過去の日記

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平成30年1月1日
あけましておめでとうございます
旧年中は高砂部屋を応援いただき誠にありがとうございました。本年もよろしくお願いします。平成30年は戊戌(つちのえいぬ)。戊(つちのえ)は茂に通じ繁栄を意味し、戌(いぬ)は枯れた木を表し滅亡・終わりを表すという。陰陽五行では、戊も戌も「陽の土」で、同じ気が重なると良いこと悪いことがはっきり分かれるのだそう。大相撲も陰陽五行のなかにあり、土俵が「土」。戌年生まれの朝乃山が土俵上で陽の活躍をみせてくれる一年になってもらいたい。
平成30年1月2日
60年前の戊戌は昭和33年。1月場所は、栃錦、吉葉山、鏡里、千代の山の4横綱に若乃花、朝汐、松登の3大関の番付。大関若乃花が13勝2敗で2回目の優勝を飾り場所後に横綱昇進。途中休場の吉葉山と9勝6敗だった鏡里が引退。3月場所後に琴ケ濱が大関昇進。7月名古屋が本場所となり、この年から年6場所制となる。行司の年寄襲名制がなくなり、65歳定年制が発足。確かに、繁栄と終焉がはっきりあらわれている。
平成30年1月4日
昨日1月3日が稽古始め。但し昨日は、四股やすり足等とぶつかり稽古のみで、新年恒例のお墓参りに行ったので、本格的な稽古は今日から。何かと行事の多かった12月から正月にかけ慌ただしい日々がつづいたが、今日から日常の生活にもどった感じ。初日が14日と一番遅い日程なのも気分的に余裕をもって稽古をはじめられる。明日5日は横審総見稽古。幕下10枚目以内、十両・幕内は8枚目以内が参加。1月場所は相撲教習所土俵で行われ一般には非公開。
平成30年1月5日
今日から高砂部屋に新しい顔が一人加わった。東(ひがし)恒汰君で、高知県出身の18歳。現在明徳義塾高校3年生で相撲部に在籍。実家は高知県四万十市で、相撲は高校入学後にはじめたという。高砂部屋高知合宿にも参加しているから、力士たちともすでに顔なじみ。180cm117kgの体格で、来週水曜日1月10日の新弟子検査を経て正式入門となる。
平成30年1月6日
横審とは、横綱審議委員会のこと。昭和25年春場所後、当時の横綱(東富士、照國、羽黒山)の成績不振がつづき非難ごうごうの事態を受け横綱格下げ論まで起こり、相撲に造詣の深い有識者に横綱推挙をしてもらおうと設置された。初代委員長は無類の相撲好きで姫路藩酒井家を継ぎ「相撲の殿様」と呼ばれた酒井忠正氏。委員として石井光次郎、石井鶴三、阿部真之助、舟橋聖一、成瀬無極、小笠原道生、辰野隆、西野忠次郎、尾崎士郎の各氏が選ばれた。
平成30年1月8日
成人の日。高砂部屋では、朝横道が今年成人式を迎える年齢。成人の日を迎えた力士は、おかみさんに履物をかってもらうことになっていて、三段目昇進を決めている朝横道は雪駄がプレゼントされた。ただし履けるのは今場所勝越すか、負け越しても三段目に留まる2場所目から。2年後には朝達家と今場所入門する東君が成人式。朝塩本は3年後。それまでに、雪駄をもらえるようになっているかどうか。
平成30年1月9日
2年半前の平成27年9月場所後に十両昇進を決め、一年間関取として土俵を務めた朝弁慶、昇進を決めた2年半前頃から蜂窩識炎を患い、さらに膝の悪化等も重なり、稽古らしい稽古ができずに苦しんでいた。先場所あたりからようやく四股の力強さも戻ってきていたが、今場所は久しぶりに関取とも稽古できる状態まで良くなってきた。久しぶりの朝乃山との稽古の感想を聞くと、「重い」。以前と体重はさほど変わらないが、重さが格段に増したという。重さが増した朝乃山との稽古で重戦車ぶりを磨き、1年半ぶりの関取復帰を目指す。
平成30年1月10日
新弟子検査が行われ高知県出身明徳義塾相撲部の東(ひがし)君も受検。身長、体重等の体格検査は無事合格。血液検査などの診断結果を経て正式な入門決定となる。9名の受検者がいたそうだが、横綱大鵬の孫であり関脇貴闘力の息子である埼玉栄高校3年生の納谷君が注目の的で大勢の報道陣がつめかけたそう。明後日金曜日に心電図検査や体脂肪測定も行なわれ、3日目から序ノ口取組前に前相撲が取り組まれる。朝東(あさあずま)の四股名で土俵に上がる。成績に関わらず8日目に出世披露。
平成30年1月11日
現在稽古は、朝達家と朝塩本の三番稽古からはじまる。そこへ今日から朝東も参戦。相撲を取るのは久しぶりだろうが、それほど息をきらせることもなくそこそこ番数をこなし、最初はなかなかめが出なかったが(勝てなかった)、さいごの方は双差しから朝塩本を寄りきる相撲を2番見せた。朝達家と朝塩本にとっても兄弟子の意地をみせるべく、気合の入った稽古がくりひろげられた。関取は、幕下相手に迫力ある稽古をみせ順調な仕上がり。全力士、大きな怪我もなく3日後の初日を迎えられそう。
平成30年1月13日
初日を明日に控え、土俵祭がおこなわれ、午前11時前高砂部屋稽古場にも触れ太鼓の高らかな響き。初日の割り(取組)を呼び上げられ、中入り後最初の取組が、朝乃山には大奄美。横綱3番、鶴竜には北勝富士、稀勢の里には貴景勝、白鵬には阿武咲。取組開始は8時35分、十枚目(十両)土俵入りが2時5分、土俵入り後の幕下上位5番に玉木、村田と登場し最後は朝弁慶。平成30年戊戌の初場所、どんな幕開けとなりますか・・・。
平成30年1月14日
満員札止め、晴天の初場所初日。朝乃山、はじめて大銀杏を結っての幕内での土俵。記念すべき日を、得意の右四つ左上手から休まず攻め会心の上手投げでの初白星。今場所の、今年一年の活躍を予感させる白星スタート。幕下は、朝興貴が白星を勝ち取るも、上位三人は黒星スタート。
平成30年1月16日
今日から前相撲。注目の大型新弟子納谷の相手は高砂部屋朝東。白星ならずだったが、NHK総合TVでも朝東の取組が紹介され全国デビュー。地元高知では新聞等でもかなり紹介されているらしい。富山の地元紙の一面を連日飾っている朝乃山、今日も会心の相撲で3連勝。明日も大きな見出しで紹介されるであろう。久しぶりに大銀杏を結って十両での取組だった朝弁慶は白星ならず。
平成30年1月25日
序二段45枚目の朝ノ島、2連敗のあとの4連勝で勝越し。これでようやく5人目の勝越し。幕下以下は残り1番となって負越しがすでに8人。3勝3敗で最後の一番に勝越しをかける力士が3人。全員勝ち越してくれると五分の成績になるのだが。朝乃山、今日の勝越しならず。朝乃土佐、膝の怪我を悪化させて今日から休場での不戦敗。
平成30年2月2日
朝赤龍引退相撲がいよいよ明後日に迫り、準備も最終段階。断髪式でハサミを入れるお客様の座席を決めリボンにチケットや土産引換券をクリップで止め花をつける。引退相撲終了後に行なわれるパーティーの引き出物とお礼状をセットにして紙袋に入れと、今週月曜日からおこなってきた作業の仕上げ。錦島親方(元朝赤龍)は、最後の土俵入りの手順ををうす暗い本土俵下でリハーサル。当日は、午前11時半より幕下・三段目決勝正五番(五人抜き)、相撲甚句、髪結い実演、初切などのお好みから横綱土俵入りや取組まで。涙と感動と笑いが満載の一日となります。
平成30年2月3日
“お好み”とは、巡業や花相撲で行われる余興のこと。明日最初の“お好み”は「幕下・三段目決勝正五番」。高砂部屋チーム5人(朝鬼神、朝興貴、玉木、村田、朝弁慶)VS高砂一門チーム5人(千代の勝、海士の島、池川、極心道、千代の海)による5人抜き。つづいて「相撲甚句」。その後十両土俵入があり、朝乃山がモデルになっての「大銀杏実演」。十両取組後に木村朝之助先導による「朝赤龍最後の土俵入り」はマワシ姿の長男も一緒。高三郷と勝武士による「初切」のあと断髪式に入り、断髪式後に花束贈呈、横綱鶴竜の「綱締め実演」、幕内・横綱土俵入りとつづき、「櫓太鼓打分実演」は呼出し利樹之丞。幕内取組と弓取式で打ち出しとなります。
平成30年2月5日
昨日の朝赤龍引退相撲、みなさまのご協力で大盛況のうちに無事おえることができました。ありがとうございました。最後の土俵入りの雄姿や小学校三年生の長女のサプライズなお手紙に国技館内は感動と涙につつまれました。
平成30年2月15日
初場所初日が遅かった分、千秋楽は月末となり引退相撲ありと、あっという間に大阪行きが近づいてきた。今度の日曜、2月18日から先発隊が大阪へ出発する。今週は大掃除と荷づくりに追われる日々。26日(月)が番付発表。
平成30年2月18日
先発隊大阪宿舎久成寺(くじょうじ)入り。20数年前から恒例になっている師匠の大学の後輩である嶋川さんに新大阪駅まで迎えにきてもらい、お昼過ぎに宿舎入り。寝る部屋のゴザをはり、荷物や布団を入れ込み寝床を確保する。迎えに来てくれた皆さまとちゃんこ朝潮鴫野店で一年ぶりの再会を祝しながらの晩飯。先発隊は今日から6週間に亘る大阪での生活のはじまり。
平成30年2月22日
先発隊で入った18日(日)から朝晩の冷え込みはあるものの雨に降られることはなく、先発隊の仕事も順調な進み具合。今日稽古場が完成して、各部屋のセッティングもほぼ出来上がり、皆を迎え入れる準備はおおよそ完了。そろそろ番付発表の日に発行する高砂部屋便りの作成にとりかからなければならない。今月は朝赤龍引退相撲特集号の予定。その錦島親方は2月25日(日)の新幹線相撲列車の引率親方として大阪入りする。
平成30年2月24日
明日25日は東京マラソンが行なわれ共催の読売新聞には注目選手が紹介されている。昨日23日は旭化成の市田孝選手(25)の紹介で、興味深い話が載っていた。チームにケニア人選手が加入して合宿でいろいろ話を聞く機会があり、朝練の仕方を変えたのだと。何も食べずに空腹状態で、それまでより長めのジョギングをくり返したら、40キロ走でもスタミナ切れを起こさなくなったという。相撲の稽古を朝飯を食べずに行うとき、エネルギーが体の芯から湧き出てくるのと同じ回路が体のなかで動き出すのであろう。明日の走りに注目したい。
平成30年2月25日
全員大阪乗り込み。午後6時より、ちゃんこ朝潮徳庵店にて大阪場所乗り込みの日恒例の大阪高砂部屋後援会特別会員とのちゃんこ会。一年ぶりの旧交をあたためる。三月場所で初土俵を踏む東洋大学出身寺沢樹(いつき)君も仕着せを着て新幹線の相撲列車での大阪入り。寺沢は、新潟県佐渡市の出身でレギュラーとして全国学生相撲選手権団体優勝に貢献し、選抜宇佐大会での優勝があるものの主要大会で結果を残せなかったため前相撲からのスタート。明日番付発表。
