過去の日記

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平成28年1月6日
更新が滞ってしまいました。本年もよろしくお願い申し上げます。1月場所新弟子検査が行なわれ、高砂部屋から玉木一嗣磨(かずま)君が受検。三重県出身で近畿大学相撲部4年生で3月に卒業見込み。身長体重は申し分なく血液検査の結果を待って正式な入門となる。前相撲は3日目から。もう一人近畿大学相撲部の石橋広暉君(富山県出身)は、3月場所三段目附出しでデビューの予定。
平成28年1月7日
新弟子が一人加わり力士数15名となった。平成14年2月の合併時(高砂部屋と若松部屋)31人いたのが年々減っていき、23年から26年までずっと11名という時代がつづいていたので、ようやく回復してきたといえる。3月場所にも3~4名入門予定で、相撲部屋として理想の20名まであとすこし。10人以下では少なすぎるし、30人を超えると目が行き届かなくなる。
平成28年1月8日
高砂部屋ができたのは明治11年(1878年)6月。明治6年に会所(協会)を脱退して改正高砂組として独立興行していた元高見山の初代高砂浦五郎が和解なって復帰したときから始まる。復帰時は幕内1人、十両5人、幕下9人、三段目3人、序二段4人、序ノ口3人の計25人だったもよう。それから138年間、栄枯盛衰をくり返し、多い時には100人近くいた時もあるそうだが、だいたい20~30名という期間が多い。138年間、関取(十両以上)が途絶えたことは一場所もない。
平成28年1月9日
世話人の總登さんは昭和46年1月場所の入門。入門したのは大山部屋だが、その当時一門は同部屋のようなもので、稽古は高砂部屋の稽古場でおこなっていたそう。ちょうど4代目から5代目に代変わりする頃で、弟子の数も減っていたようで20数名だったそう。總登さんの入門から半年後、元横綱前田山の4代目が亡くなり元横綱朝潮の5代目高砂となった。明日が初日。取組開始は午前8時25分で十両土俵入りが午後2時5分。十両朝弁慶は呼出し邦夫の呼び上げで東龍との対戦。その三番後、木村朝之助の裁きで朝赤龍が天鎧鵬との対戦。
平成28年1月10日
昭和15年1月の雑誌(野球界増刊春場所相撲號)に部屋別力士一覧が載っている。三代目の頃で、27歳の前田山が大関。十両に富田濱という力士がいて関取2人で総勢30名。横綱双葉山の立浪部屋は41名。出羽ノ海部屋がすごい。横綱武蔵山を筆頭に幕内力士だけで18名。十両に7名。序ノ口までの総勢89名。二所ノ関部屋も70名。逆に力士一人のみという部屋も中川、片男波と2部屋ある。快晴の新春初場所初日。初場所初日は、いつにも増して華やいだ雰囲気があるが、力士にとっては緊張感も高い。2勝4敗の高砂部屋初日。
平成28年1月12日
今日から前相撲。近畿大学在学中の玉木一嗣磨(かずま)君は三重県伊勢市の出身。お父さんも近畿大学相撲部出身で、小学生の時から相撲を始め、高校は大阪へ出て近畿大学付属高校で。突き押し相撲を得意として、今年度の西日本体重別選手権(無差別級)で優勝して、12月の全日本選手権ではベスト16の実績。今日の初土俵でも得意の突き押しを炸裂させ圧勝。三段目、幕下、十両へと出世の階段を駆け上ってほしい。
平成28年1月13日
現在前相撲は一番取れば(勝っても負けても)、翌場所序ノ口に出世して番付に四股名が載る。序ノ口での順番を決める勝負にすぎない。現行制度になったのは昭和40年代後半からのようで、それまでは前相撲のあとに本中という段階があって、そこで勝ち抜かなければ序ノ口に上がれなかった。それゆえ、番付に四股名が載るまで1年2年かかることはザラで、番付に名前が載らないままに廃業する力士もかなりいたそう。朝山端、朝乃土佐、2連勝。朝弁慶、うれしい初日。
平成28年1月15日
“角界の風雲児”と呼ばれた初代高砂浦五郎は、千葉県東金の出身で江戸末期安政6年(1859)に21歳での入門。小島貞二氏の記事によると、当時は、「前相撲」から始まり「相中」「本中」とすすんで、ようやく「新序」となったという。東海の四股名だった初代高砂浦五郎は、初土俵から三年、本中の壁を超えられなかった。番付に名前が載らない本中力士は100人を超えていたという。朝天舞、危ない場面を2度残し我慢の3勝目。幕下復帰まであと2勝。
平成28年1月16日
十両の取組、今日は朝赤龍が先に東方から土俵に上がり4勝目。つづいて同じく東方から朝弁慶が土俵へ。勝った力士は次の力士に水をつけるので、勝った朝赤龍が朝弁慶に水つけ。初めての経験で、お互い胸に期するものがあったろうが、ふたり揃っての白星はならず。金指基『相撲大辞典』によると、仕切りに入る前に口をすすぎ身を清めるための水で、「力水」「清めの水」「化粧水」などと別称されるが、正式には「水」というとある。単に「水」が正式なのが相撲界らしくていい。
平成28年1月25日
15日間の満員御礼がつづき琴奨菊の10年ぶりの快挙に沸いた初場所。高砂部屋は、前半戦調子が上がらず苦戦の土俵がつづきました。その中で、朝赤龍は白星先行で9勝6敗の好成績。朝乃土佐の5連勝も光りました。中日まで2勝6敗と心配された朝弁慶、追い詰められてようやくエンジンがかかり7勝7敗までこぎつけました。負越したものの関取の座は確保です。足の怪我を完治させて15日間重戦車相撲をみたいものです。朝興貴が幕下復帰。近大相撲部朝玉木は三月場所で序ノ口デビュー。もう一人の近大相撲部石橋君は、三月場所三段目附出しデビューの予定です。
平成28年2月1日
1月28日付けの読売新聞で“巣鴨プリズン慰問場所”が紹介されていた。巣鴨プリズンとは、大戦後に戦犯容疑者が収容された拘置所で、昭和27年1月9日戦犯慰問大相撲が開催された。横綱審議委員会初代委員長酒井忠正氏の「相撲随筆」の記述と実際に訪れた元立呼出し米吉さんの証言を織り交ぜ当時の模様を振り返っている。戦犯10名から送られた感謝状や当日の割り(取組表)と共に、高砂部屋呼出し多賀之丞作の甚句『新生日本』の歌詞が掲載され、中央には大きく元幕内島錦、元小結国登、多賀之丞の高砂部屋3人衆の姿がある。
平成28年2月4日
前記紙面からつづく。酒井忠正氏の随筆「今迄笑顔に満ちた場内が水を打ったように、異様な厳粛さに圧せられた空気になってしまった。(中略)歌が終わると爆発したような拍手が鳴り止まない。荒木さん(元陸軍大将)の目には涙が光っている」米吉談話「それは相撲甚句だね。・・・戦争を経験した人が聞いたら誰だって泣くよ」「多賀之丞は三重の素人相撲から本職に入った人で、元は浪曲師。鬼瓦みたいな恐い顔してたけど声が素晴らしい。甚句を聞いた女は皆ほれてたよ。朗々とした声が巣鴨に響いたわけだ。声もいいし、節もいい、それでもって情緒がある。甚句ってのは60年、70年生きてきた、心のひだで歌うんだ。・・・」
平成28年2月8日
『夕刊フジ』で元大関朝潮高砂浦五郎「自伝」連載中。今日で6回目で、「見つけた武器」と題して、入門して一年、前頭筆頭に上がって9連敗、次の場所も、そのまた次の場所もと3場所連続の負越しで壁にぶつかったとき、出稽古に来た高望山(現高島親方)との稽古でひらめいた「ぶちかまし」の話。以後、部屋での稽古で立合いのぶちかましを磨いて壁を乗り越えていった。中央には、ぶちかましの激しさを物語る額から流血する写真。聞き手は、相撲記者歴が長い大見信昭氏。
平成28年2月13日
青森で女子相撲をがんばっている中学1年生ひなちゃんの将来の夢は相撲部屋のおかみさんになること。青森朝日放送の番組『夢はここから・・・』の収録で、高砂部屋に来て今日一日おかみさんのもとでおかみさん修業。はじめは緊張して固まっていたが、だんだんお相撲さんとも馴染んできて写真撮影では満面の笑み。さいごはイケメンな(ひなちゃん曰く)朝弁慶や朝山端に見送られ、名残惜しそうに青森へ
平成28年2月14日
『JAF Mate』は、JAF(一般社団法人日本自動車連盟)の機関誌で年10回発行。発行部数は何と12,002,900部。最新3月号の表紙を飾るのは、高砂部屋力士一同を後ろに従え軍配片手に勝負を捌く厳しいまなざしで正面を見据える十両格行司木村朝之助の雄姿。65ページには「表紙の人」と題して、記事と共に笑顔の朝之助や相撲字、稽古風景も紹介されている。今晩6時より都内ホテルにて朝赤龍結婚披露宴。
平成28年2月21日
大阪先発隊乗り込み。毎年のことながら師匠の大学の後輩の嶋川さんに迎えに来てもらって谷町9丁目宿舎久成寺(くじょうじ)入り。7~8人の先発隊なので車3台できてもらう。20数年嶋川さんは不動なれど一緒に来てくれる人は変動があり、今年は同級生に、仕事仲間、甥っ子という面々。昔朝之助が元大乃国の芝田山親方と見間違えたこともある嶋川さん。甥っ子も嶋川さんの血を引き継いで子供の頃大きくて師匠からしきりにスカウトされていたのを思い出した。大人になった今また迎えに来てもらうことにも歴史が感じられる。
平成28年2月22日
1年ぶりの大阪。谷町9丁目界隈も街並みに変わりはないが、毎年少しずつ変化はある。すぐ近くの弁当屋さんがなくなってしまった。チャンコ場の用意ができるまで先発中は毎日のようにお世話になっていただけに、痛い。宿舎のお寺さんから坂を下ったところにあった銭湯も2~3年前に閉めてしまった。これも痛かった。今年跡地を通ったら新築のマンションになっていた。ピカピカでお洒落なマンションだけにより寂しさを感じてしまう。交差点近くの焼肉屋も閉店している。誰も行ったことがない店だと思っていたが、朝達家が「ここまずかったっす」と言い、他の皆は無言で通り過ぎた。
