平成30年10月1日
場所休みが終わり、今日から稽古再開。来年の大相撲カレンダーの申し込みの締め切り日で、朝から何かと慌ただしい。相撲界は何事につけ気が早く、カレンダーの申し込みが始まると、「今年も終わりだなぁ」という気分がでてくる。またたく間に九州場所となり、お歳暮を贈り、年末の準備をはじめと、月日の流れが早まっていく。その前に、10月4日出発9日帰京の予定で2年ぶりの高知合宿。稽古は5日(金)~8日(月)の4日間、高知市総合運動場相撲場1階土俵にて。5日(金)午後5時からは小中学生対象の「相撲健康体操教室」も開催されます。
平成30年10月4日
高知合宿へ出発。高知行き日本航空機は通路をはさんで左右に3席ずつと割合小型なので、一人ひとり体重を聞かれるが満席で動かしようもなく、大子錦と朝鬼神が隣同士になり、二人して窒息しそうになっている。見かねた一般客が席を替わってくれ無事高知龍馬空港へ到着。空港へ師匠のお父さんがお米や魚介、蒲鉾、野菜等差し入れを沢山持ってきてくれ迎えの明徳義塾のバスで合宿所へ。総合運動場の職員の方とも2年ぶりの再会。明日から4日間の合宿稽古。
平成30年10月5日
高知合宿稽古初日。稽古終了後、土俵横で高知市からの歓迎セレモニー。立派なカツオや梨を贈呈いただき、テレビ新聞等の取材も各社詰めかけ師匠へのインタビュー。稽古の様子等夕方のニュースで放送されたもよう。夕方は相撲健康体操教室。市内の小学生と園児ら20人近くが参加して、指導員役の朝阪神、朝東の動作に合わせて、蹲踞や腰割り、仕切りの型などで元気よく「ヤァー!!」の掛声。1歳のときから参加している子も来年から小学生とのこと。1歳の頃は体操中まとわりついていた子が、成長していい腰割りやっている。うれしい限り。
平成30年10月6日
買い出しは合宿所から自転車で5,6分のスーパーへ毎日出向く。魚類は新鮮な品が並ぶが、野菜は東京よりも少し高い。地元では蒲鉾というのか、揚げもの、練り物の品数が豊富だが、キムチ鍋に入れるナルトは置いてない。鳥ガラはあまりなく、粉末の鳥ガラスープの素も置いてないので、ソップ炊きをつくるのには苦労する。お酒売り場は超充実している。高知合宿も平成24年に再開してから6回目となり、一日に2,3回は通うので、店内で流れるテーマソングは、知らず知らずに口ずさんでいるほど、体に沁み込んでいる。
平成30年10月7日
以前にも書いたと思うが、プロアマ共に幾多の名力士を輩出している高知の相撲熱は、板垣退助の相撲好きに端を発している。明治32年に板垣が記した『相撲漫談』には、7,8歳の頃から相撲好きで、家にも土俵があったこと。後藤象二郎とは竹馬の友で、二人して町人の相撲大会に参加して相撲を取ったこと。東京に出た後一度土佐に引っ込み稽古場を拵え、そのとき二所ノ関部屋開祖となる二代目海山太郎や国見山を育て、東京に送り込んだこと等が記されている。
平成30年10月8日
板垣退助と言えば、「板垣死すとも自由は死せず」という自由民権運動があまりにも有名だが、戊辰戦争での武人としての活躍は目覚ましかったようで、司馬遼太郎や海音寺潮五郎は政治家よりも軍人に向いていたと評している。維新後は内務大臣等の要職を歴任するも明治33年に政界を引退。その一年前に記した『相撲漫談』では、「本場所は欠かさず見たいと思っているけれども、兎角議会の会期中に政治社会が忙しいから見られぬ。併し政界の方も後輩の人が段々遣りよるから、この頃は政治のことより相撲の方が本色(職)になった」と、記している。
平成30年10月10日
テレビ、新聞等でも大きく報じられているように元横綱の輪島さんが亡くなられた。入門したころ若松部屋の師匠(房錦)と同じ審判部で、若松部屋にも時折顔を出して若い衆にも気さくに話しかけてくれていた。また現師匠とも現役時代から付き合いが深く、後援会等でずいぶんお世話になった。波乱万丈な人生を送ったにもかかわらず、天衣無縫な人柄はいつも変わらなかったように思う。享年70歳。元横綱としては長生きのほうであろう。心よりご冥福をお祈りいたします。昨日高知より帰京。しばらく東京で稽古して、10月20日から九州場所先発隊出発。
