクバックをとり打ち返すが、高い打点のときは腕を引いてたら間に合わないので、低い打点のときよりも腕の振りは小さくなる。腕の振りは小さいのに高い打点の方が速く鋭い球が相手に返る。相撲の立合いでも、大きく腕を引いて反動をつけて当たるよりも、肘を引かずに体の前においたまま当たるほうが体重がのり威力ある立合いになる。
平成21年6月18日
高い打点が効果的なのは、相手に近い距離で返球するので相手が追いつけないからだそうである。また、球が勢いのある時点で打ち返すから反発力も大きく、より威力のある球が返るそうである。コンマ何秒の差なのだろうが、トップにいけばいくほどその差が大きく影響することであろう。それと、ビデオを見て感じたのは、低い打点だと腕を大きく振るから腕の力で打っているのに対し、高い打点は腕を引けないから肩胛骨や背中を使って球を打ち返しているようにも思えた。立合いの当たりも同様なのであろう。
平成21年6月19日
腕は体の中で一番自由自在に動かせる部位であろう。直立という不安定な姿勢をとっているから脚や胴体は体の重みを支えなければいけなく、重力という制限をつねに受けている。その点腕は支える仕事はしなくてよく、その分動かしやすいし意識もしやすい。動かしやすく意識もしやすいから、押すときにもつい腕だけで押してしまう。机の上のものを動かす、コップを持つといった日常の動きでは腕の力だけ使っても何ら問題はないが、ぶつかってくる大きな相手を押す、という非日常的な動きでは、腕の力だけではどうにもならない。
平成21年6月21日
先発隊5人(松田マネージャー、大子錦、塙ノ里、朝久保、朝弁慶)名古屋入り。10数年お世話になっている地元蟹江の鈴木さんの迎えの車で宿舎龍照院に到着。お寺の裏に建てられているプレハブ2棟を1年ぶりに大掃除。置いてある荷物を出し、畳を敷き、バルサンを焚いて昼食に出、戻ってきて雑巾がけして再び荷物を中に入れ、ようやくひと段落。夕方貸布団も届き寝られるようになる。晩飯は、鈴木さんご夫妻に招待いただいて近所で焼肉食い放題。
平成21年6月22日
先発隊2日目。朝7時半過ぎから降りだした雨が9時頃に大降りになる。雨に降られると先発隊の仕事がはかどらない。日中の片付けなどは忙しいが、ある程度は自由もある先発隊での1週間、朝弁慶は近くのジムに通ってトレーニングしたいと言い出し、大降りになったのは 「そんなこというからだ」とつっこまれる。午後からは雨も上がり荷物の整理もすすむ。
平成21年6月24日
現在8名の一般人の方に、筑波大学白木教授の研究室にも協力いただき3か月間の「腰割り」実験を行ってもらっている。はじめて約一か月、内臓が下がってくるいやな感じが改善された、体にセンターができて姿勢がよくなった等の感想や、またある方は、練習なしに急遽10キロマラソンに参加したところ完走できたうえ翌日もただひとりまったく筋肉痛などがなかった「腰割りのおかげとしか思えない」との嬉しい報告もいただいている。
平成21年6月26日
先発隊6日目。土俵が出き上がり、幟も立つ。幟立てには今年も稲沢市浅井造園の浅井さんが来てくれ力士を名古屋弁で指導しながらの作業。齢(よわい)80にもなろうかというお方だが、元気はつらつな姿を今年もみせてくれた。タニマチとか後援会という関係ではない、いうなれば名古屋のお父さんや親戚の世話好きのお兄さんとでもいうべき存在の鈴木さんや浅井さんも相撲部屋にとってはなくてはならない存在である。
平成21年6月29日
7月名古屋場所番付発表。先場所三段目89枚目で6勝1敗の朝酒井改め朝弁慶、33枚目まで躍進。先場所序二段42枚目で5勝2敗だった笹川、思ったより上がって序二段東の筆頭。この番付は、あと半枚上がっていたら三段目だったのに序二段のままということもあり、よく「序二段でいちばん強いおすもうさん」と冷やかされる。どうでもいいことだが、「序二段でいちばん重いおすもうさん」は大子錦である。
平成21年6月30日
名古屋場所稽古始め。7時半からはじまり、8時半より木村朝之助が祭主となり土俵祭。今場所の必勝と無事を祈願。昨日、モンゴルから帰国した横綱を取り囲むように取材人も多い。その横綱、肌つやもよく、稽古終了後はファンとの写真撮影やサインにも気軽に応じ、初日に向け静かに始動。本場所の体育館もそうだが、稽古場でもファンとの距離が近いのが地方場所のいいところであろう。
平成21年7月3日
三段目33枚目まで躍進した朝弁慶、名古屋入りしてからの稽古でも三段目、幕下の兄弟子の胸を借りて稽古を重ね、すこしずつめも出るようになって、力がついてきたなぁと思わせるここ数日の稽古であった。ところが、昨晩日常のふとした動きで元々何度か痛めたことのある膝を痛め、今日は稽古をできなくなってしまった。もともと膝が内側に入るクセがあって、シコのときに注意するのだが、体にしみついたクセだけに中々直らない。今回の膝の痛みを直すきっかけにできればいいのだが。
平成21年7月5日
毎年恒例となっている宿舎龍照院境内でのちゃんこ会。地元蟹江のみなさんにもすっかりおなじみとなり楽しみにしているようで、部屋やお寺にも「今年はいつですか?」との問合せも多い。蟹江町長や親方の挨拶のあと力士紹介を行いちゃんこを配るが、長蛇の列で大鍋500人分のちゃんこがまたたく間に空。夕方も地元のマンション棟の夏祭りに参加して、ちゃんことちびっこ相撲。イスに座った朝弁慶の周りには4,5歳児がペットかぬいぐるみにでも触れるようにまとわりついて離れない。初日まで1週間、地方場所ならではの一日。
平成21年7月7日
地方場所へ来ると、幼稚園や老人ホーム、病院や施設などの慰問に行く機会は多い。幼稚園児も大きいおすもうさんを見たり触れたりすると大はしゃぎだが、お年寄りは握手をしてまわったりすると目に涙を浮かべて喜んでくれる方も多い。病院関係者も力士が来たときが一番喜ぶという。ちょん髷や浴衣姿の珍しさもあるのだろうが、鍛えこんだ体や握手した手の厚み、力強さに元気をもらうということもあるであろう。また何百年という伝統を、日本文化を、力士の後ろに感じている方もおられるかもしれない。力士は、それだけの存在であることを肝に銘じて稽古に打ち込まなければならない。
平成21年7月9日
場所前恒例の高砂部屋激励会がウエスティンナゴヤキャッスルホテルにて行われる。河村たかし名古屋市長や歌手の金井克子さんも顔を見せ宴を盛り上げる。午後はCBCホールにて前夜祭。明日、取組編成会議が行われ、明後日が土俵祭り。土俵祭は一般にも公開されているようである。土俵祭のあと触れ太鼓が街へ部屋へとくりだし、初日を迎える。
平成21年7月10日
取組編成会議。初日と2日目の取組が決まる。横綱の初日は旭天鵬、2日目は阿覧。注目の日馬富士の初日は稀勢の里と好取組。と、新聞紙上で見たが実際に割り紙(取組表)が部屋に届くのは明日の触れ太鼓のときなので、幕下以下の力士はまだ対戦相手がわからない。引退して2年近く、場所前の緊張感からもすっかり遠のいてしまったが、割り(取組表)という言葉を聞くと、場所直前の緊張感が少しよみがえってくる。
平成21年7月12日
先場所の大勝ちで自己最高位を一気に50枚以上更新して三段目33枚目となった朝弁慶。相撲をとる時間も今までよりかなり遅くなり、支度部屋での景色もかなり違ったものに見えるらしい。まわりで四股を踏んでいる力士の体や筋肉、四股の踏み方、いかにも強そうだったという。いわば安いアパートから家賃の高いマンションに引っ越したようなものである。相撲も中に入られて寄り倒され肩を強打してと前途多難の初日。やっぱり家賃が高かったとなるか、住みつづけられるか、新しい景色に早く慣れてしまうしかない。
平成21年7月13日
今年1月場所入門の朝日向。初めて番付に名前がのった3月場所は場所前に蜂窩織炎で入院して途中からの出場、5月場所も内臓検査で入院して最後の1番だけ出場と、まだ7日間相撲を取りきったことがない。3場所目となるこの7月場所、ようやく叶った初日からの出場を白星で飾った。今場所から師匠の付人として審判部室にも初出勤。
平成21年7月15日
3月場所入門して5月場所序ノ口で4勝3敗と勝ち越した朝興貴、今場所は序二段106枚目まで番付を上げた。まだまだ下半身が固く腰高ではあるが、上半身の力はまあまああるようで序二段でも2連勝のスタート。朝興貴の白星が景気づけとなったか以後横綱まで8連勝。勝星が大きく上回る。
