過去の日記

平成29年<平成28年  平成30年>

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平成29年1月1日
あけましておめでとうございます
旧年中はたくさんのご支援ご声援いただきましてありがとうございました。平成29年は丁酉(ひのととり)。干支の説明によると、丁は陰の火を表し、植物が成長してきて安定した状態に達したことを意味し、酉は陰の金を示し、果実が成熟の極限に達したことを意味するそう。高砂部屋にとっても、幕下上位まで育ってきた力がいくつも実を結び、それぞれがさらに羽ばたける一年となりますよう願いたいものです。本年もよろしくお願い申し上げます。
平成29年1月4日
酉は鶏をあらわすが、ひろく鳥として番付を眺めてみると東の正横綱鶴竜の「鶴」が目に入る。 その隣には横綱白鵬の「鵬」の字。「鵬」は、「おおとり」ともよみ「荘子」にでてくる伝説の大鳥。四股名として使われたのは横綱大鵬にはじまる。「松鳳山」や「千代鳳」の「鳳」も「鵬」と同じ意だが「鳳」は鵬の雄をあらわし、「凰」は鵬の雌をあらわすそう。関脇には玉鷲。前頭2枚目まで上がってきた荒鷲もいる。元若松部屋幕内の大鷲は長野県佐久市の出身。プロレスラー大鷲透は息子(力士名は朝鷲だった)。
平成29年1月5日
幕下以下に目を転じると、「白鷹山」「鳰の湖」「朱雀」「朱鷺の若」などの四股名がある。以前大鵬部屋に「大鷹」という関取がいた。最近引退した立浪部屋の「大鷹浪(だいおうなみ)」はモンゴル出身。「鳰の湖」は「におのうみ」と読み、琵琶湖の古称。「朱雀」は中国の伝説の神鳥。四神のひとつで南を守り土俵上では赤房であらわされている。「鳩岡」という力士がいるが、こちらは本名のよう。明日取組編成で明後日土俵祭。
平成29年1月7日
午前10時から土俵祭がおこなわれ、終了後触れ太鼓が市中へとくりだす。11時前、部屋の稽古場でも触れ太鼓の高い音が響き渡り、明日の割り(取組)が呼び上げられる。呼び上げられるのは関取のみなので高砂部屋力士の名が呼び上げられないのは寂しいが・・・。復帰を目指す朝赤龍は、明日幕下上位五番最後の取組で北播磨との対戦。石橋は、上位五番2番目に翔天狼と。2日目は上位五番最初に玉木が岩崎と、五番目で朝弁慶が海龍との対戦。膝の怪我で休場していた朝天舞も明日の三段目の土俵で復活を目指す。
平成29年1月9日
2日目成人の日。高砂部屋には今年成人式を迎える力士はいなく、朝横道が来年。朝達家、朝塩本は4年後のこと。酉年生まれの年男は多く、平成5年生まれが玉木、朝森本の二人。ひとまわり上の昭和56年生まれに朝赤龍、朝乃土佐、朝天舞の三人。石橋は平成5年生まれと、神山は昭和56年生まれと同学年だが早生まれの戌年で来年が年男になる。昨日の初日が2勝6敗、今日2日目は1勝8敗と天候と同じく荒れ模様のスタート。明日からの晴天に期待したい。
平成29年1月11日
幕下7枚目の石橋、スケールの大きな相撲で2勝目。その石橋、初日のNHKBS大相撲中継で“富山の人間山脈”と紹介される。命名者は、もちろん若松親方。一世を風靡した人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアントもすっかり過去の人で、石橋本人は全く知らなかったそうだが、ネットで調べてみましたとのこと。そういえば、洗い髪のときの雰囲気は似てなくもない。えびすこ(大食)や酒量で人間離れした伝説を数々残している人間山脈アンドレ。富山の人間山脈の方は食も酒もふつうだが、将来性の大きさは関係者誰もが認めるところ。
平成29年1月14日
土俵入りは、奇数日が東方から偶数日は西方からおこなう。横綱土俵入りは、どういう順序で行うのか聞かれ、はて?と首をひねった。横綱付人歴が長い神山に聞くと、取組で土俵に上がる順番に関係があるという。初日は、最初に白鵬、2番目に日馬富士と登場して結びが東正横綱の鶴竜と番付順に土俵に上がる。2日目は鶴竜、白鵬、結びが日馬富士の順。3日目は日馬富士、鶴竜、結びが白鵬となり、4日目は初日に戻り、以下繰り返しになる。横綱土俵入りは、初日が日馬富士、鶴竜、白鵬の順番。2日目は白鵬、日馬富士、鶴竜の順で、2番手に土俵に上がる横綱から土俵入りを行うよう。その神山3勝目で勝越しまであと一番。朝乃丈負越し。
平成29年1月15日
石橋、今日も元幕内力士を相手に快勝。4連勝での勝越し。明日4連勝同士で北播磨との対戦。玉木は2敗目。朝興貴負越し。日馬富士休場で横綱二人となったため、東張出横綱の白鵬が西にまわり、今日8日目の横綱土俵入りは西方白鵬から。明日9日目は、東方鶴竜からの土俵入りとなる。取組も明日は鶴竜が結びの一番。
平成29年1月16日
石橋、今日も動きよく落ち着いた相撲で5連勝。その石橋、昨晩は玉木と一緒に東京溜会中日恒例の食事会に招待され、激励を受ける。二人とも、高砂部屋のというより相撲協会の米びつ(有望力士)として期待が大きい存在になってきた。朝赤龍踏みとどまるも、朝弁慶負越し。朝山端勝越しまであと一つ。朝森本3連勝から2連敗で今日も勝越しならず。
平成29年1月18日
幕下7枚目の石橋、今日も右差し一気の寄りで完勝。6連勝。幕下の全勝は朝日山部屋朝日龍と石橋の2人のみとなり、13日目に幕下優勝決定戦として対戦することになるはず。13日目の一番が、幕下優勝と新十両昇進をかけた一番になる。先場所序二段優勝して自己最高位に上がった朝山端、今場所も勝越し。序二段47枚目の朝森本、長い相撲を我慢して勝ち、勝越し決定。来場所自己最高位を更新できる。
平成29年1月20日
石橋、7戦全勝での幕下優勝。朝からかなり緊張気味だったが、土俵上ではしっかり踏み込み二本差して腰の寄せも完ぺきに危なげなく寄り切っての快勝。正式には場所後水曜日の番付編成会議を待たねばならないが、新十両昇進もほぼ確実なものとした。明治11年創立以来続いていた関取が今場所で途切れたが、一場所で復活することになった。石橋が先陣となってまた新たな高砂部屋の歴史がはじまる。3勝3敗だった朝横道、朝ノ島勝越し。
平成29年1月25日
3月場所番付編成会議が開かれ、石橋改め朝乃山の新十両昇進が決まった。本日午後2時半より高砂部屋にて新十両昇進記者会見が行なわれる。石橋は富山市出身で富山商業から近畿大学相撲部へとすすみ昨年3月場所で入門。その富山商業の浦山英樹監督が21日の朝に急逝された。まだ40歳という若さであった。高校時代厳しく指導してくれたという浦山監督は、常々「教え子が関取になるのが夢」と語っていたという。その夢が叶えられた瞬間を見届けて旅立った。23日の葬儀に参列した石橋は四股名を朝乃山英樹と改名。恩師と共に、これからの相撲人生を歩んでいく。
平成29年1月27日
3月大阪場所からの新十両昇進が決まった石橋改め朝乃山。23日の恩師の葬儀のときに四股名が決まった。亡くなられた浦山英樹監督の同級生ら富山商業相撲部OBの先輩方があつまり考えてくれたという。故郷富山の「山」、富山を代表する立山の「山」、富山出身の大横綱太刀山の「山」、育ててくれた浦山先生の「山」。いくつもの想いを「山」に込めての”朝乃山英樹”。いろいろな思いを支えに頑張っていくことが、「朝乃山」の四股名を高め、「山」を大きくしていく。
平成29年1月30日
東洋大学相撲部主将村田亮選手の高砂部屋入門が決まり、本日東洋大学にて入門会見。三重県志摩市の出身で、玉木と同じ道場で相撲をはじめ、中学も一緒(一年後輩)。金沢市立工業高校から東洋大学へとすすみ、181cm160kgの体格で今年度の学生選手権3位、全日本選手権ベスト8の実績。3月場所三段目格附出しでのデビューとなる。
平成29年2月1日
元小結時天空の間垣親方が亡くなられた。まだ37歳という若さであった。朝青龍や朝赤龍とはモンゴルで小学生の頃から同じ道場で柔道をやった仲で朝赤龍関もショックが大きい。相撲は多彩な足技で技巧派であったが、相撲に対する取り組み方は正統派で、真摯な姿勢は指導者としてこれから大いに期待されただけに本当に残念でならない。心よりご冥福をお祈りいたします。
平成29年2月2日
富山の北日本新聞社が昨年末に創刊した富山のスポーツを応援する雑誌『T’SCENE(ティーズシーン)』が朝乃山を朝の稽古はじめからちゃんこまで密着取材。地元富山での期待度はもの凄く大きいようで新十両昇進が決まった1月25日(水)夕方には北日本新聞社からの号外も出て、JR富山駅前では多くの人が石橋改め朝乃山新十両昇進の紙面に見入っていたという。翌26日の朝刊も横綱稀勢の里誕生の記事より大きく一面トップに「石橋が十両昇進ーしこ名朝乃山」の記事。北日本新聞社からは出世魚ブリの絵柄の化粧回しも贈呈されることになっている。
平成29年2月4日