平成28年2月24日
宿舎久成寺から徒歩2分の谷町九丁目駅地下街には昔ながらの居酒屋が何軒かあり今年も健在。中でも『盛じゅん』という焼鳥屋さんは、高砂部屋御用達といえるほど毎晩のように誰かしら行っているお店。地鳥の「せせり」「はらみ」「もも」の炭火焼にカツ、合間のごま油が効いたキュウリ漬け、「ももタタキ」「ナマレバ」に鍋。締めには「ユッケ丼」「地鳥の卵かけご飯」などなど。時に裏メニューまで出してくれる。今日の揚げ出汁餅も絶品だった。
平成28年2月28日
全員大阪へ乗り込み。毎年恒例ちゃんこ朝潮徳庵店での大阪高砂部屋後援会とのちゃんこ会。 近大相撲部から1月場所入門の朝玉木と3月場所三段目附出しデビューの石橋君、大阪泉大津市立東陽中学3年生の塩本君の3人も出席。今日から力士としての生活が始まる。もう一人入門予定の名古屋の高校3年生横道君は、3月1日の卒業式を終えて2日から合流。3月13日(日)初日の大阪春場所、明日が番付発表。
平成28年2月29日
3月春場所番付発表。1月場所東十両8枚目で9勝6敗だった朝赤龍東2枚目まで躍進。再入幕を狙える番付。朝弁慶は1枚落として12枚目。今場所こそ、関取として初の勝ちしを狙いたい。朝興貴が幕下復帰で、朝大門、朝森本が自己最高位。朝達家も自己最高位。
平成28年3月1日
春場所、久成寺にての稽古始め。近畿大学相撲部の2人朝玉木と石橋、大阪泉大津の中学生塩本の3人も黒マワシを締めて初稽古。まずは準備運動にぶつかり稽古程度。ちゃんこ番の手伝いや洗い物、稽古タオルの洗濯、掃除なども兄弟子に教わりながら相撲部屋24時間の生活がはじまっていく。名古屋の高校3年生横道は、今日が卒業式で明日から合流。新弟子が入ってくると部屋に活気が出てくる。
平成28年3月2日
大阪場所前毎年恒例の学生相撲出身力士激励会。高砂部屋から、近畿大学出身の師匠、若松親方、朝玉木、石橋と、琉球大学出身松田マネージャーが出席。現在学生相撲出身力士は幕内14名、十両7名を数え関取の3分の一近くを占める。幕下以下の力士も合わせると50名を超える大勢力。明後日3月5日土曜日が新弟子検査で正式入門となる石橋、今日初めて着物に袖を通し雪駄履きで歩き、満更でもない様子。2人共400名近いお客さまの前でカラオケもデビュー。
平成28年3月4日
3月場所が初土俵となる石橋は、富山市出身で高校は富山商業高校。富山県出身力士としては、明治に梅常陸時代を築いた第20代横綱2代目梅ケ谷藤太郎、最強横綱の声もある第22代横綱太刀山峰右衛門、小兵の名人関脇玉椿等、相撲史にその名を残す力士がいるが、現在番付に名前を載せているのは2力士のみ。そういう状況もあってか、地元の期待も高く、早速地元テレビ局が2社取材に。明日新弟子検査を受検して三段目附け出しとしてデビューする。
平成28年3月8日
3月5日(土)に新弟子検査が行なわれ、高砂部屋から受検の3人も無事合格。何度か紹介してる近大相撲部石橋広暉の他、名古屋市出身の高校3年生横道守、大阪泉大津東陽中学3年生の塩本直輝の3人。塩本直輝君は、小学生の頃から大阪場所の度に部屋に泊まりがけで来ていて宿舎久成寺での生活も慣れたもの。春場所3日目の3月15日(水)に卒業式を迎える。
平成28年3月10日
寒の戻りとなった大阪。数日前の暖かさがうそのようにお寺を冷気がつつみ込み、底冷えのする本堂。朝、寝間着から本堂の中にかけてある服に袖を通すと、冷たさが全身に沁みてくる。寒暖の差が激しいこの時期は体調を崩しやすく、“荒れる春場所”の一要因でもある。近大へ出稽古に行っていた数名も初日に向け明日からは部屋での調整稽古。明日金曜取組編成で明後日土曜日土俵祭。13日(日)初日の春場所は15日間満員御礼確実の前人気上々。ー浪速の春は大阪場所からー
平成28年3月13日
“荒れる春場所”の名の通り、横綱が相次ぎ敗れる波乱の初日。高砂部屋関取衆も黒星スタート。朝金井、朝山端は病気療養中のため休場。代わりに朝達家が朝弁慶の付人になり、支度部屋初デビュー。場所前に初めてちょん髷も結い、少しずつだがお相撲さんらしい雰囲気も感じられるようになってきた。三段目附出しデビューの石橋、明日同じく東農大出身の三段目附出し小柳(おやなぎ)との対戦。事実上の三段目優勝決定戦といえるのかもしれない。いや、三段目60枚目朝乃丈も秘かに優勝宣言していたから、わからないが・・・。
平成28年3月14日
今日から前相撲。すでに15日間売り切れ状態の大阪場所だが、肉親に限り前相撲は見学が出来る。地元大阪泉大津出身の朝塩本、両親が応援に来るが、対戦相手が近大相撲部出身力士で白星ならず。明日15日が中学校の卒業式のため、部屋に戻って洗いものやら掃除やら終わらせて実家に戻る。3月場所の前相撲は一日おきなので、明後日に初白星を目指す。もう一人朝横道は初土俵初白星。三段目附出し同士の決戦は小柳に軍配が上がり、石橋黒星スタート。勝つに越したことはないが、これから先の長い勝負人生の中では、単なる一敗にすぎない。負けた悔しさを糧に進んでいくだけのこと。朝弁慶も初白星。
平成28年3月16日
前相撲は、新弟子検査に合格した力士がA班とB班の2班に分かれて一日おきに相撲を取り、2勝すると出世披露となる。高砂部屋に2人はA班で、2日目からスタート。今日4日目が2回目の土俵。2日目黒星だった朝塩本、今日2連勝して一番出世決定。明日5日目に一番出世披露。2日目白星スタートだった朝横道は2勝目ならず。
平成28年3月18日
”暑さ寒さも彼岸まで”とはよく言ったもので、しとしとと雨に降られたものの冷え込みはすっかり和らいできた。谷町9丁目という大阪市のどまん中にある宿舎だが、大通りから一本入り、周りはお寺や公園に囲まれているため、ウグイスのさえずりも聞こえてくる。かと思うと、今朝は野良猫の盛り声が長々とつづいていた。春である。今日から中盤戦、前相撲朝横道2勝目を上げ、9日目に二番出世披露。
平成28年3月19日
大阪の道路は、南北が「筋」、東西が「通」という名称になっていて分かりやすい。高砂部屋宿舎である久成寺から程近い谷町九丁目交差点を西へ下っていくのが「千日前通」で、下ってすぐ日本橋(にっぽんばし)、難波となり、難波の交差点を左に曲がると大阪場所が開催されている府立体育館(今年からエディオンアリーナ大阪という名前に変わった)がすぐそこ。そのエディオンアリーナで朝玉木が今場所第一号の勝越し。石橋も万全の相撲で3勝目。朝ノ島も3勝目。大子錦に初日。
平成28年3月21日
南北に走る谷町筋を南へ下ると天王寺駅にぶつかる。天王寺駅の向こうに今旬の阿倍野ハルカスがそびえ立つ。阿倍野ハルカスは阿部野区になり、その阿倍野区松崎町出身なのが朝森本。1年前入門したとき130kgだったのに今年は150kgまで増量。地元だけに、体育会系の叔父さんも度々差し入れを持って部屋に訪ねてきてくれる。体重の増加ほど番付は上がっておらず、叔父さんもヤキモキしているようだが、勝越しに望みをつなぐ2勝目。
平成28年3月22日
宿舎のある谷町9丁目辺りは上町台地とよばれ、大阪発祥の地でもある。大阪湾を臨み南北に盛上った台地で、大阪城付近から住吉大社辺りまでつづいているという。その上町台地の西端を通るのが谷町筋で、上町台から坂を下った筋が松屋町(まっちゃまち)筋。谷町9丁目から天王寺まで、谷町筋と松屋町筋をつなぐ天王寺七坂があり、歴史散歩コースになっている。石橋、朝ノ島勝越し。朝玉木5連勝。
平成28年3月23日
天王寺七坂は、千日前通から生國魂(いくたま)神社に向かう真言坂に始まり、源聖寺坂、口縄坂とつづく。源聖寺坂を登り切った左右の寺には昭和30年代後半相撲部屋が密集していた。銀山寺に花籠部屋、齢延寺に三保ケ関、隆専寺に出羽海、菩提寺に春日野、圓通寺に伊勢ケ浜部屋と谷町筋に出るまで相撲部屋が軒を並べ、付近に小野川、高島、立浪部屋などもあった。さらに、愛染坂、清水坂、天神坂と石畳の坂がつづく。七坂目は、四天王寺西門に至る逢坂。坂の途中にある大きなお寺一心寺には初代高砂と所縁が深い大関綾瀬川のお墓がある。高校(近大付属高)大学(近大)と大阪の朝玉木六連勝。
平成28年3月24日
大関綾瀬川は大阪市中央区の出身(愛知県稲沢市という説もある)。大阪相撲の湊部屋に入門したのち江戸に出て第9代横綱秀ノ山の弟子となり明治元年入幕。姫路藩お抱えで相生と名乗ったが、維新後土佐藩お抱えになり綾瀬川と改名。そのことが初代高砂との刃傷沙汰騒動となる。初代高砂にとっては敵役だったが、相撲の実力は高く、「相撲じゃ陣幕、男じゃ綾瀬、ほどのよいのが朝日嶽」と謡われたほどイケメン力士でもあったようで、孫は大正・昭和の大女優栗島すみ子。石橋、朝ノ島共に5勝目。残り3日間。勝越し4人、負越し3人、合い星7人。
平成28年3月25日
