平成29年1月1日
あけましておめでとうございます
旧年中はたくさんのご支援ご声援いただきましてありがとうございました。平成29年は丁酉(ひのととり)。干支の説明によると、丁は陰の火を表し、植物が成長してきて安定した状態に達したことを意味し、酉は陰の金を示し、果実が成熟の極限に達したことを意味するそう。高砂部屋にとっても、幕下上位まで育ってきた力がいくつも実を結び、それぞれがさらに羽ばたける一年となりますよう願いたいものです。本年もよろしくお願い申し上げます。
平成29年1月4日
酉は鶏をあらわすが、ひろく鳥として番付を眺めてみると東の正横綱鶴竜の「鶴」が目に入る。 その隣には横綱白鵬の「鵬」の字。「鵬」は、「おおとり」ともよみ「荘子」にでてくる伝説の大鳥。四股名として使われたのは横綱大鵬にはじまる。「松鳳山」や「千代鳳」の「鳳」も「鵬」と同じ意だが「鳳」は鵬の雄をあらわし、「凰」は鵬の雌をあらわすそう。関脇には玉鷲。前頭2枚目まで上がってきた荒鷲もいる。元若松部屋幕内の大鷲は長野県佐久市の出身。プロレスラー大鷲透は息子(力士名は朝鷲だった)。
平成29年1月5日
幕下以下に目を転じると、「白鷹山」「鳰の湖」「朱雀」「朱鷺の若」などの四股名がある。以前大鵬部屋に「大鷹」という関取がいた。最近引退した立浪部屋の「大鷹浪(だいおうなみ)」はモンゴル出身。「鳰の湖」は「におのうみ」と読み、琵琶湖の古称。「朱雀」は中国の伝説の神鳥。四神のひとつで南を守り土俵上では赤房であらわされている。「鳩岡」という力士がいるが、こちらは本名のよう。明日取組編成で明後日土俵祭。
平成29年1月7日
午前10時から土俵祭がおこなわれ、終了後触れ太鼓が市中へとくりだす。11時前、部屋の稽古場でも触れ太鼓の高い音が響き渡り、明日の割り(取組)が呼び上げられる。呼び上げられるのは関取のみなので高砂部屋力士の名が呼び上げられないのは寂しいが・・・。復帰を目指す朝赤龍は、明日幕下上位五番最後の取組で北播磨との対戦。石橋は、上位五番2番目に翔天狼と。2日目は上位五番最初に玉木が岩崎と、五番目で朝弁慶が海龍との対戦。膝の怪我で休場していた朝天舞も明日の三段目の土俵で復活を目指す。
平成29年1月9日
2日目成人の日。高砂部屋には今年成人式を迎える力士はいなく、朝横道が来年。朝達家、朝塩本は4年後のこと。酉年生まれの年男は多く、平成5年生まれが玉木、朝森本の二人。ひとまわり上の昭和56年生まれに朝赤龍、朝乃土佐、朝天舞の三人。石橋は平成5年生まれと、神山は昭和56年生まれと同学年だが早生まれの戌年で来年が年男になる。昨日の初日が2勝6敗、今日2日目は1勝8敗と天候と同じく荒れ模様のスタート。明日からの晴天に期待したい。
平成29年1月11日
幕下7枚目の石橋、スケールの大きな相撲で2勝目。その石橋、初日のNHKBS大相撲中継で“富山の人間山脈”と紹介される。命名者は、もちろん若松親方。一世を風靡した人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアントもすっかり過去の人で、石橋本人は全く知らなかったそうだが、ネットで調べてみましたとのこと。そういえば、洗い髪のときの雰囲気は似てなくもない。えびすこ(大食)や酒量で人間離れした伝説を数々残している人間山脈アンドレ。富山の人間山脈の方は食も酒もふつうだが、将来性の大きさは関係者誰もが認めるところ。
平成29年1月14日
土俵入りは、奇数日が東方から偶数日は西方からおこなう。横綱土俵入りは、どういう順序で行うのか聞かれ、はて?と首をひねった。横綱付人歴が長い神山に聞くと、取組で土俵に上がる順番に関係があるという。初日は、最初に白鵬、2番目に日馬富士と登場して結びが東正横綱の鶴竜と番付順に土俵に上がる。2日目は鶴竜、白鵬、結びが日馬富士の順。3日目は日馬富士、鶴竜、結びが白鵬となり、4日目は初日に戻り、以下繰り返しになる。横綱土俵入りは、初日が日馬富士、鶴竜、白鵬の順番。2日目は白鵬、日馬富士、鶴竜の順で、2番手に土俵に上がる横綱から土俵入りを行うよう。その神山3勝目で勝越しまであと一番。朝乃丈負越し。
