過去の日記

平成22年<平成21年  平成23年>

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平成22年1月1日
新年あけましておめでとうございます
いつも高砂部屋ホームページをごらんいただきましてありがとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。新しい年が、みなさまにとって、大相撲にとって、高砂部屋にとって、よき年となりますようお祈りいたします。
帰省していた力士たちも一人二人と部屋にもどり、明日から稽古始め。4日が綱打ちで6日が明治神宮奉納土俵入、新年の行事も何かと多いが10日の初日に向け気持ち新たに始動する。
平成22年1月3日
稽古始め。横綱も若い衆に胸を出してさっそく始動。稽古終了後午後1時より資格者(十両格以上)全員で先代高砂親方のお墓参り。先代おかみさん、師匠夫妻、横綱、朝赤龍はじめ元富士櫻の中村親方や元水戸泉の錦戸親方に床寿さんや三平さんらも参列。6代目となる先代は元小結富士錦で亡くなられてもう7回忌になる。
平成22年1月4日
東京場所前恒例の綱打ち。平成15年から年3回ずつ行っているから今回で22本目の横綱。糠(ぬか)での麻もみなどの下準備には時間がかかるが、テッポウ柱に巻きつけて綱を打っていく作業は年々早くなっていって、実質1時間足らずで今までよりも少し太めの綱が出来上がった。春日野部屋への出稽古から戻ってきた横綱も前後左右から写メして締め具合を確認し新しい綱の出来上がりに満足そう。明後日午後からの明治神宮奉納土俵入で初お披露目となる。
平成22年1月5日
元小結富士錦の6代目高砂親方は山梨県出身である。出身地に因(ちな)んでの富士錦だと思っていたが、高砂部屋の横綱東富士の富士をもらっての四股名だそうである。高砂部屋伝統の押し相撲で、昭和39年7月場所には14勝1敗での平幕優勝を飾っている。小結で3回勝越しながらも番付運に恵まれなく関脇には上がれず昭和43年11月場所を最後に引退。年寄西岩、尾上を経て昭和63年から6代目高砂を継承。
平成22年1月6日
現在いる力士の中で輝面龍、大子錦、笹川、塙乃里、男女ノ里は6代目からの弟子である。もっとも輝面龍は5代目のときの入門で、3代の師匠のもとでの力士生活である。昭和63年10月、元横綱朝潮の5代目が亡くなったあとを継いで6代目を襲名。当時7代目の現師匠も小錦と共に現役の大関で、現錦戸の水戸泉が小結として活躍していた。台東区橋場に部屋を建て闘牙、泉州山という個性的な関取を育てている。平成14年2月に現師匠と名跡を交換して年寄若松として停年。平成15年12月に慢性腎不全のため逝去された。享年66歳。
平成22年1月8日
5代目高砂浦五郎は、わが故郷徳之島出身の第46代横綱朝潮である。昭和4年徳之島町井之川の生まれで神之嶺小学校卒。以前にも書いたと思うが、私の父母も同じ小学校で、父が2年上、母が1年下になる。小学生のときから体の大きさはケタ違いだったそうで、昭和23年まだ米軍統治下だった徳之島から漁船に大きな体を隠して神戸に渡り神戸出身として初土俵を踏んだという。昭和28年に奄美群島が日本復帰になって初めて徳之島出身とした。奄美出身の元近畿大学相撲部祷(いのり)監督とは同郷のよしみで縁も深く、現師匠が入門するきっかけともなった。
平成22年1月10日
平成22年初場所初日。お正月に清々しさと期待感を感じるように、初場所の特に初日は、力士にとっても一種独特な想いと雰囲気がある。しかも横綱審議委員会総見に天覧相撲ともなった初日の土俵、横綱朝青龍は力強い相撲で初日を飾る。高砂部屋としては3勝4敗のスタートとなった。
平成22年1月11日
2日目成人の日。高砂部屋では朝奄美が今年成人式を迎える。徳之島の亀津中学校を卒業後15歳で入門したが半年後に怪我をして休場がつづき2年半のブランクをのり越え再起。入門3年後に初めて勝越し、昨年は年3回の勝越しで自己最高位まで番付を上げている。本場所中で成人式には出席できないが、おかみさんからケーキとお祝いをいただいての成人祝い。
平成22年1月12日
久しぶりの雨で厳しい寒さの3日目。このくらい冷え込むと、さすがのおすもうさんも「寒い」「寒い」と口にする。それでも部屋の中ではTシャツにパンツのみしか着ていないが・・・
平成22年1月15日
小学生の頃、徳之島に帰ってきた5代目高砂親方を初めて見たが、その大きさにびっくりした。以前にも書いたように、入門のきっかけとなったのも5代目高砂親方との縁からである。昭和28年奄美日本復帰のときには島の英雄だった。親方の影響を受けもともと相撲が盛んな奄美からは入門者が多く、現在でも13人の力士が現役で相撲をとっている。
朝縄、昨日の朝久保につづき3連勝。
平成22年1月16日
横綱朝潮の5代目高砂親方はその独特の風貌で人気を博し、手力男命の役で映画出演したり少年マガジン創刊号の表紙を飾ったりもした。優勝5回のうち4回が大阪場所で大阪太郎とも呼ばれた。大阪神戸には奄美出身者が多く、奄美人の誇りであった。昭和34年5月横綱になってからは腰椎分離症に悩まされ優勝1回だけで昭和37年1月場所で引退。年寄振分を経て昭和46年9月より5代目高砂を襲名した。
平成22年1月17日
現師匠は大関に上がってからも稽古場では5代目に竹刀で厳しく指導されたが、普段は温厚で優しい親方だったという。元相撲診療所所長の林盈六氏も5代目と親交が深かったようで『力士たちの心・技・体』(法研)にも親方とのエピソードがでている。当時の付人から聞いた話では、晩年、タクシーに乗っていて運転手に「あ!親方、元の大内山さんですよね」と間違えられると機嫌が悪かったそうである。
平成22年1月18日
持病はあったものの、毎朝ウォーキングに励み食事にも気を使っていたが、南海龍事件の心労が祟ったのかどうか、楽しみにしていたという還暦土俵入を一年前にして亡くなった。享年59歳。先代から大関前の山、白田山、高見山、富士櫻という関取を引き継ぎ、大関朝潮、小錦、水戸泉を育て上げた。
平成22年1月21日
南海龍については覚えておられる方も多いかと思うが、西サモア出身で188cm150kgと均整のとれた筋肉質の体で将来性を大いに嘱望された力士だった。突っ張っても四つに組んでも相撲を取れ、そのパワーもすさまじかったが、酒の飲みすぎで度々事件を起こして最後は廃業となった。朝日向、大子錦勝越し。横綱、優勝争いの単独トップとなる。
平成22年1月22日
南海龍とは入門が一年も違わなかったから新弟子の頃は出稽古にいってよく稽古した。最初は「プッシュ!プッシュ!」と指導されるからどんどん突っ張ってきた。こっちは中に入らないと相撲にならないから頭を下げて当たると顔面に大きな手がガンガン飛んでくる。口の中が切れることもよくあったが、稽古が終わると「ダイジョウブ?アナタヒクイカラカオニアタル」と心配げに声をかけてきた。ふだんはいい奴だったが、酒を飲み出すと止まらなかった。明日にも優勝決定となりそう。
平成22年1月23日
横綱25回目の優勝。千秋楽前に優勝が決まると、部屋で“めで鯛”を持って優勝祝いの記念撮影を行うが、入門丸三年になる朝弁慶は初めての経験だという。何度か鯛を用意したこともあったが千秋楽までもつれて使うことはなかったので、久しぶりの部屋での優勝祝い。朝久保初の三段目昇進へ希望をつなぐ6勝目。塙乃里幕下残留を決める3勝目。
平成22年2月5日
この度の騒動に関しまして、応援していただいている皆様方には多大なるご心配とご迷惑をおかけいたしましたこと深くお詫び申し上げます。横綱の引退という事態、師匠の二階級降格という処分を厳粛に受け止め皆様の信頼回復に向け師弟一丸となって精進致す所存です。皆様からのたくさんの叱咤激励頂きましたこと感謝申し上げます。
平成22年2月13日
3月場所の新弟子候補が祖父母や先生と一緒に部屋を訪問。栃木県大田原市の高校3年生玉木君で、高校では陸上競技をやっていたそうで細身だが、中学生のときに相撲経験もあるそう。相撲が好きで力士志願したところ先生が師匠の先輩と知り合いで、先輩を通じて入門話がすすんだ。その先生は、昔高知の水産高校にもいたそうで、赴任中にちょうど朝久保が1年生に在籍していて、いつも怒られていた姿をよく覚えており、当時からすると随分成長したらしい朝久保に、目を細めていた。
平成22年2月21日
先発隊7名(大子錦、塙乃里、男女ノ里、朝久保、朝弁慶、朝興貴、松田マネージャー)と呼出し健人、大阪入り。新大阪駅には、変わらず今年も師匠の大学の後輩にあたる嶋川さんが、元仕事仲間や同級生、甥までも動員して迎えにきてくれ谷町九丁目の宿舎久成寺(くじょうじ)に入る。お寺さんにも温かく迎えていただき、夕方、琉球大学OB会の先輩がビールやお茶を車に満載で差し入れにきてくれ夜はちゃんこ朝潮での晩飯。毎年変わらぬ心温まる出迎えに感謝である。
平成22年2月22日
先発隊2日目。先発隊の仕事は、お寺さんにしまってある家財道具一式を出してセッティングし、本体が着いたその日から普通に生活できるように準備するのが主である。お寺さんの畳を汚すことのないようゴザを敷き拭き掃除してタンスやハンガー、冷蔵庫、テレビなどを設置していく。宿舎久成寺はお借りして40年以上にもなるが、ハンガーなども昔からのものが残っていて、龍授山とか、小池山を消して闘牙と書き直したハンガー、南海龍KiRiFi SAPA. (南海龍の本名)と書いた懐かしいものまで未だに使っている。
平成22年2月28日
全員大阪入り。晩、ちゃんこ朝潮徳庵店にて大阪後援会特別会員とのちゃんこ会。みなさん家族連れでお見えになり親方や力士と鍋を囲む。明日が番付発表で、明後日から3月場所に向けての稽古開始。
平成22年3月1日
3月場所新番付発表。先場所6勝1敗の朝久保、入門7年目にして初めての三段目昇進。西98枚目に朝久保の名が見える。三段目に上がると序二段より番付の字がひと回り大きくなるので自分の四股名も捜しやすくなる。何より三段目という響きが下の力士にとっては最高に嬉しい。横綱朝青龍の四股名が番付から消え、東前頭11枚目朝赤龍が部屋頭となる。
平成22年3月5日
二年前に引退して角界を去った朝乃翔と朝陽丸、現在は大阪の間口陸運という会社に勤務している。社長が元力士で、会社に相撲部も創りアマチュア相撲界はもとより関西でも名の知れた大きな会社である。元朝乃翔の小塚氏は、社長室室長のかたわら相撲部監督も務めていて、二人ともこの度アマチュア相撲界への復帰が認められ、アマチュア相撲界で審判や役員としても活躍することになった。
平成22年3月7日
昨日6日、大阪場所前恒例の高砂部屋激励会が上六シェラトン都ホテルで行われ、1000人を超えるお客様が集い大阪場所での高砂部屋の活躍を祈願。大阪高砂部屋後援会会長の塩川正十郎元財務大臣も多忙なスケジュールの中駆けつけ激励。鏡割り、乾杯のあと、元横綱朝青龍が舞台に登場し、騒動の謝罪を述べ、大好きな大阪の皆様に会えた喜びと引退相撲のお願いのご挨拶。満場から拍手喝采。
平成22年3月8日
宿舎の久成寺(くじょうじ)の最寄り駅は地下鉄谷町線谷町九丁目駅である。住所は中央区中寺2丁目。谷町筋から一本ミナミ方面に下った筋沿いで一帯はお寺が多く寺町ともいえる。お相撲さんを贔屓にして後援してくれる人を「タニマチ」というが、明治初期に谷町筋で開業していたお医者さんが相撲好きで治療に来たお相撲さんをタダで診てくれたことに由来するそうで、相撲とは縁の深い町である。そういう影響もあり3、40年前は多くの部屋が谷町筋のお寺を宿舎にしていたが、今では高砂部屋だけになってしまった。久成寺を高砂部屋がお借りして今年で50年になるそうである。
平成22年3月12日
取組編成会議が行われ初日と2日目の取組が決まる。取組編成は「割り」といい、2日分を初日の2日前に審判部が行う。元朝乃若の若松親方、今場所から審判委員を務めることになり、今日の取組編成会議から仕事始め。初日は三段目と幕内前半戦の取組を土俵下から審判することになっている。
平成22年3月14日
兵庫県高砂市出身の朝興貴、宿舎からほど近い天王寺区寺田町にある興國高校の出身である。入門して4勝、5勝と勝ち越して序二段50枚目台まで番付を上げたが、そこから3場所連続の大負けで1年経って元の序ノ口に戻ってしまっている。興國高校は昭和43年の甲子園優勝校であり、ボクシングや野球のプロ選手も多数輩出しているが、大相撲へは戦前に一人いた以来だそうで学校関係者や友人の期待も大きい。地元に帰ってきた今場所こそ期待に応えたいところだが、黒星の初日。
平成22年3月17日
高砂部屋のちゃんこ一切を取り仕切っているちゃんこ長大子錦、入門16年目今年で33歳になるがいまだに成長期にあるようで年々体重を増やし大台200kgにあと数キロに迫る勢いである。三段目にも上がったことはあるが、最近は序二段を上下している。下位から中位ではその巨体で勝ち越すが、序二段も上位に上がると大きさだけでは勝てなく上がっては大負けをしてここ2年で全敗が3回、通算4回の全敗を記録している。全勝が難しいのはもちろんだが、全敗も同じく難しいもので20年やっていてもそんなに経験できるものではない。それを4回もしているのは記録ではないかと新聞記者に調べてもらったら、上には上がいるもので、6回が最高記録だそう。新記録へ挑戦の大子錦、2連敗スタート。
平成22年3月18日
初めての三段目昇進を果たした朝久保、小さい頃から相撲を始め相撲センスは悪くないのだが、やる気の無さは相撲センスを上回るものがあり昇進を遅くしてきた。初日に勝ったものの2連敗して今日で1勝2敗。今までなら「どうせだめっすよ~」と投げやりになるところだったが、悔しさと、何とか勝越したいという前向きな言葉も口から出るようになってきた。残り4番期待できる・・かもしれない。朝赤龍初黒星。
平成22年3月19日
朝ノ土佐3連勝。こちらも大子錦同様年々成長を重ね160kgという立派なアンコ力士になっている。しかしながら上には上がいるもので北の湖部屋のロシア出身大露羅(おおろら)は270kgになっているらしい。入門が同時期だから支度部屋でもよく話をするそうだが、大露羅「まだその体だと相撲やめてもつぶしがきくからいいよね」土佐「きかん、きかん」大露羅「こんなに太ってロシア帰っても仕事ないから日本でさがさなきゃ」土佐「日本にもない、ない」という会話を交わしたという。そのアンコ力士朝ノ土佐とスーパーヘビーアンコ大露羅、3連勝同士で勝越しをかけて中日に対戦する。
平成22年3月21日
中日折り返し。部屋頭朝赤龍、6勝2敗と好調に後半戦へ。幕下以下は、朝ノ土佐、輝面龍のベテラン2人が3勝1敗と好調なものの逆に1勝3敗が5人。地元兵庫出身の朝興貴、日曜日とあって両親が応援に来るが親孝行の白星とはならず。朝興貴含め残り5人が2勝2敗と五分の星、後半戦に勝越しをかける。
平成22年3月22日
「腰割り」という言葉は不思議な言葉である。似たような「股割り」のほうがまだなじみがあるようで、本を買ってくれた人や健康雑誌などでも混同して「股割り」と言われてしまうことが多い。「股割り」の股は、日本語一般にいう「股」とほぼ同じ意味だが、腰割りの「腰」は日本語一般にいう「腰」、いわゆる腰痛を起こす腰部とは違う「腰」だから一般的になじみにくいのかもしれない。朝久保負越し。
平成22年3月23日
「腰割り」の「腰」は、「相撲は腰で取れ」とか「腰を入れる」「腰を据える」「腰がつよい」などに使っている「腰」とほぼ同じ「腰」である。この場合の「腰」は、いわゆる腰背部の「腰」ではなく、股関節や骨盤、丹田などを含めた広い意味での「腰」である。「腰を割る」ことによって、腰が入り、腰が据わり、腰がつよくなり、腰で相撲を取れるようになる。心・精神にもいい影響を与えるのももちろんである。朝ノ土佐今場所第1号の勝越し。
平成22年3月24日
腰を使った言葉には、逆の意味で、「腰抜け」とか「腰砕け」「腰が引ける」「及び腰」などもある。腰言葉を並べてみると、日本語の中で使われる「腰」が単なる腰背部のことでなく、身体の中でも意識や精神の中でも、要となるところを指しているのがよくわかる。身体の中心を使い、積極かつ落ち着いた心を得るために、「腰を割る」のである。
朝赤龍、土俵際腰を割った寄りで勝越し。朝縄勝越し。朝ノ土佐5勝目。
平成22年3月27日
腰を「割る」ことは腰を低くすることだと思っている方は多いと思うが、似ているようで違う。腰を低くしても、腰を後ろに引いてしまうと、いわゆるへっぴり腰になり、腰で相撲を取ることはできない。腰の位置が少々高くても股関節が開き腰が重心線にのると、腰を割って腰で相撲を取ることができる。 塙乃里、朝興貴勝越し。朝ノ土佐、幕下復帰を確実にする6勝目。朝弁慶、負け越し。
平成22年3月31日
股関節を開くことが「腰を割る」ことかといわれれば、かなり近いけどイコールではない。腰を低く落として踏ん張る時には股関節はかなり開いた形になるが、腰を高い位置で使う場合や体を全体的に前傾させて使う場合、足を前後に開く場合などは、それほど大きく股関節を開かないほうが腰は使える。要は、腰を重心線に近づけて脚が自由自在に動けるように股関節を開くということなのだろう。そのための股関節の柔軟性である。
平成22年4月1日
双葉山は腰を低く落として頑張らない。一見無造作に高めにも見える。足を前後左右にほどよく開き、相手の突き押し、寄り、引きに対し、小刻みに足を動かし絶妙なポジションをとりきっている。相手が必死に攻めても、相手の力を吸収し、微妙にずらし、腰はまったく崩れない。ガッチリ固めた力強さでなく、柔らかく、あくまでもしなやかで、重力の重みを十分に使いきった腰である。それこそが究極の腰割りであろう。
平成22年4月2日
高岡英夫氏が『究極の身体』で解説しているように、武術では「割体(かったい)」という身体操作方がある。センターに沿って身体を左右にずらし合いながら使うことで高度な動きを得る。また高岡氏は「割腰」という概念も紹介している。仙腸関節をわずかに動かせるようになることで腰の中も分けて使えるようになり、脚が股関節のさらに上、腰の中から始まるようになる。単に開くというよりも、「割る」ことで分化が進み、精妙かつダイナミックな動きを得られる。
平成22年4月3日
「腰」や「割る」という言葉を考えてみると、「腰割り」が、単に腰を低くすることや股関節を開くことだけでなく、要である「腰」を中心として身体をもっとも合理的かつ機能的に使うために最適の構えをとること、と言えるではなかろうか。そのために股関節や仙腸関節をゆるめなければならない。 巡業組(朝赤龍、男女ノ里、朝弁慶)伊勢神宮へ出発。残りの力士は帰京。