序ノ口19枚目の朝玉木、序二段の全勝力士と対戦して勝ち7戦全勝での序ノ口優勝決定。三段目100枚目格附出し石橋は、まさかの2敗目。「負けて覚える相撲かな」というように、今場所の2敗をこれからの稽古や日々の生活に活かしていけばよい。明日が近畿大学卒業式。着物で出席とのこと。大子錦、まさかの3連敗4連勝での勝越し。場所前ギックリ腰をやり途中高らかに休場宣言までしていたのに、まさかの勝越し。朝乃丈も勝越して勝越し6人、負越し5人、あと一番で勝越しが、十両朝弁慶、朝興貴、朝森本の3力士。
平成28年3月27日
朝弁慶、十両3場所目にして初めての勝ち越し!難産の末の勝越しだけに部屋にもどってきたときは全身から喜びが溢れ出ていた。これで気を良くしてどんどん勝越しを重ねていけそうな気がするが・・・乞うご期待。梅田ヒルトンホテルにて千秋楽祝賀パーティー。大勢のお客様にお越し頂き、朝弁慶の勝越しと朝玉木序ノ口優勝で祝賀ムード満載。勝越し力士カラオケで新弟子の朝横道もカラオケ初土俵。カラオケで歌うこと自体初めての経験だそうだが、いきなり500名の大観衆を前にしての初カラオケ。これも力士ならではのこと。
平成28年3月31日
世話人の總登さんが3月30日午前10時15分敗血症のため亡くなられました。あまりにも突然のことで言葉を失ってしまいます。最後は安らかなお顔でご永眠されました。心よりご冥福をお祈りいたします。
平成28年4月5日
總登さんは昭和46年1月場所大山部屋への入門。当時の師匠は、元大関松登の大山親方。入門時は房登で、その後福本、福国山と改名して昭和58年1月から總登。全盛時は176cm154kgの体格で最高位は昭和54年11月場所の幕下2枚目。3勝4敗と惜しい成績だった。昭和60年1月場所に引退して大山部屋所属の世話人となるが、昭和61年4月に元松登の大山親方が亡くなり、高砂部屋所属となった。
平成28年4月11日
總登さんが初めて番付に名前を載せたのは昭和46年3月場所。序ノ口東4枚目で房登の四股名。初日に勝って2日目に負け、2連勝で3勝1敗までいくが、3連敗して3勝4敗と負け越し。ベースボール・マガジン社『相撲』昭和46年5月号(夏場所展望號)の各段報告序ノ口の欄で、期待の力士として紹介されている。大山部屋の13歳の新弟子を一人紹介した後、「このソップ型に対してアンコ型が序ノ口の房登。この人も大いに期待されている。173センチ、112キロの体で、松登二世といわれるほど。ぶちかましに威力がある。まだ15歳というのも魅力の一つ。しかもこのごろは当たって押す。自分の型を覚えてきたのは大きな収穫だ。ただまだ四つ身になることがあり、まわしをとっての投げを打って、逆に失敗するので、その点をもう少し、心掛けて押しに徹するようになれば、これから面白くなりそうだ。」
平成28年4月17日
巡業組(朝赤龍と朝乃丈、朝弁慶と朝興貴、神山)、埼玉県川口市での巡業を終えいったん帰京。明日18日(月)靖国神社奉納大相撲、19日は長野県佐久市、20日に富山市で行って長い春巡業が終わります。25日(月)が番付発表。
平成28年4月25日
5月場所新番付発表。十両朝赤龍は西8枚目、朝弁慶は一枚上がって東11枚目。先場所三段目附出しデビューの石橋が三段目東66枚目の番付に初めて名前を載せる。朝ノ島、昨年1月場所以来の三段目復帰。先場所序ノ口優勝の朝玉木は、玉木と改名して序二段10枚目。連続優勝を狙う。朝達家、序ノ口3枚目と自己最高位を更新(3月場所入門者多数の為の押し上げだが)。
平成28年4月29日
總登さんお別れの会。午後3時より国技館地下大広間にて。八角理事長が一門の弟弟子として總登さんにお世話になった想い出を語ってお別れの言葉とし、東京高砂部屋後援会山下秀男氏のお別れのご挨拶の後、参列者での献花。閉会後に、祭壇の前で家族を部屋全員で囲み記念撮影。そのあと土俵に向かい。奥様に遺影を持っていただいて娘さんと3人でゆっくり土俵を一周。45年間共に生きてきた土俵と最後のお別れ。これからも、高砂部屋を、大相撲を、見守ってください。合掌。
平成28年5月6日
初日まであと2日。取組編成会議で初日と2日目の取組が決まる。初日の取組開始は午前8時20分で、まずは序ノ口の土俵に朝横道が上がる。そのあと、神山、朝山端、石橋、朝乃土佐と進み、十両11枚目朝弁慶は邦夫の呼び上げで鏡桜との対戦。4番後、呼出し利樹之丞・行司木村朝之助の軍配で朝赤龍が富士東との対戦。注目の稀勢の里は妙義龍、結びは白鵬に隠岐の海。
平成28年5月8日
風薫る五月夏場所初日。五月晴れの爽やかな晴天というより夏を思わせる日差し。五月場所から九月場所までの三場所は幕下以下の力士の場所入りは浴衣姿になる。浴衣の下にシャツステテコも着ているので、暑すぎない五月場所だけが浴衣が心地よい。先場所関取として初めての勝ち越しを決めた朝弁慶、会心の相撲での初日。勢いに乗って突っ走ってほしい。4勝3敗の高砂部屋初日。
平成28年5月9日
浴衣は自前で仕立てるか兄弟子のお下がりをもらうなどして3,4着はある(個人差はあるが)。体が大きすぎたり小さすぎたりするとサイズが合わなくお下がりをもらいにくいが、幸いなことに188cm160kgの石橋は朝弁慶の浴衣がちょうどよく、172cm80kgの朝達家は、呼出し利樹之丞や邦夫の浴衣でちょうどよい。その朝達家、まだ勝越したことがないものの徐々に番付を上げて自己最高位の3枚目。頭をつけて前に出る相撲で初日を飾り、初の勝越しと序二段昇進を目指す。
平成28年5月10日
浴衣を仕立てるのは近所でおばあちゃんがやっている仕立屋さん。大きさに関わらず一着7千円。 以前は5千円だったが少しずつ値上がりした。それでも呉服屋さんなどに頼むよりも安い。仕立てる反物を持参して縫ってもらう。自分で出向くか、ちょうどの大きさの浴衣か着物を持ち込んで採寸してもらう。十両朝赤龍に初日。三段目石橋、順当に2連勝。
平成28年5月11日
力士用の反物は幅広のキングサイズだが、仕立てるとなるとほとんどの力士が一反では足りない。大子錦は最近一反半では危なくなって二反持っていくという。小錦さんも二反あればギリギリ作れたそう。朝達家や朝横道など100kgくらいまでの力士なら何とか一反でできる。朝横道、番付に名前を載せて初めての白星。朝山端、玉木2連勝。
平成28年5月12日
高砂部屋仕着せは、波模様にクジラのイラストでおかみさんの考案。その前は、師匠と親交があった縁で、80年代に一世を風靡したセーラーズの絵柄に師匠の似顔絵のデザインだった。師匠の似顔絵は、朝之助の祖父の絵。昔の若松部屋は松葉小紋に若の丸文字。横綱千代の富士が支度部屋でよく羽織っていて何となく誇らしかった。朝弁慶4勝目。付人の序二段朝山端3連勝。
平成28年5月13日
自分の四股名の入った浴衣地をつくれるのは幕内から。朝弁慶はまだつくれない。幕内力士か、部屋の名前を入れた仕着せ、または引退のときの記念品もしくは襲名披露(33代木村庄之助襲名)などのときにつくる。力士用の柄は、男物の小紋を使うことよりも、体に合わせてか女物につかうような大きな絵柄を使うことが多い。昔は藍染めの紺系統が主流だったが、最近はカラフルな色使いが多い。三段目石橋、序二段玉木そろって3連勝。
平成28年5月14日
相撲界は暑さに弱いので、季節先取りで4月になると浴衣を着始める。2階の大部屋のクローゼットも着物が仕舞われ浴衣一色。22~3枚浴衣がかけられているが、そのうち6枚が龍の絵柄。朝赤龍はもちろん、東龍や鶴竜など四股名に龍のつく幕内力士が多いことにもよるであろう。龍は中国では皇帝のシンボルだそうで数々の伝説があるのは周知の通り。序二段で朝山端と玉木がそろって4連勝の勝ち越し。二人での優勝決定戦もありうる。
平成28年5月16日
今風のイラストや派手な色使いの浴衣は楽しいが、昔ながらの柄には風情がある。トンボの柄はよく使われていた。トンボは縁起のいい「勝ち虫」と呼ばれ、戦国武将は兜や陣羽織などの装飾にも使ったという。古事記で雄略天皇が狩りに出かけたときに腕を刺した虻をトンボがくわえていった故事に由来するそう。朝弁慶7勝目で勝ち越しまであと一つ。十両優勝争いにも加わってきた。三段目石橋、少し苦戦するも5連勝目。序二段玉木と朝山端は共に電車道で5戦全勝。もちろん優勝争いのトップを走る。
平成28年5月17日
梅や菊、桜などの花柄もよく使われる。龍と同じく四股名に使われるからでもあるが、梅は忍耐力と美を意味し、菊は日本の国花であり皇室の紋章にも使われている。桜は相撲協会の紋章で、こちらも日本の国花。すべからく縁起がいい。朝弁慶10日目にして早くも勝ち越し決定。いよいよ優勝争いの先頭集団にも加わった。明日から終盤戦。残り5日間。幕下以下は残り2番。
平成28年5月18日
江戸歌舞伎・役者柄もよく使われる。地味な文様の印象があったが、語呂合わせの文字や縞で意味があり、しゃれで粋な江戸文化が薫る。十両朝弁慶、取り直しの一番に敗れ優勝争いから一歩後退。三段目石橋、序二段玉木と朝山端は全勝を守り、残り一番に優勝もしくは優勝決定戦進出をかける。
平成28年5月20日
今日まで序二段の全勝力士は3人。まず朝山端が土俵に上がり5勝1敗の力士と星違い(幕下以下は基本的に同じ星同士の対戦)で対戦。敗れ、残った2力士による対戦を玉木が制し、先場所の序ノ口優勝に引き続いての序二段優勝決定。三段目は6戦全勝が2人残り、勝った方が三段目優勝という7戦目の取組。残念ながら石橋は敗れ、高砂部屋ダブル優勝はならず。朝弁慶、4敗目を喫し優勝争いから後退。13日目を終了して勝越し5人、負越し5人。明日14日目に3勝3敗の5人が登場。