平成29年1月15日
石橋、今日も元幕内力士を相手に快勝。4連勝での勝越し。明日4連勝同士で北播磨との対戦。玉木は2敗目。朝興貴負越し。日馬富士休場で横綱二人となったため、東張出横綱の白鵬が西にまわり、今日8日目の横綱土俵入りは西方白鵬から。明日9日目は、東方鶴竜からの土俵入りとなる。取組も明日は鶴竜が結びの一番。
平成29年1月16日
石橋、今日も動きよく落ち着いた相撲で5連勝。その石橋、昨晩は玉木と一緒に東京溜会中日恒例の食事会に招待され、激励を受ける。二人とも、高砂部屋のというより相撲協会の米びつ(有望力士)として期待が大きい存在になってきた。朝赤龍踏みとどまるも、朝弁慶負越し。朝山端勝越しまであと一つ。朝森本3連勝から2連敗で今日も勝越しならず。
平成29年1月18日
幕下7枚目の石橋、今日も右差し一気の寄りで完勝。6連勝。幕下の全勝は朝日山部屋朝日龍と石橋の2人のみとなり、13日目に幕下優勝決定戦として対戦することになるはず。13日目の一番が、幕下優勝と新十両昇進をかけた一番になる。先場所序二段優勝して自己最高位に上がった朝山端、今場所も勝越し。序二段47枚目の朝森本、長い相撲を我慢して勝ち、勝越し決定。来場所自己最高位を更新できる。
平成29年1月20日
石橋、7戦全勝での幕下優勝。朝からかなり緊張気味だったが、土俵上ではしっかり踏み込み二本差して腰の寄せも完ぺきに危なげなく寄り切っての快勝。正式には場所後水曜日の番付編成会議を待たねばならないが、新十両昇進もほぼ確実なものとした。明治11年創立以来続いていた関取が今場所で途切れたが、一場所で復活することになった。石橋が先陣となってまた新たな高砂部屋の歴史がはじまる。3勝3敗だった朝横道、朝ノ島勝越し。
平成29年1月25日
3月場所番付編成会議が開かれ、石橋改め朝乃山の新十両昇進が決まった。本日午後2時半より高砂部屋にて新十両昇進記者会見が行なわれる。石橋は富山市出身で富山商業から近畿大学相撲部へとすすみ昨年3月場所で入門。その富山商業の浦山英樹監督が21日の朝に急逝された。まだ40歳という若さであった。高校時代厳しく指導してくれたという浦山監督は、常々「教え子が関取になるのが夢」と語っていたという。その夢が叶えられた瞬間を見届けて旅立った。23日の葬儀に参列した石橋は四股名を朝乃山英樹と改名。恩師と共に、これからの相撲人生を歩んでいく。
平成29年1月27日
3月大阪場所からの新十両昇進が決まった石橋改め朝乃山。23日の恩師の葬儀のときに四股名が決まった。亡くなられた浦山英樹監督の同級生ら富山商業相撲部OBの先輩方があつまり考えてくれたという。故郷富山の「山」、富山を代表する立山の「山」、富山出身の大横綱太刀山の「山」、育ててくれた浦山先生の「山」。いくつもの想いを「山」に込めての”朝乃山英樹”。いろいろな思いを支えに頑張っていくことが、「朝乃山」の四股名を高め、「山」を大きくしていく。
平成29年1月30日
東洋大学相撲部主将村田亮選手の高砂部屋入門が決まり、本日東洋大学にて入門会見。三重県志摩市の出身で、玉木と同じ道場で相撲をはじめ、中学も一緒(一年後輩)。金沢市立工業高校から東洋大学へとすすみ、181cm160kgの体格で今年度の学生選手権3位、全日本選手権ベスト8の実績。3月場所三段目格附出しでのデビューとなる。
平成29年2月1日
元小結時天空の間垣親方が亡くなられた。まだ37歳という若さであった。朝青龍や朝赤龍とはモンゴルで小学生の頃から同じ道場で柔道をやった仲で朝赤龍関もショックが大きい。相撲は多彩な足技で技巧派であったが、相撲に対する取り組み方は正統派で、真摯な姿勢は指導者としてこれから大いに期待されただけに本当に残念でならない。心よりご冥福をお祈りいたします。