平成22年4月4日
昨日4月3日発売の新潮社『考える人』(2010年春号)の「日本の身体」という連載企画で内田樹先生との対談が掲載されています。合気道家でもある内田先生と相撲の身体運用について興味深く語り合いました。
平成22年4月5日
『相撲のひみつ』(朝日出版社)という本が出版された。著者は東大相撲部部長で東大法学部教授新田一郎氏である。幼少の頃から熱烈な相撲ファンで、東大相撲部時代には数々の実績を残し、現在もマワシを締めて部員に稽古をつけている新田氏。番付から相撲の歴史、技、見方、豆知識、・・・、写真やイラストをふんだんにつかい、わかりやすく詳しく相撲の面白さが語られている。にわか相撲ファンにも、相撲愛好家にも十分楽しめ勉強になる本である。
平成22年4月6日
新田一郎氏とは同学年になる。当時11月に開かれる全国学生相撲選手権大会はAグループからCグループまでの三段階に分かれていて、Aグループは日大、近大、農大といった強豪校、Cグループはほとんどが素人集団で琉球大学はもちろんCグループ。個人戦は参加40数校の選手200名あまりが一斉に参加してのトーナメント戦でAグループ以外の選手が2回戦3回戦と勝ち残っていくのは至難のわざであった。そんな中、東大の新田選手はAグループの選手をも破りベスト32まで2年連続で勝ち残っている。
平成22年4月7日
大学4年生時の学生相撲選手権での1回戦の対戦相手が新田選手であった。2年生の時から参加して3年目、6月に開かれた西日本学生選手権では二部で準優勝して、相撲界入りも心密かに決意していたから最後の学生選手権にも大いに期するものがあった。しかしながらあえ無く新田選手に敗れ終わった。新田選手は日本法制史を専門として大学に残り現在は法学部教授。琉球大松田の入門は新聞で知り、「やられた」と思った、と久しぶりに再会したときに語っていた。94年に『相撲の歴史』(山川出版社)という名著も著している。
平成22年4月9日
東大相撲部は、櫟原(ひらはら)さんという、やはり熱狂的に相撲を愛する方が創設された。中学生か高校生の頃、月刊『相撲』誌でその記事を読み、琉球大学相撲部創設にも影響を受けた。個人的にも親しくお付き合いさせていただいているが、参議院法制局部長という多忙な要職にありつつも東大相撲部OB会長でアマチュア相撲や女子相撲の役員を務め、息子の通う中学校に相撲部を創り胸を出しと、相撲の普及発展のために日夜奔走している。どの世界にも言えることなのだろうが、相撲の周りにも、とりつかれたように相撲を愛し、相撲に身を捧げている人が多々いる。
平成22年4月10日
『野球小僧』(白夜書房)という中学生向けの野球雑誌がある。現在発売中の2010年5月号は、特集が「24時間、野球に使え!」で、特集のなかで「一畳でできる腰割りトレーニング」と題して「腰割り」の取材を受けた。野球界でも工藤公康投手が取り入れて効果を上げている腰割り。P142~P145まで写真入りでわかりやすく7つのポイントが解説されています。
平成22年4月11日
東大相撲部の土俵を呼出し利樹之丞、邦夫、健人の三人で打ち直し。部員4名のほかにOBも4,5名参加して駒場キャンパスにある道場(2階はボクシング部棟)の土俵を新にする。櫟原さんが創った東大相撲部は創部35年を超え、新田部長が守り、綿綿と引き継がれている。今日新に女子マネージャーの入部もあった。
平成22年4月12日
都内の桜もいよいよ見納めの感だが、春にはほど遠い冷え込みの一日。おなじく春に咲く「スミレ」のことを「相撲取り花」「相撲取り草」と呼ぶそう(マンガで読んだが)。
そういえば子供の頃スミレの花をお互いからませて引っぱりあいっこして遊んだ記憶はある。ほかに「オオバコ」なども「相撲取り花」と呼ばれているようで、地方によっては「セキトリソウ」とか「リキシソウ」と呼んでいるところもあるそう。
平成22年4月13日
「相撲取り花」は『ビッグコミックオリジナル』の「あんどーなつ」という浅草を舞台にした和菓子職人の物語にでてくる。前回からお相撲さんが登場してきたので「相撲取り花」という訳で、和菓子では、桜が終わった頃に「菫(スミレ)」を拵えるという。同誌の西岸良平「三丁目の夕日」もタイトルがそのもの“お相撲さん”で、昭和30年代お相撲さんが子供達たちのヒーローだったころのおはなしである。
平成22年4月14日
「三丁目の夕日」には“昭和30年代は大相撲の黄金時代だった”とあるが、まさにその通りで、前半35年まで栃若が時代を築き、35年以降は柏鵬が人気を博し、千代の山、朝潮という横綱や房錦、岩風、明武谷、鶴ヶ嶺、信夫山・・・という個性派力士も多彩で、力士を主人公にした映画やマンガ、メンコまで、人気力士が世の主役であった。少年マガジンの創刊号の表紙を飾ったのも横綱朝潮である。もちろん子供達の遊びの中にも“すもう”があった。
平成22年4月15日
若松部屋入門当時の師匠“褐色の弾丸房錦”も『土俵物語』というタイトルで大映から映画化なった。新入幕の場所、優勝争いにからむ活躍で14日目には養父式守錦太夫から勝ち名乗りを受けたときは大騒ぎになったという。両国駅ビルの「花の舞」のお手洗いに大相撲黄金時代の映画のポスターが飾ってあるが、ー母の祈りを背に受けて、父から受ける勝ち名乗り!若き闘魂は暴れ狂う、弾丸力士の栄光物語!-というコピー通りに、母と行司(役者さんか?)が見守る中、弾丸のごとく当たっていく若武者房錦の姿がある。
平成22年4月16日
両国花の舞には、他に『土俵の鬼 若乃花物語』 『怒涛の男 力道山物語』『風雪十年 全勝吉葉山』『双葉山物語』といった映画のポスターもあった(4年前のことだが)。黄金時代を知る相撲ファンにとっては懐かしさあふれる空間であろう。ご存知のかたも多いと思うが、「花の舞」の店内には本場所同様の土俵があり、場所中は毎日相撲甚句も披露される。
平成22年4月17日
大阪場所の折、アメフトの選手が稽古に参加した。アサヒ飲料チャレンジャーズの和久選手をはじめ、関西大学や天理大学の選手も参加。和久選手も語っているようにアメフトと相撲は通じるところも多く、選手たちの立派な体格にも目を見張るものがある。学生の中には、突っ張りを覚えたらいい相撲をとるだろうなぁ、という選手もいて、思わずスカウトしたほどである。そのうちアメフト出身の力士が誕生する日もあるかもしれない。
平成22年4月18日
アメフト出身の力士という話、で早速メールをいただきました。そういえば、帝京大学でアメフトをやっていて入門したことが一時マスコミで話題になった。メールをくだされた方は相撲もよく注目しておられたようで「前に出るスピードはありましたが腰高でよく、うっちゃられていました」とある。膝とかの故障もあったのか支度部屋で分厚いサポーターを巻いていた姿をおぼろげながら思い出す。残念ながら2,3年前に引退してしまったようである。
平成22年4月19日
「前に出るスピードはありましたが腰高で・・・」というのはアメフトと相撲の競技性の違いを現していておもしろい。アメフトのルールにはあまり詳しくないが、大まかに言うと、同じぶつかることでもアメフトでは広いフィールドの中でタックルやブロックで相手を止めるためにぶつかるが、相撲は狭い土俵の中で相手を崩すためにぶつかる。アメフトではスピードがより求められ、相撲では安定性と鋭さがより求められる。
平成22年4月20日
もちろんアメフトにも安定性は必要だし相撲にスピードが必要なのはいうまでもない。どちらに重きをおくかである。いうなれば、アメフトはスピードを落とさずに安定性を高めなければいけないし、相撲は安定性を崩さずにスピードを高めなければならない。そのため相撲では低い重心でのスピードが求められるし、アメフト(ラグビーやサッカーも同じだろうが)ではある程度高い重心での強さが求められる。
平成22年4月21日
“重心”とは、そのもの(物体や人間の体)にかかる重力の中心点である。ちょうどつり合いのとれる一点といえる。円や正方形だとちょうど真ん中に重心があるし、人間の体も、頭のでかい小さい、脚の長い短い、腹が出てる、・・・などで多少違ってくるが、おおむね下腹部お臍近辺にある。長方形の箱を立てるよりも横にした方が安定するのと同様、足を閉じて真っ直ぐ立った姿勢よりも足を広げて重心の位置を下ろした方が安定する。
平成22年4月23日
足裏の面積は体全体の面積のほぼ1%でしかなく、左右合わせても2%でしかない。その狭い面積で縦長の体を支え、しかも一番上に重い頭がついているから、もともと不安定このうえない。狭い面積の足裏で体重を支え、不安定な体を移動させることは至難なことである。二足歩行ロボットの開発も実用化に至るまでには困難を極めている。夏場所に向け稽古場土俵築。
平成22年4月26日
5月夏場所番付発表。先場所久しぶりに二桁10勝を上げた朝赤龍7枚も番付を上げて4枚目、上位との対戦も見られる位置である。朝日向が朝龍峰と改名。出身地熊本県八代にある山の名前からの命名とのこと。序ノ口11枚目で4勝の朝興貴、47枚も上がって序二段89枚目。3月場所は入門者が多いので、序ノ口と序二段下位は、勝ち越したら押し上げで大きく番付が上がる。
平成22年4月27日
重心の話に戻る。長方形の箱を縦に立てたときよりも横に立てたとき、横に立てたときよりも寝かせた方が安定する。縦よりも横、横よりも寝かせた方が地面と接する面積(基底面というが)が広くなるからである。箱の重心が基底面から外れたとき箱は倒れる。人間の体も同様で、足をそろえて立っている姿勢よりも足を大きく広げて腰を落とした姿勢のほうが基底面が広がり安定する。稽古始め。木村朝之助による土俵祭が行われ夏場所の必勝と安全を祈願。
平成22年4月28日
前に落ちて負けたときなどTVの解説で「足がそろっていましたね」とよくいわれる。足を左右に開いただけでは、箱を横に立てたときと同じで基底面は狭い。前後にも足を広げたときに基底面は前後左右に広がり、より安定する。足をそろえるな、というゆえんである。明日4月29日(木)午前7時30分より国技館本土俵にて、5月場所前恒例の横綱審議委員会稽古総見の一般公開が行われます。
平成22年4月29日
足を前後に広げることにより基底面が広がり、少々押されても引かれても体の重心は基底面から外れにくくなる。また、重心のある腰腹部が崩されないよう、脚の踏ん張りが効きやすいよう、股関節を開いて腰を割る。腰は低いほど安定するが、関節の構造上、膝よりも下に腰が落ちてしまうと逆に踏ん張りは効かなくなってしまう。
平成22年4月30日
足を前後に広げなければならないのは、相撲を取るときの話である。相撲を取るときは、体を前傾させて重心を前にかけるから、足がそろっていると重心が足裏の基底面から大きく外れてしまう。相手にもたれかかってなんとか倒れないでいるようなものである。相手が動いてつっかい棒をはずされると、足が送れなく転んでしまう。足が前後になっていると、基底面から少し重心が外れても、すぐに足を送って重心を基底面に保つことができる。
平成22年5月1日
構えによって重心を基底面から外さないようにすることが大切である。ただ、攻めるにせよ守るにせよ体の構えは常に変化するから重心も常に動く。また、意識によっても重心は大きく揺れ動いてしまうから、相撲を取るなかで重心を安定して保つのは難しい。今年も今日明日と両国にぎわい祭りが行われます。ちゃんこミュージアムや相撲健康体操、櫓太鼓、相撲甚句、・・・盛りだくさんのイベントで両国が賑わいます。
平成22年5月2日
重心を安定させるには、腰を割り足を前後にも開いて構えるのと同時に、重心を崩さないようにする力も必要になってくる。重心を崩さないようにするには二通りの方法がある。一つは、脚でしっかり踏ん張り、腰腹部にもがっしりと力を入れることにより強力に重心を安定させる。
平成22年5月3日
十両格行司木村朝之助には小学校3年生の息子がいる。相撲を始めたそうで、わんぱく相撲の予選も近づいてきたので今日は相撲仲間と二人で稽古見学にやってきた。稽古終了後土俵に下りて稽古して朝弁慶にもぶつかった。小さいながらも足腰はいい。何番か取ったところで「お父さん行司して!」と言ったが、笑顔で見守る朝之助からは「まだ、顔じゃない!」との声。本人の夢は「おすもうさんかお笑い芸人」らしいから、十数年後、父の軍配で相撲を取る日がくるかもしれない。
平成22年5月4日
重心を安定させるもうひとつの方法は、脚や腰に力を入れて踏ん張るのでなく、逆に脚や腰をゆるめ絶妙なバランスをとり合って重心を保つ方法である。同じ強さでも、一方が相手が当たってもびくともしないはね返されるような力強さなのに対し、当たった力が吸い込まれるような力が伝わらないような、しなやかで柔らかさをもった強さになる。
平成22年5月5日
奈良時代に建てられた法隆寺五重塔は、1000年以上もの年月地震や台風に耐え立っている。しかも中心を柱が貫いているだけで各階がずれ合うようになっていて、土台も礎石にわずかにはまっているだけの構造だそうある。これをヒントに高層ビル建築に欠かせない地震に強い「柔構造工法」が考え出されたという。反対にすべてをガッチリと固めてしまうのを「剛構造」といい、比較的低い建物や小さな揺れに対しては十分効果的である。
平成22年5月6日
本来、人間の体も関節によって分かれているから、五重塔のように「柔構造」のはずである。しかし、肩やアゴを強く押されると大きく全身のバランスを崩し、引かれると前に思い切りつんのめってしまう。五重塔のように中心を貫く芯がなく、ただ箱を積み重ねて、それぞれを関節でつなぎ合わせたようなものになってしまっている。
平成22年5月7日
取組編成会議。審判部が一堂に会して初日と2日目の取組を決める。初日は、横綱大関は小結か前頭筆頭あたりと当て、それ以下は番付の東西か半枚ちがいを当てることになる。横綱白鵬は西小結栃煌山と、西正大関琴欧洲は東前頭筆頭豊ノ島と、西張出大関把瑠都は西前頭2枚目栃ノ心と西前頭4枚目朝赤龍は東前頭4枚目北太樹との対戦。幕下以下も同様で基本は番付の東西同士だが、休場力士がいたり同部屋の場合は半枚ちがいの対戦となる。明日、土俵祭。
平成22年5月8日
「あす~は 初日じゃんぞ~え」呼出しさんの艶のある声が稽古場に響きわたり、触れ太鼓の高く乾いた音が鳴り響く。明日から5月夏場所初日。力士は怪我人も無く全員元気に初日を迎えるが、呼出し健人がちゃんこ片づけ中に足を怪我して今場所は休場。皇牙の後を受けて19年5月場所より3年間弓取式を務めた男女ノ里、今場所から九重部屋千代の花に代わることになった。触れ太鼓は後半戦の取組を呼び上げたあと「ご油断で~は 詰まりますぞ~い」(油断していると席がなくなってしまいますよ)で締める。
平成22年5月10日
相撲を取りながら重心を安定させるのが難しいのは、重心が心にも影響されるからである。緊張してガチガチに体が固まると重心は上がり、立っているだけで不安定な状態になる。相手の当たりが予想以上に強かったり、逆に急に変化されたりしても動揺して重心を大きく崩してしまう。朝赤龍、好調に2連勝。
平成22年5月11日
緊張して固まると、体は固体のようになり、一度崩れだした重心は戻せなく、あっけなく倒れてしまう。一方リラックスしていると、体は大げさにいうと半液体状になり、体の各部も五重塔のように微妙にずれ合い、しなやかに体勢を変え、重心を崩さないよう保つことができる。朝赤龍、相手の重心をちょんがけで見事に崩しての3連勝。
平成22年5月12日
緊張して棒のように固まった体が倒れやすく、ゆるんでしなやかな体が倒れにくいのは、感覚としてもわかりやすいと思うが、慣性の法則で説明できる。「力が働かないかぎり、止まっているものは止まり続け、動いているものは動き続ける」というニュートンの運動の第1法則である。全身が棒のように固まってしまった体は、押されたり引かれたりしてバランスを崩すと全身が一緒に崩れていってしまう。一方、しなやかな体は上半身が崩されて動き出しても、下半身は上半身にひきずられることなく止まりつづけようとし、崩れようとする上半身にブレーキをかけることもできる。朝赤龍4連勝。
平成22年5月13日
ニュートンとか慣性の法則などと言われると違和感を覚える方もおられようが、誰もが日常で体験していることで、電車に乗って動き出したときに後ろに引っぱられるのや、急ブレーキで止まるとき前につんのめってしまうのが慣性の法則である。乗った人は止まり続けようとするから電車が動きだすと後ろに引っぱられ、動き出したあとは、電車が止まろうとしても前に動き続けようとして、体はつんのめってしまう。
平成22年5月14日
体が固まってしまうと体全体がひとかたまりになって、崩れだしたら崩れつづける。体を柔らかく使えると上半身は崩されても、下半身は上半身とは別に残ろうとする。投げの打ち合いになっても柔らかく使えるほうが落ちるのがおそくなり、投げの打ち合いを制することができる。上半身と下半身をつなぐ股関節のやわらかさしなやかさが大切な所以である。土俵際でやわらかく体を預け寄り倒した朝赤龍5勝目。男女ノ里3連勝。
平成22年5月15日
動いているものは動き続けようとし、止まっているものは止まり続けるというのが慣性の法則である。動き続けよう止まり続けようとする性質を「慣性」といい、重さ(慣性質量)が重いほど「慣性」は大きくなる。重い力士ほど動かしにくく、動き出したら止めにくいのは「慣性」が大きくなるからである。ちゃんこ長大子錦、相手の突っ張りを190kgの慣性で耐え2勝目。帰り道自転車に乗っていたら、外国人観光客から「オーマイゴッド!!」の声が上がったらしい。
平成22年5月16日
重いものほど慣性が大きくなり、動かしにくく、止まりにくい。アンコ力士を3人も車に乗せると、動き出しが重たく、加速もしにくい。走り出して止まろうとするとブレーキが効きづらい。名古屋場所でいつも迎えにきてくれる蟹江の鈴木さんがよくこぼしている。3連勝だった男女ノ里勝越しならず。
平成22年5月17日
重心や基底面の話を書いていたら『秘伝』(BABジャパン)6月号に旬な話が載っていた。理論物理学者で武術家の保江邦夫教授が連載している「物理学から見た崩しと合気」の中で、“崩し”の極意と題して、揺れる電車の中で立つことの難しさを「慣性の法則」から説き、力士や相撲のがっぷり四つの話ともからめて興味深い話を展開している。朝縄勝越し、塙乃里負越し。
平成22年5月18日