平成21年7月18日
おすもうさんにとって梅雨と暑さが重なる名古屋場所は最も苦手な季節である。苦手な分、体を冷やしすぎたりして体調を崩しやすい。初日の相撲で肩を痛めた朝弁慶、風邪もひいてしまい踏んだり蹴ったりの状態となってしまった。ただ相撲は面白いもので、体調のわるいときには緊張する元気もなく、自然と体が動いてくれることもあり、いい結果につながることもままある。そんなひとつの白星が、自信になり強さになっていくこともある。
平成21年7月19日
人間離れした体重はときに凶器となることがある。序二段で一番の体重の重い(188kg)大子錦、負けたほうが負越しがきまる相撲で相手を押しつぶし、相手は元々痛めていた膝を悪化させ病院送りとなったそう。地方場所に来ると測れる体重計がないので実際の数値はわからないが、力士の常として東京にいるときよりも地方場所の方が確実に体重は増えやすい。周りからもよく「また太ったんじゃない」といわれるので、最近体重を聞かれても「190kgっす」とやや自嘲ぎみの大子錦、「これで病院送りにしたの5人目っす」と申し訳なさそうに初白星を誇っていた。
平成21年7月20日
朝興貴勝越し。どちらかというと闘志を表に出すタイプではなく、場所前の稽古場でも精彩を欠いていたが、始まってみると早々の勝越しである。本場所での白星は自信にもつながり、場所に入って稽古場での動きもよくなってきた。体格に恵まれたほうとはいえ、相撲未経験者なのに2場所連続での勝越しは立派なものである。序二段で一番強いおすもうさん笹川も勝越して三段目復帰確定。朝久保、朝奄美は負越し決定。
平成21年7月21日
先発隊で名古屋に乗り込んでからはやひと月。宿舎まわりの水をたたえていた田んぼも見渡す限り青々とした稲を一面に広げている。中日を過ぎると加速度的に日を重ねていく感じがするが、3連敗であきらめ顔だった力士が2連勝して元気を取り戻したり、3連勝で鼻息の荒かった力士が2連敗して心配顔になってきたりと、表情にも今年の空模様同様日々変化がある。関取はあと5番、幕下以下は2番を残すだけである。今年に入って1番、2番、3番と負越しつづきだった朝ノ土佐4場所ぶりの勝越し。朝縄は先場所につづいての負越し決定。
平成21年7月22日
日本中を大宇宙の神秘に巻き込んだ皆既日食。名古屋でも午前11時前雲の切れ間から7割ほどの部分日食が見られ、うす暗さが増し、感動を味わうことができた。部屋に残っていたおすもうさんも何人かは日食の神秘を目にしたが、本場所中ということもあり関係ない力士にとってはまったく関係ない話で、「今日皆既日食だなぁ」というと「あっ知ってますよ」「あれうまいんですよねぇ」と、どこかの食堂か給食と間違えている輩もいたそう。ある序二段力士の実話である。
平成21年7月23日
勝越すことを「給金直す」という。序ノ口から持ち給金というのがつき、番付によって基本給があり、勝越すと給金が少しずつアップしていくから給金直すという。ただし、実際に場所毎に給金を貰えるのは関取になってからだが。それで、勝越しをきめたときに「おかげさんで給金直しました」と挨拶する。序ノ口の朝日向、入門以来初めての勝越し。初めての勝越しに舞い上がったのか「おかげさんで給金納めました」と挨拶してしまったそう。給金没収してもいいかも。
平成21年7月25日
三段目男女ノ里、朝弁慶3勝3敗からの最後の一番に勝って勝ち勝越し。場所前に膝を怪我して初日の相撲で肩を痛め、場所中風邪を引き、蕁麻疹も発症しとボロボロの体調だった朝弁慶、病気の数だけ白星を重ね、大きく更新した自己最高位での勝越しを決めた。男女ノ里も今日の勝越しで自己最高位の更新を確定。来場所は若い衆の中での一番上の番付となる。ちゃんこ長大子錦、3連敗のあと3連勝と持ち直したが、残念ながら4連勝とはならずに負越し。
平成21年7月31日
昨年から行われています夏休み相撲健康体操が8月3日(月)から8月28日(金)まで土日をのぞく15日間、国技館正面入口にて午前7時半から約30分間行われます。老若男女どなたでも無料で参加できます。相撲教習所の新弟子たちと一緒に相撲健康体操に挑戦してみましょう。15日間全勝すると何かいいことがあるようです。
平成21年8月3日
昨日8月2日日曜日、残り番だった力士も全員帰京。名古屋駅新幹線中央改札口に集合し、引率の親方立合いのもと、輸送係りの行司さんが部屋毎に一人ひとりに切符を渡して改札を入っていく。場所中に部屋に貼り出された能書き(通達紙)には12時30分集合となっているが、12時には大勢の力士が改札口周辺に集まってきている。集合時間の30分前には、というのが昔からの相撲界の常識のようなところがある。特に行司呼出し床山の兄弟子にはそういう傾向が強いので、新弟子は遅くとも45分前には行って待っておかなくてはならない。
平成21年8月4日
先日とある席で海外巡業の担当をやられた旅行会社の方と一緒になった。一般的なツアーの団体客だと集合時間に全員揃うことが稀で担当者にとっては一番苦労することらしいが、30分前には全員揃っていて「あんな楽な仕事はなかった」と話していた。新弟子検査などでも、午前10時開始となっていても30分前に全員揃うと始めてしまうこともあるから、”相撲時間”を知らない新米記者が時間通りに取材に行くと、すでに終わっていたということもたまにある。
平成21年8月5日
時間の感覚などもその一例なのかもしれないが、角界の常識は一般の非常識、一般の常識は角界の非常識ーなどという言葉をつかうときがある。300年を超える伝統をもついわば特殊社会だけに一般社会とは違う常識、通念があったりする。車に乗る場合、一般では運転席の後部座席が一番の席だが、角界では助手席の後部座席が関取や親方が座る席になる(たぶん乗り降りが一番楽だからだろう)。食事のとき、おかずをとるのも、じか箸が正当で、箸を逆さにしてとるのは非礼とまでは言わないが違和感がある。裸の商売ということもあり、夏場の部屋の中ではパンツ一枚だけというのがあたりまえである。
平成21年8月6日
土俵に上がるときは褌ひとつが正装になるので、裸に対する感覚は一般とはかなりちがったものがある。稽古後風呂のあとにチャンコとなるので、ちゃんこのときはバスタオルを巻いたままかパンツ一枚が普通である。それはお客さんがいても同じで、お客さんにとっても自然な姿であろう。取材を受けるにしても変わりはないが、テレビカメラが入るとなるとさすがにパンツ一枚はまずいようになってきている。パンツ一枚のうえにシャツステテコを着た姿は、一般から見れば下着姿かもしれないが、おすもうさんにとっては部屋着に近い感覚があるから、個室の宴席などでは乾杯のあとは背広を脱ぐ感覚で浴衣を脱いで、シャツステテコ姿で食事をすることは多々ある。
平成21年8月7日
一般の人が個室とはいえいきなりお店の中でシャツステテコ姿になったらびっくりすることであろう。でもそんな一般の人にとっても、お祭りのときだけはシャツステテコ姿や上半身裸の褌一丁もまったく違和感のない姿である。そういう意味ではおすもうさんの存在自体がお祭りのようなものなのかもしれない。今日から3日間、夏休み恒例の部屋開放わんぱく相撲教室。
平成21年8月9日
部屋開放のわんぱく相撲教室には今年も昨年同様さいたま相撲クラブの子供たちが参加している。幼稚園児から中学生まで30人近く在籍しているようで、幼稚園児もしっかりシコを踏み、立合いに当たって一生懸命相撲を取っている。こういう姿を見ると相撲界の将来にも明るい希望がもてる。国技館では全国都道府県中学生相撲選手権大会。学校の枠を取り払った県別対抗戦だが、今年で20回目を迎える。第2回の準優勝には大関琴光喜の名前も見える。
平成21年8月10日
フンドシはもともと南方系の風俗で、新田一郎著『相撲の歴史』(山川出版社)によると、環東シナ海地域でおこなわれた格闘技には「裸にフンドシ」といういでたちが共通して見られるという。6世紀初頭の和歌山の古墳から出土した「男子力士像埴輪」は裸にフンドシを巻いた姿であり、『日本書紀』にも記述がみられ、中国江南地方の習俗や南九州の「隼人相撲」も「裸にフンドシ」で行われていたそうである。また東南アジア沿岸を荒らした倭寇は、裸にフンドシに長刀といういでたちだったという。