先日国技館で元力士の漫画家琴剣さんに会ったら、「いいのが入ったねぇ」と興奮気味に石橋改め朝乃山の昇進を喜んでくれた。部屋近くですれ違った東関親方も、我が事のように喜びを伝えてくれた。稀勢の里の横綱昇進同様、相撲関係者がそろって喜びを大にしている。みんな、朝乃山の将来性を大きく買ってのことである。アマチュア相撲時代から関係者が口をそろえて言うのは、朝乃山の腰の良さである。朝乃山の腰の良さに大相撲の明るい未来を感じるからこその喜びである。
平成29年2月5日
“腰の良さ”とはどのようなことですか?と質問をうけた。そもそも日本語には“腰”を使った言葉が多い。「腰を入れる」「腰を割る」「腰を据える」「腰で打つ」「本腰を入れる」「腰を落ち着ける」「腰を上げる」「腰で担ぐ」「粘り腰」「二枚腰」「腰が重い」「腰が低い」「話の腰を折る」・・・たんに腰痛のときに感じる腰部のことではなく、身体の中心としての存在、動かし方、心構えや意識のあり方まで含めた全身的なものである。まさに肉月(にくづき)に要と書く通り。強さはもちろんだが、しなやかさやバランスの良さも含まれる。
平成29年2月6日
逆に身体の中心としての腰が備わっていないことを、「逃げ腰」「へっぴリ腰」「および腰」「腰ぬけ」などと表現する。腰の構えや姿勢が精神状態にも関わってくることがわかる。心身の中心としての「腰」が、相撲にとって一番大事な所以である。相撲は重心を崩し合う競技だから、重心を安定させることが大切になってくる。人間の重心は、大体おへその下辺り云わば腰の中心辺りにある。そのため腰を下ろさなければならない。ただ必要以上に下ろし過ぎると動きが悪くなってしまう。人それぞれ、相撲の取口によっても、程良い高さがある。
平成29年2月7日
安定した動きのためには腰を下ろすことが大切だから、「腰が高い」「もっと腰を下ろせ」と、稽古場でもよく言われる。腰を下ろすことはもちろんだが、高い低い以上に大切なことは腰の前後のポジショニングだと思う。“腰言葉”でも、「腰を入れる」「腰の入った動き」「逃げ腰」「へっぴり腰」と、腰の前後の位置関係が腰の構えの良し悪しを決める。相撲の一番の基本である「腰を割る」ということも、腰を下ろすことはもちろんだが、股関節を開いて腰を前で使うことがより大切なことになる。しっかり腰を割って腰の入った動きをするために股割りをおこない、羽目板の前で四股を踏む。
平成29年2月8日
さて、朝乃山の“腰の良さ”について。朝乃山は189cm160kgと力士としても大柄なほうである。大柄な力士は概して腰を下ろすことが苦手であるが、腰を下ろすことを苦にしない。すり足の稽古のときにも小さな力士より低い腰でこなす。さらにいいのは腰が寄せられること。腰が入った押し方ができる。ぶつかり稽古のとき、土俵際までいくと相手の真下に入るくらい腰が入る。なかなかできないことである。先場所の豊ノ島戦や優勝決定戦の一番でも見事な腰の寄せを見せてくれた。相撲関係者は、ああいう相撲を見せられるとワクワクしてしまう(はずである)。
平成29年2月9日
「二枚腰」という言葉は、相撲界でも死語になった感があるが、双葉山の腰は二枚腰とよく形容された。一度残って、崩れそうになってももう一度残る腰のことをいい、「粘り腰」よりも柔らかみのある、もう一段深みのある腰とでも表現した方がいいのかどうか・・・。昭和17年夏場所千秋楽結びの一番、双葉山が安藝ノ海の万全の寄りをこらえ右にうっちゃる相撲は、まさに二枚腰と称される一番であろう。笠置山は「あれだけ腰を落としている安藝ノ海をよく腰に乗せるものだ」と感嘆の声をあげている。
平成29年2月10日
「腰が重い」という言葉は、一般的にはあまりいい意味で使われないが、相撲界では褒め言葉になる。腰が重い力士は本当に押しにくい。体の重さ以上に押しにくさを感じる。アンコ型で体の柔らかい力士に多いが、イコールではない。肩の脱力や重心の置き方、腰の構え、足腰の柔軟性などが関わってくるであろう。腰の重い力士は、ぶつかり稽古でいい胸を出す。高砂部屋では朝乃土佐の腰の重さには定評がある。未来のJリーガーJFAアカデミー福島の中学3年生4名が今日から2泊3日の体験入門。
平成29年2月11日
小坂秀二『わが回想の双葉山』より双葉山の腰について。怪力をうたわれた初代玉ノ海「当時の私は、右で前まわしを取ったら、横綱でもそうはいかんぞくらいの気持ちを持っていましたが、双葉関だけは別でした。グイと押して出ると、双葉関の上体が反るので、手ごたえありと思ってさらに押すと、今度はもうビクとも動かない。見ると、動いたのは上体だけで、腰から下は少しも動いていない。本当に腰で相撲を取った人でしたね」同門の力士は「腕力はむしろないほうでした。腕相撲なんかでは羽黒山、名寄岩にかなわないのですが、相撲取ると、幕の内の相撲取りをつかみ投げのよなことをやる。結局、腰なんでしょうね」大関五ツ島「一生懸命組んでいると、途中で、どうしたんだろう、いなくなっちゃったんじゃないだろうかと思うことがある」
平成29年2月12日
同じく『わが回想の双葉山』より~照国は、自身、柔らかみのある、腰の重い、難点のない横綱だったが 「双葉関だけは別ものです。あの人は、前傾してもよし、後ろへ反ってもよしという人で、前にも後ろにも強い腰でした。私や大鵬などは、前には強いのですが、反ったらダメという腰で、たいがいの力士が、いい腰を持っているといっても、前か後ろか、どちらか一方なのです。あの人だけは、どちらにもいい。まあ類のない腰を持っていたと言えます」
平成29年2月15日
幕下・三段目の5力士(石橋、玉木、朝天舞、朝山端、朝大門)、昨日から東洋大学へ出稽古。近大相撲部出身の石橋、玉木やベテラン朝天舞は別として、朝山端と朝大門の二人はアマチュア相撲力士との稽古は初めて。立ち合いの違いに戸惑うという。アマチュア相撲では、両者が両手を土俵に着き静止した状態から、主審の「ハッケヨイ」の掛声で立ち合う。いわば、陸上競技などの「ヨーイドン」と同じ。大相撲の場合は、両者の気が合った立合いが成立したときにはじめて行司が「ハッケヨイ」の声を掛ける。
平成29年2月16日
相手との気合が合ってはじめて成立する大相撲の立合いは“阿吽の呼吸”といわれる。競技者当人同士がスターターであるという他には類をみない方式であろう。かつてはアマチュア相撲の立合いも同様であった。世界選手権を行なうようになり、外国人の参加選手には“阿吽の呼吸”がどうしても理解できなく、不公平だということで現在のような「ヨーイドン」式の立合いに改めた。相撲をスポーツとして世界に広めていくためには当然の措置だったであろう。
平成29年2月17日
“阿吽の呼吸”が外国人には絶対に理解できないのかというとそうではない。外国人でも、相撲部屋に入門して24時間生活を共にすると、やっているうちに体で覚えてしまう。要は文化としての相撲を受け入れていることになるのであろう。逆に日本人でも小さい頃から大学卒業までスポーツとして相撲を行なってきた力士の方が、“阿吽の呼吸”を理解し難いかもしれない。スポーツとしての相撲では、立合い相手を焦らしたりタイミングをずらしたりして自分優位の立合いをすることが、ふつうに作戦であり技術になる。
平成29年2月18日
もっとも大相撲の世界でも“阿吽の呼吸”が常に守られているわけではなく、立合いの問題は歴史的にも根が深い。たびたび立合いの乱れが指摘され、ときに相撲協会あげて講習会を行ない、待ったへの制裁金制度をとったこともあった。お互いに委ねられているだけにより難しい。功利的に作戦的にしようと思えばいくらでもそうなってしまう。双葉山の仕切り、立合いが立派だったことは同時代の力士達からも讃えられているが、かの双葉山でさえ相手の虚をつく作戦の立合いに敗れたことがあった。
平成29年2月19日
大阪場所先発隊(大子錦、朝乃丈、朝山端、朝達家、朝大門、玉木、朝塩本、松田マネージャー)大阪入り。今年も師匠の後輩の嶋川さん一行に新大阪まで迎えに来ていただき谷町9丁目の宿舎久成寺(くじょうじ)に入る。風呂場からゴザを引っ張り出して部屋に貼り、今晩からの寝る場所を確保。晩飯は大阪先発隊恒例のちゃんこ朝潮鴫野店。4月1日までの大阪場所の生活が今日から始まる。
平成29年2月20日
寒さは和らいだものの小雨そぼ降る大阪先発隊2日目。洗い物等、外の仕事ができないため若い衆が寝る本堂のゴザ貼りや天幕張り。稽古場にしまってある荷物を出して、明日からの土俵築の準備。
平成29年2月23日
土俵築。土俵築は先発隊の大きな仕事のひとつで、力士は呼出しさんの補佐としてを手伝う。一門各部屋の土俵築をこの一週間で行なうため、呼出しさんも先発隊と同じく19日(日)から大阪入りして八角部屋、錦戸部屋とつくり終え、今日が高砂部屋の土俵。土俵が出来上がると、力士の顔つきも先発隊モードから稽古場モードに微妙に変化してくる(ような気がする)。本場所へ向けてのいろいろな行事が、力士のモチベーションを少しずつ高めていく。
平成29年2月24日