平成30年10月14日
板垣は毎朝のように部屋(友綱部屋であろう?)の稽古にも顔を出したという。明治42年6月に開館された両国国技館の開館式では、開館委員長として式辞を述べた。相撲に関して『相撲論』・『相撲改革』・『相撲改善意見』・『太刀山の獨相撲』等、数々の談話や論文を残している。また、明治41年5月29日の土陽新聞には、「力士に対する保護法」と題して引退・廃業後の力士の処遇にまで気を配る談話もある。以前紹介したように、横綱太刀山入門(8月31日~9月13日日記)も板垣の労にによる。朝乃山(太刀山と同じ町内)の活躍も板垣伯の相撲好きにさかのぼれるのかもしれない。
平成30年10月21日
昨日20日、先発隊が九州場所宿舎となる福岡唐人町成道寺(じょうどうじ)入り。夜飯は一年ぶりの藁巣坊餃子を満喫。今日21日(日)は、トラック2台で大牟田の倉庫まで家財道具一式を宿舎まで運びこむ引っ越し作業。これが終わると、先発隊の仕事も一山超えた気がして楽になる。天気にも恵まれ作業も順調にすすむ。毎年のことながら、ゴーヤーマンと師匠が現役時代にファンだったJKのお友達のお父さんがトラックを出してくれ、高速使って往復で2時間半の引っ越し作業が無事完了。晩飯は、唐人町商店街中にある奄美料理の店で奄美料理。
平成30年10月23日
先発中は、まだ荷物のセッティングに追われ、ちゃんこをつくれる環境にないため、お昼は弁当、夜は外食になる。乗り込みの日は藁巣坊が定番なのだが、あとは風任せの日々。唐人町商店街も頑張っているとはいえ、年々寂しくなってゆく中、2,3年前からおいしいカレー屋さんが出来たと若い衆が鼻を利かせて開拓したお店があり、先発隊で出向く。若い衆はすっかり常連で一年ぶりの再会を温かく出迎えて頂き、本格的なビストロ料理と絶品のカレー、別腹のフレンチトーストが、がぶり寄ってくる。 お酒も各種充実していてこの上ない満喫感。唐人町駅4番出口徒歩30秒、Hono(ホノ)です。
平成30年10月25日
昨日土俵が出来上がり、各部屋のセッティングもほぼ完了し、先発隊の仕事もひと山越す。これからちゃんこをつくる準備や番付発表、新聞作りを完了させ28日に全員が乗り込んでくるのを待つ。
平成30年10月27日
先発隊の仕事はほぼ済み、明日乗り込みの巡業組と東京残り番を迎える準備も大方完了。月曜日が番付発表なので、高砂部屋便りや暮れの東京激励会の案内状を封筒に入れる作業等行う。ちゃんこ場も出来上がったので、ようやく弁当生活から抜け出し、ちゃんこを開始。今日はとりあえずカレーにラーメン、目玉焼きやウインナー炒め等の簡易なちゃんこ。昨日来の雨は上がったものの午前中は風が冷たく昔の九州場所らしい寒さ。おすもうさんもようやく長袖を着出した。
平成30年10月29日
九州場所番付発表。朝乃山、先場所7勝8敗と一点の負越しにもかかわらず先場所と同じ西前頭5枚目。幕下玉木は、1枚半上がって東の3枚目。先場所三段目3枚目で全勝して幕下一ケタであろうと予想された朝興貴、予想に反して11枚目。一応自己最高位更新ではあるが、やっぱり影が薄いのかなぁと、部屋の中では何となくみんなで納得。先場所幕下だった朝鬼神、村田、朝弁慶と3人が三段目に落ちて幕下は二人のみ。その代わり、三段目が9人と部屋の力士の約半数を占めるまでになった。
平成30年10月30日
九州場所稽古はじめ。朝童子、朝阪神、朝東の3人による三番稽古が終わりぶつかった後、土俵を掃き清め、砂を中央に集め御幣を立て、塩をまき、土俵祭の用意。今日は九州高砂部屋後援会の会長はじめ役員の方が見守る中、祭主を務める木村朝之助が祝詞をあげ、お祓いし、方屋開口を朗々と口上。築き直されツヤ光りする土俵に真新しい俵が映え、いかにも神々しい。初めて目にする役員の方々も感激しきり。今日から約一ヵ月間の九州場所が始まる。