平成21年8月13日
ふんどしの話に戻る。ふんどしにもいろいろな種類があるようだが、相撲の場合、腰周りを回して締めこむから「まわし」とか「締め込み」というようになったそうである。窪寺紘一『日本相撲大鑑』(新人物往来社)によると、普通のふんどしだったものが鎌倉時代の頃から堅く締めるようになり、江戸時代初期には麻または絹のまわしとなり、前を垂らして紋をつけるようになった。元禄(1688~1704)の頃から色絹に刺繍が豪華につけられるようになったが、だんだん長くなって取組の邪魔になったため宝暦(1751~64)以降「取りまわし」と「化粧まわし」が区別されるようになったという。
平成21年8月14日
4年前に引退した熊ノ郷が部屋に顔を見せ、久しぶりにマワシをしめて土俵に下りた。引退後はとくに運動もしてはいないそうだが、まだ24歳、体重も110kgほどと現役時代とそんなに変わらない体格である。朝日向、朝興貴の二人に10番胸を貸したが、入門間もない2人ではまだまだ顔じゃない。気持ち的にも楽に相撲を取れるのであろう、現役時代よりも相撲に余裕がありうまさも増した感じである。
平成21年8月15日
褌(ふんどし)が「まわし」になったのは、土俵ができたのと同じ頃ではなかろうか。昔の、蹴り合い、組み打ちの相撲から、人が周りを取り囲む人方屋を経て、殴る蹴ることが禁止され、土俵ができて、押し出しや寄りきり、投げ技といったルールが確立してきて、土俵の中で勝負を決しやすいように、まわしを持って寄る、組む、投げるために、しっかりと腰周りに回した「まわし」ができてきたのであろう。
平成21年8月16日
人間の重心は、おへその下辺り、いわゆる臍下丹田(せいかたんでん)と呼ばれる場所にある。そこを「まわし」で締める。ただ巻くのではなく、締めるから、腹圧が高まり意識しやすくなり、力が出るようになる。また最後に立て褌(たてみつーお尻を通している部分)にまわしの端を通して引っぱり上げて結ぶから、肛門を締めることにもなる。これほどシンプルに人間の機能を高める装置は、そうないのではないか。
平成21年8月17日
太気拳師範・天野敏氏といっても知る人ぞ知る存在かもしないが、武術界では高名な方で、月刊『秘伝』誌(BABジャパン)に毎月連載も書いておられる。平易だが内容は深く、毎号楽しみにしているページである。8月号は「最後の砦はどこにある?」と題して、足指の小さな傷の話から始まって目に見えないところが大事だと話がつづく。筋萎縮症で症状が進むと、体が動かなくなり自発呼吸ができなくなり、意思の疎通はまぶたでするようになるが、更に症状が進みまぶたも動かなくなると、最後は肛門の動きで意思の疎通を図るそうである。ヒトの存在を支える最後の砦が肛門だという。
平成21年8月18日
天野氏は語る。人は骨格筋を使って身体を動かすから、みんな此処を鍛える。ところが、生き物としてのヒトの原点はものを飲み込んで出す事。手足は摂取と排泄の可能性を広げる為のもの、食べ物を採ったり敵から逃げたりの為。脳みそも、元々考えるためにあるのじゃなくて、脳みそが出来たから考えちゃっただけ。そういう意味で脳みそも骨格筋と同じでオマケ。最後までヒトの存在を支える筋肉が肛門で、ここ無しにヒトの心も身体も語れない、と。
平成21年8月19日
再び新型インフルエンザ流行の兆しで、相撲界や野球界を騒がしているが、朝部屋に行くと、朝奄美が昨夜から熱をだしたといって寝込んでいる。ときが時だけに「ついに高砂部屋からも新型インフルか?」「土日の巡業代わりに誰がいく?」と色めいていたが、おかみさんが診療所に連れて行っての検査の結果はシロで、とりあえずはひと安心。今朝の新聞によると相撲界でも6人が感染してしまったそうである。
平成21年8月20日
BABジャパン『秘伝』誌は武道武術の探究が主だが、身体調整やからだに対する話も多い。最近、長沼敏憲氏が「腸能力を磨け!」というタイトルで連載をはじめ新型インフルエンザについても書いている。長沼氏は健康や食、生命科学の取材を重ね、免疫学と感染症対策にも造詣が深い。氏によると、新型インフル対策として報道される、マスクやうがい、手洗いなどはもっともなことだが、免疫力を高めることこそが大事なことであり、そのためには腸のはたらきが大きなカギであるという。相撲界の感染者は12人に増えたそうである。
平成21年8月21日
腸の表面には、自然免疫センサーがびっしり伸び、白血球やリンパ球、マクロファージなどの免疫細胞も数多く、二重三重の免疫システムの一大拠点になっているそうである。ただし腸内が汚れていると免疫部隊が働きにくくなり、免疫力を低下させることになるという。食べすぎと腸内のゴミ(便)がうまく排泄されないことが汚れる原因になるから、腸をきれいにするため、夜9時から翌日12時までの「断食タイム」(朝のフルーツ程度はいいらしい)と腸マッサージを長沼氏は推奨している。職業柄食いすぎが必要な相撲界には、朝飯抜きの一日2食のシステムは意味のあることかもしれない。
平成21年8月22日
天野敏氏に戻る。「稽古では様々な発見がある。いや発見する為に稽古するわけだ。では、その発見というのはどんな事か、というとそれほど大したことではなくみんな知っていることばかり」「知っているけど価値がわからなかったり、意味を取り違えてたり、当たり前すぎて意味すら考えたことが無いことに大事なことが隠れてたりする。そんな事に新しい意味づけをしていくのが稽古かもしれない」「稽古するってことは、自分の中にあるものをすべて引き出せるようにすること。・・・見えないところに眼を向けること。そこで初めて普通からそうじゃないところにいける。」そして次の文で締めくくっている。「さて、では褌を締め直して・・・んん、褌を締め直すと、締まるのか、なるほど。」
平成21年8月24日
双葉山の腰割りの姿は見事に美しい。腰が深々と割れているのに太ももやお尻の筋肉には力みがない。赤ん坊がすわっているかのように柔らかく、かつ安定感もある。腰割りは、太ももで頑張るべきではないと思ってきたが、お尻の筋肉は締めるべきだと思ってきた。ところが双葉山の写真を見ると、太ももにもお尻にも力感はなく、あくまでも自然である。それなのに不動の安定感がある。おそらくその限りなく自然な安定感は、肛門だけを締めているからではなかろうか。
今日土俵築で、明日から平塚合宿。
平成21年8月25日
湘南高砂部屋後援会からの迎えのバスで平塚合宿に出発。力士一同と、来週29日(土)に国技館で開催される朝青龍杯わんぱく相撲大会に出場する8歳から12歳までのモンゴル小学生チーム5人も参加。明日、明後日、8時から平塚市総合運動公園内土俵で朝稽古がおこなわれる。明日の稽古終了後には300人分のちゃんこが平塚市民にも振る舞われることになっている。
平成21年8月26日
平塚合宿は若松部屋時代から数えると、今年で16年目を迎えるそうである。平塚市のバックアップも大きいが、支えてくれる方たちの毎年の協力で16年もの年月を積み重ねられている。今年は久しぶりに横綱も参加して、土俵を取り囲む観客の数も例年以上の賑わい。夜は、大蔵平塚市長も顔を見せての歓迎会。力士のカラオケや抽選会、ちゃんこなどで楽しむ。横綱も気軽にサインや写真撮影に応じ交流を深める。明日、朝稽古のあと帰京。
平成21年8月28日
あす8月29日(土)午前9時より両国国技館にて朝青龍杯ちびっこ相撲大会が開催されます。小学校2年生から6年生まで一人ずつ5人のチームをつくり、横綱率いるモンゴルチームはじめ、全国から12のチームが参加して団体戦で競います。横綱土俵入りもあります。ポケモンやクレヨンしんちゃん、はるな愛もゲストで出演とのこと。ちゃんこ屋台、フリーマーケットなどもあって家族で楽しめるチャリティー相撲大会です。
平成21年8月30日
肛門の話を書いてたら、高校で生物の教師をやっている後輩からメールをもらった。発生の時細胞分裂の後陥入が起こり原口ができ、それがやがて肛門になる。脊椎動物の最初にできる器官は肛門だそう。最初に出来て、最後の砦でもある肛門。もっと目を向けてやらなければならない。もちろん、ノーマルにでのことであるが。