再び立合いについて。前述『わが回想の双葉山』に双葉山が立合いについて語っている文が紹介されている。当時の相撲雑誌に掲載された文であろう。「私は、数年来の信念として一回目からいつでも立つという気組みで仕切る。つまり一回、一回の仕切りに全精力を打ち込むのが、相撲道の正しい精神だと考えているのである。このことを逆に言えば、仕切りに作戦なしということになる。力士が土俵に上がって、いったん仕切りに入った以上、それはもはや絶対の境地であり、いやしくも作戦的に時間の引き延ばしを図り、あるいは故意に相手の心理を焦躁に導くというような、駆け引きは許されないものと信じている」(つづく)。石橋、玉木と共に東洋大学村田も宿舎入り。
平成29年2月25日
つづき。「したがって、仕切りの本道というものは、文字通り真剣必死の気迫をもってすべきであり、ただただ自らの気迫の完全な充実、いわば気力の最高潮を待つという意味においてのみ仕切り直しは許されるのである。すなわち仕切り直しとは、相互の気迫が一瞬に合し、最善最高の気分充実の状態をもって相うつという、最高精神を表すためのみに許される制度だと思うのである。これを極端に言えば、仕切りにおいて、あらゆる術策をろうする、相手の虚をつくことのみに専念するということは、決して称揚さるべきものではない。ここにこそ、仕切り直しに際して、自らの気迫不充実を許す意味において、相手に会釈する型が残されているのではないか」(つづく)
平成29年2月26日
「これを思えば、仕切りにおいて、自己の作戦によって初めより全然気を入れない、あるいは、ただ単に時間の引き延ばしを図るために、漫然と仕切り直しを繰り返すということは、私一個の信念においては、明らかに相撲道の邪道と解しているのである」小坂秀二氏は次のようにつづけている。平常、己を語ることの少ない、また感情を面に表さない双葉山としては珍しく激しく語っている言葉である。東京残り番だった力士も全員大坂乗り込み。ちゃんこ朝潮徳庵店にて大阪後援会特別会員とのちゃんこ会。みなさんとも一年ぶりの再会。明日が番付発表。
平成29年2月27日
3月場所番付発表。石橋改め朝乃山は東十両12枚目。朝弁慶が幕下西4枚目で、朝赤龍が西9枚目。先場所初めての負越しだった玉木は東15枚目と全勝すれば昇進できる地位にギリギリ残った。朝山端三段目29枚目、朝横道序二段12枚目、朝森本序二段23枚目の3力士が自己最高位。3月4日に新弟子検査を受ける村田は、三段目100枚目格附出しの予定。
平成29年2月28日
3月場所稽古始め。昨日の番付発表を境に、石橋は正式に朝乃山となり十両(正式には十枚目)となり、関取と呼ばれる資格者待遇になる。稽古まわしが、いままでの黒から白色になり、付人(朝乃丈、朝達家、朝横道)がつく。稽古後の風呂を真っ先に入る。ちゃんこもお膳と座布団が用意され一番先に食べる。食事のときに付人や若い衆が給仕でまわりに立つ。朝乃山関と、「ゼキ」をつけて呼ばれるようになる。今朝の稽古場にも富山からのTVカメラが3台。
平成29年3月2日
昨日から錦戸部屋が出稽古に。この一年で力士数が減って寂しい状況の錦戸部屋だったが、日大相撲部主将で一昨年のアマ横綱と昨年の学生横綱の実績を持つモンゴル出身トゥルボルドが入門。一昨日から部屋に合流したそうで、今朝の稽古場には一緒に顔を見せた。逸ノ城を彷彿させる体格とパワーは目を見張るものがあり、TV画面で活躍を見られる日も近いことであろう。五月場所からのデビューになるもよう。大阪場所恒例となっている関西大学アメフト部も体験入門に来て、賑やかな稽古場。
平成29年3月5日
昨日3月4日(土)が場所前恒例の大阪高砂部屋激励会。例年通り上六(上本町6丁目)の都ホテル(ウエスティン都ホテル大阪)にて開催。こういうパーティーを30年近く支えてきたのが師匠の近大時代の同級生や後輩たち。いわば、“朝潮の愉快な仲間たち”が、土産つくりや受付、進行まで裏方で動いて運営している。パーティー終了後、愉快な仲間たちの元締めともいうべき勝田氏の呼び掛けで集合写真撮影会。はじめは部屋一同で撮ったが、見守る愉快な仲間たちから歓声やらツッコミやら、大阪ならではの大賑わい。あまりの賑やかさに、師匠から「やかまし!」の大喝声。すかさず、♪「やかまし、かどまし、ねやがわし」♪、の返し。笑顔はじける集合写真となった。
平成29年3月6日
またまた昨日の話で恐縮ですが、昨日10年目となる関西奄美相撲連盟主催の奄美出身力士を励ます会が尼崎にて開催。奄美出身力士は現在、前頭15枚目の九重部屋千代皇を筆頭に十両の追手風部屋大奄美、尾上部屋里山、幕下に元十両の明生、若乃島、慶天海、さらに勝誠、魁禅といて、序ノ口まで入れると総勢17名。奄美部屋としてあったとしても立派な陣容を誇る勢力。もともと奄美出身者が多い尼崎の人等を中心に250名近くが集い、出身力士を祝う。
平成29年3月8日
北日本新聞社社長が来阪して、朝乃山関に化粧回しの贈呈式。化粧回しには、富山湾をイメージしたという青地に、波間を飛び跳ねるブリが朝乃山の四股名と共に刺繍されている。富山では成長にしたがい、コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリと名前が変わる出世魚として、お歳暮で嫁の嫁ぎ先に1本丸ごと贈る風習が今でも残るそう。中でも“氷見の寒ぶり”は全国ブランド。朝乃山にも、これから幕内、三役、そして横綱へと出世してもらうようにとの富山県民からの願いが込められた化粧回し。朝乃山の名前は変わっていかないだろうが。
平成29年3月10日
取組編成会議。明後日の初日は午前8時35分取組開始で十枚目(十両)土俵入りが2時5分、幕内土俵入りが3時30分。新十両朝乃山は、十両取組の4番目で北播磨との対戦。呼出しは邦夫。三段目附出しの村田は漣との対戦。新横綱稀勢の里は豪風、日馬富士に琴奨菊、鶴竜に御嶽海、白鵬に正代と好取組がつづく。ご当所新入幕の宇良は佐田の海との対戦。
平成29年3月13日
朝乃山応援団が故郷富山から団体60名で観戦にくるも、惜しくもの黒星。勝ちたいときに勝てなくて、あまり意識しないときに(勝ちたいのに変わりはないが、知り合いが来ているときと相対的に)いい相撲で勝てたりするのはよくあること。そういう経験を積み重ねながら精神的にも成長していく。要は、ひきずらない、居着かないこと。というか、今日は出場力士9人全員が黒星という何年かに一度の珍しい日。
平成29年3月14日
「しゃみをこく」というのは相撲用語だったのかどうか。いろいろ検索してみたけどよくわからない。ちょっと前までは、「○○部屋の誰々は、いいしゃみをこく」とか「いいしゃみ飛ばす」とかよく聞いた気がするが、最近はあまり耳にしない。もともと「三味線をひく」という言葉には、ごまかすとか調子を合わせるというような意味があるようだが、相撲界での「しゃみをこく」は「軽口をたたく」に近い感じ。今場所三段目附出しデビューの村田が、「いいしゃみこく」ので「しゃみ」という言葉を思いだした。
平成29年3月15日
「金なのかこんにゃくなのか・・・」という言葉が話題になっているようだが、相撲用語でお金のことは、「お米」という。もっとも最近は、ふつうにご祝儀とか車銭とかを使う場合のほうが多いが。お米(お金)をたくさんもたらすことから、有望力士のことを「米びつ」という。高砂部屋の「米びつ」たらんとする朝乃山、玉木、村田、そろっての白星。ゆくゆくは相撲協会の「米びつ」となっていかなければならない。朝乃土佐も2連勝。
平成29年3月17日
怪我することを「やまいく」という。やまい(病)いくからきているよう。最近やまいきっぱなしの朝弁慶、今日は元幕内明瀬山を押し倒して「片目があいた」(初白星)。その朝弁慶、昨晩は毎年お世話になっている方々と東住吉区の蒙々亭(もうもうてい)という焼き肉屋で「えびすこ決めた」(大食い)。知人からは、もうもうパワーだ!と喜びのメール。白星がみんなに幸せをあたえてくれる。朝赤龍にも初白星。NHKで新十両紹介された朝乃山4勝目。
平成29年3月23日
ちゃんこ長序二段83枚目の大子錦、今場所ようやく2人目の勝越し。残すところ3日間となって負越しがすでに11人。残り1番に勝越しをかける力士が関取を含めて5人。ひじょうに厳しい大阪場所となってしまった。7日目に第1号の勝越しを決めた村田、5番相撲では全国学生相撲選手権で団体優勝を果たした同じ東洋大相撲部のチームメイトとの対戦。この一番を制し、これで三段目優勝間違いなしと思ったのも束の間、昨日の取組で土がついてしまった。今日は大学の卒業式でいったん帰京。千秋楽に6勝目をかける。十両朝乃山は、明日大奄美との取組に勝越しをかける。
平成29年3月28日
涙と感動の千秋楽を終え、27日の月曜日から力士にとっては一番幸せな一週間の稽古休み。地方場所は、稽古が休みとはいえ、若い衆は宿舎のお寺の後片付けや荷物整理などもあって完全にオフになるわけでもないが、それでも精神的な解放感がこのうえない。勝越した力士は、2泊3日で実家に帰省もできる。地元大阪は泉大津出身の朝塩本と今場所デビューの三重県志摩市出身の村田が帰省。
平成29年3月31日