平成30年10月31日
入門3年目の朝心誠、朝乃山の付人として秋巡業に参加していたが、わりと早い時期の稽古中に頭が割れる怪我をしたため稽古を行わずにの巡業で、昨日が久しぶりの稽古。昨年の九州場所で6勝を上げて三段目中位まで番付を上げたが、そこから負越しつづきで序二段に陥落し、今場所ようやく三段目復帰叶った。巡業中の稽古不足もあり、すぐスタミナ切れでバテてしまうが、息絶え絶え泥まみれになりながらの稽古再開。1年目5勝、2年目6勝とゲンのいい九州場所での勝越しを目指す。
平成30年11月1日
番付にはその場所毎のドラマがある。「番付は生きもの」という言葉もあるくらい、場所毎に運不運がつきまとい、力士生命を大きく左右することも多々ある。西幕下筆頭で4勝3敗と勝越しながら東の筆頭で止められ結局関取に昇進できなかった力士がいるかと思えば、幕下4~5枚目の4勝で上がる場合もある。負越して西5枚目に据え置かれた朝乃山は、これまでも番付運がいい方。これも強くなるための条件の一つであろう。
平成30年11月2日
今年1月に入門してほぼ一年になる朝東、5月場所で5勝を上げ序二段66枚目まで番付を上げたものの、そこから2場所負越して序ノ口西筆頭。筆頭だと、「序ノ口で一番つよいのかぁ」とよく冷やかされる。2枚目(三段目)には、朝鬼神。2枚目だと、「二枚目というより三枚目の顔だけどなぁ」と言われ、3枚目だと「二枚目という顔じゃないもんなぁ」というのが慣例で、玉木が幕下3枚目。さすがに4枚目はいないだろうという話になったら、朝童子が「オレ4枚目(序ノ口)っす」とつづき、そして、その下の5枚目に朝乃山。今場所は東が一番上だと、話がおさまった。番付にはドラマがあるが、ネタにもなる。
平成30年11月3日
今年2回目のアラの差入れ。かなり立派なアラだが、今日はちゃんこ長大子錦不在の為、わらすぼさんに助っ人を頼んで朝大門がアラに挑戦。包丁でうろこを皮ごと削ぎ、削いだそばから素揚げして塩を振って食べる。パリパリサクサクで思わずビールを飲みたくなるほど・・・。内臓を出し、頭を落とし、三枚に切り分け、頭や骨を切り分けていく。骨は太く固いので、出刃で叩き割る音が響きわたる。入門前警備会社で働いていた朝大門。高校卒業後は調理師学校に通い調理師免許も取得したが、せっかく取った調理師免許を活かせない警備会社への就職を父親は嘆いていたそう。相撲界でアラを捌けるようになったと聞けば少しは喜んでくれるかも・・・。
平成30年11月4日
5月場所1年半ぶりに関取として十両の土俵に復帰した朝弁慶、膝の怪我で休場を余儀なくされ、今場所の番付は三段目25枚目。5月場所後に手術し、リハビリに励み、ようやく軽くなら四股を踏めるほどには回復してきた。しかしながら、まだ時に膝が外れるような痛みがあり、相撲を取るまでにはもう少し時間がかかりそう。それでも、白マワシへの復帰をあきらめず、毎朝、黒マワシて四股やテッポウに汗を流している。
平成30年11月5日
朝乃山、今日から糟屋郡志免町にある時津風部屋へ出稽古。横綱鶴竜から声をかけられたようで、最近場所前恒例になってきた。昨日と一昨日は、九重部屋通い。こちらは中央区今川の鳥飼八幡宮で歩いても行ける距離。実際、歩いて行ったもよう。巡業中は、毎日のように大関栃ノ心の指名を受け三番稽古(同じ相手と何番も行う稽古)を重ねたそう。横綱、大関の胸を借り、連日砂にまみれることが、朝乃山の右四つ本格派の相撲をさらに大きくしていくことであろう。
平成30年11月7日
九州高砂部屋後援会は九電産業株式会社が全面的にバックアップしてくれて運営されている。九州電力の関連会社であるから電気関連事業が主体だが、保険や旅行、さまざまな商品販売も行っており、お茶や塩、だし等、部屋での必需品も差入れ頂き助かっている。とくに自社製品の『天草の塩』は、味に深みがあるのにまろやかな絶品。塩だけで酒の肴にもなる。また、「こだわり九州 いいものめぐり」には九州各地の名産品が満載。