平成21年8月31日
9月秋場所番付発表。先場所大きく番付を更新しての自己最高位で勝ち越した朝弁慶が三段目20枚目と更に自己最高位更新。弓取の男女ノ里が三段目3枚目と勝越したら初幕下へ待ったなしの地位。ただ輝面龍が負越して三段目へ落ちたから、幕下ゼロという寂しい番付となった。序二段では入門半年の朝興貴が58枚目まで番付を上げる。朝日向、朝奄美も序二段へ番付を上げたから序ノ口力士もいなくなった。
平成21年9月1日
ロルファーで能楽師の安田登氏にお話を伺ったときに、腰割りで脚を開くことは、上半身の肩胛骨と肩の関係にも似ているという話がでた。お尻の筋肉を締めて股関節を開くのは、肩胛骨と肩をつなぐ菱形筋(りょうけいきん)を締めて胸を張るのと同じことであまり良くない。上半身を真っ直ぐするのも、腰割りで脚を開くのもリラックスして真っ直ぐする、リラックスして開くことが大切だという。今日から9月場所に向けての稽古始め。横綱も朝赤龍も土俵祭のあと部屋で汗を流す。
平成21年9月2日
ピッチング動作などでよく言われるゼロポジションという言葉がある。もともと整形外科で使われた医学用語で、肩関節で上腕骨と肩胛骨が一直線にそろうポジションで、肩関節が一番リラックスした状態をとることができ、安定した大きな力を発揮することができる。肩関節と股関節は構造的にも似ているから、股関節にもゼロポジションがあってしかるべきだと思うが股関節では使われていないようである。でも双葉山の腰割りのリラックス感をみると、股関節のゼロポジションをとっているのではと思ってしまう。
平成21年9月3日
股関節研究の第一人者である筑波大学の白木教授は、腰割りを“究極のゴルフストレッチング”としてゴルフの本で紹介している。ゴルフでも股関節の「はまる感覚」が大切で、はまる感覚を意識しやすいのが腰割りだという。腰割りで、前後左右どこにでも動きだせる股関節感覚を養い、股関節の繊細かつ大胆で巧みな動きで体を回旋させる。「はまる感覚」もゼロポジションではなかろうか。
平成21年9月5日
部屋へ稽古見学へ来られるお客様へのお願いです
本場所も近づいてきていますので、インフルエンザ対策としてマスク着用をお願いします。
マスク着用ない方は、見学をお断りいたしますので、ご理解ご協力下さいますようお願い申し上げます。
平成21年9月6日
筑波大学の白木先生に股関節のゼロポジションについて伺ったら、股関節の構造上、骨盤と大腿骨が、肩胛骨と上腕骨のように一直線になることはないから、学術用語としてはないが、生物学的な概念としてはあっておかしくない、という話であった。四足動物は、ほとんどがゼロポジションで走っているが、ライオンなどの猛獣が前脚を上げて獲物に襲いかかるときの後ろ脚の構えはまさにゼロポジションで、力士が相撲をとる構えにも共通するものがあるという。
平成21年9月7日
“ゼロポジション”という言葉は手塚一志氏の『バッティングの正体』(べースボールマガジン社)で初めて知ったが、同著によるとゼロポジションでは、肩関節周りの筋肉がすべて同じ方向(上腕骨の長軸方向)に向いて束となり、つりあいのとれた状態になっているという。改めて同著を読み返してみると、ちゃんと股関節のゼロポジションについても書いてあった。手塚氏は、股関節にはまる、入る、乗せるいわゆる股関節のぜロポジションを“Gポジション”と名づけている。
平成21年9月8日
数多い股関節周りの筋肉が、ある筋肉だけ頑張るのでなく、釣り合いがとれた状態にあるのが、股関節のゼロポジションになるのであろう。腰割りは、股関節のゼロポジションを探すための運動だといってもいいのかもしれない。太ももを鍛えるのでなく、お尻の筋肉を締めるのでなく、股関節周りのすべての筋肉を最小限だけはたらかせて、股関節が動きやすく安定する感覚を探るための腰割りなのであろう。
平成21年9月9日
妻の友人が一週間ほど前に出産した。わりと安産だったようだが、陣痛のとき「いきむ」のが難しかったという。お腹に力をいれなければならないが、顔に力を入れないよう、声を出さないよう、つかまっている腕や開いている脚も力を抜いて、と何度も指示されたらしい。からだの表面の筋肉をリラックスさせ深層筋をはたらかせる、腰割りの極意ではないか。
腰割り実践中の妻が言った「おすもうさんが出産すればじょうずかも」
平成21年9月10日
腰割をやっている方々から嬉しいご報告をいただいている。骨盤の歪みが矯正された、内臓が下がるのが改善された、足首が柔らかくなった、冷え性や生理痛が改善された、肩こり腰痛がやわらいだ、姿勢がよくなって歩くのが気持ちよくなった、・・・。股関節が刺激され柔らかくなり、全身に好循環をもたらしているのであろう。何より自分のからだに目を向けられるようになったのがいいのであろう。ただ、食欲が増すためダイエット効果はあまりないようである。
東京場所前恒例の綱打ち。
平成21年9月11日
ある女性の方は、練習なしに10キロマラソンに参加することになったが見事完走して翌日の筋肉痛もまったくなかったそう。今までの経験からは考えられないことで、腰割り効果としか思えないといっている。また別の女性は10年ぶりに相撲大会に参加して、10年前は2,3日全身筋肉痛がつづいたのに、今回はまったく筋肉痛を感じなかったという。腰割りにより無駄のないからだの使い方をできるようになったからではなかろうか。
平成21年9月13日
本所界隈は秋祭りでお御輿や祭囃子の威勢に彩られての初日。秋場所初日の土俵に最初に上がったのは今年初場所入門の朝日向。入門して約10か月、ザンバラだった髪も伸び、頭にようやく豚のしっぽほどのちょん髷がのっかった。先場所初めての勝越しで序二段に番付を上げ初日白星スタート。今場所から朝赤龍の付人もつとめることになった。
平成21年9月14日
10名の方に腰割りを3か月間つづけてもらったが、ほとんどの人が無理なくつづけられたという感想をいただいた。1日に5回でもいいという取り組みやすさと、エレベーターを待ちながらとか、歯を磨きながらとか、台所仕事をしながらとか、テレビを見ながらとか、どこでもやれる気軽さがよかったよう。ただ人前ではやりにくいという難点はあるようだが。
自己最高位更新中の朝弁慶,今場所も白星発進。
平成21年9月15日
毎日結びの一番のあと弓取式を務めている男女ノ里、3場所連続の勝越しで番付を三段目3枚目まで上げてきて、今場所も2連勝と好調でまわす弓にも勢いがある。今日は取組が早めに終わって弓取式が始めから終わりまで放映されたそうで、終わったあとお祝いメールが14件も届いていたそう。日本自動車連盟(JAF)監修の冊子『JAFMate』10月号の「未病にきくワザ」で腰割りが紹介されています。
平成21年9月17日
腰割りをはじめると相撲を観る目もいきなり玄人的になるようである。腰割りをやりだして国技館初観戦をした方から感想をいただいたが、生のぶつかり合いの迫力はもとより、力士一人ひとりのシコの踏み方、股関節の開き具合、お尻の沈み方、膝やつま先の向き、などを興味深く楽しんだそうである。相撲はまったくの素人でありながら腰割り経験者の目から観た一番の腰割りは、やはり横綱朝青龍だったそう。その横綱、万全の内容での5連勝。
平成21年9月19日
別の腰割り女性は、蹲踞に腰割りをみたと語ってくれた。蹲踞(そんきょ)とは、両膝を開いてつま先立ちでカカトの上に腰を下ろし上体をまっすぐにした姿勢で、元々は「うずくまる」という意味で相手に対して礼をとる姿勢である。スネを立てるか折りたたむかの違いだけで、股関節と膝を開く、上体をまっすぐする、重心をそろえる、という点では腰割りと同じである。一番腰が割れてきれいな蹲踞の姿勢は、やはり横綱朝青龍だったという。
クニもんで同姓の朝ノ土佐と朝久保、4連勝での勝越し。
平成21年9月20日
きれいな蹲踞、見事な腰割りはどこが違うのだろう。やはり重心線にきれいにのっているから、えも言いわれぬ美しさ安定感を感じるのであろう。能楽師でロルファーの安田登氏は「重力は整えてないと重いものになるけど、整ったときにはすごい人間の味方になる」と語っている。重心線にのって重力を味方につけている横綱朝青龍、8戦全勝での折り返し。
平成21年9月21日