平成29年2月2日
富山の北日本新聞社が昨年末に創刊した富山のスポーツを応援する雑誌『T’SCENE(ティーズシーン)』が朝乃山を朝の稽古はじめからちゃんこまで密着取材。地元富山での期待度はもの凄く大きいようで新十両昇進が決まった1月25日(水)夕方には北日本新聞社からの号外も出て、JR富山駅前では多くの人が石橋改め朝乃山新十両昇進の紙面に見入っていたという。翌26日の朝刊も横綱稀勢の里誕生の記事より大きく一面トップに「石橋が十両昇進ーしこ名朝乃山」の記事。北日本新聞社からは出世魚ブリの絵柄の化粧回しも贈呈されることになっている。
平成29年2月4日
先日国技館で元力士の漫画家琴剣さんに会ったら、「いいのが入ったねぇ」と興奮気味に石橋改め朝乃山の昇進を喜んでくれた。部屋近くですれ違った東関親方も、我が事のように喜びを伝えてくれた。稀勢の里の横綱昇進同様、相撲関係者がそろって喜びを大にしている。みんな、朝乃山の将来性を大きく買ってのことである。アマチュア相撲時代から関係者が口をそろえて言うのは、朝乃山の腰の良さである。朝乃山の腰の良さに大相撲の明るい未来を感じるからこその喜びである。
平成29年2月5日
“腰の良さ”とはどのようなことですか?と質問をうけた。そもそも日本語には“腰”を使った言葉が多い。「腰を入れる」「腰を割る」「腰を据える」「腰で打つ」「本腰を入れる」「腰を落ち着ける」「腰を上げる」「腰で担ぐ」「粘り腰」「二枚腰」「腰が重い」「腰が低い」「話の腰を折る」・・・たんに腰痛のときに感じる腰部のことではなく、身体の中心としての存在、動かし方、心構えや意識のあり方まで含めた全身的なものである。まさに肉月(にくづき)に要と書く通り。強さはもちろんだが、しなやかさやバランスの良さも含まれる。
平成29年2月6日
逆に身体の中心としての腰が備わっていないことを、「逃げ腰」「へっぴリ腰」「および腰」「腰ぬけ」などと表現する。腰の構えや姿勢が精神状態にも関わってくることがわかる。心身の中心としての「腰」が、相撲にとって一番大事な所以である。相撲は重心を崩し合う競技だから、重心を安定させることが大切になってくる。人間の重心は、大体おへその下辺り云わば腰の中心辺りにある。そのため腰を下ろさなければならない。ただ必要以上に下ろし過ぎると動きが悪くなってしまう。人それぞれ、相撲の取口によっても、程良い高さがある。
平成29年2月7日
安定した動きのためには腰を下ろすことが大切だから、「腰が高い」「もっと腰を下ろせ」と、稽古場でもよく言われる。腰を下ろすことはもちろんだが、高い低い以上に大切なことは腰の前後のポジショニングだと思う。“腰言葉”でも、「腰を入れる」「腰の入った動き」「逃げ腰」「へっぴり腰」と、腰の前後の位置関係が腰の構えの良し悪しを決める。相撲の一番の基本である「腰を割る」ということも、腰を下ろすことはもちろんだが、股関節を開いて腰を前で使うことがより大切なことになる。しっかり腰を割って腰の入った動きをするために股割りをおこない、羽目板の前で四股を踏む。
平成29年2月8日
さて、朝乃山の“腰の良さ”について。朝乃山は189cm160kgと力士としても大柄なほうである。大柄な力士は概して腰を下ろすことが苦手であるが、腰を下ろすことを苦にしない。すり足の稽古のときにも小さな力士より低い腰でこなす。さらにいいのは腰が寄せられること。腰が入った押し方ができる。ぶつかり稽古のとき、土俵際までいくと相手の真下に入るくらい腰が入る。なかなかできないことである。先場所の豊ノ島戦や優勝決定戦の一番でも見事な腰の寄せを見せてくれた。相撲関係者は、ああいう相撲を見せられるとワクワクしてしまう(はずである)。
平成29年2月9日