平成30年11月9日
昨日8日(木)に場所前恒例の高砂部屋激励会。今年から会場をANAクラウンプラザホテルに移しての開催。集まった大勢のお客様は、朝乃山や若手力士や親方等との記念撮影、ホテルの料理と大子錦特製の鳥塩炊きちゃんこに舌鼓をうち、力士のカラオケや高砂部屋グッズがあたる抽選会、利樹之丞による相撲甚句などを楽しみ、九州場所での高砂部屋力士一同の活躍を期した。本日取組編成会議が行われ、初日と2日目の割り(取組)が決定。朝乃山、後半戦2番目の取組で貴ノ岩との対戦。玉木は、2日目幕下最後の一番で彩との対戦。横綱白鵬、鶴竜は休場。村田、寺沢も休場。
平成30年11月11日
一年納めの九州場所であり平成最後の九州場所初日。九州場所が本場所となったのは昭和32年からだから、今年で62回目を迎える。第1回目の優勝は荒法師の異名をとった玉乃海。横綱千代の富士の8連覇や54連勝目を阻止された大乃国との一番。若貴兄弟対決。稀勢の里が白鵬の連勝を止めた一番。数々の名勝負を生んだ九州場所がはじまる。早朝の冷え込みは厳しかったものの、快晴で日中の日差しはポカポカで力士にとってはTシャツモード。満員札止めで熱気溢れる国際センターの土俵。朝乃山は右四つ会心の上手投げでの白星スタート。
平成30年11月12日
朝から冷たい雨がシトシトと成道寺境内の石畳を濡らし、福岡入りして一番の寒さを感じる九州場所2日目。こういう天候の日は、膝や腰の怪我をしている力士にはつらい。湿気や冷気が関節の動きを鈍らせ痛みを再発させる。膝の怪我で休場をつづけていた朝弁慶、今日から復帰の土俵。まだまだ完治には程遠い状態だが、いわば背水の陣での出場。怪我だけはしないでくれと見守る土俵で、今年5月場所11日目以来の白星。安堵。朝乃山2連勝。玉木白星発進。
平成30年11月13日
江戸勧進相撲は1月春場所と5月夏場所でのそれぞれ10日間興行で、「一年を二十日で暮らすいい男」という川柳も生まれた。体調不良で休場がつづき、四股名が番付から消えてしまった(番付外)大子錦、今年の1月場所以来となる前相撲の土俵で本日2番の取組。こちらは「一年を九日でくらすいい男」で、江戸の花形力士をも上回る。前相撲を取ると、来場所から番付に四股名が復活する。朝乃山に初黒星。朝鬼神、朝乃土佐、朝東2連勝。
平成30年11月14日
7月場所の5日目三番目の相撲で膝を痛め、その場所0勝4敗。場所後に手術して9月場所は幕下32枚目で全休した村田、今場所は三段目12枚目の番付。ようやく四股など基礎運動はできるようになり毎朝マワシを締めて稽古場で復帰に向け体を動かしている。関取はもちろん、幕下だとちゃんこ番が免除されるが、三段目に落ちるとちゃんこ番も復活する。学生時代から料理は得意だったという村田、まめに嬉々として料理の腕をふるっているが、四股にもこのくらい嬉々として取り組んでくれるといいのに、と思う今日この頃・・・。朝弁慶、朝天舞2連勝。
平成30年11月15日
村田に限らず、若い時は一般的に四股を踏みたがらない。四股は単純で地味な動作のくり返しで、踏んでいても強くなっていく実感が得られない。四股に比べると、ベンチプレスやスクワットは努力した結果がすぐ数字として現れる。筋肉が太くなっていく実感もある。筋力が強くなると、相撲を取っていても強くなった気がする。確かに筋力や瞬発力は相撲の強さの一要因でもある。四股には、そういう実感は伴わない。屈伸や伸脚と同じような準備運動の相撲版としか思えないかもしれない。朝虎牙、神山に初日。
平成30年11月16日
自分自身若い頃(20代の頃)は、四股は軸足を鍛えるための筋トレの一環として踏んでいた。軸足の膝に体重をかけて、いかに苦しく踏むかということを課していた。「四股十両、テッポウ三役」という言葉は、基本の大切さを戒めるためだという認識しかなかった。「四股をよく踏む力士は長持ちする」という言葉も、準備運動をしっかりするからだという認識でしかなかった。40年以上毎日のように四股を踏み続け、探求を深めると、上記の言葉が真摯に感じられるようになってきた。「相撲は四股に始まり四股に終わる」というように、四股に相撲の真理がある、と、感じられてきた。朝興貴、朝ノ島に初日。