序二段84枚目の朝久保、高知安芸中時代から相撲部で幕内栃煌山とチームを組んで全国大会出場の経験もある。ときに稽古場でも相撲センスのよさを垣間見せることもあり地力もそれなりについているが、やる気のなさは天下一品でいまだに序二段に甘んじている。今場所は5連勝と好調で、あと二つ勝てば6年目にしてようやくの三段目昇進となるのだが。逆にいえばまだまだ成長の可能性はあるともいえるのかも。朝ノ土佐も5連勝。
平成21年9月22日
正しい姿勢、正しい立ち方をするためには、からだに重力の軸をまっすぐに通さなければならない。ロルフィングは固まっている筋肉や癒着している筋膜をほぐしゆるめ、からだのブレーキをはずして、本来もっていた重力の軸が通る「体つき」取り戻す施術である。ロルファーの安田登氏は「重力の線を整えるだけがロルフィングです」とも語っている。
久しぶりに重力の軸が強力に通ってきた横綱10連勝。大子錦勝越し。
平成21年9月23日
安田登氏が「取り戻す」といっているように、重力の軸が通るからだを子供のころにはみんな持っている。「子供は天才」といわれる所以(ゆえん)で外国語を覚えるのも一輪車に乗れるようになるのも早い。しなやかで天才的なからだを、偏って使ったり、使わなさすぎてさびつかせたりして平凡なからだになっていく。序二段朝久保6連勝で、最後の1番に三段目昇進と序二段優勝をかける。
平成21年9月24日
今年3月場所に入門して4勝、5勝と勝ち越して序二段の58枚目まで番付を上げてきた朝興貴。今場所はさすがに家賃が高かったようで今日負けて1勝5敗の成績。上半身の強さはあるものの股関節が固くて腰が下りなく受身にまわってしまうことが多い。股割りにはいまだに苦しんでいるが、青アザもようやく消え、何とか自力でおでこがつくようにはなった。股関節をやわらかくして上半身の強さが相手に伝わるようこれからが本当の稽古の始まりである。輝面龍、手が相手の髪にはいってしまい反則負けでの負越し。
平成21年9月25日
序二段朝久保6戦全勝同士の対戦にのぞんだがあえなく敗退。序二段には4人の6戦全勝がいたが、ひとりが序ノ口の全勝とあたって敗れ、もう一人が三段目の全勝と対戦して敗れたため、朝久保に勝った相手の序二段優勝が決まった。今日の一番で、三段目昇進と序二段優勝という2つの大魚を逃してしまった。大事な一番を前にした今朝の稽古場でも序ノ口陥落が決まっている朝奄美に簡単に負ける相変わらずのやるきの無さで、これが最初で最後のチャンスに終わらなければよいが。朝縄、塙乃里、3勝3敗からの一番に勝ち勝越し。
平成21年9月26日
今日優勝が決まる可能性もあるので、日本盛から鏡割り用の樽酒が届き、優勝祝いの鯛を用意し、明日の優勝パレードの警備を本所警察にお願いにいったりと24回目の優勝にむけての準備をはじめる。慣れたこととはいえ、決まってからでは間に合わないから前もって用意しておかなければならないもの、決まってから用意してもいいものもあり、やきもきしながらのテレビ観戦である。結局白鵬の勝利で今日の優勝決定はなくなり、優勝祝いの準備は明日に持ち越し。
平成21年10月1日
場所休みの1週間で、おすもうさんにとっても一番のんびりできる日々。ただ明日は明治神宮全日本力士選士権で朝が早い。
平成21年10月6日
両国に工藤写真館という写真屋さんがある。昭和初期に昔の両国国技館隣に初代が写真館を開き、以来70年余りつづいている。昭和61年からは『墨田区小さな博物館・相撲写真資料館』も開いて双葉山から栃若、柏鵬、千代の富士、北の湖・・・と昭和を飾った横綱の写真や珍しい写真も展示されている。1991年6月に東京ドームで行われた力士運動会の写真もあり、騎馬戦で小錦、曙、水戸泉の騎馬に乗る一ノ矢の勇姿(?)も見られる。
平成21年10月7日
工藤写真館は昭和のはじめ頃は相撲協会の専属写真館として現在の広報部のような仕事もしていたらしい。その後、協会に写真部ができて町の写真館になった。ただ昔は相撲部屋のほとんどが近辺にあったから、新弟子の出世披露の写真や初めてちょんまげを結った姿、三段目に上がった記念など、事あるごとにおすもうさんが工藤写真館を訪れ田舎の家族に送ったそうである。現在は両国にある相撲部屋の数も減りデジカメもあるから、写真館を訪れるおすもうさんもすっかりいなくなったらしい。
平成21年10月8日
ノンフィクション作家の工藤美代子氏は、工藤写真館の姪にあたるそうである。母の実家が写真館で、父はベースボールマガジン社創設者の池田恒雄氏だという。相撲には縁の深い家庭で、自身でも『双葉山はママの坊や』(文藝春秋) (のちに改題してちくま文庫より『一人さみしき双葉山』)また、『海を渡った力士たち - ハワイ相撲の百年』(ベースボール・マガジン社 )などの相撲関連の書も出版している。『工藤写真館の昭和』は講談社ノンフィクション賞を受賞している。
平成21年10月9日
ベースボールマガジン社発行の月刊誌『相撲』は日本相撲協会機関誌でもある。ベースボールマガジン社の当社のあゆみによると、昭和24年に「ベースボール・マガジン編集・相撲号」が前身として発刊され、昭和27年より正式に月刊『相撲』として創刊された。創刊以来60年近くになる。相撲雑誌は他に読売新聞東京本社発行の『大相撲』がある。最近本屋であまり見かけないなと思ったら、今年の7月から隔月発行となったらしい。『NHK大相撲中継』も隔月発行されている。
平成21年10月10日
工藤美代子氏が『東京人』(都市出版)6月号に「わたしの好きな力士 双葉山」という文を寄稿している。前述のように母の実家が工藤写真館だったから、お相撲さんがよく出入りしていて人気力士から結婚を申し込まれるような存在の母だったそうだが、相撲嫌いを公言して憚らなかったという。そんな母の唯一の例外が双葉山で、その惚れ込みようは尋常ではなかったらしい。というより日本中の娘たちが夢中だったようである。工藤写真館には双葉山の貴重な写真が数多く残っている。
平成21年10月12日
『東京人』6月号は「相撲の真髄」千五百年の伝統としきたり―と題して特集を組んでいる。特集の最初を飾っているのが、工藤写真館提供の双葉山・男女ノ川の三段構えの写真である。昭和15年2月の奉祝紀元2600年建国祭神前奉納大相撲で披露されたもので、双葉山の神々しささえ感じられる見事な腰の割れ、胸の開きが見られる。
平成21年10月13日
三段構えというのは特別な祝いのときに行われる儀式で、相撲の基本体を「上段の構え」「中段の構え」「下段の構え」の三つの構えであらわすものである。上段が本然(自然体ということだろう)、中段が攻撃、下段が防御を表すという。上段、中段、下段とだんだん腰を深く下ろしていく。双葉山、男女ノ川の三段構えの写真は、おそらく下段の構えだと思うが、太ももが水平になるまで腰を下ろしているのに太ももにはまったく力みがない。
平成21年10月14日
双葉山の三段構えの写真は筑波大学の白木仁教授、能楽師でロルファーの安田登氏、パーソナルトレーナーの有吉与志恵氏にも見ていただいたが、三者三様ながらまったく力みのない開き方にはそろって驚嘆の声をあげていた。白木教授は、いつでもどこにでも動ける、股関節が完璧にはまった姿だといい、安田氏はここまで開ける日本人はあまりいないという胸の開きにも注目し、有吉氏は究極のポジショニングだと、双葉山の腰割りの美しさを讃えていた。
平成21年10月15日
双葉山の腰割りの写真を見、専門家にそれぞれ話を聞き、股関節や骨盤について学んで思うことは、腰割りは頑張って無理やり股関節を開くことではなく、股関節周りの筋肉(インナーもアウターも)をすべてゆるめるための運動だということである。すべての筋肉をゆるめることによって、あらゆる方向からの力に対応できるし、あらゆる方向に瞬時に動けるし、すべての筋肉を同時に使って大きな力を生み出すこともできる。
平成21年10月16日
司馬遼太郎の『街道をゆく』を愛読しているが、シリーズ34巻「大徳寺散歩、中津・宇佐のみち」に双葉山の話がでてくる。宇佐にまつわる話の中で、「相撲に無関心だった少年のときでさえ双葉山の強さと人柄を尊敬したし、その気持ちはいまもかわらない。それだけに昭和22年の璽光尊事件はショックだった」そして「双葉山について2年前にいい本が出た。工藤美代子氏の『双葉山はママの坊や』という本で、これを読んで、いよいよ双葉山が好きになった」とある。