「二枚腰」という言葉は、相撲界でも死語になった感があるが、双葉山の腰は二枚腰とよく形容された。一度残って、崩れそうになってももう一度残る腰のことをいい、「粘り腰」よりも柔らかみのある、もう一段深みのある腰とでも表現した方がいいのかどうか・・・。昭和17年夏場所千秋楽結びの一番、双葉山が安藝ノ海の万全の寄りをこらえ右にうっちゃる相撲は、まさに二枚腰と称される一番であろう。笠置山は「あれだけ腰を落としている安藝ノ海をよく腰に乗せるものだ」と感嘆の声をあげている。
平成29年2月10日
「腰が重い」という言葉は、一般的にはあまりいい意味で使われないが、相撲界では褒め言葉になる。腰が重い力士は本当に押しにくい。体の重さ以上に押しにくさを感じる。アンコ型で体の柔らかい力士に多いが、イコールではない。肩の脱力や重心の置き方、腰の構え、足腰の柔軟性などが関わってくるであろう。腰の重い力士は、ぶつかり稽古でいい胸を出す。高砂部屋では朝乃土佐の腰の重さには定評がある。未来のJリーガーJFAアカデミー福島の中学3年生4名が今日から2泊3日の体験入門。
平成29年2月11日
小坂秀二『わが回想の双葉山』より双葉山の腰について。怪力をうたわれた初代玉ノ海「当時の私は、右で前まわしを取ったら、横綱でもそうはいかんぞくらいの気持ちを持っていましたが、双葉関だけは別でした。グイと押して出ると、双葉関の上体が反るので、手ごたえありと思ってさらに押すと、今度はもうビクとも動かない。見ると、動いたのは上体だけで、腰から下は少しも動いていない。本当に腰で相撲を取った人でしたね」同門の力士は「腕力はむしろないほうでした。腕相撲なんかでは羽黒山、名寄岩にかなわないのですが、相撲取ると、幕の内の相撲取りをつかみ投げのよなことをやる。結局、腰なんでしょうね」大関五ツ島「一生懸命組んでいると、途中で、どうしたんだろう、いなくなっちゃったんじゃないだろうかと思うことがある」
平成29年2月12日
同じく『わが回想の双葉山』より~照国は、自身、柔らかみのある、腰の重い、難点のない横綱だったが 「双葉関だけは別ものです。あの人は、前傾してもよし、後ろへ反ってもよしという人で、前にも後ろにも強い腰でした。私や大鵬などは、前には強いのですが、反ったらダメという腰で、たいがいの力士が、いい腰を持っているといっても、前か後ろか、どちらか一方なのです。あの人だけは、どちらにもいい。まあ類のない腰を持っていたと言えます」
平成29年2月15日
幕下・三段目の5力士(石橋、玉木、朝天舞、朝山端、朝大門)、昨日から東洋大学へ出稽古。近大相撲部出身の石橋、玉木やベテラン朝天舞は別として、朝山端と朝大門の二人はアマチュア相撲力士との稽古は初めて。立ち合いの違いに戸惑うという。アマチュア相撲では、両者が両手を土俵に着き静止した状態から、主審の「ハッケヨイ」の掛声で立ち合う。いわば、陸上競技などの「ヨーイドン」と同じ。大相撲の場合は、両者の気が合った立合いが成立したときにはじめて行司が「ハッケヨイ」の声を掛ける。
平成29年2月16日
相手との気合が合ってはじめて成立する大相撲の立合いは“阿吽の呼吸”といわれる。競技者当人同士がスターターであるという他には類をみない方式であろう。かつてはアマチュア相撲の立合いも同様であった。世界選手権を行なうようになり、外国人の参加選手には“阿吽の呼吸”がどうしても理解できなく、不公平だということで現在のような「ヨーイドン」式の立合いに改めた。相撲をスポーツとして世界に広めていくためには当然の措置だったであろう。
平成29年2月17日
“阿吽の呼吸”が外国人には絶対に理解できないのかというとそうではない。外国人でも、相撲部屋に入門して24時間生活を共にすると、やっているうちに体で覚えてしまう。要は文化としての相撲を受け入れていることになるのであろう。逆に日本人でも小さい頃から大学卒業までスポーツとして相撲を行なってきた力士の方が、“阿吽の呼吸”を理解し難いかもしれない。スポーツとしての相撲では、立合い相手を焦らしたりタイミングをずらしたりして自分優位の立合いをすることが、ふつうに作戦であり技術になる。