平成30年11月17日
前半戦が終わり明日中日だが、未だ勝越し力士がおらず苦戦の九州場所。と、思っていたら結果のわからなかった朝天舞が帰ってきて「お蔭さんで」の挨拶で勝越し王手の3勝目。朝大門に初日。こちらは3連敗していたから、ようやく片目が開いたと言ってもいい。連敗のあとの白星は気分も乗ってくるので、3連敗4連勝もたまにある。後半戦の巻き返しを願うばかり。朝乃山、気迫の一番で連敗脱出。
平成30年11月18日
横綱双葉山は自他ともに認める非力で、腕相撲も弱い方であったという。横綱に上がる前後の頃、引きつけの弱さを評論家によく指摘されてもいた。おそらくウエイトトレーニングの類は一切行っていなかったはずである(当時の力士全般にいえることだが)。それでも相撲を取ると相手をゴミでも放り投げるように投げ捨てた。本人はそれを「相撲力」といい、下腹と腰から出す力、要するに体ぜんたいから出てくる力だと語っている。「相撲力」のなかでは、筋力の占める割合はかなり低くなるのであろう。朝乃山、星を五分に戻す4勝目だが、玉木が残念な負越し。朝童子勝越し王手の3勝目。
平成30年11月19日
勝負師には息抜きも必要で、昭和の相撲界では「飲む・打つ・買う」が当たり前だった。そこに数々の武勇伝も生まれたが、平成も終わりを迎え、趣味嗜好も様変わりしている。「打つ」はももちろん全面的に禁止され、「飲む」力士も格段に減った。「買う」はどうであろう?・・・・。その分、部屋でゴロゴロしてスマホでゲームの力士が増えたが、九州場所に来ると「釣る」が入る。高砂部屋宿舎から少し行くとすぐ海で、わらすぼさんが釣り竿や餌、ポイントを詳しく教えてくれ結構成果が上がる。獲れたてのスズキの刺身や、小アジの素揚げ等、ちゃんこを賑わしてくれ皆の実益を兼ねた趣味となっている。朝乃山、明日は結びで豪栄道戦。初の大関戦で「大物釣り」を果たしたい。
平成30年11月20日
朝童子、今場所の勝越し第一号。入門4年目で、それなりに肉もついてきたが、四股名の通り顔にはまだ幼さが残る18歳(平成12年3月31日生まれ)。勝越しを決め部屋に戻ってきて「お蔭さんで給金直しました」と挨拶するも、居合わせたお客さんから「あの子、お相撲さん?落語家の若い子みたい」との声。初めて勝越しを決めたのが入門2年目一昨年の九州場所で、3年目は7月場所一場所だけの勝越し。4年目となる今年は、1月、5月に続いて3回目の勝越しで、確かに成長している。朝乃山の付人を務めている。朝天舞、2人目の勝越し決定。
平成30年11月21日
三段目25枚目の朝弁慶、今年3月場所以来の勝越し。5月場所で痛めた膝のケガが治りきらず、ある意味強行出場だっただけに、番付を大きく落とした三段目とはいえ嬉しさは格別。昔から「白星が一番の薬」というように、勝つことで気分が晴れ気持ちも前向きになりケガを乗り越える気力も湧いてくる。もうひと踏ん張り。もうひと花咲かせたい。朝東も入門以来2度目の嬉しい勝越し。朝阪神、朝乃丈と負越して、11日目現在勝越し4人、負越し5人。あと1番で勝越し1人、あと一番で負越し5人、3勝3敗1人。
平成30年11月27日
一年納めで平成最後の九州場所も一昨日無事千秋楽を迎え、昨日から宿舎の後片付けをしながらの1週間の場所休み。負越し力士の方が多く、残念な結果だったのにもかかわらず千秋楽打上げには、例年以上のお客様が集い、誠にありがたい限り。負越したもののいい相撲で千秋楽を締めた朝乃山、来場所へつながる白星。三段目朝天舞、千秋楽にも勝って6勝1敗の好成績。来場所の幕下復帰を濃厚なものにした。14日目に8番相撲を取った玉木、2勝6敗に星を上げての番付編成。前回、“勝ち得”(2勝5敗と同じ下がり方)が反映されなかっただけに今度こそ期待したい。