大阪最終日。小雨そぼ降るなか、荷物を東京へ送り、寝床のゴザを外し、大掃除。先発隊で来たときの部屋の設置にもどす。先発隊で来た力士にとっては、大阪場所一ヵ月半前の時を思い出させる懐かしい風景。そういう思いが何年も積み重なって、だんだんとちゃんこの味がしみてくる。明日から朝乃山関と付人朝乃丈は、春巡業のスタート伊勢神宮へ出発。朝乃山は初巡業。呼出し邦夫と行司朝之助、悟志も巡業へ。残りの力士は明日お昼過ぎの相撲列車(新幹線)にて帰京。宿舎下の高津神社の桜も咲きはじめた。
平成29年4月1日
ちょうど一ヵ月半前、新大阪まで迎えに来ていただいた師匠の後輩の嶋川さん一行(車3台)に、今日は宿舎久成寺から新大阪駅まで送ってもらう。「はじまってしまったらあっという間やなぁ」無事にすんだ安堵感と寂しさと感じながら、30年近く似たような会話をくりかえしている。その間、一行の顔触れは年々少しずつ変化があるが、嶋川さんは変わらず。車中、懐かしい人の名前が出たり、消息を聞いたり、独身だった人が孫ができたりと、人の移ろいに歳月の流れを感じる。「また来年!」と握手を交わして新大阪駅へ。
平成29年4月3日
昨日4月2日(日)から春巡業。春巡業のスタートは毎年恒例の伊勢神宮奉納相撲。一行全員が神宮会館に泊まる。三役以上は個室、他の関取衆は3人部屋、若い衆は大部屋とふりわけられる。今日3日は愛知県小牧市。明日は兵庫県加東市にもどり、宝塚市、姫路市と行ない、一日おいて8日(土)が神奈川県藤沢市。藤沢から静岡、三島、横須賀、川崎と東京近辺をまわり、長野県松本市、群馬県高崎市、茨城県常陸大宮市のあと4月17日(月)が靖国神社。さらに4月20日(木)から千葉県柏市、茨城県水戸市、東京にもどって八王子市、町田市とつづき24日(月)が埼玉県深谷市。そして番付発表前の土日29,30日に幕張メッセでの超会議場所。
平成29年4月15日
3月場所三段目附出しデビューの村田、相撲教習所通いの毎日。教習所は、月曜日~金曜日までで、土日は休みになるため今日は部屋での稽古。錦戸部屋からも先場所新弟子検査を受けて5月場所幕下15枚目格附出しデビュー予定の元全日本アマ横綱トゥルボルドと3月場所前相撲のアームレスリング高校チャンピオンという新弟子君も兄弟子彩翁とともに参加。稽古場も活気づく。巡業組は、今日が群馬県高崎市で明日茨城県常陸大宮市。終了後、一旦部屋へ戻り明後日が靖国神社奉納大相撲。
平成29年4月26日
番付発表は初日の2週間前の月曜日だから、通常は本場所開催月の前月の偶数月(12月、2月、4月、6月、8月、10月)にある。ところが今度の5月場所は初日が5月14日と、もっとも遅い開始なので番付発表も5月1日(月)になり、その分4月がやたら長く感じてしまう。巡業に出ていた朝乃山と朝乃丈も久しぶりの稽古場。移動が疲れましたと、初巡業の朝乃山。土日にもう一度幕張メッセで超会議場所がある。春巡業も長い。
平成29年5月1日
5月場所番付発表。先場所東十両12枚目で10勝5敗の朝乃山、順当に10-5=5で5枚上げて東7枚目。幕下では朝弁慶が6枚目、玉木は20枚目。三段目、朝山端が自己最高位の13枚目。幕下昇進には5勝以上が必要。三段目100枚目格で6勝1敗だった村田は39枚目。先場所三段目68枚目で2勝5敗でギリギリ残留かと思われた朝乃丈、序二段東筆頭。周りの力士との兼ね合いで場所毎の運不運は必ずある。序二段朝塩本も自己最高位。
平成29年5月4日
大安吉日の昨5月3日、東京富山県人会連合会(桑山征洋会長)から朝乃山に化粧回しが贈呈された。桑山会長によると、深さ1000mの富山湾から3000m級の立山連峰を見たものということで、深い青地に白雪を冠した立山連峰が連なるシンプルだが雄大なデザイン。関取も故郷の絶景を思い出し上機嫌で夏場所への決意を新たにした。
平成29年5月5日
化粧回しも、締め込みや稽古回しと同様、はじめは一枚の帯状の布になっている。朝乃山のブリの化粧回しを贈呈してくれた北日本新聞社では、出来上がって受け取ったとき一枚の帯状の状態だったので、これをどうやって締めるのか全く見当がつかなかったと言っていたが、さもありなん。一枚の帯状の前垂れの部分にデザインが施されていて腹の前に垂らし、股にあたる部分から後ろを六つ折りに折って回しと同じように締めていく。化粧回しを折るのも付人の仕事。
平成29年5月6日
化粧回しは博多織や西陣織などの絹製で、前垂れの部分は金糸などを使った刺繍を施すのでかなり高額になる。後援会や母校などから提供してもらうことになるが額が額だけに簡単にはいかない。幸い朝乃山は、地元富山の北日本新聞社、師匠の後援者である東京バスバスグループ、高校の恩師の仲間たち、そして今回の東京富山県人会連合会と4本も出来上がった。さらに近畿大学からの化粧回しも現在製作中とのことで、いきなり5本と人気の高さがうかがえる。5月場所は東京富山県人会連合会の立山連峰の化粧回しで初日の土俵入りを行なう予定だそう。
平成29年5月7日
入門した頃(1983年)、当時の若松部屋の床山さんに聞いた話によると、昭和40年代頃は関取に上がっても化粧回しをすぐには作れなく、兄弟子の化粧回しを借りて、名前のところだけ刺繍を変えて土俵入りを行なっていた関取衆もいたという。また金に困ると、化粧回しを質に入れることも実際にあったという。甚句の囃しにもある。♪ハァ 近頃世のなか不景気で 土俵の上の関取衆 立てば借金 座れば家賃 歩く姿は 質屋へ お使い お使い ハァードスコイドスコイ♪
平成29年5月9日
借金することを相撲用語では、ハガミを入れるという。端紙と書くようで、もとは半紙を八つ折りにした借用証書を残したことからきている。金の貸し借りは原則禁止だが、男だけの団体生活ということや緊急の入用があったりして、時にはないこともない。その場合、「お金貸して下さい」と言うよりも「ハガミごっつぁんです」と言ったほうがスムーズにいくような気がする。そうえいば、九州場所の切符代の借用書は、現在も茶色い半紙の端紙になっている。
平成29年5月11日
これも前記床山さんに聞いた話。某部屋の某関取は、バクチ好きだったのかどうか誰彼となくハガミを入れまくっていたという。ベテラン力士で,、巡業中など若い関取に「おう、ちょっと今手持ちが足りない5,6万ほど貸してくれ」とハガミを入れる。しばらくして催促に行くと「おうそうだったな。今ないからキリのいいところであと4万借りて10万にしておこう。今度まとめて返すから」兄弟子だから無下にも断れず、10万が20万になり、20万が30万になりと、どんどん増えていく。そのうち、その兄弟子の姿が遠くに見えると、金を貸している方が隠れたという。
平成29年5月12日
その某関取、部屋でちゃんこを食べていると、呉服屋か何屋かの若い衆が来た。「すみません、○○関、お願いします」溜ったツケを回収にきたのだが、当の関取の顔は知らないらしい。「関取今いないよ」「え、この時間ならいると聞いてきたんですけど」「いや出かけたよ」「いえ、確かにいるって聞いたんですけど」「いないよ」取り立ての若い衆も言い含められているらしく、しつこく食い下がってくる。何度かやり取りがつづき、その某関取が声を荒げた。「本人がいないって言ってんだからいないんだよ!」床山さんの盛り話だったのかもしれないが・・・。朝乃山関、稽古後初めてちょん髷を結う。同期生の朝横道、朝塩本も揃って初ちょん髷。コンパチ貧乏になりそう・・・。
平成29年5月13日
朝赤龍が引退発表。朝赤龍は、本名バダルチ・ダシニャム。モンゴル国ウランバートルに生まれ1歳上の朝青龍とは幼なじみ。平成9年16才の時に朝青龍と共に来日し明徳義塾に入学、相撲を始める。インターハイベスト8の実績を上げ、平成12年に若松部屋入門。史上最速で駆け上がった朝青龍には及ばないが、2年半での新十両昇進は当時史上10位の超スピード出世。関脇2場所、小結3場所を務め、技能賞2回、殊勲・敢闘賞1回ずつ。高砂部屋の伝統を長年一人で支えてきた。年寄錦島を襲名して高砂部屋付きの親方として力士の指導にあたっていく。引退相撲は来年1月場所後の予定。
平成29年5月14日
四つになったときにお互い右腕が下になって組み合うのを右四つ、左腕が下になる場合を左四つという。自分の得意の四つになるかならないかで、力の出方がずいぶん違う。右四つ得意の朝乃山、右を差しこみかけるが相手に前みついい所を引かれ力を出せずに黒星スタート。学生時代から何度も対戦している相手で、得意の右差しを逆手に取られた形。それでも右差しにこだわり、右差しをより磨いていくしかない。久しぶりの台覧相撲初日。
平成29年5月15日
午後1時半より国技館内記者クラブにて朝赤龍引退記者会見。師匠と共に報道陣の前に立ち「支えてくれたたくさんの人に感謝したい」と笑顔での会見。あとを託した朝乃山、今日は右相四つの相手で、立合いすぐに右四つとなり、相手を引きつけ腰を寄せ、万全に寄りきる。同じ右四つ同士だと相四つといい、右四つと左四つの対戦だとケンカ四つという。
平成29年5月16日