平成29年2月18日
もっとも大相撲の世界でも“阿吽の呼吸”が常に守られているわけではなく、立合いの問題は歴史的にも根が深い。たびたび立合いの乱れが指摘され、ときに相撲協会あげて講習会を行ない、待ったへの制裁金制度をとったこともあった。お互いに委ねられているだけにより難しい。功利的に作戦的にしようと思えばいくらでもそうなってしまう。双葉山の仕切り、立合いが立派だったことは同時代の力士達からも讃えられているが、かの双葉山でさえ相手の虚をつく作戦の立合いに敗れたことがあった。
平成29年2月19日
大阪場所先発隊(大子錦、朝乃丈、朝山端、朝達家、朝大門、玉木、朝塩本、松田マネージャー)大阪入り。今年も師匠の後輩の嶋川さん一行に新大阪まで迎えに来ていただき谷町9丁目の宿舎久成寺(くじょうじ)に入る。風呂場からゴザを引っ張り出して部屋に貼り、今晩からの寝る場所を確保。晩飯は大阪先発隊恒例のちゃんこ朝潮鴫野店。4月1日までの大阪場所の生活が今日から始まる。
平成29年2月20日
寒さは和らいだものの小雨そぼ降る大阪先発隊2日目。洗い物等、外の仕事ができないため若い衆が寝る本堂のゴザ貼りや天幕張り。稽古場にしまってある荷物を出して、明日からの土俵築の準備。
平成29年2月23日
土俵築。土俵築は先発隊の大きな仕事のひとつで、力士は呼出しさんの補佐としてを手伝う。一門各部屋の土俵築をこの一週間で行なうため、呼出しさんも先発隊と同じく19日(日)から大阪入りして八角部屋、錦戸部屋とつくり終え、今日が高砂部屋の土俵。土俵が出来上がると、力士の顔つきも先発隊モードから稽古場モードに微妙に変化してくる(ような気がする)。本場所へ向けてのいろいろな行事が、力士のモチベーションを少しずつ高めていく。
平成29年2月24日
再び立合いについて。前述『わが回想の双葉山』に双葉山が立合いについて語っている文が紹介されている。当時の相撲雑誌に掲載された文であろう。「私は、数年来の信念として一回目からいつでも立つという気組みで仕切る。つまり一回、一回の仕切りに全精力を打ち込むのが、相撲道の正しい精神だと考えているのである。このことを逆に言えば、仕切りに作戦なしということになる。力士が土俵に上がって、いったん仕切りに入った以上、それはもはや絶対の境地であり、いやしくも作戦的に時間の引き延ばしを図り、あるいは故意に相手の心理を焦躁に導くというような、駆け引きは許されないものと信じている」(つづく)。石橋、玉木と共に東洋大学村田も宿舎入り。
平成29年2月25日
つづき。「したがって、仕切りの本道というものは、文字通り真剣必死の気迫をもってすべきであり、ただただ自らの気迫の完全な充実、いわば気力の最高潮を待つという意味においてのみ仕切り直しは許されるのである。すなわち仕切り直しとは、相互の気迫が一瞬に合し、最善最高の気分充実の状態をもって相うつという、最高精神を表すためのみに許される制度だと思うのである。これを極端に言えば、仕切りにおいて、あらゆる術策をろうする、相手の虚をつくことのみに専念するということは、決して称揚さるべきものではない。ここにこそ、仕切り直しに際して、自らの気迫不充実を許す意味において、相手に会釈する型が残されているのではないか」(つづく)
平成29年2月26日
「これを思えば、仕切りにおいて、自己の作戦によって初めより全然気を入れない、あるいは、ただ単に時間の引き延ばしを図るために、漫然と仕切り直しを繰り返すということは、私一個の信念においては、明らかに相撲道の邪道と解しているのである」小坂秀二氏は次のようにつづけている。平常、己を語ることの少ない、また感情を面に表さない双葉山としては珍しく激しく語っている言葉である。東京残り番だった力士も全員大坂乗り込み。ちゃんこ朝潮徳庵店にて大阪後援会特別会員とのちゃんこ会。みなさんとも一年ぶりの再会。明日が番付発表。