平成30年12月3日
昨日12月2日(日)に宿舎後片付けの残り番も福岡から帰京。巡業は土曜日に出発して、昨日が長崎で今日が福岡県直方市の直方もち吉場所。その後久留米や行橋、大分、宮崎、熊本、鹿児島とまわって15日(土),16日(日)と沖縄。沖縄から戻り20日からまた関東での巡業もある。新年初場所番付発表は12月25日(火)。
平成30年12月14日
映画『土俵物語』は、22歳の房錦が花道から控えに入る場面から始まる。見上げる土俵上には父錦太夫の姿。父が捌く姿を眺めながら、少年時代の回想シーンへと場面は移る。医者を目指しながらも親に内緒で友達と蔵前国技館に通い相撲に見入る櫻井(房錦の本名)少年。やがて元鯱の里の若松親方に入門志願するも、相撲界の厳しさを身近に知る母親は大反対。息子の決意の固さに父錦太夫は「わしも好きな酒をやめるから5年がんばってみろ」と入門決定。
平成30年12月25日
新年初場所番付発表。朝乃山は、ちょうど3枚下がり西前頭8枚目。幕下は、玉木が19枚目、朝興貴が28枚目、復帰の朝天舞が58枚目。三段目は、朝弁慶が15枚目、朝鬼神が21枚目、以下朝大門59、朝心誠70、村田73、朝乃土佐76、朝乃丈78とつづく。朝虎牙が序二段に陥落して4枚目、朝ノ島37、朝童子64、朝東74、朝阪神90、神山93とつづく。番付表は東正横綱が最上段右上で、最下段左下の西序ノ口27枚目まで658名の四股名が連なるが、そのしんがりに控えるのが大子錦大伍郎。23年前の新序以来だそう。
平成30年12月26日
稽古はじめ。九州場所後も稽古は続けて行っているが、巡業組はいないので全員そろっての稽古は久しぶり。また、今日は土俵祭を行うので、行司、呼出し、若者頭等スタッフ一同も勢ぞろいの稽古場。やはり、全員そろうと気分も高まり引き締まってくる。年末は29日まで稽古を行い、その後解散。2日に集合して新年は3日より稽古はじめ。師走は何かと忙しく、押し迫ってもちつきと番付発表がつづき大変だが、疲れた表情の中にも、あと4日で家に帰れるという希望が垣間見えてくる。
平成30年12月27日
番付発表の翌日(昨日26日)は、必ず力士会が開催される。力士会は、十両以上の関取による親睦組織で、このときに新十両力士の紹介や引退力士の挨拶等も行われる。そして東京場所の力士会では身長・体重の測定があるが、昨日の測定で平均体重が166、2kgと、最高記録を1,9kg更新したそう。これまでの記録は昨年9月場所だったそうで、増加に歯止めがかからない。相撲界では、大きいことはいいことだが、ほどがあろう。ちなみに40年前の昭和51年秋場所の幕内平均体重は129,2kgだったそう。
平成30年12月29日
平成30年の稽古納め。稽古終了後、力士、親方、裏方全員が土俵周りに集まり、師匠からの訓示のあと三本締め。その後、おかみさんにお年玉をもらい、風呂、ちゃんこ、後片付け、掃除と、どんどん済ませ解散。高知組は羽田へ、関西・東海組は東京駅へ。北陸、北関東組は上野駅へと各々向かう。一人減り、二人減りしていくと、いつも何かしら物音のする部屋が、だんだん静けさに包まれてくる。帰らず部屋に残る力士も2名ほどいるが。
平成30年12月31日
平成最後の年の大晦日。この一年、高砂部屋にとってもいろいろな出来事がありました。2月4日が朝赤龍引退相撲。大勢の皆様にご協力いただき盛大に錦島襲名披露を飾ることができました。現在、部屋の力士の指導と相撲教習所担当として新弟子の指導にも務めています。朝乃山は幕内として定着、7月場所では11勝と優勝争いに絡む好成績で自己最高位を5枚目まで更新、三役近しと期待されましたが、後半失速して、新三役は新年に持ち越しです。朝弁慶、十両復帰は嬉しいニュースでしたが、膝のケガでの陥落、再々起目指します。村田、寺沢も新年からの再起を目指し、幕下玉木は新年こそ猪突猛進といきたいところ。