朝赤龍の錦島親方は左を差してのしぶとい相撲が持ち味で左四つ得意だが、相撲協会HPや相撲雑誌では右四つと紹介されていた。確かにはじめの頃は右四つだった記憶があり、部屋のHPでも右四つと記している。本人に確認してみると、右で前みつを取りにいっていたので右四つになることが多かったという。朝青龍が左四つだったから稽古を重ねているうちに左四つでも十分取れるようになったのかもしれない。朝乃山、今日は得意の右四つになれずに2敗目。朝天舞、2連勝。
平成29年5月18日
現在の横綱陣のなかでは、稀勢の里だけ左四つで、白鵬、日馬富士、鶴竜の3人は右四つ。大関陣も豪栄道、照ノ富士両者とも右四つ。幕内全体を見渡しても右四つの方が多いよう。朝乃山、稽古場で師匠に「立合い相手にもっと圧力をかけて右を差せ」と指導を受け、今日は右四つから前に攻めて2勝目。突き押し相撲だが、右四つ寄りも得意としている村田3連勝。
平成29年5月20日
右四つ左上手投げで知られたのが横綱双葉山。当時も現在と同じ4横綱時代であったが、双葉山以外の3横綱(羽黒山、照国、安芸ノ海)は左四つ。対戦の多かった大関前田山も左四つ。当時は左四つが多かったのだろうか。相手に双差しになられることが多いが、どちらかというと左四つの朝森本、4連勝での勝越し。今日も右四つで攻めた朝乃山、3連勝で勝ち星先行。
平成29年5月23日
“黄金の左”で一世を風靡したのが横綱輪島。左四つで、右から相手をしぼり上げ浮かせての左下手投げが強烈だった。共に一時代を築いた横綱北の湖も左四つだが、左下手を引いてがっぷりの左四つになりたい北の湖の左手と、右から強烈に絞る輪島の右手との攻防が思い起こされる。突き押し相撲の幕下玉木、突いて起こしてからの引き落としでの3勝目。朝天舞も3勝目。
平成29年5月24日
三段目39枚目村田、6連勝。来場所の幕下昇進が濃厚。もう一番勝って番付を大きく上げたいところ。序二段30枚目の朝大門うれしい5勝目。三段目復帰が濃厚で、ようやく雪駄が履けるようになる。朝森本は全勝を逃す。もう一番勝てば初三段目昇進がみえてくる。
平成29年6月6日
昨日6月5日から稽古再開。6月18日(日)から先発隊が名古屋へ出発するので、東京で稽古を行なうのも2週間のみ。その間、来週11日(日)と12日(月)は6月恒例の茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿稽古。
平成29年6月7日
毎年6月恒例の近畿大学校友会高砂部屋ちゃんこ会で、これまたここ数年恒例の高砂寄席。近畿大学出身の落語家鈴々舎八ゑ馬による一席。演目は相撲ネタで『大安売り』。江戸相撲にに出て田舎に戻ってきた力士が成績を聞かれて「勝ったり、負けたり。」詳しく聞くと、初日から千秋楽まで全部負け。「勝ったり負けたり言うたやないの」と言うと、「相手が勝ったり、こっちが負けたり。」そんなこんなで改名することになったそうで、新しい四股名は“大安売り”。そのこころは・・・ 。
平成29年6月10日
今日から茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿。午前中は、第7回目となるわんぱく相撲下妻場所。小学校1年生から6年生までの子どもたち70人ほどが集まり、学年毎の個人戦と学校対抗の団体戦で熱戦をくり広げる。今年から初の試みとして女子も参加。8名の女子生徒が低学年の部と高学年の部に分かれてハッケヨイ!横綱、大関が相次いで誕生している茨城県。子どもたちの相撲熱も年々高まってきている。明日、明後日の2日間、高砂部屋合宿稽古。
平成29年6月16日
TV朝日で、7月31日(月)19時~21時48分に「現役力士&親方&ファン1万人が本気で選んだ!夢の相撲総選挙2017」(仮題)という番組が放送されるようで、高砂部屋でも師匠と朝乃山に取材。アンケートは、「現在・過去に関わらず、貴方が印象に残っている大相撲の名勝負を挙げてください!」という質問。ちなみに師匠は、北の富士VS貴ノ花のかばい手の一番。朝乃山は、朝青龍VS白鵬の一番でした。みなさんにとっての印象に残る一番はなんでしょうか?
平成29年6月18日
先発隊8人名古屋場所準備のため蟹江町龍照院入り。今年も、名古屋駅新幹線口に名古屋場所の風物詩ともいえる鈴木さんがワゴン車で出迎えに。五月からみんなの名古屋入りを楽しみに待っていたという鈴木さんのテンションは高く、蟹江までの車中大騒ぎ。宿舎のプレハブに畳を敷きバルサン焚いて大掃除。お寺さんやご近所の方々とも一年ぶりの再会を喜び合う。
平成29年6月26日
7月名古屋場所番付発表。十両朝乃山は西5枚目。幕下は3人で、朝弁慶が10枚目、村田が27枚目、玉木が30枚目。三段目は、3枚目に朝山端、9枚目に朝興貴、2人とも勝越せば幕下に上がれる番付。朝山端は初幕下昇進をかける。朝大門が、大きく番付を上げて三段目66枚目の自己最高位。三段目2場所目なので、今日から堂々と雪駄を履いて外出できる。序二段では朝森本が自己最高位の12枚目、朝横道は18枚目。2人とも勝越せば新三段目昇進の番付。
平成29年6月30日
名古屋場所宿舎蟹江龍照院の土俵は、鉄骨建で屋根はあるものの風通しをよくするため壁はなく南側に巻き上げ式のテントを垂らしているだけの構造。大雨になると土俵の縁に雨が降り込んでくる。夜半からの雨が降り続き、稽古途中豪雨となり、縁には所々水たまりも。水を掃き出して、昨年ホームセンターで購入した砂袋があるのを思い出し倉庫へ。入り口に30kの袋がきれいに4袋積んである。「おーこれだ!」と喜び勇んで稽古場へ運ぶ。力士とともに茶色の紙袋をハサミで切り広げると、中からでてきたのは玄米。「どひゃ~」横で見ていた錦島親方も大笑い。慌てて下から袋を引っ張り出すと、今度は間違いなく砂であった。午後雨が上がって、排水溝や雨どいのメンテナンス。この稽古場も築30年を迎える。
平成29年7月7日
昨日6日(木)が、名古屋場所前恒例の高砂部屋激励会。大勢のお客様にお越しいただくが、一年に一度このパーティーのみでお会いできるお客さまも数多く、一年前はザンバラ髪で三段目だった石橋が朝乃山関になり、関取だった朝赤龍が錦島親方になりと、一年の時の流れを感じてしまう。今晩は、蟹江地元での激励の焼き肉会。明後日からの初日に向け英気をやしなう。
平成29年7月8日
触れ太鼓が来て明日の取組を披露。東京だと国技館に近いので、午前10時からの土俵祭を終えてすぐ来るが、名古屋場所宿舎は遠いので午後3時半過ぎの触れ太鼓。太鼓が土俵を一周して、まず呼び上げるのが「♪ユターカヤマーには アサーノヤーマ じゃんぞーえ♪」呼び終えるのと同時くらいにみんなで拍手するのが慣わし。農大と近大の同級生で学生時代からしのぎを削り、同じく三段目附出しの場所初日に対戦した二人。先に出世した小柳こと豊山に石橋こと朝乃山がようやく追いついた。これから関取同士で何度も対戦するであろう取組の初戦。
平成29年7月16日
西十両5枚目の朝乃山、8連勝での勝越し。十両の優勝争いのトップであるのはもちろんだが、新入幕の期待も大きく膨らんできた。「攻める相撲を」と毎朝のように師匠からいわれ、その通りの相撲が取れていることが自信につながっているであろう。幕下朝弁慶、村田が勝越しまであと一つの3勝目。昨日は、朝天舞、神山の両ベテランが4連勝での勝越し。
平成29年7月19日
全勝だった三段目朝天舞と序二段神山に土。その神山より番付が三枚上の序二段93枚目朝塩本5勝目。来場所は自己最高位を大きく更新する見込み。朝塩本、一敗は中日8日目。大阪から両親が見に来た日だったが勝越しを決められず。ただ翌日9日目勝越しを決め、満員札止めで入場できなく玄関外で待つ両親にその場で勝越しを報告できたという。小学校3年生の頃から部屋に来ている朝塩本、3年生か4年生の頃、この蟹江の部屋にも泊まりに来たことがあり、わんぱく小僧だったことを思い出すと、今場所の5勝の好成績には感慨深いものがある。朝乃山9勝目。
平成29年8月3日
7月30日(日)名古屋場所でお世話になった蟹江龍照院を後にして新幹線にて帰京。巡業組(朝乃山、朝達家、木村朝之助、木村悟志)は30日(日)の岐阜を皮切りに滋賀県草津市、愛知県豊田市とまわり、昨日2日は朝乃山の地元富山市でも。入門一年半、はやくも故郷に錦を飾ることができた。東京の部屋では、今日から夏休み恒例の部屋解放。師匠の指導の元、玉木と朝興貴が現役指導員として、墨田区二葉小学校の生徒33名に相撲健康体操やすり足、ぶつかり稽古の指導。「ヤァー!!」という元気のいい声が響いている。
平成29年8月8日
国技館内にある相撲博物館では現在、『大相撲ってなんだろう?~テレビに映るものごと~』と題して化粧回しや装束、優勝旗・・・大相撲を彩る様々な人やモノを展示しながら大相撲の基礎知識を解説。引退したばかりの朝赤龍の明け荷、化粧回し、締め込み、浴衣、染め抜きなどが真ん中に飾られ、一見朝赤龍特集のよう。
平成29年8月10日