平成29年2月27日
3月場所番付発表。石橋改め朝乃山は東十両12枚目。朝弁慶が幕下西4枚目で、朝赤龍が西9枚目。先場所初めての負越しだった玉木は東15枚目と全勝すれば昇進できる地位にギリギリ残った。朝山端三段目29枚目、朝横道序二段12枚目、朝森本序二段23枚目の3力士が自己最高位。3月4日に新弟子検査を受ける村田は、三段目100枚目格附出しの予定。
平成29年2月28日
3月場所稽古始め。昨日の番付発表を境に、石橋は正式に朝乃山となり十両(正式には十枚目)となり、関取と呼ばれる資格者待遇になる。稽古まわしが、いままでの黒から白色になり、付人(朝乃丈、朝達家、朝横道)がつく。稽古後の風呂を真っ先に入る。ちゃんこもお膳と座布団が用意され一番先に食べる。食事のときに付人や若い衆が給仕でまわりに立つ。朝乃山関と、「ゼキ」をつけて呼ばれるようになる。今朝の稽古場にも富山からのTVカメラが3台。
平成29年3月2日
昨日から錦戸部屋が出稽古に。この一年で力士数が減って寂しい状況の錦戸部屋だったが、日大相撲部主将で一昨年のアマ横綱と昨年の学生横綱の実績を持つモンゴル出身トゥルボルドが入門。一昨日から部屋に合流したそうで、今朝の稽古場には一緒に顔を見せた。逸ノ城を彷彿させる体格とパワーは目を見張るものがあり、TV画面で活躍を見られる日も近いことであろう。五月場所からのデビューになるもよう。大阪場所恒例となっている関西大学アメフト部も体験入門に来て、賑やかな稽古場。
平成29年3月5日
昨日3月4日(土)が場所前恒例の大阪高砂部屋激励会。例年通り上六(上本町6丁目)の都ホテル(ウエスティン都ホテル大阪)にて開催。こういうパーティーを30年近く支えてきたのが師匠の近大時代の同級生や後輩たち。いわば、“朝潮の愉快な仲間たち”が、土産つくりや受付、進行まで裏方で動いて運営している。パーティー終了後、愉快な仲間たちの元締めともいうべき勝田氏の呼び掛けで集合写真撮影会。はじめは部屋一同で撮ったが、見守る愉快な仲間たちから歓声やらツッコミやら、大阪ならではの大賑わい。あまりの賑やかさに、師匠から「やかまし!」の大喝声。すかさず、♪「やかまし、かどまし、ねやがわし」♪、の返し。笑顔はじける集合写真となった。
平成29年3月6日
またまた昨日の話で恐縮ですが、昨日10年目となる関西奄美相撲連盟主催の奄美出身力士を励ます会が尼崎にて開催。奄美出身力士は現在、前頭15枚目の九重部屋千代皇を筆頭に十両の追手風部屋大奄美、尾上部屋里山、幕下に元十両の明生、若乃島、慶天海、さらに勝誠、魁禅といて、序ノ口まで入れると総勢17名。奄美部屋としてあったとしても立派な陣容を誇る勢力。もともと奄美出身者が多い尼崎の人等を中心に250名近くが集い、出身力士を祝う。
平成29年3月8日
北日本新聞社社長が来阪して、朝乃山関に化粧回しの贈呈式。化粧回しには、富山湾をイメージしたという青地に、波間を飛び跳ねるブリが朝乃山の四股名と共に刺繍されている。富山では成長にしたがい、コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリと名前が変わる出世魚として、お歳暮で嫁の嫁ぎ先に1本丸ごと贈る風習が今でも残るそう。中でも“氷見の寒ぶり”は全国ブランド。朝乃山にも、これから幕内、三役、そして横綱へと出世してもらうようにとの富山県民からの願いが込められた化粧回し。朝乃山の名前は変わっていかないだろうが。
平成29年3月10日
取組編成会議。明後日の初日は午前8時35分取組開始で十枚目(十両)土俵入りが2時5分、幕内土俵入りが3時30分。新十両朝乃山は、十両取組の4番目で北播磨との対戦。呼出しは邦夫。三段目附出しの村田は漣との対戦。新横綱稀勢の里は豪風、日馬富士に琴奨菊、鶴竜に御嶽海、白鵬に正代と好取組がつづく。ご当所新入幕の宇良は佐田の海との対戦。