平成28年5月30日
一昨日の『相撲甚句全国大会』にゲスト出演した吉本のお笑いコンビ“キンボシ”のキンボシ西田は徳之島出身。実家が近所で、お父さんは学校の先輩。芸人としての知名度はまだ低いようだが、相撲界での知名度は抜群。マニアックな相撲ネタが売りで、相撲雑誌や関連冊子、NHK大相撲中継のゲスト解説者としての出演も多々。相撲部屋の玄関の前で横綱土俵入りをおこなう大相撲全部屋を回ってきたがおもろい。けっこういいシコ踏む。今日から稽古再開。新弟子は相撲教習所再開。
平成28年5月31日
最近の大相撲人気のお陰もあってか相撲をネタにする芸人さんも増えてきたが、相撲漫談の一矢さんは芸歴が古い。知り合いに何度か「一ノ矢さん、副業で相撲漫談はじめたんですか?」と真顔で聞かれたことがあるが、「かずや」と読み、呼出しの装束で柝を鳴らしながらの相撲ネタ。甚句もやる。
平成28年6月3日
昨日6月2日、毎年6月恒例の近畿大学校友会東京支部ちゃんこ会。乾杯のあと、これも恒例となった近畿大学OB落語家鈴々舎八ゑ馬(れいれいしゃやえば)の落語を一席。今年で3回目(?)となった高砂寄席。おかみさんの発案で、“高砂寄席”“鈴々舎八ゑ馬”という「めくり」を寄席文字ならぬ相撲字で木村悟志が作製。稽古場上がり座敷が、ちょっとした寄席の雰囲気に。お昼に国立演芸場で出番のあった八ゑ馬さん、他の師匠に「これから高砂部屋で一席です」と言うと、ずいぶんうらやましがられたという
平成28年6月8日
高砂部屋栃木後援会が発足した。船田元衆議院議員を会長として宇都宮在住の有志を中心に集い今年4月に師匠を招いて発会式が行われた。8月20日(土)、21日(日)に合宿稽古を行う予定で、今週月曜日に稽古土俵が宇都宮市氷室町に完成、昨日火曜日には木村朝之助が祭主となり土俵祭が行われた。
平成28年6月9日
栃木県出身力士としては、初代横綱明石志賀之助や第27代横綱栃木山が知られるが、その栃木山の4年兄弟子に宇都宮新七郎という力士がいた。大正2年に入幕して最高位は前頭2枚目。大正10年に引退して年寄放駒となり、のち年寄九重として理事にもなっている。口が大きくガマというあだ名で呼ばれ、酔ってご機嫌になると「手めえたち若けえのは、世にも名高い明治の三ガマって誰のことか知るめえ、後学のためによく覚えておけよ。浪曲では桃中軒雲右衛門、女優では松井須磨子、角界ではかくいう宇都宮新七郎だ。」と啖呵を切っていたという。じつに話のうまい人でしたと、横綱栃錦が『栃錦一代』の中で語っている。
平成28年6月10日
『栃錦一代』は横綱栃錦引退の約一年後、昭和36年3月中央公論社からの刊行。200頁余の本の中で、「九重親方の話」として15頁ほどを割いて宇都宮新七郎の思い出話を載せている。宇都宮新七郎は、横綱常陸山の出羽ノ海御大の弟子で出羽ノ海部屋所属ながら、栃木山との縁で春日野部屋に毎日のように来て昔話を聞かせてくれたという。その話しっぷりが寄席で落語か講談を聞いているように面白く、語り口も独特だったと逸話を紹介している。今日から下妻大宝八幡宮での合宿。明日から13日(月)まで3日間の稽古。
平成28年6月11日
大宝八幡宮での合宿は、先代宮司が師匠を節分の豆まきに招いていたご縁からはじまり今年で16年目。はじめから参加しているのは、朝赤龍、朝乃土佐、朝天舞の3力士。残りの力士は皆、入門直後から下妻のみなさまに見守られながら成長してきた。関取として初めて大宝にお目見えの朝弁慶も先代宮司の墓前に嬉しい報告ができた。今朝は稽古の後、こちらも6年目となるわんぱく相撲下妻場所。はじめの頃30名くらいだった参加者も今年は80名の大賑わい。いつかこの中から入門者が出てくることがみんなの夢。
平成28年6月12日
下妻市大宝八幡宮合宿稽古2日目。晴天の日曜日とあって満員御礼の観客席。ちゃんこも材料を買い足して増量。食材切りも新しい助っ人の婦人連が加わり賑やか。その中心となるのは“大宝のきみまろ”ことキヨちゃん。今朝も大子錦とからんで、坐骨神経痛で脚が痛む話からパンツの色がグレーだったという話で盛り上がる。そこへ先代宮司の奥様も加わる。キヨちゃんとの付き合いも長いのでツッコミも抜群の間。新コンビ結成で大宝おばちゃん漫談のネタは尽きない。
平成28年6月13日
大宝合宿稽古3日目最終日。あいにくの雨にたたられ土俵のまわりは水びたし。ゴム草履で歩いていたらツルリ。背中とお尻がどろどろになってしまった。つづいて朝乃土佐もツルリ。持っていたバスタオルがどろどろ。しばらくして朝弁慶登場で客席から拍手がわくが、その前でツルッ、オットットと両手をついてどろどろの土俵下で股割り、どうにか両手だけですんだ。稽古のあと大宝保育園の園児たちが力士に挑戦。ちゃんこと後片付けの後、雨の中、傘を差した園児たちと役員の方々に見送られバスにて帰京。
平成28年6月14日
再び宇都宮新七郎の話。栃木山は自ら志願の手紙を書いて出羽ノ海部屋に来た。折しも巡業中で、部屋に残っていた宇都宮が同郷のよしみで巡業先まで同行した。汽車が品川を通り海が見えたとき「ここはどこだね?」と栃木山が聞くので、「品川だ」と答えたら、「品川って川かね。東京って川まででっけえんだなぁ!」と言ったという話をサカナに協会の取締となった栃木山をからかっていたいたという。また、「胸に鼻クソをくっつけて稽古をつけてやった。そうして稽古上がりに自腹でシャモを買って食わして横綱にまでしてやった」という話もよくしたそうで、春日野部屋の力士たちは宇都宮のことを、“シャモの親方”と呼んでいたという。
平成28年6月15日
宇都宮の師匠は大横綱常陸山。常陸山は、海軍の八代六郎大将、広瀬武夫中佐と義兄弟の契りを結んでいて海軍との縁がふかく海軍記念日に築地の料亭に招待をうけたという。師匠が所用でどうしても出席できないため幕内の宇都宮が代理で行くことになった。師匠に呼ばれ「今日は、お歴々の宴席だから粗相のないよう注意してくれ。おまえは酒癖が悪いから酔っぱらっておれの顔をつぶすようなまねをすると承知しないぞ」と念を押された。東郷元帥をはじめ名だたる提督並ぶなか、威儀を正して挨拶をすますと、“よく来た、一杯やろう”とお歴々から盃をもらいご機嫌になって席へもどった。
平成28年6月16日
席へ戻ったところへ料亭の仲居がやってきて、“ハイ、これは親方、これは代理”と、祝儀を二人分ポンポンと前に置いた。そのしぐさにカチンときた宇都宮は、“おい、ちょっと待て”と仲居の袖をつかまえ、「なんだ、これは。今日は宇都宮新七郎で来たんじゃない。師匠出羽海の代理iきたんだ。馬鹿にするない。」と、祝儀をお歴々の真ん前へ放り投げ、お歴々に頭を下げ廊下へ出た。そこへ、騒ぎを聞いてかけつけた料亭の女将がやってきて「場所柄もわきまえず、なんてひどいことを!」とまくし立てるので、宇都宮も「場所柄だって?たかが料理屋じゃねえか。この淫売婆ァ。」と怒鳴り返す。売り言葉に買い言葉で二人がやりあう声が宴会場まで聞こえ、提督連中は、とんだ座興だと面白がった。
平成28年6月17日
怒りが収まらない料亭の女将は翌日出羽海親方にご注進。本場所中だったようで、稽古をすませた宇都宮は早々と支度部屋に入り横になっていた。そこへ怒り心頭の親方が乗り込んできた。宇都宮が入口に背を向け寝たふりをかましていると、頭を蹴とばされた。親方だと知りつつ啖呵を切りながら起き上った。「この野郎、いったい誰だ、蹴とばした奴は!日本広しといえども、かくいう宇都宮新七郎を蹴っとばせるのは、師匠常陸山谷右衛門ただ一人だぞ!」もう一度したたか蹴とばされた。「粗相のないようにと、あれほど言ったのに、よくもおれの顔に泥を塗りやがって!今日かぎり、トットと出て失せろ!」破門を言いわたされた。
平成28年6月18日
破門の身ながら土俵に上がり大関との対戦。「あの女将の野郎!」と怒りをぶつけると、大関を突き出した。師匠と親しい人が、“一ぺん親方にあやまれば万事うまくおさめるから”とすすめるが、“悪いことをしたんじゃないから、あやまるものか”とききいれない。話をきいた八代大将が部屋に来て「親方、宇都宮は悪いことなんかしていない。なかなか気っぷのある可愛い男じゃないか・・・」と、とりなしてくれ首がつながった。翌年の海軍記念日、水交社で行われた相撲大会で、「おい、宇都宮」と小さい人に肩をたたかれるので、誰かとおもって振り向くと東郷元帥だった。「この前はえらく威勢がよかったなぁ!」と冷やかされたという。
平成28年6月19日
宇都宮の話を長々続けたのは両国4丁目エリシオというバーを紹介したかったがため。カクテルやウイスキー、ワインなどのお酒はもちろん燻製カレーやピザや自家製ベーコンなどの料理も美味く、まだ若いマスターが宇都宮新七郎のひ孫にあたる。宇都宮没(昭和27年)後ずいぶん経ってからの生まれだが、孫である父親からいろいろ話を聞いているという。先発隊7人(大子錦、朝天舞、朝興貴、朝山端、朝達家、朝大門、松田マネージャー)名古屋入り。今年も、おなじみ蟹江の鈴木さんと、今年から朝弁慶の運転手を務めてくれることになった 有本さんに迎えにきてもらい宿舎の蟹江龍照院入り。畳を敷いてバルサン焚いて、風呂や便所の掃除と、とりあえず寝る場所と生活環境の確保。お寺さんやご近所の方々とも一年ぶりの再会。