保江教授によると、揺れる電車の中でバランスを保って立つことは体が大きいほうが難しいという。やせ細った女子高生よりも、押してもびくともしそうにない大きな相撲取りのほうがバランスを崩しやすい。揺れたり方向転換したりするのは電車の車体であるから、その中に立っている乗客の体には「慣性の法則」により、体が大きいほど揺れる力が大きく働く。そうだったのか。現役時代電車でバランストレーニングをしながら一般乗客より揺れるわが身を情けなく思ったのだが、「慣性の法則」だったのだ。本日夕方のTBS系『Nスタ』に元力士の人気介護士として朝闘士の祖父江氏が登場します。
平成22年5月19日
基底面から重心が外れるとバランスを大きく崩してしまう。基底面となる足の裏の面積は、か細い女子高生もお相撲さんも変わりないから、慣性が大きくかかるお相撲さんのほうがバランスを崩しやすい。ただ、握り棒につかまると基底面が前後にも大きく広がり、大きく揺れても腕が長く腕力も強いお相撲さんは、か細い女子高生より安定して立つことができる。朝縄、2年半ぶりの幕下復帰まであと1勝となる5勝目。
平成22年5月20日
揺れる電車の中でどこにもつかまるところがないお相撲さんは不安定このうえない。そういうときにはどうすればいいか?保江教授は次のように答えている。「もう一人のお相撲さんを呼んで、がっぷり四つに組むのだ」(電車の中でお相撲さん同士が、がっぷり四つに組んでる姿はあまり想像したくないが)がっぷり四つに組むことにより基底面が大きく広がり、揺れる電車の中でも牛やカバ、サイなどの大きな四足動物のように安定して立てる。(人格を無視して眺めればと気を遣って書いておられるが)朝赤龍三役復帰へ期待が膨らむ勝越し。朝久保勝越し。こちらもあと1勝で三段目復帰濃厚の星。
平成22年5月21日
がっぷり四つから崩しの極意へと話は展開されていく。揺れる電車の中でもがっぷり四つに組めば安定するが、もし相手の相撲取りがグデングデンに酔っぱらってフラフラだったらどうなるだろう。電車が大きく揺れたり方向転換したら簡単に一緒に倒れこんでしまう。相手も踏ん張ってくれてこそ、牛やカバのように、また四本足のテーブルのように安定できる。大子錦勝越し。朝弁慶5勝目。男女ノ里3連勝3連敗のあとの安堵の白星。
平成22年5月22日
がっぷり四つというのは、両力士が上手下手をしっかり引き合ってお互いに胸を合わせた状態である。がっぷり四つになると、力の差がかなりないと勝負がつきにくい。がっぷり四つに組むことにより、相手と自分の重心が一体化して安定した姿勢をつくるから、自分も崩れないかわりに相手も崩しにくい。朝奄美、序二段では初めての勝越しを決める。笹川勝越し。朝興貴、輝面龍負越し。
平成22年5月23日
朝久保5勝目で来場所の三段目復帰が濃厚な成績。幕下塙乃里、今日の一番を最後に引退することになった。9歳上の兄も塙乃里の名で相撲を取り、兄をスカウトに来た時に幼稚園児だった幸与少年は「ぼくもお相撲さんになる」と宣言して兄の引退後入門。足腰がよく格闘センスもあり幕下8枚目まで番付を上げたが、肩の脱臼癖や家庭の事情もあり今場所限りの決断。
平成22年5月24日
「土俵際まで寄っていったらマワシを放せ」という相撲のセオリーがある。マワシをつかんだまま寄っていくと残られたり、うっちゃられたりする場合があるのを戒めた言葉である。マワシを放されると、相手は残れないし逆転技もかけられない。これも、電車の中で四つ足が安定するのと同じ原理で、相手がマワシをもってくれているから残せるのであって、寄られてパッとマワシを放されると、揺れる電車の中でどこにもつかまる所のないお相撲さんと同じで、また組んだ相手が酔っ払っている場合とも近く、踏ん張って残すことができない。
平成22年5月25日
「土俵際まで詰めたら力を抜け」というのは、もっと高度な体の使い方だろう。力を入れていると相手も力を入れて残せるが、力を抜かれると、四本足で安定していた机が急に真ん中から割られて2本足になってしまったように、四つに組んでいた相手が突然酔っ払いの力士になってしまったように、支えていたものが突然消えてしまい、大きく崩れてしまう。
平成22年5月26日
先代三保関親方の元大関増位山は次のように語っている。「双葉関は、こっちが寄っていって、土俵を割らせようとして力を入れると、それこそ、物を捨てるように振り飛ばされました。それがある日、土俵際でうまく力が抜けたんです。すると何もしないのに双葉関はドドッと下がって、羽目板にドーンとぶつかっていきました」小坂秀二『わが回想の双葉山定次』より
平成22年5月27日
さらに続く「私が驚いていると、もう一番と声をかけられました。また、うまくそういう形になって、同じように土俵際で力を抜くと、スッと土俵を割りました。そして、この野郎、うまい相撲をとってと笑っていました。私は実に不思議なものだなぁと思いました。力を抜くと、こちらが何もしないのに、羽目板まで飛んでしまうのですから・・・」
平成22年5月31日
小坂秀二氏は次のようにまとめている。「相手があっての相撲という、相撲の物理学的、力の平衡関係の面白さがよくわかるし、また、相手がそういういい相撲を取ったときの双葉山の喜び、満足感が実によく出ている話だ」前述の保江教授の話は、柔道の大外刈りや合気道の奥義合気刈りを例に、柔よく剛を制す崩しの極意に展開されていくが、相撲の極意とも全く通ずるものである。稽古始め。今日から錦戸部屋への出稽古。
平成22年6月1日
先代の元大関増位山の話がつづく。「ところが、本場所では、何回か土俵際まで攻め込みながら、それができないんです。本場所と稽古場ではそんなに違うんですね。私がたった1回だけ勝ったのは、左の内掛けですが、このときも、足を掛けて頑張っていたときには利かず、フッと足の力を抜いたら倒れたのです。あぁ、これだな、あれと同じだなと感じました」今日も錦戸部屋での稽古。
平成22年6月2日
どす恋花子こと佐藤祥子氏が『オール讀物』(文藝春秋)にて「ちゃんこ百景」を連載している。3月号からの連載第1回目が高砂部屋編で、四代目五代目高砂親方の話や両国の老舗ちゃんこ川崎のご主人の談話などがソップ炊きを中心に語られていく。川崎のご主人によると、元々両国は鶏の集積地で市場が立ち、鶏の値段が両国で決まっていたという。現在の国技館辺りにはやっちゃ場(青物市場)もあって両国は活気溢れる「食の街」だったそう。そういえば入門した頃(昭和58年)はまだ、現在の北斎通りは「やっちゃ場通り」と呼ばれていた。4人前そっぷ炊きの作り方や全国の高砂部屋流ちゃんこ屋さんの紹介も。いま発売の6月号は「春日野・玉ノ井部屋編」。
平成22年6月3日
『月刊日本語』という外国人に日本語を教える日本語教師のための雑誌があります。今月発売7月号の中の「ニッポンの仕組み」というコーナーの特集が大相撲で、写真入りでの高砂部屋稽古風景や大相撲の歴史から力士の給料やチケットの値段、一日にまかれる塩の量は?などの面白データまで、4ページに亘り大相撲が興味深く紹介されています。「腰割り」とは・・・?の一ノ矢インタビューもあります。
平成22年6月4日
今日も錦戸部屋での稽古。錦戸部屋は、元関脇水戸泉の錦戸親方が師匠で、現在幕下を頭に8人の力士がいる。平成14年12月に高砂部屋から独立。現在部屋頭の幕下龍神盛とちゃんこ長梅の川は、14年5月の入門で独立までの半年間は高砂部屋力士として生活を共にした。二人とも師匠と同じ茨城出身だが、龍神盛は大子錦と同じ高校のレスリング部と直系の後輩で、体も先輩を見習ってブクブク太り190kg近い重さを誇っている。どちらもいじられキャラだが、新幕下だった3月場所ではこの重さで勝越し、番付では先輩を上回っている。
平成22年6月5日
錦戸部屋の玄関前には昨年両国橋350年祭で立てられた“ぶらり両国街かど展実行委員会”による部屋紹介の立て札がある。「師匠は十代・錦戸将斗(元関脇水戸泉)・・・幕内最高優勝一回、殊勲賞一回、敢闘賞六回の成績を収め、大関候補として期待を集めていましたが、度重なる怪我に襲われ・・・惜しまれつつ引退・・・現役時代、大量の塩を撒くことで人気を博し、イギリス巡業で「ソルトシェーカー」と紹介され・・・一回に撒く塩の量は何と六百グラム、呼出しさんは、塩の補充におおわらわでした」
平成22年6月6日
オール讀物「ちゃんこ百景」には「相撲料理 大鷲」も登場してくる。元幕内鯱ノ里の若松部屋で前頭三枚目までいった大鷲さんは、引退後昭和55年から故郷長野県佐久市で店を開き、地元では知らぬ人のいない名店となっている。また、引退した力士も「大鷲」で修行して、ちゃんこの味、経営のノウハウを学び、開店する例は数多い。「ちゃんこ朝潮」「ちゃんこ奄美富士」なども大鷲の味を引き継いだ店である。本日6月6日地元佐久市にて開店三十周年パーティーが開かれる。
平成22年6月7日
若松部屋元朝泉こと太秦大輔氏は、現在「大鷲」で働いている。平成12年3月場所で引退して大鷲で第2の人生をスタートさせ、お店で働いていた地元の女性と結婚して2児のパパにもなっている。194cmの長身は相変わらずだが、170kg近くあった体重がおよそ半分になり、大鷲さんの右腕としてちゃんこに腕を振るっている。今日から毎年6月恒例の茨城県下妻市大宝八幡宮合宿。今年も錦戸部屋との合同稽古。
平成22年6月8日
大宝八幡宮合宿初日。この合宿を支えている奉納相撲保存会の会員の方々200名近くが土俵を囲み、午前7時から10時までの稽古。稽古終了後には地元の園児が力士に挑戦し、やんやの拍手喝采。最後に男女ノ里が化粧回し姿での弓取式。合宿地下妻からも程近いつくばの出身で、3月場所限りで本場所の弓取式を退いた男女ノ里、勇姿を見られるのもこの合宿ならではで、「ミナノサト~」の声も大きくかかる。10日までの合同合宿稽古。
平成22年6月9日
下妻大宝合宿でのちゃんこは、毎日約300人分がつくられる。ちゃんこ場は高砂部屋ちゃんこ長大子錦と錦戸部屋ちゃんこ長梅の川に加え、おなじみ大宝のおばちゃん達が今年もお手伝いに来てくれる。“大宝のきみまろ”こと清ちゃんも大子錦と梅の川のサイン入り化粧回し風エプロンを腰に巻き、今年も茨城弁全開で大量の野菜を切り捌いていく。そこに娘さんも加わり爆笑親子漫才も出るちゃんこ場は賑やかなことこのうえない。化粧回し姿のよく似合う清ちゃん親子、娘は結婚後30kg太ったそうで300人分の豚バラ肉を目にして「わたしこんだけ太ったんだぁ」と驚きの声。
平成22年6月11日
昨日10日が大宝合宿最終日。稽古後ちゃんこ、あと片付けして奉納相撲保存会の役員の方々やちゃんこお手伝いのおばちゃん、園児らに見送られバスにて帰京。見送る側も見送られる方も、安堵感と祭りのあとの寂しさを感じながらの来年までのお別れ。3泊4日と短いながらも濃い時間を過ごし、お米や野菜、特産品などもたくさん頂き、部屋にもお腹にも心にもお土産いっぱいの帰路。錦戸部屋とも名古屋出発までは合同稽古する話にもなった。
平成22年6月12日
『秘伝』(BABジャパン)7月号の特集は「サムライになる」である。サムライを、誠実、忠誠、律己、強い、潔い・・・理想の日本人像と定義して、サムライの文武について、和服、茶道、和歌、相撲、剣、能、それぞれの世界から探究していく。「相撲」では、朝弁慶をモデルに、腰割り、四股、テッポウの“型”について私なりの考えを述べさせてもらった。
腰を割るとは?なぜ四股やテッポウなのか?なぜ大相撲に技術練習がないのか?もっともっと深く探究されなければならないことである。
平成22年6月13日
“型”というと、「型にはめる」「型通り」に連想されるように自由さを奪われる感覚が強いと思うが、サムライに代表される日本文化は“型の文化”で、型という制約をつくることによって、より深くより自由な身体活動、思考を究めていった。俳句や短歌しかり。相撲も、土俵という枠(型)があるからこそ面白さ深さが増したし、腰割り、四股、テッポウという基本的な型を徹底的にやりこむことによって多彩な技が生まれた。
平成22年6月14日
小坂秀二氏は『わが回想の双葉山』の中で、“型”について次のように述べている。「“型”というものは、窮屈なものでも鋳型にはめ込んでしまうようなものでもなく、長い相撲の歴史の中から、実績と経験を知恵でまとめ上げた“理”である。こういう取り方をするのが一番理にかなっている。こういう形になるのが一番理にかなっているというものを集大成したものが“型”である・・・具体的にいうと、腰を割る、アゴを引く、ワキをあけない、差した腕(かいな)は返す、こういうことが一つ一つ“型”なのである」
平成22年6月16日
“型”をイスの脚で考えるとわかりやすいかもしれない。イスも最近はいろんな形のものがあるが、もっともシンプルな4本脚のイスでは、基本はあくまでも脚を床と垂直に立てることである。脚を床と垂直に立てるという“型”さえあれば、脚の太さ、長さ、色や形、クッション、・・・どう作ろうとイスとしての機能は十分に果たせる。シンプルに、その形や構造で、最大限の強さを発揮するのが“型”ともいえる。
平成22年6月18日
しかしながらイスには3本脚もあれば、5本脚もある。さらには1本脚に土台がついたもの、片方の脚が斜めになったパイプイスや、床机のようにXに組むもの・・・さまざまな形や素材がある。形や素材が変わっても大事なことはひとつ、座っても壊れないことである。座っても壊れない強度を保つために3本脚や5本脚、X状の組み方にも“型”がある。一点に負担がかからないよう、力を分散させ、合力を考え、座っても壊れない形をつくる。相撲の“型”にも通ずることである。
平成22年6月19日
「一点に負担をかけない」ことは、相撲を取るうえでも、人間の体にとっても、とても大切なことである。現役中、首、肩、肘、膝、足首、・・・あらゆる関節を痛めたが、思い起こすと、すべて痛めた関節一点に無理な力をかけてしまったからである。相手からの力、自分の体重を、全身で、また下半身の関節の正しい並びで受けることができれば痛めることは絶対にない。そいういう意味でも、関節の並びを重心線にのせて揃え、上半身の重みを股関節まわりのすべての筋肉で等しく支える“腰割り”はもっとも基本となる“型”といえよう。
平成22年6月20日
先発隊6人(松田マネージャー、朝縄、朝弁慶、朝久保、大子錦、朝龍峰)名古屋場所宿舎蟹江龍照院入り。27日(日)全員乗り込んで来るまでに、宿舎の掃除や部屋のセッティング、土俵築などを行なう。
平成22年6月21日
“腰割り”は、もっともシンプルな4本脚のイスに例えられるかもしれない。脚が、上からかかる力をまっすぐに均等に受けるから、くり返し座っても、重い人が座っても壊れない。力がかかる方向に対して脚がまっすぐになることが基本の“型”である。“腰割り”で、膝から下(スネ)をまっすぐにすべきなのはイスの脚と同様だし、上体をまっすぐに下ろさなければならないのも上からの力をまっすぐかけるためである。先発隊2日目。少し晴れ間も出て冷蔵庫やちゃんこ道具の洗い物。
平成22年6月22日
地方場所に来ると折りたたみのパイプイスが事務用のイスになる。脚は人型に組まれているからかなりの重さにもつぶれることはないが、座面は脚との接合部で支えているだけなので、大子錦か朝弁慶あたりが座ったものと見え座面が前に傾いてしまった。ホームセンターで買った安価なものなので、一般人の重さには耐えられても150kg以上の重さには耐えられない。“型”のあるなしで、大きな力にも耐えられる、繰り返しても怪我しないことと同じことであろう。
平成22年6月23日
折りたたみイスと同じ素材のパイプで、3本脚や5本脚、X状にしても、“型”にのっとってさえいれば大子錦や朝弁慶が座っても耐えられる。この場合の“型”は、4本脚を垂直にする形でなく、3本でも4本でもX状でも構わないから重さに耐えられる構造にすることである。そうすると“型”とは、単なる形の問題でなく、一部に負担をかけることのない全体で重さを受け止められる構造だといえる。朝からの雨が午後には上がり、土俵築にも取りかかる。
平成22年6月24日
全体で重さを受け止められる“型”さえ守れば、いろいろな形のイスを作れる。逆にいえば“型”破りだと、軽い人しか座れないし、重い人を座らせるにはたくさん補強しなければならない。幟を宿舎周辺に立て、土俵も俵を入れるところまで作業をすすめる。作業をしながらも会う人毎に「名古屋場所だいじょうぶ?」と聞かれるが、昨日の名古屋場所担当部長二所ノ関親方の会見通り「開催を信じて、粛々と準備を進める」だけである。
平成22年6月25日
一部分に負担をかけることなく全体で受け止める“型”にのっとりさえすれば、重い力士が座っても壊れない色々な形のイスをつくることが可能である。相撲でも同じで、しっかりとした“型”があれば、相手が大きかろうが強かろうが色々な形の技は自然と生まれてくる。土俵も完成。名古屋場所へ向けての先発隊の準備もほぼ完了。
平成22年6月26日
“型”がないのに色々な技をかけようとすると、型外れのイスと同じで、使えないし、すぐに壊れてしまう。新弟子の頃、押すことと転がることしか教えないのも、攻めと受身の“型”をからだに覚え込ますためである。そして、攻めと守りすべての動きの基本の“型“になるのが「腰割り」である。明日日曜日に全員乗り込み。明後日番付発表の予定だったが、番付発表は延期になるとの連絡が入る。
平成22年6月27日
なぜ相撲は腰を割らなければならないのだろう?なぜ腰割りが基本の型になるのだろう?腰を割ることによって重心が下がり安定する。腰を割ることによって全身で大きな力をだすことができる。腰を割ることによって横へも素早く動くことができる。狭い土俵の中で安定かつ素早く動きながら力を発揮するために腰を割らなければならない。残り番だった力士、行司、呼出し、・・・関係者一同名古屋乗り込み。親方衆は明日の評議委員会終了後に名古屋入りの予定。
平成22年6月28日
重心のある腰は、高いより低い方が安定する。基底面をつくる足は、狭いより広い方が安定する。ただ、低すぎたら逆に力は入らなくなるし、両足の幅があまりに広すぎたら動けなくなってしまう。低くするのも足を広げるのも適当な範囲がある。腰が膝より下に落ちてしまうと構造的に力が入らないし、足が膝より外に開いてしまうと動きは遅くなってしまう。
名古屋場所開催がようやく発表され明日から稽古始め。
平成22年6月29日
腰の高さも足を広げる幅もちょうどいい範囲がある。ただもっと大事なことは、腰と脚でつくる構えがしっかりとした“型”になっているかどうかである。腰が後ろに引けてしまったり、膝が中に入ってしまったりしたら、腰を低く下ろしても足をしっかり広げても安定した構えにはならない。しっかりしたイスの脚のように一点に負担をかけない構えになることこそが“型”である。土俵祭を行ない今日より稽古始め。