朝赤龍の引退相撲は、来年初場所千秋楽の1週間後にあたる2月4日(日)に国技館にて開催。引退相撲事務局が開設され、チケット販売も開始されています。
平成29年8月24日
今日から毎年8月末恒例の平塚合宿へ出発。巡業は、昨日今日とお台場での興行だが、明日が小田原で平塚からも近いので、お台場で巡業組(朝乃山、神山、朝達家)を拾って平塚へ。巡業組も歓迎会へ参加して、終了後に後援会の方に箱根の宿まで送ってもらう段取り。平塚合宿は、今年で24年になるようで、師匠も挨拶で述べたが、四半世紀を迎えるのは誠に感慨深いものがある。初めの年はまだ土俵がなくテニスコートの駐車場に柱を立てヨシズで屋根を葺いただけの簡易な土俵だった。その頃女子高校生で見学に来ていたという方が今年から会員になられて歓迎会にも参加していて、これまた驚きであった。
平成29年8月28日
9月秋場所新番付発表。朝乃山、東前頭16枚目と新入幕を決め、午前10時より高砂部屋1階上り座敷にて記者会見。新聞各社や地元富山のテレビ局も数社かけつけ師匠と並んで喜びの会見。富山の朝乃山フィーバーは高まる一方で、地元紙北日本新聞は『朝乃山新入幕』の号外も。幕下では、朝弁慶が半年ぶりの勝越しで8枚目。村田16枚目、玉木23枚目、復帰の朝興貴が58枚目。朝森本新三段目。序二段朝塩本が自己最高位42枚目。
平成29年8月30日
富山での朝乃山人気はとどまるところを知らず、記者会見での師匠とのツーショットの写真が大きく昨日29日の北日本新聞一面トップに。スポーツ面の14面では相撲関連の記事の中でさらりと紹介しているが、紙面の真中16,17面では見開きで特集。ど真ん中に朝乃山のどアップの顔。そして周りを囲むように生後11カ月から小、中、高、大学時代、入門以来各場所での写真と成績。さらに社会面30,31面にも特集記事。まだある。1面の天声人語的欄『天地人』にも。故郷富山の期待を一身に背負って幕内での戦いに臨む。
平成29年8月31日
北日本新聞で詳しく紹介されているが、朝乃山は富山市の呉羽町出身。呉羽小4年生で相撲をはじめ、呉羽中、富山商業、近畿大学と相撲部で活躍し高砂部屋入門となった。明治末から大正にかけて驚異的な強さを誇った22代横綱太刀山は、同じ呉羽町の出身。その太刀山の入門ほど世間をさわがせ、金力と、ついには国家的権力を用いた例は、空前絶後であろうと、相馬基『相撲五十年』には記されている。今日から近畿大学相撲部学生十数名が高砂部屋で合宿。
平成29年9月1日
太刀山は、本名老本弥次郎。農業と製茶業を営む家業を手伝っていたが、その体格と怪力ぶりが有名になり噂をききつけた元海山の友綱親方がスカウトに。ところが「相撲は大きらいだ」とけんもほろろに断られる。あきらめきれない友綱、東京に戻り、同郷(高知)の後援者板垣退助に相談。板垣は内務大臣西郷従道(隆盛の弟)を訪ね、阿部富山県知事に弥次郎説得の訓令を出させる。富山ではさっそく警部長、郡長を招集して「相撲入門勧誘指令」の相談。弥次郎宅へ連日のように村長、郡長、警察署長がやってきた。
平成29年9月3日
逃げまわっていた弥次郎だが、阿部知事が直々に出向き、「どうか私の顔をたてて、板垣さんに直接会って、断ってくれ」という言葉で上京を決意した。板垣伯と西郷内相二人からの依頼だけに、途中病気にでもなられたら大変と医師と村の有志を付き添わせて4人での上京の旅だったという。東京に着いた晩は本所横網町の友綱部屋に泊まり、翌日迎えに来た黒塗りの馬車で二人が待つ築地の同気倶楽部へと向かった。
平成29年9月5日
断るつもりで出向いたが、天下の名士二人に「横綱になれる!」と、熱く口説かれると悪い気はしない。入門を承諾すると喜んだ板垣伯は、四股名を故郷富山の名峰立山にちなんで「太刀山」と名づけ、「峰右衛門」と名乗らせた。しかしながら、数え年23歳での入門で体が固まっており内気な性格も災いしてあまりなじめず怪我や病気を患い、デビューまでは一年三カ月を要した。生活に慣れてくると、持ち前の剛力を発揮して幕下附出しの場所を4戦全勝で飾り、3場所一年半(当時は年2場所)で関取に昇進した。朝乃山に東京氷見会有志より場所座布団が贈呈。自分の四股名が染め抜かれた座布団を使用できるのは幕内力士のみ。
平成29年9月6日
関取に上がる頃にはますますパワーアップして関取衆も太刀山との稽古を嫌がるようになった。そこで師匠友綱は、敵方(当時は東西対抗制)の常陸山に稽古を頼んだ。大関から横綱へと登る勢い盛んな常陸山は快く引き受け、太刀山を鍛えに鍛えた。上背はあるものの(188cm)細身だった(90kgほど)体にどんどん肉が付き、持ち前の剛力をさらに高め、双手突きの「鉄砲」と、仏壇返しと恐れられた「呼び戻し」の得意技を磨いていった。その常陸山を明治40年5月場所、挑戦6度目にして初めて破り、42年5月国技館開館の記念すべき場所で新大関に昇進。この頃から太刀山は人間離れした驚異的な強さを発揮していく。宮城野部屋石浦が出稽古に来る。
平成29年9月9日
新大関の場所8勝2敗で準優勝。この場所7日目碇潟に敗れたあと3連勝して翌場所は6勝2分1預1休(当時は不戦勝制度がなく相手が休むと休みになる)。大関3場所目には9勝1分で初優勝。翌場所も8勝1分1預で優勝して22代横綱に昇進。新横綱で迎えた44年夏場所は10戦全勝での優勝。翌45年初場所8日目西ノ海に敗れるまで43連勝。その翌日から再び連勝をつづけ、途中全休の場所が3場所あるものの大正5年夏場所中日に栃木山に敗れるまで56連勝。足かけ8年に亘る間、一度しか負けていない。初日の割りを告げる触れ太鼓。朝乃山には蒼国来。
平成29年9月10日
栃木山に敗れた一戦を時事新報は次のように伝えている。「栃木右差し左より猛然攻め立つれば太刀左に敵の差手を巻き右を当て正面溜へ割出さんとするを栃木堪えて左を差し二本差しとなるや咄嗟に大きく掬投げを打てば流石の太刀山も此時腰砕けてよろめくを栃木すかさず煽って寄りつめた、太刀山の東溜の剣の峯に堪ゆるも腰を落としてグイと寄切る、百雷一時に落下して満場総立、土俵の上に飛び上がって踊り狂うもの二人、国技館の天地正に狂転せんとす・・・」朝乃山新入幕の初日を見事な相撲で飾り、初懸賞獲得。
平成29年9月12日
大嶽部屋世話人友鵬さんが突然亡くなられた。沖縄宮古島出身の友鵬さんには、沖縄つながりということもあって入門の頃からずいぶん可愛がってもらった。というか、何年かたった力士は大なり小なり友鵬さんに世話になったことであろう。朝乃丈は巡業で飲みに連れていってもらったそうだし、朝興貴はよく声をかけてもらったという。神山もよく言葉を交わしていたそう。分け隔てない親身な笑顔が忘れられない。そんな友鵬さんを偲び昨夜のお通夜では長蛇の列。享年60歳はあまりに早すぎる。心よりご冥福をお祈りいたします。朝乃山、ライバル豊山との幕内初対決を制して2勝目。
平成29年9月13日
再び太刀山話。あまりの強さに稽古相手にも困り、あるときは土俵中央に立ち、足の周りに直径1mほどの円を描き、「ここからワシを出したら10円(現在の数十万円)やるぞ」と自ら懸賞をだし、幕内力士がぶつかっていったが誰も果たせなかったといい、熊本での東西合併巡業では、横綱10人掛かりで、東京相撲・大阪相撲の幕内精鋭5人ずつが千円の懸賞目当てに挑戦したが、得意の鉄砲を一度も使わずに簡単に退けたという。靖国神社例大祭で200kgの砲弾を片腕で抱えて振り回した話が新聞に掲載され、釜山巡業では500kgのロシア製砲弾を一人で運んだといい、ゴリラがまだ一般的でなかった当時の生物図鑑には「ゴリラは太刀山のように強力な動物」と紹介されたという。
平成29年9月17日
幕内に上がると、染め抜きを着て場所入りすることができる。染め抜きとは、四股名や絵柄を染め抜いた着流しの着物で、夏の正装として認められている。先日、緑色の染め抜きが朝乃山富山後援会より贈呈されたのにつづき、昨日北日本新聞社から青色の染め抜きが贈呈。幕内に上がると、月給があがるのはもちろんだが、控えの座布団がマイ座布団になり、自分の四股名入りの浴衣をつくれる等の十両との違いがある。幕下朝興貴、玉木4連勝での勝越し。
平成29年9月18日
ベースボール・マガジン社が発行している大相撲名門列伝シリーズ3は “高砂部屋” 進取の精神で関取を出し続けた波乱万丈の140年史ーと銘打って初代から現7代目までの高砂部屋の情景を写真満載で紹介している。昭和30年代の対談や座談会も貴重な資料。朝乃山、得意の右を差せなかったものの左からおっつけ押して突いて前に攻める相撲での6勝目。三段目朝乃土佐勝越し。
平成29年9月19日