平成28年6月23日
地方場所のたび呼出しさんも土俵築のため先発隊と同じ時期に乗り込み各部屋の土俵築をおこなう。呼出し利樹之丞と邦夫も19日に乗り込み一門各部屋の土俵築。昨日22日が高砂部屋の土俵築。土俵築は職人技なので、一門の後輩呼出しに、俵の結び方や入れ方、土俵の均し方、叩き方を厳しく指導しながらの作業。土俵築も、兄弟子から弟弟子へと何百年も引き継がれている江戸文化に相違ない。
平成28年6月28日
名古屋場所稽古はじめ。新弟子の稽古が終わったところで土俵中央に砂を集め山をつくり御幣を立てゴザを敷き四方の徳俵から塩をまき木村朝之助による土俵祭。稽古土俵は埋めものはせずコブとスルメとコメをお供えして酒で清める。土俵祭後、稽古再開。白マワシ同士の三番稽古で締める。昨日が番付発表。朝弁慶、西十両7枚目。初めての部屋頭。
平成28年6月29日
稽古ダオル(大判バスタオル)を洗濯するのは新弟子の仕事。夏場は一人2本使う場合もあるので全員の分となると、かなりの量になる。宿舎にある2台の洗濯機も稽古終了後から回りっぱなしになる。晴れの日は、宿舎まわりのフェンスに干しておくと2時間もしないうちに乾いてしまうが、雨の日は、大量の稽古ダオルを抱えてコインランドリーに行かなければならない。汗と泥まみれになったマワシを干せないのも梅雨時の悩みのひとつ。
平成28年7月3日
初日まであと一週間となり、毎年恒例の龍照院境内でのちゃんこ会。蒸し暑さはあるものの天候にも恵まれ、開始1時間前から長蛇の列が出来、大鍋2つにつくった300人前のちゃんこが20分で完食。ちゃんこが終わって境内を眺めると、新たな長蛇の列。列の先には、赤ん坊を両の手で一人ずつ抱っこして記念撮影する朝弁慶の姿。また、若手力士4人は刈谷市の市原稲荷神社の泣き相撲にも参加。昔からお相撲さんに抱っこされた赤ん坊は元気に育つと云われている縁起もの。
平成28年7月4日
考えてみると、赤ん坊とお相撲さんには共通点がおおいのかもしれない。まるまると太ったからだ。もちもちとしたはだ。ゆるんでひらいた股関節。赤ん坊にとってもお相撲さんに抱っこされるのは体の奥底で同調する安心感があるのかもしれない。シコトレ講座で毎回言うことは、「腰割りの一番のお手本は、お母さんにおんぶや抱っこされている赤ん坊の股関節の開き方です」ということ。赤ん坊のゆるんで自然に開いた股関節こそ究極の腰割りに他ならない。横綱双葉山の腰の割れ方は、まさに赤ん坊の股関節の開きそのもの。
平成28年7月7日
七夕の日の高砂部屋激励会。会場に笹が立てられ、お客様に配った星型の短冊に願い事をかいてもらう。去年の名古屋場所では幕下だった朝弁慶が激励会では関取として初めてお目見え。幕下以下は力士紹介のときだけ登壇するが、関取になると初めから舞台上に羽織袴で登壇。公の席になるほど幕下以下との違いがはっきりしてくる。宴のゲストで朝ノ島の叔母さんが所属する琉球舞踊団が宴に花を添える。叔母さんが朝ノ島にそっくりだともっぱらの評判。
平成28年7月9日
未明から降り続いた土俵に打ち込むほどの激しい雨も午後には上がり、触れ太鼓が初日の取組を梅雨空に響きわたらせる。朝赤龍には剣翔、朝弁慶には千代皇。その朝弁慶、地元蟹江で有志による昇進祝い。入門の頃から見守ってきた方たちだけに、みなさんの喜びもひとしお。白星を重ねていくことが、恩返しになる。明日の名古屋は晴れ予報で、あつい名古屋場所15日間がいよいよはじまる。
平成28年7月10日
真夏日の名古屋場所初日。初日早々の満員札止めで、会場の愛知県立体育館内も真夏の熱気。朝大門から朝山端まで3連敗スタートとなるが、三段目朝乃丈以降それぞれに持ち味を発揮して6連勝。3月、5月と2場所連続で全勝優勝の玉木、今日も得意の突き押し相撲がさく裂して序ノ口以来の連勝を15に伸ばす。ただ勝ったあと支度部屋に戻る通路を間違えて食堂の方へ行ってしまい、しばし館内で迷子になったそうだが・・・。部屋頭となった朝弁慶、4連敗中だった相手を寄り倒しての初日。
平成28年7月13日
今場所幕下が一人もいないのが寂しいが、幕下復帰と新幕下昇進を狙える三段目30枚目以内で、石橋、朝興貴、玉木、朝天舞の4人がしのぎを削っている。今日4日目、4人続けての土俵だったが、白星が4つ並び、4人ともに2連勝の星。来場所4人揃って幕下に上がれれば、さらに活気づく。
平成28年7月15日
三段目16枚目の朝興貴、どちらかというと存在感が薄いタイプで、いるのかいないのかわからないことも多々ある。ところが名古屋場所に来ると、近所の小学生の女の子から主婦連、お隣岐阜県の方まで驚くほど熱烈な朝興貴ファンが多くびっくりする。東海地区向きなのだろうか?そんな熱い声援を受けてか過去7年間の名古屋場所は勝越し5回と験がいい。今場所も3連勝と好調で、明日は勝越しをかけて佐渡ケ嶽親方ジュニアとの対戦。三段目上位4人、明日そろって勝越しをかけての土俵。
平成28年7月16日
三段目上位まで番付を上げてきた石橋と玉木は近畿大学相撲部の同級生。石橋は四つ相撲、玉木は押し相撲と、相撲っぷりはまったく違うが私生活では仲がいい。米とぎや掃除、洗濯と、新弟子としての仕事もしっかりこなし、四股や稽古にも真摯に取り組んでいる。そろって4連勝での勝越し。二人で決定戦の夢も近づいてきた。いや、今日も得意の突っ張りで佐渡ケ嶽ジュニアを突き出した朝興貴も参戦しての巴戦もあり得るかもしれない。
平成28年7月17日
入門一年半の朝森本、今年の3月場所で自己最高位の序二段40枚目まで番付を上げたが3勝4敗と負け越し、つづく5月場所前に肘を痛めて休場して今場所は自己最下位の序ノ口20枚目。休んでいる間も食欲は衰えなかったようで名古屋に入ってからも食いまくり、体重は自己最高値の160kg。場所で久しぶりによその部屋の力士に会うと、「太ったなぁ!」と声をかけられるという。今日勝って2勝2敗と五分の星。体重同様、はやく自己最高位を更新したい。
平成28年7月18日
ご当所名古屋市名東区出身の朝横道勝越し。じつは2日前の土曜日に入院中だった父親が亡くなった。葛藤もあったろうが、力士入門を応援してくれた父のためにもと涙をこらえて昨日今日と土俵に上がった。父のあと押しに見守られたようで白星を2つ重ねての勝越し決定。ご霊前に最高の報告ができた。これからの修行が、出世が、父親への供養になる。入門以来連勝をつづけていた玉木、19連勝ならず1敗。石橋と朝興貴は5連勝。朝天舞と朝乃丈も勝越し。
平成28年7月20日
梅雨明けで、“うだるような”暑さの名古屋。「うだる」はもともと「茹だる」が語源だそうで、いかにも蒸し暑さが体にまとわりつく感じがするが、幕内優勝争いも、うだるような混沌とした状況。残り4日間でどう展開していくか。三段目優勝争いは、本命石橋が幕下の全勝力士に敗れ、残った全勝2人が高砂部屋朝興貴と一門の錦戸部屋彩翁。彩翁の方が4年ほど兄弟子だが、一緒に稽古して合宿にも行っている仲。これまでの実績からいうと朝興貴に分があるが・・・。明後日13日目に取り組まれるであろう。乞うご期待。
平成28年7月22日
三段目16枚目の朝興貴、今日の全勝対決に勝って7戦全勝での三段目優勝。3年半前の11月場所での序二段優勝以来の2回目の各段優勝。元来、本場所相撲(稽古場よりも本場所の方が力が出る)で、優勝インタビューでも言っていたように稽古場では、石橋、玉木にほとんど勝てないが、二人との稽古が力になったのだろう。来場所は幕下20枚目以内への躍進が期待される。3勝3敗で最後の一番を迎えたベテラン3人組、年の順に大子錦、神山、朝乃土佐と登場して3人とも勝越し。病気休場中だった朝山端、再出場を白星で締める。
平成28年7月23日
序二段24枚目の朝大門5勝目。来場所の新三段目昇進を確実なものとした。相撲未経験者として入門してほぼ1年での三段目昇進はかなり早い出世。けっこういじられキャラでもある。入門のきっかけをつくってくれた職場の元上司である角田氏(元攻勢力)が郡上八幡で行われる女子相撲の引率で名古屋入りしていたらしく、部屋にお祝いに駆け付け朝大門もびっくり!嬉しい報告ができた。朝天舞、幕下復帰を濃厚とする6勝目。怪我から復帰の朝森本も勝越し。名古屋場所11人目の勝越し決定。
平成28年7月26日
千秋楽が終わり、昨日から今度の日曜日までは稽古がなく、おすもうさんにとっては至福のとき。朝9時起床で、部屋の掃除やら宿舎の後片付けを行い、午後からはゴロゴロ、ダラダラ、グウグウ。 本場所の緊張感が解けたあとの充電期間である。「ぼおっとしている時間こそ知的成熟が進行するたいせつな時間」だと内田樹氏が語っているように、力士にとっても、「ぼおっとしている時間」が、体を育て心を成熟させるのであろう。そういえば、今場所三段目優勝の朝興貴は、「ぼおっとしている時間」が確かにながい。
平成28年8月2日
一昨日7月31日名古屋から全員帰京。巡業組(朝弁慶、朝赤龍、朝興貴、朝ノ島、朝山端)は31日の岐阜市での巡業を皮切りに8月28日(日)丸の内でのKITTE場所まで約一ヵ月間のなが~い旅の始まり。名古屋場所からの移動で落ち着かぬ間に横綱千代の富士の九重親方の訃報。昨年末の北の湖理事長と共に昭和の大相撲界を支えた相次ぐ巨星墜つ報に衝撃は大きい。謹んでご冥福をお祈りいたします。8月6日(土)午後6時からお通夜。7日(日)午後12時半から告別式。墨田区石原4丁目の九重部屋にて。