平成22年6月30日
足の広げ具合によってちょうどいい腰の高さがあるし、腰の下ろし具合によって安定して動きやすい足の幅がある。そして以前にも書いたように、重心が基底面から外れない構えをとることこそが"腰を割る”ということである。取組み中双葉山の足が小刻みに動くのは、まさに相手の力を受けるのにも自分が相手を押すのにも一番いい足と腰のポジションをミリ単位でとるためである。朝赤龍今日から春日野部屋への出稽古。
平成22年7月1日
宿舎龍照院客殿にて檀家さんやご近所の方々をご招待してのちゃんこ会。昭和63年若松部屋時代から蟹江龍照院でお世話になり23年目となる。若い衆だけの小部屋だった若松部屋、現師匠が若松部屋を継いで関取が誕生、高砂部屋との合併、大関、横綱の誕生、そしてまた関取一人の部屋という23年。見物客や報道陣の数など栄枯盛衰を間近に感じてきた龍照院関係者やご近所の方にも想いは多々あろうが、今年もお帰りなさいと温かく迎えていただく。3日は蟹江ニューシティー町内会「夏祭り」でちびっこ相撲とちゃんこ、4日は龍照院境内でのちゃんこと餅つき(チャリティ)と土日も地元の方々との交流がつづく。
平成22年7月2日
双葉山の足は、取組中つねに小刻みに動いている。相手の突っ張りを受けるときも、四つ身になる前に前さばきをするときも、四つに組み合ったあとも、小刻みに足を動かしている。決して踏ん張ることがない。相手からの圧力を筋肉で踏ん張って耐えるのでなく、小刻みに足を動かすことによって足と腰の構造によって、あるいは全身の構造によって、全身で受け、相手からの力を流している。イスやアーチ橋が構造力学的に力を受けているのと同じである。
平成22年7月3日
イスは力のかかる方向が一方向からだけだから、きちんとした構造をつくってやれば壊れることはない。ところが相撲の取組では、自分が相手を押す力、相手から押される力、大きさも方向も時々刻々変化するから、より難しい。めまぐるしく変化する力に一々対応するのは難しいから、普通は少々無理な構えになっても筋肉に力を入れ、関節への負担を靭帯で耐え、踏ん張ることによって残している。耐えきれない力が加わったとき崩れ、あるいは“バキッ”と関節や筋肉を痛めてしまう。
平成22年7月4日
木やパイプで作ったシンプルな4本足のイスでも、脚がまっすぐについていればイスを真上からつぶすのはどんなに怪力でも無理な話である。それが、少し角度をつけて斜めから押しつぶそうとすると、簡単な作りのイスだと脚を曲げてしまうのはたやすい。双葉山は、小刻みに足を動かすことによって相手からの力をつねにまっすぐに受けていたから、踏ん張らないで相撲を取れたし、生涯ただの一度も怪我らしい怪我をしなかった。龍照院境内にて蟹江町民とのちゃんこやもちつきでの触れ合い。明日が番付発表。
平成22年7月5日
いつもより1週間遅れの名古屋場所新番付発表。先場所9勝の朝赤龍は西前頭筆頭。いよいよ三役復帰を狙う。塙乃里引退と輝面龍負越しで幕下不在となり朝縄が三段目4枚目で若い衆での最高位。三段目復帰の朝久保、朝乃丈(あさのじょう)と改名。心機一転三段目での勝越しを目指す。序二段朝奄美自己最高位を更新。
平成22年7月6日
名古屋場所開催にはなったが、NHKの大相撲中継中止が決まった。残念なことではあるが、今までの経緯からすると致し方ないことと真摯に受け止めなくてはならない。本場所開催を中止すべきという声も大きかったが、本場所は、本来、興行というよりも力士の技量審査試験という意味合いが大きいから、公開か非公開かは別問題としても、開催することが守るべき伝統であると思う。戦時中昭和20年6月、空襲を受けて天井が穴だらけの戦災激しい国技館でも、非公開にて7日間の開催をしている。
平成22年7月9日
名古屋場所番付表が人気らしい。本場所が開催される県立体育館の番付があっという間に売り切れ、部屋にも番付欲しいという電話が数多い。
取組編成会議が行われ朝赤龍は初日琴欧洲、2日目魁皇。
平成22年7月10日
土俵祭が行われ触れ太鼓が街へ。部屋へも例年より遅く2時過ぎに6名の呼び出しさんが来て初日の取組を呼び上げる。呼び上げの途中、ちょうど体育館での仕事が終わって部屋に帰ってきた呼出し健人を先輩呼出しさんが手招きして何やら耳打ち。しばらくして健人が呼び上げに飛び入り。大兄弟子の突然の計らいに汗タラタラで「・・・には・・・じゃんぞーえー」と呼び上げる。入るタイミングを少ししくじったもののしっかり呼び上げ、兄弟子からも「なかなかいいじゃない」とお褒めの言葉。開催まで大揺れとなった名古屋場所、ようやく初日を迎える。
平成22年7月11日
激動の名古屋場所初日。お昼過ぎに県立体育館へ行ったが、日曜日ということもありお客さんの出足は順調な気がした。会場の入口付近ではTV局のカメラが数台並び初日の風景やお客さんへのインタビュー。例年、正面入口横に建てられていたお茶屋さんのプレハブが建築基準法違反とかで撤去されテント張りなのも寂しさを感じさせる。関係者と交わす挨拶も心なしか沈みがちである。知人に頼まれた絵番付を買いに売店に寄るが、番付発表が遅かったためまだ出来上がってこないとのこと。小雨が降り続いた初日、満員御礼は出ず。
平成22年7月13日
“型”の話にもどる。イスの型や双葉山が小刻みに足を動かすことから考えると、“型”とは、決まりきった形ではなく、外からの力を合理的に受ける構え、構造だといえる。それゆえ力が加わる方向によって形や構えは変わってくる。大事なことは形そのものよりも、力の方向や大きさを感じることであろう。いろいろと変わる力の方向を感じ取ることこそが"型”の本質ではなかろうか。余震のつづく名古屋場所3日目、取組もすこしずつ地に足がついてきた感もある。朝興貴2連勝。
平成22年7月14日
木材にしろパイプにしろ骨にしろ、長軸方向で力を受けると一番強い。そのため、イスの基本の“型”は床と垂直に脚を立てることだし、腰割りの基本も膝から下(スネ)を垂直に立てることである。シンプルなイスは座面が水平になっているから座ると上からの力が脚にまっすぐにかかる。腰割りも、上半身をまっすぐにすることによって上半身の重さが脚(スネ)に対しまっすぐにかかる。大子錦、朝弁慶2連勝。
平成22年7月15日
重力は、地球の中心に向かって常にまっすぐにかかっている。常にかかりつづけているから空気と一緒で、普段の生活の中で重力を感じるのはむずかしい。腰割りや四股の一番の目的は、当たり前すぎて感じられない重力を感じることではないかと思う。まっすぐ下にかかる重力線に体を合わせることによって筋肉に余分な緊張ができずにはじめて重力を感じることができる。重力を感じるために上半身とスネをまっすぐに立てなければならない。朝奄美片目あく。
平成22年7月16日
感じようと感じまいと重力はつねにかかっている。普段は感じにくいが、野口飛行士が宇宙から帰還した姿からもわかるように、なくなるとその大きさがよく実感できる。その大きな重力を味方にして使えると合理的な力になるし、重力に逆らって体を使うことは、効率が悪く、無駄に疲れ、怪我の原因にもなる。重力を味方にする感覚を養うために腰割りや四股がある。朝赤龍、朝乃丈、笹川、いまだ目があかず。
平成22年7月17日
体に無駄な力みがあると重力に逆らうことになる。無駄な力みが抜け、必要最小限の力で体を動かすとき重力を感じ重力を味方につけて合理的な体の使い方ができる。ちゃんこ長大子錦得意の長い相撲の末3勝目。長い相撲が得意というよりも、攻めきれず攻められず長い相撲になってしまうらしい。ある審判の親方からも「お前の相撲は長すぎて、下で見ているとうんこしたくなる」と言われたこともあるそう。長くなって相手が疲れた頃、自分もあきらめたように力を抜いて土俵際まで下がり、小手投げや腹にのっけての吊り出しで勝ちを拾う。力を抜くという点では極意的でもある。大子錦スペシャル「死んだふり」と呼ばれている。
平成22年7月18日
無駄な力を抜くことは全身の筋肉に力を入れないこととはまったく違うことである。全身の筋肉に力を入れないと、立っておれず、ましてや相撲など取れるはずもない。立っている体に常に下方向に重力はかかっているから、かかっている重力につりあう力を上向きに働かさないと体はつぶれてしまう。その上向きの力を最小限にして立つこと動くことが、力を抜くということである。しかしながら普通は足や脚、腰、背中、肩などに必要以上に力を入れて立ち、動いてしまっているから、自分で自分の動きにブレーキをかけてしまうことになる。朝赤龍、朝乃丈、負越し。
平成22年7月19日
四股を何百回も踏んでいると、ときどき無駄な力が抜けて最適なポジションとでもいうべき構えに入りこむことがあった。そのときは、筋肉で頑張っている感じはまったくなく、脚を上げても自然と元の腰割りの構えに引き戻される感じになる。骨格の構造で重力を支え無駄な力みがまったくない状態である。そうすると、頭や意識もすっきりして、何百回を過ぎても実に心地よい。無の境地に近い気もする。しかしながら、その意識はそんなに長続きはしなく、相撲の取組に生かすことはできなかったが。朝赤龍ようやく初日。
平成22年7月20日
すっ転んだときや、自転車でブレーキをかけずに坂道を下るときなどその大きさがわかるが、体には常に大きな重力がかかっている。それなのに立っていられるのは、重力と大きさの等しい力を上向きに働かせているからである。抗重力筋と呼ばれる筋肉(背中の脊柱起立筋や腹の腹直筋、太ももの前後、お尻の大殿筋、ふくらはぎ・・・)に力を入れて体を支えているから重力につぶされずに立っていられる。負けたら負越しの朝縄、笹川、踏みとどまるが、勝ったら勝越しだった朝ノ土佐、大子錦、勝越しならず。朝乃丈、改名後初の白星。
平成22年7月21日
牛肉や豚肉のかたまりを見ればわかるように、筋肉それ自体では立つことはできない。骨につながって伸縮することによって骨格を支えて立てる。ヒトが立つメカニズムについては、高岡英夫著『体の軸・心の軸・生き方の軸』(ベースボール・マガジン社)に詳しいが、我々一般人の立ち方は、身体のあちこちに無駄な力を入れて重力に抵抗して、立つには立っているが、という状態でしかないという。男女ノ里、朝龍峰、勝てば勝越しの一番だったが二人とも勝越しならず。11日目になってもいまだ勝越し力士なし。
平成22年7月22日
我々一般人が身体に無駄な力を入れて立っているのに対し、オリンピックで金メダルを獲るような選手は、スッと伸びやかに立っている。立つという同じ動作をしているにもかかわらず、一方はガチガチに身体を固め重力に逆らっているのに、一方は体をゆるめ重力を感じ、重力を味方にしている。高岡氏によると、金メダル選手は体にかかる重力と体が生み出す抗力が同じ大きさで真反対の向きに重なり合っているが、一般人は、大きさも方向もあいまいになっているという。勝越しをかけた朝ノ土佐、大子錦、ともに負け今日も勝越しならず。
平成22年7月23日
激震のなかようやく開催にこぎつけた名古屋場所、揺れつづけながらも残りあと2日間となった。NHKの中継が中止となりダイジェストが放送され高視聴率も得ているという。もちろんよほどの用のないとき以外は見るが、やはりダイジェストでは大相撲が大相撲でなくなると感じる。花道、控え、呼出し、行司の所作、仕切り、塩、・・・立ち合うまでの一連の流れが、さらに終わって花道を引き上げるとこまでが大相撲という文化であって、それを切り捨ててしまうと相撲という単なる競技でしかなくなる。朝弁慶、13日目にしてようやく待望の勝越し第1号。
平成22年7月24日
誤解をおそれずに言わせてもらうと、文化とは無駄である。花道も大銀杏も化粧回しも横綱土俵入りも清めの塩も、なくても相撲という競技は成立する。アマチュア相撲がそうである。また、仕切りという時間的な無駄があるから、時間一杯になったときの歓声が起こり、両力士の気合も最高潮に達する。無駄があってこその大相撲文化である。3勝3敗で今日の一番に勝越しをかけた朝龍峰、大子錦、男女ノ里、朝ノ土佐、全員白星で勝越しを決める。
平成22年7月25日
♪「無事に迎える千秋楽の 汗もにじんだこの十五日 ・・・」♪村田英雄『男の土俵』のフレーズだが、大揺れに揺れた名古屋場所だけに今日の千秋楽を無事に迎えられたことに感謝である。打上げパーティーも例年通り蟹江尾張温泉東海センターで行われ、地元の方々が多数激励にお越しいただく。こういう場所でも応援してくださるファンの方々に報いることができるよう、力士はもちろん相撲に関わる人間全員がやるべきことを真摯にやっていかなければならない。
平成22年7月26日
一連の騒動以来、新聞各紙でも各界から大相撲改革案が提言されている。厳しい意見も多いが、皆さんの大相撲に対する思い入れの強さを再認識させられる。今朝の朝日で柔道の山下康裕氏は「相撲は公器だ。現役力士や親方の私物ではない。・・・100年後にも人々に愛される相撲界を再構築してほしい」と寄せている。何度か日記でも書いたが、大相撲の盛衰と景気も含めた日本の盛衰は、かなりシンクロしているところがある。大相撲がしっかりしなければ日本も良くならないとまでもはいえないが、古からつづくみんなの大相撲を後世まで伝える責務を大いに感じなければならない。
平成22年7月29日
陸奥部屋琉鵬は、沖縄県中城の出身である。実家が琉球大学に近いこともあって、琉球大学相撲部土俵にも自ら顔を出してくれ学生たちに何度か胸を出してもらった。一緒に石垣島で中学生の相撲教室を開いたこともあった。平成18年9月には幕内に上がり十両を13場所務めたが、膝の怪我にも悩まされここ3年は幕下暮らしを余儀なくされている。それでも日々コツコツと精進を重ねる姿は誰もが認めるとこである。今回の名古屋場所は幕下11枚目で6勝1敗。普通なら絶対に昇進できない成績だが、今回の騒動の影響で思いがけずの十両復帰が決定。暗いニュースがつづく相撲界、実直な努力が報われた朗報に心救われた関係者は少なくないことであろう。
平成22年7月31日
また聞きの話だが、今朝のTVで俳句の番組があり、俳句の五七五が相撲の土俵、季語がマワシにあたるといい、言葉が技だと言っていたそうである。けだし名言だと感じ入った。五七五も土俵も同じ枠であり型であるし、季語もマワシもなくては成立しないものである。限られた枠・型の中だからこそ、創造力を働かせ、より自由でより多彩な発想、言葉、技が生まれる。それこそが日本文化の最たるところであろう。
平成22年8月1日
自由で創造的な発想というと、料理でも同じことがいえるかもしれない。今晩のオカズを決めるのに、スーパーで何百種類と並ぶ材料の中から選んで作るとなるとワンパターンの料理になりがちだが、家にじゃがいもとキャベツだけがあり、その材料で何日かオカズを作ろうとすると、新作に挑戦したり工夫も凝らし、創造力を大いに働かせる。残り番の力士も相撲列車(新幹線)にて帰京。
平成22年8月2日
四股や腰割りなどの“型”も同じことなのであろう。人間の体は、およそ200個の骨と600ほどの筋肉とでできている。立つ、歩く、押す、投げる・・・いろんな動きをするのに、どの筋肉と骨を使うか使い方はスーパーに並ぶ食材とおなじように無数にある。無数にある中から材料と最適な料理法を決めるのがー使う筋肉ゆるめる筋肉を決め、あるいは動かす骨と動かさない骨を決めるのがー四股や腰割りの“型”なのであろう。型があることによって、合理的で多彩な技が生まれる。
平成22年8月3日
10月3日(日)に国技館にて行われます朝青龍引退相撲の準備も進みつつあります。午前11時開場で甚句や太鼓打分、最後の横綱土俵入りのあと断髪式を行います。また午後6時半よりザ・プリンスパークタワー東京にて引退披露パーティーも行われます。
平成22年8月4日
競技人生が短いプロスポーツ選手にとって引退後の就職は大きな問題だが、相撲協会のほうでも『セカンドキャリアサポートセンター』開設に向けて準備が進んでいる。現役力士や元力士を対象とした「就職支援セミナー」も今回で3回目を数え、自分の持ち味の理解、履歴書の書き方、面接の受け方など、具体的な就活の心構えをレクチャーしている。今まで引退後は、ちゃんこ屋や後援会、地元での縁故を頼っての就職が主だったが、これからはいわゆる一般的な就職活動も大事なことであろう。
平成22年8月5日
相撲の“型”についてそれぞれ考えてみたい。まず、腰を割ることである。なぜ腰を割るのか?何度か書いたが、基底面を広げ重心を落とし体を安定させるためである。また股関節を広げることによって下半身がアーチ構造になり、より強固な構えとなる。さらに股関節周りの筋肉がゆるみ、かつすべて使え、相手の力を受けるにせよ自分が攻めるにせよ合理的で大きな力が出せる。腰割りという“型”のなせる技である。錦戸部屋との合同稽古。
平成22年8月6日
では“型”として実際に使えるための「腰割り」はどうあるべきか。アーチ橋やイスの構造からわかるように、基本的に脚は垂直でなければならない。なぜ垂直でなければならないか?力(重力)が上から下に垂直にかかるからである。かかる力の向きと脚の向きが同じになるとき、合理的で一番強い構造となる。基本の腰割りの構えでは、体にかかる力は自分の体の重さ(重力)のみだから、力を受ける脚(スネ)を重力と垂直に保たなければならない。今日から毎夏恒例の部屋開放わんぱく相撲教室。
平成22年8月7日
力がかかる向きと支える脚が同じ向きになることが“型”の基本だといえる。力のかかる向きを垂直にするために上体もまっすぐにしなければならない。上体を大きく前傾させたりお尻を突き出したりすると力がかかる向きと支える脚の向きにズレができ、膝関節や股関節にも一部分だけによけいな負担がかかる。“型はずれ”の構えになってしまい、本来使わなくてもいい筋肉で無理に頑張らなければならない。不合理であり怪我の元ともなる。
平成22年8月8日
支える脚を力のかかる向きと同じ向きにするために脚(スネ)を垂直にする。上体の重みが脚に垂直にかかるように上体をまっすぐ立てる。向きをそろえることこそが”型”である。重力のみがかかる腰割りの基本の構えは、脚(スネ)と上体をまっすぐすることであり、重力と体の軸がそろう気持ちよさを感じることこそが”型”となる。今日まで部屋開放わんぱく相撲教室。今年もさいたま相撲クラブからの参加。幼稚園児から中学生までが「やぁ!」と元気な声を出して相撲体操や稽古に汗を流す。
平成22年8月9日