平成21年10月17日
双葉山関連の本は本人の著書も含めて何冊かでているが、小坂秀二氏の『わが回想の 双葉山定次』(読売新聞社)は座右ともいえる書である。以前にも紹介した気もするが、小坂氏は「双葉山と同時代に生き、双葉山の相撲を見られたこと、戦後は親しく付き合いもできたことは、私にとって何よりの幸せであるが、双葉山を通して相撲の神髄に触れたことだけはなんとしても書き残しておきたい」と“はじめに”で記している。
平成21年10月18日
今日から秋巡業。今日は横浜で行い、一旦戻って22日に再び出発。姫路、京都宇治市、岡山県高梁市のあと四国へ渡って豊ノ島の出身地である高知県宿毛市、そして広島市で2日間、11月1日(日)に山口県周南市で行なって打上げ後に福岡乗り込み。翌日11月2日(月)が番付発表となる。入門して1年近く、ちょん髷姿も少し馴染んできた朝日向、初巡業。
平成21年10月19日
小坂秀二『わが回想の 双葉山定次』の中に、当時の大関五ツ島の興味深い談話がある「一生懸命組んでいると、途中で、どうしたんだろう、いなくなっちゃったんじゃないだろうかと思うことがある」相撲を取っている人間にとっても考えられない不思議な感想である。表面の筋肉がゆるみきっているからこそのことであろう。しかも相手は双葉山を2回も破っている強豪大関である。
平成21年10月20日
他の力士の言葉からも深さが感じられる。横綱照国「姿のいい人でした・・・一見大ざっぱに見えますが、細かいところもある。かと言ってそれにこだわらない。われわれではとらえようのない人でした。」関脇幡瀬川「いつどこにいても横綱だったねぇ。いばりもしない、気負いも気取りもない。われわれと一緒になって冗談言ったりするのが好きなんだが、横綱なんだよなぁ」関脇笠置山「双葉関の土俵人格は神に近かった。双葉関に勝ったら、その場で引退してもいいと思っていた」笠置山は17回対戦して一度も勝てなかった。
平成21年10月21日
大関増位山「顔が合ってしあわせでした。神風にひどくうらやましがられました。思い切ってぶつかっていける人でした。本場所の土俵でそう思える人はいないのですが、双葉関だけはそれができる人でした。そういう相撲をとるとほめられました」横綱東富士「幕下時分、よく、金の棒になってくれよ、鉛の棒になるなよと言われました。双葉関にけいこをつけてもらい、本場所で相撲をとれたことは、私の人生最大の喜びです」
平成21年10月22日
小坂氏は双葉山を不動の人とよぶ。精神的にはもちろんだが、時津風親方となって稽古をみるときもそうだったらしい。稽古場に姿を見せると、空気が一変し、すがすがしい緊張感が生じたという。正面に座り、稽古する力士が右に左に動いても、土俵をまっすぐ見たまま微動だにしなく、一言も発しない。稽古が終わると部屋頭の鏡里を呼んでひとことふたこと何か言って居間へ去る。残った鏡里は言われた言葉を反すうするように瞑目し、鏡里が眼を開いたとき、稽古場全体の緊張がフッと解けたという。巡業組、姫路へ出発。
平成21年10月23日
取締(現在の理事)になって検査長(審判長)として正面土俵下に座ったときも同じである。一度座ったら正面に眼を据えるだけで、土俵上の力士がどう動こうと、体はおろか顔も微動だにしない。あれで本当に見えているのだろうかと小坂氏も不思議がっているが、現役時代から「双葉山は心眼で見ている」という言う人もいて、ひょっとするとと思わされたとも語っている。
平成21年10月24日
先発隊5人(松田マネージャー、大子錦、朝ノ土佐、朝奄美、朝興貴)福岡の宿舎唐人町成道寺(じょうどうじ)入り。福岡空港に到着すると、一年ぶりの再会となるやっさん夫婦が出迎え。荷物が早く出たので出口へ一足先に向かうと、やっさんの奥さんが出口で大きく手を振って出迎えてくれている。近づいていってもこっちには全然気がつかない様子で、目の前で声をかけてようやくわかった。昨年からちょん髷は無くなっているが、長年の力士姿の印象がまだ強いようで「普通の人になっとるからわからんかった」と大笑い。やっさん夫婦とも20年来のお付き合いになる。
平成21年10月25日
以下は小坂秀二『大相撲ちょっといい話』から。昭和35年財団法人認可35周年祝賀という大行事が行われた。式進行を務めるのは笠置山の秀ノ山理事。笠置山の「理事長あいさつ」という声で双葉山は舞台中央に進み一礼、場内からは一斉に拍手がおこった。懐中から辞を取りだして読むところだが、ちょっと口元に微笑を浮かべると笠置山のほうへ手を差し出した。笠置山はハッと顔つきを変え舞台を飛び下り駆け出した。用意した辞を渡し忘れていたのだ。場内は爆笑の渦と化した。それまで荘重に進んでいた式典がメチャクチャになり収拾がつかない感じになってしまった。
やっさんの奥さんと息子(呼出し健人の兄)、息子友人の助っ人で鳥栖の倉庫から荷物運び。
平成21年10月26日
爆笑の渦の中、双葉山は口元にさきほどの微笑を残したままひとり正面を向いて立っている。笑っていた観客も一人二人と笑いをおさめて双葉山の姿をみつめはじめた。微動だにせず、悪びれず、気負わず、微笑さえふくんで自然な姿で立っている双葉山に、いつしか場内の笑いは消え、ひとつの奇蹟を見たときのような異様な雰囲気が生まれた。どこからともなく起こった拍手が場内に広がり、笠置山が戻り辞を渡すまで続いた。辞を受け取った双葉山は、いつもの落ち着いた、静かだがよく通る声であいさつを読み上げた。終わったとき、現役時代にもまさる万雷の拍手が場内に満ちあふれ、そっと涙をぬぐう人の姿もあった。
平成21年10月31日
先発隊で福岡入りして約1週間。しばらく弁当や外食がつづいたので、ちゃんこが恋しくなってくる。ちゃんこ場のプレハブも出来、鍋や食器類も洗い終わったので昨晩からようやくちゃんこも作れるようになった。ありあわせの簡単なちゃんこでも、ホッと落ち着くというか身が安らぐうまさがある。いわずもがなのことだろうが、お相撲さんが作る食事のことを“ちゃんこ”という。だから今日のちゃんこはカレーだという日もあるし、今日のちゃんこは豚カツにみそ汁だということもある。
平成21年11月1日
なぜ“ちゃんこ”というのかは諸説あるが、ちゃんこの「ちゃん」はお父ちゃんの「ちゃん」、「こ」が子どもの「こ」で、お父ちゃんと子ども、すなわち親方と弟子とで一緒に食べるから〝ちゃんこ”というようになったという説がいちばんわかりやすい。ちゃんこが鍋主体になったのは明治時代、常陸山の出羽海部屋が人数が増えすぎて、経済的かつ調理的に効率のよい食事として鍋をつくるようになったのが始まりだそう。巡業組も福岡乗り込み、明日が番付発表。
平成21年11月2日
昔は(明治、大正の頃か?)四つ足(牛や豚)は手をつくことを連想させるといって嫌われたそうで、魚か2本足で立つ鳥のちゃんこが主だったようである。最近は魚よりも肉主体だが、九州場所に来るとアラ鍋が何度かあるし、場所の初日のちゃんこはゲンを担いでソップ炊きにすることが多い。九州場所番付発表。
平成21年11月3日
ちゃんこ鍋というと、ちゃんこ屋さんの肉や魚や海老に野菜と、具だくさんの味噌味か醤油味の寄せ鍋風を連想する方も多いと思われるが、部屋での鍋は、野菜や豆腐、コンニャクなどの副材は多品目入れるが、メインとなる具材は、豚なら豚、魚なら魚と一種類になることが多い。その方がいろいろな種類の鍋を作れるからで、豚肉だけでも味噌味、醤油味、キムチ味、すき焼き風、ポン酢といろいろな味付けで食べるし、鳥肉や牛肉でもまたさまざまな食べ方をする。
稽古始め。お昼から力士会があり、終了後熊本玉名での横綱土俵入り、博多に戻り夜は維持員懇親会と横綱にとっては多忙な稽古始めの一日。
平成21年11月4日
魚のちゃんこをすることは昔より減ったが、地方場所に来ると魚の差し入れも多いので、魚のちゃんこの機会も多くなる。九州場所名物のアラ鍋、アンコウ鍋、金目、鯛、大阪場所でよく差し入れのあるブリをしゃぶしゃぶで・・・ポン酢で食べることが多いがそれそれ違ったおいしさがある。イワシのちり鍋も10年ほど前はたまにやったが最近はほとんどやらなくなった。イワシはつみれにしてさっぱりした醤油味で食べても最高にうまい。横綱、朝赤龍と共に春日野部屋への出稽古。