平成30年2月26日
春場所番付発表。朝乃山は、ちょうど3枚上がって西前頭13枚目。幕下では、朝弁慶が一枚半の降格で西3枚目。村田13枚目、玉木19枚目とつづき、先場所5勝の朝興貴が37枚目まで番付を戻す。初幕下から陥落した朝鬼神に代わり朝天舞が一年半ぶりの幕下復帰。三段目62枚目と自己最高位に番付を上げてきた朝大門、あさおおかどをあさだいもんと地味に改名。改名ばやりで朝横道が朝心誠(あさじんじょう)、朝達家が朝童子(あさどうじ)、朝塩本が朝阪神(あさはんしん)と改名。
平成30年3月2日
全員乗り込みの18日(日)からほぼ1週間。この1週間あまりが一番忙しく落ち着かない日々がつづく。乗り込みの日のちゃんこ会に番付発表。土俵祭にちゃんこの開始と、行事が次から次へと続き、一年ぶりの大阪宿舎での日常生活も始まったばかりでまだ軌道に乗れない。明日の激励会と土日の大勢のお客さんを乗り切ると、日々の生活も落ち着いてくる。宿舎久成寺下、高津神社横の梅の花が咲き誇り、春近しと告げている。
平成30年3月4日
昨日3月3日、3月場所新弟子検査。高砂部屋からも寺沢樹(いつき)が受験して43人が体格検査に合格。初日に発表される内臓検査の結果を待って正式な入門となる。寺沢は、新潟県佐渡市出身。金沢市工から東洋大学へと進み182cm125kgと、さほど恵まれない体格ながらスピード感あふれる取り口で団体戦レギュラーとして2年連続の全国学生選手権団体優勝に貢献した。昨晩は恒例の高砂部屋激励会。1000人近いお客様が集い、春場所での高砂部屋の活躍を期して祝した。
平成30年3月6日
ここ数日暖かな日がつづいていたが、全国的な寒の戻りで夕暮れからは寒風吹きすさぶ大阪。昨日今日と、朝乃山はじめ半数近くの力士が近大へ出稽古に出かけ、少しさびしい稽古場となったが、今朝は錦戸部屋から二人、関西大学アメフト部の学生が6人来て賑やかになった。コノミヤ芋縄社長が関西大学アメフト部OBの関係で毎年稽古に参加している。
平成30年3月7日
ベースボール・マガジン社から双葉山が著した『新版 横綱の品格』が出版された。双葉山は寡黙で知られ、自らについてはおよそ語ることのない人だったが、年寄時津風として理事長に就任する前年の昭和31年、『相撲求道録』を黎明書房から刊行している。その本を昭和54年にベースボール・マガジン社が復刻。その後、平成20年に同書は新書『横綱の品格』というタイトルで出版された。双葉山没後50年にあたり、装丁新たにその名著が復刊された。表紙は神々しく若々しい双葉山の横綱姿。帯には、人生に誠実たれー横綱とは。人間とは。生き方の本質がここにある。と、いう文字。相撲に関わる全ての人に、相撲に何となく違和感を持っている人に、ぜひ一度は手にとって読んでもらいたい。
平成30年3月8日
双葉山の著書『横綱の品格』は、生い立ちから入門の経緯、新弟子時代の思い出、相撲に対する思いや考え、弟子のこと、各界の人々との交わり、信仰、・・・双葉山の人生と思いが語られている。全編を通じて印象的なのが、淡々と静かに語られていることである。それだけに読めば読むほど深く沁み入ってくるものがある。今日も十両の水戸龍はじめ錦戸部屋力士達が出稽古にくる。
平成30年3月9日
双葉山は69連勝の金字塔を打ち立て、その土俵人格は神のようだと崇められ、国民的英雄だった。また、時津風理事長としての功績も数知れない。こんなにすごい人が、50年前まで日本に生き相撲協会にいたことを誇りに思い、多くの方々に双葉山を知ってもらいたいという想いが強い。数々の記録や強さ、業績の素晴らしさはもちろんだが、一番すごいと思うのは、その静かさである。あれだけの人気にもかかわらず人気に酔わず、驕らず、高ぶらず、静かさを貫いた。69連勝中の双葉山と会食した『宮本武蔵』を執筆中の吉川英治が、その場で色紙にしたためたのが、「江戸中で一人さみしき勝相撲」の一句。双葉山本人も、わたし自身の心の奥に秘められた、ひそやかな心情の一端に触れるものを含んでおり知己の感を禁じえない、と語っている。
平成30年3月10日
午後12時半ころ宿舎久成寺の玄関先に触れ太鼓が響き渡り、明日の割り(取組)が呼び上げられる。朝乃山には大翔丸、栃ノ心には宝富士。高安は遠藤で、結びが鶴竜に千代大龍。取組開始は8時35分で、三番目に朝東が登場。前相撲は2日目から開始だが、2班に分かれ高砂部屋寺沢はB班なので3日目から。大子錦が体調不良で休場。いろいろ周りが騒がしいだけに、より一層集中していい相撲を見せてほしい。
平成30年3月11日
天気晴朗なれど冷え込みはまだまだ厳しい大阪場所初日。今場所から改名の朝阪神、初日の土俵に上がったら、すごい声援がおくられたという。「はんし~ん、がんばれ~」「あさはんし~ん」という声に交じって、「きょじん~」や「やくると~」という声も聞こえたそう・・・。朝阪神の命名者は、若松親方だろうという噂が広まっているそうだが、今回は本人による改名。大阪の熱狂的阪神ファンのためにも今場所は是非とも勝越さなければならない。
平成30年3月13日
昨日2日目から前相撲開始。3月場所は他の場所に比べ人数が多いため2班に分かれての取組。高砂部屋寺沢は、B班で奇数日(3日目、5日目、7日目、9日目)に土俵に上がる。3月場所は2勝すると出世となるので、今日3日目の初土俵を白星で飾り、次回5日目に勝つと一番出世となる。朝乃山2勝目。玉木、村田2連勝。朝阪神初白星。
平成30年3月15日
前相撲寺沢、今日2勝目を上げ一番出世披露。朝乃山に借りた緑色の東京バスグループの化粧回しを締めての晴れ姿。部屋に帰ってきて「おかげさまで、一番出世できました」「化粧回し重かったっす」と挨拶すると、村田が「俺だけ、化粧回ししめたことないんですよねぇ」とのこと。確かに三段目附出の村田は出世披露をやってなく、早く自前の化粧回しを締めなければならない。朝大門(あさおおかど)改め朝大門(あさだいもん)自己最高位で3連勝。改名効果か?
平成30年3月16日
兵庫県三木市出身の朝達家、今場所から朝童子と改名。四股名だけでなく下の名前も変えて朝童子三木(あさどうじみき)。入門して丸三年になるが、3月31日生まれなのでまだ17歳。童子なりにスピードと力もついてきて先場所序二段での初の勝越し。今日改名後初の白星を勝ち取り、2場所連続の勝越しを目指す。幕下村田と玉木ともに3連勝。
平成30年3月17日
ちゃんこ長大子錦が体調不良のため帰京したので、ちゃんこ長代理に神山が就き、朝ノ島、朝虎牙の二人が補佐としてちゃんこのメニューや買い出し等に奮戦している。大子錦不在となって一週間余り、ようやく新体制のリズムにも慣れてきたようで相撲の方も初日を出し、高砂部屋伝統の味を引き継いでいく。朝大門(だいもん)、“破竹”の4連勝。村田も4連勝。朝弁慶、十両の土俵で3勝目。朝乃山、栃煌山相手に会心の相撲で4勝目。
平成30年3月18日
ご当所大阪は泉大津市出身の朝塩本改め朝阪神、今日の取組に勝って2勝2敗と五分の星。数日前、北日本新聞社が取材したいといっていたので、「取材きただろう?」と尋ねたら、「はい、けっこう来ました!」とのこと。「え!なんで」と驚いたが、ネットのニュースを観て納得。「朝阪神が“竜虎対決”制し、勝率5割復帰 勝越しまで”マジック2”」の見出し。対戦相手が竜輝という四股名だった。大阪のスポーツ紙の一面は阪神記事一色だから、勝越したら一面に載るかも・・・
平成30年3月19日
愛知県名古屋市出身の朝横道、今場所から朝心誠と改名。あさしんじょうと読む。2年前の3月場所入門で、相撲未経験ながら早くも三段目中堅で相撲を取っている。入門に際してお父さんが心強く送り出してくれたそうだが、そのお父さんは息子の活躍を見届ける間もなく入門の年の7月に他界された。天国から見守るお父さんの名前「誠」を心に刻む朝心誠(あさしんじょう)の四股名。今日の勝越しはならなかったものの三段目での勝越しを天国の誠さんに届けたい。幕下3枚目の朝弁慶勝越し。13枚目の村田5戦全勝。残り2番に、再十両と新十両をかける。
平成30年3月20日
地元大阪は阿倍野区出身の朝虎牙。先の1月場所で朝森本から朝虎牙(あさこが)に改名。朝阪神ほどではないが、虎が入っているので大阪に因んだ四股名ともいえる。こちらは、十両格行司木村朝之助の命名。改名場所を4勝3敗と勝越し、今場所も勝越しまであと一つ。近畿大学出身だが、相撲部ではなくウエイトリフティング部出身。毎年大阪に帰ってくるたびに大きくなって親戚の叔父さんを驚かせている。朝乃山右四つ攻めの相撲で6勝目。
平成30年3月21日
三段目18枚目の朝鬼神勝越し。先場所、朝山端から朝鬼神と改名。入門丸3年になるが、入門前は大阪市内のトレーニングジムでトレーナーをやっていた。デッドリフト(バーベルを腰の位置まで持ち上げる競技)300kgの記録を持ち、ボディビルでも活躍していた。そのジムの代表者がプロレスラーのゼウス。幕下昇進を機に、敬愛する全能の神ゼウスに因んでの改名。残る一番、鬼神の如く突っ張って幕下復帰を果たしたい。朝弁慶、関取復帰を濃厚にする5勝目。
平成30年3月27日
一昨日25日(日)が春場所千秋楽。幕内朝乃山は残念ながら8勝止まりに終わったものの、西幕下3枚目の朝弁慶が、実質の入れ替え戦となった十両天風との一番に気合溢れる取り口で勝利をおさめ十両復帰をほぼ確実なものとした。明日の番付編成会議で正式に発表される。幕下上位で次の関取の座を狙う村田、玉木ともに5勝2敗の成績で、37枚目の朝興貴も勝越し。三段目18枚目の朝鬼神、5勝を上げて幕下復帰を濃厚にした。千秋楽パーティーは今年からのニューオータニ大阪にて開催。朝乃山の活躍を祝って富山からも大勢お客様が駆けつけ会場溢れんばかりの大賑わい。

編集中

平成30年4月2日
3月31日(土)に巡業組(朝乃山、朝童子、神山)は伊勢神宮へ向かい、残りの力士達は相撲列車(新幹線一部車両)にて帰京。今日から稽古再開。巡業は伊勢神宮を終え、今日は岐阜県中津川市。明日また大阪堺へもどり、京都舞鶴から姫路、宝塚を経て愛知県刈谷市へ。その後、静岡、信州から関東近県をまわり、4月16日(月)が靖国神社奉納相撲。一日休んで18日から千葉県柏2日間、町田、八王子、青梅、取手、笠間とまわり27日(金)越谷までの長丁場。4月30日(月)が番付発表。