平成28年8月9日
横綱千代の富士で思い出深いのは、土俵上での圧倒的な強さもさることながら、すさまじい迫力のぶつかり稽古。ぶつかるのは現理事長の横綱北勝海。押し相撲で横綱まで上り詰めたほどだから、立合いの当たりがこれまたすさまじい。それを鋼鉄のような胸で受け俵に足をかけて残し、転がし、また激しくぶつかる。胸が破れんばかりの激しい当たり、受ける鋼の筋肉の躍動感、「ハイッ!」と胸を出す掛け声、激しい息遣い、くり返し当たり転び起き上がりまた当たる、そのスピード感、すべてに鬼気迫るものがあった。
平成28年8月10日
支度部屋での出番前の準備運動も印象深い。立ち合い踏み込む動作を何度となく繰り返すが、踏み込みの鋭さ、スピード、全身にみなぎる力感、相手がどう変化しても崩れそうにないバランス感、まさに動く芸術品を観るようであった。準備運動を終え支度部屋の正面奥に腰かけ大銀杏を直す姿も近寄りがたい威厳があり、支度部屋全体を圧していた。
平成28年8月13日
今日は仙台市での巡業。朝山端、行司の木村朝之助の付人としての初巡業。出発前かなり心配していたがそろそろ慣れたことであろう。明日が盛岡市、一日休養日があって秋田市、青森県平川市、宮城県大崎市とつづく。19日からは北海道へ渡って函館、苫小牧、札幌と3日間あるが、北海道は幕内以上なので、十両朝弁慶と朝赤龍と付人蓮は帰京.。再度、25日(木)平塚市での巡業からの合流となる。
平成28年8月18日
今年から宇都宮合宿が行われることになり、明日宇都宮へ出発。20日(土)と21日(日)の2日間合宿稽古が行われる。今日、巡業から一旦帰京の巡業組も参加。毎年8月末恒例の平塚合宿は、8月26日(金)~28日(日)の3日間、平塚市総合運動公園内土俵にて開催される。
平成28年8月20日
宇都宮合宿稽古初日。あいにくの雨で、特設土俵がところどころ雨漏りして砂をまきながらの稽古。ちゃんこも、材料がなかなか揃わなかったり大鍋の火が点かなかったりとトラブル続きだが、初めての地ではよくあることで、なんとかなり収まる。稽古後、地元の少年野球チームが力士に挑戦。二人がかりで朝弁慶に挑戦するが、二人いっぺんにベルトをつかまれ土俵上を飛行機のように旋回して周りから大歓声。作新学院の準決勝が始まり、今日は相撲よりも高校野球。
平成28年8月25日
今日から毎夏恒例の平塚合宿。力士の宿泊所は平塚市総合運動公園内にあるが、その宿泊施設のすぐ横の体育館で、今日明日と2日間の平塚巡業が開催されている。3時過ぎに迎えのバスで宿泊所に入ると、巡業を終えた朝興貴や朝山端、行司の木村悟志がすでにいて、お出迎え。夜は、宿泊研修所の中庭にて湘南高砂部屋後援会の面々とバーベキュー。明日から3日間、運動公園内の土俵にて合宿稽古が行われる。
平成28年8月27日
平塚合宿稽古2日目。昨日で相撲教習所が終了して、石橋、玉木、朝横道、朝塩本の4人も昨夕から平塚合宿へ合流。昨夜は、平塚市の花火大会見物で、今朝平塚での初稽古。夜、総合運動公園内のレストランにて歓迎パーティー。今日で巡業を終えた朝弁慶や朝赤龍も合流。明日の稽古場は全員が揃っての稽古になる。歓迎会で、花火と高砂部屋合宿が終わると平塚の夏が終わると落合平塚市長が挨拶していた。
平成28年8月30日
昨日29日が9月場所番付発表。先場所三段目16枚目で全勝優勝の朝興貴、番付を大きく上げて幕下13枚目。石橋、玉木も幕下昇進で、石橋が36枚目、玉木41枚目。朝天舞も幕下復帰で幕下4人という賑わい。朝大門が新三段目昇進。神山は2年半ぶりの三段目復帰。
平成28年8月31日
本来、番付発表の翌日が稽古はじめで土俵祭を行うが、昨日の台風の影響で一日順延し、今朝土俵祭。午前8時半、稽古途中の土俵が掃き清められ、砂を中央に集め御幣を立て、正面に向けてゴザを敷き、清酒、洗米、塩、昆布、スルメをお供えして、呼出しの柝の音を合図に開始される。祭主木村朝之助が装束に身を包み、ゴザの上に正座して、紙垂をつけた榊でお祓いをする清祓の儀のあと、祝詞が奏上される。つぎに四隅に献酒して土俵中央に戻り、「天地(あめつち)開け始めてより陰陽に分かれ・・・」と、方屋開口が言上される。
平成28年9月1日
方屋開口の全口上『天地開け始めてより陰陽に分かれ 清く明らかなるもの陽にして上にあり これを勝ちと名付く 重く濁れるもの陰にして下にあり これを負けと名付く 勝負の道理は天地自然の理(てんちしぜんのことわり)にてこれなすもの人なり 清く潔きところに清浄の土を盛り 俵をもって形をなすは五穀成就の祭りごとなり ひとつの兆しありて形となり形なりて前後左右を東西南北 これを方という その中にて勝負を決する家なれば 今初めて (柝) 方屋といい名付くなり』 
平成28年9月4日
祭主である木村朝之助は、装束に身を包み右手に軍配をもち一度左右に振り、土俵中央の御幣に正対して威を正し、朗々と方屋開口を言上する。まことにすがすがしく、こうごうしく、きよめられる気分になる。方屋とは土俵場という意味で、開口とは開くという意味。方屋開口で、土俵開きという意味になる。
平成28年9月7日
方屋開口の口上は、陰陽そのものに他ならない。陰陽説は古代中国の思想で、すべてのものは 陰と陽、相反する2つの性質をもつ根源的なものの調和から成り立っているという説。陰があって陽があり、陽があって陰がありと、お互いがあってはじめて成り立つもので、たんに陽が善で陰が悪だということではない。そう考えると、「勝負の道理は天地自然の理にしてこれなすもの人なり」、という言葉が腑に落ちてくる。「勝って驕らず負けて腐らず」という言葉にも天地自然の理を感じられる。天地自然の理ををなす場が土俵。
平成28年9月9日
土俵そのものが陰陽でもある。清く潔きところに清浄の土を盛り、前後左右を東西南北の方形に固め、俵をもって円をつくり土俵となす。円は天をあらわし陽、方形は地をあらわし陰。行司がもつ軍配には日と月が描かれ、日は陽、月は陰。東が陽で、西が陰。奇数が陽で、偶数は陰。よって奇数日(初日、3日目、5日目、・・・)は東から呼び上げ、偶数日(2日目、4日目、・・・)は西から呼び上げる。今日9月9日は、陽数の中で一番大きな数字9が重なるから重陽の節句だそう。
平成28年9月10日
高砂部屋には昔から“鶏ガラ三段目”という言葉がある。ちゃんこの出汁をとるのによく使う鶏ガラ。出汁をとった後はお払い箱になるが、ガラとはいっても骨の周りに身がけっこうついていて、その身がまた実に美味い。塩をふるだけでもいいし、昨日は量もあったのでカラシマヨネーズ和えで一品モノのオカズとして出された。アンコの序二段朝森本が好物の鶏ガラに手をだそうとしたときに、“鶏ガラ三段目”という言葉が出たが、「近いうちに上がりますから」と、ご飯の上にたっぷりのせてかき込んでいた。明日が初日。朝弁慶に安美錦、朝赤龍に剣翔。稀勢の里には隠岐の海。
平成28年9月11日
おかみさんのお父さんの㈱コノミヤ芋縄純市会長がご逝去されました。ずっと高砂部屋を応援してくれ元気な頃はもちろん車イス生活になってからも毎場所千秋楽には必ずかけつけ力士ひとり一人を激励してくれていた会長。心よりご冥福をお祈りいたします。雨模様の9月場所初日。朝弁慶、巡業中に声をかけてもらい感激したという安美錦に勝って初日。朝赤龍も会心の初日。両関取ともに入門以来面倒をみてもらった会長に手向けの白星。
平成28年9月12日
先場所の三段目優勝で幕下13枚目まで躍進した朝興貴、今日の相手は元幕内翔天狼。横綱白鵬をも破ったことのある翔天狼を相手に、果敢な突っ張りをみせ攻め込むも惜しくも白星ならず。勝てなかったものの自分の突っ張りに大いに自信を深めたことであろう。朝弁慶、今日も湘南の重戦車相撲全開で2勝目。
平成28年9月13日
㈱コノミヤは、大阪を中心に、愛知、岐阜にも店舗を広げるスーパーで、グループ全体で86店舗、年商1100億円を超える大企業に成長しているが、昭和46年に芋縄純市会長が創業したことに始まる。それ以前、昭和32年に日本初となるセルフサービス形式の衣料品店「このみや」を開業したのが原点だそうで、そこから波乱万丈の人生を乗り越え成功するに至った創意工夫・チャレンジの精神を、『押せば成る』(経済界、1998)に記してある。本日午後6時よりお通夜。大きな葬儀場の外にまで溢れ出る弔問客が芋縄会長との別れを惜しんだ。
平成28年9月14日
今日のNHK大相撲中継で紹介されていたように、十両の中で安美錦に次ぐベテラン力士としていぶし銀の存在感を示している朝赤龍。目標は、もう一度の幕内復帰。本場所中とあり、本日行われた芋縄会長の合同葬には参列できなかったが、力士一同で寄せ書きした色紙に「幕内復帰目指して頑張ります」としたため納棺してもらった。相撲が大好きだった芋縄会長、「押せば成る、がんばりや!」と天国から後押ししてくれていることであろう。
平成28年9月17日
今年1月場所入門の玉木。3月場所序ノ口で7戦全勝、5月場所序二段で7戦全勝、7月場所三段目で6勝1敗という成績で、今場所初幕下に昇進。今日勝越しのかかった一番は、学生時代は一度も勝てなかった2学年先輩で関取経験もある巨漢力士との対戦。突っ張ってからのタイミングよい叩きが決まり4連勝での勝越し。これまで24勝1敗と順調に出世の階段を駆け上っている。朝天舞、3戦目の取組で膝を怪我して今日から休場。石橋、朝ノ島、朝塩本が3勝目。