平成21年11月5日
季節によって作る鍋を変えるのですか?と聞かれることもあるが、基本的には変わりなく、差し入れをいただいた材料や飽きないようローテンションでチャンコ長が鍋の種類を決める。アラ鍋などは今の季節しか食べられないちゃんこではあるが。魚は全般的にそうだが、豚や鳥、牛もポン酢で食べることは一年を通して多い。今は大根おろしと薬味ネギに市販のポン酢だが、入門した頃は酒石酸(しゅせきさん)を醤油と鍋の出汁で薄めたポン酢であった。今日のちゃんこはキムチ鍋。
平成21年11月6日
酒石酸を知っている人はそういないと思うが,辞書を引くと「有機酸の一種。無色の結晶体。ぶどうなどの果実中に存在する。水溶液は爽快(そうかい)な酸味を持つ。薬用、清涼飲料水に使う」とある。言うなれば酢の素で、爽快な酸味というよりも、かなりの酸っぱさがある。20年ほど前は両国の薬局には必ず置いてあったが、今はどうなのだろう。市販のポン酢に慣れた口には酸っぱさがきついが、古い親方衆にとっては市販のポン酢は甘すぎて酒石酸でなければダメだということもあるようである。今日のちゃんこは、コンソメとブラックペッパーのスープに豚バラとキャベツのみを入れて食べるキャベツ鍋。
平成21年11月7日
入れる野菜は鍋の種類によって変わってくる。大根、人参、玉ねぎ、ゴボウなどは味噌味や塩味、濃い目の醤油味のときには入れるが、ポン酢で食べる水炊きやさっぱりとした肉団子には入れなく、代わりにもやしやニラなどを多めに入れる。また濃い目の味付け鍋にはキャベツ、水炊きやさっぱり系の鍋には白菜と入れ分ける。コンニャクや厚揚げは濃い目の鍋、塩炊きにはしらたき、水炊きは豆腐と分ける。えのきやシイタケのきのこ類はすべての鍋で使う。
今日のちゃんこは、ちゃんこの元祖ともいえるソップ炊き。
平成21年11月8日
ソップ炊きは、トリガラで出汁を取り鳥のもも肉(胸肉だと煮込むと固くなる)を醤油と砂糖と酒で濃い目に炊くちゃんこである。卵になる前の鳥モツ(玉ひも)も入れると更にひと味深みがでる。2本足の鳥を使うことといい、味付けが和食の煮物と同じことといい、おそらくちゃんこが始まった明治時代当初から作られていただろう。5日6日に作ったキムチ鍋やコンソメ味のキャベツ鍋などは最近はやりだした鍋であろう。今日のちゃんこは、これも最近の作であろうトリガラベースに塩コショー味の肉団子。横綱住吉神社での土俵入り。
平成21年11月9日
ちゃんこのメニューはちゃんこ長が決めるが、鍋の他にオカズも数種類つくるから毎日の献立を考えるのに頭を悩ませる。差し入れしてもらった材料を無駄にしないよう、「今日もまたかよ」と飽きさせないよう、和洋中なんにでも腕をふるう。今日のちゃんこは、これも昔からある鍋であろう豚ミソに、きのう横綱が釣ってきたスズキとクロダイの刺身、カサゴの煮付け、豚カツにゴマサバ。横綱、朝赤龍とともに出羽海部屋への出稽古。
平成21年11月10日
アラの差し入れがあり、今年初のアラ鍋。アラは大きいものだと50kg近くにもなるが今回差し入れのあったアラはわりと小ぶりの小アラ。大きいだけに捌くのが大変だが、チャンコ長大子錦の腕の見せ所である。ウロコが大きく分厚いので、包丁で皮ごと削ぎ落とし、頭を落として3枚に下ろしていく。骨も太いので、ナタか大出刃がないと頭を落とすのも一苦労である。骨や頭もぶつ切りにして鍋にいれると脂身がしっかりのってバリうま(激うま)で、肝や内臓も最高である。
場所前恒例の激励会がホテルニューオータニにて行われる。
平成21年11月11日
一般家庭で魚を捌くこともなくなったから、お相撲さんとして入門してくる新弟子もブリやカツオなども丸ごとの魚を触ったことがない人間のほうが多い。それでも差し入れでくる魚の鱗を落とし、兄弟子の包丁捌きを見ながらだんだんと覚えていく。もちろん向き不向きやタイプもあり、誰もが大きな魚を捌けるようになるわけではなく限られた人間のみである。生臭くなるし、大変なことではあるが、部屋にとってなくてはならない存在だし、引退後の人生にとっても役立つことである。
今日のちゃんこは、骨が太く鋭く、ちゃんこ長大子錦が指を傷めつつ捌いた鯛の鯛ちり。
平成21年11月12日
魚を捌くのも慣れである。はじめは、アジや金目はもちろんカツオやサケにも悪戦苦闘するが、ブリや鯛、アンコウ、アラと大きな魚を捌くと、カツオやサケは楽に捌けるようになってくる。大部屋だとお相撲さんの他にも世話人や若者頭といった相撲界に長い人も多いから、魚の捌き方も継承されていくが、新興の小部屋だと師匠一人と新弟子だけだから魚を差し入れしてもらっても大変である。今日のちゃんこは、肉団子の量が少なく、豚肉と鰯のつみれも入れた寄せ鍋。午後3時より国際センターにて九州場所前夜祭。
平成21年11月15日
一年納めの九州場所初日。寒風吹きすさび身が引き締まるほど。魚も寒いときのほうが身がしまり脂がのってうまいが、九州場所も寒さをかんじるくらいのほうが雰囲気が盛り上がる。一昨日豚ちり、昨日牛肉のスキ焼と四足のちゃんこがつづいたので、初日の今日は2本足でしっかり立って相撲を取れるようゲンを担いでソップ炊き。
平成21年11月16日
赤ん坊の頃から部屋に出入りしているやっさんの息子けんと。昨年の九州場所に呼出しとして入門して1年がたった。赤ん坊の頃から部屋に出入りしているとはいえ、ある意味お客さんとして部屋の仕事を手伝うのと、相撲界の人間として仕事をやるのはまた違うもので、順風だけともいえずに何とか一年をのり越えてきた。1年たった今場所、十両土俵下の水付けを行うようになって全国放送で画面に登場。またひとつ両親にとっても本人にとっても励みになることであろう。
平成21年11月17日
寒さが日に日に厳しくなってくる。例年は日中は暑さを感じるくらいの気候のため大阪場所ほどの防寒の用意をしていなく、さすがのお相撲さんも寒さが身にしみるようである。そんな中でもひとりシマジロウこと朝奄美だけは、福岡入りしてからもずっと夜寝るときも上半身裸だという。明日は雪になるかもという九州福岡、そのシマジロウもさすがに昨夜は裸では寒くTシャツを着たらしい。今日のちゃんこは湯豆腐。
平成21年11月18日
何日か前の新聞の1面コラムでも紹介されていたが、大関魁皇の地元直方と博多を結ぶJR九州の特急は「かいおう」号という名前がつけられている。全国的にはもちろんモンゴルでも人気が高い魁皇だが、地元福岡での人気は更に熱気を帯びている。今日は負けてしまったが、勝つと直方では花火も上がるそう。今日のちゃんこは、口に入れると身が骨からホロリとはずれるほど柔らかく炊いた手羽ちり。
平成21年11月19日
今日のちゃんこは牛肉でしゃぶしゃぶ。
平成21年11月20日
牛肉は、昨日やったしゃぶしゃぶかすき焼きで食べるのが主で、ちゃんこではあまり使われることが少ない。ただカルビの厚切りの肉の差し入れがあったりしたら大きい中華鍋でキャベツや玉ねぎなどとバターで炒めておろしポン酢で食べるバター焼きは人気の高いちゃんこである。カルビでキムチ鍋をすることもあるが、しゃぶしゃぶやすき焼きは相撲部屋でなくても食べられるから、本格ちゃんこを楽しみにしてきたお客さんにとってはしゃぶしゃぶやすき焼きの日ははずれになるだろう。今日は約10日ぶりとなる豚ミソ。
平成21年11月22日
力士が基本的に一日二食にしているのは、稽古の前に食事をとらないためである。胃に食事が残った状態では集中できないし、激しい稽古だともどしてしまう。江戸時代からつづいている習慣のようで、剣術の千葉周作が相撲の稽古場をのぞいて、「稽古前、食事は成るたけ減少すべし」と相撲の稽古の合理性を剣術にもとり入れるよう『千葉周作遺稿』に記している。横綱8連勝での勝越しだが、若い衆は4連敗が4人となり後半戦褌を締め直さなければならない。
平成21年11月23日
千葉周作の話は『街道をゆく36』で紹介されている。相撲見物が好きで稽古場ものぞき、相撲とりたちは稽古前に食事をとることもあるが、中程度の椀に薄い粥(かゆ)2杯以上は食べないということを知った。「人目を忍びて多く食せしものは、相撲稽古にかかりて、息合ひ早く弱り、中々人並の稽古出来かぬるものなり」という。3人3勝目を上げようやく勝越し王手。あす塙乃里が勝越し第1号となるか。