平成29年3月13日
朝乃山応援団が故郷富山から団体60名で観戦にくるも、惜しくもの黒星。勝ちたいときに勝てなくて、あまり意識しないときに(勝ちたいのに変わりはないが、知り合いが来ているときと相対的に)いい相撲で勝てたりするのはよくあること。そういう経験を積み重ねながら精神的にも成長していく。要は、ひきずらない、居着かないこと。というか、今日は出場力士9人全員が黒星という何年かに一度の珍しい日。
平成29年3月14日
「しゃみをこく」というのは相撲用語だったのかどうか。いろいろ検索してみたけどよくわからない。ちょっと前までは、「○○部屋の誰々は、いいしゃみをこく」とか「いいしゃみ飛ばす」とかよく聞いた気がするが、最近はあまり耳にしない。もともと「三味線をひく」という言葉には、ごまかすとか調子を合わせるというような意味があるようだが、相撲界での「しゃみをこく」は「軽口をたたく」に近い感じ。今場所三段目附出しデビューの村田が、「いいしゃみこく」ので「しゃみ」という言葉を思いだした。
平成29年3月15日
「金なのかこんにゃくなのか・・・」という言葉が話題になっているようだが、相撲用語でお金のことは、「お米」という。もっとも最近は、ふつうにご祝儀とか車銭とかを使う場合のほうが多いが。お米(お金)をたくさんもたらすことから、有望力士のことを「米びつ」という。高砂部屋の「米びつ」たらんとする朝乃山、玉木、村田、そろっての白星。ゆくゆくは相撲協会の「米びつ」となっていかなければならない。朝乃土佐も2連勝。
平成29年3月17日
怪我することを「やまいく」という。やまい(病)いくからきているよう。最近やまいきっぱなしの朝弁慶、今日は元幕内明瀬山を押し倒して「片目があいた」(初白星)。その朝弁慶、昨晩は毎年お世話になっている方々と東住吉区の蒙々亭(もうもうてい)という焼き肉屋で「えびすこ決めた」(大食い)。知人からは、もうもうパワーだ!と喜びのメール。白星がみんなに幸せをあたえてくれる。朝赤龍にも初白星。NHKで新十両紹介された朝乃山4勝目。
平成29年3月23日
ちゃんこ長序二段83枚目の大子錦、今場所ようやく2人目の勝越し。残すところ3日間となって負越しがすでに11人。残り1番に勝越しをかける力士が関取を含めて5人。ひじょうに厳しい大阪場所となってしまった。7日目に第1号の勝越しを決めた村田、5番相撲では全国学生相撲選手権で団体優勝を果たした同じ東洋大相撲部のチームメイトとの対戦。この一番を制し、これで三段目優勝間違いなしと思ったのも束の間、昨日の取組で土がついてしまった。今日は大学の卒業式でいったん帰京。千秋楽に6勝目をかける。十両朝乃山は、明日大奄美との取組に勝越しをかける。
平成29年3月28日
涙と感動の千秋楽を終え、27日の月曜日から力士にとっては一番幸せな一週間の稽古休み。地方場所は、稽古が休みとはいえ、若い衆は宿舎のお寺の後片付けや荷物整理などもあって完全にオフになるわけでもないが、それでも精神的な解放感がこのうえない。勝越した力士は、2泊3日で実家に帰省もできる。地元大阪は泉大津出身の朝塩本と今場所デビューの三重県志摩市出身の村田が帰省。
平成29年3月31日
大阪最終日。小雨そぼ降るなか、荷物を東京へ送り、寝床のゴザを外し、大掃除。先発隊で来たときの部屋の設置にもどす。先発隊で来た力士にとっては、大阪場所一ヵ月半前の時を思い出させる懐かしい風景。そういう思いが何年も積み重なって、だんだんとちゃんこの味がしみてくる。明日から朝乃山関と付人朝乃丈は、春巡業のスタート伊勢神宮へ出発。朝乃山は初巡業。呼出し邦夫と行司朝之助、悟志も巡業へ。残りの力士は明日お昼過ぎの相撲列車(新幹線)にて帰京。宿舎下の高津神社の桜も咲きはじめた。