基本的なイスの作りでわかるように、脚を力のかかる向きと同じ向きにつけることと、一部だけに負担をかけずに全体で重さを受け止めることが“型”となる大事な要素である。上体の重さが直接かかる股関節。股関節周りにはたくさんの筋肉がついているが、太ももの前で耐えるとか、お尻の筋肉を締めて頑張るのではなく、全部の筋肉を最小限、均等に使うのが、正しい腰割の”型”といえよう。
平成22年8月10日
腰割りの構え(四股も同様だが)では、重心はどこにおくべきだろうか。一般的には足の親指に力を入れてと指導することが多い。足の親指はもちろん大事なのだが、重心をおろすところは、脛骨(スネの骨)の真下である。なぜなら、今まで何度も述べたように、スネを垂直にして重力と向きをそろえることが“型”であるから、脛骨の真下すなわち内くるぶしの真下に重心がおりたときに脚と重力の向きがそろうことになる。
平成22年8月11日
スネは、脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)という2本の骨からなっている。脛骨はかなり太い骨だが腓骨は脛骨の1/4ほどの太さでしかない。地面に接する足の骨の中で一番大きな踵骨(しょうこつ)の上に馬の鞍のような距骨(きょこつ)が乗っかり、距骨に太い脛骨がのっかっている。脛骨の一番下のでっぱりが内くるぶしで、細い腓骨が距骨と脛骨に横つなぎになっている部分が外くるぶしである。足の骨の構造的にも内くるぶしがついている脛骨の真下で体重を支えるようにできている。
平成22年8月12日
足の指も手の指同様細い骨からできている。重い体重を支えるようにはできていない。それでは足の親指、拇指球にはどういう役目があるのか。高岡英夫『究極の身体』(講談社)によると、動き出したあとさらに加速をつけるためにあるという。速球投手が腕を振った最後にスナップを利かせるよう、動き出した体に最後のひと押しをして更にスピードを高めるための働きがあるという。最初から親指に力が入っていると前に行こうとする体にブレーキをかけてしまうことになる。
平成22年8月13日
前に出るためには重心を前に移動させなければならない。重心を前に移動させるために地面(土俵)を蹴る。蹴っても土俵は動かないから、反作用で体が前に動く。ニュートンの運動の第3法則作用・反作用の法則で、作用と反作用は大きさが同じで向きが反対の力になる。強く蹴れば大きく動き大きな運動量を得られる。どれだけ地面(土俵)から大きな反作用をもらえるかが、立合い強く当たるための条件になる。今日から15日までお盆休み。
平成22年8月14日
重心は股関節から膝を通り脛骨(スネの太い骨)の真下に下りている。拇指球や足の親指は重心とは距離がある。重心の真下で地面を押して反作用をもらうのと、重心から足の長さ分(20cmほど)ずれたつま先で地面を押すのとでは、もらえる反作用にも差が出てくる。立合いあたって相手からの圧力を受けたときにも、脛骨の真下で相手からの力を受けるのと、つま先で受けるのとでは耐えられる力が何倍も違ってくる。
平成22年8月15日
500円玉をテーブルの上に置き、真中をはじいてやると500円玉はまっすぐ前に進むが、端っこをはじくと、回って斜めに少し動くだけである。力をかける方向が500円玉の重心にまっすぐかかると、かけた力は500円玉を前に進めるために使われるが、かけた力が重心から外れていると、力は500円玉を回転させるために使われ500円玉はまっすぐ進まない。力がものを回転させようとする働きを〝力のモーメント”という。
平成22年8月16日
人間の体も同様で、重心にまっすぐに力をかけるとまっすぐに進むが、重心から外れたところに力をかけてしまうとモーメントが働き、体を前に進めるのには無駄な動きになってしまう。”型”の話から、物理の話になってしまった。重心とかモーメントとかいう言葉を出すとよけいにわかりにくいという方もおられようが、相撲は物理だという面白さを感じてもらえればと思うので、しばしお付き合い願いたい。それが”型”にもつながってくると思うので・・・今日から稽古再開。いい汗が出る。
平成22年8月17日
人間の体の重心は、おおよそ下腹部の中心にある。そこが丹田とも呼ばれる。重心をまっすぐに下ろしていくと脛骨の真下、かかと側に重心は下りてくる。つま先の上には重心はないし、ましてや体もない。つま先で蹴って前に進もうとすることは、500円玉の端っこをはじくようなものでモーメントがかかり前に進める力は弱まってしまう。つま先で相手からの圧力を受けると、足首へはより大きなモーメントがかかり怪我につながってしまう。
平成22年8月18日
物を回転させようとする力のモーメントは、距離×力で表わされる。同じ力なら距離が長いほど回転させようとする働きが強くなる。体にくっつけて持つと楽に持てる荷物も、腕を伸ばし体から離して持つと重くなってしまう。荷物の重さは変わらないがモーメントが大きくなるためである。逆に、物を回転させようとするときにはモーメントを大きくしたほうが楽になる。ナットをスパナで回すのに、近いところを持って回すよりも一番端を持って回したほうが楽に回せる。モーメントが大きくなり少ない力でナットを回せるからである。今日から再び錦戸部屋との合同稽古。
平成22年8月19日
〝テコの原理”もモーメントである。持ち上げるものにテコの支点を近づけ距離を短くしてやり、力を加える先をなるべく長くしてやると、小さい力で重いものを持ち上げることができる。支点を中心に左右のモーメントが等しくなる。距離×力だから、支点までの距離が5倍なら持ち上げる重さの1/5の力でいいし、支点までの距離が10倍なら1/10の力で済む。まっすぐに進めるためや力を受け止めるのにはモーメントがかからないゼロのほうがいいが、大きい回転力を与えるためにはモーメントを大きくしたほうがいい。
平成22年8月20日
物をまっすぐに進めるときや相手からの力を受け止めるときにはモーメントがゼロ、回転を与えないようまっすぐ押しまっすぐに受けるほうがいい。イスも脚が内に曲がっているとモーメント(斜めからの力?)がかかりつぶれやすくなってしまう。人間の体も同様である。モーメントがゼロになるように(力の方向と一体となるように)力を出し、力を受けるとロスのない力を出せ、最小限の力で受け止めることができる。「モーメントをゼロにすること」が〝型”となるための条件といえるかもしれない。
平成22年8月21日
では、実際に相撲を取るときにはどうするべきか。どういう動きをすれば最小限の力で相手に最大の力を発揮できるのだろうか。自分の体を動かすのや外から加わる力に対しては、モーメントがゼロになるように(20kgの衣装を持って歩くのは大変だが、着て歩くのは数倍楽である)、相手や外に力を発揮するにはモーメントを大きく(短いスパナより長いスパナのほうが大きな力を出せる)することが合理的な体の使い方といえる。小錦さんがお客さんを連れ稽古見学。タレントとして歌手として大活躍の元大関、5月にリリースした『ドスコイ・ダンシング』では元泉州山もバックダンサーを務めている。
平成22年8月22日
高岡英夫『究極の身体』に次のような話がでている。「相撲のように前方にプッシュする時に拇指球支持にすると、重心に対して足の接地点が前方に寄ってくるのでモーメントが減ります。その結果、相手に対する圧力が減ってしまうのです。・・・でもそのまま、まったく同じ足の位置、同じ角度、同じ体幹部の角度で踵支持にすると、モーメントが増大し前方への圧力が時には数倍にも増えます」
平成22年8月23日
100kgの丸太が立ててあるとする。まっすぐ立ててあると抱きついても押されることはない。接地面(基底面)の上に重心がありモーメントがゼロになっているからである。抱きついた状態で底の後ろ側に厚い板を挟んでやる。今度は丸太の重みがずしりとのしかかってくる。モーメントが大きくなるためである。極端に例えれば、拇指球支持は前に板を挟んで丸太を前に倒そうとするようなもので、踵支持は後ろに板を挟んで相手に圧力をかけるようなものである。圧力は時に数倍にもなる。
平成22年8月24日
相手に圧力をかけるにはモーメントが大きいほうがいい。モーメントは距離×力だから、同じ力(同じ重さ)だと後ろに挟む板を厚く(傾きを大きく)したほうが支持点と重心の距離が長くなりモーメントが大きくなるし、同じ重さ同じ傾きだと丸太の長さが長くなるほど(身長が高くなるほど)モーメントは大きくなる。長身力士の突っ張りが効くのはモーメントが大きくなるからなのだ。突っ張りは高重心でも構わないと書いたことがあるが、高重心だからこそモーメントが大きくなり威力があるのだ。 今日は友綱部屋への出稽古。
平成22年8月25日
まっすぐ前を向いた状態だと、つま先はかかとの前についている。そのまま前に体を傾けるとつま先に重心がかかりつま先立ちになってしまう。脛骨真下、かかとに重心を保ったまま体を前傾させるにはどうすればいいか?つま先を外に開いてしまえばいい。つま先を開くのと同じ向きに膝と股関節を開いた姿勢が”腰割りの構え”である。“腰割り”とは、重心をかかとから逃がさずに相手にかけるモーメントを大きくする構えだといえる。引退相撲用の横綱の麻もみをした後、土俵をおこす(掘り返す) 。
平成22年8月26日
ただ上半身だけを前傾させてしまうとモーメントは小さくなってしまう。丸太を半分に切って腰の高さの台の上に乗せたようなもので、かかる圧力は減ってしまう。できるだけ上半身と下半身を一直線にして腰を割り、一直線のまま前傾させことが相手にかけるモーメントを大きくすることになる。 腰割りを”型”として実際の取組に生かすには、上半身と下半身をまっすぐに保つことが大切になってくる。9月場所に向け稽古場を土俵築。
平成22年8月27日
上半身と下半身をまっすぐに保つことは、何度もいっているように「腰割り」の基本である。いくら股関節を開いても、上半身を折り曲げて下半身と角度をつくってしまうとモーメントが減り相手に対する圧力は減ってしまう。そう考えると単に股関節を開くことが「腰割り」なのではなく、上半身と下半身をまっすぐに保ち脛骨真下に重心を保ったまま腰を下ろすことが「腰割り」で、そのために股関節を開くのだといえる。今日から平塚合宿。明日明後日、午前8時より総合運動公園内土俵にて朝稽古を行なう。
平成22年8月28日
平塚合宿、稽古初日。若松部屋時代から数えると今年で17回目となり、すっかり平塚の夏の風物詩として定着しているようで、早朝から多くの市民が土俵を囲んでの稽古。とくに地元の朝弁慶には熱い声援が送られ、稽古後は市民にもちゃんこがふるまわれる。午後2時より、運動公園内にある平塚市民球場にて市役所チームとソフトボール大会。炎天下、なかなか終わらない守備とあっという間にチェンジになる攻撃にバテバテだったが、そのうちヘッドスライディングやランニングホームランも出て、7回終わってみれば9対6と好スコアでの敗戦。夜、歓迎会。
平成22年8月29日
平塚合宿2日目で最終日。今朝もたくさんの見学客が土俵を囲む。昨日が誕生日で20歳になった朝龍峰、成人祝いのかわいがり。もちろんご当所朝弁慶もかわいがり。客席からも「がんばれ!!」と大きな声援が飛び、客席の後ろから見守る母の前、最後押し切ったときには四方の観客席からも大きな拍手喝采。稽古終了後は男女ノ里が化粧回し姿での弓取式。今年も大変お世話になった湘南高砂部屋後援会会員の方々とちゃんこを囲み皆で記念撮影をして午後1時すぎバスにて帰京。明日秋場所番付発表。
平成22年8月30日
9月場所番付発表。先場所の謹慎休場者の影響で幕内と十両でも大きく入れ替えがあった。徳之島出身の大島部屋旭南海、7月場所の成績は十両西12枚目で10勝5敗。普通なら5,6枚上がって十両中位のところ今朝発表の新番付では東前頭15枚目と一気に新入幕。12枚目からの入幕は初めてのことだそうで、初土俵以来105場所での昇進は史上2位のスロー出世。徳之島出身としては旭道山以来の新入幕である。朝赤龍は西前頭6枚目。朝ノ土佐が幕下復帰。朝龍峰が自己最高位。
平成22年8月31日
再び脚の構えとモーメントについて。今年も熱戦が繰り広げられた甲子園だが、ピッチャーの足の使い方にも同じことが見える。投球動作に入るとき、支えとなる軸足のつま先は必ず三塁側(右投手の場合)を向く。決して軸足のつま先を前に向けることはない。体重移動するのに、かかと重心にしてモーメントを大きくして速いボールを投げるためである。上げた脚を大きく前に踏み出し、ほとんど腰割りに近い構えで投げる。投げ終わったあとの前足は、前にいく体を止めるため前に向けつま先重心になる。今日から稽古再開。8時半より土俵祭。午後1時力士会。
平成22年9月1日
つま先重心で体を前に傾けていくと、太ももの前の筋肉(大腿四頭筋)が強く働くのがわかる。つま先重心はモーメントが減るし、前に進もうとする体を止めることにもなる。また、地面(土俵)からの反作用を受ける脚がまっすぐな棒の形ではなく、逆L字形になるから前へ倒す支点もつま先と足首の2か所にでき、前に圧力をかけるというよりも、つんのめってしまうような動きになってしまう。
平成22年9月2日
“土俵の鬼”の45代横綱初代若乃花が亡くなられた。戦後の大相撲人気の火付け役となり横綱栃錦と共に「栃若時代」を築いた。伝説的ともなっている猛稽古で100kgそこそこの体を鍛え上げ「仏壇返し(呼び戻し)」などの大技を得意として優勝10回。まさに筋金入りの心技体であった。歴代横綱の中では2番目の長寿という享年82歳。近年の騒動には心を痛められていたことであろう。ご冥福をお祈り申し上げます。
平成22年9月3日
ご縁といえるほどのことでもないが、“土俵の鬼”には以前直接お会いしたことがある。昭和58年3月大阪場所の折、二子山部屋の門を叩き宿舎2階の初代若乃花二子山親方の部屋に通してもらって入門をお願いした。身長が足りずに断られたが、背筋がピンと伸びた威厳のある胡坐姿で「ワシも小さかったから気持ちはわからんでもないがなぁ」と厳しい顔を気の毒そうにしてくれたのを思い出す。明日9月4日(土)は国技館本土俵にて横綱審議委員会総見公開稽古が行われます。
平成22年9月4日
つま先立ちで頭から当たるとつんのめってしまう。お尻が上がり頭は下がり上体がかぶさってしまう。そうすると腕はバタフライで泳ぐよう下から上へと回り、必ず脇が開く。相手に圧力をかけるどころか自分の体を止めるのに精いっぱいになってしまう。極端な例えだが、つま先重心でかかとを上げてぶつかると、大なり小なりつんのめる動きになってしまう。腰の入った当たりとは反対の動きになってしまう。
平成22年9月5日
前述『究極の身体』で高岡英夫氏は次のようにつづけている。「一方、拇指球支持で前方力を増やそうとするには、体幹部を前傾させてより低い姿勢で相手に寄りかからなければなりません。しかし、深い前傾角度で寄りかかることで前方力を生み出そうとすると、相手にパッとかわされてはたき込まれてしまう危険性も増えてしまうのです」現代の相撲の欠点そのものである。
平成22年9月6日
さらにつづく「だから双葉山などは、踵をきちんと地面につけた「すり足」で、他の力士に比べ体幹部を前傾させることなく土俵の中を動き回っていたのです」確かに双葉山は、上半身だけを前傾させ低く頭をつけるような相撲は一番もなく、突っ立っているようにも見える姿勢で相撲を取っている。攻めるときも四つに組止めたときも相手の攻撃を受けるときも、全身をひとつの軸にして、全身の軸を傾けることによって相撲を取りきっている。今日からまた錦戸部屋との合同稽古。
平成22年9月7日
決してかかとが浮くことはない。相手の攻めを受けるときは、足の裏全面をつけて受ける。ただし、止まって踏ん張っているわけではない。足を小刻みに動かし、相手が攻めてくる圧力を脚と足でまっすぐに受けられるよう、よけいなモーメントを増やさぬよう、常に最適のポジションをとるため足を微妙に動かしている。前に攻めるときは足の内側のライン(インエッジ)が土俵に食い込む(止まりはしないが)よう足から頭までの全身を傾けモーメントを最大にする。足の小指から踵までの外側のライン(アウトエッジ)は土俵から浮くが、脛骨真下のかかとは決して浮くことはない。
平成22年9月8日
「すり足」も「腰割り」と並ぶ相撲の代表的な“型”のひとつである。モーメントやカカト支持の話、双葉山の足の使い方などから考えると、「すり足」とは、単に足を土俵から離さないことではなく、脛骨真下に重心をおき、かかとを浮かさずに動くことであろう。そうすることによって、腸腰筋などのインナーマッスルが使え、合理的に相手の力を受け、合理的に力を出すことができる。かかとを上げてつま先で土俵をすって動くのは“型”として使える「すり足」にはならない。引退相撲用の最後の綱打ちを行う。
平成22年9月9日
相撲を取っているとき相手からの圧力は方向も大きさも時々刻々変化する。体にくっつけて持つと楽にもてる荷物も、体から離して持つと重くなるという力のモーメントの話を以前に書いたが、足を踏ん張って相手からの圧力を耐えることは、前後左右上下動き回る荷物を体から離して腕の力だけで頑張って持つようなものである。逆に双葉山のカカトを浮かさない小刻みな足の動きは、つねに荷物の真下に自分の体を動かし、腕だけで荷物を持たないよう、全身で荷物を持つための動きだといえよう。
平成22年9月10日
野球のファインプレーの話にも通ずる。三遊間を抜ける打球を体を伸ばして飛びつき取るのはファインプレーだが、もっとレベルの高いプレーは、バッターの構えから、あるいはピッチャーの球筋・球種さらには打つ瞬間の動きからボールの行方を予測して打球が来る前に体を移動させて、どんな打球でも真正面で平凡なゴロのように捌くことである。確かに双葉山の相撲は、無理な体勢で踏ん張って残し手に汗握るという面白さはなく、相手をいとも簡単に受け、いとも簡単に投げ捨てる。取組編成会議、初日2日目の取組が決まる。
平成22年9月11日
相手からの圧力は前から後ろに向かってかかってくる。体の軸は前傾姿勢になっている。相手からの圧力を体の軸と一体にするにはどうすればいいか?下向きの重力と合わせてやればいい。重力はつねに垂直に下りている。相手からの圧力と重力を合成させてやれば、その合わさった力は斜め下向きになり、前傾した体の軸と同じ向きになる。国技館土俵にて土俵祭が行なわれ触れ太鼓が初日の取組を告げる。
平成22年9月12日
「力の合成」とか「力の分解」という言葉を覚えておられようか?力は大きさと方向を矢印で示したベクトルで表わされる。相手の圧力は前から後ろ向きにまっすぐに来る。体を前傾させて相手からの圧力に下向きの重力を合わせてやれば、力は合成されて斜め下に向く。その向きに体の前傾角度を合わせてやれば、相手からの圧力を自分の体の軸で合理的に受けることになる。自分の体の軸の先には地面(土俵)があり、相手は結局地球を押していることになる。決して押せない。 9月場所初日。秋場所とはいえ名古屋場所のような酷暑。