平成21年11月24日
部屋によって味が違うのですかと聞かれることがあるが、基本的には同じである。ただ微妙に違うところは確かにある。先日テレビで漫画家の琴剣さんが佐渡ヶ嶽部屋の湯豆腐を紹介していて、独特のタレで食べるのは同じだが、そのタレが青海苔が普通の海苔だったり、出汁を混ぜたりと高砂部屋風とは微妙に違う。今日のちゃんこは、九州場所初のおろしポン酢で食べる牛カルビのバター焼き。バター焼きのときは別にみそ汁もつける。塙乃里幕下以下での勝越し第1号。
平成21年11月25日
テレビで紹介されていた佐渡ヶ嶽部屋の湯豆腐のタレは、卵の黄身と醤油をダシでのばし、カツオ節と刻んだネギを混ぜ上からちぎった海苔をかけるものだった。高砂部屋風は、ダシは入れずに小鍋で卵の黄身と醤油にカツオ節、ネギ、青海苔をたっぷり入れ、沸騰させない程度に火を入れる。出来上がりはほとんど固形状になる。ちゃんこコーナーで紹介している湯豆腐は若松部屋風で、ダシでのばすのが佐渡ヶ嶽に近く、青海苔を使うのは高砂部屋風に近い。今日は団体のお客さんの予約があったのでソップ炊き。輝面龍2人目の勝越し。
平成21年11月26日
若松部屋風湯豆腐は白菜を使っていたが、師匠が他の部屋の親方とちゃんこの話をしていてキャベツの方が合うということになり、それ以来キャベツを入れている。確かに湯豆腐の濃いタレには水分の多い白菜よりもキャベツの方が合う。今日は差し入れのあった新鮮な牛モツでの味噌味のモツ鍋。塙乃里幕下復帰を確実にする5勝目。
平成21年11月27日
バター焼きは若松部屋でも高砂部屋も、おろしポン酢で食べたが、ある部屋では卵黄に醤油のタレで食べるらしい。以前は巡業でちゃんこをやっていたから、よその部屋のちゃんこをのぞいて部屋でもやってみるとかいう交流があったが、巡業が弁当になりよその部屋のちゃんこを食べる機会も見る機会も減ったから、今後は部屋による違いが大きくなってくるかもしれない。幕下以下12人中8人がすでに負越し、うち全敗が2人という最悪の場所の中、かすかな救いとなる朝弁慶勝越し。
平成21年11月28日
巡業のちゃんこは、一門や部屋ごとにテント張りの下で炭をおこして(最近はカセットコンロ)鍋をかけていた。ちゃんこ場はほとんど近くで設営されているから、醤油が足りなくなったとか味噌がないとかで、よその部屋に借りにいくことも多々ある。そんななかで、あそこの部屋は今日は何ちゃんこだとか、付け出しは何を出しているとか情報交換の場ともなる。「ちょっと出稽古にいってくる」といって、よその部屋のちゃんこの味見に行くこともあった。朝赤龍、2勝6敗からの6連勝での勝越し。付人の朝奄美、今場所散々な若い衆の中でようやく4人目となる貴重な勝越し。今日は鳥ちり。
平成21年11月29日
最近中洲でお相撲さんを見かけなくなった、という話をよく聞く。不景気の影響もありお相撲さんを連れて飲み歩くタニマチが減ったこともあるが、酒を飲みに行くお相撲さんが減ったということもありそうである。酒を飲んでも相撲が強くなるわけではないが、「よく学びよく遊べ」という言葉があるように、飲んだ分以上の稽古をするという心意気も必要であろう。ましてや着物を着て歩くだけで大相撲の宣伝にもなるから不入りが続く九州場所では尚さらのことかも。千秋楽、今場所4回目の満員御礼。
平成21年12月4日
「江戸っ子のうまれぞこないかねをため」という古川柳があるそうで「江戸っ子は宵越しのぜには持たない」ともいう。職人かたぎを表すことばで、司馬遼太郎『街道をゆく36』の本所深川散歩「江戸っ子」でも紹介されている。「いつも負けている角力とりが、もしかねばかり溜めているとしたらどうだろう。角力とりも職人も、腕に米のめしがついてまわってくるわけで、腕をみがきさえすればかねになる。職人の経済というもので、“かねを溜めるな、腕をみがけ”でなければ、職人はなりたたないのである」巡業の明け荷を荷出し、家財道具一式をトラックで倉庫へしまい、後片付けも最終段階。
平成21年12月12日
すみません長らく休んでしまいました。6日宿舎成道寺を片付け帰京。巡業組は冬巡業へ出発。熊本を皮切りに、今日は久留米、明日の熊本県山鹿市のあと沖縄へ渡り浦添市で2日間興行して16日に帰京の予定。21日(月)が新年初場所の番付発表。22日(火)は年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティー。
平成21年12月15日
師走はお相撲さんも何かと忙しい。まだ巡業中でもあるし、帰ってきたら引越しのように九州場所の荷物をほどいて整理しなければいけなく、カレンダーも送らなければならない。番付発表も迫っているし、パーティーもすぐである。またもちつきに呼ばれることも多く、忘年会ももちろんである。部屋のもちつきは27日の日曜日だが、これは部屋関係者のみでの行事。そして、年が明けたら10日(日)に初場所初日を迎える。
平成21年12月19日
現在発売中のKKベストセラーズの隔月誌『メンズキッチン』vol.2は鍋特集で「高砂部屋のちゃんこ鍋にせまる!」と題して4ページにわたり写真入りで九州場所の高砂部屋ちゃんこ風景が紹介されている。ちゃんこの他にも、いろいろな鍋やおいしくつくるコツ、一人鍋、お店の紹介など、鍋にまつわる話題が満載である。
平成21年12月21日
初場所新番付発表。先場所優勝を逃した横綱朝青龍、東の正横綱から西へ。朝赤龍は1枚半上がって西前頭8枚目。朝ノ土佐が幕下から陥落したが、代わりに塙乃里、輝面龍が幕下復活。朝奄美、今年3回目の勝越しで大子錦を1枚抜き自己最高位タイ。
平成21年12月23日
昨22日、年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティーがホテルニューオータニにて行われた。年末のお忙しい中、厳しい世相の中、全国からたくさんの方々が応援にかけつけてくれ親方はじめ横綱や力士一同を激励。おなじみ三遊亭小金馬師匠の司会のもと、川島一成やロスインディオスによるディナーショーや撮影会、抽選会などで年忘れ。毎年子供達が楽しみにしているサンタクロースによるプレゼント、今年は親方に代わり大子錦サンタ。汗びっしょりのサンタさんであった。また宮城県から来た新弟子希望者も紹介された。細身だが184cmある19才の若者である。
平成21年12月27日
年末恒例のもちつき。用意された240kgのもち米を稽古場にブルーシートを敷いて3つの臼をだしてドスンドスンと力強くついていく。200人近いお客さんがつめかけ、つきたてのお餅とちゃんこに舌鼓。横綱との縁で、柔道の金メダリスト鈴木選手も来部屋。前日からの米とぎや蒸しに大活躍の江戸川大ちゃんクラブの方々やつき手として大活躍の埼玉相撲クラブの協力もありお昼過ぎには終了。
明日、明後日までで稽古納め。新年は3日から稽古始め。
平成21年12月29日
稽古納め。稽古終了後師匠から締めの挨拶があり、全員で三本締め。実家が遠い朝奄美以外は午後から帰省し2日に戻ってくる。日頃寝坊とかで罰金をとっている代わりというわけでもないが、若者会より幕下以下の年間最多勝力士上位3名に金一封を贈呈。今年の最多勝は年6場所のうち5場所勝越して番付を序二段から三段目上位まで上げた朝弁慶の23勝。2位が塙乃里の22勝。3位が21勝で輝面龍、男女ノ里、笹川の3人。
平成21年12月31日
大晦日。平成21年度の高砂部屋をふりかえってみたい。1月と3月に新弟子が入門、引退力士は一人もいなく12人だった力士数が14人になった。また呼出しの新弟子も入門して頭数が増えたのは部屋にとって明るい材料である。初場所と秋場所の横綱の優勝も大きな話題となった。ただ朝赤龍が不調で、今年は三役に一度も上がらずじまいで終わった。また秋場所で幕下力士が一人もいなくなったのは、現状、将来的にかなり厳しい状況といえる。そんな中、朝弁慶が年間23勝を上げ序二段から三段目上位へと躍進してきたことが救いではある。新しい年は新しい波が起こってくることを期待したい。
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