平成30年4月6日
帰京しておよそ一週間。大阪から送った荷物をほどき整理して、稽古が始まり、ちゃんこも再開してと、しばらくは何かと慌ただしい日々がつづくが一週間たつと、だいたい落ち着いてくる。新弟子朝東と寺沢は相撲教習所通いの毎日。そして錦島親方も久しぶりの相撲教習所通い。教習所指導担当の親方に任命されたためで、幕下時代に現役指導員として通ったこともあるはずだが、それでも17~18年ぶりのこと。親方も7時にはマワシを締めて土俵に下りるので早起きも久しぶりであろう。土曜日は相撲教習所が休みのため、明日は新弟子も部屋での稽古。
平成30年4月8日
RCC中国放送の「カンムリ」という番組の取材。ドロンズ石本、横山雄二アナ、花田虎上の3人で「おちゃんこ倶楽部」というものを結成していて、部屋を訪ねてちゃんこを食べながら話をきくという企画。師匠と鍋を囲みながら、師匠のお母さんが花田氏の父親である大関貴ノ花のファンで、巡業中お願いして写真を撮ってもらった話や曙や若貴入門の頃の話、これからの相撲界についてなどなど様々な相撲談議に花が咲いた。
平成30年4月19日
肌寒い日がつづいたと思ったら、一転して初夏の陽気。一般的には、まだまだ衣替えには早いのだろうが、おすもうさんにとってはすでに浴衣の季節到来。真夏になると浴衣はかなり暑いので、今頃から5月場所にかけてが浴衣に一番いい季節であろう。一般人にとって略装である浴衣は、幕下以下の力士にとっては正装になる。関取りにとっては略装で、本場所の帰りや普段着としてしか着ることはできない。力士は、浴衣のときは必ず裸足でなければならない。
平成30年4月20日
場所入りのときの身だしなみについて、協会から通達が出されている。幕下以下は、場所入りの際も浴衣だが、関取になると正装で場所入りしなければならない。夏場(5月、7月、9月)は夏用の着物に羽織、もしくは夏用の着物に袴となっている。場所入りのときは裸足が許される。公式行事のときは黒紋付に袴を着け白足袋を履かなければならない。その他公行事では、 色紋付に袴で、足袋は黒足袋になる。また、場所入りや巡業での飛行機や列車の乗り降りの際には、幕内に上がると染め抜き(自分の四股名の入った着物)が可となる。
平成30年4月21日
履物も、番付によって違いがある。入門して前相撲、序ノ口、序二段までは下駄だが、三段目に上がると雪駄が履けるようになる。但し、2場所目から(部屋によって違うが)。高砂部屋でいうと、5月場所序ノ口の寺沢、朝東、序二段の朝阪神、朝童子はまだ雪駄が履けない。朝心誠は先場所から履けるようになった。関取衆の正装である黒紋付の時はエナメルの雪駄はダメで畳の雪駄を履かねばならない。したがって、畳の雪駄を履けるのは関取衆のみ。両国岡田屋が力士ご用達の店。
平成30年4月22日
畳(畳表)の雪駄を履くときは、白足袋を履かなければならない。それゆえ、白足袋をはけるのは関取衆だけになる。幕下以下は黒足袋。もっとも以前は、足袋をはいていいのは三段目からという慣わしもあったようだが、現在では新弟子が入ると黒足袋も必ず用意しておく。力士の足袋は二種類あり、普段着物を着るときに履くキャラコの足袋と、木綿製の厚地の稽古足袋が白足袋にも黒足袋にもある。稽古で足の裏がすれたときに足袋を履くが、黒足袋の幕下以下は片足のみしか許されない。関取に上がると、白の両足袋(両足の足袋)も許される。
平成30年4月23日
三段目に上がって雪駄を履けるようになるのが最初の目標であり喜びでもあるが、幕下に上がるとさらに身につけられるものが増える。幕下になると、博多帯が許される。冬場寒い時に外套を羽織ることができる。また、マフラーが許されるのも幕下から(もっとも、暑がりのお相撲さんはマフラーを巻くこともないが)。蛇の目の傘も幕下からで、三段目以下は、“顔じゃない”と怒られてしまう。
平成30年4月30日
5月場所新番付発表。朝乃山、一枚上がって西前頭12枚目。朝弁慶は、一昨年9月場所以来の十両で、西12枚目。幕下、村田7枚目で玉木12枚目。朝鬼神、一場所での幕下復帰。三段目で三場所連続勝越し中の朝大門、自己最高位を大きく更新して33枚目。朝虎牙も自己最高位の62枚目。朝心誠は、まさかの序二段落ちで、西の筆頭。番付の上げ下げには常に運不運がある。運を味方につけ不運を乗り越えるのも実力のうち。明日から稽古はじめ。3日は、一般公開の横審総見稽古、国技館土俵にて。
平成30年5月1日
土俵祭で稽古はじめ。朝弁慶、昨日(番付発表の日)から晴れて関取身分に戻り、稽古場でも白マワシ。白マワシが二人いると、稽古場が華やいでみえる。巡業の稽古で三段目力士をまわした(勝ち抜いた(二人だけらしいが・・・))と豪語している朝童子、久しぶりの部屋での序二段申し合い稽古(勝ち抜き稽古)。序二段相手にそんなに回せなかったが、横への動きが素早くなり、元三段目の朝心誠にもめをだしていた。朝乃山は玉木、村田と三番稽古。足の具合もさほど心配なさそう。
平成30年5月3日
明徳義塾相撲部が合宿に来て、昨日と今日の稽古に参加。高校相撲でも上位の常連校だけに、序ノ口で3勝4敗の朝東は後輩たちに分が悪いが、何番かはめをだしてプロとしての意地をみせることができた。10月に予定されている高知合宿までには、互角に戦える地力をつけたい。3年間指導した監督は、「顔が明るくなった」と、元気そうな朝東の様子に安心の笑顔。毎年恒例、湘南高砂部屋後援会の稽古見学日。
平成30年5月6日
昨日5月5日は、地元の後援会である本所高砂会の総会と懇親会。若松部屋時代から部屋を応援してくれる地元の会で、今年で25~26年にもなる。食卓を囲み、高砂部屋グッズの当たるジャンケン大会や撮影会、カラオケと、懇親を深めた。朝弁慶の十両復帰を祝い、最近ではめったに聞く機会がなくなった朝乃山の歌を聴き、最後は師匠とおかみさんのデュエットで和気あいあいのうちにお開き。歌といえば、今日の愛知県稲沢市からのNHKのど自慢に元朝闘士(朝小畑)が予選を勝ち抜いて出演していた(鐘ふたつ)。
平成30年5月11日
取組編成会議。横綱稀勢の里と大関高安が休場と寂しい割り(取組)となったが、朝乃山の初日は石浦、再十両朝弁慶は矢後との対戦。幕下は、十両土俵入りの前に玉木が登場して湘南乃海と、上位五番の2番目に村田が錦戸部屋極心道との対戦。取組開始は8時30分。序ノ口で寺沢、朝東が出場。その後序二段朝童子、朝ノ島、朝乃土佐、朝心誠、三段目で朝乃丈、朝虎牙、朝天舞とつづく。朝乃土佐は入門してすぐの平成12年7月場所以来となる序二段での取組。大子錦が休場。十両土俵入りは2時5分、幕内土俵入りは3時30分の予定。
平成30年5月12日
初日を明日に控え、関取二人は締め込み姿で稽古場へ。明日からの本場所に備え、体に締め込みを馴染ませるため。およそ一年半ぶりの関取復帰の朝弁慶、一年半前よりも体が絞られ、締め込みの後ろがずい分あまっている。稽古後、長くなった分を切ってもらい、切り口がほつれないようミシンをかけ直して久しぶりの十両での土俵に臨む。呼び上げる呼出しは邦夫。これも久しぶりのこと。午前10時半過ぎ、土俵祭を終えた触れ太鼓が、稽古場で明日の取組を呼び上げる。
平成30年5月13日
序ノ口寺沢から朝東、序二段朝童子と三連勝の好スタートだったが、朝ノ島がつまずいたあと5連敗と、今日の天候と同じに湿りがち。最後は朝乃山が快勝して締めてくれたが。解説の北の富士さんが話していたように、昔は雨の日は高下駄に蛇の目の傘で場所入りという姿が定番だったが、最近は雨の日でも雪駄のままの力士のほうが増えた。蛇の目の傘を差せるのは幕下から。高砂部屋十両格行司木村朝之助が初日後半戦の場内アナウンス。
平成30年5月14日
幕下に上がると博多帯を締めることが出来る。高砂部屋では師匠の方針で2場所目から許される。幕下2場所目の朝鬼神、場所前におかみさんからプレゼントされた帯を締めての場所入り。得意のパワー溢れる突っ張りがさく裂しての白星スタート。幕下に上がると、外套やマフラー等も許され普段の装いは関取衆と変わらなくなる。また、ちゃんこ番からも解放される。仲間内では一人前とみなされる所以。朝弁慶、重戦車相撲で貴ノ岩を攻め込むも白星ならず。朝乃山、前に攻め右差して会心の2連勝。
平成30年5月15日
朝乃山、今日も攻める相撲で3連勝。その朝乃山と場所前いい稽古を行っていた幕下玉木、稽古場通りの力を発揮しての2連勝。三段目朝大門、序二段朝童子も2連勝。
平成30年5月17日
幕下7枚目の村田、三重県志摩市の出身で地元の道場で相撲をはじめ、高校は相撲どころの石川県に行き、金沢市立工業高校から東洋大学へとすすんだ。金沢での高校時代、同学年でしのぎを削ったのが金沢東高校の中村選手。その中村選手が今日の対戦相手の炎鵬。同じく昨年3月場所に入門して、今年初場所での対戦では村田が敗れ、関取昇進と先を越されたが、今日の対戦では雪辱を果たした。これからお互い番付を上げていって対戦をくりかえしていくことであろう。
平成30年5月18日
幕下朝鬼神、今日の相手は幕下上位経験もある実力者。その実力者相手に臆せず、回転のいい突っ張りをくりだして3連勝。持ち前のパワーに回転が加われば鬼に金棒。1月場所の初幕下のときは2勝しかできなかったので、すでに1月場所の白星を上回り、地力をつけたことを示している。勝越しまであと一つ。玉木は3連勝ならず。朝乃山4勝目。
平成30年5月19日
幕下12枚目の玉木、今日の相手は荒汐部屋若隆元で、昨日対戦した若元春の実兄。若元春とは同学年で高校相撲でしのぎを削った仲。三兄弟共に力士で、一番下の弟が今場所新十両の若隆景。その若隆景は、東洋大学で村田の同級生と高砂部屋とも縁がからみあっている。小学校から同じ相撲道場で稽古してきた玉木、村田共に3勝目を上げ、後半戦の土俵へ弾みをつける白星。朝大門も自己最高位で3勝目。寺沢、腰の怪我のため今日から休場。
平成30年5月20日
朝弁慶、うれしい初日。場所前から古傷の膝の調子が今一つで苦しい土俵がつづいていたが中日8日目にしての初白星。体の不調はすぐには良くならないが、昔から、白星が何よりの薬という通り不調をのりこえる力が湧いてくることであろう。幕下朝鬼神、4連勝での幕下初勝越し。序二段朝ノ島にも初日。
平成30年5月22日