NHK大相撲中継で“呼び戻し”が話題になっていたが、太刀山の呼び戻しは別名仏壇返しともいわれた。その仏壇返しについて昭和15年1月の『野球界』増刊相撲号に太刀山本人が記している。「「ワシの仏壇返しは上手から投げを打とうと見せかけて、相手が反対の方の足を突っ張って堪へるところを逆にグンと振って投げるから、相手は仰向さまに引くり返るんで、誠に強引な手です」相馬基『相撲五十年』では「相手の一方の脇の下を突き上げるようにして、一方は相手の反対側にあてがい、力まかせに捻るんです。そうすると相手の体は、ばったり一回転して引っくり返るというわけです。そのころ名古屋の菊人形で何段返しなどといって、舞台がばったりひっくりかえると、次の場面に変化する仕掛けがありまして、それと私の手がよく似ているというので、太刀山の仏壇返しとなったのです」とある。朝乃山、突っ張ってからの右四つ上手投げでの7勝目。入幕して相撲の幅が広がった。
平成29年9月20日
朝乃山、7日目から5連勝での勝越し。今日も大きな魁聖相手に、真っ向からぶつかり右を差し、左上手からゆさぶり相手の上手を切り、腰をぶつけ寄りに寄っての寄り切り。十両で対戦した時は右四つがっぷりになってなすすべなく敗れたことを思うと進境著しい勝ちっぷり。いつの間にか幕内最高優勝争いを伝える画面にも朝乃山の四股名が・・・。残り4日間がますます楽しみになってきた。幕下玉木5勝目、三段目朝山端、序二段朝横道勝越し。
平成29年9月26日
”心技体”という言葉は一般的にも広く使われているが、本来は、“心気体”であるという。何度か紹介させてもらっている昭和16年刊『相撲道教本』(元阿久津川・佐渡ケ嶽理事著)でも、序文のなかで、「相撲は心・気・体一致の力によるものであって、修心(心を修める)・養気(気を養う)・斉体(体を斉(ととの)える)の三者こそ斯道(しどう・・その道)修練の要諦である」と、記されている。技術は心気体一致の中から自然に生まれてくるものだということなのであろう。一年前と比較して体力や技術にそれほど変化はないと思われる朝乃山の快進撃は、心気体の力によるものであろう。「化ける」ときは、心気体の一致が、より深くすすんでいくのであろう。
平成29年10月4日
明日5日(木)から9日(月)まで上野恩賜公園噴水前広場で開催されます東京江戸ウイーク2017に高砂部屋ちゃんこも出店します。
平成29年10月7日
一昨日5日からはじまった上野公園イベントでの高砂部屋ちゃんこ。昨日は鳥の塩炊きだったが、初日と今日はソップ炊き。ちゃんこ長大子錦が毎日味付けし、手伝いとして若い衆が毎日2人ずつ参加。今日は朝達家と朝横道。明日のちゃんこは、塩炊きの予定です。明日は朝ノ島、朝大門が参加予定です。
平成29年10月21日
先発隊8人(大子錦、朝ノ島、朝山端、朝達家、朝大門、玉木、朝塩本、松田マネージャー)空路福岡入り。福岡空港から地下鉄で宿舎成道寺のある唐人町駅で下りると、人波であふれかえっている。クライマックスシリーズがヤフオクドームで1時試合開始とのことでドームへ向かうホークスファンの熱気でムンムン。いざ決戦で、土俵へ向かう力士同様集中力が高まり、お相撲さんを見てもいつもより反応がうすい感じ。お寺の本堂にゴザをはり寝床をつくり、夕食は一年ぶりの藁巣坊。
平成29年10月26日
福岡乗り込みの日と台風接近が重なり日曜日の引っ越し作業が心配されたが、幸い作業はそれほど風雨にたたられず無事終了。月曜日以降は天気も回復して日中は暑さを感じるほどの福岡。土俵築や洗いものも順調に進んでいる。29日日曜日に東京残り番、巡業組も福岡入り。30日(月)が番付発表で、31日(火)から稽古始め。
平成29年10月29日
広島での巡業を終えて、朝乃山と付人朝乃丈福岡入り。「今回の巡業は濃かったっす」と疲労感はあるものの充実感あふれた表情。横綱たちにずいぶん目をかけてもらったようで、朝乃山に対する相撲界みんなの期待感が伝わってくる。およそ3週間ぶりに全員勢揃い。荷をほどき、寝床をととのえ、出かけるものあり、寝転がるものあり。今日から一月余り福岡での生活がはじまる。
平成29年10月30日
11月九州場所番付発表。先場所10勝5敗の朝乃山は、4枚半上がって西前頭11枚目。幕下朝弁慶2枚上がって6枚目。玉木は8枚上げて15枚目。村田は7枚下げて22枚目。6勝の朝興貴は、ちょうど30枚上がって28枚目。三段目では朝山端が5枚目で勝越せば幕下昇進の位置。先場所新三段目で勝越した朝森本、74枚目と自己最高位更新。序二段へ陥落必至とみられていた朝大門、残って98枚目。序二段朝横道、自己最高位の10枚目で勝越せば三段目昇進なる位置。序二段101枚目で負越して序ノ口陥落必至とみられていた大子錦、2枚落ちての序二段103枚目で残留。
平成29年10月31日
稽古始め。地方場所の土俵は毎年新しく作り直す。先週、火・水で作りあげた土俵だが、使わないと2~3日でひび割れがでてくる。それを昨日再び呼出し邦夫がタタキ、締め直し、つやを出す。新しい土俵は神聖で清々しく、まことに気持ち良い。稽古場には、BSのテレビカメラと雑誌ナンバーの取材。初日ということもあり稽古は軽めに切り上げ、関取は力士会へ。小春日和のやわらかな日差しがふりそそぎ、稽古あがりのおすもうさんは境内でたむろしている。のんびりと時間が流れる穏やかな風景は、九州場所ならではのこと。
平成29年11月1日
宿舎成道寺(じょうどうじ)は唐人町駅から徒歩1分もかからない町中のお寺だが、境内は広々としていて静寂感につつまれている。力士の宿泊場所となっている本堂の階段に腰かけると、周りに木々が茂る石畳の参道が山門までまっすぐに延び、気持ちものびやかになってくる。力士はもちろん親方衆や行司、呼出し、みんなの安らぎの場になっている。季節は違うが、春の海 ひねもす(終日)のたり のたりかな という句のような時間がながれている。
平成29年11月4日
今年の学生横綱を決める全国学生相撲選手権が行なわれ、TVの前に集まっての観戦。朝乃山をはじめ玉木や村田も、昨年、一昨年まで出ていた大会だけに、仕切りの緊張感や次の試合との間など鮮明な記憶が残っていて臨場感あふれるTV観戦。近畿大学、東洋大学ともに上位まで勝ち進んだものの横綱はならず。それでも後輩たちの活躍は大いに刺激になったよう。そして夜は、日本シリーズ観戦。
平成29年11月6日
日中は小春日和の暖かな日差しがあるとはいえ、日蔭は空気の冷たさが感じられる日々。朝夕は冷え込みもかなりある。稽古は番付下から順に行っていき、番付下位の力士は早めに稽古を上がってちゃんこ番の手伝い。だいたい朝達家、朝塩本の17歳コンビだが、まずは体に付いた泥と砂を流さなければならない。東京や大阪では風呂が稽古場の外なので、マワシを外しお湯のシャワーで砂を流しマワシを締め直せばよいが、九州場所は稽古場内に風呂があるので、それができずチャンコ場に来て、外でマワシを締めたまま四つん這いになりホースで水をぶっかけてもらう。見ている方は凍えそうになるが、本人たちは冷たいと奇声を発しながらも水遊びを楽しんでいる風でさえある。これも九州場所風物詩のひとつ。
平成29年11月9日
今年初のアラの差入れ。ところが、ちゃんこ長大子錦が体調不良でダウン。「さぁ困った・・・」という時に頼りになるのは藁巣坊さんで、ランチを終えて駆けつけてくれ、プロの包丁さばきみせてくれる。巧みな包丁さばきを次期ちゃんこ長を狙う(?)朝ノ島、朝森本、朝大門の三力士が取り囲むように見学。それを朝弁慶が動画撮影。プロの技を見て盗んで実践して覚えていく。さっそく削いだ皮を素揚げにして塩を振って食べる。まことに美味。これも九州場所ならではのこと。
平成29年11月10日
取組編成会議。初日と2日目の取組が割られる。西前頭11枚目朝乃山は初日隠岐の海、2日目勢。高砂部屋幕下以下取組は、初日が3人で2日目が12人と偏った。一人少ないのは大子錦体調不良で休場のため。明日土俵祭で触れ太鼓が博多の街へと繰り出す。相撲人気高騰のお陰か、唐人町商店街では藁巣坊を含め8軒の店を回ることになっているそう。午後6時台唐人町商店街に来れば、触れ太鼓の響きと、呼出し利樹之丞隊の呼び上げ 「○○には○○じゃんぞ~え」が、たっぷりお楽しみいただけます。
平成29年11月12日
秋晴れの爽やかな九州場所初日。西前頭11枚目に番付を上げた朝乃山、実力者隠岐の海相手に、秋晴れのごとくすっきりとした会心の相撲で初日。先場所に引き続きの活躍が期待される内容ある相撲。勝越せば三段目昇進成る朝横道一勝目。三段目朝天舞、幕下玉木も初日を飾り4戦全勝の高砂部屋初日。
平成29年11月13日
先場所に引き続き怪我による休場者が後を絶たない。怪我した本人が一番無念で苦しむのだが、せっかく盛り上がってきた大相撲人気にも水を差しかねない。どうすれば怪我を減らせるのであろうか?なぜ怪我をしてしまうのであろうか。膝や足首を怪我するときには、膝や足首が変に内側に入り、骨の並びが揃わなくなってしまう。そこへ大きな力や体重がかかると、グキッと痛めてしまう。朝乃山2連勝ならず。朝弁慶、村田は白星スタート。
平成29年11月14日
骨の並びがそろっていれば、相撲を取るなかで怪我をすることは、まずない(はずである・・・いつか科学的にも実証しなければならないが)。骨の並びをそろえるために、「腰割りの構え」があり、「四股」があり、「テッポウ」がある。