平成22年9月13日
一つの点に2つの力が加わっているとき、2つの力のベクトルを2辺として平行四辺形をつくってやると、2つの力は、平行四辺形の対角線で表わされる一つの力(大きさと方向をもったベクトル)におきかえることができる。これを「ニュートンの平行四辺形の法則」という。
小難しい言い方になってしまったが、相手がまっすぐ押してきても、そこに別の向きの力を加えれば、相手からの力の向きを変えられるということである。
平成22年9月14日
ぶつかり稽古で胸を出すのは慣れないと難しいが、コツをつかんでしまえば自分より力のある相手でも残せるようになってくる。胸を出すコツは、体を脱力して前傾させ、相手が押してくる力をハラ(丹田)さらにはかかと(脛骨真下)に受け流すことである。上半身の力で対抗しようとすると、自分よりよほど下の力の相手しか残せない。前傾させる体は、上半身だけ前傾させるのでなく体全体をひとつの軸にして前傾させる。そのときはじめて重力を自分の味方にすることができる。幕下復帰を目指す朝縄、豪快な一本背負いで2勝目。
平成22年9月15日
脱力することによって重力を味方にすることができる。相手が押してくる力に重力を合成させて力の方向を変えることができる。そうすると、体全体で相手の力を受けることができ、さらに土俵も大きな支えになってくれる。筋肉に力を入れて対抗すると、重力を打ち消すことになり、相手との力比べになり、耐えられる力は格段に減ってくる。笹川、朝奄美、朝興貴に初白星。
平成22年9月16日
先日朝日カルチャーセンターで能楽師でロルファーの安田登氏と『能と相撲にみる和の身体技法 日本の型と技』と題したワークショップを行った。能と相撲、同じ日本伝統文化ながら様式も動きも随分違うように見えるが、身体技法を高めるために“型”を徹底して身につけるという点ではまったく同じで、能のすり足と四股の共通点など新鮮な発見も数あった。朝興貴、朝奄美が2勝目を上げるも2連勝組が4人とも土。
平成22年9月17日
舞台の上をゆっくり動く能と、狭い土俵の中で激しくぶつかり力を出し合う相撲。およそかけ離れた動きのように思えるが、基本である能のすり足も相撲の四股も、深層筋を活性化させ体のバランスを整えるという点では同じである。能のすり足エクササイズは、小さな動きで体の奥の大腰筋や内転筋を感じ体を少しもぶらさないよう足を運ぶ難しい動きだが、四股の本来の動きにも通ずるように感じた。朝龍峰、自己最高位で白星先行。
平成22年9月18日
能の謡は、骨盤底筋と横隔膜を使って声を出す。骨盤底筋だけとか横隔膜と両方とか使い分けて謡う。実際すぐ横で聴かせてもらったが、腹に迫力ある大音響がビンビンと響き渡ってきた。四股も、太ももや腹筋など表面的な筋肉で脚を上げるのでなく、横隔膜と骨盤底を引き上げて脚を上げ、腹圧を高めて横隔膜を下ろしながら脚を踏み下ろすことにより深層筋が使える“型”となる。朝奄美、朝興貴勝ち越しまであと1勝。
平成22年9月19日
中日おりかえし。猛暑のなか始まった9月場所だが、いくぶん涼やかさもでてきて白鵬の偉業が達成され、秋祭りの囃子で祝うようにようやく満員御礼も下りた。朝赤龍は五分に星を戻し、朝弁慶、朝縄、朝乃丈3勝目。1年ぶりにほぼ自己最高位まで番付を戻した朝弁慶、体を生かした前に出る相撲で勝ち越しまであと一番。
平成22年9月20日
重力を味方にする話に戻る。重力を使って相手の力を受けられると、自分の体の筋肉はリラックスできるから、攻めるときには瞬時に攻めに転じることができる。またイスの脚と同様で、一か所に負担をかけることなく全体の構造で圧力を受けられるから、大きな圧力にも耐えられ怪我もしない。見た目にも、筋肉で必死に頑張っている感じはなく、激しい攻防の中でも涼しげでさえある。朝縄今場所第1号の勝越し。大子錦負越し。
平成22年9月21日
逆に力んで体の筋肉を固めてしまうと、重力に逆らうことになる。せっかく下向きにかかっている重力を打ち消してしまう。そうすると、相手からの力は自分の体にまっすぐにかかる。相手の押す力と自分の腕や背筋との力比べである。筋肉で耐えられる限界を超えてしまうと後ろにかんたんに崩されるし、特定の筋肉にだけ大きな力がかかるため怪我にもつながりやすい。朝乃丈、朝弁慶あと2番残しての勝越し。朝弁慶はあと1勝すると新幕下昇進が見えてくる。
平成22年9月22日
「無事これ名馬」とは昔からよくいうが、双葉山は現役中ただの一度も怪我をしていない(アメーバ赤痢にはかかったそうだが)。それは、単に体が丈夫だったとか、運が良かったとかいうのではなく、そもそもの体の使い方が根本的に違っていたからに他ならない。重力を最大限に使い切り、力のモーメントに則り、究極に合理的な相撲を取りきっていたからこそである。朝乃丈5勝目。三段目復帰にはあと1勝欲しいところ。朝ノ土佐負越し。
平成22年9月23日
三段目21枚目の朝弁慶が5勝目。あと1番残っているが来場所の幕下昇進を確定的なものにした。190cm170kgと体格に恵まれているとはいえ、相撲経験がないのに3年半での幕下昇進は順調以上の出世といえる。まだまだ相撲は雑さが目立ち稽古場では朝ノ土佐や朝縄に分が悪いが、本場所では体を生かしてどんどん前に出る相撲でメキメキと番付を上げてきた。この勢いで駆け上がってほしい所である。笹川勝越し。男女ノ里負越し。
平成22年9月24日
重力を活かして合理的に体を使えるのが理想だが、実際の取組では、相手から押されたら、押されまい押し返そうとあがくばかりである。足を踏ん張り、背筋、腹筋に力を入れて相手からの圧力に耐え、肩や腕の筋肉で相手を押そうと必死になる。筋肉をガチガチに固めるから重力を打ち消し、相手との力比べに終始する。全身の構造で受けるのではなく、ある特定の筋肉、関節で頑張って押し、受けるから、力を外されたり違う角度から力を加えられると簡単に崩され、無理に頑張ると怪我をしてしまうことにもなる。
自己最高位だった朝龍峰3勝3敗までねばったものの負越し。朝赤龍不戦勝での勝越し。
平成22年9月25日
輝面龍が今日の一番を最後に引退することになった。輝面龍は昭和60年3月場所の入門で、当時の師匠は元横綱朝潮の5代目高砂親方、現師匠が大関で初優勝を飾った場所でもある。元富士錦の6代目、元朝潮の7代目と3代の師匠のもと26年あまりの現役生活で、190cmの長身からの上手投げを得意として幕下4枚目まで番付を上げたこともある。また横綱朝青龍の付人頭を長年務めた。明日千秋楽打上パーティーにて断髪式を行い、引退後は故郷岐阜県養老町に戻り第2の人生を歩んでいく。朝奄美勝越し。朝弁慶6勝目。
平成22年9月26日
千秋楽。朝乃丈6勝目。来場所は三度目の三段目昇進。前2回は98、99枚目とぎりぎりでの昇進であったが、今度はだいぶ余裕をもっての昇進。もちろん来場所は自己最高位を更新することとなる。三段目29枚目朝縄5勝目。幕下復帰にはあと1勝足りない感じだが来場所は勝越せば間違いなく昇進する位置となる。千秋楽打上パーティーの宴半ば輝面龍の断髪式が行われる。同期生だった火の竜、筑後龍、佐久の湖(2年下)らのOBも懐かしい顔を見せてハサミを入れ、最後師匠の止めバサミで26年余りのちょん髷とお別れ。
平成22年9月27日
モーメントや力の合成、重力などとなじみにくい言葉を使ってしまったが、“型”とは最小限の力で最大の力を発揮できる構えだといえる。“型”として使えるための「腰割り」や「四股」はどうあるべきか?最小限の力で最大の力(効果)を発揮するには、モーメントをゼロに近づけなければならない。モーメントがゼロのとき重力と骨格の構造をピッタリ合わさることになり、最小限の力で最大の効果を発揮することができる。「腰割り」でいえば上体やスネをまっすぐにして重力に向きを合わせることである。
平成22年9月28日
重力と骨格の構造を合わせるために、「腰割り」は体をまっすぐにして垂直にかかる重力に体の軸を合わせることが大事になる。そして、スネを垂直に立て、重心が脛骨真下にくるようにする。これが“型”として使えるための「腰割り」の構えであり“型”である。そのとき骨で立つことができ、骨で立つことが「腰割り」の“コツ”になる。
平成22年9月29日
「四股」はどうあるべきか?「腰割り」が四股の基本の構えであることはいうまでもない。しかしながら最近は、「腰割り」が四股の基本だという認識がかなりあいまいになっている。別の運動のようにとらえている節もある。というか、仕切りの構えと混同されていて、仕切りのように深くしゃがみこんでから四股を踏む力士も多い。しかし、あくまでも四股は動きの中ででも腰を割れるためのもので、「腰割り」の構えこそが基本になるべきである。
平成22年9月30日
10月3日(日)の朝青龍引退相撲が目前に迫ってきて準備に追われる毎日。断髪式でハサミを入れるお客様は溜席に座り、名前を呼ばれたら順番に土俵に上がることになっているが、直前になっての追加や変更なども多く、結婚式の席決め以上に細かい作業が繰り返しつづくことになる。十両格行司木村朝之助を中心に部屋の全スタッフと力士も総出で、今日は名札と席を合わせる作業。ちょっと名前の漢字が苦手なおすもうさんもいて、カルタ取りのような賑わい。明日も最後の追い込みの確認作業がつづく。
平成22年10月1日
「仕切り」はどうして前傾姿勢で深くしゃがみこんだ構えになるのか?前にいる相手にぶつかるためである。相手に強く当たって押すには、相手に対して後ろ向きの圧力をくわえなけらばならない。前から後ろへの水平成分の力を増すために、低く構えて飛び出す。100mのクラウチングスタートと一緒である。土俵を蹴って立合いで相手に当たる力を大きくするために、クラウチングスタートのように低い前傾姿勢になる。
平成22年10月2日
千代大海引退佐ノ山襲名披露大相撲。同じ一門ということもあり、ザンバラ髪のころからたまに部屋に出稽古にくることもあったが、やはり新弟子時代から運動神経といい格闘センスといい光るものがあった。平成5年初場所で序ノ口優勝したとき、序二段優勝が一ノ矢で幕下優勝が武双山だった(ちょっと自慢)。同期生ともいえる武双山との激しい突っ張りあいの一番は平成の大相撲史の残る大熱戦といえよう。朝青龍が入門した場所で初優勝して大関昇進を決め稽古場でも目をかけてもらい、新弟子の朝青龍にとっては憧れの存在であり、幕下昇進時には博多帯をもらったりもした。大関在位65場所は史上一位、優勝3回。
平成22年10月3日
第68代横綱朝青龍引退断髪披露大相撲。午前11時20分触れ太鼓で引退相撲が開始され、幕下三段目正5番、朝赤龍髪結い実演、相撲甚句、十両取組とプログラムが進み、朝青龍最後の横綱土俵入り。太刀持ち日馬富士、露払い朝赤龍を従え、力強い土俵入りを魅せると満員の館内からは大歓声とともに、あちらこちらからすすり泣く声も・・・全国から、モンゴルはもちろん、ロシア、シンガポール、フランス、中国などの海外からも400名近くのお客様がハサミを入れ朝青龍の新しい門出を祝した。
平成22年10月4日
100mでも、クラウチングスタートの姿勢のまま100mを走ることはない。スタートで瞬間的にダッシュできれば、あとは体をある程度起こして走ったほうが速く走れる。相撲も同様で、深く前傾してしゃがみこんだ姿勢は、瞬間的な爆発力はあるが、安定して体を動かすことには向いていない。あくまでも、相手に当たるまでの姿勢でしかない。
平成22年10月5日
「四股」が前後に脚を踏み出す運動なら、「仕切り」の構えから脚を動かすべきだろうが(それがすり足になる)、上下に動かす運動だから、動かす向きに合わせてまっすぐに立てるべきである。なぜなら力の向きに体の向き(軸)を合わせることが“型”となるからである。上体とスネをまっすぐに立てることが腰割り同様「四股」においても大切になる。もちろん重心は脛骨真下におく。脚を上げ下げしても重心が脛骨真下からぶれないことが大事である。
平成22年10月6日
上体とスネをまっすぐにして重心を脛骨真下においた腰割りの構えから脚を上下させるのが「四股」である。脚を上下させると書いたが、軸脚のスネを支点にして骨盤やその上の体全体を持ち上げる、上に回転させる運動だといえる。反対側の脚は、骨盤についているから骨盤が上がるのにつれて上がるだけである。軸脚を支点に骨盤(腰)を上げる運動だととらえると、体幹部のインナーマッスルを鍛えるための運動だというのがよりわかる。
平成22年10月7日
「四股」を回転運動だととらえると、モーメントで距離×力が問題になってくる。鍛えるためにはモーメントを大きくしてやったほうがいい。四股を踏む場合のかかる力は自分の体重のみである。最初に構えた腰割りの姿勢では、重心(体重の中心)は丹田(骨盤の中心辺り)にある。支点となる軸脚の膝から重心までの距離をなるべく長くしてやったほうが、かかるモーメントが大きくなる。すなわち膝と重心を結んだ線が重力と直角になるように、太ももを水平にした姿勢が重心にかかるモーメントが一番大きくなり、重心周りの筋肉(ハラや腰)を鍛えられることになる。全協会員国技館に集まって反社会勢力対策講習会。
平成22年10月8日
スネをまっすぐに立て、太ももを水平にした姿勢が一番モーメントを大きくでき、体の中心に効かせることができる。足が上がっていくにつれ、だんだん支点となる軸脚と重心線の距離が短くなり、足が上がりきって重心が支持線(膝と脛骨真下を結んだ線=スネ)の真上にのっかったとき距離はゼロとなりモーメントもゼロになる。「四股」はモーメントを最大にする動きから始め、モーメントがゼロになるよう動き、元の姿勢に戻る運動だといえる。
平成22年10月9日
自分の体のインナーマッスル(深層筋)を鍛えるためには、かかるモーメントを大きくしてやったほうがいい。スネを垂直に立て太ももを水平にして上体が真っ直ぐになった腰割りの構えから脚を上げて四股を踏む。それが「ハラ」「腰」をつくることになる。相手からの力に対抗するには長軸方向でまっすぐに力を受けモーメントをゼロにしてやればいい。足を上げきったときには軸足にしっかり乗り、下ろしたときに元の真っ直ぐの構えに一息で戻る。
平成22年10月10日
左右の脚を交互に上げ下げするだけという単純な動きの「四股」の中に、モーメントを最大に効かせる動きと、モーメントをゼロにするポイントがある。正しい「腰割り」の姿勢から、腰を浮かさずにモーメントを最大に効かせるように「四股」を踏むことが合理的な身体の使い方、効率のいい力の出し方を身につけることになる。それが、怪我をしない身体、怪我をしない取り方につながる。
平成22年10月11日
スネを垂直に太ももを水平にした腰割りの構えから動き出すときが一番大事になる。動き出しの瞬間こそ、かかるモーメントが一番大きくなるからである。脚を上げる瞬間こそ重心周りの筋肉を強く鍛えることになる。また、止まっているものが動くときには慣性力が働くから、動き出しの瞬間こそ大きな力が必要になる。しゃがみこんだ反動で脚を上げてしまうと、鍛えるべき重心周りの筋肉(インナーマッスル)には効かなくなってしまう。
平成22年10月12日
昨11日、徳之島出身大島部屋旭南海の新入幕を祝う会が上野精養軒にて行われた。奄美出身者や相撲愛好家など60人近くが集い、島唄やカラオケ、記念撮影、相撲グッズ獲得ジャンケン大会などで楽しいひとときを過ごした。残念ながら9月場所では負越してしまい来場所はまた十両陥落ではあるが、普天間移設で揺れた徳之島にとっても、不祥事つづきの大相撲界にとっても、地道な努力が幸運を招いた昇進ニュースで、参加者も旭南海関の人柄にも触れ、一服の涼風となったことであろう。
平成22年10月13日
「四股」を踏むとき「腰を浮かすな!!」と口を酸っぱくしていうが、なかなかできない。大半は、腰を上げながら膝がかなり伸びた状態で脚を上げる動作にはいる。なぜか?そのほうが楽で脚を上げやすいからである。そうするとどこを使うことになるか?脚全体が軸となり、股関節を中心として反対側の脚を上げることになる。股関節周りは動きの支点になるだけでモーメントはかからない。本来鍛えるべき重心周り(股関節周辺のインナーマッスル)はまったく鍛えられなくなってしまう。
平成22年10月14日
「相撲は腰で取れ!」と昔からいわれている。この場合の「腰」は、日常で使っている「腰」ではなく、丹田や股関節周りを中心とした「腰腹部」のことである。丹田や股関節周りの筋肉を中心にして体を動かして相撲を取ることが、腰で相撲を取ることになる。そして重力を最大限に生かし、力のモーメントを最大限に活用して相撲を取ることこそが「相撲を腰で取る」ことになる。朝縄、朝弁慶、朝龍峰、朝興貴、九重部屋へ出稽古。巡業組秋巡業へ出発。
平成22年10月16日
腰を浮かせてから脚を上げると、足から股関節までの脚全体が軸になり、反対側の脚を上げるだけの運動になる。上げるのは片方の脚の重さだけである。一方、腰を浮かさずに膝を支点として脚を上げると、軸脚のスネ以外の体全体を持ち上げることになる。どちらも脚を上げる運動に変わりはないが、持ち上げる重さ、使う筋肉、まったく違う運動になってしまう。
平成22年10月17日
軸脚の膝に体重をかけて脚を上げろとよく指導される。これはどうであろう?確かに、軸脚に体重をかけることによって軸脚への負荷はかなり増す。腰を浮かせて脚を上げる四股よりかなりきつくなり効果的である。ただし、負荷は軸足の膝まわり並びに太ももの筋肉へかかり、スクワットと同じように太ももの前、大腿四頭筋を鍛える運動になってしまう。多少股関節への刺激は強まるが、「相撲の腰」をつくる運動ではなく、脚の筋肉を鍛える運動になってしまうのではなかろうか。
平成22年10月18日
昔の相撲の本で、当時の横綱と、その横綱の作戦参謀的な役目を務めていた幕内力士が、四股の踏み方について論争していた記事が記憶に残っている。確か、幕内力士は「四股は軸脚に体重をかけて踏むべき」だと主張し、横綱は「腰割りの形からそのまま踏むべき」だと言っていたと思う。脚の筋肉を鍛えるためなら軸脚に体重をかけて踏むのが効果的だし、丹田や股関節周りのインナーマッスルを鍛えるのには腰割りの形を崩さずに踏むべきだといえる。
平成22年10月19日