埼玉県羽生市出身の朝大門(だいもん)、高校まで柔道や空手をやっていたが相撲経験はなかった。卒業後に就職した警備会社で高砂部屋OBが働いていた縁で部屋のもちつきに誘われ入門に至った。いわば脱サラ力士。器用な方ではないが、力が強く、性格的に調子に乗りやすいタイプで自己最高位の今場所も早くも10日目での勝越し。これで4場所連続勝越しとなり、幕下も近づいてきた。残り2番。幕下7枚目村田と、序二段25枚目朝乃土佐勝越し。
平成30年5月23日
幕下57枚目の朝鬼神、今日も勝って6連勝。学生時代は剣道部で、その後ボディビルダーとして大阪のトレーニングジムでトレーナーをやっていた。ジムはコノミヤ鴫野店の近くにあり、コノミヤの芋縄社長(おかみさんの実弟)に見染められ、社長の熱心なスカウトに口説かれての入門。相撲はまったくの素人だったが、入門3年と少しでのこの躍進は特筆すべきものがある。明後日13日目に7連勝そして幕下優勝をかけた一番に臨む。序ノ口朝東、入門後初の勝越し。幕下7枚目村田5勝目。三段目朝天舞も勝越し。
平成30年5月24日
近大相撲部卒で三重県伊勢市出身の玉木、お父さんも近大相撲部であった。お父さんの影響で小学生のころから相撲をはじめ、地元の中学を卒業後、大阪の近大付属高校、近畿大学と相撲部で活躍した。師匠や若松親方の影響はもちろんだが、2年前に亡くなった世話人の總登さんとお父さんが仲が良く、高砂部屋入門に至った。子どもの頃から世話になった總登さんに早く化粧回し姿をみせたいところだが、今日の勝越しならず。神山、朝乃丈も3勝3敗。朝乃山、7勝目。残り3日間、幕下以下は残り一番。
平成30年5月28日
昨日千秋楽。残念なことに朝乃山の勝越しならず。10日目安美錦戦で足を痛め、後半戦の土俵にひびいた模様。朝弁慶、13日目の相撲で、場所前から調子の悪かった膝を悪化させ14日目から休場。今場所序ノ口デビューだった寺沢(腰の怪我で途中休場)ともども、焦らず怪我を治して再起を図りたい。幕下村田が昇進の可能性もわずかに残す6勝目。朝大門、4場所連続の勝越しを5勝で締め、幕下へ大きく近づいた(来場所は三段目10枚目台?)。打上げは、いつもの両国KFCホールアネックス。大勢のお客さまで賑わった。
平成30年6月3日
今日で1週間の場所休みも終わるので勝越して実家に帰っていた力士も戻り、ガランとしていた大部屋がいつものにぎわいに戻っている。明日から再開される稽古にそなえ、土俵に浮いた砂を掃き取り、水を撒いてと稽古場にも日常がもどってきた。6月は巡業がないのだが、来週10日(日)11日(月)と下妻大宝八幡宮合宿のため土曜日から茨城に出発し、翌週17日の日曜日には名古屋場所先発隊が出発と慌ただしい。
平成30年6月6日
今日から関東地方も梅雨入り。アジサイはしとしととした雨に映えるが、お相撲さんにとってはつらい季節。汗がしみこんだマワシが乾かずに固くなりすぎて締め心地が最悪になる。稽古マワシは、雲斎木綿(帆布)と呼ばれる厚地の木綿製なので、湿気を含むとガチガチに硬くなってしまう。天日干しをすると元の柔らかさを取り戻すが、梅雨時は干せないのがつらい。雨の季節、高下駄に番傘を差したお相撲さんの姿はアジサイに負けず雨に映える。ただし番傘を差せるのは幕下以上だが。
平成30年6月9日
第8回わんぱく相撲下妻場所。近隣の小学1年生から6年生まで60名ほどが集まり、個人戦と学校対抗の団体戦を行なう。4年生以上の4位までの選手は県予選へ出場して、8月に国技館で行われる全国大会を目指す。土俵際でくるくるもつれ合う攻防や水入りの大相撲もあり、捌く行司木村悟志は「本場所より疲れます」との談。朝ノ島、朝虎牙がわんぱく相撲助っ人で大子錦がちゃんこ作りで先発隊として参加。午後3時半全員乗り込み先代宮司のお墓参り。夜、えびすやにて歓迎会。明日明後日7時半より稽古。
平成30年6月10日
茨城県下妻市大宝八幡宮合宿稽古初日。あいにくの雨模様にもかかわらず土俵を取り囲む観客席は満席。ちゃんこ場で300人前のちゃんこをつくる大子錦の補佐として力を発揮してくれるのが、"大宝のきみまろ"こと清ちゃん。毎年仲間数人でお手伝いしてくれていたが、みなさん体調を崩されたりして年々減っていき、今年は清ちゃんひとり。と、思ったら若手主婦連がお手伝いに来てくれ材料切りも短時間で完了。みなさんの協力で、それほど手を動かさなくてよくなった清ちゃん、口の動きはますます滑らかになって、ちゃんこ場は以前にも増す賑わい。
平成30年6月12日
巡業は、今でこそ体育館でしか行なわないが、昔は露天(野外)が多かった。露天興行で一番心配なのが雨。何とか持ちそうだと強行するが途中から雲行きが怪しくなり、ポツリ、ポツリ。 一応土俵の上は囲ってあるものの大雨が降ると、土俵も客席もたまったものではない。そういう場合、“逆どり”といって、通常結びの一番となる横綱から、大関、三役と逆順で取組を行ない、雨が激しくなったら打ち止め、ということもあった。実際新弟子の頃、夏巡業で茨城辺りだったか、一度経験したことがある。
平成30年6月13日
屋根付きの相撲常設館が出来たのは、明治42年6月。それまでは回向院内相撲場での晴天10間興行だった。相馬基著『相撲五十年』にその情景が記されている。「相撲場の周囲は戸板で囲み、天井には丸太を組み。その上に天幕を張り渡した。場内は13尺の土俵を囲んで、いわゆる砂かぶりから、雛段が一段ずつ高く築かれ、・・・(中略)・・・途中で雨が降ると、天幕の間から雨だれが落ちてきた。そして見物人が雨よけに騒ぎだし、取組が不能になると、入れ掛け(中止)になって、お客に翌日通用する「丸札」を渡した、とある。
平成30年6月16日
翌日晴れるといいが、翌日も雨だと、その翌日にもう一度触れ太鼓を廻さなければならなかったという。開催は、3日間も延びてしまう。それゆえ、10日間の相撲が一カ月かかることもあった。時は明治となり近代化がすすみ、相撲も梅ヶ谷・常陸山という両豪の台頭で人気を博したが、あの小屋掛けではという声が大きく、国技館建設へと機運が高まっていった。明日名古屋へ先発隊出発のため、荷物出し。大きな段ボール40個余り、ちょっとした引っ越し並みの荷物がトラックで名古屋へ。先発隊は明日朝に新幹線にて移動。
平成30年6月17日
先発隊名古屋入り。名古屋駅には例年のごとく鈴木さんが車で迎えに来てくれて、一年振り(いや3月大阪でも会ったが・・・)の賑やかな再会。蟹江龍照院の宿舎に着いて、苦労しながら古いプレハブのカギを開け、しまってある自転車を出し、荷物を出し、畳を敷いてバルサンを焚いてといつもの作業。1年ぶりの自転車はほとんど空気が抜けているので、お隣の寺西さんの倉庫のエアーコンプレッサーをお借りして空気入れ。これも30年近くつづいていること。
平成30年6月25日
名古屋場所番付発表。7勝8敗だった朝乃山は、一枚落ちて西前頭13枚目。十両朝弁慶は幕下4枚目で、村田が西の筆頭。玉木東9枚目、朝鬼神25枚目、朝興貴は51枚目。三段目では朝大門が4場所連続勝ち越しで東10枚目。4勝すれば幕下昇進が濃厚な位置。三場所連続勝越しの朝虎牙も46枚目まで上げてきた。
平成30年6月26日
名古屋場所稽古はじめ。新しくつくり直された土俵は、四股を踏んでいても実に気持ちがいい。土俵から、大地から、エネルギーを、気を、体に通してもらえる心地よさがある。7時からはじめた稽古の途中、土俵の砂を中央に集め御幣を立て、午前8時半より木村朝之助による土俵祭。土俵祭の日は、稽古場の北側のお家の方が、お祝いにとお赤飯を届けてくれる。これも、何十年と続いていることで、誠にありがたい。
平成30年6月29日
陸奥部屋霧馬山が3日前から出稽古に来ている。霧馬山(きりばやま)はモンゴル出身の22歳で、入門して3年と少し。先場所幕下で7戦全勝の優勝を飾り。今場所は幕下3枚目まで番付を上げてきたホープ中のホープ。その幕下優勝を決めた7戦目の相手が高砂部屋朝鬼神であった。決定戦を戦った朝鬼神はもちろん、朝興貴、玉木、村田等の幕下勢との申し合いや朝乃山にも胸を借り、連日泥まみれになっている。

編集中

平成30年7月1日
初日1週間前日曜日恒例の龍照院境内でのちゃんこと餅つきの会。以前は、町役場で「ちゃんこ教室」という形で地元の方々にちゃんこを振舞っていたが、平成19年から現在のように宿舎龍照院境内でおこなうようになった。炊き出し用の大鍋2つに、300人前以上のちゃんこをつくるので材料の野菜も箱単位。材料切りは地元の主婦連が手伝ってくれるが、かれこれ10年も泥ゴボウのささがき専門の方も。「ゴボウ専門で、60歳のときからやっとるわ~」と、包丁さばきも鮮やかに年に一度のちゃんこ祭りを楽しんでいるよう。まことにありがたい。
平成30年7月6日
本日の中日新聞夕刊、6~7面の見開きでは、“突き進め 地元の星”と題して、中部(愛知、三重、静岡、長野、富山、石川)出身力士を写真入りで紹介。番付順に、御嶽海、輝、千代の国と大きく紹介され、その横に少し小さくなって遠藤と朝乃山、それに十両志摩ノ海と明瀬山、そして幕下上位として村田、玉木の写真も。その村田、名古屋場所からはマゲを結う予定と紹介されていた通り、昨日5日の高砂部屋激励会でちょん髷姿を初披露。
平成30年7月7日
茨城県潮来市の木村洋氏が7月1日に突然亡くなられ、本日潮来で告別式がおこなわれた。木村さんは、6代目のときから高砂部屋を応援してくれ、7代目になってからも変わらず部屋を物心両面から支えてくれた。膝に痛みを抱えているのに、いつも笑顔で、まるで隣町へ来るかのように肉や野菜やお米等を潮来からわざわざ部屋まで届けてくれた。先日の下妻大宝八幡の合宿にも元気に顔を出してくれたのに。潮来でも、ボランティアや地域の活動など、いつも人の世話をやき続けていて、潮来市長はじめ多くの方が告別式に参列。享年74歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
平成30年7月8日
久しぶりの青空がのぞいた名古屋場所初日。高砂部屋序二段全力士5人と、続く三段目下位2人まで、番付下位力士全員が取組と珍しい割りだったが、朝阪神こけて4連敗、朝心誠が初白星を飾るも、その後もパッとせずに3勝7敗のスタート。明日の三段目、幕下連に期待したい。 朝弁慶と寺沢は、先場所後に手術を行ない現在リハビリ中で休場。大子錦も療養のため休場。本職のちゃんこに専念して力士達の食を支えている。