平成29年11月15日
関節に変な角度で大きな力が加わったときに怪我をする。骨の並びがそろっていると、膝や足首など一つの関節で力を受けることなく、骨格の構造全体で力を受けることができるから、個々の関節への負担は最小限になる。骨の並びをそろえるために四股を踏む。腰割りの構えから足を上げ、腰割りの構えに戻るのが四股。前傾姿勢になったり深くしゃがみ込んでしまうと骨の並びがそろわない。玉木、朝天舞、朝横道、朝ノ島が2連勝。
平成29年11月17日
腰割りとスクワットは混同されやすいが、根本的な違いがある。スクワットが下半身の筋肉、とくに大腿四頭筋を鍛えるためのものなのに対し、腰割りは、腰を中心(要)として全身で力を発揮するための構えをつくるためのもの。全身をつなげるために上体を真っすぐに保つ。朝乃山、好調安美錦を豪快な上手投げで下し2勝目。今日の一番は、ずいぶん気を良くしたようで、明日からが楽しみ。幕下朝弁慶、村田、序二段朝横道3連勝。
平成29年11月18日
『転ばぬ先のシコ』を書くにあたって筑波大学の白木仁教授にいろいろお話をうかがった。プロスポーツ選手の指導実績も多々ある白木教授は股関節研究の第一人者として知られ、腰割りに関するデータも数多く研究論文として発表している。『転ばぬ先のシコ』の中でも紹介しているが、筋電図をみるとスクワットが太ももの前だけ使っているのに対し、腰割りは後ろやお尻(大殿筋)もよく使っていてその違いがわかりやすい。幕下朝弁慶、村田4連勝での勝越し。
平成29年11月19日
今回の白木教授との話の中で印象に残ったのが、「膝関節外旋トルク」の話。スクワットで膝を曲げていくと、大腿骨(太ももの骨)と脛骨(スネの骨)の間にねじれが起き、半月板への影響があるといい、膝に障害のある人や高齢者は逆に膝を痛めてしまう場合もあるとのこと。ところが腰割りでは、膝を曲げていってもねじれがまったく起きないので、膝に障害のある人でも安心してできるのだという。朝山端、朝ノ島、勝越しリーチとなる3勝目。朝乃山も3勝目。
平成29年11月20日
三段目5枚目の朝山端、勝越し。来場所からの幕下昇進をほぼ確実なものとした。相撲未経験者ながら3年足らずでの幕下精進は、なかなかのスピード出世。ボディビルダーからの転身で、当初、内臓や神経系の病気を患うことも多く、寝込んでしまうことが多々あったが、ここ1年ほどは力士稼業にも慣れ、体型もお相撲さんらしくなってきて力が発揮できるようになってきた。幕下に上がると博多帯を締めることが出来、冬に外套を羽織ることもできる(高砂部屋では2場所目からだが)。幕下の全勝2人(朝弁慶、村田)に土。
平成29年11月21日
今年一番かと思えるほど朝の冷え込みが厳しい福岡。冷え込みが厳しくなると、水道の水の冷たさが身に沁み、水しか使えない地方場所の洗いものは本当につらい。三段目以下の若い衆がちゃんこの手伝いと洗いものをやるが、冬場の洗いものは手のあかぎれがひどくなり、その手でまわしを掴みにいくとさらに出血してと、痛みと共にの日々がつづく。幕下に上がると、そのちゃんこ番が免除になる。きのう幕下昇進を確実なものにした朝山端、博多帯よりも外套よりも、ちゃんこ番で洗いものをやらなくてよくなると思うと、思わず涙がこぼれそうになったという。序二段10枚目の朝横道、初の三段目昇進を確実なものにする嬉しい勝越し。
平成29年11月25日
幕下6枚目の朝弁慶6勝目。明日千秋楽の十両下位の力士の勝敗いかんでは関取復帰の可能性もなきにしもあらずの状況。15枚目玉木も元関取富士東を破っての勝越し決定。一昨日から顎下の蜂窩識炎を患い病院で点滴をうちながらの取組だっただけに喜びもひとしお。突っ張りが顎にも入り痛みを堪えながらの白星。朝ノ島も勝越し。朝乃土佐、朝大門も昨日で勝越しを決めており今場所も10人の勝越し。
平成29年12月2日
稽古休みの1週間はあっという間で、今日は家財道具一切を大牟田の倉庫へ引っ越し作業。巡業組は長崎大村市へと出発。高砂部屋からは伊予櫻、木村朝之助と付人朝大門(初巡業)、木村悟志、横綱鶴竜の付人として神山が参加。朝乃山は足の怪我治療のため巡業を休んで帰京。治療と部屋での稽古(準備運動程度になろうが)に専念する。お世話になった唐人町成道寺を後片付けして明日お昼過ぎの相撲列車(新幹線一部車両)にて残り番も全員帰京。
平成29年12月6日
2015年1月に新しく刊行された『相撲ファン』(大空出版)は、年2回ほど不定期に出され今書店に並んでいるのが6号目(九州場所前に発売)。写真満載かつ相撲愛に溢れた記事もディープで興味深い。特集は「角界の愛情。絆の物語」と題して「相撲がある町」のなかで高砂部屋平塚合宿が紹介されている。また「相撲ある町ー唐人町」では藁巣坊や唐人町商店街が魅力たっぷりに。紹介が遅くなりましたが、必見です。
平成29年12月7日
再度、「腰割りとスクワットの違い」について。双葉山が四股を踏む姿は映像に残っている(DVDやユーチューブ等)。稽古場の四股も横綱土俵入りの四股も、腰割りの構えから始まり、腰割りの構えにもどる。深くしゃがみ込むことはない。当時の力士は、みなそういう四股を踏んでいる。腰はあくまでも膝と同じ高さで、腰が膝より下がることはない。一方、現代の力士の四股は、足を下ろした後さらにしゃがみ込む。深くしゃがみ込むから腰は後ろに逃げ、スクワットに近い構えになる。
平成29年12月10日
筑波大学白木教授の「腰割りとスクワットの違い」の様々なデータは大変興味深い。もし、四股を踏んでいる双葉山と現代の力士の筋電図がとれたら、白木教授のデータのような違いがみられるはずである。腰割りの構えのまま重力を使ってなめらかに足を上げ下げする双葉山の四股に対し、現代の力士の四股は、軸足に負荷をかけて足を上げ、足を下ろした後さらに深くしゃがみ込み前傾姿勢になる。双葉山は、およそ20年間にわたる現役生活のあいだ、怪我らしい怪我をしたことがなかった。
平成29年12月11日
“四股は羽目板の前で踏め”という格言がある。上体を前傾させないための言葉である。双葉山は著書のなかで怪我をしなかったことについて触れ、「平素から“基本の型”に則った相撲をとろうと心にかけ、ひそかに“型はずれ”を戒めてきた」と語っている。上体をまっすぐに立てると腰は膝の高さでとまってしまう。骨格の構造上、それ以上深くしゃがみ込むことはできない。“四股は羽目板の前で踏め”という言葉は、体の大きな力士が怪我をしないための基本の型を骨身にしみさせるための言葉なのではないかと思う。
平成29年12月13日
下半身の筋肉に負荷をかけ筋肉を太く強くするためのスクワット。負荷を全身で受けるように膝を開き上体をまっすぐに立てる腰割り。似たようなものにおもえる両者は根本的に違う。足を上げ下げする四股は、スクワットに近い前傾姿勢で踏むのと、上体をまっすぐに立て腰割りの構えのまま踏むのとでは、使う筋肉、骨の並びやねじれ、あらゆることが違ってくるであろう。下半身の筋肉を鍛えるのには有効なスクワットの構えや動きは、相撲にとっては“型はずれ“になるのではなかろうか。
平成29年12月19日
昨日18日(月)が年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティー。一年前は、明治11年創設以来つづいた関取が途絶えることとなり寂しさもあったが、今年は朝乃山の入幕と幕下力士の躍進で集まった大勢のお客様も笑顔あふれる会場。正面舞台横には、朝乃山の5本の化粧回しが飾られ宴に花を添えた。相撲甚句やゲストの歌、高砂部屋グッズやおかみさんセレクトの豪華おもしろクリスマスプレゼントが当たる抽選会などで盛会となった。24日(日)がお餅つきで、26日(火)番付発表。今年も残りわずか。
平成29年12月26日
新年初場所番付発表。朝乃山は西前頭16枚目。幕下、朝弁慶は東の2枚目で村田が東8枚目。玉木は西10枚目。朝興貴が54枚目で新幕下昇進の朝山端は四股名を朝鬼神(あさきしん)と改名して57枚目。新三段目昇進の朝横道は自己最高位を大きく更新する49枚目。三段目99枚目に残った朝森本は朝虎牙(あさこが)と改名。序二段では朝塩本が自己最高位を更新する40枚目。明日土俵祭で年内は29日まで。新年は3日が稽古始め。
平成29年12月31日
29日稽古終了後、力士は稽古場土俵内に、力士以外(親方、裏方)は上り座敷に全員集合して師匠から訓示。最後は朝乃山音頭での三本締めにて平成29年の稽古納め。その後、おかみさんからひとり一人お年玉をもらい、ちゃんこを食べ掃除して、銘々時間に合わせて帰省。毎年恒例の若者会年間最多勝は、1位が村田の27勝(8敗)。同率2位に25勝(17敗)の朝天舞と朝横道。上記3名が賞金を獲得。元々実力のあった村田や番付を落としている朝天舞は当然の成績として、朝横道の27勝は称賛に値する成績。
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