もちろん脚を鍛えることは、相撲にとってもすごく重要なことであるし、脚を鍛える必要がないと言ってるわけではない。狭い土俵のなかで素早く安定して動き、力を発揮するには、腰(丹田)を中心として体を動かした方が、より合理的に動け、より合理的に力を発揮できるということである。強い腰をつくり、腰で相撲を取ることこそが相撲の本質だといえる。相撲の本質をつかむために「四股」を踏む。
平成22年10月20日
平成10年に亡くなられた合気道大東流の佐川幸義氏は知る人ぞ知る武道家で、希代の達人とも称されている。95歳の天寿を全うされる直前まで鍛錬されていたことは有名な話で、毎日の鍛錬の中には四股も必ず行っていたという。弟子にも「四股を踏め!四股を踏め!」と推奨していたそうである。ただ、現代の四股のように脚を高々と上げるのではなく、あくまでも「腰ハラ」をつくるための踏みしめる四股だったという。
平成22年10月21日
佐川幸義氏は鍛錬方法をこと細かく指導することはなく、自らが工夫してやるものだと語っておられたという。「四股」に関しても佐川氏が鍛錬として踏んでいた四股の様子を見た弟子はいないようだが、脚を高々と上げる今でいう一般的にきれいな四股にはいい顔をしなかったそうで、あまり深く腰を下ろさない腰割りの構えから脚をあまり上げずに交互に踏みしめる動きを「四股」として鍛錬していたようである。その「四股」を一日千回単位で行い達人の腰をつくったという。
平成22年10月22日
秋巡業第2弾出発。本日尼崎へ乗り込み明日尼崎巡業。そのあと滋賀県大津市で2日間、岡山県鏡野町で2日間行い、出雲市へ。出雲から広島県庄原市、広島市とすすみ、30日(土)広島巡業終了後、福岡へ乗り込む。一日置いて11月1日(月)が九州場所番付発表。巡業組が東京へ戻るのは約1ヵ月半後の12月5日となる。先発隊も明日福岡入り。
平成22年10月23日
先発隊6人(大子錦、男女ノ里、朝乃丈、朝奄美、朝龍峰、松田マネージャー)福岡唐人町成道寺(じょうどうじ)入り。空港には、やっさんの奥さん、というより呼出し健人のお母さんが車で迎えに来てくれ唐人町へと向かう。ありがたいもので、もう20年近くもつづいている恒例のことである。倉庫からゴザを出しお寺の本堂に敷きカーテンを張り、お寺さんの法事の邪魔にならないよう力士の生活空間を設営していく。今年も福岡は暖かく、短パンTシャツ姿でちょうどいいが、蚊が多く、ボリボリ掻きながらの作業。
平成22年10月24日
先発隊2日目。九州場所用に置いてある荷物一式を雨の中、広川(久留米の近く)の倉庫からトラック2台で2往復。倉庫やトラックなど諸々のことすべてが安岡さん(呼出し健人のお母さん)の手配による。途中、路肩に乗り上げ往生している車に遭遇。7,8人出てジャッキーまで持ち出し動かそうとしているが動かない。そこへ力士4人が登場して「せえのぉ!」で救出。思わず周りから拍手喝采。「どちらの部屋ですか?」と頭を下げる老人に「高砂部屋です」と言い残し、太った騎士たちは足早に(でもないが)立ち去った。
平成22年10月25日
先発3日目。トラック4台分の荷物(自転車やちゃんこ場となるプレハブも含めて)を分けて片付けていく。1年ぶりに出す荷物は埃をかぶり、洗濯機も2,3回空まわしをしないと使えない。炊飯器もふたが閉まらなくなってしまったが、ガムテープで止めて炊き、これも20年来の恒例となっている安岡さん特製のカレーで昼食。「スイッチが入りません」と米を研いだ朝龍峰が何度も炊飯器と格闘している。よく見ると、コンセントを差してないだけのことであった。これも20年来よくあること。今日も終日雨。
平成22年10月27日
徳之島出身の朝奄美、入門6年になる。2,3カ月ですぐに辞めたいと言い出し、2度ほどスカし、怪我で2年間のブランクもあり、引退後の就職をいろいろ捜していたのだが、そのうち心も怪我も落ち着き、稽古や付人に頑張っている。2つ下の妹は中1のとき民謡日本一になった歌姫で、この春島を離れ介護専門学校に通うため福岡にでてきた。週に1回は徳之島出身の方がオーナーの博多駅前の よし久でバイトをしているそうで、昨晩はバイトは休みだったが「よし久」で久々の再会となった。妹やよし久オーナーの熱き応援を受け、九州場所自己最高位での勝越しを目指す。また島の両親も、初めて本場所の応援に来る予定もあるという。
平成22年10月28日
よし久のオーナーは直接の面識はなかったものの徳之島の実家も近くで後援会の方の紹介で行くようになった。本場所にも応援にきてくれブログに相撲関連の写真もいっぱい載せてくれている。元々お肉屋さんが本業で始めた店なので肉は最高級で、肉もつ鍋も絶品です。ぜひ一度お越しください。もちろん徳之島の黒糖焼酎も全種類あります。
平成22年10月30日
巡業組、広島での巡業を終え福岡乗り込み。いつもは日曜日乗り込みで翌日から番付発表、稽古始めと慌ただしいが、明日一日ゆっくりできるので精神的にもかなり楽である。東京残り番があす福岡入りして全員がそろう。
平成22年10月31日
今回の奄美豪雨災害で一番被害の大きかったのが奄美市住用町である。奄美大島のほぼ真ん中に位置し、以前は住用村と独立した行政区域であったが、2006年より合併して奄美市に含まれている。マングローブの原生林や天然記念物など奄美の中でも豊かな自然が残るエリアで、その住用の原始の森からあまいろというミネラルウォーターが生まれました。ほんのりあまく、とってもやわらかいお水です。ぜひ一度奄美の自然を味わってみてください。東京残り番福岡入り。明日番付発表。
平成22年11月1日
九州場所番付発表。朝弁慶が幕下40枚目まで昇進。以前にも書いたと思うが相撲未経験者で4年足らずでの幕下昇進は早い出世。幕下に上がると博多帯が締められるからお祝いにもらった博多帯は何本かあるが、師匠の方針で2場所目からのことだから来場所幕下に残ってはじめてのことになる。朝赤龍は西前頭2枚目。朝乃丈、朝奄美も自己最高位。
平成22年11月2日
九州場所稽古始め。少し冷え込みはあるものの晴天にめぐまれ爽やかな稽古初日。毎年大勢つめかけていた報道陣の姿もまったくなく静かな稽古場。前夜からお泊りのやっさん(11月2日)一人が見学席で見守る中、8時半より木村朝之助による土俵祭。稽古途中ちゃんこ重ノ海の大将が家族で訪ねてきて自家製のキムチと角煮の差し入れ。毎年楽しみにしている味である。博多ホテルオークラ向かいに平成10年開店の重ノ海、奄美大島古仁屋の出身でお相撲さんはもちろん野球選手や博多座出演の役者さんもよく訪れている。
平成22年11月3日
全力士が福岡にそろった10月31日(日)が福岡市長選挙の公示日で投票はちょうど初日にあたる14日(日)になる。初日の投票日に向け選挙戦もヒートアップしていくだろうが、大きな争点の一つになっているのが「こども病院移設問題」である。こども病院は宿舎になっている唐人町成道寺の目と鼻の先にある。伊予櫻頭(かしら)が入門したころ(昭和51年)こども病院の先には海が広がるだけだったというが、今はヤフードームやホークスタウンが広がり賑やかなスポットになっている。昭和32年に本場所となった九州場所、今年で54回目の開催となる。
平成22年11月4日
もともと九州場所は昭和30年天神に福岡スポーツセンター(現ソラリアプラザ)が建設され、そのこけら落としとして準場所が行なわれたことに始まり、昭和32年より本場所となった。昭和48年まで福岡スポーツセンターで開催され、昭和49年より昭和55年までは薬院の九電記念体育館、昭和56年から現在の国際センターに会場を移している。昭和46年入門の世話人の總登さんによると、当時の支度部屋は隣の公園(たぶん警固公園)に建てられたプレハブだったそう。
平成22年11月5日
宿舎成道寺(じょうどうじ)のある唐人町界隈は寺町ともいえるほどにお寺さんが多い。總登さんによると、以前は大山部屋、若松部屋、二所ノ関部屋など多くの部屋が近辺の寺に宿舎を構えていたというが、いまでは唐人町成道寺の高砂部屋、西新寄りの鳥飼神社の九重部屋と、二つの部屋を残すのみになっている。その九重部屋に朝弁慶、朝縄ら4力士が出稽古に通っている。
平成22年11月6日
高砂部屋が唐人町成道寺を宿舎としたのは昭和37,8年からのことだそうである。以来50年近くお世話になっている。入門した頃(昭和58年)の若松部屋(師匠は元房錦)は西区に宿舎を構えていた。前年まで東区八田にあったそうだが、諸事情で出ていかざるを得なくなり仮宿舎として1年間だけ西区生の松原のゴルフ場を宿舎にしていた。国際センターまではバスを利用したが、遅くなるとバスはなく、夜間は入口の門が閉まるのでタクシーも中までは入れず、ほろ酔い加減でカート道を歩いていると、暗闇のなか野犬が出て追いかけられたりもした。
平成22年11月7日
昭和59年からは、後援会の方の紹介で二日市(筑紫野市)の鯉の養魚場でお世話になることになった。養魚場の裏に建つ昔使っていた従業員宿舎に宿泊し、駐車場に土を入れて稽古場とした。外にある駐車場で、天井と三方の壁はあるものの前面は大きく開いているため外気が冷たくドラム缶で薪を焚きながらの稽古だった。二日市はもともと冷え込みの厳しい土地で、さらに山手に養魚場があったから南国育ちの身には驚くほどの寒さだった。あの頃は場所中に数回雪の降る日もあり、朝土俵に降りると霜がサクサクすることもあった。逆にそれは嬉しい体験でもあった。
平成22年11月8日
以前にも紹介したが陸奥部屋琉鵬(りゅほう)は実家が琉球大学の近くで、わが琉球大学相撲部も何度も胸を出してもらったりお世話になっている。9月場所では幕下11枚目からの昇進で旭南海と共に話題となったが、先場所は惜しくも7勝8敗と負け越してしまった。十両東14枚目、普通なら幕下陥落のところだが、11月場所も西14枚目と奇跡的に残った。昨日7日には福岡で激励会が行なわれ福岡後援会長を務めるベストアメニティ内田弘社長より雑穀米の図柄の化粧回しも贈呈された。雑穀米のごとく地味でも本物の味わいを醸し出す息の長い活躍を期待したい。11月6日に行われた全国学生相撲選手権大会、琉球大学相撲部はDグループ3位の成績。(4校の参加で3位に2チームだそうだが)
平成22年11月9日
広松養魚場には 昭和59年から平成5年までお世話になった。場所前には鯉コクや鯉の洗い、ウナギなどの差し入れもよくいただいた。スッポンもいた。家族ぐるみで本当によく面倒を見ていただいた。ある力士がめが出ない(連敗する)と心配して、力が出るからとスッポンの生血をわざわざ作ってくれたりもした。勢いよく当たっていったものの目の前に相手がいなく土俵下まで飛び込んでしまったが。現師匠に代が変わり人数が増えすぎたので養魚場を出ることになった。
平成22年11月10日
二日市の山手にある広松養魚場から下っていくと福岡と筑紫野を結ぶ五号線に出る。五号線を九州自動車道が横切るあたりに二日市温泉大観荘がある。大観荘の社長が師匠と同じ近畿大学の先輩にあたり学生時代からお世話になっていた。そういう縁もあり広松養魚場を出たあと大観荘の駐車場をお借りして宿舎を建てることになった。駐車場に大きなプレハブを建て、半分仕切り土を入れ稽古場として残り半分がちゃんこ場兼大部屋である。稽古場が室内になったのは良かったが、プレハブ宿舎の朝晩の冷え込みは、やはり厳しいものがあった。広松養魚場には数年後朝日山部屋が入り、現在でも九州場所宿舎としている。
平成22年11月11日
大観荘の駐車場を宿舎としたのは平成6年から9年までの4年間であった。3年契約での借用だったのを1年延長したが、また新しい宿舎を捜さなければならなかった。ずっと部屋に出入りしていたやっさん夫婦が(主に奥さんが)自宅の近所で捜してくれた。呼出し健人が生まれ幼稚園に通いだした頃の話である。かなりの広さの畑地があり、その一部を貸してもいいという話が出て、都合のいいことにその土地の真前に昔旅館をしていたという大きな家もあった。その旅館を宿舎にして畑地に稽古場を建てたらという案で話がすすんだ。
平成22年11月12日
大きな元旅館は、おばあちゃんが一人で暮らしていて建物は少々古いものの風呂には温泉もひかれ部屋数も多く、宿舎とするのには申し分なかった。師匠とやっさんの奥さんと共にお願いに伺った。「相撲は好いとおとよ」「おすもうさんがきてくれたら安心できるし賑やかでよか」感触はよかった。「それじゃ貸していただけますか?」いざ本題に入ると「貸したいばってん、この家は・・・・」延々と身の上話が始まる。一区切りついたところで「大変でしたねぇ。それでお貸しいただけますか?」と聞くと再び「貸したいばってん・・・・」また繰り返される。同じ話を3度か4度聞いただろうか。時間も2時間余り経過し結局契約には至らなかった。
平成22年11月13日
結局旅館を借りることはあきらめ、畑地に大観荘の駐車場同様に大きなプレハブを建て稽古場と宿舎とすることとなった。昭和59年からの広松養魚場から少し山を下り大観荘の駐車場に4年、さらに坂を下りJR二日駅にもだんだん近づいた。平成10年から14年までの5年間をこのプレハブで過ごした。朝青龍もこのプレハブの大部屋で幕下時代を過ごし、呼出し健人,は小学生になり休みの日には部屋で寝泊まりし、部屋から学校に通った。合併して平成15年から唐人町成道寺に宿舎を移し、あとを千賀ノ浦部屋が九州場所宿舎として現在に至っている。触れ太鼓が明日初日の取組を告げる。朝赤龍は栃煌山、白鵬は栃ノ心。
平成22年11月14日
平成14年2月の合併で力士数31人となり二日市のプレハブでは収容しきれなかったが、唐人町成道寺もちょうど修復中だったためやっさん家近辺の空き家を借りて分宿し平成14年まで二日市を宿舎とした。成道寺の修復が終わり、平成15年から唐人町に宿舎を移した。夜半の雨か、起きたら路面が濡れていたが、朝の空は薄雲からやわらかな冬日が差し晴れやかな九州場所初日。今年初のアラ鍋。
平成22年11月15日
大阪場所の宿舎久成寺(くじょうじ)は昭和35年からお世話になり今年でちょうど50年目になる。合併する前の若松部屋は師匠の母校近畿大学のキャンパスの中に宿舎があった。昔の職業訓練校の寮だった3階建てのビルで、かなり古い建物だったが部屋数は多く、2階の部屋を個室のように2人ずつで使っていた。ただあまりに古い建物で平成13年を最後に取り壊されることになっていたので、合併して以前からの久成寺を宿舎にできるのは渡りに船であった。白鵬64連勝ならず。
平成22年11月16日
入門したときの房錦の若松部屋の大阪宿舎は東住吉区北田辺の民家住まいだった。前年まで河内長野にいたそうだが、昭和58年から知人の民家をお借りすることになった。稽古場は、その民家から徒歩3分ほどの空き地に建てられていた。現師匠が部屋を継ぐ平成2年まで北田辺の民家を宿舎としていた。朝乃丈自己最高位での1勝目。3度目の三段目昇進だが、前の2回は1勝しかできなかったので、今場所こそは白星を重ねたいところである。
平成22年11月17日
強くなることは本当に難しい。稽古をしなければ強くならないのはもちろんだが、やればやっただけ強くなっていくのは本当に一握りのみで、ほとんどの力士は、その場を行ったり来たり壁を超えられずにうろうろしているうちに壁に背を向け止まってしまう。ただ、ふとしたきっかけである日突然壁を超えることがある。九州に乗り込んでからもずっと九重部屋通いをつづけた朝興貴、場所前久しぶりに部屋で稽古したらちょっと一皮むけた力強さがかいま見えた。先場所の勝越しにつづき今場所も2連勝スタート。
平成22年11月18日
先場所6勝1敗で初幕下昇進を決めた朝弁慶、41枚番付を上げて幕下の40枚目で相撲を取っている。さすがに一気にここまで番付が上がると、対戦相手のレベルも一気に上がり、まったく相撲を取らせてもらえなくての2連敗で、幕下の大きな壁を肌で感じている。もちろん稽古場では今までも幕下力士とも何番も稽古しているが、本場所の土俵で対戦するのは、気迫、集中力、一瞬のスピード・・・やはり違う。壁の大きさ強さを肌で感じて、その中から自分に足りないものやるべきことを真剣に考えて壁を乗り越えなければならない。
平成22年11月20日
押してもびくともしない相手を押すのは本当につらい。全身の力をふりしぼって押しても、相手は一歩も下がらず「もっと押せ!」「力を出さんか!」と余裕の表情で残されてしまう。逆に相手がドンとぶつかってくると、大きな衝撃とともに後ろにふっ飛んでしまう。力が何倍も違うようにも思われ、とてつもなく大きな壁を感じてしまう。今場所初の満員御礼が出た7日目。朝縄、3年ぶりの幕下復帰まであと1勝となる3勝目。
平成22年11月21日
押しても動かないと何倍も力が違うように感じて、とても超えられないような壁を感じてしまうが、実際はちょっとした体の使い方、気の持ちようで押せるようになることもある。腰の割れ具合、腕の返し、肘の使い方、重心の位置、力の抜きよう、数センチときには数ミリ単位で変わることにより押せなかった相手が押せるようにもなる。そのちょっとした体の使い方を覚えるのが非常に難しいことではあるが。朝弁慶、初めての幕下の壁の大きさを感じる4連敗での負越し。
平成22年11月22日
行司・呼出しの世界にも力士と同じく番付があり、序ノ口格から始まり序二段格、三段目格、幕下格と上がり十両格になってはじめて資格者と呼ばれる。力士が十両になって関取と呼ばれるのと同様である。十両格行司の木村朝之助と十両格呼出し邦夫、共に高卒で入門して20年近くになる。朝之助が1年先輩だが、退職者の関係で呼出しの方が出世が早く、入門後しばらくして邦夫のほうが先をいき、十両格として資格者になったのも早かった。ふつう朝之助がさばいた数番後に邦夫が登場する。しかしながら今場所は行司さんに休場者が出たため、さばく位置が繰り上がり、邦夫の呼び上げた土俵で朝之助がさばいている。宴席ではたまに見られた光景だが本場所では初めてのことである。3時過ぎの十両土俵に注目されたし。笹川、朝乃丈負越し。
平成22年11月23日
今年の白鵬の懸賞金が1億円を超えたとニュースになっている。懸賞金は、懸けるほうは一本6万円で(一場所最低5本から)、5千円を相撲協会が手数料として引き、本人の取り分は5万5千円である。そのうち2万5千円を税金用に本人名義で協会が貯金して、残りの3万円を土俵上で手渡す。きのうの結びの一番には42本かかったそうで、2列に結ばれた束は42×3万円=126万円也となる。野球賭博問題の影響で激減した懸賞もようやく復活している。幕下復帰をかける一番、朝縄勝越しならず。
平成22年11月24日