平成30年7月9日
豪雨による被害が日に日に大きくなり誠に心痛ましい。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、一日も早い復興を祈るばかりだが、相撲界としては真摯に相撲に取り組み、内容ある相撲をお見せすることが一番であろう。そのためにも、力士ひとり一人が、四股・テッポウを、力強く、丁寧に、くりかえしてほしい。四股はもともと大地の邪気を鎮めるためのものであり、土俵にまっすぐ立つテッポウ柱を突くことが天の気に通ずるように思う。満員御礼の2日目。玉木初日。朝乃山2連勝。
平成30年7月10日
邪気、無邪気、雰囲気、元気、気力、病は気から、・・・。気を使った言葉は日本語の中に無数にある。それだけ気を感じていたのだろうが、現代人にとっての気は非科学的な印象が否めないであろう。また、気遣いと心遣い、気配りと心配り等、似たような表現も多いから、心とも混同されやすい。ただ心は、誰もがその存在を認め、心理学や脳科学、神経科学等の科学的研究も盛んに行なわれている。メンタルトレーニングも一般的になっている。気と心は似て非なるもの。気合の入った相撲で朝乃山3連勝。朝天舞も2連勝。
平成30年7月11日
中日新聞は名古屋場所共催だけに相撲の記事が連日満載。スポーツ面に『きょうの一番』と題したコラムがあるが、今日は呼出し邦夫特集! 呼び上げの美声はもちろん、呼び上げの長さが通常7秒ほどなのに12秒もある等、データに基づいた観察が細かくおもろい。呼出しの声にのせられて力士の気合や館内の雰囲気も高まっていく。ご当所玉木2連勝上げるも、朝乃山に土。
平成30年7月13日
元明徳義塾相撲部監督浜村敏之氏が、7月10日入院中だった地元高知の病院で亡くなられ、本日告別式が行なわれた。浜村氏は、現師匠と近畿大学相撲部の同級生で、明徳義塾相撲部の監督として、横綱朝青龍、大関琴奨菊、関脇朝赤龍、栃煌山等、数々の力士を育て相撲界に送り込んでくれた。ここ数年体調がすぐれないという話は聞いていたが、62歳でのご逝去はあまりにも早い。心よりご冥福をお祈りいたします。幕下西筆頭村田、昨日の取組で膝を怪我して今日から休場。
平成30年7月14日
相撲は「心技体」とよく言われるが、元々は「心気体」とされていた。戦前に元阿久津川の佐渡ケ嶽理事が著した『相撲道教本』には、「正しい相撲道とは、修心・養気・齊体の三者を以て修練の要諦とし、相撲は心・気・體(体)一致の力によるもの」、とある。心気体が一致してこそいい技が生まれる。朝乃山、少し攻め込まれるも、左上手を引き反応よく右から突き落として6勝目。心気体そろった思い切りのいい技。
平成30年7月15日
東洋医学では、“気”を生命のエネルギーとか宇宙を満たしているものだという。空手道禅道会の西川道場主は、気はエネルギーだとし、心と体をつなぐのが“気”で、心が弱いからうまくいかないのではなく、気(エネルギー)が弱いから、心と体がつながらないのだという。四股・テッポウは、単なる準備運動や足腰を鍛えるためのトレーニングではなく、気(エネルギー)の流れを高め、心と体をより強くつなぐためのものなのであろう。だから、毎日、何百、何千とくり返さなければならない。気を入れて。朝乃山7勝目。朝大門、朝心誠3勝目。勝越しまであと一つ。
平成30年7月16日
朝乃山9日目での勝越し。朝の稽古場にも日に日に記者の数が増えてきた。稽古後の囲み取材も日に日に長くなっていく。
平成30年7月19日
序二段24枚目朝心誠(あさしんじょう)、地元名古屋市名東区の出身。相撲経験はまったくなく体にもさほど恵まれないものの稽古熱心で2年足らずで三段目49枚目まで番付を上げた(今年1月場所)。さすがに家賃が高かったようで、一勝しか上げられず、その後も負越しつづきだったが、ご当所名古屋で半年ぶりの勝越し。2年前の場所中に亡くなったお父さんへもいい報告ができる。朝乃丈も勝越し。朝乃山3敗目を喫するも、御嶽海も敗れて2差変わらず。
平成30年7月22日
異常な暑さと波乱と世代交代とが織り重なり動きだした名古屋場所の千秋楽。朝乃山は新入幕だった昨年9月場所に次ぐ敢闘賞受賞だが、有終の美を飾れず祝賀会会場に来ても今一つ晴れない表情。師匠の挨拶にもあったとおり、一番の重みが、これから先どんどん増してくる。朝乃山本人も痛感したからこそであろう。玉木5勝目、朝鬼神と朝虎牙、朝東が自己最高位で3勝目。負け越したものの来場所につながる一番。何はともあれ今晩から一週間が力士にとっての至福のとき。
平成30年7月31日
29日(日)に残り番の力士全員帰京。巡業組(朝乃山、朝心誠、神山、朝天舞)は28日(土)に約一カ月の巡業に出発。今日31日は福井県勝山市で、明日の小松を経て、8月2日(木)は富山県魚津市での巡業。名古屋場所11勝4敗で敢闘賞の朝乃山にとっては凱旋巡業となる。その後、北陸、東北、北海道をまわって25日(土)埼玉県春日部市より帰京、26日(日)KITTE場所を行い8月27日(月)が9月場所番付発表。
平成30年8月9日
先場所膝の怪我で途中休場した村田、痛めた膝の靭帯を手術。先週無事に退院でき部屋にもどってきた。まだ装具をつけ松葉杖での歩行だが、復帰へ向け歩みだしている。同じ東洋大学卒の寺沢は椎間板ヘルニアの手術を無事終え、リハビリしながら相撲教習所通いの毎日。朝弁慶も膝の手術を終えリハビリ中。怪我はつらく苦しいが、普段意識しづらい自分の心身と向き合うチャンス。腐らず、焦らず、受け入れ、深く感じ、真摯に向き合えば、自分をより高めてくれる。
平成30年8月14日
明日8月15日は終戦記念日。73年前の今頃、日本中が焦土と化したが、相撲界も大きな危機的状況にあった。国技館が軍に接収され、東京大空襲で焼かれ、各部屋も焼かれ、すべてが灰塵となった。しかし、そんな状況下の昭和20年6月、天井に大きな穴がいくつも空いた国技館で非公開ながら7日間の本場所を開催していた。
平成30年8月15日
戦時下の大相撲については、元力士で相撲・演芸評論家として著書も多い小島貞二氏の『本日晴天興行なり』(読売新聞社)に詳しい。昭和20年に入り空襲が激しさを増し、部屋は焼かれ力士達は勤労奉仕のため各部屋や一門毎に全国各地に散らばっていた。東京の協会には元横綱常ノ花の藤島理事長を筆頭に元阿久津川の佐渡ケ嶽理事、元出羽ノ花の武蔵川理事等、役員が少人数残るのみ。賛否両論あったものの、「東京が焼け野原になったこういう時期でも本場所が行われているという気概を内外に示さなければならない」と藤島理事長が主張して開催することとなった。
平成30年8月16日
軍部はもともと本場所開催を容認していたから、管轄の警視庁から許しを得て明神宮外苑相撲場で開催することになった。5月23日初日の予定が宮様の葬儀が入り25日に延期になったところへまた空襲。すべてが焼かれ相撲を取る場所を失った。さぁどうする?そこで、再び国技館案が浮上した。昭和19年2月から軍に接収され風船爆弾工場となっていた国技館だが、空襲で爆撃を受け穴だらけになり軍にも不要なものとなっていた。「6月7日から国技館で夏場所開催!」関係者へ通達が飛んだ(電報?)。まずは、土俵をつくらなければならない。各地に散らばっていた呼出しに召集がかかった。
平成30年8月17日
荻窪へ疎開していた呼出し小鉄が両国へ来てみると、多賀之丞(高砂部屋)等6人の呼出しが集まっていた。しばらくして小田原にいた太郎、厚木にいた寛吉とも連絡が取れ、土俵づくりがはじまった。幸い古い土俵は残っていたが、天井が穴だらけだから、雨を考慮して土俵を行司溜り側に移動した。土はあるが、俵がない。手分けして農村に出かけ、サツマイモを入れていた古俵と縄をもらい、焼けた土や小石、レンガ屑を包んで縛る。縄が足りないから、7か所縛るところを4か所か5か所にした。縄を着るナイフがないので、近所の焼けあとの台所からさびた包丁を掘り出して使った。
平成30年8月20日
土俵はできたものの、砂がない。隅田川の底をあさろうか?浦安まで行っては?いろいろ意見はでるが、海砂は使えない。さぁ困ったと頭を抱えていると、呼出し松之助が「あったぜ!あったぜ!」と興奮して飛び込んできた。お隣回向院の大金庫の焼けた下に大量の砂をみつけた。大喜びで運び込んだ。砂が解決したと思ったら、今度は塩がない。塩は戦時下で厳しく制限されていたらしく、まず入手できない。そこで呼出し小鉄は、オガクズで代用してもらうことを藤島理事長に納得させ、昭和20年6月7日初日開催にこぎつけた。
平成30年8月23日
今日から平塚合宿。巡業組と怪我でリハビリ中の力士以外が、バスで平塚市総合運動公園内の合宿研修所入り。愛知県一宮市の中学3年生2人と、埼玉県の高校一年生1人も参加。平塚合宿は今年で25回目を迎え、夜の歓迎会では落合平塚市長も登壇してのご挨拶。平塚での夏の風物詩となっている。歓迎会の最後は、お客様には高砂部屋グッズの当たり、力士には金一封が当たるジャンケン大会。みんな目が真剣になっての熱い戦いだったが、朝東、朝興貴、朝虎牙が獲得。師匠から「今場所勝越し間違いなし!」と太鼓判を押されての笑顔。稽古は明日から26日(日)までの3日間、総合運動公園内の土俵にて午前7時半から。
平成30年8月27日
9月場所番付発表。番付は、午前6時に国技館で配布されるので取りに行き部屋2階の大部屋で発送作業にとりかかる。番付を取りに行くのは先場所の勝越し力士3人。高砂部屋全員分の番付13020部(1000枚単位で梱包されている)を開き、師匠や関取のハンコを押して折り封筒に入れていく。朝乃山西前頭5枚目。玉木は幕下東4枚目。共に自己最高位。
平成30年8月30日
朝乃山、今日から時津風部屋へ出稽古に。出稽古から帰ってきた朝乃山に富山県警察本部からの感謝状贈呈式。富山で絶大な人気を誇る朝乃山が交通安全に一役買うことになったためで、高齢者に多い夜間の歩行者の交通事故防止のため、朝乃山のイラスト入りのリフレクター(反射材)が作成された。朝乃山の人気で反射材の普及を大いに推進したいという企画で、朝乃山リフレクターは、富山で行われる高齢者対象「交通安全いきいき教室」参加者に配布される。朝乃山からも、これで一人でも交通事故が減ってくれれば嬉しいとのコメント。時津風部屋出稽古は、横綱鶴竜ご指名のようで、しばらくつづく模様。