平成28年9月19日
序二段79枚目の朝森本、幕下で活躍中の石橋、玉木と同じく近畿大学の出身で1年先輩。しかし二人のように相撲部ではなくウエイトリフティング部だった。相撲経験は小学生の頃のわんぱく相撲のみで、ほぼ素人。8月の宇都宮合宿で足首を怪我して場所直前まで稽古ができなかったが、今日9日目での勝越し決定。同じ素人ながら三段目昇進で先を越された朝大門に早く追いつきたい。玉木5連勝。石橋、朝ノ島も勝越し。
平成28年9月21日
毎月発行の高砂部屋便り。奇数月は本場所号で千秋楽に発行して勝越し力士を紹介する。入門1年半の朝達家、いまだかつて紹介されたことがない。今場所は、初日から3連勝と念願の勝越しに王手をかけたが、中日から3連敗。初の勝越しなって紙面を飾れるか、最後の一番に持ち越し。玉木6連勝で、13日目に幕下優勝をかけて全勝対決。石橋、朝ノ島5勝目。朝乃丈勝越し。
平成28年10月4日
今年も高砂部屋高知合宿が行われます。今年で5年目となり、10月6日に高知入りして、稽古は10月7日(金)~10月10日(月)までの4日間。例年通り、高知市大原町の高知市総合運動場内相撲場1階土俵にて。10月7日(金)夕方5時からは、小中学生対象の相撲健康体操教室も開催されます。こちらは3年目。2年前から参加している子もいます。今年も待っています。まだ参加したことのない子供たちもお相撲さんといっしょに体操してお相撲さんにぶつかってみましょう。
平成28年10月6日
今日から高知合宿へ出発。午後1時過ぎ羽田に集合すると、さっそく係りの人がやってきてひとり一人体重を聞かれる。「延長ベルトが必要な方は?」とも聞かれる。大子錦、朝乃土佐が該当するが、朝森本も名前が挙がる。飛行機に乗り込むと、該当者の席には早速延長ベルトが配られるが、朝森本「あ、これいらんかったっすわ」と延長ベルトを返却。ムリクリベルトを締めきったよう。「無理すんなよ」という声にも、「いやダイジョウブッす」と、超アンコ軍団仲間入りを拒んだ。午後3時半高知空港着。毎年のことながら明徳義塾の大型バスが迎えに来てくれ高知市相撲場入り。師匠のお父さんも室戸から米や魚や野菜をもって出迎えてくれる。
平成28年10月7日
高知合宿稽古初日。早朝から地元テレビ局、新聞各社が稽古の模様を取材に来て夕方のニュースや夕刊で紹介される。夕方5時から相撲健康体操教室。3歳児から小学生までの男の子15人ほどが土俵で、女の子やお母さん方は上がり座敷にて力士と一緒に相撲健康体操。「土俵の砂が気持ちいい」と裸足になって「ヤァー!!」と元気よく相撲体験。
平成28年10月8日
高知合宿稽古2日目。今日から明徳義塾高校相撲部の10人が稽古に参加。3年生の中には石橋、玉木といい稽古をくり広げる子もいてレベルが高い。明後日まで合宿稽古に参加してくれる。夕方、3歳児と小学校1年生の兄弟がお母さんに連れられて合宿所へ。1歳の頃からまとわりついて相撲体操に参加していた子が3歳になり来たのだが、日程がわからずに昨日は不参加。残念がっていたが、四股踏んで朝森本にぶつかって記念撮影。年一度の相撲体操を楽しみにしてくれている子がいるのが嬉しい。
平成28年10月9日
高知合宿稽古3日目。今日も明徳義塾相撲部が参加。明徳相撲部は横綱朝青龍はじめ、大関琴奨菊、朝赤龍、栃煌山、徳勝龍、東龍、出羽鳳、千代桜と、そうそうたる面々の関取衆を輩出している名門で、全国から(もちろんモンゴルからも)相撲部に入学してくる。1年生に大阪出身の子がいて朝塩本と同級生だという。話を聞くと、小学校4年生のとき瀬戸内海対抗(瀬戸内に隣接する10県ほど)大会の決勝で対戦したとのこと。聞いてみんなビックリ!・・・「えっ!!なおき!(朝塩本の本名)小学生のころ今より強かったんちゃうか?!!」潜在能力は高いのかもしれない・・・。
平成28年10月22日
先発隊7人(大子錦、朝興貴、朝達家、朝大門、石橋、朝塩本、松田マネージャー)空路福岡入り.、空港から地下鉄で小雨降るなか唐人町成道寺に入る。ゴザを敷いてカーテンを張り、とりあえず今晩寝られる環境つくり。1年ぶりのゴーヤーマンもさっそく登場して一緒に作業。まことにありがたい。夕食は、毎年恒例の藁巣坊。福岡初上陸の石橋、朝塩本も餃子やニラ玉、わさび地鳥、・・・とそのおいしさにびっくり!明日は大牟田の倉庫から家財道具一式の引っ越し作業。
平成28年10月23日
小雨そぼ降るなか大牟田の倉庫まで引っ越し作業。今日もゴーヤーマンが朝から一日中大活躍。4トントラックと2トントラックに荷物を山盛りに積み込んでの引っ越しだが、トラックを出してくれるのも師匠関係の毎年おなじみの方々で、年一回のお祭りのような作業。いろいろな方のご厚志に支えられて相撲部屋の一年はまわっている。
平成28年10月31日
一年納めの九州場所番付発表。朝赤龍が西十両9枚目。朝弁慶は幕下3枚目。石橋が14枚、玉木が17枚目。朝興貴は24枚目と25枚目以内に4人。先場所膝の怪我で途中休場の朝天舞は福岡入りしてリハビリ中。九州場所の出場は難しいかもしれない。序二段以下では朝森本、朝塩本が最高位更新。
平成28年11月1日
今日から宿舎成道寺での稽古はじめ。冷え込み厳しく、稽古場はお寺さんの駐車場の前面を天幕でふさいでいるが、強風にあおられ土俵の中まで冷たい風が吹き込んでくる。幕下に陥落の朝弁慶、今日からまた黒マワシになっての稽古。まだ体調が戻りきらないが四股やぶつかり稽古で汗をかく。朝天舞は、ようやく松葉づえが外せた状態で膝の装具をつけたまま腰割りや上半身のトレーニング。何れにせよ体を動かした方が回復も早くなる。8時半から土俵祭。「寒い日は声が出にくいんですよ」と行司さんにも厳しい冬の朝の稽古場。
平成28年11月3日
稽古は、番付が下の方から順番に行なう。最初に土俵に上がるのは、朝達家、朝塩本、朝横道の3人。3人での申し合い(勝ち残り)稽古で、先場所までは3人で勝ったり負けたりを繰り返していたが、一昨日の稽古はじめから朝横道が一人勝ち。そこで今日からは、朝達家と朝塩本の2人での三番稽古から始まって、朝横道は次のグループ(朝森本、朝ノ島、朝大門)に格上げ。序二段上位による申し合いだが、そこでもたまにめを出すこともあり、進境著しい。「おっ!強くなった」と感じられるときは間近で見ていて楽しい。
平成28年11月6日
福岡入りしての稽古はじめからほぼ一週間。腰や肩、膝などに痛みが出て申し合い稽古からリタイアする力士が数人でてきたものの、朝塩本、朝達家の二人は休まず初口の三番稽古に励んでいる。二人とも腋が開いてしまうクセは同じで、先に中に入った方が前に出られる。朝達家が学年は一つ上だが、ともに平成12年生まれの16才。力は同程度だが、相撲歴が長い朝塩本が先場所初めての勝越しを決め、朝達家は初勝越しを今場所にかける。
平成28年11月9日
“無事これ名馬”というように、怪我をしないことは強くなるための大きな条件のひとつになる。怪我はつきものではある。それでも、何度も怪我をしてきて思うのは、やはり怪我は体の使い方の間違いによるものだということである。怪我をしないために受け身がある。ぶつかり稽古で、何度も当たって転ぶ。コンクリートのように固めた土俵の上で転ぶから、丸く転がるのが基本になる。経験のない新弟子は、転ぶのを怖がり丸くなれず、肩をぶつけたり、腰を強打したり、手をついたり、転ぶ稽古で怪我をすることもある。
平成28年11月11日
昨日11月10日(木)が九州場所前恒例の高砂部屋激励会。司会は、おなじみRKBラジオパーソナリティのあべやすみさん。あべさんは、師匠が現役の頃からの飲み友達で、軽妙なトークで宴を盛り上げてくれる。冷え込み厳しくあいにくの悪天候にもかかわらず大勢のお客様が集い力士を激励。カラオケタイムの最後は師匠とおかみさんの♪『今夜は離さない』♪でヤンヤの拍手喝采。中締めは、近大の後輩にあたる江藤秀之福岡県議会議員の一本締めにて閉会。
平成28年11月12日
♪トントンストン トントンストン トントンストン♪ 触れ太鼓の甲高い音が成道寺に鳴り響き、呼出しさんの声で明日の取組が高らかに呼び上げられる。「♪あさせきりゅうには ほまれふじじゃんぞーえ♪」 「ごうえいどうには とちおうざんじゃんぞーえ」心が奮い立つときでもある。復帰をかける朝弁慶は幕下上位五番の4番目で岩崎との対戦。石橋は十両土俵入りの2番前に竜王浪と、玉木は2日目に元幕内天鎧鵬との対戦。体調万全な力士も怪我で苦しんでいる力士にも等しく明日が初日。
平成28年11月13日
午後2時過ぎ国際センターに行くと、正面玄関前に大勢のひと人ひと。中に入っても関取衆の入り待ちのお客様の人垣であふれかえっている。満員御礼の九州場所初日。切符の受け渡しのために行ったのだが、ちょうど朝弁慶の取組がはじまった。切符を受け取るお客様が玄関で待っていると電話をもらうも、弁慶の取組を見てからとおもい、「2,3分後に行きます」と答えたら、動きの激しい相撲で物言いがつく一番。物言いの協議がやたら長くあせるが、取り直しとなって弁慶の白星を見届けて玄関へ。石橋も会心の相撲での白星発進。
平成28年11月19日