懸賞は、ふつうの企業名や団体名でなら誰でも懸けることができる。贔屓の力士、結びの一番、幕内最初の一番などと、懸け方を選ぶことができる。ただし、中入り後(幕内)の取組のみで、以前は15日間通してかけるのが原則だったようだが現在は一場所最低5本からかけられるようになっている。一日一本ずつでも、まとめて5本でも大丈夫である。高見盛の永谷園が有名だが、最近ではマクドナルドやタマホームもまとめて懸けている。朝弁慶、幕下での初白星。
平成22年11月25日
懸賞をかけると取組のときに場内アナウンスで紹介される。また割り紙(取組表)にも本日の懸賞取組として掲載される。その時に15字以内でキャッチコピーをつける。「味ひとすじお茶づけ海苔の永谷園」「さけ茶づけの永谷園」「梅干茶づけの永谷園」「たらこ茶づけの永谷園」「わさび茶づけの永谷園」という風。永谷園は高見盛と白鵬の取組には毎日5本、魁皇には3本~5本、その他時には好取組にもと、一場所200本の懸賞をかけている。朝興貴、今場所ようやくの勝越し第1号。
平成22年11月26日
大口の懸賞をかけるのは永谷園のみであったが、最近はマクドナルドも毎場所多く懸けている。横綱白鵬の取組には「おいしさできたてのマクドナルド」「二十四時間・マクドナルド」「100%ビーフ・マクドナルド」「マックカフェのマクドナルド」「おいしいコーヒー・マクドナルド」と毎日5本、ときに大関の取組にも5本と1場所100本の大口である。名古屋場所、野球賭博問題で各社懸賞を取りやめしたときも「広告というより応援だから」と継続してくれている。また各場所入口でコーヒーが無料になるうちわも配布している。男女ノ里、二人目の勝越し。朝赤龍、5連勝ならずで負越し。
平成22年11月28日
徳之島は鹿児島県に含まれるが、鹿児島から海を隔てること470km余りある。現役時代、九州場所は田舎とも近くご当所で、と言われることもよくあったが、島から見れば、福岡も東京・大阪と変わらず遥か遠い。家族が応援にといっても簡単に来られる距離ではないが、徳之島出身の朝奄美、母親が初めての相撲観戦。遠路出てきた母親の目の前での3勝目。負越したものの、自己最高位での3勝は十分に価値のある成績である。締めくくりにふさわしい優勝決定戦での一年納めの九州場所千秋楽。八仙閣にて打上げ。
平成22年11月29日
土俵下の審判は交代制だが、序二段の取組のときには40番近く90分ほど座る。座布団があるとはいえ、体の大きい元力士にとって長時間じっと座っているのはつらいものがある。攻防のない長い相撲をじっと見るのは堪えがたいものがあるという。しかもあと5番ほどで交代できるというときに長い相撲を取る力士が登場すると、「またこいつかよ」とほんとにいやな気分になるらしい。審判室でのそんな会話のときに真っ先に名前が挙がるのは某部屋D子錦だそう。今日から一週間場所休み。
平成22年11月30日
再度懸賞について。永谷園、マクドナルドの他にも一日に10本懸けている企業がある。横綱白鵬と大関魁皇の取組に毎日5本ずつ「飲むヒアルロン酸・皇潤」「ヒアルロン酸売上第1位・皇潤」「節々のスムーズな動きに・皇潤」「スポーツアスリートに・皇潤」「健やかで軽やかな毎日に・皇潤」 皇潤が商品名で株式会社エバーライフという地元福岡の健康食品の会社である。また、毎場所大口の懸賞を出しているタマホームも元々は地元福岡筑後市の会社である。
平成22年12月1日
魁皇の取組には地元からの懸賞も多い。「直方感田びっくり市 明治屋産業」「福岡県直方市クボタ鉄工株式会社」など。琴欧洲の取組にはもちろん「明治ブルガリアヨーグルト」時津風部屋の力士には「商品取引の豊商事」豊商事は、入門した27,8年前から懸けられていた記憶がある。確か先代の親方豊山のときからだと聞いたような気がする。「植物を超元気にするHB-101」も古くからある。「灘の酒・清酒大関」も長い。
平成22年12月3日
戦後すぐの頃の懸賞は、お米や味噌、酒、といった食料品が多かったという。その後、現金になったが、昔のおすもうさんは豪快で、入ったら入っただけパーっと使ってしまい税金を払うときになって困ったので、現在のように一部を協会が本人名義の預かり金とするようになったそう。以前は懸賞金が入ったら付人に振る舞う関取が多かったが、最近は世相柄そういう話もめっきり減ったようである。
平成22年12月4日
お金の話ついでにお相撲さんの収入について。現在はお相撲さんも月給制だが、月給がもらえるのは十両以上の関取という身分になってからのことで、それまでは、場所ごとの手当てが出るのみである。詳細については、ウィキペディアに詳しいが、横綱が282万円、十両が103万円の月給だが、幕下に落ちると場所毎に(2ヶ月で)15万円と下がってしまう。その他褒賞金や手当などを足しても横綱で5千万円弱だから他のプロスポーツに比べると決して高いとはいえない。
平成22年12月5日
給料自体は安くても、タニマチからそれ以上のお金をもらえるのでしょう?言われることもよくあるが、このご時世そんな話はそうあるものでもない。バブルの頃はびっくりするようなご祝儀の話もたまに聞いたが、それもごく一部の超人気力士のみの話で、昔から金より名誉の世界で生きている。もっとも経営者も元力士で、あるお金の中でやりくりして給料の額を決めてきたから、野球やサッカーのような額は無理な話になる。それゆえチームの経営破綻という状況に陥ることはなく経営の安定は守られる。お世話になった成道寺をあとにして全力士帰京。
平成22年12月6日
横綱の月給は282万円、年俸だと3384万円である。月給のほかに褒賞金が年6回場所毎に支給される。これが「給金」と呼ばれる金で、勝越したら褒賞金がアップするので勝越したときに「おかげさまで給金直しました」と挨拶する。褒賞金は、成績を上げるほど高くなる能力給だが、年数を重ねるほど積み重ねも大きくなる年功給でもあり実によくできた仕組みになっている。入門して序ノ口に上がったときから褒賞金はつくが、実際支給されるのは関取(十両以上)に上がってからである。
平成22年12月8日
入門して序ノ口になると、まず3円が持ち給金としてつく。以後1点の勝ち越につき50銭加算される。4勝3敗だと3円50銭になり、5勝2敗だと3点の勝越しだから50銭×3=1円50銭が加算されて4円50銭になる。支給されるときは4000倍の額で、10円だと4万円、50円だと20万円となる。ただし支給されるのは関取に上がってからで、幕下以下は帳面上で数字が上がるだけである。
平成22年12月9日
実際に支給される十両以上は最低支給額が決められていて、それに達していなければ最低額まで引き上げられる。十両40円、幕内60円、大関100円、横綱150円が最低額である。出世の早かった朝青龍の場合を例に見てみると、序ノ口から十両昇進まで1年半9場所、ほとんど6勝1敗か7戦全勝で、勝越し点は44点(6勝1敗は5点、7戦全勝は7点)。3円+50銭×44=25円だが、十両に昇進した場所で40円に引き上げられて支給された。金星(平幕が横綱を破ること)は10円、幕内優勝は30円、全勝優勝は50円つき、朝青龍は最終的には1152円まで上がった。支給は4000倍だから460万8千円になる。(年6回場所毎の支給)
平成22年12月10日
現役ではもちろん優勝17回うち全勝8回の横綱白鵬がトップである。優勝が30円全勝は50円だから、それだけで50円×8=400円+30円×9=270円で670円にもなる。2位は大関魁皇だが、3位・4位には土佐ノ海、栃乃洋といったベテランがつづき大関琴欧洲や日馬富士を上回る。長年勝越しをコツコツと積み重ね給金を直してきた結果である。金星(10円)で稼いだことも大きい。褒賞金は成績給であるが、長年の積み重ねが表れる勤続給でもある。
平成22年12月12日
肩甲骨が注目されている。肩甲骨ダイエットといった美容面から、肩甲骨まわりをほぐすことによって肩こり解消といった健康面でも、ちょっとしたキーワードになっている。さらに近年のスポーツ科学では、股関節同様、肩甲骨まわりのインナーマッスルや肩甲骨の動かし方そのものがパフォーマンスを上げる大切なポイントとして認識されている。四股とならぶ相撲の基本トレーニングである「テッポウ」こそ、肩甲骨を使えるようにするための運動である。
平成22年12月13日
稽古場にはテッポウ柱という直径2,30cmの木が埋め込まれている。このテッポウ柱を交互に突いて押す力、突く力を鍛える運動を「テッポウ」という。別名「調体」ともいい、右手で突くときには右腰を入れて右足を出し、左手で突くときには左腰を入れて左足を出す。いわゆるナンバ的な動きを身につけるための運動である。突く力を鍛えるための運動だが、腕力を強くするための運動ではなく全身の力や重力を合理的に腕に伝えるための運動である。
平成22年12月14日
20代の頃、押す力を強くするにはテッポウよりもベンチプレの方が効果的だと考えていた。より大きな負荷をかけることこそが強くなるためのトレーニングだと思っていたから、せいぜい上半身の重さしかかからないテッポウよりも、130kg、140kgと重さを高めていけるベンチプレスをガンガンやった。Max150kgくらい上がるようにもなったが、それに比例して相撲での押す力が増したわけではなかった。
平成22年12月15日
もちろん筋トレがまったく否定されるものではない。そもそもの基礎体力が弱い場合や下半身に比べて極端に上半身が弱い場合(逆も)などには大きな効果がある。ただ、ベンチプレスにおける大胸筋のように、鍛える筋肉のみに効かせるのがいいという筋トレの特徴があるため、相撲という競技にはマイナスになる場合もある。狭い土俵の中での素早い動きかつ安定さが求められる相撲では、一部分の力に頼るよりも全身を使って力を出せるほうがより安定さが高まる。
平成22年12月16日
ベンチプレスとは文字通り、ベンチの上に仰向けに横たわりバーベルを胸の上で挙げるトレーニングである。上半身を鍛えるのには大変有効で、太い腕や厚く逞しい胸板をつくってくれる。筋肉により効かせるためには上半身のみでバーベルを挙げたほうがいいし、Maxに挑戦するときには全身弓なりになり歯を食いしばって血管が切れんばかりの形相になってしまうのが常である。動かないベンチが体を支えてくれるから必死に弓なりになって力を出しても大丈夫だが、滑る土俵の上で動く相手に対しては、墓穴を掘りやすい力の使い方になってしまう。
平成22年12月17日
同じように押す動作だが、ベンチプレスは、動かないベンチの上でバーベルを押して動かす。一方テッポウは体を動かして、動かない柱を押す。ベンチプレスは動かないベンチを支点にして、また床に着いた足で踏ん張り、作用反作用で重いバーベルを押し上げる。バーベルは上に挙がるが、体には逆に下向きの力が作用している。テッポウは右手で押すとき、右腰、右足が一緒に前に出る。押す向きと体の動く向きが同じになる。体の使い方は反対になってしまう。
平成22年12月18日
ベンチプレスとテッポウの違いは、ふつうの歩きとナンバ歩きの違いに似ているかもしれない。「ナンバ」は陸上の末續選手の走法でも脚光を脚光を浴びて話題になったが、右手と右腰、右脚が同方向に出る動きで、右足を後ろに蹴って右手左足を前に出すふつうの歩きとは似て非なるものになる。
平成22年12月19日
ナンバ歩きとふつうの歩きは同じ歩く動作でもまったく逆の動きになる点も多々ある。ふつうは地面を蹴って前に進むが、ナンバは地面を蹴らない。重心を移動させることによって前に進む。ふつうは右手と左足、左手と右足とが一緒に動くから上半身と下半身は逆の動きになるが、ナンバは下半身と上半身を同じ方向に使うから胴体をねじらない。蹴ったりねじったりすることは進む方向と逆向きに力を加え、その反作用で進むことになるが、ナンバは作用反作用を使わずに重力を利用して重心の移動で体を動かすことになる。初場所に向け土俵築。
平成22年12月20日
蹴って前に進むときは、まず後ろに蹴らなければならない。コンマ何秒以下の話だが、蹴りだすまでに時間がかかるし、蹴った力が伝わって体が動き出すまでにはまた時間がかかる。ところが、ナンバだと重心を前に移動させるだけで重力にひっぱられて足は前に出る。コンマ何秒の差だが、相手との距離が近い相撲の立合いでは圧倒的な差になる。また後ろに蹴るという反対の動作がないため体の中で矛盾がなく、体全体がひとつになって前に進むことができる。明日番付発表。
平成22年12月21日
ナンバについて考えると、相撲に「シコ」「テッポウ」「すり足」しかトレーニング法がないのが納得できる。「シコ」も「テッポウ」も「すり足」も、すべてナンバの動きを身につけるためのトレーニングである。狭い土俵の中で無駄なく合理的に動くためには、ベンチプレスでもスクワットでもなく「シコ」「テッポウ」「すり足」しかないのである。新年初場所新番付発表。幕下が消え、自己最高位もひとりもいないという寂しい番付になってしまった。奮起を期待したい。朝縄が朝天舞(あさてんまい)と改名。
平成22年12月22日
昨21日晩、年末恒例の高砂部屋クリスマスパーティーが帝国ホテルにて行われた。ディナータイムのあとゲストによるショータイム。川島一成、小泉大輔という常連に加え、ノブ&フッキーによるものまねにお客様も大喜び。昨年からの恒例となった大子錦サンタによる子供たちへのクリスマスプレゼントや抽選会に沸き、新年が良い年となるよう湘南高砂部屋後援会相原光治会長の締めにて閉会となった。土俵祭を行い、今日から初場所に向けての稽古始め。明日は国技館土俵にて横審稽古総見一般公開。稽古終了後、関取衆との握手会や横綱大関による直筆色紙手渡し(抽選)などのファン感謝デーも開催されます。
平成22年12月23日
再びテッポウについて。テッポウはナンバである。ナンバな動きを身につけるための運動である。そう考えるとテッポウの本来のやり方が見えてくる。「蹴らない」「ねじらない」「踏ん張らない」という動きがナンバである。右手で突くとき、右腰、右足を前に出すが、後ろ足になる左足で地面を蹴って体重を前にかけるべきだと思っていたが、蹴るとナンバにならない。足で蹴るのでなく、重心を移動させることだけで右半身を前に出すべきである。
平成22年12月24日
現在のテッポウは、両手を柱にまっすぐに当て体重をかけて腕を伸ばす、いわば柱に向かって腕立て伏せをやっているようなものである。両脇を締めて柱を突き、片腕ずつ伸ばす。力の出し方はベンチプレスや腕立て伏せと同じである。腕で蹴っていることであり、足で踏ん張っていることである。手と足の動き以外はナンバになっていない。師走24日。場所前、番付発表後の変わらぬ稽古の日常だが、おかみさんからケーキとプレゼントが配られ、ささやかながらもクリスマス。
平成22年12月25日
映像や写真に残っている双葉山、増位山、三根山といったひと昔前の力士のテッポウは、いまとはかなり違っている。突き手を脇を締めて出すのは一緒だが、支えるほうの手は腕(かいな)を返している。親指を下向きに手の甲を顔の高さまであげ、肘を上げ、脇を大きく広げる。手の甲を自分の方に向け肘を上げ脇を大きく広げる形を「腕(かいな)を返す」というが、腕(かいな)を返すことによって腕(うで)だけでなく全身が使えるようになってくる。腕(かいな)を返すことによって肩甲骨から背中さらには全身へとつながる。
平成22年12月26日
腕(かいな)を返したとき脇は大きく開く。左の腕(かいな)を返したとき左脇は大きく開くから、突く方の右手、右肩、右腰、右足は、一体となって左前方へ動ける。腕(かいな)を返さず腕(うで)をまっすぐにして支えると、左の腕と肩で右半身の動きを止めてしまう。胴体にねじれが生じて「ナンバ」にならない。年末恒例のもちつき大会。今年も、前日の準備からお手伝いの江戸川区大ちゃんクラブの面々や、さいたま相撲クラブの子供たちの協力で240kgのもち米をつきあげる。
平成22年12月27日
古武術介護が注目を集めている。甲野善紀氏が提唱した古武術の体の使い方を介護に応用した方法で、『古武術介護塾』(スキージャーナル)には、介護する側が腰や肩を痛めない身体の使い方が紹介されているが、「腕(かいな)を返す」「腰を割る」といった相撲の基本の構えが数多くでてくる。腕(かいな)を返すと(本では手の平返しと紹介されている)、肩甲骨が開き背中に適度な張りが生まれ、腕(うで)の力だけでなく背中全体の力が使えるとある。
平成22年12月28日
元関脇房錦の先々代若松親方は、褐色の弾丸と呼ばれ激しい突っ張りを武器として栃若や柏鵬を大いに苦しめ人気が高かった。その房錦さんが「突っ張りは引き手が大事だ」とよく言っていた。突っ張るというと、どうしても突き手の方に意識がいきがちだが、突き手よりも引き手のほうが大事だという。突いた手を引くときにはまっすぐ引くのではなく肘を上に上げ腕(かいな)を返しながら引く。腕(かいな)を返して引くことにより肩甲骨が使え、背中全体の力で突っ張れる。
平成22年12月29日
古武術介護も突っ張りの引き手も、腕(かいな)を返すことにより肩甲骨が腕と共に動き背中全体の力を、ひいては全身を使えるようになる。テッポウも然りである。腕(かいな)を返すことにより、背中の力が、脚、腰の力が使えるようになり威力が増す。稽古納め。朝赤龍が音頭をとって三本締めで平成22年を締める。おかみさんからお年玉をもらい順次解散。新年2日に集合して3日から稽古始め。
平成22年12月30日
腕(かいな)を返して腕(うで)を引くことにより肩甲骨がいっしょに動く。肩甲骨周りにはたくさんの筋肉がついているから、たくさんの筋肉で腕(うで)を動かすことになる。腕(うで)の回転に伴って肩甲骨はローリング運動を行うことになる。というよりも腕(うで)は肩甲骨のローリング運動を伝えるためのものになる。一方、腕(かいな)を返さないまっすぐなテッポウを行っても肩甲骨は動かず、腕立て伏せのように腕(うで)を曲げ伸ばす運動でしかない。
平成22年12月31日
大晦日。平成22年は、大相撲界にとって激動激震の一年であったが、高砂部屋にとっても厳しい一年であった。ずいぶん昔のような気もするが、初場所、横綱朝青龍の25回目の優勝に沸いた。祝賀気分も醒めやらぬうちに暴行問題が発覚、事態は慌ただしく展開し2月4日に引退発表。5月場所塙乃里、9月場所輝面龍が引退。新弟子の入門は結局叶わず14人だった力士は11人に減。そんな中、朝赤龍が久々に横綱大関と対戦する位置まで番付を上げ、朝弁慶の新幕下昇進、朝乃丈の三段目昇進がわずかな光明といえる。また謹慎者を一人も出さなかったのもせめてもの救いといえなくもない。23年も厳しい状況が予想されるが日々の稽古黙々とを積み重ねていくしかない。
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