平成30年9月2日
昨日9月1日は防災の日。大正12年9月1日発生して10万5千人余もの死者を出した関東大震災にちなんだものだという。お昼時という時間帯と強風による火災が被害を大きくし、犠牲者の9割は火災によるものだったという。下町は軒並み火の海に包まれ、両国の国技館も炎上して屋根と柱だけを残して焼失。付近の相撲部屋も全滅。国技館の再建や宿舎の確保の問題等で、翌大正13年の春場所は名古屋市大池で晴天10日間の興行となった。名古屋場所のはしりといえるであろう。
平成30年9月3日
旧両国国技館は、大震災前にも全焼する惨事に見舞われている。大正6年11月29日、本場所の合間に行われていた菊人形大会の千秋楽、大成功を祝う打上げを行っていた1階売店から火が出て鉄骨までが溶けてねじ曲がるほどの全焼。隣の回向院までもが類焼をこうむったという。梅・常陸の人気で明治42年6月に開館されてからわずか9年目のことであった。本場所は靖国神社境内の相撲場で開催し、元横綱常陸山の出羽ノ海取締が中心となって国技館再建がすすめられた。
平成30年9月4日
再建は、葛西萬司工学博士の設計で竹中組が施行。火災の翌大正7年4月には地鎮祭を行い起工したが、大鉄傘を成す22本の鉄骨が組み上がった直後の8年3月20日、風速35mの強風にあおられ崩壊。現場で働いていた鍛治職の少年が下敷きになって即死、重軽症者数名という大惨事となった。協会の落胆は甚だ大きかったが、竹中組の昼夜にわたる突貫工事で同年11月には竣工。大正9年1月15日に開館式が行われ、横綱三段構えは栃木山に鳳、横綱土俵入りを、太刀持ち栃木山、露払い鳳の両横綱を従えた大錦が威風堂々務め、鉄傘下は万余の大観衆で立錐の余地もなかったと、相馬基『相撲五十年』に記されている。関東大震災による崩壊は、その栄華からわずか3年後でしかない。
平成30年9月7日
毎場所中に地下大広間で提供される“国技館ちゃんこ”。今場所は高砂部屋ちゃんこで、前半戦がソップ炊き、後半戦は鳥塩炊きの予定です。正午から午後4時頃まで、1杯300円だそうです。
平成30年9月8日
午前10時より国技館土俵にて土俵祭。最後に触れ太鼓が土俵を三周して、各部屋や街中へと繰り出し、明日初日の割り(取組)を呼び上げていく。朝乃山には妙義龍、稀勢の里には勢。 11時~12時まで相撲教習所にて朝之助と二人での相撲塾。たくさんの方にお越しいただき、耳を傾けていただきました。ご清聴ありがとうございました。部屋へ戻ると、朝東の初ちょん髷姿。おでこがすでにコンパチ(デコピン)で腫れている。そこへ軽く一発入れて、お祝いを渡す。痛がりながらも嬉しそう。明日8時30分取組開始。
平成30年9月9日
9月場所初日。吹く風に秋の気配は感じるもののまだまだ残暑が厳しい日中。初めての幕内後半戦での土俵となった朝乃山、すこし立ち遅れ攻め込まれるも、土俵際柔らかさを発揮しての逆転勝ち。その朝乃山の幟は正面左側北門近くではためいているが、蔵前にあるお寿司屋さん『幸鮓』からの提供。ご縁があって時折寄らせてもらうが、創業60余年江戸前老舗の絶妙な味。多趣味で粋な大将は、お店で落語や講談の会もおこなう通人。朝乃山、明日は阿武咲。稀勢の里には貴景勝。
平成30年9月10日
2日目。朝乃山は会心の攻める相撲で2勝目。実力ある相手に対し、確実に地力をつけてきていることをみせた一番。明日は若手元気者同士の阿炎との対戦。休場中の4力士。朝弁慶、村田はリハビリをつづけ、寺沢はマワシを着けて四股やすり足ができるまでには回復してきた。大子錦は治療にあたりながらちゃんこ長として腕をふるっている。四力士とも、今場所は全休して治療に専念。
平成30年9月11日
朝阪神虎吉、今年3月の大阪場所で本名に朝をつけた朝塩本から改名。地元だけに新聞等でも取り上げられ話題になった。しかしながら3勝4敗と残念な負越し。以後、5月も7月も3勝4敗と負け越してしまい、とうとう2年ぶりの序ノ口まで落ちてしまった。稽古場では大きな頭でぶちかまし一気に出るいい相撲も時折見せるものの本場所の成績に結び付かない。今日は得意の左おっつけから一気に出るいい相撲での白星。昨年九州場所以来の勝越しを目指す。朝乃山3連勝。明日は輝との一戦。
平成30年9月12日
巡業に行くのは、十両以上の関取と付人が一人。夏巡業には朝乃山の付き人として朝心誠(あさじんじょう)が付いていった。また、朝天舞が十両格行司木村朝之助の付人として出て、二人とも稽古に熱心に励んだそう。“三年先の稽古”という言葉があるように、今場所すぐに結果が出なくても、そのうち必ず血となり肉となるであろう(朝天舞は三年も待てないが・・・)。”稽古はうそをつかない”ともいう。朝乃山に土。明日は千代の国戦。国技館で販売中の高砂部屋ちゃんこ、初日2300杯超という過去最高記録だそうです。ありがとうございました。
平成30年9月13日
高知県四万十市出身で明徳義塾高卒の朝東、高知合宿が縁で高砂部屋に入門した。昨年はイベントと重なり高知合宿が行われなかったが、今年は10月5日~8日まで合宿稽古の予定。先日初めてちょん髷を結いお相撲さんらしくなった朝東、今日勝って2勝目。今場所勝越して後輩たちに晴れ姿をみせたい。朝乃山、物言いつくも攻める相撲で4勝目。
平成30年9月14日
大阪出身の朝虎牙(あさこが)、2連敗だったが今場所の初日(初白星)。場所毎に体重を更新しつづけて170kgになった。どちらかというとボケキャラで、アンコの性質を十分に備えている。今年に入って3場所連続勝ち越しで最高位を更新し続けたが、先場所は負越し。ここから勝越して体重同様最高位を更新したい。朝乃山、スケールの大きな相撲で5勝目。明日は栃煌山。
平成30年9月15日
突き押し相撲は波があるといわれるが、その分波に乗ったら手がつけられない。ばりばりの突き押し相撲の朝興貴4連勝。以前に序二段と三段目で優勝経験あるだけに、今場所も乗ってくると可能性は高い。稽古場では相変わらず存在感がないが、今場所前は珍しく玉木といい稽古をくり広げる場面もあった。密かに期するところがあるのかもしれない。平成2年生まれで12月に28歳を迎える。そろそろ大きな波に乗っていきたい。朝乃山2敗目。明日は千代の国戦。
平成30年9月17日
兵庫県三木市出身の朝童子。入門4年目となり大学1年生と同学年になるが、平成12年3月31日生まれなので、まだ18歳。小さな体ながら徐々に筋肉量も増え体重は90kgを超え逞しさも出てきた。稽古場では力強い相撲もみせるようになってきたが3連敗と追い込まれた今場所、今日は取り直しの相撲を勝って2勝目。土俵際粘って今年3回目の勝越しを目指す。朝興貴5連勝。あと2番。
平成30年9月19日
幕下東4枚目の玉木、2勝3敗と後がなくなり今日の対戦は近畿大学の先輩誉富士。お互い、負けた方が負越しという厳しい戦いだったが、動きまわっての勝利。3勝3敗と生き残った。逆に、元関取の先輩は負越しが決まり心中複雑な想いはあるであろう。勝った玉木、最後の一番に勝越しをかける。朝乃山勝越しならず。朝興貴6連勝。2度目の三段目優勝が、かなり近づいてきた。朝虎牙、朝童子も勝って3勝3敗。

編集中

平成30年10月1日
場所休みが終わり、今日から稽古再開。来年の大相撲カレンダーの申し込みの締め切り日で、朝から何かと慌ただしい。相撲界は何事につけ気が早く、カレンダーの申し込みが始まると、「今年も終わりだなぁ」という気分がでてくる。またたく間に九州場所となり、お歳暮を贈り、年末の準備をはじめと、月日の流れが早まっていく。その前に、10月4日出発9日帰京の予定で2年ぶりの高知合宿。稽古は5日(金)~8日(月)の4日間、高知市総合運動場相撲場1階土俵にて。5日(金)午後5時からは小中学生対象の「相撲健康体操教室」も開催されます。
平成30年10月4日
高知合宿へ出発。高知行き日本航空機は通路をはさんで左右に3席ずつと割合小型なので、一人ひとり体重を聞かれるが満席で動かしようもなく、大子錦と朝鬼神が隣同士になり、二人して窒息しそうになっている。見かねた一般客が席を替わってくれ無事高知龍馬空港へ到着。空港へ師匠のお父さんがお米や魚介、蒲鉾、野菜等差し入れを沢山持ってきてくれ迎えの明徳義塾のバスで合宿所へ。総合運動場の職員の方とも2年ぶりの再会。明日から4日間の合宿稽古。
平成30年10月5日
高知合宿稽古初日。稽古終了後、土俵横で高知市からの歓迎セレモニー。立派なカツオや梨を贈呈いただき、テレビ新聞等の取材も各社詰めかけ師匠へのインタビュー。稽古の様子等夕方のニュースで放送されたもよう。夕方は相撲健康体操教室。市内の小学生と園児ら20人近くが参加して、指導員役の朝阪神、朝東の動作に合わせて、蹲踞や腰割り、仕切りの型などで元気よく「ヤァー!!」の掛声。1歳のときから参加している子も来年から小学生とのこと。1歳の頃は体操中まとわりついていた子が、成長していい腰割りやっている。うれしい限り。
平成30年10月6日
買い出しは合宿所から自転車で5,6分のスーパーへ毎日出向く。魚類は新鮮な品が並ぶが、野菜は東京よりも少し高い。地元では蒲鉾というのか、揚げもの、練り物の品数が豊富だが、キムチ鍋に入れるナルトは置いてない。鳥ガラはあまりなく、粉末の鳥ガラスープの素も置いてないので、ソップ炊きをつくるのには苦労する。お酒売り場は超充実している。高知合宿も平成24年に再開してから6回目となり、一日に2,3回は通うので、店内で流れるテーマソングは、知らず知らずに口ずさんでいるほど、体に沁み込んでいる。
平成30年10月7日
以前にも書いたと思うが、プロアマ共に幾多の名力士を輩出している高知の相撲熱は、板垣退助の相撲好きに端を発している。明治32年に板垣が記した『相撲漫談』には、7,8歳の頃から相撲好きで、家にも土俵があったこと。後藤象二郎とは竹馬の友で、二人して町人の相撲大会に参加して相撲を取ったこと。東京に出た後一度土佐に引っ込み稽古場を拵え、そのとき二所ノ関部屋開祖となる二代目海山太郎や国見山を育て、東京に送り込んだこと等が記されている。
平成30年10月8日