2つ目の白星をあげて帰路のタクシーに乗り込んだ朝乃土佐。運転手さんは80歳になろうかというおじいさんだったそう。「唐人町の成道寺までお願いします」というと、「高砂部屋の神山さん、知ってますよ」といい、「神山さんは、えらかですね~相撲に行く前に車の中でお経を唱えてました・・・」そして、「私は浄土宗なので南無阿弥陀を唱えるのですが、お経を唱えると眠くなってしまって・・・」といいつつ2回ほど唱えると、ほんとうに寝そうになったらしく、慌てて急ブレーキを踏んだそう。無事部屋に帰りついて神山に聞くと、「えっ!お経の本は持っているけどタクシーの中でお経を唱えたことなんかないよ」と否認。運転手さんの幻想なのか、神山の声が運転手さんにはお経に聞こえたのか、神山が無意識にお経を口にしたのか、真相は定かではない・・・お経効果なのかどうか、神山3勝目。玉木入門以来初の2敗目。
平成28年11月20日
決まり手は現在82手ある。「押し出し」「上手投げ」「引き落とし」、珍しいところで「居反り」「たすき反り」などだが、決まり手以外の非技(勝負結果)というのがある。「勇み足」「腰砕け」「つき手」「つきひざ」「踏み出し」の5つで、相手がかけた技ではなく、いわば自分で負けてしまったような場合になる。3連勝だった石橋、小兵の曲者相手に土俵際まで攻め込むも、相手にしぶとく残られポロリと左足を出してしまい勇み足での初黒星。アマチュア時代から相撲歴は長い石橋、「相撲とっててはじめてのことです」と無念の表情。朝山端、4連勝で今場所第1号の勝越し。
平成28年11月21日
突き押し相撲を得意とする朝山端、今日の相手は同じく4連勝の高田川部屋元関取大雷童。相手も突き押し得意の力士だが、持ち前のパワーで突っ張って相手が頭を下げて出てくるところを叩き込んでの5勝目。場所前ぎっくり腰を患い出場も危ぶまれたが、治療の甲斐もあり、変に力まずに腕が伸びているよう。怪我から学ぶことは大きい。今後の相撲に大いに活かしてもらいたい。
平成28年11月23日
午前10時すぎ、お客さんの給仕をしていたらチャンコ場のほうから大きな拍手と歓声が沸き起こった。序ノ口7枚目の朝達家が入門以来初の勝越しを決めて帰ってきて、みんなから祝福の嵐。「おかげさんで給金なおしました」と挨拶するのも初めてのことで、付人をしている朝赤龍関にも嬉しい挨拶が出来、関取も満面の笑み。朝山端、元幕内舛の山を破っての6連勝。玉木勝ち越し。
平成28年11月25日
朝山端全勝同士の対決を制して7戦全勝での序二段優勝!。今日の相手も日大相撲部出身の実力者だったが、立合いの双手突きでふっ飛ばして会心の一番。場所前に腰を怪我したことで腕力に頼ることなく全身が力みなく使えるようになった怪我の功名であろう。この怪我がきっかけになれば面白い存在になっていけるかもしれない。一方、ちゃんこ長大子錦は7戦全敗。入門以来6回目の記録で、これはこれで部屋うちではかなりホットな盛り上がり。
平成28年11月28日
一年納めの九州場所。昨日27日が千秋楽。千秋楽の土俵、十両残留をかけて最後の一番に臨んだ朝赤龍だったが残念な結果に終わり、明治11年創立以来138年続いた関取が高砂部屋から途切れることが濃厚になった。千秋楽パーティ後の、「記録はいつか途切れるもの。来場所からまた新たな歴史をつくっていこうじゃないか!」と言う師匠の言葉通り、幕下上位に朝弁慶、石橋、玉木、朝興貴と揃ってきているので、一場所でも早く関取を数多く育てていくことが、高砂部屋の伝統に応えることであり、長年一人で踏ん張ってきた朝赤龍関の功に報いること。
平成28年12月3日
巡業組、明日の巡業地大分へ出発。大分のあと中津、直方、佐世保、大牟田、天草、熊本、都城と一日興行がつづき、一日おいて13日(火)が佐賀。十両以下は佐賀から帰京するが、幕内以上は船で奄美へ渡り、沖縄宜野湾、宮古島と2日興行を行って22日(木)の帰京。残り番の力士で家財道具一式、チャンコ場プレハブ、自転車等をトラック2台で大牟田の倉庫まで引っ越し。お天気に恵まれ順調にすすむ。仕切りのカーテンやゴザを外し本堂もガランと広くなり、祭りのあとの寂しさが漂ってくる。一ヵ月半に及ぶ唐人町での暮らしも今日限り。残り番も明日相撲列車(新幹線)にて帰京。
平成28年12月7日
午後からインフルエンザ予防接種。むかしCMで、♪すもうとり すっぽんぽんで 風邪引かん!♪というフレーズがあったが、おすもうさんも一般人並みに風邪を引くしインフルエンザにも罹る。団体生活ということもあるし、とくに体が疲れ切った頃や場所後にホットして気が抜けた時など罹りやすい。江戸寛政期の横綱谷風の死因は当時江戸で流行ったインフルエンザで、人々はこれを「タニカゼ」といったという風説もある。
平成28年12月8日
何度か記したと思うが、高砂部屋の歴史は初代高砂浦五郎に始まる。初代は、天保9年(1838)千葉県東金市生まれで本名山崎伊之助。21歳で阿武松部屋に入門(途中から千賀ノ浦部屋)。はじめ東海大之助の四股名で、後に松ヶ枝鶴之助。三段目の頃に姫路藩酒井侯のお抱えとなり高見山大五郎と改名。明治2年に入幕して最高位は前頭筆頭。明治4年に姫路藩から高砂浦五郎の名を頂戴し、明治6年に協会改革を訴えるも除名され脱退、改正高砂組を立ち上げる。明治11年に調停成って年寄高砂として復帰。明治11年5月場所から高砂部屋の歴史が始まった。
平成28年12月9日
改正高砂組も順風満帆ではなかったよう。一時は100人近い力士を擁し、京都相撲や大阪相撲との合併相撲も盛況を呈したが、西南戦争による政情不安などから不入りがつづき、金銭面のトラブルによる分裂騒ぎもあり、質屋通いで力士達の食費を稼いだりもしたという。明治11年2月5日、警視庁から「相撲は東京府下に一組」という布達が出され、東京から締め出されそうになるが、その大ピンチを逆手にとり、男気で築いた人脈と政治力で強引にねじ込み、合併を成し遂げた。
平成28年12月10日
墨田区亀沢2丁目に建つ野見宿禰神社は、明治17年初代高砂浦五郎により建立された。神社前の掲示板にあるように津軽藩上屋敷跡地で、この東隣に初代高砂部屋があった。明治11年の高砂部屋創立当初からそこだとおもっていたのだが違っていた。知人に頂いた昭和16年野球界別冊10月号掲載の記事によると、はじめは神田の東龍閑町にいて、しばらくして本所藤代町(両国橋のたもと当たり)に引っ越したものの弟子が増える一方で、緑町3丁目の宿禰神社隣に移ったとある。
平成28年12月14日
昭和16年野球界10月号で初代高砂浦五郎について書いているのは高木織右衛門氏。初代綾浪嗣子と紹介されている。綾浪は、青森県藤崎町の出身で明治13年高砂部屋入門。怪力で知られ最高位は関脇。引退後追手風を襲名している。高木氏本人は力士ではなかったが、始終初代高砂親方の近くにいて、初代が亡くなった時にも巡業中だった力士達に代わり死水を取ったとある。高木氏によると、初代高砂は厳格で癇癪持ちであったが、本場所が終わると関取衆を全員つれて吉原で大盤振る舞いするのが常だったという。
平成28年12月15日
部屋は緑町3丁目宿禰神社の東隣にあった。というか初代高砂部屋の隣に宿禰神社ができたのだが。宿禰神社は現在も規模を小さくして北斎通沿いの同じ場所に建っている。江戸博から錦糸町へつながる北斎通りは、昭和初期まで南割下水と呼ばれる掘だった。緑町の部屋から吉原へ向かうさまが次のように記されている。「自身が先頭に立ち、小錦、朝汐、源氏山、逆鉾関を始め役相撲は綱っ引、その他幕内十両の力士もズット俥を列ねて南割下水から吉原さして行きました、俥の上に乗っているのは髷を美しく結ひ上げた、繪に書いたような関取許りですからそれは実に壮観でした。
平成28年12月17日
九州場所、入門以来初めての勝越しを5勝2敗で飾った朝達家。場所後、木村朝之助の付人として初めて巡業に出た。明け荷を担いだり、装束の着替えを手伝ったりというのが主な仕事だが、周りは資格者や兄弟子ばかりなので、初巡業はそういう気苦労の方が大きい。そんな中、他の部屋の行司さんなどにも可愛がってもらい「いっぱい食べて大きくなれよ」と食事に誘われることもあったとか。その甲斐あって飯が強くなった(たくさん食べられる)そうだが、体重はあまり変化なし。代わりに、朝之助がけっこう大きくなって帰ってきた・・・。
平成28年12月26日
平成29年1月場所新番付発表。朝赤龍が西幕下筆頭、朝弁慶が東幕下2枚目。石橋は西7枚目で玉木が西10枚目、朝興貴が19枚目と幕下20枚目以内に5人。関取が途絶えてしまった寂しさはあるが、復活への兆しが新旧ともに大きくふくらんでいる。序二段優勝の朝山端はちょうど100枚上げて自己最高位の三段目42枚目。朝横道も自己最高位を大きく更新の序二段37枚目。初勝越しで初序二段の朝達家は序二段53枚目に上がり、神山、大子錦を抜いた。
平成28年12月31日
平成28年大晦日。年内の稽古は29日で締めて解散、それぞれ故郷で正月を迎える。帰省せずに部屋にのこる力士も2名ほどいるが。2日の夜には戻り、3日から稽古はじめ。3日は軽めに切り上げ、先々代と先代のお墓参りへ。4日からが本格的な始動となる。恒例の新年の行事で気持ちを新たに、8日初日の初場所に臨む。
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