板垣退助と言えば、「板垣死すとも自由は死せず」という自由民権運動があまりにも有名だが、戊辰戦争での武人としての活躍は目覚ましかったようで、司馬遼太郎や海音寺潮五郎は政治家よりも軍人に向いていたと評している。維新後は内務大臣等の要職を歴任するも明治33年に政界を引退。その一年前に記した『相撲漫談』では、「本場所は欠かさず見たいと思っているけれども、兎角議会の会期中に政治社会が忙しいから見られぬ。併し政界の方も後輩の人が段々遣りよるから、この頃は政治のことより相撲の方が本色(職)になった」と、記している。
平成30年10月10日
テレビ、新聞等でも大きく報じられているように元横綱の輪島さんが亡くなられた。入門したころ若松部屋の師匠(房錦)と同じ審判部で、若松部屋にも時折顔を出して若い衆にも気さくに話しかけてくれていた。また現師匠とも現役時代から付き合いが深く、後援会等でずいぶんお世話になった。波乱万丈な人生を送ったにもかかわらず、天衣無縫な人柄はいつも変わらなかったように思う。享年70歳。元横綱としては長生きのほうであろう。心よりご冥福をお祈りいたします。昨日高知より帰京。しばらく東京で稽古して、10月20日から九州場所先発隊出発。
平成30年10月14日
板垣は毎朝のように部屋(友綱部屋であろう?)の稽古にも顔を出したという。明治42年6月に開館された両国国技館の開館式では、開館委員長として式辞を述べた。相撲に関して『相撲論』・『相撲改革』・『相撲改善意見』・『太刀山の獨相撲』等、数々の談話や論文を残している。また、明治41年5月29日の土陽新聞には、「力士に対する保護法」と題して引退・廃業後の力士の処遇にまで気を配る談話もある。以前紹介したように、横綱太刀山入門(8月31日~9月13日日記)も板垣の労にによる。朝乃山(太刀山と同じ町内)の活躍も板垣伯の相撲好きにさかのぼれるのかもしれない。
平成30年10月21日
昨日20日、先発隊が九州場所宿舎となる福岡唐人町成道寺(じょうどうじ)入り。夜飯は一年ぶりの藁巣坊餃子を満喫。今日21日(日)は、トラック2台で大牟田の倉庫まで家財道具一式を宿舎まで運びこむ引っ越し作業。これが終わると、先発隊の仕事も一山超えた気がして楽になる。天気にも恵まれ作業も順調にすすむ。毎年のことながら、ゴーヤーマンと師匠が現役時代にファンだったJKのお友達のお父さんがトラックを出してくれ、高速使って往復で2時間半の引っ越し作業が無事完了。晩飯は、唐人町商店街中にある奄美料理の店で奄美料理。
平成30年10月23日
先発中は、まだ荷物のセッティングに追われ、ちゃんこをつくれる環境にないため、お昼は弁当、夜は外食になる。乗り込みの日は藁巣坊が定番なのだが、あとは風任せの日々。唐人町商店街も頑張っているとはいえ、年々寂しくなってゆく中、2,3年前からおいしいカレー屋さんが出来たと若い衆が鼻を利かせて開拓したお店があり、先発隊で出向く。若い衆はすっかり常連で一年ぶりの再会を温かく出迎えて頂き、本格的なビストロ料理と絶品のカレー、別腹のフレンチトーストが、がぶり寄ってくる。 お酒も各種充実していてこの上ない満喫感。唐人町駅4番出口徒歩30秒、Hono(ホノ)です。
平成30年10月25日
昨日土俵が出来上がり、各部屋のセッティングもほぼ完了し、先発隊の仕事もひと山越す。これからちゃんこをつくる準備や番付発表、新聞作りを完了させ28日に全員が乗り込んでくるのを待つ。
平成30年10月27日
先発隊の仕事はほぼ済み、明日乗り込みの巡業組と東京残り番を迎える準備も大方完了。月曜日が番付発表なので、高砂部屋便りや暮れの東京激励会の案内状を封筒に入れる作業等行う。ちゃんこ場も出来上がったので、ようやく弁当生活から抜け出し、ちゃんこを開始。今日はとりあえずカレーにラーメン、目玉焼きやウインナー炒め等の簡易なちゃんこ。昨日来の雨は上がったものの午前中は風が冷たく昔の九州場所らしい寒さ。おすもうさんもようやく長袖を着出した。
平成30年10月29日
九州場所番付発表。朝乃山、先場所7勝8敗と一点の負越しにもかかわらず先場所と同じ西前頭5枚目。幕下玉木は、1枚半上がって東の3枚目。先場所三段目3枚目で全勝して幕下一ケタであろうと予想された朝興貴、予想に反して11枚目。一応自己最高位更新ではあるが、やっぱり影が薄いのかなぁと、部屋の中では何となくみんなで納得。先場所幕下だった朝鬼神、村田、朝弁慶と3人が三段目に落ちて幕下は二人のみ。その代わり、三段目が9人と部屋の力士の約半数を占めるまでになった。
平成30年10月30日
九州場所稽古はじめ。朝童子、朝阪神、朝東の3人による三番稽古が終わりぶつかった後、土俵を掃き清め、砂を中央に集め御幣を立て、塩をまき、土俵祭の用意。今日は九州高砂部屋後援会の会長はじめ役員の方が見守る中、祭主を務める木村朝之助が祝詞をあげ、お祓いし、方屋開口を朗々と口上。築き直されツヤ光りする土俵に真新しい俵が映え、いかにも神々しい。初めて目にする役員の方々も感激しきり。今日から約一ヵ月間の九州場所が始まる。
平成30年10月31日
入門3年目の朝心誠、朝乃山の付人として秋巡業に参加していたが、わりと早い時期の稽古中に頭が割れる怪我をしたため稽古を行わずにの巡業で、昨日が久しぶりの稽古。昨年の九州場所で6勝を上げて三段目中位まで番付を上げたが、そこから負越しつづきで序二段に陥落し、今場所ようやく三段目復帰叶った。巡業中の稽古不足もあり、すぐスタミナ切れでバテてしまうが、息絶え絶え泥まみれになりながらの稽古再開。1年目5勝、2年目6勝とゲンのいい九州場所での勝越しを目指す。
平成30年11月1日
番付にはその場所毎のドラマがある。「番付は生きもの」という言葉もあるくらい、場所毎に運不運がつきまとい、力士生命を大きく左右することも多々ある。西幕下筆頭で4勝3敗と勝越しながら東の筆頭で止められ結局関取に昇進できなかった力士がいるかと思えば、幕下4~5枚目の4勝で上がる場合もある。負越して西5枚目に据え置かれた朝乃山は、これまでも番付運がいい方。これも強くなるための条件の一つであろう。
平成30年11月2日
今年1月に入門してほぼ一年になる朝東、5月場所で5勝を上げ序二段66枚目まで番付を上げたものの、そこから2場所負越して序ノ口西筆頭。筆頭だと、「序ノ口で一番つよいのかぁ」とよく冷やかされる。2枚目(三段目)には、朝鬼神。2枚目だと、「二枚目というより三枚目の顔だけどなぁ」と言われ、3枚目だと「二枚目という顔じゃないもんなぁ」というのが慣例で、玉木が幕下3枚目。さすがに4枚目はいないだろうという話になったら、朝童子が「オレ4枚目(序ノ口)っす」とつづき、そして、その下の5枚目に朝乃山。今場所は東が一番上だと、話がおさまった。番付にはドラマがあるが、ネタにもなる。
平成30年11月3日
今年2回目のアラの差入れ。かなり立派なアラだが、今日はちゃんこ長大子錦不在の為、わらすぼさんに助っ人を頼んで朝大門がアラに挑戦。包丁でうろこを皮ごと削ぎ、削いだそばから素揚げして塩を振って食べる。パリパリサクサクで思わずビールを飲みたくなるほど・・・。内臓を出し、頭を落とし、三枚に切り分け、頭や骨を切り分けていく。骨は太く固いので、出刃で叩き割る音が響きわたる。入門前警備会社で働いていた朝大門。高校卒業後は調理師学校に通い調理師免許も取得したが、せっかく取った調理師免許を活かせない警備会社への就職を父親は嘆いていたそう。相撲界でアラを捌けるようになったと聞けば少しは喜んでくれるかも・・・。
平成30年11月4日
5月場所1年半ぶりに関取として十両の土俵に復帰した朝弁慶、膝の怪我で休場を余儀なくされ、今場所の番付は三段目25枚目。5月場所後に手術し、リハビリに励み、ようやく軽くなら四股を踏めるほどには回復してきた。しかしながら、まだ時に膝が外れるような痛みがあり、相撲を取るまでにはもう少し時間がかかりそう。それでも、白マワシへの復帰をあきらめず、毎朝、黒マワシて四股やテッポウに汗を流している。
平成30年11月5日
朝乃山、今日から糟屋郡志免町にある時津風部屋へ出稽古。横綱鶴竜から声をかけられたようで、最近場所前恒例になってきた。昨日と一昨日は、九重部屋通い。こちらは中央区今川の鳥飼八幡宮で歩いても行ける距離。実際、歩いて行ったもよう。巡業中は、毎日のように大関栃ノ心の指名を受け三番稽古(同じ相手と何番も行う稽古)を重ねたそう。横綱、大関の胸を借り、連日砂にまみれることが、朝乃山の右四つ本格派の相撲をさらに大きくしていくことであろう。
平成30年11月7日
九州高砂部屋後援会は九電産業株式会社が全面的にバックアップしてくれて運営されている。九州電力の関連会社であるから電気関連事業が主体だが、保険や旅行、さまざまな商品販売も行っており、お茶や塩、だし等、部屋での必需品も差入れ頂き助かっている。とくに自社製品の『天草の塩』は、味に深みがあるのにまろやかな絶品。塩だけで酒の肴にもなる。また、「こだわり九州 いいものめぐり」には九州各地の名産品が満載。
平成30年11月9日
昨日8日(木)に場所前恒例の高砂部屋激励会。今年から会場をANAクラウンプラザホテルに移しての開催。集まった大勢のお客様は、朝乃山や若手力士や親方等との記念撮影、ホテルの料理と大子錦特製の鳥塩炊きちゃんこに舌鼓をうち、力士のカラオケや高砂部屋グッズがあたる抽選会、利樹之丞による相撲甚句などを楽しみ、九州場所での高砂部屋力士一同の活躍を期した。本日取組編成会議が行われ、初日と2日目の割り(取組)が決定。朝乃山、後半戦2番目の取組で貴ノ岩との対戦。玉木は、2日目幕下最後の一番で彩との対戦。横綱白鵬、鶴竜は休場。村田、寺沢も休場。
平成30年11月11日
一年納めの九州場所であり平成最後の九州場所初日。九州場所が本場所となったのは昭和32年からだから、今年で62回目を迎える。第1回目の優勝は荒法師の異名をとった玉乃海。横綱千代の富士の8連覇や54連勝目を阻止された大乃国との一番。若貴兄弟対決。稀勢の里が白鵬の連勝を止めた一番。数々の名勝負を生んだ九州場所がはじまる。早朝の冷え込みは厳しかったものの、快晴で日中の日差しはポカポカで力士にとってはTシャツモード。満員札止めで熱気溢れる国際センターの土俵。朝乃山は右四つ会心の上手投げでの白星スタート。
平成30年11月12日
朝から冷たい雨がシトシトと成道寺境内の石畳を濡らし、福岡入りして一番の寒さを感じる九州場所2日目。こういう天候の日は、膝や腰の怪我をしている力士にはつらい。湿気や冷気が関節の動きを鈍らせ痛みを再発させる。膝の怪我で休場をつづけていた朝弁慶、今日から復帰の土俵。まだまだ完治には程遠い状態だが、いわば背水の陣での出場。怪我だけはしないでくれと見守る土俵で、今年5月場所11日目以来の白星。安堵。朝乃山2連勝。玉木白星発進。
平成30年11月13日
江戸勧進相撲は1月春場所と5月夏場所でのそれぞれ10日間興行で、「一年を二十日で暮らすいい男」という川柳も生まれた。体調不良で休場がつづき、四股名が番付から消えてしまった(番付外)大子錦、今年の1月場所以来となる前相撲の土俵で本日2番の取組。こちらは「一年を九日でくらすいい男」で、江戸の花形力士をも上回る。前相撲を取ると、来場所から番付に四股名が復活する。朝乃山に初黒星。朝鬼神、朝乃土佐、朝東2連勝。
平成30年11月14日
7月場所の5日目三番目の相撲で膝を痛め、その場所0勝4敗。場所後に手術して9月場所は幕下32枚目で全休した村田、今場所は三段目12枚目の番付。ようやく四股など基礎運動はできるようになり毎朝マワシを締めて稽古場で復帰に向け体を動かしている。関取はもちろん、幕下だとちゃんこ番が免除されるが、三段目に落ちるとちゃんこ番も復活する。学生時代から料理は得意だったという村田、まめに嬉々として料理の腕をふるっているが、四股にもこのくらい嬉々として取り組んでくれるといいのに、と思う今日この頃・・・。朝弁慶、朝天舞2連勝。
平成30年11月15日
村田に限らず、若い時は一般的に四股を踏みたがらない。四股は単純で地味な動作のくり返しで、踏んでいても強くなっていく実感が得られない。四股に比べると、ベンチプレスやスクワットは努力した結果がすぐ数字として現れる。筋肉が太くなっていく実感もある。筋力が強くなると、相撲を取っていても強くなった気がする。確かに筋力や瞬発力は相撲の強さの一要因でもある。四股には、そういう実感は伴わない。屈伸や伸脚と同じような準備運動の相撲版としか思えないかもしれない。朝虎牙、神山に初日。
平成30年11月16日
自分自身若い頃(20代の頃)は、四股は軸足を鍛えるための筋トレの一環として踏んでいた。軸足の膝に体重をかけて、いかに苦しく踏むかということを課していた。「四股十両、テッポウ三役」という言葉は、基本の大切さを戒めるためだという認識しかなかった。「四股をよく踏む力士は長持ちする」という言葉も、準備運動をしっかりするからだという認識でしかなかった。40年以上毎日のように四股を踏み続け、探求を深めると、上記の言葉が真摯に感じられるようになってきた。「相撲は四股に始まり四股に終わる」というように、四股に相撲の真理がある、と、感じられてきた。朝興貴、朝ノ島に初日。
平成30年11月17日
前半戦が終わり明日中日だが、未だ勝越し力士がおらず苦戦の九州場所。と、思っていたら結果のわからなかった朝天舞が帰ってきて「お蔭さんで」の挨拶で勝越し王手の3勝目。朝大門に初日。こちらは3連敗していたから、ようやく片目が開いたと言ってもいい。連敗のあとの白星は気分も乗ってくるので、3連敗4連勝もたまにある。後半戦の巻き返しを願うばかり。朝乃山、気迫の一番で連敗脱出。
平成30年11月18日
横綱双葉山は自他ともに認める非力で、腕相撲も弱い方であったという。横綱に上がる前後の頃、引きつけの弱さを評論家によく指摘されてもいた。おそらくウエイトトレーニングの類は一切行っていなかったはずである(当時の力士全般にいえることだが)。それでも相撲を取ると相手をゴミでも放り投げるように投げ捨てた。本人はそれを「相撲力」といい、下腹と腰から出す力、要するに体ぜんたいから出てくる力だと語っている。「相撲力」のなかでは、筋力の占める割合はかなり低くなるのであろう。朝乃山、星を五分に戻す4勝目だが、玉木が残念な負越し。朝童子勝越し王手の3勝目。
平成30年11月19日
勝負師には息抜きも必要で、昭和の相撲界では「飲む・打つ・買う」が当たり前だった。そこに数々の武勇伝も生まれたが、平成も終わりを迎え、趣味嗜好も様変わりしている。「打つ」はももちろん全面的に禁止され、「飲む」力士も格段に減った。「買う」はどうであろう?・・・・。その分、部屋でゴロゴロしてスマホでゲームの力士が増えたが、九州場所に来ると「釣る」が入る。高砂部屋宿舎から少し行くとすぐ海で、わらすぼさんが釣り竿や餌、ポイントを詳しく教えてくれ結構成果が上がる。獲れたてのスズキの刺身や、小アジの素揚げ等、ちゃんこを賑わしてくれ皆の実益を兼ねた趣味となっている。朝乃山、明日は結びで豪栄道戦。初の大関戦で「大物釣り」を果たしたい。
平成30年11月20日
朝童子、今場所の勝越し第一号。入門4年目で、それなりに肉もついてきたが、四股名の通り顔にはまだ幼さが残る18歳(平成12年3月31日生まれ)。勝越しを決め部屋に戻ってきて「お蔭さんで給金直しました」と挨拶するも、居合わせたお客さんから「あの子、お相撲さん?落語家の若い子みたい」との声。初めて勝越しを決めたのが入門2年目一昨年の九州場所で、3年目は7月場所一場所だけの勝越し。4年目となる今年は、1月、5月に続いて3回目の勝越しで、確かに成長している。朝乃山の付人を務めている。朝天舞、2人目の勝越し決定。
平成30年11月21日
三段目25枚目の朝弁慶、今年3月場所以来の勝越し。5月場所で痛めた膝のケガが治りきらず、ある意味強行出場だっただけに、番付を大きく落とした三段目とはいえ嬉しさは格別。昔から「白星が一番の薬」というように、勝つことで気分が晴れ気持ちも前向きになりケガを乗り越える気力も湧いてくる。もうひと踏ん張り。もうひと花咲かせたい。朝東も入門以来2度目の嬉しい勝越し。朝阪神、朝乃丈と負越して、11日目現在勝越し4人、負越し5人。あと1番で勝越し1人、あと一番で負越し5人、3勝3敗1人。
平成30年11月27日
一年納めで平成最後の九州場所も一昨日無事千秋楽を迎え、昨日から宿舎の後片付けをしながらの1週間の場所休み。負越し力士の方が多く、残念な結果だったのにもかかわらず千秋楽打上げには、例年以上のお客様が集い、誠にありがたい限り。負越したもののいい相撲で千秋楽を締めた朝乃山、来場所へつながる白星。三段目朝天舞、千秋楽にも勝って6勝1敗の好成績。来場所の幕下復帰を濃厚なものにした。14日目に8番相撲を取った玉木、2勝6敗に星を上げての番付編成。前回、“勝ち得”(2勝5敗と同じ下がり方)が反映されなかっただけに今度こそ期待したい。
平成30年12月3日
昨日12月2日(日)に宿舎後片付けの残り番も福岡から帰京。巡業は土曜日に出発して、昨日が長崎で今日が福岡県直方市の直方もち吉場所。その後久留米や行橋、大分、宮崎、熊本、鹿児島とまわって15日(土),16日(日)と沖縄。沖縄から戻り20日からまた関東での巡業もある。新年初場所番付発表は12月25日(火)。
平成30年12月14日
映画『土俵物語』は、22歳の房錦が花道から控えに入る場面から始まる。見上げる土俵上には父錦太夫の姿。父が捌く姿を眺めながら、少年時代の回想シーンへと場面は移る。医者を目指しながらも親に内緒で友達と蔵前国技館に通い相撲に見入る櫻井(房錦の本名)少年。やがて元鯱の里の若松親方に入門志願するも、相撲界の厳しさを身近に知る母親は大反対。息子の決意の固さに父錦太夫は「わしも好きな酒をやめるから5年がんばってみろ」と入門決定。
平成30年12月25日
新年初場所番付発表。朝乃山は、ちょうど3枚下がり西前頭8枚目。幕下は、玉木が19枚目、朝興貴が28枚目、復帰の朝天舞が58枚目。三段目は、朝弁慶が15枚目、朝鬼神が21枚目、以下朝大門59、朝心誠70、村田73、朝乃土佐76、朝乃丈78とつづく。朝虎牙が序二段に陥落して4枚目、朝ノ島37、朝童子64、朝東74、朝阪神90、神山93とつづく。番付表は東正横綱が最上段右上で、最下段左下の西序ノ口27枚目まで658名の四股名が連なるが、そのしんがりに控えるのが大子錦大伍郎。23年前の新序以来だそう。
平成30年12月26日
稽古はじめ。九州場所後も稽古は続けて行っているが、巡業組はいないので全員そろっての稽古は久しぶり。また、今日は土俵祭を行うので、行司、呼出し、若者頭等スタッフ一同も勢ぞろいの稽古場。やはり、全員そろうと気分も高まり引き締まってくる。年末は29日まで稽古を行い、その後解散。2日に集合して新年は3日より稽古はじめ。師走は何かと忙しく、押し迫ってもちつきと番付発表がつづき大変だが、疲れた表情の中にも、あと4日で家に帰れるという希望が垣間見えてくる。
平成30年12月27日
番付発表の翌日(昨日26日)は、必ず力士会が開催される。力士会は、十両以上の関取による親睦組織で、このときに新十両力士の紹介や引退力士の挨拶等も行われる。そして東京場所の力士会では身長・体重の測定があるが、昨日の測定で平均体重が166、2kgと、最高記録を1,9kg更新したそう。これまでの記録は昨年9月場所だったそうで、増加に歯止めがかからない。相撲界では、大きいことはいいことだが、ほどがあろう。ちなみに40年前の昭和51年秋場所の幕内平均体重は129,2kgだったそう。
平成30年12月29日
平成30年の稽古納め。稽古終了後、力士、親方、裏方全員が土俵周りに集まり、師匠からの訓示のあと三本締め。その後、おかみさんにお年玉をもらい、風呂、ちゃんこ、後片付け、掃除と、どんどん済ませ解散。高知組は羽田へ、関西・東海組は東京駅へ。北陸、北関東組は上野駅へと各々向かう。一人減り、二人減りしていくと、いつも何かしら物音のする部屋が、だんだん静けさに包まれてくる。帰らず部屋に残る力士も2名ほどいるが。
平成30年12月31日
平成最後の年の大晦日。この一年、高砂部屋にとってもいろいろな出来事がありました。2月4日が朝赤龍引退相撲。大勢の皆様にご協力いただき盛大に錦島襲名披露を飾ることができました。現在、部屋の力士の指導と相撲教習所担当として新弟子の指導にも務めています。朝乃山は幕内として定着、7月場所では11勝と優勝争いに絡む好成績で自己最高位を5枚目まで更新、三役近しと期待されましたが、後半失速して、新三役は新年に持ち越しです。朝弁慶、十両復帰は嬉しいニュースでしたが、膝のケガでの陥落、再々起目指します。村田、寺沢も新年からの再起を目指し、幕下玉木は新年こそ猪突猛進といきたいところ。
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